11/29 | |
あらゆる防衛手段を考える、、 |
岸田文雄の演説を聞いていて、「幼い頭してるな」と思った。保護されて育った者の共通点は究極の防衛は何かを考えない。岸田は1957年、終戦後11年に生まれた。伊勢は16歳で中学2年生だった。岸田は1952年の朝鮮戦争も知らないとなる。安倍晋三もだが、戦後生まれの日本人は、「日本は悪い国だった」とサヨクの反日教育に染まって育った。そこで、防衛産業は戦争の第一歩と腰が退けている。
防衛産業の利益は、はかり知れない、、
アミクロンの脅威を考えたG7がトラベルを全面禁止した。打撃を被るのはエアラインやツーリズムに依存する国。アメリカの自動車産業は生産ラインを停めたまま。乗用車は売れないからね。ミシガン、テネシー、ケンタッキー、テキサスは失業者が増えた。輸送力が減じたために、物価が急上昇。不況が続く。その中で、防衛産業だけが変わらない。
イスラエルが出来ることを何故、日本が出来ない?
イスラエルは、934万人の国。国土は四国のサイズ。ところが、イスラエルは軍事大国なんです。まず、核保有国。兵役:
男子32か月、女子24か月(更に予備役あり)。正規軍 16.95万人(陸軍12.6万人、海軍9,500人、空軍3.4万人)。予備役 46.5万人(陸軍40万人、海軍1万人、空軍5.5万人)。
イスラエルのハイテックは世界のトップ。プログラムを英米に売っている。その収益がイスラエル軍を支えているからです。伊勢
11/29 | |
岸田は林外務大臣を更迭できるか? |
林は「日本悪人論者」だと思うね。歴代の首相も韓国に謝った。「謝れ!」と言うと、日本人は腹の中ではそう思わなくても謝る。アメリカ人は個人なら「アイアム・ソーリー、アイ・ライク・トウ・アポロジャイズ」と言う。伊勢の甥の前米陸軍情報将校だったデービッドがニューオーリンズの太平洋戦争記念館へ行ったときに広島長崎原爆投下を伊勢に謝った。デービッドは、キリスト教徒だが、敬虔ではない。逆に批判的で物議を醸している。
国を代表して謝る、、
国を代表して謝るというのは、法廷ではありえないんです。不当代理、つまり国民の承諾なく国として謝る「偽の行為」と言うことです。誰も彼も首相だからと日本を代表して謝った。安倍晋三は直接謝るとは言わなかったが、「前首相たちと同じです」と言った。
日本政府が信用されない理由、、
ペコペコと頭を下げる日本の首相、閣僚、企業の役員。一見、誠実そうに見える。ところが、この言動は逆効果なんです。誰も信じないからね。謝る首相や企業の役員は、コンべ―ヤ―式に辞めてしまう。みずほ銀行の役員の名前など誰も覚えていないよね?伊勢
11/28 | |
SF小説に書いたアマゾン、、 |
11/27 | |
女性の悲鳴が聞こえた、、 |
フロリダの高級住宅街。近所の女性たちが「隣の家から、”ここを出してくれ!”と女性の悲鳴が聞こえる」と911に電話した。ポリスが駆け付けた、、庭で車を直していた持ち主がポリスに待っているようにと言って、家の中に入った。ポリスが緊張した。すると男性が鸚鵡を肩にして出てきた。「これはランボー。14歳のアマゾン・オウムなんです。ランボーはお喋りなんです。困ったことにテレビが好きなんです。この悲鳴は、スリラーかなんかを見て覚えたんでしょう」 ポリスが大笑いした。持ち主がYOUTUBEで流した。めでたし、めでたし、、
ダブル・イエロー・ヘッド・アマゾン、、
買おうと思ってリサーチすると、まず、アマゾンの野鳥を売買するのは欧米では禁止条例。だけど、ブリーダーから買うことが出来ると。ほとんどのブリーダーがフロリダ。孵化が難しく、注文して待つとなる。驚くべきことに$5000ドル。カミさんが大反対。伊勢は断念せざるを得ない。
11/26 | |
夫婦だけの感謝祭、、 |
11/25 | |
言葉を濁しているのは岸田首相だけ、、 |
11/24 | |
岸防衛大臣は重大な懸念と言うが、、 |
11/23 | |
テレ東、反米報道続く、、 |
伊勢のコメント
FalconNewsreel
5 minutes ago
<アメリカ国防省は衝撃を受けているということです。(質問)そのソースは?こういうテクニックで日本の同盟国であるアメリカを貶めている。ということは、テレ東は反米ということです。
在京アメリカ大使館が知らないはずがない、、
日本の報道はアメリカを敵視している。反米報道をあからさまにやっている。在京アメリカ大使館は米国務省の出先機関なんです。CIA情報員がいるんです。
報道の自由、、
それは民主主義の原則だけど、国家反逆運動は許されない。大きな歯車で考えると、日本がアメリカを必要とするとき、アメリカ軍が現れないことが考えられる。それは、尖閣だと思うね。いくら、尖閣は日米同盟の第五条に当たると言っても、大統領が米軍の出動を許さなければ、自衛隊が中国軍と戦うことになる。伊勢
11/22 | |
日本の報道は反米、、 |
伊勢の投稿、、
FalconNewsreel
25 minutes ago
テレ東さん、バイデン潰しに熱心ですね。私は在米55年。アメリカの国民は何でもかんでもバイデンの所為にするが、コロナは中国発ですよ。コロナで減速した経済の特効薬は、現金給付、インフラ$1、2兆ドルは法律になった。第二インフラの$2兆ドルは下院を通過。この中には、米台日の半導体共同開発が含まれているんです。日本人は餌をくれる飼い主の手を噛むんですか?
アンフェアということ、、
メデイアのバイデン攻撃は非常にアンフェア。日本人にはフェアなスピリッツがない。伊勢は、トヨタUSAにいた人間です。大企業の因業度は凄まじいんです。日本も、アメリカも、大衆はメデイアは怪しいと思いつつ印象操作に嵌まる。
びっくりするよ
バイデンは独裁者ではないです。あくまでも民主主義的な手段(投票)で政策を勝ち取って行く。中間選挙がどう出るか伊勢にも判らないが、2022年の経済は急速に上昇すると言って置くね。今年の第四半期10,11,12のGDPはジャンプするよ。インフラが底上げするのは必至です。アメリカンは再び自信を取り戻す。元々、明るい性格だからね。バイデンの対中国政策も成果を上げる。アメリカのハンドは、10,クイーン、キング、エース、ジョーカーを握っている。習近平に台湾進攻を命じる根性などないです。伊勢
11/20 | |
習近平はどうする? |
包囲される中国、、
バイデンは中国の増長を許さない。1)中国への投資禁止 2)中国国営のチャイナ・テレコムを追放 3)北京冬季五輪ボイコットを検討中 4)イギリスもボイコット検討中、、
バイデンは急がない、、
クアッドの順番がやってきた。日本が議長国で来年アメリカで行う。岸田に決心を促している。バイデンは、五輪ボイコット検討も、クアッドも急がない。インフラの法律が成立したので、こちらが最優先。米欧日豪印には時間と言う味方が着いている。これが習近平を苛々させている。落ち着いて見えるが焦燥は明らか。
中露韓は日米の敵国、、
韓国の警察長官が竹島に上陸したことで、日本が日米韓共同声明を拒否。日韓のセキュリテイ協調は不可能とアメリカが自覚した。これは中国を神経質にしている。北京は平壌をコントロールできると思っていた。ワシントンが平壌に強く出ることは明らか。韓国軍が弱体化する。それを日本が補欠する。防衛費の引き上げを躊躇ってはいけない。コロナ禍で困窮する国民を救うために54兆円の財政拠出が決定される。防衛費が5兆円というのは、「日本は戦わない」と思われている。日本をここまで窮地に追いやったのは、魑魅魍魎の安倍麻生なんです。伊勢
バイデンは中国の増長を許さない。1)中国への投資禁止 2)中国国営のチャイナ・テレコムを追放 3)北京冬季五輪ボイコットを検討中 4)イギリスもボイコット検討中、、
バイデンは急がない、、
クアッドの順番がやってきた。日本が議長国で来年アメリカで行う。岸田に決心を促している。バイデンは、五輪ボイコット検討も、クアッドも急がない。インフラの法律が成立したので、こちらが最優先。米欧日豪印には時間と言う味方が着いている。これが習近平を苛々させている。落ち着いて見えるが焦燥は明らか。
中露韓は日米の敵国、、
韓国の警察長官が竹島に上陸したことで、日本が日米韓共同声明を拒否。日韓のセキュリテイ協調は不可能とアメリカが自覚した。これは中国を神経質にしている。北京は平壌をコントロールできると思っていた。ワシントンが平壌に強く出ることは明らか。韓国軍が弱体化する。それを日本が補欠する。防衛費の引き上げを躊躇ってはいけない。コロナ禍で困窮する国民を救うために54兆円の財政拠出が決定される。防衛費が5兆円というのは、「日本は戦わない」と思われている。日本をここまで窮地に追いやったのは、魑魅魍魎の安倍麻生なんです。伊勢
11/19 | |
秋と言えば栗、、 |
11/18 | |
解き放されたメロデイ、、 |
1955年に、トッド・ダンカンと言う無名のシンガーが作曲して唄った。昔、よく考えもせず別れた恋人を齢を取ってから偲び、「あなたは、今でも私のものか?私はあなたの愛を必要としている」と切々と唄った。20以上の歌手が唄った。200回以上録音された歴史的な記録。伊勢も好きだった。ハワイの天台宗にいたとき、口ずさんでいたら、日本人、ハワイアン二世、オーストラリア人、台湾人の若い女性たちが伊勢をジ~っと見ていた。ということは女性の胸に響くソングなんです。
肺炎と診断された、、
今日午後、心臓医に会いに行った。レントゲン写真、血液検査の結果を読んでいた。聴診器を背中に当てて、「イー」と言え。聴診器を取ると、左の肺が肺炎を起こしている。熱がないから、入院の必要はない。そして、抗生物質の薬七日分を薬局にオーダーした。全体に疲れてはいるが、食欲旺盛。歩いた。
伊勢は介護を拒否する、、
「徹底的に闘い、肺炎か心肺停止を望む」と言ったら青い目の妻が伊勢の顔をジッとみていた。わが恩師、黒木ひかる先生が死に様を教えてくださった。先生は、今年の8月27日、熱があるからと入院された。深夜だった。翌朝、11時に旅立たれた。先生は96歳7か月だった。伊勢は「お見事」とつぶやいた。伊勢
11/16 | |
新連載「胡椒の王様」 終章 |
終章
チャーリーは、イーディスが、サタナンドとアアシリアが到着したと言ったとき書斎に居た。若いグロイスターの知事はセイロンから遥々ときた親友を出迎えるために応接間に急いで行った。
「ボクたちはセイロンから出たことがない。ボクらは飛行機に乗ったこともなかった」と旧友を抱きしめながらサタナンドが言った。アアシリアが少し太っていることにチャーリーは気が着いた。ふたりは十九世紀に建てた荘厳なミッテントロッター家の館に驚いていた。
チヤ―リーがカンデイを去ったときの話をした。
「私がキャンプを去ったとき、象たちがテント村を駆けぬけて行く大騒動が聞こえた。銃声が聞こえた。タミール・ガードは追ってこなかった。サタナンド、アアシリア、私はあなた方に命を助けて貰った」と一息ついた。「そこで、ひとつ提案がある。断れない提案を申し出たい」とチャールスが言った。サタナンドがチャーリーの真剣な表情に体を硬くした。提案を恐れたのである。だが、アアシリアは女性の本能で、その提案が自分たちに良いニュースであると知っていた。
「私は胡椒の王様を買った。紅茶農園の新しい持ち主になった。私はあなた達に農園を経営して貰いたい。あなた達は結婚したのですか?」
「イエッサー、ボクたちは夫婦です。アアシリアはもうすぐ母親になる」サタナンドがアナウンスした。誇りで背丈が伸びたように見えた。
「そして、サタナンドあなたは父親になる…」チャールスことチャーリーがあの競馬のあった夜、カンデイを去った後に起きたことを話した。
一週間前のことであった。スコットランド・ヤードの長官から電話があった。コックニーが死んだとチャールスに報告をした。コックニーがケララの留置場で同房の入所者らに殺されたと言ったのである。
「誰が殺したのですか?」チャールスが混乱していた。
「胡椒の王様が殺すように命じた。甥がイギリスへ帰って来て、裁判官の前で喋るのを封じたのです。胡椒の王様が知らないところで、コックニーは、人を浚って高い値段で売るという商売をやっていたのです」
「なるほど。それで、胡椒の王様は今、何処にいるのですか?」
「われわれでも、ボスの居場所が判らない。ただ、ジョージ・ドラムがセイロンの財産を売りたいとドラムの弁護士から電話があったんです」
チャールスは、しばらく考えていた。そして口を開いた。
「二ペンスで私が買うと弁護士に伝えて下さい」とチャールスが言った。」
「知事さん、奴は、そんな安い値段では売らない。入札をする」
「もし、ドラムが私の申し出を拒絶するなら、私は、あるったけの権力を使って復讐をすると伝えて下さい」若い知事は譲らなかった。
「サタナンド、胡椒の王様は農園を二ペンスで私に売った。私は世界一の紅茶をあなたに作って貰いたい。セイロンの紅茶を世界に知らせたい。奴隷を禁止する条例をセイロン政府に要請した。条例は採択されて、セイロンの全島におふれが出された。公共でも、私有の農園でも、工場でも、労働者には時間給と医療給付が払われる。母親は保育の給付を受け取る法律も発令した」
長い沈黙が続いた。ついにサタナンドが口を開いた。
「それでは、あなたが胡椒の王様なんですね?」
「いいえ、私は、ただのチャーリー…あなたのジョッキー」とチャールス・ミッテントロッター卿が言った。
‒完‒
「胡椒の王様」は、「キング・オブ・ぺパー」という題名で、英語で書いたものです。山椒大夫を知ってもらう為に欧米で出版したかった。アメリカ、イギリス、デンマーク、ドイツの人々がキンドルを買ってくれた。アマゾン編集部のレネーという女性編集者の評価は高かった。(2014・2・28)
*みなさん、ご感想をください。伊勢
チャーリーは、イーディスが、サタナンドとアアシリアが到着したと言ったとき書斎に居た。若いグロイスターの知事はセイロンから遥々ときた親友を出迎えるために応接間に急いで行った。
「ボクたちはセイロンから出たことがない。ボクらは飛行機に乗ったこともなかった」と旧友を抱きしめながらサタナンドが言った。アアシリアが少し太っていることにチャーリーは気が着いた。ふたりは十九世紀に建てた荘厳なミッテントロッター家の館に驚いていた。
チヤ―リーがカンデイを去ったときの話をした。
「私がキャンプを去ったとき、象たちがテント村を駆けぬけて行く大騒動が聞こえた。銃声が聞こえた。タミール・ガードは追ってこなかった。サタナンド、アアシリア、私はあなた方に命を助けて貰った」と一息ついた。「そこで、ひとつ提案がある。断れない提案を申し出たい」とチャールスが言った。サタナンドがチャーリーの真剣な表情に体を硬くした。提案を恐れたのである。だが、アアシリアは女性の本能で、その提案が自分たちに良いニュースであると知っていた。
「私は胡椒の王様を買った。紅茶農園の新しい持ち主になった。私はあなた達に農園を経営して貰いたい。あなた達は結婚したのですか?」
「イエッサー、ボクたちは夫婦です。アアシリアはもうすぐ母親になる」サタナンドがアナウンスした。誇りで背丈が伸びたように見えた。
「そして、サタナンドあなたは父親になる…」チャールスことチャーリーがあの競馬のあった夜、カンデイを去った後に起きたことを話した。
一週間前のことであった。スコットランド・ヤードの長官から電話があった。コックニーが死んだとチャールスに報告をした。コックニーがケララの留置場で同房の入所者らに殺されたと言ったのである。
「誰が殺したのですか?」チャールスが混乱していた。
「胡椒の王様が殺すように命じた。甥がイギリスへ帰って来て、裁判官の前で喋るのを封じたのです。胡椒の王様が知らないところで、コックニーは、人を浚って高い値段で売るという商売をやっていたのです」
「なるほど。それで、胡椒の王様は今、何処にいるのですか?」
「われわれでも、ボスの居場所が判らない。ただ、ジョージ・ドラムがセイロンの財産を売りたいとドラムの弁護士から電話があったんです」
チャールスは、しばらく考えていた。そして口を開いた。
「二ペンスで私が買うと弁護士に伝えて下さい」とチャールスが言った。」
「知事さん、奴は、そんな安い値段では売らない。入札をする」
「もし、ドラムが私の申し出を拒絶するなら、私は、あるったけの権力を使って復讐をすると伝えて下さい」若い知事は譲らなかった。
「サタナンド、胡椒の王様は農園を二ペンスで私に売った。私は世界一の紅茶をあなたに作って貰いたい。セイロンの紅茶を世界に知らせたい。奴隷を禁止する条例をセイロン政府に要請した。条例は採択されて、セイロンの全島におふれが出された。公共でも、私有の農園でも、工場でも、労働者には時間給と医療給付が払われる。母親は保育の給付を受け取る法律も発令した」
長い沈黙が続いた。ついにサタナンドが口を開いた。
「それでは、あなたが胡椒の王様なんですね?」
「いいえ、私は、ただのチャーリー…あなたのジョッキー」とチャールス・ミッテントロッター卿が言った。
‒完‒
「胡椒の王様」は、「キング・オブ・ぺパー」という題名で、英語で書いたものです。山椒大夫を知ってもらう為に欧米で出版したかった。アメリカ、イギリス、デンマーク、ドイツの人々がキンドルを買ってくれた。アマゾン編集部のレネーという女性編集者の評価は高かった。(2014・2・28)
*みなさん、ご感想をください。伊勢
11/16 | |
新連載「胡椒の王様」 |
第二十章
グロイスターの知事チャールス・ミッテントロッター二世と執政のミスター・ガーキンをモーズリー精神病院の院長が出迎えた。医務室に招かれると、二人の精神科医が自己紹介をした。そして謎の盲目の女性のカルテを取り出した。
「実際には、この患者さんは気が狂っているわけではない。精神病でもない…盲人でもないのです」と切り出した。彼女は何か激しいショックによって視力と話す能力を失ったのです」と女性の精神科医が言った。
「彼女は日常の生活に問題がない。それどころか、毎日の活動に異常が見られないのです。起床は毎朝、同じ時間…衣類を自分で洗濯する。着替える。食堂で食べる…庭園を散歩する。しかし、ちょっと奇妙な行動を私は見たのです」
「奇妙な行動ですって?」ガーキンが訊いた。
「彼女の部屋は、自活出来る患者の部屋なんです。つまり自力で生活する。簡単なことだけですが。食後の片付け、家具の塵を雑巾で拭う。この患者はそれらの仕事に加わらないのです。庭で花を摘んだり、活けたり…」
「われわれは、この女性は上流社会の人だと認定したのです」
「その女性に会えますか?」とチャーリーがドクターに訊いた。
四人は薄暗い廊下を歩いて行った。ドアの中から、キャアという叫び声、女性のひとりごと、ケラケラと笑い声…泣き声が聞こえた。廊下の端に来ると、鍵の掛かった鉄の扉があった。その棟は、比較的に精神病の軽い患者が生活出来る環境になっていた。生活能力がある人々というネームプレートが付いていた。普通の家のように思えた。窓にも庭に出る玄関にも鍵はなかった。部屋の中には看護婦もいなかった。鍵のかかったドアの向こうの廊下で見た看護婦だけだった。
チャーリーが窓際の椅子に座っている婦人を見ていた。婦人は細身で灰色の髪を束ねておらず、その長い髪が痩せた両肩に掛かっていた。そして椅子に座って窓の外を真っ直ぐ見ていた。婦人は庭の樫の木の枝に百舌(もず)が鈴なりに並んで囀るのを聞いていた。
「彼女は歌に反応するんです」と年上の医者がチャーリーに言った。
「どういうソングですか?」とガーキンが訊いた。
「聖歌です」
「クリスマス・キャロル?」チャーリーが医者を振り返って訊いた。
「そうかも知れません」
チャーリーが、姉のアンが夏でもクリスマス・キャロルを口ずさんでいたのを想い出していた。
「彼女に近着いても良いでしょうか?」チャーリーは部屋に入ってからその婦人から一瞬も目を離さなかった。心臓の動機が速くなっていた。
「勿論ですとも」女性の担当の医師がチャーリーのために椅子を持って来て、女性の横に置いた。
「お母さま」チャーリーが低い声で語りかけた。応えはなかった。
「お母さま」と再び声をかけたが、やはり応えはなかった。
「ママ!ボクだよ、チャーリー…あなたの息子…」チャーリーは絶望的になっていた。
このとき婦人が声のする方角にゆっくりと顔を向けた。そして両手を伸ばした。チャーリーがその手を取って顔に当てた。
「おお、私のチャールス…私の息子」と女性が叫んだ。
*次回で最終回です。
グロイスターの知事チャールス・ミッテントロッター二世と執政のミスター・ガーキンをモーズリー精神病院の院長が出迎えた。医務室に招かれると、二人の精神科医が自己紹介をした。そして謎の盲目の女性のカルテを取り出した。
「実際には、この患者さんは気が狂っているわけではない。精神病でもない…盲人でもないのです」と切り出した。彼女は何か激しいショックによって視力と話す能力を失ったのです」と女性の精神科医が言った。
「彼女は日常の生活に問題がない。それどころか、毎日の活動に異常が見られないのです。起床は毎朝、同じ時間…衣類を自分で洗濯する。着替える。食堂で食べる…庭園を散歩する。しかし、ちょっと奇妙な行動を私は見たのです」
「奇妙な行動ですって?」ガーキンが訊いた。
「彼女の部屋は、自活出来る患者の部屋なんです。つまり自力で生活する。簡単なことだけですが。食後の片付け、家具の塵を雑巾で拭う。この患者はそれらの仕事に加わらないのです。庭で花を摘んだり、活けたり…」
「われわれは、この女性は上流社会の人だと認定したのです」
「その女性に会えますか?」とチャーリーがドクターに訊いた。
四人は薄暗い廊下を歩いて行った。ドアの中から、キャアという叫び声、女性のひとりごと、ケラケラと笑い声…泣き声が聞こえた。廊下の端に来ると、鍵の掛かった鉄の扉があった。その棟は、比較的に精神病の軽い患者が生活出来る環境になっていた。生活能力がある人々というネームプレートが付いていた。普通の家のように思えた。窓にも庭に出る玄関にも鍵はなかった。部屋の中には看護婦もいなかった。鍵のかかったドアの向こうの廊下で見た看護婦だけだった。
チャーリーが窓際の椅子に座っている婦人を見ていた。婦人は細身で灰色の髪を束ねておらず、その長い髪が痩せた両肩に掛かっていた。そして椅子に座って窓の外を真っ直ぐ見ていた。婦人は庭の樫の木の枝に百舌(もず)が鈴なりに並んで囀るのを聞いていた。
「彼女は歌に反応するんです」と年上の医者がチャーリーに言った。
「どういうソングですか?」とガーキンが訊いた。
「聖歌です」
「クリスマス・キャロル?」チャーリーが医者を振り返って訊いた。
「そうかも知れません」
チャーリーが、姉のアンが夏でもクリスマス・キャロルを口ずさんでいたのを想い出していた。
「彼女に近着いても良いでしょうか?」チャーリーは部屋に入ってからその婦人から一瞬も目を離さなかった。心臓の動機が速くなっていた。
「勿論ですとも」女性の担当の医師がチャーリーのために椅子を持って来て、女性の横に置いた。
「お母さま」チャーリーが低い声で語りかけた。応えはなかった。
「お母さま」と再び声をかけたが、やはり応えはなかった。
「ママ!ボクだよ、チャーリー…あなたの息子…」チャーリーは絶望的になっていた。
このとき婦人が声のする方角にゆっくりと顔を向けた。そして両手を伸ばした。チャーリーがその手を取って顔に当てた。
「おお、私のチャールス…私の息子」と女性が叫んだ。
*次回で最終回です。
11/15 | |
新連載「胡椒の王様」 |
第十九章
チャーリーが任命した「チーフ」と呼ばれるグロイスターの警察長官が朝早くロンドン行きの汽車に乗った。スコットランド・ヤードと呼ばれている英国警視庁へ出張したのである。ケンドール警察長官は、ロンドン中央駅に着いた。どこかで昼飯を食べようと考えていた。拾ったタクシーをベーカー通りで降りた。ユダヤ食を食べたくなったのだ。ユダヤ人の伝統はレストランではなく、ユダヤ食料品の店、つまりストアの中に簡単な食堂があるのだ。 ケンドールは、ライ麦のパンにどっさりと挟んだパストラミとカラシ、マッツォボール・スープとルートビール・ソーダ水一本を注文した。 ケンドールがベーカー通りを昼飯のスポットに選んだのには理由があった。このストリートを訪れるものは誰でもシャーロック・ホームズとドクター・ワトソンがこの狭い石畳の道を遊歩して向かい側のユダヤの店に入るイメージを抱くのである。実際にそれを真似したのは、グロイスターから汽車でやって来たケンドール警察長官のようであった。
「チーフ・ケンドール、われわれは、何がミッテントロッター家に起こったのか、ほぼ、その全容を把握している」とスコットランド・ヤード英国警視庁の長官が不運な皇族の事件を語り出した。いまや、若いミッテントロッター二世がグロイスターの知事になったことは強力なヘルプになるのです。彼が強い権力を握ったからです。それに、この知事は英国王室の縁戚ですからね。インド法務省はたいへん協力的ですよ。彼らは、冷血のコックニーを逮捕したのです。コックニーの名前は、ババ・クライドと言います。ご存知ですか?」
「いいえ、知りません。それで、今、そのババという男は何処に留置されているんですか?」
「ケララの留置場です」
「この男の仲間の人浚いは、どうなったんです?」
「連中はPTボートで逃げた。インド沿岸警備隊がカノン砲をバ~ンと一発撃ったら、みごとにボートの尻に命中した。バイキン野郎どもを海の底にお送りしたんだ」と長官が、わっは、は、は、と笑った。
「どうやって奴らはPTボートを手に入れたんですか?」チーフ・ケンドールがいかにも理解し難いとばかりに訊いた。
「ジョージ・ドラムは、いろんな怪しい商売をやっているんです。セイロンの紅茶とインド南部のゴム農園、香港の銀行、マカオのカジノ、パキスタンのカラチ港にある廃船解体業…インド洋での戦争が終わったとき、アメリカは破損して使い物にならなくなった海軍の船をダンプした。PTボートもね。ドラムがアメリカ海軍の契約者となって、一括してキャッシュで買った」
「チーフ、英国情報局の紳士をここに招聘してある。一時間でやって来る。紅茶一杯どうですか?」監督官が部屋を出て行った。そしてセイロンの紅茶を二杯とビスケットの缶を持って帰ってきた。
英国情報局インド特別班の調査官の報告は以下であった。
――インド連邦警察と英連邦エージェントは、インド各地の農園や工場で不法強制労働が行われていると知っていても、新政府に人員もなければ予算もなかった。本年一九五二年に入ってから本格的な奴隷農園の摘発がインド全国で開始された。イギリス陸軍の助力も、イギリスの援助資金も追い風となった。英国領ラジの時代からこのケララ州には奴隷農園があることは知られていた。先月の十月に農園を逃げたヒンズーの奴隷がケララ州警察署に駆け込んだ。このゴム農園に白人の奴隷もいたとの情報から一斉検挙に踏み切ったのです。われわれは、キッチンで働かされていたBBという名のヒンズーの女性を見つけた。彼女はミッテントロッター夫人に仕えた子供たちのメイドだったと言ったのです。インド情報局の調査官に次ぎのように誘拐事件を語ったのです。
――ミッテントロッター夫人、アン、チャールスとBBの四人は一九四七年の十月のある朝、ボンベイの港からクイーン・ビクトリア号に乗船した。遠洋航海クルーザーは最初の寄港地ゴアに向かった。ゴアはボンベイから三百八十キロ南方のインド西海岸の町、ゴアからイギリスへ帰る人々を乗せるためだった。台風がインド洋の南方で発生していた。クルーザーはバスコ・ダ・ガマ港に丸二日間、停泊を余儀なくされた…台風が過ぎ去った後、クイーン・ビクトリア号は錨を挙げてインド洋に出た…
――バスコ・ダ・ガマ港を出航してから五時間が経った頃、二隻のPTボートが水平線に現われた。クイーン・ビクトリア号に急速に接近してきた。コックニーはミッテントロッターの客室係りだった。コックニーの率いるインド人のギャングらは、大食堂にいたミッテントロッターの四人と他のインド人の男女を人質に取った。一等航海士が射殺された。コックニーは、ビクトリア号に乗船していたイギリス海軍の警備兵の武装解除を船長に命令した。
