08/30 | |
落ちた偶像(放浪その35) |
ロスアンゼルスの南にあるパロス・バルデス半島は海浜の美しい集落。「ロケをパロス・バルデスでやる」と第一助監督が言いに来た。その朝、日本人エキストラ40人と伊勢がバスに乗り込んだ。三船さんはしばらく要らないので、日本に帰国していた。エキストラはクリスマス・ツリーを被って、顔だけだしていた。脚本を読むと、夜明け前、沖に浮上した日本軍の潜水艦から陸戦隊がカッターに分乗して、浜辺にくると書いてあった。カウボーイのスリム・ピケンズがトラックを止めて小便をしているときに、クリスマス・ツリーに取り囲まれて、沖の潜水艦へ連れて行かれる。三船艦長はロスアンゼルスや、アメリカ陸軍の居場所を知りたかった。それだけの撮影に監督チーム、撮影チーム、パナフレックス37を4機、トロッコの線路、カメラを載せるトロッコをトラックに積んで持っって行った。撮影準備が出来るまで、日系二世のエキストラたちはサイコロ博打を興じていた。日本人と日系二世、三世の仲が悪かった。
「何故、連中、仲が悪いんだ?」とスピールバーグが心配顔で伊勢に訊いた。
「俺にもわからない。二世は英語でしか話せないし、戦争中、アメリカ兵だったからだろう」
「そこをうまくやってくれ」
撮影はリハーサルもなく、撮影の前に野外でステーキを焼いて食った。日本人も、二世も遠足気分だった。ビールも出た。夕刻、ロスアンゼルスのリトル・東京で解散した。ローラ・ブラウンに電話を掛けた。25歳のローラは金髪に大きな青い目をしたイギリス系アングロサクソン。和子さんがビーコン・シアターに舞台を作っていたときに現れた。
「私、ローラです。五番街の日本航空で働いている。歌舞伎の舞台を見たいんです」と流ちょうな日本語を話した。聞くと、北海道に日本語を習うために留学したと言った。
「今日は大工が入っていて危険だから、初日に来なさい」
「私、舞台の裏から見たいの」
そこで、ローラを舞台の下の小部屋から見るようにと連れて行った。和子さんとすれ違った。
「あら、美しい人ねえ。ガールフレンド?」
「いや、知り会ったばかり」
JALで働いていると言うと、「JALは広告費をくれたのよ」と和子さんが言った。
最初の出し物は、「義経千本櫻」だった。ローラに猿之助さんを紹介した。和子さん、マッカーサー婦人、猿之助さんと話していると。カメラのフラッシュが暗い劇場を照らした。ニューヨーク・タイムズが写真入りで記事にした。こういうことをやっていると、伊勢は、ニューヨークの日本人の偶像になって行った。メデイアとは恐ろしいものです。ローラが華やかな世界に酔っていた。伊勢を熱っぽい目で見ていた。ローラは、小部屋に腹ばいになって「ワ~」と三千人の観客を見ていた。その夜、ローラとローラのアパートで関係を持った。日本料理を食べた後、ローラをアパートへ送っただけが、こうなった。伊勢は37歳になっていた。ハリウッドへ行くまで、毎夜、弦んでいた。伊勢のブラウン・ストーンのルームに連れて行ってと言った。もちろん、そんなことは出来ない。S子先生のお城だから。
「ローラ、ハリウッドへ来る?」
「週末しか時間がないの」
ローラがビバリーヒルズのスターリング・ホテルにびっくりしていた。食堂があるバーへ行くと、友人になっていたトランぺッターが飲んでいた。
「撮影は面白いか?」
「スタジオは面白い処じゃない。暇が多すぎるんだ」
その終末、ローラをユニバーサル・パークに連れて行った。夕刻、輝寿司に連れて行った。
「ノビさん、ここハリウッドの俳優と女優のたまり場なのね」
「俳優ほど転職が出来ない代物はない。仕事がないと失業者なんだ。ここに来る理由は、監督やプロジューサーに会って、「次の作品を聞き、仕事を貰うことなんだ」
「失業者?」
「俳優は上から下まで、5000人しかいない。ほとんどが失業中なんだよ。それでアクターズ・ギルドに入っている。ハリウッドは失業者の街なんだ」
「ノビさんも撮影が終わったら失業者になるのね?」
「日本人は特にね」
「どうするの?」
「ローラがいるニューヨークに帰る」と伊勢が笑った。
その年のクリスマス、ニューヨークで1941がロードショーを開幕した。伊勢は観て、「ああこれはフロップだな」と思った。フロップとは「当たらない」という意味。伊勢はプチブル(小さい富豪)になっていた。一年ぐらい遊んでいようと想っていた。ロンドンへ行ってもいいなとか。ユニバーシティ街にアパートを借りて、S子先生と別れた。大酒、カードのギャンブルをやって、乱費した。
