今日の一面に、プリンスホテルの日教組拒否問題の訴訟結果が出ている。まあ普通に考えれば、プリンスホテルが非難されるのは道理だが、ここで少し考えてみる。もし、同ホテルが日教組の集会を拒否しなかった場合に予想される、それが同ホテル及び社会に与える損害の実際についてだ。
日教組の集会を、裁判所の仮処分に従って認めた結果、一部の権力ある受験生の保護者から、「街宣車がうるさくて勉強に集中できなかった」との苦情が、プリンスホテルに寄せられるというケースだ。
だが、よくよく考えてみると、その場合の喧騒の原因は、第一義的には街宣車それ自体にあるのであり、その責任は、日教組にもプリンスホテルにもないはずである。
なのに、その責任が、あたかも、日教組もしくはプリンスホテルにあるかのように信じられていることがある、というふうに、少なくともプリンスホテルの人たちは信じたということである。
3億近い損害賠償金と、訴訟を起こされた事によるイメージ低下を差し引いてでも、プリンスホテルが死守しなければいけなかったものとはいったい何か? おそらくそれは、「法律を理解しない」「権力を持つ」お客様であるかと思われる。
受験生が受験に落ち、その原因が一時的にではあれ、前日のホテル宿泊中の喧騒にあると信じられるときが、受験生本人やその保護者の心のうちに生じないとは限らない。そしてそのときの本人たちは、過度に保身的で、利己的で、かつ、心を閉ざした状態になっている。
そのような、過度に保身的・利己的・閉心的な精神状態のお客におもねり続けることが、本国の法規にあらがってでも成し遂げなければならないことである、というふうに、同ホテルは経営判断したということである。
その経営判断は、「いかなる場合でもお客様の神経を逆撫でしてはならない」ということが真実であり続ける限りにおいては、おそらく完全に正しい。しかし、大事なことは、そのことが真実ではないということだ。そのことを真実だと認めるということは、俗情に媚びるということである。
俗情に媚びるというのは、民度の引き上げに貢献しないということでもある。つねにお客様が正しいと考えることは、お客様の成長の機会を奪うことでもある。
しかし一方で、俗情に媚びないというのは、一時的には顧客離れを引き起こす可能性が出てくることを引き受けるということでもある。その度胸のない人間は、俗情に媚びないという選択をすることができない。
さまざまな可能性が考えられる。裁判所は、警備を十全にすれば大丈夫だとは言うが、ホテル側からしてみれば、そもそも警官がうようよ居まくるような環境であるというだけでイメージダウンにつながってしまうかもしれないという懸念があったという可能性もある。
ただ、一つ言えることは、裁判所の命令を拒否するというようなことは、普通の人間にはできないということだ。それは精神がいかれていなければできないということではなく、覚悟が決まっていないとできないという意味である。
その覚悟の中身が何であったのか、その判断でほんとうにプリンスホテルは長期的に見て良かったのかどうか。
ホテル側の言うことの論理があまりに拍子抜けするようなものであるだけに、その背後に一抹の聡明さや先見の明があったのだとしたら、いったいどういうものなのだろうかということが、少し気になるのである。
日教組の集会を、裁判所の仮処分に従って認めた結果、一部の権力ある受験生の保護者から、「街宣車がうるさくて勉強に集中できなかった」との苦情が、プリンスホテルに寄せられるというケースだ。
だが、よくよく考えてみると、その場合の喧騒の原因は、第一義的には街宣車それ自体にあるのであり、その責任は、日教組にもプリンスホテルにもないはずである。
なのに、その責任が、あたかも、日教組もしくはプリンスホテルにあるかのように信じられていることがある、というふうに、少なくともプリンスホテルの人たちは信じたということである。
3億近い損害賠償金と、訴訟を起こされた事によるイメージ低下を差し引いてでも、プリンスホテルが死守しなければいけなかったものとはいったい何か? おそらくそれは、「法律を理解しない」「権力を持つ」お客様であるかと思われる。
受験生が受験に落ち、その原因が一時的にではあれ、前日のホテル宿泊中の喧騒にあると信じられるときが、受験生本人やその保護者の心のうちに生じないとは限らない。そしてそのときの本人たちは、過度に保身的で、利己的で、かつ、心を閉ざした状態になっている。
そのような、過度に保身的・利己的・閉心的な精神状態のお客におもねり続けることが、本国の法規にあらがってでも成し遂げなければならないことである、というふうに、同ホテルは経営判断したということである。
その経営判断は、「いかなる場合でもお客様の神経を逆撫でしてはならない」ということが真実であり続ける限りにおいては、おそらく完全に正しい。しかし、大事なことは、そのことが真実ではないということだ。そのことを真実だと認めるということは、俗情に媚びるということである。
俗情に媚びるというのは、民度の引き上げに貢献しないということでもある。つねにお客様が正しいと考えることは、お客様の成長の機会を奪うことでもある。
しかし一方で、俗情に媚びないというのは、一時的には顧客離れを引き起こす可能性が出てくることを引き受けるということでもある。その度胸のない人間は、俗情に媚びないという選択をすることができない。
さまざまな可能性が考えられる。裁判所は、警備を十全にすれば大丈夫だとは言うが、ホテル側からしてみれば、そもそも警官がうようよ居まくるような環境であるというだけでイメージダウンにつながってしまうかもしれないという懸念があったという可能性もある。
ただ、一つ言えることは、裁判所の命令を拒否するというようなことは、普通の人間にはできないということだ。それは精神がいかれていなければできないということではなく、覚悟が決まっていないとできないという意味である。
その覚悟の中身が何であったのか、その判断でほんとうにプリンスホテルは長期的に見て良かったのかどうか。
ホテル側の言うことの論理があまりに拍子抜けするようなものであるだけに、その背後に一抹の聡明さや先見の明があったのだとしたら、いったいどういうものなのだろうかということが、少し気になるのである。
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