――コックニーと子分のインド人ギャングが二十二人の船客を浚った…二隻のPTボートに乗るように命令した…そして海岸へ向かって猛スピードで発進した。アンとチャールスはコックニーの乗るボートに…ミッテントロッター夫人とBBと他に八人の男女がもうひとつのボートに乗せられてコックニーのボートの後ろについて行った。PTボートがケララの海岸の見える海上へ来ていた。そこへ、小さな漁船が近寄ってきた…ミッテントロッター夫人、BB,八人のインド人の男女が金貨銀貨と交換された。つまり売られたのです。人買いは浚ってきた女子供を物資と見ていた。
「物資?豆のような?」チーフ・ケンドールが頭から湯気が出るほど憤怒した。
「BBという二十五歳のインド女性がわれわれに話したのです。彼女とミッテントロッター夫人はゴム農園に連れて行かれて、ゴムの原料を加工する工場で労働を強制された。チャイナのスウエット・ショップと同じ奴隷労働です。二年が経った。ミッテントロッター夫人は精神異常となり、さらに失明した…夫人は子供の名を呼んで泣いてばかりいた。農園主が夫人をケララに連れて行って路上に捨てた…」
こんな悲劇を聞いたことがない信仰の深いアイルランド人のケンドール警察長官が大声で泣き出していた。
「それで夫人の居場所はわかったのですか?」チーフが長い鼻を持った英国情報局の調査間に訊いた。
「われわれが知っていることは、国際赤十字社が盲目のホームレスの白人女性がケララの路上を彷徨(さまよ)っているのを見つけたのです。彼らは即座に女性を収容しました。その女性がミッテントロッター夫人なのか確証はありません。だが夫人である可能性が高い。その盲目の女性の記録を入手したのです。女性はあまり話しません。話すときは意味不明なのです」
ケンドール警察長官がまた泣き出した。情報局調査官が、くしゃくしゃのハンカチを差し出した。
「それで、その女性をどうしたのですか?」
「赤十字の記録では、この女性はボンベイのイギリス大使館に引き取られたとある」
「それから?」
「彼女はモーズリー精神病院に送られた。ロンドンの南のデンマークの丘の…この病院は治療が不能な精神病患者を収容するベッドラムと違って精神病の治療が可能な患者を収容するところです。問題が多くある。この女性には身分証明書がない。さらに、一九五十年のクリスマスに収容されてから彼女を家族だとクレームする人がいないのです。
「それから二年が経ったわけですね?」
チーフは、もはや泣いていなかった。彼は深い考えに沈んでいた。チーフが顔を上げると、グロイスターの知事の執政ミスター・ガーキンを呼び出したい。電話を使わせて頂きたいとスコットランド・ヤードの監督官に訊いたのであった。
チャーリーが任命した「チーフ」と呼ばれるグロイスターの警察長官が朝早くロンドン行きの汽車に乗った。スコットランド・ヤードと呼ばれている英国警視庁へ出張したのである。ケンドール警察長官は、ロンドン中央駅に着いた。どこかで昼飯を食べようと考えていた。拾ったタクシーをベーカー通りで降りた。ユダヤ食を食べたくなったのだ。ユダヤ人の伝統はレストランではなく、ユダヤ食料品の店、つまりストアの中に簡単な食堂があるのだ。 ケンドールは、ライ麦のパンにどっさりと挟んだパストラミとカラシ、マッツォボール・スープとルートビール・ソーダ水一本を注文した。 ケンドールがベーカー通りを昼飯のスポットに選んだのには理由があった。このストリートを訪れるものは誰でもシャーロック・ホームズとドクター・ワトソンがこの狭い石畳の道を遊歩して向かい側のユダヤの店に入るイメージを抱くのである。実際にそれを真似したのは、グロイスターから汽車でやって来たケンドール警察長官のようであった。
「チーフ・ケンドール、われわれは、何がミッテントロッター家に起こったのか、ほぼ、その全容を把握している」とスコットランド・ヤード英国警視庁の長官が不運な皇族の事件を語り出した。いまや、若いミッテントロッター二世がグロイスターの知事になったことは強力なヘルプになるのです。彼が強い権力を握ったからです。それに、この知事は英国王室の縁戚ですからね。インド法務省はたいへん協力的ですよ。彼らは、冷血のコックニーを逮捕したのです。コックニーの名前は、ババ・クライドと言います。ご存知ですか?」
「いいえ、知りません。それで、今、そのババという男は何処に留置されているんですか?」
「ケララの留置場です」
「この男の仲間の人浚いは、どうなったんです?」
「連中はPTボートで逃げた。インド沿岸警備隊がカノン砲をバ~ンと一発撃ったら、みごとにボートの尻に命中した。バイキン野郎どもを海の底にお送りしたんだ」と長官が、わっは、は、は、と笑った。
「どうやって奴らはPTボートを手に入れたんですか?」チーフ・ケンドールがいかにも理解し難いとばかりに訊いた。
「ジョージ・ドラムは、いろんな怪しい商売をやっているんです。セイロンの紅茶とインド南部のゴム農園、香港の銀行、マカオのカジノ、パキスタンのカラチ港にある廃船解体業…インド洋での戦争が終わったとき、アメリカは破損して使い物にならなくなった海軍の船をダンプした。PTボートもね。ドラムがアメリカ海軍の契約者となって、一括してキャッシュで買った」
「チーフ、英国情報局の紳士をここに招聘してある。一時間でやって来る。紅茶一杯どうですか?」監督官が部屋を出て行った。そしてセイロンの紅茶を二杯とビスケットの缶を持って帰ってきた。
英国情報局インド特別班の調査官の報告は以下であった。
――インド連邦警察と英連邦エージェントは、インド各地の農園や工場で不法強制労働が行われていると知っていても、新政府に人員もなければ予算もなかった。本年一九五二年に入ってから本格的な奴隷農園の摘発がインド全国で開始された。イギリス陸軍の助力も、イギリスの援助資金も追い風となった。英国領ラジの時代からこのケララ州には奴隷農園があることは知られていた。先月の十月に農園を逃げたヒンズーの奴隷がケララ州警察署に駆け込んだ。このゴム農園に白人の奴隷もいたとの情報から一斉検挙に踏み切ったのです。われわれは、キッチンで働かされていたBBという名のヒンズーの女性を見つけた。彼女はミッテントロッター夫人に仕えた子供たちのメイドだったと言ったのです。インド情報局の調査官に次ぎのように誘拐事件を語ったのです。
――ミッテントロッター夫人、アン、チャールスとBBの四人は一九四七年の十月のある朝、ボンベイの港からクイーン・ビクトリア号に乗船した。遠洋航海クルーザーは最初の寄港地ゴアに向かった。ゴアはボンベイから三百八十キロ南方のインド西海岸の町、ゴアからイギリスへ帰る人々を乗せるためだった。台風がインド洋の南方で発生していた。クルーザーはバスコ・ダ・ガマ港に丸二日間、停泊を余儀なくされた…台風が過ぎ去った後、クイーン・ビクトリア号は錨を挙げてインド洋に出た…
――バスコ・ダ・ガマ港を出航してから五時間が経った頃、二隻のPTボートが水平線に現われた。クイーン・ビクトリア号に急速に接近してきた。コックニーはミッテントロッターの客室係りだった。コックニーの率いるインド人のギャングらは、大食堂にいたミッテントロッターの四人と他のインド人の男女を人質に取った。一等航海士が射殺された。コックニーは、ビクトリア号に乗船していたイギリス海軍の警備兵の武装解除を船長に命令した。
――コックニーと子分のインド人ギャングが二十二人の船客を浚った…二隻のPTボートに乗るように命令した…そして海岸へ向かって猛スピードで発進した。アンとチャールスはコックニーの乗るボートに…ミッテントロッター夫人とBBと他に八人の男女がもうひとつのボートに乗せられてコックニーのボートの後ろについて行った。PTボートがケララの海岸の見える海上へ来ていた。そこへ、小さな漁船が近寄ってきた…ミッテントロッター夫人、BB,八人のインド人の男女が金貨銀貨と交換された。つまり売られたのです。人買いは浚ってきた女子供を物資と見ていた。
「物資?豆のような?」チーフ・ケンドールが頭から湯気が出るほど憤怒した。
「BBという二十五歳のインド女性がわれわれに話したのです。彼女とミッテントロッター夫人はゴム農園に連れて行かれて、ゴムの原料を加工する工場で労働を強制された。チャイナのスウエット・ショップと同じ奴隷労働です。二年が経った。ミッテントロッター夫人は精神異常となり、さらに失明した…夫人は子供の名を呼んで泣いてばかりいた。農園主が夫人をケララに連れて行って路上に捨てた…」
こんな悲劇を聞いたことがない信仰の深いアイルランド人のケンドール警察長官が大声で泣き出していた。
「それで夫人の居場所はわかったのですか?」チーフが長い鼻を持った英国情報局の調査間に訊いた。
「われわれが知っていることは、国際赤十字社が盲目のホームレスの白人女性がケララの路上を彷徨(さまよ)っているのを見つけたのです。彼らは即座に女性を収容しました。その女性がミッテントロッター夫人なのか確証はありません。だが夫人である可能性が高い。その盲目の女性の記録を入手したのです。女性はあまり話しません。話すときは意味不明なのです」
ケンドール警察長官がまた泣き出した。情報局調査官が、くしゃくしゃのハンカチを差し出した。
「それで、その女性をどうしたのですか?」
「赤十字の記録では、この女性はボンベイのイギリス大使館に引き取られたとある」
「それから?」
「彼女はモーズリー精神病院に送られた。ロンドンの南のデンマークの丘の…この病院は治療が不能な精神病患者を収容するベッドラムと違って精神病の治療が可能な患者を収容するところです。問題が多くある。この女性には身分証明書がない。さらに、一九五十年のクリスマスに収容されてから彼女を家族だとクレームする人がいないのです。
「それから二年が経ったわけですね?」
チーフは、もはや泣いていなかった。彼は深い考えに沈んでいた。チーフが顔を上げると、グロイスターの知事の執政ミスター・ガーキンを呼び出したい。電話を使わせて頂きたいとスコットランド・ヤードの監督官に訊いたのであった。
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新連載「胡椒の王様」 |
第十八章
ラグビー場に警官が待っていた。彼らは五年以上も失踪していたミッテントロッター卿の息子を乗せたオートジャイロが着陸するのを見ていた。チャーリーとエージェントたちが降りた。雲ひとつない夕焼けが西の空に見えた。秋の空気は、ぱりっとして清浄だった。薔薇の匂いが幽かに匂っていた。その方角をチャーリーが見ると、色とりどりの薔薇が咲いていた。チャーリーが黒いセダンに近付くと警官がドアを開けた。ラグビー場からワイ河のほとりに出た。そこから北へ向かった。三十分走ったとき、右へ曲がった。セダンは鉄の門の前に来ていた。森の中に屋敷が見えた。チャーリーの横に座っていたエージェントが――ボクの住んでいた家と呟くのを聞いた。
数人の人々が門前に花と灯の付いたローソクを手に持って集まっていた。花束で造られた祭壇の前に婦人が二人しゃがんでお祈りをしていた。
――誰か亡くなった? チャーリーが凍った。父親のイメージが頭脳を横切ったからである。玄関に続く石段を足早に上がって、扉に着いた重い真鍮の輪を持ち上げて強く当てた。中に足音が聞こえた。内側からゆっくりと扉が開いた。中年の女性が口に手を当てて叫んだ。
「おお、神様、チャールス王子が家に帰って来た」彼女がチャーリーの手を取って家の中に入れた。
「ミッテンとロッター卿が昨夜、亡くなられたのです」彼女はチャーリーの腕を掴んでむせび泣いた。チャーリーはことばを失った。チャーリーが懐かしい家に入った。この家の中を駆けまわっていた幼い日を想い出していた。二人のエージェントが玄関に立っていた。「ご紳士方どうか家の中に入って下さい」と女性が言った。
その女性はイーディスという名前だった。チャーリーの母親の代理であった。イーディスはチャーリーが生まれたときからミッテントロッター家に住んでいた。ミッテントロッター一家がボンベイに行ってからは、屋敷の留守番をしていた。ミッテントロッター卿が亡くなった状況を話した。
「チャールス、家族を失ったお父さまはイギリスへ帰って来られてから何年もの間、鬱病になっておられた。お父さまはほとんど何も食べなくなった。かろうじて体を維持するという食事でした。家から出なくなり、窓にカーテンを降ろして部屋に閉じこまれていた。あなたのお父さまは暗闇に生きておられた。社交を避けて知事の任務だけをなされた。 先週、脳梗塞で入院されたのです。そして昨夜、真夜中、睡眠中に息を引き取られたのです。四十九歳のお歳で…」イーディスの体が悲しみに震えた。「ミッテントロッター卿は、あなたがチャイナ・ベイから出した手紙を受け取りました。チャールス、お父さまは、アン王女がセイロンで死んだと知って泣きました。何度も泣いていました。その日からというものは、一日中、椅子に座って、ひとりごとを言うようになったのです。私が息子のチャールスが帰ってくると言っても、耳に入らなかった。何かを呟いていました」
「イーディス、ボクは王子じゃない。アンも王女じゃない。ボクたちは王室の遠い親戚なんだ」チャーリーは母親代わりのイーディスを腕の中に抱いた。
「いいえ、あなたは、いつも私の王子なんです。チャールス、いつも王子なんです」チャーリーがイーディを抱きしめた。イーディスの声がチャーリーの肩で押し潰された。
チャーリーが父親の棺(ひつぎ)に歩いて行った…額に手を当てた。そして膝を着いてお祈りをした。「ボクは世界でたった一人になってしまった」若いミッテントロッターは手で顔を覆って、偲び泣いた。
「チャールス、あなたにはお母さまがいる。私がいるのよ。そしてブルーノもいる。お母さまを捜しましょう」
イーディスがミッテントロッター家の権威となっていた。ブルーノは、チャーリーが五歳のときのクリスマスに父親がプレゼントした茶色のラブラドール犬なのである。一九四四年の春、チャーリー七歳、アンナ十歳とミッテントロッター夫人がボンベイの彼らの父親と一緒になるためにインドへ渡った。愛犬を連れて行くわけには行かなかった。いまや、ブルーノは大きな太った八歳の犬になっていた。尻尾を振って、ご主人さまとの再会を大喜びしていた。
ミッテントロッター卿の葬儀は生前一緒に生きた人々のためにカテドラル(カトリックの大伽藍)で行われた。その後、ボディは屋敷の傍の森を切り開いた先祖代々の墓所に運ばれた。チャーリーが棺の中の父親の横にアンのお下げ髪を入れた。アンがダッフルバッグのポケットの中に入れたものだ。 ほんの数人の人々が集まっていた。父親の親戚である。チャーリーは、叔父も叔母も従兄弟も識別が出来なかった。彼はイーディスとブルーノの傍に立っていた。お坊さんが聖書を読んだ。プライベイトな葬式は昼前に終わった。
屋敷に帰った。イーディスが紅茶を持って入って来た。いまや、チャーリーがミッテントロッター卿の書斎の住人となっていた。県庁から電話が入った。イーディスが受話器を取ると「県議会議員があなたに面会したいといってるわ」とチャーリーに言った。
「いつ?」
「今日の午後」
「イーディス、彼らは突然の面会の理由を言ったの?」
「チャールス王子、あなたはお父様の任期が終わるまで知事なのよ」
イーディスが県庁の公用車が玄関にきたことをチャーリーに伝えた。グロイスターの市街に入るとカテドラル(カソリックの大伽藍)の塔が遠くに見えた。この地域はアングロサクソンがグロイスターとその付近を征服した時代から急速に発展した。グロイスターはイギリスに君臨する金融のパワーハウスとなった。さらに、西の端、向こう岸がウエールス。その河口には水深の深い港があったから工業も商業も百花繚乱となった。
チャーリーがグロイスターの中央のスクエアにある県庁に着いた。玄関に警官が待って栄えていた。チャーリーを知事室に案内した。チャーリーが会議室に入ると、十六人の県議が立ち上がって新知事に頭を下げた。チャーリーが歩いて行って全員と握手と挨拶をした。真ん中に会議用の長いテーブルがあり、両側に八人ずつ座った。チャーリーは、テーブルの頭に当たるところに置かれた知事用の革の椅子に座った。
「ミッテントロッター二世、われわれ県議会はミスター・ガーキンを副知事および知事の執政に選びました。あなたの父上の任期が終わるまでガーキンさんが、あなたの代わりに知事の業務を勤めます。それがグロイスターの法律です」と長老のリットン議員が述べた。
「ボク、いや、私は知事の任務が分かりません」
チャーリーが自分は全くの政治の素人だと認めた。
「まず、最初に、裁判長と警察長官を選んで下さい。父上がお亡くなりになると同時に任期が切れるためです。そのまま継続して頂くのもあなた次第なのです」ミスター・リットンがオプションを示した。
「いつ、その裁判長と警察長官を指名しなければならないのですか?」
「明日の朝です。この執務室に二人の候補者が来ます」ミスター・リットンの声には長老の権威があった。
テーブルのヘッドに座った若者は、もはや、チャーリーではなかった。チャールス・ミッテントロッター二世と呼ばれるグロイスターの知事なのである。彼の人生は劇的に変わったのだ。もう姉の死や、父親の死、そして今も消息不明の母親の境遇を悲しんでいる時間はなくなった。
「あなたは、パワフルな人になった。まさか復讐を計画していないでしょうね?この男のことです。あなたや、母上や、お姉さまや BBをインド洋で浚ったコックニーのことです。あなたは復讐を考えておられるのですか?」執政ミスター・ガーキンがチャーリーの目を真っ直ぐに見ていた。
「汝、復讐や憎しみをあなたの仲間の誰にも抱くなかれ!反対に自分を愛するように愛せよ…私が天主である。旧約聖書 Leviticus 19:18.」
「目には目を。そして歯には歯を…同じ旧約聖書」チャーリーが言い返した。
「復讐心は世界を盲目にする…マハトマ・ガンディ」と、ミスター・ガーキンが言い返した。
「それじゃあ、私はどうすればいいんだ?どうすれば、母を見つけることが出来ると言うの?」チャーリーは溢れそうになる涙をこらえた。
「法律に沿って行う」とミスター・ガーキンが言った。
「コックニーを逮捕出来ますか?」
「インド情報局が、昨日、逮捕した」
「昨日ですって?何処で?」チャーリーは自分の耳を信じられなかった。
「インドの南のケララで。あなたがカンデイから姿を消したとき、コックニーは深刻な結果になると悟った。農園に帰らず、コロンボの空港へ自動車で行き、そこからケララに飛んだ。小型の飛行機でインド南西の海岸町のケララまで一時間だから…奴は仲間に匿われた。人買いの仲間に守られた」
「人買いですって?」
「そうです。コックニーと、その仲間は巧妙なネットワークを組織していた。女子供を売買する。ミスター・ガーキンがチャーリーに、――インド全国の奴隷商人らは、一網打尽となったのだと語った。コックニーはイギリスに送還され、裁判にかけられるのだと話した
「胡椒の王様はどうするのですか?」
「グロイスターは、ロンドンのスコットランド・ヤード警視庁に逮捕状を要請した」
「何という名前ですか?」
「ジョージ・V・ドラム」
「逮捕出来るのですか?」チャーリーはこの極悪人の逮捕を主張した。
「スコットランド・ヤードの報告を待っている。ミスター・ドラムは、イギリス連邦に住んでいないのです」
ラグビー場に警官が待っていた。彼らは五年以上も失踪していたミッテントロッター卿の息子を乗せたオートジャイロが着陸するのを見ていた。チャーリーとエージェントたちが降りた。雲ひとつない夕焼けが西の空に見えた。秋の空気は、ぱりっとして清浄だった。薔薇の匂いが幽かに匂っていた。その方角をチャーリーが見ると、色とりどりの薔薇が咲いていた。チャーリーが黒いセダンに近付くと警官がドアを開けた。ラグビー場からワイ河のほとりに出た。そこから北へ向かった。三十分走ったとき、右へ曲がった。セダンは鉄の門の前に来ていた。森の中に屋敷が見えた。チャーリーの横に座っていたエージェントが――ボクの住んでいた家と呟くのを聞いた。
数人の人々が門前に花と灯の付いたローソクを手に持って集まっていた。花束で造られた祭壇の前に婦人が二人しゃがんでお祈りをしていた。
――誰か亡くなった? チャーリーが凍った。父親のイメージが頭脳を横切ったからである。玄関に続く石段を足早に上がって、扉に着いた重い真鍮の輪を持ち上げて強く当てた。中に足音が聞こえた。内側からゆっくりと扉が開いた。中年の女性が口に手を当てて叫んだ。
「おお、神様、チャールス王子が家に帰って来た」彼女がチャーリーの手を取って家の中に入れた。
「ミッテンとロッター卿が昨夜、亡くなられたのです」彼女はチャーリーの腕を掴んでむせび泣いた。チャーリーはことばを失った。チャーリーが懐かしい家に入った。この家の中を駆けまわっていた幼い日を想い出していた。二人のエージェントが玄関に立っていた。「ご紳士方どうか家の中に入って下さい」と女性が言った。
その女性はイーディスという名前だった。チャーリーの母親の代理であった。イーディスはチャーリーが生まれたときからミッテントロッター家に住んでいた。ミッテントロッター一家がボンベイに行ってからは、屋敷の留守番をしていた。ミッテントロッター卿が亡くなった状況を話した。
「チャールス、家族を失ったお父さまはイギリスへ帰って来られてから何年もの間、鬱病になっておられた。お父さまはほとんど何も食べなくなった。かろうじて体を維持するという食事でした。家から出なくなり、窓にカーテンを降ろして部屋に閉じこまれていた。あなたのお父さまは暗闇に生きておられた。社交を避けて知事の任務だけをなされた。 先週、脳梗塞で入院されたのです。そして昨夜、真夜中、睡眠中に息を引き取られたのです。四十九歳のお歳で…」イーディスの体が悲しみに震えた。「ミッテントロッター卿は、あなたがチャイナ・ベイから出した手紙を受け取りました。チャールス、お父さまは、アン王女がセイロンで死んだと知って泣きました。何度も泣いていました。その日からというものは、一日中、椅子に座って、ひとりごとを言うようになったのです。私が息子のチャールスが帰ってくると言っても、耳に入らなかった。何かを呟いていました」
「イーディス、ボクは王子じゃない。アンも王女じゃない。ボクたちは王室の遠い親戚なんだ」チャーリーは母親代わりのイーディスを腕の中に抱いた。
「いいえ、あなたは、いつも私の王子なんです。チャールス、いつも王子なんです」チャーリーがイーディを抱きしめた。イーディスの声がチャーリーの肩で押し潰された。
チャーリーが父親の棺(ひつぎ)に歩いて行った…額に手を当てた。そして膝を着いてお祈りをした。「ボクは世界でたった一人になってしまった」若いミッテントロッターは手で顔を覆って、偲び泣いた。
「チャールス、あなたにはお母さまがいる。私がいるのよ。そしてブルーノもいる。お母さまを捜しましょう」
イーディスがミッテントロッター家の権威となっていた。ブルーノは、チャーリーが五歳のときのクリスマスに父親がプレゼントした茶色のラブラドール犬なのである。一九四四年の春、チャーリー七歳、アンナ十歳とミッテントロッター夫人がボンベイの彼らの父親と一緒になるためにインドへ渡った。愛犬を連れて行くわけには行かなかった。いまや、ブルーノは大きな太った八歳の犬になっていた。尻尾を振って、ご主人さまとの再会を大喜びしていた。
ミッテントロッター卿の葬儀は生前一緒に生きた人々のためにカテドラル(カトリックの大伽藍)で行われた。その後、ボディは屋敷の傍の森を切り開いた先祖代々の墓所に運ばれた。チャーリーが棺の中の父親の横にアンのお下げ髪を入れた。アンがダッフルバッグのポケットの中に入れたものだ。 ほんの数人の人々が集まっていた。父親の親戚である。チャーリーは、叔父も叔母も従兄弟も識別が出来なかった。彼はイーディスとブルーノの傍に立っていた。お坊さんが聖書を読んだ。プライベイトな葬式は昼前に終わった。
屋敷に帰った。イーディスが紅茶を持って入って来た。いまや、チャーリーがミッテントロッター卿の書斎の住人となっていた。県庁から電話が入った。イーディスが受話器を取ると「県議会議員があなたに面会したいといってるわ」とチャーリーに言った。
「いつ?」
「今日の午後」
「イーディス、彼らは突然の面会の理由を言ったの?」
「チャールス王子、あなたはお父様の任期が終わるまで知事なのよ」
イーディスが県庁の公用車が玄関にきたことをチャーリーに伝えた。グロイスターの市街に入るとカテドラル(カソリックの大伽藍)の塔が遠くに見えた。この地域はアングロサクソンがグロイスターとその付近を征服した時代から急速に発展した。グロイスターはイギリスに君臨する金融のパワーハウスとなった。さらに、西の端、向こう岸がウエールス。その河口には水深の深い港があったから工業も商業も百花繚乱となった。
チャーリーがグロイスターの中央のスクエアにある県庁に着いた。玄関に警官が待って栄えていた。チャーリーを知事室に案内した。チャーリーが会議室に入ると、十六人の県議が立ち上がって新知事に頭を下げた。チャーリーが歩いて行って全員と握手と挨拶をした。真ん中に会議用の長いテーブルがあり、両側に八人ずつ座った。チャーリーは、テーブルの頭に当たるところに置かれた知事用の革の椅子に座った。
「ミッテントロッター二世、われわれ県議会はミスター・ガーキンを副知事および知事の執政に選びました。あなたの父上の任期が終わるまでガーキンさんが、あなたの代わりに知事の業務を勤めます。それがグロイスターの法律です」と長老のリットン議員が述べた。
「ボク、いや、私は知事の任務が分かりません」
チャーリーが自分は全くの政治の素人だと認めた。
「まず、最初に、裁判長と警察長官を選んで下さい。父上がお亡くなりになると同時に任期が切れるためです。そのまま継続して頂くのもあなた次第なのです」ミスター・リットンがオプションを示した。
「いつ、その裁判長と警察長官を指名しなければならないのですか?」
「明日の朝です。この執務室に二人の候補者が来ます」ミスター・リットンの声には長老の権威があった。
テーブルのヘッドに座った若者は、もはや、チャーリーではなかった。チャールス・ミッテントロッター二世と呼ばれるグロイスターの知事なのである。彼の人生は劇的に変わったのだ。もう姉の死や、父親の死、そして今も消息不明の母親の境遇を悲しんでいる時間はなくなった。
「あなたは、パワフルな人になった。まさか復讐を計画していないでしょうね?この男のことです。あなたや、母上や、お姉さまや BBをインド洋で浚ったコックニーのことです。あなたは復讐を考えておられるのですか?」執政ミスター・ガーキンがチャーリーの目を真っ直ぐに見ていた。
「汝、復讐や憎しみをあなたの仲間の誰にも抱くなかれ!反対に自分を愛するように愛せよ…私が天主である。旧約聖書 Leviticus 19:18.」
「目には目を。そして歯には歯を…同じ旧約聖書」チャーリーが言い返した。
「復讐心は世界を盲目にする…マハトマ・ガンディ」と、ミスター・ガーキンが言い返した。
「それじゃあ、私はどうすればいいんだ?どうすれば、母を見つけることが出来ると言うの?」チャーリーは溢れそうになる涙をこらえた。
「法律に沿って行う」とミスター・ガーキンが言った。
「コックニーを逮捕出来ますか?」
「インド情報局が、昨日、逮捕した」
「昨日ですって?何処で?」チャーリーは自分の耳を信じられなかった。
「インドの南のケララで。あなたがカンデイから姿を消したとき、コックニーは深刻な結果になると悟った。農園に帰らず、コロンボの空港へ自動車で行き、そこからケララに飛んだ。小型の飛行機でインド南西の海岸町のケララまで一時間だから…奴は仲間に匿われた。人買いの仲間に守られた」
「人買いですって?」
「そうです。コックニーと、その仲間は巧妙なネットワークを組織していた。女子供を売買する。ミスター・ガーキンがチャーリーに、――インド全国の奴隷商人らは、一網打尽となったのだと語った。コックニーはイギリスに送還され、裁判にかけられるのだと話した
「胡椒の王様はどうするのですか?」
「グロイスターは、ロンドンのスコットランド・ヤード警視庁に逮捕状を要請した」
「何という名前ですか?」
「ジョージ・V・ドラム」
「逮捕出来るのですか?」チャーリーはこの極悪人の逮捕を主張した。
「スコットランド・ヤードの報告を待っている。ミスター・ドラムは、イギリス連邦に住んでいないのです」
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新連載「胡椒の王様」 |