1980年の四月が来た。郵便箱を開けると、茶色の封筒が入っていた。もう一つ封筒があった。茶色のは、デイレクター・ギルドの小切手が入っていた。数字は忘れたが、6000ドルぐらいだったと思う。白い封筒は、国税庁からだった。0月0日に出頭せよと書いてあった。
その朝、ハリウッドで買ったブランドのジーンズにブランドのネームが書いてあるシャツを着て国税庁へ行った。靴はエッフェル塔が描かれたスニーカーだった。コロンビア映画の野球帽を被ってアパートを出た。
国税庁(IRS)の役人が伊勢をジロジロと観察していた。
「何の要件ですか?」
「さて、オザキさん、あなたは、昨年の所得税を払っていない」
「いくらなんですか?」
「コロンビアから、54000ドルを得ている」
「いくら払えばいいんですか?」
「パ―プロデユースの4500ドルは有税なんです」
「それでは、60000ドルのタックスって、なんぼですか?」
「いや、そう簡単じゃない。スターリング・ホテルの宿泊費もタクサブル。プレイボーイ・マガジンのリムジンもね」
「ええ~?それで?」
「オザキさん、ユ~は、IRSに40000ドルを払わなければならない」
「ええ~?そんなカネないです」
「オザキさん、ずいぶん高いシャツを着ているね。シューズもフランス製だ」
「そう言われてもカネがない」
「10日以内に10000ドル。残りの30000ドルと利息を三年で払わないと連邦プリズンへ行く」と役人が凄んだ。
「何かあったの」と横に寝ていたローラがスタンドの灯を点けると言った。伊勢は無言で、ローラを抱いた。10000を払った。20000ドルのカネが残っていた。偶像が地に落ちた。一周して、また、元に戻ってしまったのである。
~続く~
みなさん、これも嘘っぽいですか?この回顧録が出版されると、出て来る人達は、「ああ、そうだったんだ」と吐息をつくでしょう。
「何故、連中、仲が悪いんだ?」とスピールバーグが心配顔で伊勢に訊いた。
「俺にもわからない。二世は英語でしか話せないし、戦争中、アメリカ兵だったからだろう」
「そこをうまくやってくれ」
撮影はリハーサルもなく、撮影の前に野外でステーキを焼いて食った。日本人も、二世も遠足気分だった。ビールも出た。夕刻、ロスアンゼルスのリトル・東京で解散した。ローラ・ブラウンに電話を掛けた。25歳のローラは金髪に大きな青い目をしたイギリス系アングロサクソン。和子さんがビーコン・シアターに舞台を作っていたときに現れた。
「私、ローラです。五番街の日本航空で働いている。歌舞伎の舞台を見たいんです」と流ちょうな日本語を話した。聞くと、北海道に日本語を習うために留学したと言った。
「今日は大工が入っていて危険だから、初日に来なさい」
「私、舞台の裏から見たいの」
そこで、ローラを舞台の下の小部屋から見るようにと連れて行った。和子さんとすれ違った。
「あら、美しい人ねえ。ガールフレンド?」
「いや、知り会ったばかり」
JALで働いていると言うと、「JALは広告費をくれたのよ」と和子さんが言った。
最初の出し物は、「義経千本櫻」だった。ローラに猿之助さんを紹介した。和子さん、マッカーサー婦人、猿之助さんと話していると。カメラのフラッシュが暗い劇場を照らした。ニューヨーク・タイムズが写真入りで記事にした。こういうことをやっていると、伊勢は、ニューヨークの日本人の偶像になって行った。メデイアとは恐ろしいものです。ローラが華やかな世界に酔っていた。伊勢を熱っぽい目で見ていた。ローラは、小部屋に腹ばいになって「ワ~」と三千人の観客を見ていた。その夜、ローラとローラのアパートで関係を持った。日本料理を食べた後、ローラをアパートへ送っただけが、こうなった。伊勢は37歳になっていた。ハリウッドへ行くまで、毎夜、弦んでいた。伊勢のブラウン・ストーンのルームに連れて行ってと言った。もちろん、そんなことは出来ない。S子先生のお城だから。
「ローラ、ハリウッドへ来る?」
「週末しか時間がないの」
ローラがビバリーヒルズのスターリング・ホテルにびっくりしていた。食堂があるバーへ行くと、友人になっていたトランぺッターが飲んでいた。
「撮影は面白いか?」
「スタジオは面白い処じゃない。暇が多すぎるんだ」
その終末、ローラをユニバーサル・パークに連れて行った。夕刻、輝寿司に連れて行った。
「ノビさん、ここハリウッドの俳優と女優のたまり場なのね」
「俳優ほど転職が出来ない代物はない。仕事がないと失業者なんだ。ここに来る理由は、監督やプロジューサーに会って、「次の作品を聞き、仕事を貰うことなんだ」
「失業者?」
「俳優は上から下まで、5000人しかいない。ほとんどが失業中なんだよ。それでアクターズ・ギルドに入っている。ハリウッドは失業者の街なんだ」
