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那覇へ(その1) |
ウチのが着いた。佃大橋の上だ。戦後、わが母が弁当に敷いた佃煮を想いだす。さあ、今朝は、8;00にチェックアウトして、東京~名古屋~名鉄~中部国際空港~那覇へ移動する。沖縄には、16:30分に着く。翌日13:00、嘉手納米空軍基地を訪問する。会見の目的を整理する。スピーチもある。
昨夜、19:30に、Mephist先生(39)と極東のt兄(47)が訪ねて来られた。t兄は男らしい風貌のお人だ。外は雨がサラサラと降り、サツキが咲き始めていた。ウチのと、姉と、4人で、32階の明石亭へ行った。和牛シャブシャブでワインを飲んだ。シャブシャブで、きし麺うどん、冷やしゼリーとサクランボで〆た。t兄は飲まない。Mephist先生もアルコールは少々。お二人とも、青年社長さんだ。
お二人は、鳩山に怒っているというよりも、呆れ返っていた。隼ソサエテイの方針も話した。伊勢爺は、戦後の築地一帯を買い取れるほどのわが父の生きざま~日本のヤクザ史に残るt叔父(母の兄)の話をした。姉が慌てて、“父はヤクザを嫌った~わたしたちは全く関係はありません”と。t兄の香港事情も、Mehist先生の事業も、われらのテーブルは、花が咲いたように華やかだった。
わが予科練・特攻生き残りの兄だ。82になった。ホテルまで訪ねてくれた。戦中派の人なので、カネには慎重である。メニュー見るというか、料金を眺めていた。“兄ちゃん、何を食うか?”“エエーと、、”“兄ちゃん、料金なんか見んでもええ”“お前は、親父に似とるなあ。料金もクソもなく注文する。嫌やなやっちゃ”と大笑いした。特攻の話は、初めて聞いた。文章にしてくれた。
日本のヤクザ界を育てたt叔父~特攻の兄は、そのうちに本にするわな。伊勢平次郎 大江戸は隅田川べりにて、、続く、、