第十七章
ポパイという愛称のエアマンは機銃手であった。このオーストラリア人だが、大きな顎の先っぽがしゃくれていた。筋肉の盛り上がった腕に金髪の毛がモウモウと生えている。チャイナ・ベイ空軍基地の映画館で観た漫画のポパイに似ていた。若者はひと目でポパイが好きになった。ポパイとチャーリーはコックピットの階下の砲塔と呼ばれる部屋に入った。重爆機の下には白い雲の絨毯が広がっていた。その雲間から海が見えた。ハリケーンの季節なのだ。
「雨季に入る前のインド洋は大体こんな曇りの日が多いんだ。パキスタンのカラチの上を飛ぶよ。そこからは快晴だ。広大な陸も見える。乾燥した砂漠が見えるよ」
「ポパイ、もう十一時です。おなかが空いた。ボクはいつもハングリーなんです 」
「オーケー、それじゃあ、ガンマンに何かオーブンで焼いてくれと頼むよ」ポパイが砲塔の電話の受話器を取った。ふたりがコックピットに入った。
「われわれは地中海の上空を横切る。ギリシアとイタリアの間のアドリア海を北上する。オーストリア、スイスのアルプスを越えて、フランスのパリの上空を通過する。イギリス海峡を飛んでロンドンに着く。あと十六時間飛ぶ。天候は予想したよりも良い」と機長が説明した。
「向こうに見えるのが、イタリアだよ」と、ナビゲーターがチャーリーに言った。彼はブラック・コーヒーに、スプーンで砂糖を山のように入れてクッキーを掴んだ。
空飛ぶ怪獣、アブロ・リンカーンは時速三百四十キロメートルでパリの上空を通過した。英仏海峡に向かっていた。ポパイがチャーリーを起こしにキャビンに来た。ふたりは砲塔へ行った。
「あれがフランス側のカレだ。今から英仏海峡を渡る。イギリスは見えないよ。雨雲が覆っているからね」黄金の腕がイギリスの方角を指していた。濃霧が立ち込めていた。ポパイが「えんどう豆のスープ」と言った。
空飛ぶ怪獣のエアメン十二人と若いミッテントロッター二世が英国王室空軍ノースホルト空軍基地の滑走路に着陸した。一九五二年の十月十六日の午後であった。
英国安全保障局のエージェント二人がチャールス・ミッテントロッターに面会した。年上のエージェントがバッジを見せて若い方のエージェントと自分を紹介した。
「それでは、あなたはチャールス・ミッテントロッター二世ですね?ミッテントロッター卿の息子さんなんですね?」
エージェントが質問に入った。この若者は、チャールス・ミッテントロッターと名乗っている。彼らの任務はこの驚くべき人さらい事件の主人公の身元を検証することであった。
「父親のネーム、母親のネーム、姉のネーム、いつイギリスを出発したのか?」
チャーリーの答えは、真っ直ぐで明瞭であった。
「君は何歳ですか?」
「十五歳と五ヶ月です」
「そのナップサックを開けて頂きたいのですが」と若いエージェントが指差した。
チャーリーが、インド陸軍の兵装とブーツ、アンのお下げ髪、アンの手書きのスケッチブック、それと怪獣に搭乗するときに、クーパー下士官がくれた大きな茶封筒をテーブルの上に並べた。
「この茶封筒を開けてください」
「ボクも何が入っているのか知らないのです。チャイナ・ベイの空軍下士官がくれたのです」
チャーリーが封筒を開けた。十二枚の写真が入っていた。どれも、カンデイ大競馬の写真であった。アン、アアシリア、サタナンドが写っていた。アンがチャーリーの頬に接吻している写真があった。チャーリーが金メダルを首に掛けてトロフィーを手に持っていた。クーパー下士官のメモがあった。――この写真は、RAAFが新聞社から入手したものです。
「あなたの横に立っているレデイは、ミス・アン・ミッテントロッターさんですか?」
「イエス、ボクの姉、アンです」
「最後の質問ですが、われわれは、あなたの英語が最近の若者たちの話す英語と違うことに気が着いている。なぜですか?」
「ボクは過去の五年間学校へ行っていないのです。ボクの姉が読み書きを教えたのです。ボクらが農園にいたとき、アンが持っていた聖書だけが教科書だったから…」
「聖書ですって?」
――夜は間もなく終わる。朝が近付いている。闇の行いを横において、朝陽の鎧(よろい)を着けよう…チャーリーが気に入っている聖書のおしえを唱えた。
ふたりのエージェントが頷いた。
「私たちと一緒に来て下さい。父上にお会い出来るようにグロイスターへお連れします」
若い方のエージェントがRAFに電話を掛けて、オートジャイロを出して貰うように要請した。グロイスターはイギリスの西の端に位置する。フライトは一時間半だった。オートジャイロがセバーン川の見えるラグビー場に着陸する姿勢を取った。この都市は七世紀にローマ帝国が建てたものである。チャーリーは緑に覆われた都市を見ていた。ワイ河と古城が見えた。子供の頃に見た古城を憶えていたが、ネームを忘れていた。ワイ河の西の岸は、昔、王国だったウエールスである。
ポパイという愛称のエアマンは機銃手であった。このオーストラリア人だが、大きな顎の先っぽがしゃくれていた。筋肉の盛り上がった腕に金髪の毛がモウモウと生えている。チャイナ・ベイ空軍基地の映画館で観た漫画のポパイに似ていた。若者はひと目でポパイが好きになった。ポパイとチャーリーはコックピットの階下の砲塔と呼ばれる部屋に入った。重爆機の下には白い雲の絨毯が広がっていた。その雲間から海が見えた。ハリケーンの季節なのだ。
「雨季に入る前のインド洋は大体こんな曇りの日が多いんだ。パキスタンのカラチの上を飛ぶよ。そこからは快晴だ。広大な陸も見える。乾燥した砂漠が見えるよ」
「ポパイ、もう十一時です。おなかが空いた。ボクはいつもハングリーなんです 」
「オーケー、それじゃあ、ガンマンに何かオーブンで焼いてくれと頼むよ」ポパイが砲塔の電話の受話器を取った。ふたりがコックピットに入った。
「われわれは地中海の上空を横切る。ギリシアとイタリアの間のアドリア海を北上する。オーストリア、スイスのアルプスを越えて、フランスのパリの上空を通過する。イギリス海峡を飛んでロンドンに着く。あと十六時間飛ぶ。天候は予想したよりも良い」と機長が説明した。
「向こうに見えるのが、イタリアだよ」と、ナビゲーターがチャーリーに言った。彼はブラック・コーヒーに、スプーンで砂糖を山のように入れてクッキーを掴んだ。
空飛ぶ怪獣、アブロ・リンカーンは時速三百四十キロメートルでパリの上空を通過した。英仏海峡に向かっていた。ポパイがチャーリーを起こしにキャビンに来た。ふたりは砲塔へ行った。
「あれがフランス側のカレだ。今から英仏海峡を渡る。イギリスは見えないよ。雨雲が覆っているからね」黄金の腕がイギリスの方角を指していた。濃霧が立ち込めていた。ポパイが「えんどう豆のスープ」と言った。
空飛ぶ怪獣のエアメン十二人と若いミッテントロッター二世が英国王室空軍ノースホルト空軍基地の滑走路に着陸した。一九五二年の十月十六日の午後であった。
英国安全保障局のエージェント二人がチャールス・ミッテントロッターに面会した。年上のエージェントがバッジを見せて若い方のエージェントと自分を紹介した。
「それでは、あなたはチャールス・ミッテントロッター二世ですね?ミッテントロッター卿の息子さんなんですね?」
エージェントが質問に入った。この若者は、チャールス・ミッテントロッターと名乗っている。彼らの任務はこの驚くべき人さらい事件の主人公の身元を検証することであった。
「父親のネーム、母親のネーム、姉のネーム、いつイギリスを出発したのか?」
チャーリーの答えは、真っ直ぐで明瞭であった。
「君は何歳ですか?」
「十五歳と五ヶ月です」
「そのナップサックを開けて頂きたいのですが」と若いエージェントが指差した。
チャーリーが、インド陸軍の兵装とブーツ、アンのお下げ髪、アンの手書きのスケッチブック、それと怪獣に搭乗するときに、クーパー下士官がくれた大きな茶封筒をテーブルの上に並べた。
「この茶封筒を開けてください」
「ボクも何が入っているのか知らないのです。チャイナ・ベイの空軍下士官がくれたのです」
チャーリーが封筒を開けた。十二枚の写真が入っていた。どれも、カンデイ大競馬の写真であった。アン、アアシリア、サタナンドが写っていた。アンがチャーリーの頬に接吻している写真があった。チャーリーが金メダルを首に掛けてトロフィーを手に持っていた。クーパー下士官のメモがあった。――この写真は、RAAFが新聞社から入手したものです。
「あなたの横に立っているレデイは、ミス・アン・ミッテントロッターさんですか?」
「イエス、ボクの姉、アンです」
「最後の質問ですが、われわれは、あなたの英語が最近の若者たちの話す英語と違うことに気が着いている。なぜですか?」
「ボクは過去の五年間学校へ行っていないのです。ボクの姉が読み書きを教えたのです。ボクらが農園にいたとき、アンが持っていた聖書だけが教科書だったから…」
「聖書ですって?」
――夜は間もなく終わる。朝が近付いている。闇の行いを横において、朝陽の鎧(よろい)を着けよう…チャーリーが気に入っている聖書のおしえを唱えた。
ふたりのエージェントが頷いた。
「私たちと一緒に来て下さい。父上にお会い出来るようにグロイスターへお連れします」
若い方のエージェントがRAFに電話を掛けて、オートジャイロを出して貰うように要請した。グロイスターはイギリスの西の端に位置する。フライトは一時間半だった。オートジャイロがセバーン川の見えるラグビー場に着陸する姿勢を取った。この都市は七世紀にローマ帝国が建てたものである。チャーリーは緑に覆われた都市を見ていた。ワイ河と古城が見えた。子供の頃に見た古城を憶えていたが、ネームを忘れていた。ワイ河の西の岸は、昔、王国だったウエールスである。
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新連載「胡椒の王様」 |
第十六章
その朝、チャーリーが英連邦空軍飛行兵のジャンプスーツを着ていた。両手でダッフルバッグを胸に抱いていた。それが唯一の姉、アンの想い出だったから。それと、RAAF・タブロイド新聞の記事の切り取り取りだけがセイロンのメモアールであった。
「チャーリー、父上のご住所がグロイスターのお屋敷だと判った。今朝、ボンベイの英国大使館から電信が入った。それから、ロンドンに着いたとき、RAFのエージェントにこの書類を見せなさい。君の身分証明だ」クーパーとチャーリーが下士官の部屋で話していた。
「チャールス・ミッテントロッター二世、お家へ帰る準備は出来たか?」下士官が微笑していた。
「あれが君を祖国へ運んでくれるアブロ・リンカーン重爆撃機だ」とクーパーがジープに乗ったチャーリーに、滑走路に待機する巨大な爆撃機を指さしていた。
「エアプレーン?翼が付いた戦艦に見える」
「君が正しい。チャック、あれはモンスターだ。イギリスまで二日のフライトなんだ。最初の空港がカイロ。そこからロンドン」
チャーリーは飛行機のスピードに驚いていた。セイロンからイギリスまでたったの四十八時間だ…彼は、ビクトリア号の一等航海士が遠洋クルーザーはボンベイからロンドンまで二十八日の航海だと言っていたのを憶えていた。
「グッドモーニング、チャーリー、この鳥でホームへお連れします」と満面笑みの機長が挨拶をした。
「感謝します。こんな名誉のあるもてなしを生まれてから一度も受けたことがありません」とチャーリーが応えた。
「あなたを歓迎します。四十八時間一緒です。必要なものは何でも仰って下さい」
「早速、必要なことがあります。この空飛ぶマシンの操縦を教えてください」
「われわれは爆撃隊です。あなたは爆弾を落とすことを習いたいのですか?」
「ノー、ノー、ただこのモンスターを操縦したいだけです」
クルーが大笑いした。チャーリーは胡椒の王様の生活を一時忘れていた。
「サー、今日は何日ですか?」チャーリーが爆弾屋と呼ばれる兵隊に訊いた。
「今日は金曜日、、一九五二年十月十四日です」兵隊の英語にオーストラリア訛りがあった。
――誕生日おめでとう。ボクの最も愛する姉アン…チャーリーが囁いた。そして、アンの写真が一枚でもあればと思った。
「チャック、これを君に上げます。イギリスまで良い空の旅を」
クーパー下士官がチャーリーに茶色の封筒を渡して握手した。チャーリーは下士官の親切なもてなしに感謝した。力一杯の握手を返した。そして怪獣の後部のドアに取り付けられたステップを駆け上がって行った。
「空を飛ぶ怪獣」アブロ・リンカーンが、地上で見送るクーパー下士官の耳がツンボになるほどの爆音を残して離陸した。チャールス・ミッテントロッター二世が、アンの十八歳の誕生日にセイロンを飛び立ったのである。
その朝、チャーリーが英連邦空軍飛行兵のジャンプスーツを着ていた。両手でダッフルバッグを胸に抱いていた。それが唯一の姉、アンの想い出だったから。それと、RAAF・タブロイド新聞の記事の切り取り取りだけがセイロンのメモアールであった。
「チャーリー、父上のご住所がグロイスターのお屋敷だと判った。今朝、ボンベイの英国大使館から電信が入った。それから、ロンドンに着いたとき、RAFのエージェントにこの書類を見せなさい。君の身分証明だ」クーパーとチャーリーが下士官の部屋で話していた。
「チャールス・ミッテントロッター二世、お家へ帰る準備は出来たか?」下士官が微笑していた。
「あれが君を祖国へ運んでくれるアブロ・リンカーン重爆撃機だ」とクーパーがジープに乗ったチャーリーに、滑走路に待機する巨大な爆撃機を指さしていた。
「エアプレーン?翼が付いた戦艦に見える」
「君が正しい。チャック、あれはモンスターだ。イギリスまで二日のフライトなんだ。最初の空港がカイロ。そこからロンドン」
チャーリーは飛行機のスピードに驚いていた。セイロンからイギリスまでたったの四十八時間だ…彼は、ビクトリア号の一等航海士が遠洋クルーザーはボンベイからロンドンまで二十八日の航海だと言っていたのを憶えていた。
「グッドモーニング、チャーリー、この鳥でホームへお連れします」と満面笑みの機長が挨拶をした。
「感謝します。こんな名誉のあるもてなしを生まれてから一度も受けたことがありません」とチャーリーが応えた。
「あなたを歓迎します。四十八時間一緒です。必要なものは何でも仰って下さい」
「早速、必要なことがあります。この空飛ぶマシンの操縦を教えてください」
「われわれは爆撃隊です。あなたは爆弾を落とすことを習いたいのですか?」
「ノー、ノー、ただこのモンスターを操縦したいだけです」
クルーが大笑いした。チャーリーは胡椒の王様の生活を一時忘れていた。
「サー、今日は何日ですか?」チャーリーが爆弾屋と呼ばれる兵隊に訊いた。
「今日は金曜日、、一九五二年十月十四日です」兵隊の英語にオーストラリア訛りがあった。
――誕生日おめでとう。ボクの最も愛する姉アン…チャーリーが囁いた。そして、アンの写真が一枚でもあればと思った。
「チャック、これを君に上げます。イギリスまで良い空の旅を」
クーパー下士官がチャーリーに茶色の封筒を渡して握手した。チャーリーは下士官の親切なもてなしに感謝した。力一杯の握手を返した。そして怪獣の後部のドアに取り付けられたステップを駆け上がって行った。
「空を飛ぶ怪獣」アブロ・リンカーンが、地上で見送るクーパー下士官の耳がツンボになるほどの爆音を残して離陸した。チャールス・ミッテントロッター二世が、アンの十八歳の誕生日にセイロンを飛び立ったのである。
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新連載「胡椒の王様」 |
第十五章
タクシーの運転手が王室オーストラリア空軍基地の第一ゲートに停まった。インド人のポリスに身分証明書を見せた。そのポリスは後部座席に座っているインド陸軍の兵隊チャーリーを見て首を傾げた。若者がインド人には見えなかったからだ。身分証を要求した。驚いたことに、そのインド兵はIDを持っていないと答えたのだ。ポリスが電話機を取った。第二ゲートの英国陸軍のポリスを呼んだのだ。一分もしないうちにジープが現われた。MPが二人降りてタクシーに近寄った。
「あなたの名前は?」と厳格な表情のMPが尋問した。
「サー、チャールス・ミッテントロッター二世です」とインド兵が答えた。MPが、一瞬、驚いた顔になった。
「年齢は?」
「十五歳と四ヶ月です」チャールスは自分の年齢を五年間も話したたことがなかったので、すらすらと答えが出たことに自分でも驚いていた。
「なぜ、このチャイナ・ベイ空軍基地へ来たのですか?」
「イギリスへ帰りたいからです」チャーリーはMPの目を真っ直ぐ見た。――ここで待っているようにと言ったMPが門衛のボックスに入って電話のダイアルを回した。当直のぺテイ・オフィサー(下士官)を呼んだのである。その下士官は、チャーリーを凝視した。そして一緒に来るようにと言った。インド兵のユニフォームを着てダッフルバッグを手に持った若者はジープの後部座席に乗った。基地の中に入ったジープは歌を歌いながら白いショートパンツでジョッギングする一団に遭遇した。一団はイギリスの行進曲「ボギー大佐の行進」を合唱していた。チャーリーは、とてつもない安堵が全身に満ちるのを感じた。ついに英国に帰ってきたと…
ジープが二階建ての白い真四角なビルの前に停まった。チャーリーが、緑色の風雨除けの扉の付いた窓を見ていた。グロイスターのホームは、どれもこの緑りの飾り窓があったのを想い出していた。下士官がチャーリーを二階に案内した。
「ぺテイ・オフィサーのクーパーだ。お若いの、昼飯は食ったかい?」と中年の下士官がチャーリーに訊いた。「もうすぐ食堂で昼飯だ。俺たちと一緒に食うか?」ことばは粗雑だったが緊張の連続だったチャーリーは、下士官のことばに温かいものを感じた。
「サンキュー、サー」チャーリーはいつも腹が減っていた。
「それでは、君は、チャールス・ミッテントロッター君。ミッテントロッター卿の息子さんなんだね。お姉さんのアンは何処にいる?」
「昨日、私の姉は神に召されました」チャーリーは俯いて目を閉じた。下士官はその若者をじっと見ていた。下士官ががっしりした木の椅子から立ち上がった。そしてチャーリーの肩に手を置いてふたりはドアに向かった。
下士官とチャーリーは庭を横切って「メス・ホール」と兵隊が呼んでいる兵隊食堂へ歩いて行った。食堂というが自分で好きなものを取って好きな仲間と食うカフェテリアなのだ。丸いテーブルが百台はあった。食堂の中はいつも騒々しい。今日は特に騒々しかった。それには理由があった。エアメンたちの話題は、タブロイド、RAAF・デーリーの記事だった。 大きな見出しが出ていた。優勝した騎手と黒い馬の写真の下に記事があった――謎のジョッキー、カンデイ大競馬で優勝。謎の白人の少年が大競馬で優勝した。だが現在失踪中!
英豪連合空軍の司令官とクーパー下士官とチャーリーが食堂に入ってきて隅のテーブルに就いた。司令官に気が着いたジャンプスーツを着たエアマンが見ていた。そのエアマンは戦闘機のパイロットだった。パイロットは状況を正確にすばやく捉える目を持っている。このインド兵のユニフォームを着た若者はどこか特別だと感じていた。 まず、アングロサクソンの特徴である長い脚、幅がある肩、上向きの鼻、英国人独特の口元… そのパイロットが、謎のジョッキーの写真を見た。そして口をあんぐりと開けた。隣りのおっさん風のエアマンの腕を突いて囁いた。
「司令官の横に座っているあの若者を見てみな」
そのおっさんも口をあんぐり。そのおっさんが横の兵隊の腕を突いた。その兵隊も口をあんぐり…そして「あの若者が謎の騎手だ!」と叫んだ。クーパー下士官が、エアメンがチャーリーを見詰めているのに気が着いた。司令官に、――チャーリーを紹介してはどうでしょう?と囁いた。
「クーパー下士官、全く君が正しい」と司令官は言うと、チ~ン、チ~ン、チ~ンとテーブルの上のコップをスプーンで叩いた。
「ジェントルメン、ご想像の通り、私の横に座っている若者が昨日カンデイのグランド・レースで優勝した謎のジョッキー、チャールス・ミッテントロッター君だ」
この驚天動地のアナウンスを聞いた男たちが椅子から一斉に立ち上がった。歓喜の声を挙げて、ついで拍手の嵐が起きた。
「それでは謎のジョッキーのご挨拶を聞こう」司令官がチャーリーを手で招いた。チャーリーが立ち上がった。
「ハロー、チャールス・ミッテントロッターです。私は、あなたたちの翼(つばさ)が私を故国イギリスへ運んで下さるまで、この空軍基地にいます。あなたたちのおもてなしを感謝します」
競馬の騎手は、多くの視線を浴びて声が上ずっていた。チャーリーが座ると、エアメンが叫んだ。拍手の波が続いた。
エアマンのひとりが力のある声で「イエス、われわれの翼で故郷にお連れします。飯を食わします。英国まで、ず~と快適な空の旅を提供します」
「フラ~!フラ~!」
兵隊たちの感情は限界に達していた。ある兵隊は目を拭っていた。指令官が立ち上がって、「さあ、この事件がいかに繊細なものか君たちにはわかったと思う。チャールス・ミッテントロッター君がこの基地にいることを外部に話してはならない。君たちの間だけで話すのは許可する。つまり、お喋りの新聞記者に発覚することほど有害なものはこの世にない。 この若者と遊んでやってくれ。基地を案内してやってくれ。チャイナ・ベイを空から見せてやってくれ、魚釣り、ラグビー…これは私の命令なのだ」
「イエサー、全て了解!ただし条件が一つあります。アラビア馬の乗り方を俺たちにも教えて欲しいんだ」とひとりの兵隊が叫ぶと爆笑が再び起きた。
早速、教官がその日の夕方に遊覧飛行に誘った。チャーリーは生まれて始めて、エアランカという練習機に乗った。可愛い複葉機のエンジンは直列六気筒で九十馬力。飛行速度も最大でも時速百二十キロメートルと日本の赤トンボ並みだったが離陸するときの快感にチャーリーは飛行機が大好きになってしまった。チャーリーが前部で教官が後部の座席に座った。教官が操縦しながら説明をした。高度を千六百メートルに設定してチャイナ・ベイの海上に出た。青い海原が水平線まで見えた。チャーリーは海の広さに息を飲んだ。若者は海を五年以上も見ていなかったのだ。
「この海はベンガル湾と言うんだ」とチャーリーが海を見下ろしているのに気がついた教官が言った。
「英国空軍に入隊してパイロットになりたい」
「入隊出来るよ。祖国に奉仕したいのか?」
「イエス、エアマンになりたい」教官とチャーリーの会話は父親と息子の会話であった。チャーリーがそのとき、故郷の父を想った。
クーパー下士官が当直室で待っていた。チャーリーが報告すると、遊覧飛行はどうだった?と訊いた。そして、――爆撃機が五日後に香港から飛来する。チャーリーはそれに乗って英国へ帰ることになったと言った。チャーリーが胸のポケットから父親に宛てた手紙を取り出していた。
「ボクの父を探して、この手紙を送って頂けますか?」
「勿論だとも。チャーリー、君の父上、ミッテントロッター卿は、このチャイナ・ベイ空軍基地が理由でボンベイに送られたんだ。知ってるかい?」クーパー下士官の話は興味深かった。チャールス・ミッテントロッター二世が始めて父親の任務が何であったかを知った。
「ボクは、もっと歴史を学ばなければいけない。大英帝国の歴史と世界の歴史を学ばなければいけない」
「その通りだ。いつの日か、君はグロイスターの知事になると聞いた。パイロットになるのではなく」とクーパー下士官が言って、一九四二年に日本軍がセイロンを爆撃した歴史を語ったのだった。
「RAAFは、ローヤル・オーストラリアン・エア・フォースの頭文字なんだ。ミッテントロッター卿がイギリス連邦を代表されて一九四二年にボンベイに赴任された理由がそれなんだ。君の父上の任務というのは、セイロン自治政府とこのチャイナ・ベイのRAAFの拡張の交渉だったのだよ」とクーパー下士官がRAAFを解説した。 そして眼を大きくして聞いている青年に講義を続けたのである。
――RAAF・チャイナ・ベイはセイロンの北東部にあった。日本海軍の空母から発進した爆撃隊がコロンボの港湾とチャイナ・ベイのRAAFを襲った。 セイロン議会はチャイナ・ベイの拡張工事に即刻、同意した。この交渉のあと、ミッテントロッター卿は、もう一つの任務に就かれた。ボンベイの英国代理知事であった。この先が見えない戦時に誰かが英国領ラジという植民地政府を監督する必要があったから。ミッテントロッター卿とマウントバッテン・インド総督は英国王室の縁戚の関係だった。長い年月の間、インド政策で協力する関係だった」
――マウントバッテン・インド総督がミッテントロッター卿にボンベイの英国代理知事を要請した。お父上は即座に引き受けられた。ミッテントロッター卿は、第二次世界大戦はそれほど遠くない日に終わると知っていた。それはね、一九四三年になると日本軍の空襲も日本艦隊の砲撃もパタっと止んだからだ。RAAFはビルマの日本軍を空襲した。しかしね、変化はそれだけで終わらなかった。インドの各地で大暴動が起きた。このセイロンでは、シンハリーズの政府とタミール武装集団との間に流血の内乱が起きた。両側に何千人の死者が出た。まず収入の格差、ことばの違い、そこへ宗教争いが加わった。内戦の典型さ。クーパー下士官が若いミッテントロッターに歴史を教えていた。生徒は一言も聞き逃さないと耳を全開にしていた。
タクシーの運転手が王室オーストラリア空軍基地の第一ゲートに停まった。インド人のポリスに身分証明書を見せた。そのポリスは後部座席に座っているインド陸軍の兵隊チャーリーを見て首を傾げた。若者がインド人には見えなかったからだ。身分証を要求した。驚いたことに、そのインド兵はIDを持っていないと答えたのだ。ポリスが電話機を取った。第二ゲートの英国陸軍のポリスを呼んだのだ。一分もしないうちにジープが現われた。MPが二人降りてタクシーに近寄った。
「あなたの名前は?」と厳格な表情のMPが尋問した。
「サー、チャールス・ミッテントロッター二世です」とインド兵が答えた。MPが、一瞬、驚いた顔になった。
「年齢は?」
「十五歳と四ヶ月です」チャールスは自分の年齢を五年間も話したたことがなかったので、すらすらと答えが出たことに自分でも驚いていた。
「なぜ、このチャイナ・ベイ空軍基地へ来たのですか?」
「イギリスへ帰りたいからです」チャーリーはMPの目を真っ直ぐ見た。――ここで待っているようにと言ったMPが門衛のボックスに入って電話のダイアルを回した。当直のぺテイ・オフィサー(下士官)を呼んだのである。その下士官は、チャーリーを凝視した。そして一緒に来るようにと言った。インド兵のユニフォームを着てダッフルバッグを手に持った若者はジープの後部座席に乗った。基地の中に入ったジープは歌を歌いながら白いショートパンツでジョッギングする一団に遭遇した。一団はイギリスの行進曲「ボギー大佐の行進」を合唱していた。チャーリーは、とてつもない安堵が全身に満ちるのを感じた。ついに英国に帰ってきたと…
ジープが二階建ての白い真四角なビルの前に停まった。チャーリーが、緑色の風雨除けの扉の付いた窓を見ていた。グロイスターのホームは、どれもこの緑りの飾り窓があったのを想い出していた。下士官がチャーリーを二階に案内した。
「ぺテイ・オフィサーのクーパーだ。お若いの、昼飯は食ったかい?」と中年の下士官がチャーリーに訊いた。「もうすぐ食堂で昼飯だ。俺たちと一緒に食うか?」ことばは粗雑だったが緊張の連続だったチャーリーは、下士官のことばに温かいものを感じた。
「サンキュー、サー」チャーリーはいつも腹が減っていた。
「それでは、君は、チャールス・ミッテントロッター君。ミッテントロッター卿の息子さんなんだね。お姉さんのアンは何処にいる?」
「昨日、私の姉は神に召されました」チャーリーは俯いて目を閉じた。下士官はその若者をじっと見ていた。下士官ががっしりした木の椅子から立ち上がった。そしてチャーリーの肩に手を置いてふたりはドアに向かった。
下士官とチャーリーは庭を横切って「メス・ホール」と兵隊が呼んでいる兵隊食堂へ歩いて行った。食堂というが自分で好きなものを取って好きな仲間と食うカフェテリアなのだ。丸いテーブルが百台はあった。食堂の中はいつも騒々しい。今日は特に騒々しかった。それには理由があった。エアメンたちの話題は、タブロイド、RAAF・デーリーの記事だった。 大きな見出しが出ていた。優勝した騎手と黒い馬の写真の下に記事があった――謎のジョッキー、カンデイ大競馬で優勝。謎の白人の少年が大競馬で優勝した。だが現在失踪中!