「ノビさんも撮影が終わったら失業者になるのね?」
「日本人は特にね」
「どうするの?」
「ローラがいるニューヨークに帰る」と伊勢が笑った。
その年のクリスマス、ニューヨークで1941がロードショーを開幕した。伊勢は観て、「ああこれはフロップだな」と思った。フロップとは「当たらない」という意味。伊勢はプチブル(小さい富豪)になっていた。一年ぐらい遊んでいようと想っていた。ロンドンへ行ってもいいなとか。ユニバーシティ街にアパートを借りて、S子先生と別れた。大酒、カードのギャンブルをやって、乱費した。
1980年の四月が来た。郵便箱を開けると、茶色の封筒が入っていた。もう一つ封筒があった。茶色のは、デイレクター・ギルドの小切手が入っていた。数字は忘れたが、6000ドルぐらいだったと思う。白い封筒は、国税庁からだった。0月0日に出頭せよと書いてあった。
その朝、ハリウッドで買ったブランドのジーンズにブランドのネームが書いてあるシャツを着て国税庁へ行った。靴はエッフェル塔が描かれたスニーカーだった。コロンビア映画の野球帽を被ってアパートを出た。
国税庁(IRS)の役人が伊勢をジロジロと観察していた。
「何の要件ですか?」
「さて、オザキさん、あなたは、昨年の所得税を払っていない」
「いくらなんですか?」
「コロンビアから、54000ドルを得ている」
「いくら払えばいいんですか?」
「パ―プロデユースの4500ドルは有税なんです」
「それでは、60000ドルのタックスって、なんぼですか?」
「いや、そう簡単じゃない。スターリング・ホテルの宿泊費もタクサブル。プレイボーイ・マガジンのリムジンもね」
「ええ~?それで?」
「オザキさん、ユ~は、IRSに40000ドルを払わなければならない」
「ええ~?そんなカネないです」
「オザキさん、ずいぶん高いシャツを着ているね。シューズもフランス製だ」
「そう言われてもカネがない」
「10日以内に10000ドル。残りの30000ドルと利息を三年で払わないと連邦プリズンへ行く」と役人が凄んだ。
「何かあったの」と横に寝ていたローラがスタンドの灯を点けると言った。伊勢は無言で、ローラを抱いた。10000を払った。20000ドルのカネが残っていた。偶像が地に落ちた。一周して、また、元に戻ってしまったのである。
~続く~
みなさん、これも嘘っぽいですか?この回顧録が出版されると、出て来る人達は、「ああ、そうだったんだ」と吐息をつくでしょう。
08/29 | |
アメリカ人は、アメリカ人になる努力をする、、 |
日本人には、同胞を傷つける性質がある、、
「出る釘は打たれる」という格言はまさに日本人の民族性を語っている。育てようとするのではなく、妨害する。さらに、日本人は疑い深い。何でも疑うというのは、病気なんです。日本人の国、日本は移民を信用しない。移民を取るべきではないが。
伊勢爺の回顧録を、「話がうま過ぎる。嘘っぽい」と思う人は読まなければいい。81歳で嘘をついて、平和に生きれるわけがない。まず、妻のトラストを失う。二人で築いた資産や夫婦関係の崩壊を意味する。伊勢が付き合ってきた友人、コロラドの親戚の者が去って行ったことはない。
アメリカ人を見ていると、会ったことがない人でも助ける。誰かが暴力を受けているのを、「自分に関係ない」と傍観するアメリカ人はいない。ということで、ウクライナなどの戦争に介入する。お節介なんです。タリバンを今でも攻撃している。911・マンハッタンテロの首謀者ビン・ラデインを殺し、最近では、エジプト人の首領をドローンで殺している。伊勢は、金正恩も殺されると思っている。
アメリカで生まれれば、アメリカ市民でも、それは法律上のことで、「アメリカ人になる努力をしないで、アメリカ人にはなれない」という不文律がある。日本人は、日本人になる努力をすることはない。殺人を犯して、保険金を手に入れる者まで、日本人。というわけで、日本人は、他人の為に自分を犠牲にすることはない。自衛隊員や警察官は、不義と闘うアメリカ人に似ていると思う。
日本人の目標って何だろう?政治家は、私腹を肥やすことが目的で、国会議員になる。日本の為ではなく、自分の為です。日本人の人生目標は、物質的に裕福に生きることだろう。これを形而下という。ここが「良き市民になる」という形而上の目標を持つアメリカ人との違いだと思う。これさ、怒られるわな。伊勢
「出る釘は打たれる」という格言はまさに日本人の民族性を語っている。育てようとするのではなく、妨害する。さらに、日本人は疑い深い。何でも疑うというのは、病気なんです。日本人の国、日本は移民を信用しない。移民を取るべきではないが。
伊勢爺の回顧録を、「話がうま過ぎる。嘘っぽい」と思う人は読まなければいい。81歳で嘘をついて、平和に生きれるわけがない。まず、妻のトラストを失う。二人で築いた資産や夫婦関係の崩壊を意味する。伊勢が付き合ってきた友人、コロラドの親戚の者が去って行ったことはない。
アメリカ人を見ていると、会ったことがない人でも助ける。誰かが暴力を受けているのを、「自分に関係ない」と傍観するアメリカ人はいない。ということで、ウクライナなどの戦争に介入する。お節介なんです。タリバンを今でも攻撃している。911・マンハッタンテロの首謀者ビン・ラデインを殺し、最近では、エジプト人の首領をドローンで殺している。伊勢は、金正恩も殺されると思っている。
アメリカで生まれれば、アメリカ市民でも、それは法律上のことで、「アメリカ人になる努力をしないで、アメリカ人にはなれない」という不文律がある。日本人は、日本人になる努力をすることはない。殺人を犯して、保険金を手に入れる者まで、日本人。というわけで、日本人は、他人の為に自分を犠牲にすることはない。自衛隊員や警察官は、不義と闘うアメリカ人に似ていると思う。
日本人の目標って何だろう?政治家は、私腹を肥やすことが目的で、国会議員になる。日本の為ではなく、自分の為です。日本人の人生目標は、物質的に裕福に生きることだろう。これを形而下という。ここが「良き市民になる」という形而上の目標を持つアメリカ人との違いだと思う。これさ、怒られるわな。伊勢
08/29 | |
伊勢がボケているのか、岸田がボケているのか? |
国葬はナンセンス、、
8月末です。安倍前首相の国葬の世論調査は、どのメデイアも、賛成36ぐらいで、反対52だそうです。7月は賛成が反対を上回っていた。さかさまとなった理由は、内閣改造後、自民党議員や閣僚の統一教会との関係が暴かれ、国民が自民党を疑い始めたことだ。萩生田の答弁は見苦し過ぎた。「マザームーン」と韓鶴子に土下座でもするかと思うほど、連呼したイヌもいた。国葬に参加する外国人は6000人と推定されている。一般参加者はもっと多い。警備が出来る状態じゃない。岸田は内政に興味がなく、外交が大好き。国民を国葬で騙すことが出来ると思っている。
岸田政権は岸田の強引な性格が命取りとなる、、
自民党が溶解し始めている。二階が逆張りをしているが、国民を舐めている。岸田政権どころか自民党が崩壊する。これを伊勢は「好い」としている。国政、外交が不安定になるが、自民党に自浄能力ないなら外科手術をする他にオプションはない。そこへ、経済が右下がりに傾斜している。アメリカのエコノミストらは、インフレに利息を上げ続けると取られる連銀のパウエル議長のスピーチを重視している。今年最後の四半期を伊勢は厳しいと見ている。日本を思えば、円安ドル高は進み、傾斜する日本経済に追い打ちなんです。
ところで、伊勢の回想録は面白いですか?ご意見を聞かせてください。伊勢
8月末です。安倍前首相の国葬の世論調査は、どのメデイアも、賛成36ぐらいで、反対52だそうです。7月は賛成が反対を上回っていた。さかさまとなった理由は、内閣改造後、自民党議員や閣僚の統一教会との関係が暴かれ、国民が自民党を疑い始めたことだ。萩生田の答弁は見苦し過ぎた。「マザームーン」と韓鶴子に土下座でもするかと思うほど、連呼したイヌもいた。国葬に参加する外国人は6000人と推定されている。一般参加者はもっと多い。警備が出来る状態じゃない。岸田は内政に興味がなく、外交が大好き。国民を国葬で騙すことが出来ると思っている。
岸田政権は岸田の強引な性格が命取りとなる、、
自民党が溶解し始めている。二階が逆張りをしているが、国民を舐めている。岸田政権どころか自民党が崩壊する。これを伊勢は「好い」としている。国政、外交が不安定になるが、自民党に自浄能力ないなら外科手術をする他にオプションはない。そこへ、経済が右下がりに傾斜している。アメリカのエコノミストらは、インフレに利息を上げ続けると取られる連銀のパウエル議長のスピーチを重視している。今年最後の四半期を伊勢は厳しいと見ている。日本を思えば、円安ドル高は進み、傾斜する日本経済に追い打ちなんです。
ところで、伊勢の回想録は面白いですか?ご意見を聞かせてください。伊勢
08/28 | |
ハリウッドは小さな共同体、、(放浪その34) |
助監督と言うけど、スピールバーグはハリウッドのスター。伊勢の待遇はこうだった。週1500ドル、パープロデユ―スという雑費一日100ドル、コロンビアが持っているビバリーヒルズのスターリング・ホテルの宿泊と食事はコロンビア持ち、プレイボーイ・クラブのリムジンが送迎、助監督は監督組合のメンバーで50年間、映画の収益の一部を受け取る。スピールバーグが受け取るコミッションの125分の1。だが、この高収入には魔が潜んでいた。