英豪連合空軍の司令官とクーパー下士官とチャーリーが食堂に入ってきて隅のテーブルに就いた。司令官に気が着いたジャンプスーツを着たエアマンが見ていた。そのエアマンは戦闘機のパイロットだった。パイロットは状況を正確にすばやく捉える目を持っている。このインド兵のユニフォームを着た若者はどこか特別だと感じていた。 まず、アングロサクソンの特徴である長い脚、幅がある肩、上向きの鼻、英国人独特の口元… そのパイロットが、謎のジョッキーの写真を見た。そして口をあんぐりと開けた。隣りのおっさん風のエアマンの腕を突いて囁いた。
「司令官の横に座っているあの若者を見てみな」
そのおっさんも口をあんぐり。そのおっさんが横の兵隊の腕を突いた。その兵隊も口をあんぐり…そして「あの若者が謎の騎手だ!」と叫んだ。クーパー下士官が、エアメンがチャーリーを見詰めているのに気が着いた。司令官に、――チャーリーを紹介してはどうでしょう?と囁いた。
「クーパー下士官、全く君が正しい」と司令官は言うと、チ~ン、チ~ン、チ~ンとテーブルの上のコップをスプーンで叩いた。
「ジェントルメン、ご想像の通り、私の横に座っている若者が昨日カンデイのグランド・レースで優勝した謎のジョッキー、チャールス・ミッテントロッター君だ」
この驚天動地のアナウンスを聞いた男たちが椅子から一斉に立ち上がった。歓喜の声を挙げて、ついで拍手の嵐が起きた。
「それでは謎のジョッキーのご挨拶を聞こう」司令官がチャーリーを手で招いた。チャーリーが立ち上がった。
「ハロー、チャールス・ミッテントロッターです。私は、あなたたちの翼(つばさ)が私を故国イギリスへ運んで下さるまで、この空軍基地にいます。あなたたちのおもてなしを感謝します」
競馬の騎手は、多くの視線を浴びて声が上ずっていた。チャーリーが座ると、エアメンが叫んだ。拍手の波が続いた。
エアマンのひとりが力のある声で「イエス、われわれの翼で故郷にお連れします。飯を食わします。英国まで、ず~と快適な空の旅を提供します」
「フラ~!フラ~!」
兵隊たちの感情は限界に達していた。ある兵隊は目を拭っていた。指令官が立ち上がって、「さあ、この事件がいかに繊細なものか君たちにはわかったと思う。チャールス・ミッテントロッター君がこの基地にいることを外部に話してはならない。君たちの間だけで話すのは許可する。つまり、お喋りの新聞記者に発覚することほど有害なものはこの世にない。 この若者と遊んでやってくれ。基地を案内してやってくれ。チャイナ・ベイを空から見せてやってくれ、魚釣り、ラグビー…これは私の命令なのだ」
「イエサー、全て了解!ただし条件が一つあります。アラビア馬の乗り方を俺たちにも教えて欲しいんだ」とひとりの兵隊が叫ぶと爆笑が再び起きた。
早速、教官がその日の夕方に遊覧飛行に誘った。チャーリーは生まれて始めて、エアランカという練習機に乗った。可愛い複葉機のエンジンは直列六気筒で九十馬力。飛行速度も最大でも時速百二十キロメートルと日本の赤トンボ並みだったが離陸するときの快感にチャーリーは飛行機が大好きになってしまった。チャーリーが前部で教官が後部の座席に座った。教官が操縦しながら説明をした。高度を千六百メートルに設定してチャイナ・ベイの海上に出た。青い海原が水平線まで見えた。チャーリーは海の広さに息を飲んだ。若者は海を五年以上も見ていなかったのだ。
「この海はベンガル湾と言うんだ」とチャーリーが海を見下ろしているのに気がついた教官が言った。
「英国空軍に入隊してパイロットになりたい」
「入隊出来るよ。祖国に奉仕したいのか?」
「イエス、エアマンになりたい」教官とチャーリーの会話は父親と息子の会話であった。チャーリーがそのとき、故郷の父を想った。
クーパー下士官が当直室で待っていた。チャーリーが報告すると、遊覧飛行はどうだった?と訊いた。そして、――爆撃機が五日後に香港から飛来する。チャーリーはそれに乗って英国へ帰ることになったと言った。チャーリーが胸のポケットから父親に宛てた手紙を取り出していた。
「ボクの父を探して、この手紙を送って頂けますか?」
「勿論だとも。チャーリー、君の父上、ミッテントロッター卿は、このチャイナ・ベイ空軍基地が理由でボンベイに送られたんだ。知ってるかい?」クーパー下士官の話は興味深かった。チャールス・ミッテントロッター二世が始めて父親の任務が何であったかを知った。
「ボクは、もっと歴史を学ばなければいけない。大英帝国の歴史と世界の歴史を学ばなければいけない」
「その通りだ。いつの日か、君はグロイスターの知事になると聞いた。パイロットになるのではなく」とクーパー下士官が言って、一九四二年に日本軍がセイロンを爆撃した歴史を語ったのだった。
「RAAFは、ローヤル・オーストラリアン・エア・フォースの頭文字なんだ。ミッテントロッター卿がイギリス連邦を代表されて一九四二年にボンベイに赴任された理由がそれなんだ。君の父上の任務というのは、セイロン自治政府とこのチャイナ・ベイのRAAFの拡張の交渉だったのだよ」とクーパー下士官がRAAFを解説した。 そして眼を大きくして聞いている青年に講義を続けたのである。
――RAAF・チャイナ・ベイはセイロンの北東部にあった。日本海軍の空母から発進した爆撃隊がコロンボの港湾とチャイナ・ベイのRAAFを襲った。 セイロン議会はチャイナ・ベイの拡張工事に即刻、同意した。この交渉のあと、ミッテントロッター卿は、もう一つの任務に就かれた。ボンベイの英国代理知事であった。この先が見えない戦時に誰かが英国領ラジという植民地政府を監督する必要があったから。ミッテントロッター卿とマウントバッテン・インド総督は英国王室の縁戚の関係だった。長い年月の間、インド政策で協力する関係だった」
――マウントバッテン・インド総督がミッテントロッター卿にボンベイの英国代理知事を要請した。お父上は即座に引き受けられた。ミッテントロッター卿は、第二次世界大戦はそれほど遠くない日に終わると知っていた。それはね、一九四三年になると日本軍の空襲も日本艦隊の砲撃もパタっと止んだからだ。RAAFはビルマの日本軍を空襲した。しかしね、変化はそれだけで終わらなかった。インドの各地で大暴動が起きた。このセイロンでは、シンハリーズの政府とタミール武装集団との間に流血の内乱が起きた。両側に何千人の死者が出た。まず収入の格差、ことばの違い、そこへ宗教争いが加わった。内戦の典型さ。クーパー下士官が若いミッテントロッターに歴史を教えていた。生徒は一言も聞き逃さないと耳を全開にしていた。
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第十四章
チャーリーが蒸気機関車の悲鳴を上げるような汽笛を聞いた。南の方から三回聞こえた。蒸気を吐く音がまだ聞こえないから五百メートルの距離だろうか?チャーリーは、革(かわ)のベルトでダッフルバッグを背中に縛り着けた。次に靴の紐を確かめた。それから、二、三回、飛び上がって背中のバッグが動かないことを確かめた。
蒸気機関車の機械音と蒸気を吐く音が聞こえたが山の向こうなのか姿が見えない。チャーリーは身震いした。カーブを曲がって黒い怪物がその姿を現した。三百メートルぐらいの距離だった。煙突からボッボッボッと黒い煙を噴き出していた。客車が一台、貨車六台を牽引していた。速度が相当遅い。チャーリーは安心した。「疾風する競走馬に乗るよりも易しいだろう…」とジョッキーは思った。若者は二番目の貨車の屋根の上に難なく飛び降りた。
汽車の天蓋に乗った旅である。列車は二時間ほど走った。それは寒い十月の月夜のことだった。汽車がスローダウンした。前方にぼんやりと灯が見えた。「駅だ!」若者は駅に着く前に飛び降りる準備をした。チャーリーは注意深く貨車の横に付いている鉄の梯子を降りて線路際に跳んだ。転ばなかった。騎手トレーニングのおかげだ。脚腰の筋肉が発達していたからである。 チャーリーは角の長い白い牛を見た。男たちが貨車に押し込んでいた。少なくとも二十頭の牝牛と三頭の仔牛だった。喉の乾いた機関車がシュートから水をボイラーに入れていた。車掌が客車のステップを降りて、赤い屋根の駅に入って行くのが見えた。入り口の上の看板に「マホ」と書いてあった。チャーリーがマホの駅に入って行った。乗車券売り場はひとつだった。その窓口へ真っ直ぐに歩いて行った。「トリンコマリーへ片道一枚」とヒンズー語で言った。窓口の駅員がインド陸軍の兵隊服を着たチャーリーをしげしげと見ていた。一瞬、チャーリーが緊張した。 駅員が口を開いた。「あなたは兵隊さんです。無賃で乗車出来ます」チャーリーが駅員に感謝のことばを述べた。そして、ダッフルバッグの中からキャラメルを二箱取り出して、どうか食べて下さいと言った。
「サンキュー、私には幼い娘が三人います。彼女たちは甘いものに目がないんです」と笑った。
ほんの数人しか乗客はいなかった。男が四人、女が二人、子供二人、牛の持ち主が一人…コロンボから乗った客も数人で客車の中は空席が多かった。セイロン島の人々はヒンズーも含めて他人をジロジロと見ない習慣が着いていた。グループはお喋りを楽しんでいた。笑ったり、食べたり、ソーダ水を飲んだり… チャーリーはローカルの人々から離れて最後尾の座席の窓際に座った。そしてダッフルバッグを引き寄せて開いた。中にサタナンドがくれた地図を見つけた。マホからトリンコマリーまでは遠い距離であると判った。次にアンナがくれたスケッチブックを取り出して開いた。多くのクレヨンで描いた風景画やマリアの像の絵もあった。二通の封筒がスケッチブックの間から床に落ちた。一通の封筒は糊で閉じてなかった。切手も貼ってなかった。ただ「チャーリーへ」とだけ書いてあった。
――私が最も愛する弟チャーリー、この手紙を読むころ、あなたは私がもはやこの世の住人でないことを知るでしょう。どうして私が自ら命を絶ったのかと惑うかも知れません。私はあなたの荷物になりたくなかったのです。あなたは一人の方が早く動ける。ガードたちは競馬で優勝したことを祝っているので、あなたが消えたことに気が着かない。私はあなたのように馬に乗れない。チャーリー、私は売られたのです。明日になれば私はアラブに連れられて知らぬ他国へ行く。私はあなたと別れることに耐えられない。あなたには何とでもしてイギリスへ帰って父や母を捜して欲しいのです。私たちの父母に私は天国の住人となって、イエス・キリスト、私の天主様の腕に抱かれていると話して下さい。私はあなたが故郷に戻り、そしていつの日か知事、グロイスターのチャールス・ミッテントロッター卿。最も優れたイギリスの知事になることを信じています。私たちの家の隣にある墓所に私の為に小さなお墓を造って下さい。私はあなたを愛しています。チャーリー、私をいつまでも憶えていてね。あなたの姉、アン。
大粒の涙がまぶたから溢れた。タオルを顔に押し当てた。こみ上がってくる嗚咽を抑えることが出来なかった。若者は静かに泣いていた。 アンの手紙を畳んで心臓に近いポケットに入れた。もう一枚の封筒を開けなかった。その封筒は糊で閉じてあり表に父と母の名前が書いてあったからである。チャーリーはスケッチブックから一枚のページを抜いた。そして父親のミッテントロッター卿に手紙を書いた。列車が線路のきしみで揺れた。膝の上で書いていた手紙が床に落ちた。
――親愛なるお父さま、僕は生きています。もうすぐ家に帰ります。アンとボクは人さらいに浚われてセイロンの農園に売られた。アンは死にました。永遠の休息に就きました。父上にお会いしたときに全部を話します。今、ボクは汽車に乗ってチャイナ・ベイのRAAF空軍基地へ向かっています。彼らにイギリスへ連れて帰って欲しいと頼みます。もうすぐ会えます。あなたの息子チャールス、一九五二年十月七日。
車掌が紅茶の入ったガラスのコップと角砂糖を持ってきた。列車は朝の九時、あと五時間で終着駅トリンコマリーに到着すると兵隊に告げた。それまで寝るように勧めた。到着する三十分前に誰かが起こしに来ますと言った。兵隊は車掌の親切に感謝を述べた。
約束通りに同じ車掌が帰ってきた。沸かしたての紅茶を載せたお盆を持っていた。
「三十分で終点です」と告げた。
「タクシーはありますか?」
チャーリーが紅茶を受け取って質問した。
「イエス、駅の構内を出たところにタクシースタンドがあります」と車掌が答えた。汽車の窓から見える景色は平らで沼が多かった。朝陽の中に水田が見えた。米の穂、水牛…赤い花が畦道に群生していた。チャーリーは、この赤い妖しい花、曼珠沙華を遠い昔に見た。五年前にバスコ・ダ・ガマで見たことを想い出していた。嵐の夜だった。豪華な部屋…アンと一緒のベッドに寝た。母親も、メイドのBBも近くにいた。
列車が速度を落としていた。間もなくトリンコマリーだ。兵隊はダッフルバッグを持ち上げて汽車を降りた。若者は車掌に一礼して構内を出た。チャーリーが一台のタクシーの窓に「チャイナ・ベイのオーストラリア空軍基地へ連れて行ってくれますか?」と訊いた。
「四十分、前金八ルピー」と運転手が素っ気ない返事をした。
チャーリーが蒸気機関車の悲鳴を上げるような汽笛を聞いた。南の方から三回聞こえた。蒸気を吐く音がまだ聞こえないから五百メートルの距離だろうか?チャーリーは、革(かわ)のベルトでダッフルバッグを背中に縛り着けた。次に靴の紐を確かめた。それから、二、三回、飛び上がって背中のバッグが動かないことを確かめた。
蒸気機関車の機械音と蒸気を吐く音が聞こえたが山の向こうなのか姿が見えない。チャーリーは身震いした。カーブを曲がって黒い怪物がその姿を現した。三百メートルぐらいの距離だった。煙突からボッボッボッと黒い煙を噴き出していた。客車が一台、貨車六台を牽引していた。速度が相当遅い。チャーリーは安心した。「疾風する競走馬に乗るよりも易しいだろう…」とジョッキーは思った。若者は二番目の貨車の屋根の上に難なく飛び降りた。
汽車の天蓋に乗った旅である。列車は二時間ほど走った。それは寒い十月の月夜のことだった。汽車がスローダウンした。前方にぼんやりと灯が見えた。「駅だ!」若者は駅に着く前に飛び降りる準備をした。チャーリーは注意深く貨車の横に付いている鉄の梯子を降りて線路際に跳んだ。転ばなかった。騎手トレーニングのおかげだ。脚腰の筋肉が発達していたからである。 チャーリーは角の長い白い牛を見た。男たちが貨車に押し込んでいた。少なくとも二十頭の牝牛と三頭の仔牛だった。喉の乾いた機関車がシュートから水をボイラーに入れていた。車掌が客車のステップを降りて、赤い屋根の駅に入って行くのが見えた。入り口の上の看板に「マホ」と書いてあった。チャーリーがマホの駅に入って行った。乗車券売り場はひとつだった。その窓口へ真っ直ぐに歩いて行った。「トリンコマリーへ片道一枚」とヒンズー語で言った。窓口の駅員がインド陸軍の兵隊服を着たチャーリーをしげしげと見ていた。一瞬、チャーリーが緊張した。 駅員が口を開いた。「あなたは兵隊さんです。無賃で乗車出来ます」チャーリーが駅員に感謝のことばを述べた。そして、ダッフルバッグの中からキャラメルを二箱取り出して、どうか食べて下さいと言った。
「サンキュー、私には幼い娘が三人います。彼女たちは甘いものに目がないんです」と笑った。
ほんの数人しか乗客はいなかった。男が四人、女が二人、子供二人、牛の持ち主が一人…コロンボから乗った客も数人で客車の中は空席が多かった。セイロン島の人々はヒンズーも含めて他人をジロジロと見ない習慣が着いていた。グループはお喋りを楽しんでいた。笑ったり、食べたり、ソーダ水を飲んだり… チャーリーはローカルの人々から離れて最後尾の座席の窓際に座った。そしてダッフルバッグを引き寄せて開いた。中にサタナンドがくれた地図を見つけた。マホからトリンコマリーまでは遠い距離であると判った。次にアンナがくれたスケッチブックを取り出して開いた。多くのクレヨンで描いた風景画やマリアの像の絵もあった。二通の封筒がスケッチブックの間から床に落ちた。一通の封筒は糊で閉じてなかった。切手も貼ってなかった。ただ「チャーリーへ」とだけ書いてあった。
――私が最も愛する弟チャーリー、この手紙を読むころ、あなたは私がもはやこの世の住人でないことを知るでしょう。どうして私が自ら命を絶ったのかと惑うかも知れません。私はあなたの荷物になりたくなかったのです。あなたは一人の方が早く動ける。ガードたちは競馬で優勝したことを祝っているので、あなたが消えたことに気が着かない。私はあなたのように馬に乗れない。チャーリー、私は売られたのです。明日になれば私はアラブに連れられて知らぬ他国へ行く。私はあなたと別れることに耐えられない。あなたには何とでもしてイギリスへ帰って父や母を捜して欲しいのです。私たちの父母に私は天国の住人となって、イエス・キリスト、私の天主様の腕に抱かれていると話して下さい。私はあなたが故郷に戻り、そしていつの日か知事、グロイスターのチャールス・ミッテントロッター卿。最も優れたイギリスの知事になることを信じています。私たちの家の隣にある墓所に私の為に小さなお墓を造って下さい。私はあなたを愛しています。チャーリー、私をいつまでも憶えていてね。あなたの姉、アン。
大粒の涙がまぶたから溢れた。タオルを顔に押し当てた。こみ上がってくる嗚咽を抑えることが出来なかった。若者は静かに泣いていた。 アンの手紙を畳んで心臓に近いポケットに入れた。もう一枚の封筒を開けなかった。その封筒は糊で閉じてあり表に父と母の名前が書いてあったからである。チャーリーはスケッチブックから一枚のページを抜いた。そして父親のミッテントロッター卿に手紙を書いた。列車が線路のきしみで揺れた。膝の上で書いていた手紙が床に落ちた。
――親愛なるお父さま、僕は生きています。もうすぐ家に帰ります。アンとボクは人さらいに浚われてセイロンの農園に売られた。アンは死にました。永遠の休息に就きました。父上にお会いしたときに全部を話します。今、ボクは汽車に乗ってチャイナ・ベイのRAAF空軍基地へ向かっています。彼らにイギリスへ連れて帰って欲しいと頼みます。もうすぐ会えます。あなたの息子チャールス、一九五二年十月七日。
車掌が紅茶の入ったガラスのコップと角砂糖を持ってきた。列車は朝の九時、あと五時間で終着駅トリンコマリーに到着すると兵隊に告げた。それまで寝るように勧めた。到着する三十分前に誰かが起こしに来ますと言った。兵隊は車掌の親切に感謝を述べた。
約束通りに同じ車掌が帰ってきた。沸かしたての紅茶を載せたお盆を持っていた。
「三十分で終点です」と告げた。
「タクシーはありますか?」
チャーリーが紅茶を受け取って質問した。
「イエス、駅の構内を出たところにタクシースタンドがあります」と車掌が答えた。汽車の窓から見える景色は平らで沼が多かった。朝陽の中に水田が見えた。米の穂、水牛…赤い花が畦道に群生していた。チャーリーは、この赤い妖しい花、曼珠沙華を遠い昔に見た。五年前にバスコ・ダ・ガマで見たことを想い出していた。嵐の夜だった。豪華な部屋…アンと一緒のベッドに寝た。母親も、メイドのBBも近くにいた。
列車が速度を落としていた。間もなくトリンコマリーだ。兵隊はダッフルバッグを持ち上げて汽車を降りた。若者は車掌に一礼して構内を出た。チャーリーが一台のタクシーの窓に「チャイナ・ベイのオーストラリア空軍基地へ連れて行ってくれますか?」と訊いた。
「四十分、前金八ルピー」と運転手が素っ気ない返事をした。
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新連載「胡椒の王様」 |
第十三章
タミール・ガードのテントの中ではギャンブルが盛大に行われていた。テントの天井窓からタバコの煙がモクモクと噴き出していた。片目の男がドスンドスンと地面が揺れるのを感じた。何か?外が騒がしい。叫び声が聞こえた
「象が逃げたぞう」
「何頭逃げた?象を放したの誰だ?」とひとりのガードがテントから首を出して外の男に訊いた。
「全部だ。少なくても六十頭が逃げた。誰が放ったのか知らない。誰がゲートを開けたのか判らない」と男が答えた。
「逃げろ!走れ!象がこっちへ向かってくる」象の雄叫びがキャンプ中に聞こえた。丘の上のロッジにまで聞こえた。
サタナンドとアアシリアが観覧席のベンチでキャンプ村を見ていた。自分たちが放した象の群れが土煙を上げてテントを踏みにじっているのを観ていた。一発の銃声が静かな夕闇の中に聞こえた。その銃声と悲鳴がタミールのテントからだと判った。片目のタミールが、ナンブ拳銃で雄の象を撃ったのである。その弾丸は象の分厚い皮膚を掠(かす)っただけであった。象は怒り狂った。体重が三トンはある巨象が拳銃を撃った男を前脚で踏ん付けた。片目の男の背骨が砕ける音がした。黒いターバンの男は地獄超特急に乗って奈落へ落ちて行った。
チャーリーが振り返った。象の群れがテント村を駆け抜けて行くのを見た。銃声とそれに続く悲鳴が聞こえた。若者はメイン・ゲートに着いた。どこにも守衛がいなかった。チャーリーはカンデイ村を難なく出た。馬上から姉が身を投げたカンデイ湖のダムの方角を見て胸に手を当てて頭(こうべ)を垂れた。半月が雲間に出ていた。チャーリーが北斗七星を探したが見えなかった。――時間が早過ぎるのだろう。チャーリーはボブという名の馬をゆっくりと歩かせていた。誰にも気着かれることのないように…
三十分で歯の寺院に着いた。泉水の前で馬を下りたチャーリーは水筒を手に持っていた。水筒を山から流れてくる清らかな水で満たしたいからだ。寺院の門衛がインド陸軍の兵装をしたチャーリーを見て直立して敬礼をした。チャーリーが門衛に頷いた。そして、大理石の象の鼻から流れる水を水筒に詰めた。門衛にヒンズー語で有難うと言った。馬にまたがり、ラジャ・ビージャ道路を北へ向かった。
テント村では、三人のタミール・ガードが象に踏み潰された。多くの者が巨象の行進に怪我をした。コックニーはそのとき、ロッジの食堂にいた。他のキングたちと飲み食いしていた。 フロントのクラークが食堂に入ってきた。そしてコックニーに象がテント村を荒れ廻っていると耳打ちした。 それを聞いたコックニーが走り出した。オースチンの運転手を追い出して自分で運転して出て行った。タミールのテントが潰れているのを見たコックニーが、ひとりのガードに「アンナは何処だ?」と訊いた。コックニーは、アラブに大金で売った十八歳のアンナのことを言っているのだ。 そのガードは頭を横に振った。コックニーが「アンナを探せ!さもないと、おまえらのアタマをビシャイテヤル」と凄い目付きでガードたちを脅した。
群衆の中で「白人の若い女性がダムで投身自殺をした」と言う声が聞こえた。コックニーは即座にその女性がアンナであると理解した。
「小僧も消えた」ともうひとりのガードが言った。
「おまえら、小僧を探せ!さもないと」ガードたちは、今まで、コックニーが逆上するのを見たことがなかった。
「小僧はカンデイの駅へ行ったに違いない。コロンボ行きの汽車が八時に出るから。駅長を電話で呼び出せ!俺の名前を言え!小僧を汽車に乗せてはならないと言え!サタナンドは何処にいる?誰かサタナンドを見た者はおるか? 」
チャーリーはカンデイの駅に行って、コロンボ行きの下り列車に乗るだろうと意見が一致した。理由は単純だった。コロンボは大都市でヨーロッパ人が多く住んでいるからだと。小僧は白人に紛れてやがては英国大使館に駆け込むだろうと推測した。
「畜生!俺たちは、深い穴に落ちたぞ。小僧を殺すしかない」
コックニーと二人のタミールがオースチンに飛び乗ってカンデイ駅に向かった。もの凄いスピードで土埃を上げて走って行った。
チャーリーとボブがカンデイとコロンボを結ぶ鉄道の踏み切りにきていた。遮断機のない踏み切りを横切ると十字路があった。チャーリーは地図を見た。そして、きらきらと輝く北斗七星に従って北へ向かった。
コックニーとその子分たちがカンデイの駅に着いた。ところが、肝心のチャーリーの姿がどこにも見当たらない。シンハリーズの改札はその若者を見ていないと素っ気なかった。
「小僧は次ぎの駅へ行ったに違いない」とガードのひとりが言うと、「そうだそうだ」とコックニーと、もうひとりが賛成した。オースチンが気違いのごとく走りだした。カンデイの南へ…
チャーリーとボブは岩石のころがっている坂道を二時間は登った。テント村を出てから四時間が経っていた。ボブは全く疲れを見せなかった。チャーリーは、この馬を選んだサタナンドに感謝した。「あと二時間で橋に着く…」とひとりごちた。チョコレートを一枚ポケットから取り出して、割って口に放り込んだ。インド兵の服を着た若者は姉のアンナを想って泣いた。月光の中にアダムの高峰のシルエットが見えた。チャーリーとボブが頂上の見晴らし台に到達した。一休みすることにした。チャーリーはボブに水と角砂糖を与えた。サタナンドがくれた腕時計の針が十一時を指していた。気温が下がっている…ダッフルバッグからタートルネックのセーターを取り出して上着の下に着た。アンナが編んでくれたものだ。
――チャーリー、あなたは小川に架かる木の橋にきます。 その小川にアンナはXマークを付けていた。――その小川から鉄道の上の鉄橋には、たったの八キロメートルです。一時間ちょっとだと思う。すると、トレッスルの鉄橋(溝脚で支えられた鉄道橋)が見えるはずです。そこにも、Xが印してあった。――午前二時になると、北へ行く列車が来るわ。鉄橋の前方が急カーブだから列車は速度を落とす。 そのとき鉄橋から飛び乗るのよ!
鉄橋が前方に見えた。アンナの説明は正確だった。時計を見ると、午前一時になっていた。鉄橋の手前まで来たチャーリーがボブから降りた。そして、鉄橋の真ん中まで歩いて行った。鉄橋の下に一本の線路が見えた。遠くで狼の仔がキャンキャンと鳴くのを聞いた。何匹かの仔が母狼を慕って泣いている。チャーリーがボブに麦と水を与えて、それ行け!と手綱を解いた。だがボブは動かなかった。代わりに、ボブはその長い鼻でチャーリーを押した。「あっそうか!」チャーリーはあるだけの角砂糖をボブの口に入れた。そして尻を叩いた。アメリカ産のコーター・ホースは自分が来た道を軽く走り出した…
「有難うよ。ボブ」チャーリーが叫んだ
タミール・ガードのテントの中ではギャンブルが盛大に行われていた。テントの天井窓からタバコの煙がモクモクと噴き出していた。片目の男がドスンドスンと地面が揺れるのを感じた。何か?外が騒がしい。叫び声が聞こえた
「象が逃げたぞう」
「何頭逃げた?象を放したの誰だ?」とひとりのガードがテントから首を出して外の男に訊いた。
「全部だ。少なくても六十頭が逃げた。誰が放ったのか知らない。誰がゲートを開けたのか判らない」と男が答えた。
「逃げろ!走れ!象がこっちへ向かってくる」象の雄叫びがキャンプ中に聞こえた。丘の上のロッジにまで聞こえた。
サタナンドとアアシリアが観覧席のベンチでキャンプ村を見ていた。自分たちが放した象の群れが土煙を上げてテントを踏みにじっているのを観ていた。一発の銃声が静かな夕闇の中に聞こえた。その銃声と悲鳴がタミールのテントからだと判った。片目のタミールが、ナンブ拳銃で雄の象を撃ったのである。その弾丸は象の分厚い皮膚を掠(かす)っただけであった。象は怒り狂った。体重が三トンはある巨象が拳銃を撃った男を前脚で踏ん付けた。片目の男の背骨が砕ける音がした。黒いターバンの男は地獄超特急に乗って奈落へ落ちて行った。
チャーリーが振り返った。象の群れがテント村を駆け抜けて行くのを見た。銃声とそれに続く悲鳴が聞こえた。若者はメイン・ゲートに着いた。どこにも守衛がいなかった。チャーリーはカンデイ村を難なく出た。馬上から姉が身を投げたカンデイ湖のダムの方角を見て胸に手を当てて頭(こうべ)を垂れた。半月が雲間に出ていた。チャーリーが北斗七星を探したが見えなかった。――時間が早過ぎるのだろう。チャーリーはボブという名の馬をゆっくりと歩かせていた。誰にも気着かれることのないように…
三十分で歯の寺院に着いた。泉水の前で馬を下りたチャーリーは水筒を手に持っていた。水筒を山から流れてくる清らかな水で満たしたいからだ。寺院の門衛がインド陸軍の兵装をしたチャーリーを見て直立して敬礼をした。チャーリーが門衛に頷いた。そして、大理石の象の鼻から流れる水を水筒に詰めた。門衛にヒンズー語で有難うと言った。馬にまたがり、ラジャ・ビージャ道路を北へ向かった。
テント村では、三人のタミール・ガードが象に踏み潰された。多くの者が巨象の行進に怪我をした。コックニーはそのとき、ロッジの食堂にいた。他のキングたちと飲み食いしていた。 フロントのクラークが食堂に入ってきた。そしてコックニーに象がテント村を荒れ廻っていると耳打ちした。 それを聞いたコックニーが走り出した。オースチンの運転手を追い出して自分で運転して出て行った。タミールのテントが潰れているのを見たコックニーが、ひとりのガードに「アンナは何処だ?」と訊いた。コックニーは、アラブに大金で売った十八歳のアンナのことを言っているのだ。 そのガードは頭を横に振った。コックニーが「アンナを探せ!さもないと、おまえらのアタマをビシャイテヤル」と凄い目付きでガードたちを脅した。
群衆の中で「白人の若い女性がダムで投身自殺をした」と言う声が聞こえた。コックニーは即座にその女性がアンナであると理解した。
「小僧も消えた」ともうひとりのガードが言った。
「おまえら、小僧を探せ!さもないと」ガードたちは、今まで、コックニーが逆上するのを見たことがなかった。
「小僧はカンデイの駅へ行ったに違いない。コロンボ行きの汽車が八時に出るから。駅長を電話で呼び出せ!俺の名前を言え!小僧を汽車に乗せてはならないと言え!サタナンドは何処にいる?誰かサタナンドを見た者はおるか? 」
チャーリーはカンデイの駅に行って、コロンボ行きの下り列車に乗るだろうと意見が一致した。理由は単純だった。コロンボは大都市でヨーロッパ人が多く住んでいるからだと。小僧は白人に紛れてやがては英国大使館に駆け込むだろうと推測した。
「畜生!俺たちは、深い穴に落ちたぞ。小僧を殺すしかない」
コックニーと二人のタミールがオースチンに飛び乗ってカンデイ駅に向かった。もの凄いスピードで土埃を上げて走って行った。
チャーリーとボブがカンデイとコロンボを結ぶ鉄道の踏み切りにきていた。遮断機のない踏み切りを横切ると十字路があった。チャーリーは地図を見た。そして、きらきらと輝く北斗七星に従って北へ向かった。
コックニーとその子分たちがカンデイの駅に着いた。ところが、肝心のチャーリーの姿がどこにも見当たらない。シンハリーズの改札はその若者を見ていないと素っ気なかった。
「小僧は次ぎの駅へ行ったに違いない」とガードのひとりが言うと、「そうだそうだ」とコックニーと、もうひとりが賛成した。オースチンが気違いのごとく走りだした。カンデイの南へ…
チャーリーとボブは岩石のころがっている坂道を二時間は登った。テント村を出てから四時間が経っていた。ボブは全く疲れを見せなかった。チャーリーは、この馬を選んだサタナンドに感謝した。「あと二時間で橋に着く…」とひとりごちた。チョコレートを一枚ポケットから取り出して、割って口に放り込んだ。インド兵の服を着た若者は姉のアンナを想って泣いた。月光の中にアダムの高峰のシルエットが見えた。チャーリーとボブが頂上の見晴らし台に到達した。一休みすることにした。チャーリーはボブに水と角砂糖を与えた。サタナンドがくれた腕時計の針が十一時を指していた。気温が下がっている…ダッフルバッグからタートルネックのセーターを取り出して上着の下に着た。アンナが編んでくれたものだ。
――チャーリー、あなたは小川に架かる木の橋にきます。 その小川にアンナはXマークを付けていた。――その小川から鉄道の上の鉄橋には、たったの八キロメートルです。一時間ちょっとだと思う。すると、トレッスルの鉄橋(溝脚で支えられた鉄道橋)が見えるはずです。そこにも、Xが印してあった。――午前二時になると、北へ行く列車が来るわ。鉄橋の前方が急カーブだから列車は速度を落とす。 そのとき鉄橋から飛び乗るのよ!
鉄橋が前方に見えた。アンナの説明は正確だった。時計を見ると、午前一時になっていた。鉄橋の手前まで来たチャーリーがボブから降りた。そして、鉄橋の真ん中まで歩いて行った。鉄橋の下に一本の線路が見えた。遠くで狼の仔がキャンキャンと鳴くのを聞いた。何匹かの仔が母狼を慕って泣いている。チャーリーがボブに麦と水を与えて、それ行け!と手綱を解いた。だがボブは動かなかった。代わりに、ボブはその長い鼻でチャーリーを押した。「あっそうか!」チャーリーはあるだけの角砂糖をボブの口に入れた。そして尻を叩いた。アメリカ産のコーター・ホースは自分が来た道を軽く走り出した…
「有難うよ。ボブ」チャーリーが叫んだ
11/08 | |
新連載「胡椒の王様」 |
第十二章
紅茶やゴム農園の王様たちが到着したと吹奏楽団がカンデイの競馬に集合した群衆に知らせた。王様たちは象でやってきた。乗り物の象は色とりどりの絨毯で覆われていた。ある象のあたまには活花の鉢まで据えられていた。群集は王様たちの入場に拍手をした。いつもは嫌っているキングに…今日おこなわれる競馬は華麗なら華麗であるほど良いと…空は青く、小さな白い雲がぽっかりと浮かんでいた。高原の澄んだ空気の中にトランペットが高らかに鳴った。馬が入場するという合図なのだ。土は乾いていた。競馬場の従業員が挽馬に引かせた鋤でトラックの土をならしていた。
インデイアン・ステイープル・チェースは三十頭の馬が走る。サラブレッドばかりではなく、種々の馬が出る。アメリカ産クオーター・ホース、モルガン、アラビアン、雑種…全ての馬に優勝杯と賞を勝ち取るチャンスが与えられていた。そのインデイアン・ステイープル・チェースが最初のレースで、農園主、土地のファン、持ち主の家族、血縁がそれぞれの馬を大声で応援する。競馬というよりも、お祭りに近いが大衆に人気があった。馬の性別も年齢も体重もまちまちだが、出場する馬は過去に入賞したものに限られていた。警察官が見守る中で馬券が売られた。タミール・ガードたちは、自分たちの故郷の馬に賭けていた。
ガ~ンガ~ンガ~ンと鐘が鳴った。ステイープル。チェースが始まった。三十頭の馬が造られた丘を駆け上ったり、駆け降りたり、小川を飛び越えたりすると、観衆が自分たちの町の馬や農園のネームを叫んだ。タミール・ガードたちが最も騒々しかった。アルコール類は禁止されていたが、興奮で酔い痴れているのだ。ハードルを飛び越えるとき、馬が前のめりに倒れて、ジョッキーが怪我をした。馬丁が飛び出していき、落ちた騎手が運ばれて行った。
第一レースが終わった。カンデイの馬が勝った。タミール・ガードたちは北東の出身者が多い。彼らの出身地トリンコマリーの馬は入賞しなかった。一時間後に、弟二レースが始まるとアナウンスがあった。フィリイの競争である。フィリイとは、三歳以下の雌馬のことである。挽馬の鋤で整備されたトラックに何本もの筋が着いていた。
再びトランペットが鳴った。観覧席の下のトンネルから出場する馬がトラックに出てきた。スタートに向かっている…チャーリーとサタナンドが、十四頭の馬の中にゴドムを見つけた。ゴドムは胡椒の王様のシンボルである青いマスクを着けていた。シンハリーズの騎手がゴドムに手を焼いていた。そのフィリイの目が恐怖にひき攣っていた…ゴドムはたて続けにいなないて後ずさりをした。騎手がゴドムを鞭で打った。それがさらに状況を悪化させた。いまや、ゴドムはレースを拒絶していた。馬丁たちがゴドムを枠の中に押し込んだ。二キロのレースが始まる瞬間であった。
「サタナンド、ゴドムは走るべきじゃない。あまりにも神経質になってる。すぐ停めて!」チャーリーが懇願した。
「私も心配だ。ゴドムは恐れている、でもね、コックニーが言い張っているから」ふたりは自分たちが奴隷であることを自覚した。
パ~ン!ピストルが空砲を撃った。フィリイたちが一斉に駆け出した。誰もが驚くことが起きた。ゴドムが先頭に立ったからだ。それも二番目の馬を五馬身も引き離して…雌馬は一心に駆けた。最後の弟四コーナーまでリードした。だが、彼女の疲労は誰の目にも明らかだった。いまや、ゴドムは先頭馬の三馬身も後ろを駆けていた。騎手が鞭を当てたが、ゴドムは反応しなかった。彼女はさらに速度を落とした。最後部の馬が彼女を追い抜いた。そのとき、悲劇が起きた。彼女はレールの柱に左脚を引っ掛けて、前のめりに倒れた。前脚を骨折した。ジョッキーは空中に放り出されて柵の内側に落ちた。観衆は息を飲んだ。淑女たちが目を覆った。ゴドムを除いて全ての馬がゴールインした。馬丁ふたりがゴドムに駆け寄った。馬丁のひとりが首を振った。もうひとりの馬丁がピストルを腰のホルスターから抜いた。ゴドムは銃殺された。チャーリーがサタナンドを見た。サタナンドが死んだゴドムを見ていた。言葉はなかった。
カンデイの知事がマイクロフォンを掴んでいた。ゴドムが観衆の目前で銃殺されたそのショックが競馬場の雰囲気を鎮鬱(ちんうつ)なものにしていた。「第三番目のグランド・レースが一時間後に始まります。スタンドで軽食を注文できます…」と観衆を元気付ける様に言った。――チャンピオンに名誉の金メダルが授与される。優勝馬の農園には銀の優勝杯と一万ルピーが授与される…報道陣が号外記事のために写真を撮る…その写真の一枚はカンデイ競馬記念館に飾れる…
十七頭のサラブレッドがトラックに出た。これがこの日の最大のイベントなのだ。ブラックパールはゴドムと同じ青いマスクを着けていた。鞍の上のチャーリーは深い想いに沈んでいた。そのとき、大きな暖かい手がチャーリーの肩に触れた。サタナンドの黒い瞳がチャーリーを励ましていた。
「私たちの真珠を信じよう」サタナンドがチャーリーの耳に囁いた。
ブラックパールは見事に黒光りする馬だ。三歳の雄馬には静かな自信が見られた。チャーリーは大きく深呼吸をするとサタナンドに微笑した。 白人の騎手が三人いた。一人はチャーリー、他の二人はオランダとポルトガルのプロの騎手だと聞いた。「君はどこの国の騎手か?」と訊かれたが英語がわからないという風に首を振った。ほとんどの騎手はマドラスから来たインド人だった。ブラックパールは準備が出来ていた。それが馬の呼吸で判った。スー、ハー、スー、ハー。ブラックパールの鼻腔が大きくなっており、マスクの目が真っ直ぐ前方を見ていた。今日のレースのために生まれてきたんだ。騎手と馬は一緒に呼吸をしていた。馬と少年は一体となっていた。サタナンドが計画図をもう一度見せた。チャーリーが頷いた。
ブラックパールとチャーリーが出発点の右端に連れて行かれた。この位置は最も不利であると誰もが知っていた。または、その位置の馬は重要な馬ではないのだとされた。チャーリーはポケットから五個の角砂糖を取り出してブラックパールに与えた。一週間、砂糖を与えなかったので黒い真珠は喜んだ。調教師のサタナンドは砂糖の秘密を知っていた。与えなければ努力する。与え過ぎれば怠けると。ブラックパールは訓練の成績によって角砂糖を貰った。今日、風のように駆けてレースに勝てば角砂糖を貰えるんだ…
パ~ン!
十七頭の馬が先頭を争って駆け出した。観衆は爪立ちになっていた。自分たちがありったけのルピーを賭けた馬の名を叫んだ。馬格がダントツにいい栗毛の馬がリードを取った。北部のゴム農園の馬だと観衆は知っていた。その栗毛はレールに沿って軽快に走っていた。チャーリーとブラックパールは最後尾を走っていた。チャーリーは、「これは二キロのレースだ。スタミナが要るんだ…」とサタナンドが言っていたのを憶えていた。ブラックパールは早くも遅くもない速度で走っていた。まるで、計画がわかっているように走った。彼は前の馬と一馬身の距離で付いていく…だが遅れることはなかった。
チャーリーは、黒い真珠を信じていた。ブラックパールは、第二コーナーを廻ってバックストレッチに入るまで外側を走った。自分で速度を上げて前方を走る群れに加わった。ブラックパールは群れの真ん中にいた。観客席のサタナンドやギャングたちはブラックパールとチャーリーが何処を走っているのか簡単に判った。黒い馬は一頭である。その上に小さな騎手。コルトの立て髪と尻尾が疾風に靡(なび)いている姿は輝く太陽に見えたのである。題三コーナーに入ったが、ブラックパールは同じポジション、同じスピードを保っていた。
「なぜレールに沿って走らないんだ?」コックニーが苛々した声で言った。
第三コーナーまで百メートルのポストでブラックパールが速度を上げた。前を走る三頭の馬に追い着いた。コックニーが踊りあがって、「パール、パール」と叫んだ。アラブとコックニーは夫々の持ち馬に大金を賭けていた。 あの馬格の大きい栗毛が三番目に下がった。灰色の馬が先頭に立った。その灰色の馬が今年の人気馬であった。
ラストコーナーの手前でブラックパールは二番手に上がった。ラストコーナーに入った。チャーリーがブラックパールをレールに寄せた。先頭を走る灰色の馬は速度を出し過ぎていた。灰色の馬が大回りしたその隙間に入った。遠心力の法則である。ヒンズーの騎手がチャーリーを見た。赤い鞭を振り上げてブラックパールを思い切り打った。ブラックパールはレールにぶつかった。だが支柱には脚をひっかけなかった。
灰色の人気馬が黒い真珠に懸命に追い付こうとしていた。ブラックパールは半馬身、灰色の馬を抜いていた。二人の騎手は鞭を激しく馬に当てた。ブラックパールは瞬間に反応した。だが灰色の馬はフィニッシュラインの八十メートル手前で後ろへ下がり始めた。アラブが持ち主の灰色のサラブレッドは糖尿病だったのである。 ブラックパールが灰色のコルトと四馬身の距離を置いて、グランド・ホースレースで優勝した。
「今年のグランド・ホースレースの優勝馬は胡椒の王様のブラックパール」カンデイの知事が「チャーリー」という名の少年を祝福した。金メダルをジョッキーの首に掛けた。馬丁がブラックパールの黒い首に大きな白い薔薇のネックレスを掛けた。次に大きな銀の優勝杯をチャーリーに渡した。チャーリーが左横に立っているコックニーに渡した。右横に並んでいたサタナンド、アンナ、アアシリアが涙を手で拭いた。カメラマンたちがフラッシュをボ~ンボ~ンと焚いていた…
アアシリアがアンナを見た。数秒前にチャーリーの頬に接吻をしていたアンナがいなかった。お手洗いに行ったんだろう…と思ったその瞬間、アアシリアの背中に戦慄が走った。アンナが逃げた!
上機嫌のコックニーがチャーリーに五百ルピーを与えた。チャーリーが微笑して、「テントへ帰っても良いか?シャワーを浴びて祝賀会に出るために着替えたい…その許可を頂きたい」と訊いた。コックニーがOKを出した。
「ヘイ、若者よ、自由にしな。おまえは俺をハッピーにした」と言った。
「胡椒の農園の者は好きにして良い。ガードもだ」
コックニーの声を聞くやいなやタミールたちは煙管(きせる)でタバコをスパスパと吸いながらトランプをカーペットの上に配って盛大にギャンブルをやり始めた。ガードもボーナスが手に入ったからだ。
チャーリーがテントに入った。ベッドの上にダッフルバッグが置いてあった。その傍にノートがあるのを見た。アンナのメッセージは、次ぎのように書かれていた。
――私のもっとも愛するチャーリー、私はひとりで逃げます。たった今、逃げなさい!時間を一秒も無駄にしてはいけない。Xマークをつけた鉄道の上の橋に行きなさい。北へ行く列車の屋根にジャンプするのよ…午前二時に列車がその橋の下を通る。終着駅のトリンコマリーまで行くのよ。チャイナ・ベイのRAAFを見つけなさい。あとで会いましょう。約束よ。アイ・ラブ・ユー…あなたの姉、アン。
チャーリーは即座に行動した。最初にインド陸軍の戦闘服、戦闘帽、ブーツ、手袋を次々に身に着けた。黒いオイルの缶を開けて顔に塗った。ダッフルバッグを肩にかけると、テントを出た。誰も見ていなかった。若者は戦場から復員してきたインド軍の兵隊に見えた。セイロンでは復員兵は尊敬されていた。チャーリーは厩舎へ歩いて行った。夕闇が迫っていた。誰もが優勝を祝っていた。チャーリーがサタナンドを見ると、サタナンドがブラックパールにブラシを掛けていた。サタナンドが人影に凍りついた。その影が話すまでチャーリーだと判らなかったからである。
「ボク、馬が要る」
「おお、チャーリー、びっくりした」サタナンドは、若者が脱走することを一瞬のうちに知った。そして、馬の中からアメリカ産のコーター・ホースを挽き出した。長距離の歩行に最適な馬だったからである。
「ちょっと待って。ボブの蹄鉄を交換するから。その橋へ行くには山をいくつか超える。山道は石が転がっているんだ」とサタナンドは急いだ。
「チャーリー、歯の寺院大通りから、ラジャ・ビージャ道路を北へ行くんだ。橋まで六時間ちょっとかかる」
「サタナンド、サタナンド、あなた、どこにいるの?」アアシリアが走ってきた。
サタナンドが厩舎を出てアアシリアに会った。チャーリーは――何かが起きたと直感した。アアシリアが十秒ほどサタナンドに話していた。チャーリーが馬に鞍を着けているところへ、サタナンドが走って帰ってきた。
「チャーリー、ミス・アンナがダムの上の橋から身を投げた」
チャーリーが沈黙した。姉を失った若者に言葉はなかった。姉が死んだ。自分のために…逃げるチャンスを作るために全てが計画されていたんだ。
「ゆっくりと歩め!道に出てもだ。急いでは、タミールが気着く」サタナンドがチャーリーに最後の指示を下していた。三人は声もなく泣いた。アアシリアの頬を涙が滂沱となって流れた。 チャーリーがブラックパールの額に接吻した。そしてボブに跨ると、踵(きびす)を返して夕闇の中に消えて行った。
紅茶やゴム農園の王様たちが到着したと吹奏楽団がカンデイの競馬に集合した群衆に知らせた。王様たちは象でやってきた。乗り物の象は色とりどりの絨毯で覆われていた。ある象のあたまには活花の鉢まで据えられていた。群集は王様たちの入場に拍手をした。いつもは嫌っているキングに…今日おこなわれる競馬は華麗なら華麗であるほど良いと…空は青く、小さな白い雲がぽっかりと浮かんでいた。高原の澄んだ空気の中にトランペットが高らかに鳴った。馬が入場するという合図なのだ。土は乾いていた。競馬場の従業員が挽馬に引かせた鋤でトラックの土をならしていた。
インデイアン・ステイープル・チェースは三十頭の馬が走る。サラブレッドばかりではなく、種々の馬が出る。アメリカ産クオーター・ホース、モルガン、アラビアン、雑種…全ての馬に優勝杯と賞を勝ち取るチャンスが与えられていた。そのインデイアン・ステイープル・チェースが最初のレースで、農園主、土地のファン、持ち主の家族、血縁がそれぞれの馬を大声で応援する。競馬というよりも、お祭りに近いが大衆に人気があった。馬の性別も年齢も体重もまちまちだが、出場する馬は過去に入賞したものに限られていた。警察官が見守る中で馬券が売られた。タミール・ガードたちは、自分たちの故郷の馬に賭けていた。
ガ~ンガ~ンガ~ンと鐘が鳴った。ステイープル。チェースが始まった。三十頭の馬が造られた丘を駆け上ったり、駆け降りたり、小川を飛び越えたりすると、観衆が自分たちの町の馬や農園のネームを叫んだ。タミール・ガードたちが最も騒々しかった。アルコール類は禁止されていたが、興奮で酔い痴れているのだ。ハードルを飛び越えるとき、馬が前のめりに倒れて、ジョッキーが怪我をした。馬丁が飛び出していき、落ちた騎手が運ばれて行った。
第一レースが終わった。カンデイの馬が勝った。タミール・ガードたちは北東の出身者が多い。彼らの出身地トリンコマリーの馬は入賞しなかった。一時間後に、弟二レースが始まるとアナウンスがあった。フィリイの競争である。フィリイとは、三歳以下の雌馬のことである。挽馬の鋤で整備されたトラックに何本もの筋が着いていた。
再びトランペットが鳴った。観覧席の下のトンネルから出場する馬がトラックに出てきた。スタートに向かっている…チャーリーとサタナンドが、十四頭の馬の中にゴドムを見つけた。ゴドムは胡椒の王様のシンボルである青いマスクを着けていた。シンハリーズの騎手がゴドムに手を焼いていた。そのフィリイの目が恐怖にひき攣っていた…ゴドムはたて続けにいなないて後ずさりをした。騎手がゴドムを鞭で打った。それがさらに状況を悪化させた。いまや、ゴドムはレースを拒絶していた。馬丁たちがゴドムを枠の中に押し込んだ。二キロのレースが始まる瞬間であった。
「サタナンド、ゴドムは走るべきじゃない。あまりにも神経質になってる。すぐ停めて!」チャーリーが懇願した。
「私も心配だ。ゴドムは恐れている、でもね、コックニーが言い張っているから」ふたりは自分たちが奴隷であることを自覚した。
パ~ン!ピストルが空砲を撃った。フィリイたちが一斉に駆け出した。誰もが驚くことが起きた。ゴドムが先頭に立ったからだ。それも二番目の馬を五馬身も引き離して…雌馬は一心に駆けた。最後の弟四コーナーまでリードした。だが、彼女の疲労は誰の目にも明らかだった。いまや、ゴドムは先頭馬の三馬身も後ろを駆けていた。騎手が鞭を当てたが、ゴドムは反応しなかった。彼女はさらに速度を落とした。最後部の馬が彼女を追い抜いた。そのとき、悲劇が起きた。彼女はレールの柱に左脚を引っ掛けて、前のめりに倒れた。前脚を骨折した。ジョッキーは空中に放り出されて柵の内側に落ちた。観衆は息を飲んだ。淑女たちが目を覆った。ゴドムを除いて全ての馬がゴールインした。馬丁ふたりがゴドムに駆け寄った。馬丁のひとりが首を振った。もうひとりの馬丁がピストルを腰のホルスターから抜いた。ゴドムは銃殺された。チャーリーがサタナンドを見た。サタナンドが死んだゴドムを見ていた。言葉はなかった。
カンデイの知事がマイクロフォンを掴んでいた。ゴドムが観衆の目前で銃殺されたそのショックが競馬場の雰囲気を鎮鬱(ちんうつ)なものにしていた。「第三番目のグランド・レースが一時間後に始まります。スタンドで軽食を注文できます…」と観衆を元気付ける様に言った。――チャンピオンに名誉の金メダルが授与される。優勝馬の農園には銀の優勝杯と一万ルピーが授与される…報道陣が号外記事のために写真を撮る…その写真の一枚はカンデイ競馬記念館に飾れる…
十七頭のサラブレッドがトラックに出た。これがこの日の最大のイベントなのだ。ブラックパールはゴドムと同じ青いマスクを着けていた。鞍の上のチャーリーは深い想いに沈んでいた。そのとき、大きな暖かい手がチャーリーの肩に触れた。サタナンドの黒い瞳がチャーリーを励ましていた。
「私たちの真珠を信じよう」サタナンドがチャーリーの耳に囁いた。
ブラックパールは見事に黒光りする馬だ。三歳の雄馬には静かな自信が見られた。チャーリーは大きく深呼吸をするとサタナンドに微笑した。 白人の騎手が三人いた。一人はチャーリー、他の二人はオランダとポルトガルのプロの騎手だと聞いた。「君はどこの国の騎手か?」と訊かれたが英語がわからないという風に首を振った。ほとんどの騎手はマドラスから来たインド人だった。ブラックパールは準備が出来ていた。それが馬の呼吸で判った。スー、ハー、スー、ハー。ブラックパールの鼻腔が大きくなっており、マスクの目が真っ直ぐ前方を見ていた。今日のレースのために生まれてきたんだ。騎手と馬は一緒に呼吸をしていた。馬と少年は一体となっていた。サタナンドが計画図をもう一度見せた。チャーリーが頷いた。
ブラックパールとチャーリーが出発点の右端に連れて行かれた。この位置は最も不利であると誰もが知っていた。または、その位置の馬は重要な馬ではないのだとされた。チャーリーはポケットから五個の角砂糖を取り出してブラックパールに与えた。一週間、砂糖を与えなかったので黒い真珠は喜んだ。調教師のサタナンドは砂糖の秘密を知っていた。与えなければ努力する。与え過ぎれば怠けると。ブラックパールは訓練の成績によって角砂糖を貰った。今日、風のように駆けてレースに勝てば角砂糖を貰えるんだ…
パ~ン!
十七頭の馬が先頭を争って駆け出した。観衆は爪立ちになっていた。自分たちがありったけのルピーを賭けた馬の名を叫んだ。馬格がダントツにいい栗毛の馬がリードを取った。北部のゴム農園の馬だと観衆は知っていた。その栗毛はレールに沿って軽快に走っていた。チャーリーとブラックパールは最後尾を走っていた。チャーリーは、「これは二キロのレースだ。スタミナが要るんだ…」とサタナンドが言っていたのを憶えていた。ブラックパールは早くも遅くもない速度で走っていた。まるで、計画がわかっているように走った。彼は前の馬と一馬身の距離で付いていく…だが遅れることはなかった。
チャーリーは、黒い真珠を信じていた。ブラックパールは、第二コーナーを廻ってバックストレッチに入るまで外側を走った。自分で速度を上げて前方を走る群れに加わった。ブラックパールは群れの真ん中にいた。観客席のサタナンドやギャングたちはブラックパールとチャーリーが何処を走っているのか簡単に判った。黒い馬は一頭である。その上に小さな騎手。コルトの立て髪と尻尾が疾風に靡(なび)いている姿は輝く太陽に見えたのである。題三コーナーに入ったが、ブラックパールは同じポジション、同じスピードを保っていた。
「なぜレールに沿って走らないんだ?」コックニーが苛々した声で言った。
第三コーナーまで百メートルのポストでブラックパールが速度を上げた。前を走る三頭の馬に追い着いた。コックニーが踊りあがって、「パール、パール」と叫んだ。アラブとコックニーは夫々の持ち馬に大金を賭けていた。 あの馬格の大きい栗毛が三番目に下がった。灰色の馬が先頭に立った。その灰色の馬が今年の人気馬であった。
ラストコーナーの手前でブラックパールは二番手に上がった。ラストコーナーに入った。チャーリーがブラックパールをレールに寄せた。先頭を走る灰色の馬は速度を出し過ぎていた。灰色の馬が大回りしたその隙間に入った。遠心力の法則である。ヒンズーの騎手がチャーリーを見た。赤い鞭を振り上げてブラックパールを思い切り打った。ブラックパールはレールにぶつかった。だが支柱には脚をひっかけなかった。
灰色の人気馬が黒い真珠に懸命に追い付こうとしていた。ブラックパールは半馬身、灰色の馬を抜いていた。二人の騎手は鞭を激しく馬に当てた。ブラックパールは瞬間に反応した。だが灰色の馬はフィニッシュラインの八十メートル手前で後ろへ下がり始めた。アラブが持ち主の灰色のサラブレッドは糖尿病だったのである。 ブラックパールが灰色のコルトと四馬身の距離を置いて、グランド・ホースレースで優勝した。
「今年のグランド・ホースレースの優勝馬は胡椒の王様のブラックパール」カンデイの知事が「チャーリー」という名の少年を祝福した。金メダルをジョッキーの首に掛けた。馬丁がブラックパールの黒い首に大きな白い薔薇のネックレスを掛けた。次に大きな銀の優勝杯をチャーリーに渡した。チャーリーが左横に立っているコックニーに渡した。右横に並んでいたサタナンド、アンナ、アアシリアが涙を手で拭いた。カメラマンたちがフラッシュをボ~ンボ~ンと焚いていた…
アアシリアがアンナを見た。数秒前にチャーリーの頬に接吻をしていたアンナがいなかった。お手洗いに行ったんだろう…と思ったその瞬間、アアシリアの背中に戦慄が走った。アンナが逃げた!