ハリウッドはその共同体に入った者だけの世界。一旦、入ると、みんなが「仲間」とみてくれる。なぜ、一介の日本人助監督を重視するのか?それは、何が起きるか判らない世界だから。この共同体を嫌った俳優がいた。それは、マーロン・ブランド。彼には共同体など必要がなかったから。伊勢は、俳優、女優、監督と知り会い、ファーストネームで呼び合う存在になった。どこで会うのかと言うと、コミッサリーという撮影所の中にあるカフェテリア。
或る日、スタジオのワーカーが給料を上げろとストライキをやった。これは、撮影開始の週には儀式のように行われた。プロジューサーは、組合と結果が出ている交渉をした。1984年のトヨタ・ケンタッキーでも同じだった。
やることがないので、コミッサリーへ行った。ロッキーを撮影していたシルベスター・スタローン、ス-パーマンを撮っていたジーン・ハックマンらに会った。俳優も監督もスマイルを絶やさい。これが仲間という合図だった。ジャック・ニコルソンが伊勢にウインクした。その日は撮影はやらず、セットを建てる大工だけが働いていた。ハリウッドは大きく見えるが、産業としては、年5000億ドルぐらいのスケールで、現在は、ほとんどのスタジオは閉めている。化け物屋敷が想像できる。映画産業は地上から消えた。
みなさんは、スリム・ピッケンズをご存じ?スタンレー・キューブリックの「博士の異常な愛情」と言うブラック・コメデイで、カウボーイがICBMに跨ってモスクワに飛んでいく。そのカウ・ボーイ役をピッケンズが演じて、一躍、ハリウッドに踊り出た。
伊勢とスピールバーグは相性が悪かった。スピールバーグが三船さんが演じる潜水艦の艦長のシーン、、
「おい、通訳、短く早く通訳をしろ」
「あのね、日本語と英語は、文法が真っ逆さまなんだ。全てを聞いて、英語にするのに時間がかかる」
伊勢はスピールバーグが横柄な口をきくと、返事もしなかった。それで、どうして、クビにならなかったのか?三船さんと仲が良かったこと。40人の日本人エキストラが伊勢を敬っていたこと。輝さんがマイケル・バトラーの用心棒だったこと。輝さんはスタジオに来ると、「何か問題ある?」と伊勢に訊いた。スピールバーグと仲が悪いと言うと、輝さんがスピールバーグと話していた。当時、輝さんは、ユニバーサル・スタジオの近くに「テル寿司」という豪華なレストランを開いて、俳優、女優、テレビの有名なアンカーなどが客だった。輝さんを敵に回すことは、マイケル・バトラーなどの投資家を失うことになる。スピールバーグにとって、鬼門だった。
撮影が始まって、数日が経った。どっしりとした女性が伊勢に会いにきた。
「アー、ユー、ノブ?」
「イエス。アイ、アム」
女性が書類を鞄から出して、記入するように言った。見ると契約書だった。署名すると、「あなたは、ディレクター・ギルドの会員なのよ」と言った。何のことか判らなかった。シネマ・フォトグラファーのビル・フレイカーが横で笑っていた。ビルは伊勢を可愛がってくれた。スピールバーグが居ないとき、チャップマンというクレーンに取り付けられた撮影機に伊勢を載せて、「好きなように撮ってみな」と言った。パナフレックス37と言う撮影機は三人で動かす。伊勢がファインダーを覗き、撮影技師がクレーンを動かした。「ローリング」と撮影中、スタジオでおしゃべりを禁じた。
スピールバーグが撮ったフイルムを機械にかけて見ていた。
「誰がこれを撮った?」
「のぶ」とフレーカー。
「ベリーグッド」とスピールバーグが言った。
あれから42年が経つ。今でも、監督組合から小切手が送られてくる。1941が公開された1980年には、16000ドルぐらいだったが、今年は44ドルだった(笑い)。
~続く~
ハリウッドはその共同体に入った者だけの世界。一旦、入ると、みんなが「仲間」とみてくれる。なぜ、一介の日本人助監督を重視するのか?それは、何が起きるか判らない世界だから。この共同体を嫌った俳優がいた。それは、マーロン・ブランド。彼には共同体など必要がなかったから。伊勢は、俳優、女優、監督と知り会い、ファーストネームで呼び合う存在になった。どこで会うのかと言うと、コミッサリーという撮影所の中にあるカフェテリア。
或る日、スタジオのワーカーが給料を上げろとストライキをやった。これは、撮影開始の週には儀式のように行われた。プロジューサーは、組合と結果が出ている交渉をした。1984年のトヨタ・ケンタッキーでも同じだった。