上機嫌のコックニーがチャーリーに五百ルピーを与えた。チャーリーが微笑して、「テントへ帰っても良いか?シャワーを浴びて祝賀会に出るために着替えたい…その許可を頂きたい」と訊いた。コックニーがOKを出した。
「ヘイ、若者よ、自由にしな。おまえは俺をハッピーにした」と言った。
「胡椒の農園の者は好きにして良い。ガードもだ」
コックニーの声を聞くやいなやタミールたちは煙管(きせる)でタバコをスパスパと吸いながらトランプをカーペットの上に配って盛大にギャンブルをやり始めた。ガードもボーナスが手に入ったからだ。
チャーリーがテントに入った。ベッドの上にダッフルバッグが置いてあった。その傍にノートがあるのを見た。アンナのメッセージは、次ぎのように書かれていた。
――私のもっとも愛するチャーリー、私はひとりで逃げます。たった今、逃げなさい!時間を一秒も無駄にしてはいけない。Xマークをつけた鉄道の上の橋に行きなさい。北へ行く列車の屋根にジャンプするのよ…午前二時に列車がその橋の下を通る。終着駅のトリンコマリーまで行くのよ。チャイナ・ベイのRAAFを見つけなさい。あとで会いましょう。約束よ。アイ・ラブ・ユー…あなたの姉、アン。
チャーリーは即座に行動した。最初にインド陸軍の戦闘服、戦闘帽、ブーツ、手袋を次々に身に着けた。黒いオイルの缶を開けて顔に塗った。ダッフルバッグを肩にかけると、テントを出た。誰も見ていなかった。若者は戦場から復員してきたインド軍の兵隊に見えた。セイロンでは復員兵は尊敬されていた。チャーリーは厩舎へ歩いて行った。夕闇が迫っていた。誰もが優勝を祝っていた。チャーリーがサタナンドを見ると、サタナンドがブラックパールにブラシを掛けていた。サタナンドが人影に凍りついた。その影が話すまでチャーリーだと判らなかったからである。
「ボク、馬が要る」
「おお、チャーリー、びっくりした」サタナンドは、若者が脱走することを一瞬のうちに知った。そして、馬の中からアメリカ産のコーター・ホースを挽き出した。長距離の歩行に最適な馬だったからである。
「ちょっと待って。ボブの蹄鉄を交換するから。その橋へ行くには山をいくつか超える。山道は石が転がっているんだ」とサタナンドは急いだ。
「チャーリー、歯の寺院大通りから、ラジャ・ビージャ道路を北へ行くんだ。橋まで六時間ちょっとかかる」
「サタナンド、サタナンド、あなた、どこにいるの?」アアシリアが走ってきた。
サタナンドが厩舎を出てアアシリアに会った。チャーリーは――何かが起きたと直感した。アアシリアが十秒ほどサタナンドに話していた。チャーリーが馬に鞍を着けているところへ、サタナンドが走って帰ってきた。
「チャーリー、ミス・アンナがダムの上の橋から身を投げた」
チャーリーが沈黙した。姉を失った若者に言葉はなかった。姉が死んだ。自分のために…逃げるチャンスを作るために全てが計画されていたんだ。
「ゆっくりと歩め!道に出てもだ。急いでは、タミールが気着く」サタナンドがチャーリーに最後の指示を下していた。三人は声もなく泣いた。アアシリアの頬を涙が滂沱となって流れた。 チャーリーがブラックパールの額に接吻した。そしてボブに跨ると、踵(きびす)を返して夕闇の中に消えて行った。
11/06 | |
新連載「胡椒の王様」 |
オースチンのセダンが二人の女性と片目のガードを迎えにきた。二人の男は目を合わさない。挨拶もない。アアシリアがランチのバスケットを持っていた。ガードの分も用意した。
「お嬢さん方、グッドモーニング」と運転手は言ってからアアシリアからバスケットを受け取った。
「グッドモーニング、観光に連れて行ってくれることを感謝します」とアアシリアが朗らかに笑った。アンナはスケッチブックとクレヨンの入った箱を手に持っていた。彼女は、シンハリーズの伝統である明るい緑色のサリを着て紫のスカーフで頭を包んでいた。アンナは今月、十八になる。彼女は眩しいほどの美しい女性になっていた。四人がカンデイ湖の南端のダムに着いた。――二十分もかからなかったからキャンプから歩ける距離だわ…とアンナは思った。アンナがセダンを降りて、ダムの上の橋の真ん中まで歩いて行った。そして、橋の鉄製の欄干に掴まって下を流れる川を見ていた。急流が岩を噛んで白い飛沫を上げていた。橋の上から六十メートルはある、、――アンナが欄干を越えて飛び込むんじゃないかと想像して、アアシリアは背筋が寒くなった。
「アアシリア、紅葉が真っ赤よ」
アンナがスケッチブックを取り出した。
――あんなに美しいアンナが投身自殺するなんてバカバカしいと安心した。この季節は気温が急に下がるので、紅葉(もみじ)の葉が燃えるように赤くなるのだ。枝が傘のように四方に広がっていた。アンナは、こんなに素晴らしい景色を英国でも見なかった。
アアシリアが公園の木で出来たピクニックテーブルに白いクロスをかけた。運転手がランチに加わった。タミールは隣りのテーブルのベンチに座った。帯のホルスターに南部拳銃が見えた。「何のためだ?」と運転手がひとりごちた。
アンナは絵を仕上げた。日付けを記してサインをした。その絵をアアシリアと運転手に見せた。
「まあ、あなたは本物の芸術家なのね」とアアシリアが言うと運転手が大きく頷いた。
「おお、ノー、私は、まだまだ勉強が足りないのよ」
アンナが最も信頼する友人に微笑した。
四人がキャンプに帰ってきた。アアシリアが腕時計を見ると、午後の三時三十分になっていた。アンナが髪を編んで欲しいとアアシリアに頼んだ。髪が結いあがった。アアシリアが一歩下がって出来具合を見た。一本の長い三つ編みがアンナの背中に下がっていた。カールのかかった茶色の髪が十八歳の女性の顔を引き立たせていた。
秋の大競馬の晩餐会が始まった。夕陽が西へ沈む時間だった。ロープで張り巡らされた電灯に灯が点った。ブラスバンドがセイロンの国歌を演奏した。カンデイの知事がマイクロフォンの前に立った。ウエルカム・スピーチが始まったのだ。
「紳士淑女のみなさん、ようこそカンデイの大競馬へお越し下さいました。カンデイの大競馬は三年毎に行われます。この競馬の目的はこの美しいセイロンを愛する人々の心を結束することです。カンデイの全市民を代表して、セイロンの各地から来られた農園の持ち主さんたちの寄付金を感謝いたします。さらに、遠くから来られた外国のお客さまにも感謝を述べさせて頂きます。今夜は大競馬のイブです。私たちが用意した食べ物と飲み物を楽しんで下さい。どうか政治をお家に置いてきて下さい」
全員が立ち上がって拍手をした。興奮が会場に満ちた。アアシリアの目がコクニーを捉えていた。コックニーが隣りの大男と話していた。その大男がアラビア人で富豪であることは明らかだった。金の腕輪がサハラ砂漠の民族衣装の袖から見えた。男の太い首には銀のネックレス…頭に巻いているターバンに大きなダイアモンドが光っていた。コックニーが男に耳打ちをしている間、アラブの富豪がそのギョロ目でアンナを凝視していた。
――アンナが売られた! アアシリアが左横のアンナを見た。来賓席で何が話し合われているのか知っているはずだが、アンナの表情に変化はなかった。晩餐会は終わった。コックニーとアラブがセダンでロッジに帰って行った。象が行列を作っていた。五十頭はいただろうか。農園のキングたちや外国の来賓の乗り物なのだ。象の行列がロッジへ向かって歩き出していた。四人も会場を出た。テントへ戻る途中で雷が鳴るのを聞いた。サタナンドがカンデイ湖の北側の山にジグザグに走る落雷の閃光を見た。やがて、大粒の雨が降ってきた。四人がテントの中に駆けこんで大笑いした。サタナンドがストーブに薪と枯れた松葉を入れてローソクの火で点火した。外は豪雨に変わっていた。雨水が滝のようになって、テントの屋根から地面に当たる音が聞こえた。
「もしも雨がやまなかったら、明日の競馬はどうなる?」とチャーリーが心配そうにサタナンドの目を見た。
「チャーリー、心配は要らない。朝までに止むから。雷が北東へ移動したのが判る」
そのとき、アンナが、「今夜はサタナンドの部屋で寝るように」とアアシリアに言った。それを聞いたサタナンドが驚いて目を丸くした。だが彼はアアシリアと一緒の部屋に寝ることにハッピーだったのである。「チャーリー、今夜、私の横で寝て頂戴」とアンナが弟に言った。アアシリアが持ち物を持って仕切りの向こうへ移動した。チャーリーも同じように荷物をまとめてからサタナンドにウインクをした。サタナンドが笑っていた。
チャーリーが、アンナの部屋に入ると若い女性独特の匂いがした。悩ましくなる匂いである。チャーリーは、姉のベッドの上にインド陸軍のダッフルバッグを見た。アンナが灰色の下着、灰色のシャツ、灰色の靴下を畳んでいるのを見た。アンナが、ダーク・グリーンの戦闘服、戦闘帽、茶色い革製のブーツをチャーリーに見せた。アンナはその三品をダッフルバッグに詰めた。最後にクッキーの箱とキャラメル数箱、チョコレートを入れてジッパーを締めた。チャーリーは沈黙していた。
「チャーリー、これは、私のクリスマス・プレセントなの。お返しに私のために明日の競馬でチャンピオンになってね」
姉の顔には、いつもの微笑はなかった。姉は、その美しい口元をきりっと結んでいた。弟は姉のことばを命令だと受け取っていた。チャーリーが口を開いた。
「有難う。アンナ。でもね、どのコルトも競馬の経験を持っている。その中の何頭かは優勝している。明日の競馬はブラックパールの緒戦なんだ。僕にとっても生まれて始めてのレース。ジョッキーたちは高いカネで雇われたプロ。ボクは最年少のジョッキー…
そこまで聞いていたアンナが、「チャーリー、私の傍に座りなさい」とベッドを拳で叩いた。姉の横に座った弟は、姉がブラウスのボタンを外して脱ぎ、ブラジャーを外すのを見ていた。アンナの乳房は象牙の色をしており、乳首が上を向き、そして外側を指していた。ミケランジェロのビーナスの像と同じ完璧な形をしていた。
「触りなさい」とアンナがチャーリーに言った。それは命令だった。チャーリーは農園へ来た頃の少年ではなかった。厩舎の労働とサタナンドの訓練で逞しい十五歳と四ヶ月の青年になっていた。チャーリーが途惑った。だが今夜のアンナはどこかが違った。何が起きている?チャーリーは理解出来なかった。だが命令の通り右手で姉の左の乳房に触れた。アンナがチャーリーの手を取って乳房に押し付けた。そして弟の目を十秒間、見詰めた。長い十秒間であった。
「レースが終わったら、ここへすぐ帰ってきて。勝っても負けても。わかった?」
アンナが沈黙を破った。
「ノー、結婚するまで待つのよ」
仕切りの向こうからアアシリアの声が聞こえた。
「どのくらい待つの?」とサタナンド。
「もうすぐよ。おバカさん」アアシリアがクスクスと笑った。そして、――あの人たち、明日、脱走すると思う…と将来の夫に囁いたのである。
「お嬢さん方、グッドモーニング」と運転手は言ってからアアシリアからバスケットを受け取った。
「グッドモーニング、観光に連れて行ってくれることを感謝します」とアアシリアが朗らかに笑った。アンナはスケッチブックとクレヨンの入った箱を手に持っていた。彼女は、シンハリーズの伝統である明るい緑色のサリを着て紫のスカーフで頭を包んでいた。アンナは今月、十八になる。彼女は眩しいほどの美しい女性になっていた。四人がカンデイ湖の南端のダムに着いた。――二十分もかからなかったからキャンプから歩ける距離だわ…とアンナは思った。アンナがセダンを降りて、ダムの上の橋の真ん中まで歩いて行った。そして、橋の鉄製の欄干に掴まって下を流れる川を見ていた。急流が岩を噛んで白い飛沫を上げていた。橋の上から六十メートルはある、、――アンナが欄干を越えて飛び込むんじゃないかと想像して、アアシリアは背筋が寒くなった。
「アアシリア、紅葉が真っ赤よ」
アンナがスケッチブックを取り出した。
――あんなに美しいアンナが投身自殺するなんてバカバカしいと安心した。この季節は気温が急に下がるので、紅葉(もみじ)の葉が燃えるように赤くなるのだ。枝が傘のように四方に広がっていた。アンナは、こんなに素晴らしい景色を英国でも見なかった。
アアシリアが公園の木で出来たピクニックテーブルに白いクロスをかけた。運転手がランチに加わった。タミールは隣りのテーブルのベンチに座った。帯のホルスターに南部拳銃が見えた。「何のためだ?」と運転手がひとりごちた。
アンナは絵を仕上げた。日付けを記してサインをした。その絵をアアシリアと運転手に見せた。
「まあ、あなたは本物の芸術家なのね」とアアシリアが言うと運転手が大きく頷いた。
「おお、ノー、私は、まだまだ勉強が足りないのよ」
アンナが最も信頼する友人に微笑した。
四人がキャンプに帰ってきた。アアシリアが腕時計を見ると、午後の三時三十分になっていた。アンナが髪を編んで欲しいとアアシリアに頼んだ。髪が結いあがった。アアシリアが一歩下がって出来具合を見た。一本の長い三つ編みがアンナの背中に下がっていた。カールのかかった茶色の髪が十八歳の女性の顔を引き立たせていた。
秋の大競馬の晩餐会が始まった。夕陽が西へ沈む時間だった。ロープで張り巡らされた電灯に灯が点った。ブラスバンドがセイロンの国歌を演奏した。カンデイの知事がマイクロフォンの前に立った。ウエルカム・スピーチが始まったのだ。
「紳士淑女のみなさん、ようこそカンデイの大競馬へお越し下さいました。カンデイの大競馬は三年毎に行われます。この競馬の目的はこの美しいセイロンを愛する人々の心を結束することです。カンデイの全市民を代表して、セイロンの各地から来られた農園の持ち主さんたちの寄付金を感謝いたします。さらに、遠くから来られた外国のお客さまにも感謝を述べさせて頂きます。今夜は大競馬のイブです。私たちが用意した食べ物と飲み物を楽しんで下さい。どうか政治をお家に置いてきて下さい」
全員が立ち上がって拍手をした。興奮が会場に満ちた。アアシリアの目がコクニーを捉えていた。コックニーが隣りの大男と話していた。その大男がアラビア人で富豪であることは明らかだった。金の腕輪がサハラ砂漠の民族衣装の袖から見えた。男の太い首には銀のネックレス…頭に巻いているターバンに大きなダイアモンドが光っていた。コックニーが男に耳打ちをしている間、アラブの富豪がそのギョロ目でアンナを凝視していた。
――アンナが売られた! アアシリアが左横のアンナを見た。来賓席で何が話し合われているのか知っているはずだが、アンナの表情に変化はなかった。晩餐会は終わった。コックニーとアラブがセダンでロッジに帰って行った。象が行列を作っていた。五十頭はいただろうか。農園のキングたちや外国の来賓の乗り物なのだ。象の行列がロッジへ向かって歩き出していた。四人も会場を出た。テントへ戻る途中で雷が鳴るのを聞いた。サタナンドがカンデイ湖の北側の山にジグザグに走る落雷の閃光を見た。やがて、大粒の雨が降ってきた。四人がテントの中に駆けこんで大笑いした。サタナンドがストーブに薪と枯れた松葉を入れてローソクの火で点火した。外は豪雨に変わっていた。雨水が滝のようになって、テントの屋根から地面に当たる音が聞こえた。
「もしも雨がやまなかったら、明日の競馬はどうなる?」とチャーリーが心配そうにサタナンドの目を見た。
「チャーリー、心配は要らない。朝までに止むから。雷が北東へ移動したのが判る」
そのとき、アンナが、「今夜はサタナンドの部屋で寝るように」とアアシリアに言った。それを聞いたサタナンドが驚いて目を丸くした。だが彼はアアシリアと一緒の部屋に寝ることにハッピーだったのである。「チャーリー、今夜、私の横で寝て頂戴」とアンナが弟に言った。アアシリアが持ち物を持って仕切りの向こうへ移動した。チャーリーも同じように荷物をまとめてからサタナンドにウインクをした。サタナンドが笑っていた。
チャーリーが、アンナの部屋に入ると若い女性独特の匂いがした。悩ましくなる匂いである。チャーリーは、姉のベッドの上にインド陸軍のダッフルバッグを見た。アンナが灰色の下着、灰色のシャツ、灰色の靴下を畳んでいるのを見た。アンナが、ダーク・グリーンの戦闘服、戦闘帽、茶色い革製のブーツをチャーリーに見せた。アンナはその三品をダッフルバッグに詰めた。最後にクッキーの箱とキャラメル数箱、チョコレートを入れてジッパーを締めた。チャーリーは沈黙していた。
「チャーリー、これは、私のクリスマス・プレセントなの。お返しに私のために明日の競馬でチャンピオンになってね」
姉の顔には、いつもの微笑はなかった。姉は、その美しい口元をきりっと結んでいた。弟は姉のことばを命令だと受け取っていた。チャーリーが口を開いた。
「有難う。アンナ。でもね、どのコルトも競馬の経験を持っている。その中の何頭かは優勝している。明日の競馬はブラックパールの緒戦なんだ。僕にとっても生まれて始めてのレース。ジョッキーたちは高いカネで雇われたプロ。ボクは最年少のジョッキー…
そこまで聞いていたアンナが、「チャーリー、私の傍に座りなさい」とベッドを拳で叩いた。姉の横に座った弟は、姉がブラウスのボタンを外して脱ぎ、ブラジャーを外すのを見ていた。アンナの乳房は象牙の色をしており、乳首が上を向き、そして外側を指していた。ミケランジェロのビーナスの像と同じ完璧な形をしていた。
「触りなさい」とアンナがチャーリーに言った。それは命令だった。チャーリーは農園へ来た頃の少年ではなかった。厩舎の労働とサタナンドの訓練で逞しい十五歳と四ヶ月の青年になっていた。チャーリーが途惑った。だが今夜のアンナはどこかが違った。何が起きている?チャーリーは理解出来なかった。だが命令の通り右手で姉の左の乳房に触れた。アンナがチャーリーの手を取って乳房に押し付けた。そして弟の目を十秒間、見詰めた。長い十秒間であった。
「レースが終わったら、ここへすぐ帰ってきて。勝っても負けても。わかった?」
アンナが沈黙を破った。
「ノー、結婚するまで待つのよ」
仕切りの向こうからアアシリアの声が聞こえた。
「どのくらい待つの?」とサタナンド。
「もうすぐよ。おバカさん」アアシリアがクスクスと笑った。そして、――あの人たち、明日、脱走すると思う…と将来の夫に囁いたのである。
11/05 | |
わが妻となった女(ひと)、、 |
クリステイーンとデイトしていた頃はベトナム戦争時代。クリステイーンがスチュワデスであったことが判ったのは、「あなたに翼を上げる」と彼女が言ったときである。「どういう意味?」「私、ワールド・エアウエイズの客室係りなの」
反戦運動、、
この動画に出てくる集会はビッグ・サーと言うサンフランシスコから3時間南の海岸。5万人が集まった。クリステイーンもヒッピーのいでたち。サイゴンへ飛んでいた彼女。普段は、コッペパンのベレーを被った兵隊の制服。これが一瞬にして変貌した。ここにアメリカが見える。任務は任務とし、自由時間は自分に戻った。現在も、アメリカを誇りに思っている愛国者の彼女。だが、そのクチは辛い。
ベトナム戦争がアメリカ2分の始まり、、
べ戦以来、アメリカは真っ二つに分かれている。戦争が終わると平和が戻ってきた。激しい反戦ソングからサイモン・ガーファンクルの優しい歌が流行った。レーガンで再び右傾化。ブッシュ1は湾岸戦争に熱中した。ベトナム反戦側だったクリントンは、ヒッピーの代表と言える。ブッシュ2で右傾化が進んだ。だが、オバマがイラク撤退を掲げて大統領に選ばれた。ところがヒッピーのヒラリーがトランプに敗れた。最も深い亀裂が起きた。バイデンは愛国者。アメリカを再生するト決意。だが、、伊勢
ところで、胡椒の王様は面白い?伊勢
11/05 | |
新連載「胡椒の王様」 |
第十章
競馬場の近くの農家の雄鶏(おんどり)のトキの声でみんな目を覚ました。――床に着いたばかりなのにとチャーリーは思ったが、テントの上方に陽が射すのが見えた。夜が明ける瞬間だった。
ひとりのタミール、アアシリアとアンナが丘の上のロッジに向かって歩いていた。タミールは背の高い男だった。男は黒いターバンを巻いて左の目に黒いパッチを着けていた。冷酷な目をしていた。男は片目でアアシリアの胸や腰をジロジロと見ていた。アアシリアは二十歳になっていた。彼女はタミールと同じヒンズー教徒だが洗練されたヨーロッパ風の都市であるゴアの出身だった。「あの男を見ないことにしてるの…」とアアシリアが英語で言った。
ロッジの駐車場にダーク・グリーンのオースチンが待っていた。車の中で運転手が待っているのが見えた。降りてきた中年の運手が後ろのドアを開けて「グッドモーニング」とアンナに言った。「グッドモーニング」とアンナとアアシリアが同時に応えた。ふたりは後部座席にすべりこんだ。なめし革の匂いがした。アンナは自動車に五年も乗っていなかった。父親のあずき色のロールス・ロイスを想い出していた。運転手がクランクを廻すとエンジンがかかった。クラシックなオースチンが力強い音を立てた。片目の男が運転台の左座席に座った。ターバンを巻いた頭が天井に着くほどの大男だった。運転手がタミール・ガードを見た。一瞬だったが憎しみのある目であった。運転手はシンハリーズなのだ。ふたりの間に挨拶はなかった。英国製のオースチンは一時間に四十五キロを走る。これは馬の歩行速度の五倍に当たる。カンデイの下町まで三十分のドライブだった。ポプラの並木道に入った。アンナは地図を広げてその並木道がラジャ・ビージャ通りであると記憶した。直角に左へ曲がると商店の看板が見えた。「アーミー・ストアはカンデイにあるの?」アアシリアが運転手にと身を乗り出して訊いた。アーミー・ストアというのは、インド陸軍省の放出品の専門店である。運転手が前方の旗を指さしていた。セイロンの旗が商店街を飾っていた。オースチンが大きな飾り窓のある店の前で停まった。飾り窓に、兵隊服や帽子やブーツ、ダッフルバッグが陳列されていた。アンナがにっこりと笑ったのを、アアシリアは見た。運転手が降りてドアを開けた。
「ゆっくり買い物をして下さい」と英語が流暢だった。
アンナはポーチャー(布で出来た袋)に手を入れると、ルピーの札を六枚取り出して片目のガードと運転手に三ルピーずつ与えた。タミールが珍しく微笑を顔に浮かべた。タミールが隣りのカフェが歩道に並べたテーブルに着くとウエイターに、ビールとピーナッツを注文した。ウエイターは緊張した。タミールの帯にナンブ拳銃のグリップを見たからである。運転手は気の好い人柄だったがタミールに加わらず運転台に残った。
アンナは水筒がフックに着いたダッフルバッグを買った。ついでインド陸軍の戦闘服、帽子、革の手袋、馬の革のブーツを店主に指さしたのである。アアシリアは、アンナが鉛筆でショッピング・リストにチェックするのを見た。アンナは普段には見せない真剣な顔をしていた。――アンナは何かを計画しているんだわ…
アーミー・ストアから出たふたりは隣りのキャンデイストアに入った。アンナは、箱に入ったクッキー、キャラメル、オレンジのソーダ水を買った。彼女はセダンで待っていた運転手にそのソーダ水を上げた。タミールは、コックニーから開放された自由を満喫していた。冷えたビールもこの残虐な男をハッピーにしていた。そのためなのか男はアンナの大きな買い物袋を検査しなかった。買い物の後、カンデイの町をドライブした。カンデイには湖が南にある。その湖の周りの丘には豪邸が並んでいた。アンナの目に鮮やかな紅葉(もみじ)が見えた。二時間後、テントに戻った。
「カンデイ湖の景色を絵に描きたいわ。明日、湖に連れて行って下さる?」とアンナが運転手に訊いた。
翌朝は土曜日だった。アンナが起きたときには、チャーリーとサタナンドの姿が見えなかった。
「ボーイたちは朝早く起きて、サンドイッチと紅茶の水筒を持って出たのよ。ブラックパールとゴドムを運動させるって笑いながら出て行ったわ。よっぽど嬉しいのね」とアアシリアが起きて目を拳でこすっているアンナに言った。テントの中はストーブに火が入っていて紅茶の甘い香りがしていた。アアシリアが朝食の用意をしていた。朝陽が登ってきた。「外のテーブルで食べよう」とふたりは同時に言って笑った。アンナは何を言ってもコロコロと笑う年頃なのだ。ナンとピーナッツバターと苺のジャム、それに濃い紅茶が美味しかった。
ボーイたちが出て行ってから二時間が経っていた。二頭のサラブレッドを歩かせてから厩舎へ戻って餌と水を与えた。ふたりがテントに帰ってきた。明日の大競馬を胸に描いて興奮していた。ふたりは自信満々に見えた。アンナが「アアシリアとカンデイ湖のダムに紅葉を見に行くのよ」とふたりに言った。
「許可は出たの?」とサタナンド。
「ええ、昨日と同じセダンが使えるってタミールが言ったから、コックニーがOKを出したんでしょう」とアアシリアがサタナンドに心配無用という風に話した。
「ミス・アン、カンデイ湖のピクニックを楽しんで下さい」とサタナンドが笑った。サタナンドは彼女たちが自ら進んで探検するのを喜んでいた。
「コックニーが午後の四時までにキャンプに戻るようにと言っている。今晩、キングたちを招いて大競馬のイブの晩餐会が行われる。私たちも招待されている。女性たちは一番上等のドレスを着るようにとさ」サタナンドが、アアシリアを見詰めていた。
真昼になった。陽が高く空気が暖かかった。サタナンドとチャーリーが厩舎へ戻りブラックパールとゴドムを競馬場へ連れて行った。六十頭の競走馬が午前の部と午後の部に分かれて練習した。練習時間は振り分けられていた。ジョッキーたちと調教師はそれぞれの戦略を練っていた。さらに、他の競争馬の力量を知りたかった。多くの観客が観覧席で見ていた。
「チャーリー、ブラックパールを好きなように走らせろ。この馬は勝ちたいんだ。吐く息で判る。私にはこの馬の心がわかる」とサタナンドがチャーリーに言った。チャーリーが鞭を左手に持って鐙(あぶみ)に足を掛けるとブラックパールに跨った。チャーリーは小柄の少年である。観客の目が黒光りするコルトに軽々と乗った少年の姿を見ていた。ひとりの観客が「あの騎手は若いが…」と言いかけて口をつむいだ。
チャーリーはブラックパールを柵に沿って走らせた。サタナンドが腕時計の秒針を読んでいた。第一コーナー、第二コーナー…時間は完璧だった。それに、サタナンドの前に帰った騎手も馬も疲れをみせなかった。だが、サタナンドは別の計画を持っていた。サタナンドが持っていた画用紙を広げた。画用紙には競馬場の見取り図がクレヨンで描かれていた。アンナが描いたのである。サタナンドがスタートからフィニッシュまでの二キロメートルを、どのようにブラックパールを駆けさせるかチャーリーに詳しい戦略を教えた。「コルト(雄の三歳馬)のレース。これが世界のスポーツの中で最も興奮する二分間なんだよ」とサタナンドが言った。「ブラックパールは、十七頭の馬の中で一番右端の枠から走り出す。サタナンドはクレヨンで赤い線を引いた。遅れて出たからと急いではならない。最後尾の馬に追い付け。ブラックパールの鼻が前の馬の尻に付くくらい真後ろに着けろ。だが追い越してはいけない… 」そこに、サタナンドがX印を付けた。「この第一コーナーで、外側に出て目の前の馬に並べ。ジョッキーは、チャーリーが子供だと知っている。アマチュアだと知っている。だから最後尾の馬と並んでも無視する。この無視されることが大事なんだ。第二コーナーも同じだ。バックストレッチの八百メートルで、先方の馬たちに追い付け。六番目か七番目のポジションに付けろ。リードしているジョッキーたちはそれも無視する。なぜなら君が内側に入ってこないし馬を緩やかに走らせているからだ」
「第三コーナーで…とサタナンドは言ってX印を付けた。リードしている馬の仲間に入れ。スピードも、ポジションも同じだが、この動きは先頭の一団を驚かすだろう。だがレールに近寄ってはいけない。馬の間に居ろ。理由はね、プロの騎手は新参の騎手にトリックを仕掛けるからだ。もし、チャーリーがレールに近寄り過ぎるとブラックパールの首に鞭を当てるんだ。驚いたコルトが柵にぶつかることを期待して…柵にぶつかることは大した問題ではない。だが、もしもブラックパールが柵の支柱に左脚を打ちつけた場合、脚が折れる…」
チャーリーが身震いした。少年はブラックパールを失うことを恐れたのである。
「ラストコーナー、これが最も重要なポイントなんだ」と言ってサタナンドがチャーリーをじっと見詰めた。ふたりの目が五秒間ロックした。チャーリーはトレーナーの指示に最大の集中力を傾けていた。