やることがないので、コミッサリーへ行った。ロッキーを撮影していたシルベスター・スタローン、ス-パーマンを撮っていたジーン・ハックマンらに会った。俳優も監督もスマイルを絶やさい。これが仲間という合図だった。ジャック・ニコルソンが伊勢にウインクした。その日は撮影はやらず、セットを建てる大工だけが働いていた。ハリウッドは大きく見えるが、産業としては、年5000億ドルぐらいのスケールで、現在は、ほとんどのスタジオは閉めている。化け物屋敷が想像できる。映画産業は地上から消えた。
みなさんは、スリム・ピッケンズをご存じ?スタンレー・キューブリックの「博士の異常な愛情」と言うブラック・コメデイで、カウボーイがICBMに跨ってモスクワに飛んでいく。そのカウ・ボーイ役をピッケンズが演じて、一躍、ハリウッドに踊り出た。
伊勢とスピールバーグは相性が悪かった。スピールバーグが三船さんが演じる潜水艦の艦長のシーン、、
「おい、通訳、短く早く通訳をしろ」
「あのね、日本語と英語は、文法が真っ逆さまなんだ。全てを聞いて、英語にするのに時間がかかる」
伊勢はスピールバーグが横柄な口をきくと、返事もしなかった。それで、どうして、クビにならなかったのか?三船さんと仲が良かったこと。40人の日本人エキストラが伊勢を敬っていたこと。輝さんがマイケル・バトラーの用心棒だったこと。輝さんはスタジオに来ると、「何か問題ある?」と伊勢に訊いた。スピールバーグと仲が悪いと言うと、輝さんがスピールバーグと話していた。当時、輝さんは、ユニバーサル・スタジオの近くに「テル寿司」という豪華なレストランを開いて、俳優、女優、テレビの有名なアンカーなどが客だった。輝さんを敵に回すことは、マイケル・バトラーなどの投資家を失うことになる。スピールバーグにとって、鬼門だった。
撮影が始まって、数日が経った。どっしりとした女性が伊勢に会いにきた。
「アー、ユー、ノブ?」
「イエス。アイ、アム」
女性が書類を鞄から出して、記入するように言った。見ると契約書だった。署名すると、「あなたは、ディレクター・ギルドの会員なのよ」と言った。何のことか判らなかった。シネマ・フォトグラファーのビル・フレイカーが横で笑っていた。ビルは伊勢を可愛がってくれた。スピールバーグが居ないとき、チャップマンというクレーンに取り付けられた撮影機に伊勢を載せて、「好きなように撮ってみな」と言った。パナフレックス37と言う撮影機は三人で動かす。伊勢がファインダーを覗き、撮影技師がクレーンを動かした。「ローリング」と撮影中、スタジオでおしゃべりを禁じた。
スピールバーグが撮ったフイルムを機械にかけて見ていた。
「誰がこれを撮った?」
「のぶ」とフレーカー。
「ベリーグッド」とスピールバーグが言った。
あれから42年が経つ。今でも、監督組合から小切手が送られてくる。1941が公開された1980年には、16000ドルぐらいだったが、今年は44ドルだった(笑い)。
~続く~
08/26 | |
ハリウッド、、(放浪その33) |
シカゴ公演を最後に、S子先生のブラウン・ストーンへ帰った。
「のぶさん、歌舞伎は面白かった?」
「いや、ボクの世界じゃないですね。市川団十郎さんが、ボクを舞台へ連れていって。観客席を指さして、舞台に居る役者と観客は全くちがう世界に生きているんです。演劇に関わってはダメですって言ったんです」
「ほう?華やかな生き方だと思ってた」
「因業の集まりだって言ってた」
「さあ、これからどうしようかな?」と考えていると、電話が鳴った。
「輝です。河岡です」
「ああ、輝さん、お久しぶり」
輝さんがこの金曜日にリムジンで伊勢を迎えに来ると言った。
「何があるんですか?」
「ニューヨーク市長のリンゼイに招かれた」
「リムジン?市長の邸宅はここから近いですよ」
「いや、みんな、リムジンでやってくる」
恰好はタキシードと決まっていると輝さんが言った。伊勢はタキシードを衣装屋からレンタルした。
「あら?どこへ行くの?」とS子先生が怪訝な顔で言った。
「ニューヨーク市長の晩餐に招かれたんです」
「それ、歌舞伎のお土産ね」
輝さんは、空手4段で、アメリカ陸軍の格闘トレーナーだったが、マイケル・バトラーのガードになっていた。マイケル・バトラーは、曾祖父が南北戦争時代にカナダから馬を大量に寄付して、「サー・バトラー」とイギリスの女王から騎士の称号を与えられた。この晩餐会でも「サー・マイケル・バトラー」と紹介された。輝さんが、バトラーはDC8を持っていて、ポロ競技が趣味。馬とマリワナをDC8に載せて世界中でポロをしていたと話した。マイケルがあまりにも散財するので、父親がマイケルに20ミリオンドルを渡して勘当した。マイケルは、ヒッピーの性格があった。ブロードウエーで当たっていたミュージカル「ヘア(毛)」を映画化して、一山当てていた。