「ここで勝負に出る。先頭の馬を追い越せ!コーナーを廻るとき、レールに接近しろ!先頭のジョッキーは、ブラックパールに体当たりしてくるだろう。だが、馬がコーナーを廻るとき、その馬は柵の柱にはぶつからない。その理由は遠心力だ。物理学の法則さ。先頭の馬が再び体当たりしてくるかも知れない。そのとき、ブラックパールに鞭をくれろ!ブラックパールは先頭に出る…」
「ボクは一度も、ブラックパールを鞭打ったことがない」とチャーリーが告白した。
「それは願ってもないことだ」とトレーナーそして保護者のサタナンドが言った。
競馬場の近くの農家の雄鶏(おんどり)のトキの声でみんな目を覚ました。――床に着いたばかりなのにとチャーリーは思ったが、テントの上方に陽が射すのが見えた。夜が明ける瞬間だった。
ひとりのタミール、アアシリアとアンナが丘の上のロッジに向かって歩いていた。タミールは背の高い男だった。男は黒いターバンを巻いて左の目に黒いパッチを着けていた。冷酷な目をしていた。男は片目でアアシリアの胸や腰をジロジロと見ていた。アアシリアは二十歳になっていた。彼女はタミールと同じヒンズー教徒だが洗練されたヨーロッパ風の都市であるゴアの出身だった。「あの男を見ないことにしてるの…」とアアシリアが英語で言った。
ロッジの駐車場にダーク・グリーンのオースチンが待っていた。車の中で運転手が待っているのが見えた。降りてきた中年の運手が後ろのドアを開けて「グッドモーニング」とアンナに言った。「グッドモーニング」とアンナとアアシリアが同時に応えた。ふたりは後部座席にすべりこんだ。なめし革の匂いがした。アンナは自動車に五年も乗っていなかった。父親のあずき色のロールス・ロイスを想い出していた。運転手がクランクを廻すとエンジンがかかった。クラシックなオースチンが力強い音を立てた。片目の男が運転台の左座席に座った。ターバンを巻いた頭が天井に着くほどの大男だった。運転手がタミール・ガードを見た。一瞬だったが憎しみのある目であった。運転手はシンハリーズなのだ。ふたりの間に挨拶はなかった。英国製のオースチンは一時間に四十五キロを走る。これは馬の歩行速度の五倍に当たる。カンデイの下町まで三十分のドライブだった。ポプラの並木道に入った。アンナは地図を広げてその並木道がラジャ・ビージャ通りであると記憶した。直角に左へ曲がると商店の看板が見えた。「アーミー・ストアはカンデイにあるの?」アアシリアが運転手にと身を乗り出して訊いた。アーミー・ストアというのは、インド陸軍省の放出品の専門店である。運転手が前方の旗を指さしていた。セイロンの旗が商店街を飾っていた。オースチンが大きな飾り窓のある店の前で停まった。飾り窓に、兵隊服や帽子やブーツ、ダッフルバッグが陳列されていた。アンナがにっこりと笑ったのを、アアシリアは見た。運転手が降りてドアを開けた。
「ゆっくり買い物をして下さい」と英語が流暢だった。
アンナはポーチャー(布で出来た袋)に手を入れると、ルピーの札を六枚取り出して片目のガードと運転手に三ルピーずつ与えた。タミールが珍しく微笑を顔に浮かべた。タミールが隣りのカフェが歩道に並べたテーブルに着くとウエイターに、ビールとピーナッツを注文した。ウエイターは緊張した。タミールの帯にナンブ拳銃のグリップを見たからである。運転手は気の好い人柄だったがタミールに加わらず運転台に残った。
アンナは水筒がフックに着いたダッフルバッグを買った。ついでインド陸軍の戦闘服、帽子、革の手袋、馬の革のブーツを店主に指さしたのである。アアシリアは、アンナが鉛筆でショッピング・リストにチェックするのを見た。アンナは普段には見せない真剣な顔をしていた。――アンナは何かを計画しているんだわ…
アーミー・ストアから出たふたりは隣りのキャンデイストアに入った。アンナは、箱に入ったクッキー、キャラメル、オレンジのソーダ水を買った。彼女はセダンで待っていた運転手にそのソーダ水を上げた。タミールは、コックニーから開放された自由を満喫していた。冷えたビールもこの残虐な男をハッピーにしていた。そのためなのか男はアンナの大きな買い物袋を検査しなかった。買い物の後、カンデイの町をドライブした。カンデイには湖が南にある。その湖の周りの丘には豪邸が並んでいた。アンナの目に鮮やかな紅葉(もみじ)が見えた。二時間後、テントに戻った。
「カンデイ湖の景色を絵に描きたいわ。明日、湖に連れて行って下さる?」とアンナが運転手に訊いた。
翌朝は土曜日だった。アンナが起きたときには、チャーリーとサタナンドの姿が見えなかった。
「ボーイたちは朝早く起きて、サンドイッチと紅茶の水筒を持って出たのよ。ブラックパールとゴドムを運動させるって笑いながら出て行ったわ。よっぽど嬉しいのね」とアアシリアが起きて目を拳でこすっているアンナに言った。テントの中はストーブに火が入っていて紅茶の甘い香りがしていた。アアシリアが朝食の用意をしていた。朝陽が登ってきた。「外のテーブルで食べよう」とふたりは同時に言って笑った。アンナは何を言ってもコロコロと笑う年頃なのだ。ナンとピーナッツバターと苺のジャム、それに濃い紅茶が美味しかった。
ボーイたちが出て行ってから二時間が経っていた。二頭のサラブレッドを歩かせてから厩舎へ戻って餌と水を与えた。ふたりがテントに帰ってきた。明日の大競馬を胸に描いて興奮していた。ふたりは自信満々に見えた。アンナが「アアシリアとカンデイ湖のダムに紅葉を見に行くのよ」とふたりに言った。
「許可は出たの?」とサタナンド。
「ええ、昨日と同じセダンが使えるってタミールが言ったから、コックニーがOKを出したんでしょう」とアアシリアがサタナンドに心配無用という風に話した。
「ミス・アン、カンデイ湖のピクニックを楽しんで下さい」とサタナンドが笑った。サタナンドは彼女たちが自ら進んで探検するのを喜んでいた。
「コックニーが午後の四時までにキャンプに戻るようにと言っている。今晩、キングたちを招いて大競馬のイブの晩餐会が行われる。私たちも招待されている。女性たちは一番上等のドレスを着るようにとさ」サタナンドが、アアシリアを見詰めていた。
真昼になった。陽が高く空気が暖かかった。サタナンドとチャーリーが厩舎へ戻りブラックパールとゴドムを競馬場へ連れて行った。六十頭の競走馬が午前の部と午後の部に分かれて練習した。練習時間は振り分けられていた。ジョッキーたちと調教師はそれぞれの戦略を練っていた。さらに、他の競争馬の力量を知りたかった。多くの観客が観覧席で見ていた。
「チャーリー、ブラックパールを好きなように走らせろ。この馬は勝ちたいんだ。吐く息で判る。私にはこの馬の心がわかる」とサタナンドがチャーリーに言った。チャーリーが鞭を左手に持って鐙(あぶみ)に足を掛けるとブラックパールに跨った。チャーリーは小柄の少年である。観客の目が黒光りするコルトに軽々と乗った少年の姿を見ていた。ひとりの観客が「あの騎手は若いが…」と言いかけて口をつむいだ。
チャーリーはブラックパールを柵に沿って走らせた。サタナンドが腕時計の秒針を読んでいた。第一コーナー、第二コーナー…時間は完璧だった。それに、サタナンドの前に帰った騎手も馬も疲れをみせなかった。だが、サタナンドは別の計画を持っていた。サタナンドが持っていた画用紙を広げた。画用紙には競馬場の見取り図がクレヨンで描かれていた。アンナが描いたのである。サタナンドがスタートからフィニッシュまでの二キロメートルを、どのようにブラックパールを駆けさせるかチャーリーに詳しい戦略を教えた。「コルト(雄の三歳馬)のレース。これが世界のスポーツの中で最も興奮する二分間なんだよ」とサタナンドが言った。「ブラックパールは、十七頭の馬の中で一番右端の枠から走り出す。サタナンドはクレヨンで赤い線を引いた。遅れて出たからと急いではならない。最後尾の馬に追い付け。ブラックパールの鼻が前の馬の尻に付くくらい真後ろに着けろ。だが追い越してはいけない… 」そこに、サタナンドがX印を付けた。「この第一コーナーで、外側に出て目の前の馬に並べ。ジョッキーは、チャーリーが子供だと知っている。アマチュアだと知っている。だから最後尾の馬と並んでも無視する。この無視されることが大事なんだ。第二コーナーも同じだ。バックストレッチの八百メートルで、先方の馬たちに追い付け。六番目か七番目のポジションに付けろ。リードしているジョッキーたちはそれも無視する。なぜなら君が内側に入ってこないし馬を緩やかに走らせているからだ」
「第三コーナーで…とサタナンドは言ってX印を付けた。リードしている馬の仲間に入れ。スピードも、ポジションも同じだが、この動きは先頭の一団を驚かすだろう。だがレールに近寄ってはいけない。馬の間に居ろ。理由はね、プロの騎手は新参の騎手にトリックを仕掛けるからだ。もし、チャーリーがレールに近寄り過ぎるとブラックパールの首に鞭を当てるんだ。驚いたコルトが柵にぶつかることを期待して…柵にぶつかることは大した問題ではない。だが、もしもブラックパールが柵の支柱に左脚を打ちつけた場合、脚が折れる…」
チャーリーが身震いした。少年はブラックパールを失うことを恐れたのである。
「ラストコーナー、これが最も重要なポイントなんだ」と言ってサタナンドがチャーリーをじっと見詰めた。ふたりの目が五秒間ロックした。チャーリーはトレーナーの指示に最大の集中力を傾けていた。
「ここで勝負に出る。先頭の馬を追い越せ!コーナーを廻るとき、レールに接近しろ!先頭のジョッキーは、ブラックパールに体当たりしてくるだろう。だが、馬がコーナーを廻るとき、その馬は柵の柱にはぶつからない。その理由は遠心力だ。物理学の法則さ。先頭の馬が再び体当たりしてくるかも知れない。そのとき、ブラックパールに鞭をくれろ!ブラックパールは先頭に出る…」
「ボクは一度も、ブラックパールを鞭打ったことがない」とチャーリーが告白した。
「それは願ってもないことだ」とトレーナーそして保護者のサタナンドが言った。
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新連載「胡椒の王様」 |
第九章
「カンデイの大競馬があと一週間で開催される」とサタナンドがチャーリーに言った。一九五二年十月のことである。
「アンナとアアシリアも一緒にこれるの?」 チャーリーがサタナンドに訊いた。
「イエス、彼女たちも一緒に行く。コックニーの招待なんだそうだ」
「サタナンド、ボクたちはセイロンへきてから始めて農園を出ることになる。この五年間、警察はボクたちを捜していなかったの?もしも、警官がボクに質問したら、ボクはどう答えればいいの?」
チャーリーの心配は警察が白人のアンナとチャーリーがコックニーの一団に加わっていることを発見したときどうするのだろうという心配なのである。
「チャーリー、警官はシンハリーズなんだ。彼らは私たちを見もしない。なぜなら武装したタミールのガードと一緒だからだ。昨年、ちょっとした誤解から二民族の間に紛争が起きた。十五人のシンハリーズの警官がタミールに殺された」
サタナンドはチャーリーの心配を理解していた。
「それにね、多くの白人がコロンボから競馬を見にカンデイにやってくる…チャーリーは、その一人っていうわけさ」サタナンドの答えは明快だった。少年の顔が明るくなった。
「カンデイにはどうやって行くの?」
「山岳鉄道の始発点バドゥラへトラックで行く。そこからカンデイへ汽車で行く。ブラックパールと他の馬は客車の後ろの貨物車に載せる。四時間の旅なんだ」
サタナンドがチャーリーに鉄道地図を見せた。
「この地図を、ボクにくれる?」チャーリーが訊いた。一瞬、サタナンドが少年の顔を見た。そして、地図を少年に与えた。
コックニーが六人のタミール・ガードを連れていた。他に二人の馬丁(ばてい)、サタナンド、チャーリー、アンナとアアシリア、合計で十三人がバドゥラの駅で汽車に乗り込んだ。一九五二年十月の木曜日の朝だった。ゴットンと蒸気機関車は予定の時間に動きだした。客車は一台である。車掌が来た。「カンデイに午後二時に到着致します」とアナウンスした。「お菓子、パン、ジュース、紅茶、水を車内で買えます」と付け加えた。
コックニーとギャングらも含めた全員が興奮の渦の中にいた。出発の前にサタナンドと馬丁が貨車に行って、十一頭の馬に水と麦を与えた。馬たちはすぐに食べ始めた。水をガブガブと飲み干した。客車の興奮が馬にも移っていた。馬はいなないては、ひずめでガンガン床を踏んでいた。
四時間後、蒸気機関車が客車一台、貨車一台を牽引してカンデイに着いた。バドゥラから来る汽車の終点であった。コックニーとギャングは紅茶と甘い菓子を食うために駅のカフェへ入った。馬丁とサタナンドが馬を貨車から引き出していた。コックニーが「馬を見張れ」と命令した。特にブラックパールを…
アアシリアがひとりのガードに洗面所に行きたいといった。そのガードが立ち上がって彼女たちについて行った。男は洗面所の入り口で見張っていた。カフェの隣に土産屋があった。アアシリアがガードに指さすと「オーケー」とガードが言った。アンナは絵葉書とカンデイの市街地図を買った。アアシリアは口紅と化粧道具一式を買った。ふたりの女性は幸せだった。文明と再び遭遇したからである。
一行はカンデイの市街を観光した。一昔前、カンデイは王国だった。王様は横暴な独裁者だったとか。だがカンデイは日本の京都のように山紫水明の景観と仏教寺院や道路が見事に設計されている古都である。アンナとアアシリアは、その美しさに声も出なかった。ふたりは数人のヨーロッパの婦人を見ていた。ひとりの女性は、夢かしら?と思うほど華麗な羽毛の帽子、カラフルなドレスを着ていた。そして赤いパラソルを手に持って美しい庭園を散歩していた。ひとりの婦人は右手にプードルと左手に娘と手をつないでいた。母と娘がレモンの街路樹のある大通りを歩いていた。「フランス人に違いない…」とアンナはロンドンからパリへ行った休日を想い出していた。カンデイは仏教徒のセンターだが、カソリック教会もある。キリスト教大学もある。ないのはヒンズー教の寺院だけであった。
「仏陀さまに表敬しよう。今度こそ優勝杯を持って帰るように祈れ!」とコックニーが大声で笑った。十一頭の馬のキャラバンはカンデイ駅から二キロ北へ来ていた。カンデイの名所である時計塔のあるロータリーを右に曲がった。マーケット通りである。角にカンデイ警察本署があった。タミールたちは警察署の正門に立っている警官に目もくれなかった。先住民のシンハリーズとインド南部から移住したタミールとは何百年の間、紛争を起こしていた。警察署長は秋の大競馬の期間の停戦を呼びかけた。この二民族は競馬が終わると再び抗争を始めるのである。
キャラバンが歯の寺院の前に着いた。インド象に乗った白人の観光客が一列になって記念写真を撮っていた。象が大好きなチャーリーがにっこりと笑った。チャーリーは十五歳と四ヶ月になっていたが少年のあどけなさが残っていた。サタナンドが馬から降りて蓮の花の上で瞑想している金色の仏陀に合掌した。そこから、キャラバンはカンデイ湖の南岸に沿って競馬場に向かった。右手に収穫の済んだ麦畑が右に広がっていた。数人のシンハリーズの女性が落穂を拾っていた。アンナは、ジャン・フランソワ・ミレーの油絵、落穂拾いを想い浮かべていた。
チャーリーは視力が良かった。その目が競馬場を見ていた。草競馬用のハードルのある草原を見ていた。その外側に土のトラックがあった。チャーリーとブラックパールが奔走する土俵である。心臓の動悸が速くなった…少年は神経質になっていた。のどかな農園では気分が悪くなることがなかったからである。チャーリーはアンナの姿を探した。姉は弟が始めて競馬に出るプレシャーに押し潰されているのがわかった。アンナが右の目を瞑って見せた…そして微笑んだ。アンナはオレンジ色のスカーフを被っていた。それが彼女のカールした髪と十代の少女でありながら成熟した女性の美しさを惹き立たせていた。
ふたりの馬丁、チャーリーとサタナンドが馬を厩舎に連れて行った。ゴドムというフィリイ(雌の三歳馬)が何度も嘶いていた。嘶きが終わるとアタマを左右に振った。
「ゴドムは競馬場の雰囲気に慣れていないんだ」
――サタナンドは、なんでも知っている。――的確に判断するとチャーリーは、二十五歳になった調教師を尊敬していた。
ひとりのガードがアンナとアアシリアをテントに連れて行った。タミールたちが隣りのテントに入るのをアアシリアが見ていた。まだ夕方になっていなかったが、涼しいそよ風が吹いていた。厩舎から帰ってきたサタナンドがストーブに火を入れた。その上にヤカンを置いて湯を沸かした。アンナがクッキーをナップサックから取り出してテーブルの上にある素焼きの鉢に入れた。
「ねえ、アアシリア、明日の朝、カンデイへ買い物に行けないかしら?」とアンナが、アアシリアを見て訊ねた。
「そうね、コックニーに自動車が使えるか聞いてみるわ」アアシリアが答えた。
「自動車ですって?」アンナが驚いていた。
「そうよ、コックニーがサタナンドに――車が要るなら、ロッジのセダンを使えって言ったのよ。キングたちが宿泊してるロッジに運転手付きのセダンが八台あるんだって。コックニーが、――あんたらは、俺たちのジョッキーのシスターだ。車を使えって。あの冷酷なコックニーも心の中では英国人なのよ」
サタナンドがタミールのテントへ行って夕飯を持って帰った。子羊の焼肉と炒めたマハトマ米と胡椒の効いたスープを持って帰った。四人は、おしゃべりしながら、すっかり平らげた。アアシリアが柿の皮をナイフで剥いた。柿はチャーリーの好物だった。四人は、すっかり家族になっていた。テントは二つの部屋に仕切られていた。陽が落ちたばかりだったが、早々と寝ることにした。アンナとアアシリアが一室、チャーリーとサタナンドが夫々のコット(簡易ベッド)にもぐりこんだ。数秒でサタナンドがいびきをかいて寝てしまった。快い疲労が睡眠薬のように効いていたのである。
「カンデイの大競馬があと一週間で開催される」とサタナンドがチャーリーに言った。一九五二年十月のことである。
「アンナとアアシリアも一緒にこれるの?」 チャーリーがサタナンドに訊いた。
「イエス、彼女たちも一緒に行く。コックニーの招待なんだそうだ」
「サタナンド、ボクたちはセイロンへきてから始めて農園を出ることになる。この五年間、警察はボクたちを捜していなかったの?もしも、警官がボクに質問したら、ボクはどう答えればいいの?」
チャーリーの心配は警察が白人のアンナとチャーリーがコックニーの一団に加わっていることを発見したときどうするのだろうという心配なのである。
「チャーリー、警官はシンハリーズなんだ。彼らは私たちを見もしない。なぜなら武装したタミールのガードと一緒だからだ。昨年、ちょっとした誤解から二民族の間に紛争が起きた。十五人のシンハリーズの警官がタミールに殺された」
サタナンドはチャーリーの心配を理解していた。
「それにね、多くの白人がコロンボから競馬を見にカンデイにやってくる…チャーリーは、その一人っていうわけさ」サタナンドの答えは明快だった。少年の顔が明るくなった。
「カンデイにはどうやって行くの?」
「山岳鉄道の始発点バドゥラへトラックで行く。そこからカンデイへ汽車で行く。ブラックパールと他の馬は客車の後ろの貨物車に載せる。四時間の旅なんだ」
サタナンドがチャーリーに鉄道地図を見せた。
「この地図を、ボクにくれる?」チャーリーが訊いた。一瞬、サタナンドが少年の顔を見た。そして、地図を少年に与えた。
コックニーが六人のタミール・ガードを連れていた。他に二人の馬丁(ばてい)、サタナンド、チャーリー、アンナとアアシリア、合計で十三人がバドゥラの駅で汽車に乗り込んだ。一九五二年十月の木曜日の朝だった。ゴットンと蒸気機関車は予定の時間に動きだした。客車は一台である。車掌が来た。「カンデイに午後二時に到着致します」とアナウンスした。「お菓子、パン、ジュース、紅茶、水を車内で買えます」と付け加えた。
コックニーとギャングらも含めた全員が興奮の渦の中にいた。出発の前にサタナンドと馬丁が貨車に行って、十一頭の馬に水と麦を与えた。馬たちはすぐに食べ始めた。水をガブガブと飲み干した。客車の興奮が馬にも移っていた。馬はいなないては、ひずめでガンガン床を踏んでいた。
四時間後、蒸気機関車が客車一台、貨車一台を牽引してカンデイに着いた。バドゥラから来る汽車の終点であった。コックニーとギャングは紅茶と甘い菓子を食うために駅のカフェへ入った。馬丁とサタナンドが馬を貨車から引き出していた。コックニーが「馬を見張れ」と命令した。特にブラックパールを…
アアシリアがひとりのガードに洗面所に行きたいといった。そのガードが立ち上がって彼女たちについて行った。男は洗面所の入り口で見張っていた。カフェの隣に土産屋があった。アアシリアがガードに指さすと「オーケー」とガードが言った。アンナは絵葉書とカンデイの市街地図を買った。アアシリアは口紅と化粧道具一式を買った。ふたりの女性は幸せだった。文明と再び遭遇したからである。
一行はカンデイの市街を観光した。一昔前、カンデイは王国だった。王様は横暴な独裁者だったとか。だがカンデイは日本の京都のように山紫水明の景観と仏教寺院や道路が見事に設計されている古都である。アンナとアアシリアは、その美しさに声も出なかった。ふたりは数人のヨーロッパの婦人を見ていた。ひとりの女性は、夢かしら?と思うほど華麗な羽毛の帽子、カラフルなドレスを着ていた。そして赤いパラソルを手に持って美しい庭園を散歩していた。ひとりの婦人は右手にプードルと左手に娘と手をつないでいた。母と娘がレモンの街路樹のある大通りを歩いていた。「フランス人に違いない…」とアンナはロンドンからパリへ行った休日を想い出していた。カンデイは仏教徒のセンターだが、カソリック教会もある。キリスト教大学もある。ないのはヒンズー教の寺院だけであった。
「仏陀さまに表敬しよう。今度こそ優勝杯を持って帰るように祈れ!」とコックニーが大声で笑った。十一頭の馬のキャラバンはカンデイ駅から二キロ北へ来ていた。カンデイの名所である時計塔のあるロータリーを右に曲がった。マーケット通りである。角にカンデイ警察本署があった。タミールたちは警察署の正門に立っている警官に目もくれなかった。先住民のシンハリーズとインド南部から移住したタミールとは何百年の間、紛争を起こしていた。警察署長は秋の大競馬の期間の停戦を呼びかけた。この二民族は競馬が終わると再び抗争を始めるのである。
キャラバンが歯の寺院の前に着いた。インド象に乗った白人の観光客が一列になって記念写真を撮っていた。象が大好きなチャーリーがにっこりと笑った。チャーリーは十五歳と四ヶ月になっていたが少年のあどけなさが残っていた。サタナンドが馬から降りて蓮の花の上で瞑想している金色の仏陀に合掌した。そこから、キャラバンはカンデイ湖の南岸に沿って競馬場に向かった。右手に収穫の済んだ麦畑が右に広がっていた。数人のシンハリーズの女性が落穂を拾っていた。アンナは、ジャン・フランソワ・ミレーの油絵、落穂拾いを想い浮かべていた。
チャーリーは視力が良かった。その目が競馬場を見ていた。草競馬用のハードルのある草原を見ていた。その外側に土のトラックがあった。チャーリーとブラックパールが奔走する土俵である。心臓の動悸が速くなった…少年は神経質になっていた。のどかな農園では気分が悪くなることがなかったからである。チャーリーはアンナの姿を探した。姉は弟が始めて競馬に出るプレシャーに押し潰されているのがわかった。アンナが右の目を瞑って見せた…そして微笑んだ。アンナはオレンジ色のスカーフを被っていた。それが彼女のカールした髪と十代の少女でありながら成熟した女性の美しさを惹き立たせていた。
ふたりの馬丁、チャーリーとサタナンドが馬を厩舎に連れて行った。ゴドムというフィリイ(雌の三歳馬)が何度も嘶いていた。嘶きが終わるとアタマを左右に振った。
「ゴドムは競馬場の雰囲気に慣れていないんだ」
――サタナンドは、なんでも知っている。――的確に判断するとチャーリーは、二十五歳になった調教師を尊敬していた。
ひとりのガードがアンナとアアシリアをテントに連れて行った。タミールたちが隣りのテントに入るのをアアシリアが見ていた。まだ夕方になっていなかったが、涼しいそよ風が吹いていた。厩舎から帰ってきたサタナンドがストーブに火を入れた。その上にヤカンを置いて湯を沸かした。アンナがクッキーをナップサックから取り出してテーブルの上にある素焼きの鉢に入れた。
「ねえ、アアシリア、明日の朝、カンデイへ買い物に行けないかしら?」とアンナが、アアシリアを見て訊ねた。
「そうね、コックニーに自動車が使えるか聞いてみるわ」アアシリアが答えた。
「自動車ですって?」アンナが驚いていた。
「そうよ、コックニーがサタナンドに――車が要るなら、ロッジのセダンを使えって言ったのよ。キングたちが宿泊してるロッジに運転手付きのセダンが八台あるんだって。コックニーが、――あんたらは、俺たちのジョッキーのシスターだ。車を使えって。あの冷酷なコックニーも心の中では英国人なのよ」
サタナンドがタミールのテントへ行って夕飯を持って帰った。子羊の焼肉と炒めたマハトマ米と胡椒の効いたスープを持って帰った。四人は、おしゃべりしながら、すっかり平らげた。アアシリアが柿の皮をナイフで剥いた。柿はチャーリーの好物だった。四人は、すっかり家族になっていた。テントは二つの部屋に仕切られていた。陽が落ちたばかりだったが、早々と寝ることにした。アンナとアアシリアが一室、チャーリーとサタナンドが夫々のコット(簡易ベッド)にもぐりこんだ。数秒でサタナンドがいびきをかいて寝てしまった。快い疲労が睡眠薬のように効いていたのである。
11/03 | |
新連載「胡椒の王様」 |
第八章
ある朝、コルトを見るためにコックニーが馬小屋にやってきた。チャーリーがブラックパールに麦藁をやっていた。
「チャーリー、おまえは、森に胡椒を取りに行かなくていい。これから、馬の世話をやれ!その黒い子馬を育てろ!」
それを聞いたサタナンドが白い歯を出して、にっこりと笑った。調教師のサタナンドはチャーリーをすでに訓練していた。競馬の騎手に求められるのは、足、腰、腕、背中の筋肉なのである。サタナンドは、騎手志願の少年に筋肉トレーニングの日課を決めた。十二歳の英国の少年は毎日五キロを走った。腕立て伏せは、言われずとも率先してやった。そんなにやると、明日は起きられなくなるよとサタナンドが言うと、チャーリーは笑った。木の枝にぶら下がって、顎が枝の上をクリアするまで頑張った。雨天だろうがカンカン照りの日だろうが…それがチャーリーの日課になった。少年は生きる希望を持ったのである。 チャーリーは、黒い真珠と名付けた子馬が二歳になるまで馬小屋で一緒に寝た。アンと一緒に夕食を食べるとき、聖書を朗読するとき、シャワーを浴びるとき、着替えるときだけ小屋に帰った。
ブラックパールが二歳になった。子馬は背の高い若い馬に育っていた。その日、始めて鞍を着けた。ブラックパールは何が起きるのか知っていたように嘶いた。チヤーリーは、ブラックパールを囲いの中に連れて行って跨った。その日は軽く一時間歩き廻った。サタナンドが柵に腕を置いて何も言わずに見ていた。チャーリーは徐々に乗馬の時間を増やした。やがて、一日に四時間訓練するところまできた。訓練が終わると河へ行って騎手志願の少年と愛馬は水浴した。愛馬の毛が乾くと少年はその黒光りする毛に一時間もブラシを掛けた。
「チャーリー、馬に角砂糖を一日に十五個以上やってはいけない。多くの競馬用の馬は糖尿病なんだ。砂糖を与え過ぎるんだ。糖尿気がある馬は最後の四番コーナーを廻ってラスト・スパートのときになると息が切れる」とチャーリーに忠告をした。
「わかった。砂糖よりも麦藁なんだね?」
チャーリーはサタナンドの忠告を真剣に聞いた。子馬の体重を量り日記に付けた。