「オー、マイケル、元気か」
「スティーブン、未知との遭遇は良かったな」
「のぶさん、これがスティーブン・スピールバーグ」と輝さんが言った。
「ア―ユー、ジャパニーズ?」
「ヤップ」
「俺、日本人の助監督が要るんだ」
スピールバーグが手帳を破いて、「ここへ電話くれ」と電話番号をくれた。「あっ、これが次の仕事だな」と直感した。翌朝、電話を掛けた。電話に出たのはサリー・デニソンというキャステイングのマネジャーだった。何月何日8時にコロンビア・ランチ撮影所へ来いと。コロンビア・ランチ?何のことか判らなかったが、輝さんが教えてくれた。「これは賭けだな」と思ったが、和子さんからカネを貰ったので、バーバンク空港へ飛んだ。ハリウッド・ブルバードのホテルから「着いた」とサリーの秘書に伝えたが、サリーから電話はなかった。暖簾に腕押しなのかと少し不安になった。言われた時間にコロンビア・ランチへ行った。タクシーの窓から「ハリウッド」と書かれた看板が見えた。「スピールバーグの面接に来た」と言うと、門衛が伊勢を通した。
日本人の若者が、応募者は60人もいると言った。「ホワット?騙されたのか?」とカッときた。選抜は9時だと言うので、何か食おうとカフェテリアへ行った。そこへ、三船敏郎さんと若い女性が入ってきた。挨拶をすることにした。「助監督?じゃあ、世話になるんだ」と三船さんがテーブルに招いた。
「これは何の映画なんですか?」
「1941年というクリスマス映画で喜劇なんだよ」
「だから、日本人のエキストラが多いんですね?撮影に何か月要るんですか?」
「9か月だと言っている」
そこへスピールバーグが入ってきた。
「通訳はいないか?」
「ミー」
「オー、ワット、ユア、ネーム?」
スタジオに入った。
「サリー、助監督が決まった」とスピールバーグが大声で言った。三船さんが「じゃあ、ノビさんと呼ぶよ」と笑っていた。
~続く~
「のぶさん、歌舞伎は面白かった?」
「いや、ボクの世界じゃないですね。市川団十郎さんが、ボクを舞台へ連れていって。観客席を指さして、舞台に居る役者と観客は全くちがう世界に生きているんです。演劇に関わってはダメですって言ったんです」
「ほう?華やかな生き方だと思ってた」
「因業の集まりだって言ってた」
「さあ、これからどうしようかな?」と考えていると、電話が鳴った。
「輝です。河岡です」
「ああ、輝さん、お久しぶり」
輝さんがこの金曜日にリムジンで伊勢を迎えに来ると言った。
「何があるんですか?」
「ニューヨーク市長のリンゼイに招かれた」
「リムジン?市長の邸宅はここから近いですよ」
「いや、みんな、リムジンでやってくる」
恰好はタキシードと決まっていると輝さんが言った。伊勢はタキシードを衣装屋からレンタルした。
「あら?どこへ行くの?」とS子先生が怪訝な顔で言った。
「ニューヨーク市長の晩餐に招かれたんです」
「それ、歌舞伎のお土産ね」
輝さんは、空手4段で、アメリカ陸軍の格闘トレーナーだったが、マイケル・バトラーのガードになっていた。マイケル・バトラーは、曾祖父が南北戦争時代にカナダから馬を大量に寄付して、「サー・バトラー」とイギリスの女王から騎士の称号を与えられた。この晩餐会でも「サー・マイケル・バトラー」と紹介された。輝さんが、バトラーはDC8を持っていて、ポロ競技が趣味。馬とマリワナをDC8に載せて世界中でポロをしていたと話した。マイケルがあまりにも散財するので、父親がマイケルに20ミリオンドルを渡して勘当した。マイケルは、ヒッピーの性格があった。ブロードウエーで当たっていたミュージカル「ヘア(毛)」を映画化して、一山当てていた。
「オー、マイケル、元気か」
「スティーブン、未知との遭遇は良かったな」
「のぶさん、これがスティーブン・スピールバーグ」と輝さんが言った。
「ア―ユー、ジャパニーズ?」
「ヤップ」
「俺、日本人の助監督が要るんだ」
スピールバーグが手帳を破いて、「ここへ電話くれ」と電話番号をくれた。「あっ、これが次の仕事だな」と直感した。翌朝、電話を掛けた。電話に出たのはサリー・デニソンというキャステイングのマネジャーだった。何月何日8時にコロンビア・ランチ撮影所へ来いと。コロンビア・ランチ?何のことか判らなかったが、輝さんが教えてくれた。「これは賭けだな」と思ったが、和子さんからカネを貰ったので、バーバンク空港へ飛んだ。ハリウッド・ブルバードのホテルから「着いた」とサリーの秘書に伝えたが、サリーから電話はなかった。暖簾に腕押しなのかと少し不安になった。言われた時間にコロンビア・ランチへ行った。タクシーの窓から「ハリウッド」と書かれた看板が見えた。「スピールバーグの面接に来た」と言うと、門衛が伊勢を通した。