一九五一年の初夏がきていた。ミッテントロッター卿がボンベイの埠頭でクイーン・ビクトリア号の甲板に立っている四人に別れの手を振ったあの日から四年が経っていた。四人が海賊に連れ去られた日の出来事は永遠の記憶となった。アンナは十月に十七歳になる。チャーリーは、六月に十五歳の誕生日を迎える。幸運なことにアンナもチャーリーも深刻な病気にならなかった。チャーリーが一度だが日射病に罹った。麦わら帽子を被っていなかったからだ。アンナは茶畑の労働や、食べ物や、粗末な小屋の生活環境に強かった。彼女は風邪を引いても一服の風邪薬で翌朝にはベッドから起き出した。セイロンの人々はスリ・ランカンと自分たちを呼んでいた。彼らは果物や西瓜(すいか)、みかん、柿などの新鮮な成り物以外は煮るか焼くかして食べた。スリ・ランカンの昔からの知恵だった。ふたりはローカルの食習慣に従った。このダイエットが姉弟を救った。
チャーリーは筋肉が発達したハンサムな青年に成長した。アンナは、弟はセクシーだと思った。アンナは成熟した。少女の影はどこにもない若い女性になっていた。胸が大きく豊かだった。――姉はチャーミングだ。コットンのパンツを履いていても気品がある…彼女は、いつか両親と会えると確信している…と弟は思った。
チャーリーが十五歳になったとき、チャーリーはサタナンドの小屋に移った。アアシリアはアンナの小屋に移った。サタナンドは二十四歳、アアシリアは二十一歳、アンナは十八歳の誕生日に近付いていた。この移動はアンナの提案だった。コックニーの管理事務所も同意した。
「一人で行ってはダメよ」
「アンナ、私、大丈夫よ」とアアシリアが笑ってアンナに言った。
アアシリアは茶畑から五〇〇メートル離れたトイレに向かって歩いていた。黒いターバンを頭に巻いたタミールが仲間に目配せした。若いタミールが茶畑を迂回して、アアシリアを尾行していた。十分後、アアシリアがトイレのドアを開けて中に入った。二人のタミールが目配せした。用を済ませたアアシリアが外の水桶に手を入れて洗った。スカーフを解いてその黒髪を洗った。木櫛で梳いた。そしてカミーズという上着を開けて豊かな胸を手ぬぐいで拭いた。タミールのひとりがナイフを手に持っていた。アアシリアが物音に振り向いた。「動くな」と男がナイフをアアシリアの胸に当てて言った。アアシリアの身が凍った。「こっちへ来い」ともう一人が言った。ふたりの男はアアシリアをトイレの後ろに連れて行った。二十一歳のアアシリアは――強姦されると悟った。アアシリアはそれでも抵抗した。だが二人の屈強な男には勝てなかった。草の上に押し倒されて、サルワ(パンツ)を引き裂かれた。男のひとりがパンツを脱いだ。その瞬間…
「ポーン」とあたりの空気を裂く銃声が鳴った。下半身裸の男が倒れた。一人が振り向くと馬が走ってくるのが見えた。撃鉄を引く音がした。男が手を高く挙げた。
「サタナンド、お前を赦してやる」とコクニーが言った。男を射殺したのはサタナンドであった。コクニーは青年を処罰すれば、シンガリーズが反乱を起こすと知っていたのである。
ある朝、コルトを見るためにコックニーが馬小屋にやってきた。チャーリーがブラックパールに麦藁をやっていた。
「チャーリー、おまえは、森に胡椒を取りに行かなくていい。これから、馬の世話をやれ!その黒い子馬を育てろ!」
それを聞いたサタナンドが白い歯を出して、にっこりと笑った。調教師のサタナンドはチャーリーをすでに訓練していた。競馬の騎手に求められるのは、足、腰、腕、背中の筋肉なのである。サタナンドは、騎手志願の少年に筋肉トレーニングの日課を決めた。十二歳の英国の少年は毎日五キロを走った。腕立て伏せは、言われずとも率先してやった。そんなにやると、明日は起きられなくなるよとサタナンドが言うと、チャーリーは笑った。木の枝にぶら下がって、顎が枝の上をクリアするまで頑張った。雨天だろうがカンカン照りの日だろうが…それがチャーリーの日課になった。少年は生きる希望を持ったのである。 チャーリーは、黒い真珠と名付けた子馬が二歳になるまで馬小屋で一緒に寝た。アンと一緒に夕食を食べるとき、聖書を朗読するとき、シャワーを浴びるとき、着替えるときだけ小屋に帰った。
ブラックパールが二歳になった。子馬は背の高い若い馬に育っていた。その日、始めて鞍を着けた。ブラックパールは何が起きるのか知っていたように嘶いた。チヤーリーは、ブラックパールを囲いの中に連れて行って跨った。その日は軽く一時間歩き廻った。サタナンドが柵に腕を置いて何も言わずに見ていた。チャーリーは徐々に乗馬の時間を増やした。やがて、一日に四時間訓練するところまできた。訓練が終わると河へ行って騎手志願の少年と愛馬は水浴した。愛馬の毛が乾くと少年はその黒光りする毛に一時間もブラシを掛けた。
「チャーリー、馬に角砂糖を一日に十五個以上やってはいけない。多くの競馬用の馬は糖尿病なんだ。砂糖を与え過ぎるんだ。糖尿気がある馬は最後の四番コーナーを廻ってラスト・スパートのときになると息が切れる」とチャーリーに忠告をした。
「わかった。砂糖よりも麦藁なんだね?」
チャーリーはサタナンドの忠告を真剣に聞いた。子馬の体重を量り日記に付けた。
一九五一年の初夏がきていた。ミッテントロッター卿がボンベイの埠頭でクイーン・ビクトリア号の甲板に立っている四人に別れの手を振ったあの日から四年が経っていた。四人が海賊に連れ去られた日の出来事は永遠の記憶となった。アンナは十月に十七歳になる。チャーリーは、六月に十五歳の誕生日を迎える。幸運なことにアンナもチャーリーも深刻な病気にならなかった。チャーリーが一度だが日射病に罹った。麦わら帽子を被っていなかったからだ。アンナは茶畑の労働や、食べ物や、粗末な小屋の生活環境に強かった。彼女は風邪を引いても一服の風邪薬で翌朝にはベッドから起き出した。セイロンの人々はスリ・ランカンと自分たちを呼んでいた。彼らは果物や西瓜(すいか)、みかん、柿などの新鮮な成り物以外は煮るか焼くかして食べた。スリ・ランカンの昔からの知恵だった。ふたりはローカルの食習慣に従った。このダイエットが姉弟を救った。
チャーリーは筋肉が発達したハンサムな青年に成長した。アンナは、弟はセクシーだと思った。アンナは成熟した。少女の影はどこにもない若い女性になっていた。胸が大きく豊かだった。――姉はチャーミングだ。コットンのパンツを履いていても気品がある…彼女は、いつか両親と会えると確信している…と弟は思った。
チャーリーが十五歳になったとき、チャーリーはサタナンドの小屋に移った。アアシリアはアンナの小屋に移った。サタナンドは二十四歳、アアシリアは二十一歳、アンナは十八歳の誕生日に近付いていた。この移動はアンナの提案だった。コックニーの管理事務所も同意した。
「一人で行ってはダメよ」
「アンナ、私、大丈夫よ」とアアシリアが笑ってアンナに言った。
アアシリアは茶畑から五〇〇メートル離れたトイレに向かって歩いていた。黒いターバンを頭に巻いたタミールが仲間に目配せした。若いタミールが茶畑を迂回して、アアシリアを尾行していた。十分後、アアシリアがトイレのドアを開けて中に入った。二人のタミールが目配せした。用を済ませたアアシリアが外の水桶に手を入れて洗った。スカーフを解いてその黒髪を洗った。木櫛で梳いた。そしてカミーズという上着を開けて豊かな胸を手ぬぐいで拭いた。タミールのひとりがナイフを手に持っていた。アアシリアが物音に振り向いた。「動くな」と男がナイフをアアシリアの胸に当てて言った。アアシリアの身が凍った。「こっちへ来い」ともう一人が言った。ふたりの男はアアシリアをトイレの後ろに連れて行った。二十一歳のアアシリアは――強姦されると悟った。アアシリアはそれでも抵抗した。だが二人の屈強な男には勝てなかった。草の上に押し倒されて、サルワ(パンツ)を引き裂かれた。男のひとりがパンツを脱いだ。その瞬間…
「ポーン」とあたりの空気を裂く銃声が鳴った。下半身裸の男が倒れた。一人が振り向くと馬が走ってくるのが見えた。撃鉄を引く音がした。男が手を高く挙げた。
「サタナンド、お前を赦してやる」とコクニーが言った。男を射殺したのはサタナンドであった。コクニーは青年を処罰すれば、シンガリーズが反乱を起こすと知っていたのである。
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小室圭、、伊勢の意見 |
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新連載「胡椒の王様」 |
第七章
一九四八年四月八日は、お釈迦さまの誕生日である。サタナンド、彼の両親、弟と幼い妹がアンナとチャーリーの小屋にやってきた。仏教徒の国民祝日なのである。イギリス人のコックニーといえども、この仏教徒のお祝いには勝てなかった。「さあ、ピクニックへ行こう」と御者のサタナンドが馬に鞭を当てた。横に幸せがいっぱいという顔をしたチャーリーが座っていた。馬車のベンチにランチボックスをしっかり抱いて彼らは北の丘へ向かった。アンナとアアシリアは自分たちが作ったビスケットやコメで作ったねじり飴を持っていた。チャーリーは水を汲むバケツ係りなのである。サタナンドが不思議な調べの民謡を口ずさんでいた。前方の丘に幾重にも曲がった道が見えた。馬たちが白い息を吐きながら坂道を登りだした。
「チャーリー、あの青い峰を見てごらん。あの峰の百キロ北の谷間にカンデイがあるんだよ。昔、カンデイは王国だった。仏教徒のセンターなんだよ。シンハリーズの国の心臓なんだ。この四月の八日にカンデイで仏教徒のお祭りがある。いつの日か、歯の寺院を見せてあげるよ」サタナンドの声には、シンハリーズの誇りがあった。
「私の息子は民族主義者なのよ」と青年の母親がアンナに言った。
「はい、そうです。お母さん、ボクは英国人が所有する農園を取り戻したいし、タミールをセイロンから追い出したいんだ」
二頭の馬と六人が公園の入り口に着いた。お釈迦さまが寝ている石像が見えた。チャーリーが飛び降りて走って行った。少年は嬉しさのあまり両手を挙げて空を仰いだ。チャーリーは、十一歳に近くなっていた。赤ちゃんの脂肪が脚から消えていて、ふくらはぎの筋肉が発達し始めている。お母さんに見せてあげたい…アンナが微笑んだ。アアシリアがサタナンドの母親に手を差し伸べた。アンナはお菓子、果物、チャーリーの水バケツを持って降りた。サタナンドがカーペットを草の上に広げた。最後に降りた父親が泉水へ行った。丸い泉水の真ん中に大理石で出来た子供の背丈ぐらいの象が置かれていた。象は鼻を持ち上げていて、その鼻の先から水が流れていた。みんなは手を洗うために並んだ。サタナンドの父親が先に手を洗って、水を口に含むとうがいをした。これが一千五百年の仏教徒の伝統なのであった。次が母親、サタナンド…年功序列の世界なのだ。
チャーリーがサタナンドについて行った。お釈迦さまの石像の前に筵(むしろ)を敷いた。サタナンドが草花を像の周りに立ててある竹筒に差した。チャーリーがそれを見て白菊の花やタンポポを集めた。ふたりは並んで筵の上に膝着いた。目を瞑って手を合わせた。アンナが弟を見ていた。 弟は呟いていた。ママ、今どこにいるの?必ず探し出して助けに行くよ。待っててね…アンナは、弟の頬を涙が流れ落ちるのを見た。
ピクニックは楽しかった。チャーリーがサタナンドにヒンズー語で話していた。チャーリーのヒンズー語の上達の早さにみんなが驚いていた。ふたりは馬の話に夢中になっていた。アンナがスケッチブックと箱に入ったクレヨンを取り出していた。ボンベイの屋敷を出るときから肌身離さず持っていた絵道具なのだ。航海の旅にと父親が買ってくれたドイツ製の写真機は海賊に盗られてしまった。蛇腹式の最新型の写真機だった。アンナがお釈迦さまを描いた。次に遠方に聳え立つ岩山を描いた。
一九四八年六月六日にチャーリーは十一歳になった。アンナは十月十四日まで十三歳だった。チャーリーは楽天的で明るい性格の少年である。少年は滅多に泣かなかった。だが、ときどき想いに沈んでいることは明らかだった。アンナは、ある日の夜中、弟がベッドの中で咽び泣いているのを聞いた。姉は弟を起こした。ついでローソクに灯を点(とも)して聖書を取り出した。
――夜は間もなく終わる。朝が近付いている。闇の行いを横において朝陽の鎧(よろい)を着けよう…
アンナは弟に聖書を読むことを教えた。毎朝が三十分の聖書の朗読で始まった。それと日曜日の午前は、読み、書き、算数を教えた。チャーリーは賢い少年だった。旧約聖書の節を一度聞けば憶えた。十三歳の姉は正しい英語の話し方も教えた。
一九四九年十月。チャーリーは十三歳と四ヶ月になっていた。十月の天候は好かった。天高く馬肥ゆるとセイロンでも言われた。その十月のある日の午後、コックニーとタミールのガードたちが、カンデイの大競馬から帰ってきた。
「チャーリー、あいつら機嫌が悪いぞ。また競馬で入賞しなかったからだ。今までに、この農園の馬が勝ったことがない」とサタナンドがチャーリーに囁いた。
――盛大な競馬が三年ごとにカンデイで行われる。セイロンの農園の主を私たちローカルは、キングと呼んでいる。そのキングや外国の富豪がスポンサーとなって、十月の最初の日曜日をカンデイの大競馬の日と定めているとチャーリーに話した。サタナンドが、ああそうだという顔になった。
「チャンピオンの農園にはね、銀のトロフィー、賞金一万ルピー、ジョッキーには、二十四カラット三オンスの金メダルが与えられる。チャーリー、一九五二年の秋の大競馬で、この農園のためにブラックパールに乗って欲しい」とサタナンドが、チャーリーを驚かしたのである。
この年の春にアラビア種のコルト(雄の子馬)が生まれた。その日、サタナンドがコックニーに、チャーリーにそのコルトをあげてくれと懇願した。その子馬は母馬が茶色一色なのに、体全体が黒光りしていた。チャーリーがブラックパール(黒い真珠)と名付けた。
「ご主人さま、三年後には、コルトもチャーリーもカンデイの大競馬に出る準備が出来ています」
「ボーイは乗馬がうまいのか?」
「今まで、私が訓練したジョッキーの中でベストです」とサタナンドはコックニーの灰色の目から目を離さなかった。
コックニーは、優勝杯を一度も抱いたことがなかった。それがこの男の生涯の夢であった。タミールのジョッキーには心底、うんざりしていた。
「やらせてみろ!」と言って立ち去った。
一九四八年四月八日は、お釈迦さまの誕生日である。サタナンド、彼の両親、弟と幼い妹がアンナとチャーリーの小屋にやってきた。仏教徒の国民祝日なのである。イギリス人のコックニーといえども、この仏教徒のお祝いには勝てなかった。「さあ、ピクニックへ行こう」と御者のサタナンドが馬に鞭を当てた。横に幸せがいっぱいという顔をしたチャーリーが座っていた。馬車のベンチにランチボックスをしっかり抱いて彼らは北の丘へ向かった。アンナとアアシリアは自分たちが作ったビスケットやコメで作ったねじり飴を持っていた。チャーリーは水を汲むバケツ係りなのである。サタナンドが不思議な調べの民謡を口ずさんでいた。前方の丘に幾重にも曲がった道が見えた。馬たちが白い息を吐きながら坂道を登りだした。
「チャーリー、あの青い峰を見てごらん。あの峰の百キロ北の谷間にカンデイがあるんだよ。昔、カンデイは王国だった。仏教徒のセンターなんだよ。シンハリーズの国の心臓なんだ。この四月の八日にカンデイで仏教徒のお祭りがある。いつの日か、歯の寺院を見せてあげるよ」サタナンドの声には、シンハリーズの誇りがあった。
「私の息子は民族主義者なのよ」と青年の母親がアンナに言った。
「はい、そうです。お母さん、ボクは英国人が所有する農園を取り戻したいし、タミールをセイロンから追い出したいんだ」
二頭の馬と六人が公園の入り口に着いた。お釈迦さまが寝ている石像が見えた。チャーリーが飛び降りて走って行った。少年は嬉しさのあまり両手を挙げて空を仰いだ。チャーリーは、十一歳に近くなっていた。赤ちゃんの脂肪が脚から消えていて、ふくらはぎの筋肉が発達し始めている。お母さんに見せてあげたい…アンナが微笑んだ。アアシリアがサタナンドの母親に手を差し伸べた。アンナはお菓子、果物、チャーリーの水バケツを持って降りた。サタナンドがカーペットを草の上に広げた。最後に降りた父親が泉水へ行った。丸い泉水の真ん中に大理石で出来た子供の背丈ぐらいの象が置かれていた。象は鼻を持ち上げていて、その鼻の先から水が流れていた。みんなは手を洗うために並んだ。サタナンドの父親が先に手を洗って、水を口に含むとうがいをした。これが一千五百年の仏教徒の伝統なのであった。次が母親、サタナンド…年功序列の世界なのだ。
チャーリーがサタナンドについて行った。お釈迦さまの石像の前に筵(むしろ)を敷いた。サタナンドが草花を像の周りに立ててある竹筒に差した。チャーリーがそれを見て白菊の花やタンポポを集めた。ふたりは並んで筵の上に膝着いた。目を瞑って手を合わせた。アンナが弟を見ていた。 弟は呟いていた。ママ、今どこにいるの?必ず探し出して助けに行くよ。待っててね…アンナは、弟の頬を涙が流れ落ちるのを見た。
ピクニックは楽しかった。チャーリーがサタナンドにヒンズー語で話していた。チャーリーのヒンズー語の上達の早さにみんなが驚いていた。ふたりは馬の話に夢中になっていた。アンナがスケッチブックと箱に入ったクレヨンを取り出していた。ボンベイの屋敷を出るときから肌身離さず持っていた絵道具なのだ。航海の旅にと父親が買ってくれたドイツ製の写真機は海賊に盗られてしまった。蛇腹式の最新型の写真機だった。アンナがお釈迦さまを描いた。次に遠方に聳え立つ岩山を描いた。
一九四八年六月六日にチャーリーは十一歳になった。アンナは十月十四日まで十三歳だった。チャーリーは楽天的で明るい性格の少年である。少年は滅多に泣かなかった。だが、ときどき想いに沈んでいることは明らかだった。アンナは、ある日の夜中、弟がベッドの中で咽び泣いているのを聞いた。姉は弟を起こした。ついでローソクに灯を点(とも)して聖書を取り出した。
――夜は間もなく終わる。朝が近付いている。闇の行いを横において朝陽の鎧(よろい)を着けよう…
アンナは弟に聖書を読むことを教えた。毎朝が三十分の聖書の朗読で始まった。それと日曜日の午前は、読み、書き、算数を教えた。チャーリーは賢い少年だった。旧約聖書の節を一度聞けば憶えた。十三歳の姉は正しい英語の話し方も教えた。
一九四九年十月。チャーリーは十三歳と四ヶ月になっていた。十月の天候は好かった。天高く馬肥ゆるとセイロンでも言われた。その十月のある日の午後、コックニーとタミールのガードたちが、カンデイの大競馬から帰ってきた。
「チャーリー、あいつら機嫌が悪いぞ。また競馬で入賞しなかったからだ。今までに、この農園の馬が勝ったことがない」とサタナンドがチャーリーに囁いた。
――盛大な競馬が三年ごとにカンデイで行われる。セイロンの農園の主を私たちローカルは、キングと呼んでいる。そのキングや外国の富豪がスポンサーとなって、十月の最初の日曜日をカンデイの大競馬の日と定めているとチャーリーに話した。サタナンドが、ああそうだという顔になった。
「チャンピオンの農園にはね、銀のトロフィー、賞金一万ルピー、ジョッキーには、二十四カラット三オンスの金メダルが与えられる。チャーリー、一九五二年の秋の大競馬で、この農園のためにブラックパールに乗って欲しい」とサタナンドが、チャーリーを驚かしたのである。
この年の春にアラビア種のコルト(雄の子馬)が生まれた。その日、サタナンドがコックニーに、チャーリーにそのコルトをあげてくれと懇願した。その子馬は母馬が茶色一色なのに、体全体が黒光りしていた。チャーリーがブラックパール(黒い真珠)と名付けた。
「ご主人さま、三年後には、コルトもチャーリーもカンデイの大競馬に出る準備が出来ています」
「ボーイは乗馬がうまいのか?」
「今まで、私が訓練したジョッキーの中でベストです」とサタナンドはコックニーの灰色の目から目を離さなかった。
コックニーは、優勝杯を一度も抱いたことがなかった。それがこの男の生涯の夢であった。タミールのジョッキーには心底、うんざりしていた。
「やらせてみろ!」と言って立ち去った。
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新連載「胡椒の王様」 |
第六章
「アンナ、サタナンドが、セイロンが独立したって言ってた。それじゃ、なぜ、ボクたちは紅茶農園の奴隷なの?って訊いたら、サタナンドは頭を振って質問に答えなかった」姉と弟が新しい情報を交換していた。
「チャーリー、アアシリアもBBと同じヒンズーなのよ。ヒンズーというのはヒンズー教徒のことなのよ。だけど、サタナンドは仏教徒のシンハリーズなんだって。ここへ来てからボンベイでは聞かなかった言葉を沢山聞いたわ」アンナとチャーリーが夜食を食べながらしゃべっていた。
「おお…アンナ…サタナンドが、ボクたちにお釈迦さまの石像を見せてくれるって言ってる。北の丘にあるんだって」とチャーリーが興奮していた。
「シンハラって誰のことなの?」チャーリーとサタナンドは馬で胡椒の森に向かっていた。相乗りだが、チャーリーはサタナンドの前で手綱を持っていた。少年は馬に乗るのにヘルプが要らなくなっていた。サタナンドがチャーリーに乗馬のコツを教えたのである。馬に乗って梯子と篭を持った十一人のヒンズーの少年たちが後に続いた。サタナンドは、コックニーに浚われてきた英国の少年の保護者になっていた。
「シンハラは私たちの話す言葉なんだ。私たちはシンハリーズと呼ばれているセイロン島人なんだ。シンハリーズはヒンズーと、どこかから流れてきた海洋民族の混血なんだがインドのヒンズー教徒ではなくて仏教徒なんだよ。私たちは、何千年もこの島の山岳地方に住んでいた。セイロンの八十%が私たちシンハリーズなんだ」
「なぜ農園にシンハリーズがいないの?」
「この土地は私たちのものなんだ。シンハリーズは英国人やインド人の農園で働くことを拒絶している。外国人の農園で日当を貰う生活を拒絶している」
「それじゃあ、どうして、あなたはこの農園にいるの?」チャーリーがサタナンドを振り返った。
「私はこの農園で生まれた。両親がこの農園で雇われていたから。売られたのじゃない。英国人の胡椒の王様に働きたくはない。でも、行くところがない。チャーリー、このセイロンには仕事がない」
「タミールって誰のこと?」少年は質問を続けていた。
「タミール・ナズはヒンズー教徒の中でも最も貧乏なんだ。インドでは、アンタッチャブル(賤民)と言われている。彼らの多くはインド南部に住んでいるんだ。マドラスに集中しているんだよ」
チャーリーはバスコ・ダ・ガのホテルで食べた、こってりとした「カレー・マドラス」を想い出していた。確か赤い山羊の肉が入っていた。
――何百年もの期間、彼らはインド南部から仕事を求めてセイロンにやってきた。インド南部とセイロンは、ネックレスのように、いくつかの小島と岩礁で繋がっているんだ。小船を漕いでセイロンにやってきた。この二月にセイロンが独立した。コロンボにあるセイロン自治議会は八十%で大多数のシンハリーズが選出した代議士が取りし切っている。セイロン議会はタミールに市民権を与えなかった。だからタミールは政府の仕事につけない。セイロン国軍にも入れない。町の警官にもなれない。タミールは、やくざになった。元々、不法移民だったし体格がよく暴力が大好きな連中だし…町のタミールは分離独立を要求している。シンハリーズの政府がそれを認めるわけがない。そこでタミール・ナズたちは農園の私兵になっているわけさ。彼らは武装しており暴力を振るう。タミールは雇われヤクザなんだよ。チャーリー、セイロンは長い歴史を持つ島なんだ」
「ボクね、ようやくタミールが農園にいる理由が判った。――これはタミールの農園だと言っているのを聞いたよ。サタナンド、もしも奴隷が逃げたらどうなるの?」
「去年、若い女奴隷が逃げた。彼女は犬に追っかけられた。ガードに捕まった。彼女は罰として焼印を額に押された。それ以来、誰も逃げなくなった…」
「その若いヒンズーの女性を見たことがある。おでこに火傷の痕があった。丸の中に十字が刻まれていた。誰が可哀そうな女性に動物のように烙印を押したの?」チャーリーは焼き印を額に押される自分を想像して身震いをした。
「コックニーの命令で片目のタミールがやったんだ」
「胡椒の王様は残酷な人間だ。英国はセイロンだけでなく、インドの全ての農園を破壊するべきだ」チャーリーの声に奴隷の主人に対する憎しみがあった。
「アンナ、サタナンドが、セイロンが独立したって言ってた。それじゃ、なぜ、ボクたちは紅茶農園の奴隷なの?って訊いたら、サタナンドは頭を振って質問に答えなかった」姉と弟が新しい情報を交換していた。
「チャーリー、アアシリアもBBと同じヒンズーなのよ。ヒンズーというのはヒンズー教徒のことなのよ。だけど、サタナンドは仏教徒のシンハリーズなんだって。ここへ来てからボンベイでは聞かなかった言葉を沢山聞いたわ」アンナとチャーリーが夜食を食べながらしゃべっていた。
「おお…アンナ…サタナンドが、ボクたちにお釈迦さまの石像を見せてくれるって言ってる。北の丘にあるんだって」とチャーリーが興奮していた。
「シンハラって誰のことなの?」チャーリーとサタナンドは馬で胡椒の森に向かっていた。相乗りだが、チャーリーはサタナンドの前で手綱を持っていた。少年は馬に乗るのにヘルプが要らなくなっていた。サタナンドがチャーリーに乗馬のコツを教えたのである。馬に乗って梯子と篭を持った十一人のヒンズーの少年たちが後に続いた。サタナンドは、コックニーに浚われてきた英国の少年の保護者になっていた。
「シンハラは私たちの話す言葉なんだ。私たちはシンハリーズと呼ばれているセイロン島人なんだ。シンハリーズはヒンズーと、どこかから流れてきた海洋民族の混血なんだがインドのヒンズー教徒ではなくて仏教徒なんだよ。私たちは、何千年もこの島の山岳地方に住んでいた。セイロンの八十%が私たちシンハリーズなんだ」
「なぜ農園にシンハリーズがいないの?」
「この土地は私たちのものなんだ。シンハリーズは英国人やインド人の農園で働くことを拒絶している。外国人の農園で日当を貰う生活を拒絶している」
「それじゃあ、どうして、あなたはこの農園にいるの?」チャーリーがサタナンドを振り返った。
「私はこの農園で生まれた。両親がこの農園で雇われていたから。売られたのじゃない。英国人の胡椒の王様に働きたくはない。でも、行くところがない。チャーリー、このセイロンには仕事がない」
「タミールって誰のこと?」少年は質問を続けていた。
「タミール・ナズはヒンズー教徒の中でも最も貧乏なんだ。インドでは、アンタッチャブル(賤民)と言われている。彼らの多くはインド南部に住んでいるんだ。マドラスに集中しているんだよ」
チャーリーはバスコ・ダ・ガのホテルで食べた、こってりとした「カレー・マドラス」を想い出していた。確か赤い山羊の肉が入っていた。
――何百年もの期間、彼らはインド南部から仕事を求めてセイロンにやってきた。インド南部とセイロンは、ネックレスのように、いくつかの小島と岩礁で繋がっているんだ。小船を漕いでセイロンにやってきた。この二月にセイロンが独立した。コロンボにあるセイロン自治議会は八十%で大多数のシンハリーズが選出した代議士が取りし切っている。セイロン議会はタミールに市民権を与えなかった。だからタミールは政府の仕事につけない。セイロン国軍にも入れない。町の警官にもなれない。タミールは、やくざになった。元々、不法移民だったし体格がよく暴力が大好きな連中だし…町のタミールは分離独立を要求している。シンハリーズの政府がそれを認めるわけがない。そこでタミール・ナズたちは農園の私兵になっているわけさ。彼らは武装しており暴力を振るう。タミールは雇われヤクザなんだよ。チャーリー、セイロンは長い歴史を持つ島なんだ」
「ボクね、ようやくタミールが農園にいる理由が判った。――これはタミールの農園だと言っているのを聞いたよ。サタナンド、もしも奴隷が逃げたらどうなるの?」
「去年、若い女奴隷が逃げた。彼女は犬に追っかけられた。ガードに捕まった。彼女は罰として焼印を額に押された。それ以来、誰も逃げなくなった…」
「その若いヒンズーの女性を見たことがある。おでこに火傷の痕があった。丸の中に十字が刻まれていた。誰が可哀そうな女性に動物のように烙印を押したの?」チャーリーは焼き印を額に押される自分を想像して身震いをした。
「コックニーの命令で片目のタミールがやったんだ」
「胡椒の王様は残酷な人間だ。英国はセイロンだけでなく、インドの全ての農園を破壊するべきだ」チャーリーの声に奴隷の主人に対する憎しみがあった。