日本人の若者が、応募者は60人もいると言った。「ホワット?騙されたのか?」とカッときた。選抜は9時だと言うので、何か食おうとカフェテリアへ行った。そこへ、三船敏郎さんと若い女性が入ってきた。挨拶をすることにした。「助監督?じゃあ、世話になるんだ」と三船さんがテーブルに招いた。
「これは何の映画なんですか?」
「1941年というクリスマス映画で喜劇なんだよ」
「だから、日本人のエキストラが多いんですね?撮影に何か月要るんですか?」
「9か月だと言っている」
そこへスピールバーグが入ってきた。
「通訳はいないか?」
「ミー」
「オー、ワット、ユア、ネーム?」
スタジオに入った。
「サリー、助監督が決まった」とスピールバーグが大声で言った。三船さんが「じゃあ、ノビさんと呼ぶよ」と笑っていた。
~続く~
08/25 | |
世界の運命はワシントンで決まる、、(放浪その32) |
結局、大西洋の鰻は日本で商品にならなかった。キューバで生まれると書いたけど、アーガッソー岩礁がアンギュラ鰻の発生地とも言われている。日本の鰻はフィリッピン海溝や日本から2000キロメートル南のニューギニアで発生して、黒潮などに乗って遥々やってくる。終戦後16万トンも消費されたけど、現在、5万トン足らずで高価な食べ物となっている。知ったかぶりを辞めますね。
グランド歌舞伎「市川猿之助一座」は、ニューヨークで話題になった。これには日本の高度成長が大きく関わっていた。
「のぶさん、私、おカネがないのよ」
「あれ?日本国際機構なんとかがカネを出していると聞いたけど?日本財団は?」
「政治宣伝に私を利用するだけなのよ」
「チケットは売れてるの?」
「完売だけど、そんなの焼け石に水なのよ。興行が終わったら私、破産だわ」
「破産?では、どうすればいいと思う?」
「明日、私、ソニーの盛田さんと会うの。一緒に来て」
「広告費を貰う?」
「うん、プログラムやテレビの広告にソニーを載せる」
伊勢青年が初めて盛田昭夫さんに会った。57丁目にあったマンハッタンの高層ビルにソニーはアメリカ本社を置いていた。いくら貰ったのか忘れてしまったけど、和子さんがニコニコしていたから5万ドルぐらいかな?伊勢にはものすごいカネだけど、盛田さんは飛ぶ鳥を落とすほどの名声を得ていた。盛田さんはとても気さくな人で、ジミーカーター夫妻に会うと言うと、「よろしくね」と言った。
ニューヨーク公演は上手く行った。猿之助さん、和子さん、伊勢が来客を迎えた。伊勢は劇場を取り仕切っていたので、黒いTシャツ姿だった。「私は、ジューン・マッカーサーです」と品の良い白髪の白人の女性が伊勢に言った。
「ミセス・マッカーサー?」
「イエス」
猿之助さんがびっくりしていた。和子さんはさすがは良家の娘。「ハウ、ドウ、ユー、ドウ?」と夫人の手を両手で握った。
初日の出し物は、黒塚だった。日本の伝説、安達ケ原の鬼婆を猿之助さんが演じた。伊勢が知り会った作曲家のジョン・ケージに感想を訊いた。日本で知られていないジョン・ケージは、音楽に名を遺す人。彼はストラビンンスキーが絶賛したクラッシックと言うか前衛の作曲家。ピアノのキーをポンと押すだけで、3000人が集まった。ケージがこう言った。三味線は良い楽器ではないと。伊勢も三味線は嫌いなので、理由はどうでもよかった。
市川猿之助一座がバスでワシントンに向かった。伊勢の横に女形で観客をうならせた男が座った。優しい声、しぐさ、全てが男と思わせなかった。松竹の団長の00さんが、「のぶさん、女形は恐いよ。惚れられると殺される」と注意した。伊勢は、ケネデイ・センターの向いにあるホテルの鍵を和子さんからもらっていた。部屋に入ると、誰かがベッドに寝ていたと思われた。和子さんのルームだった。香水の臭いが伊勢を悩ませた。「これ、どういう意味なのか?」
一週間の公演が終わった。その夜、日本大使館で晩餐があった。猿之助さんがやってきて、「のぶさん、キッシンジャーが話したいって言っている。通訳お願します」
特に重要な話はなく、記念写真だけだった。伊勢はこのチャンスをのがさなった。ヘンリー・キッシンジンジャーと話した。
「日本に興味があるのか?」
「日本は不思議な国だ。大きなポテンシャルある」と答えた。
ジミーカーター大統領は人好きのする人だった。権威をひけらかす人ではなかった。「ツアーを楽しんでください」とだけ言った。婦人のロザリンはその辺にいる普通のアメリカ女性だった。
猿之助さん、段四郎さんと日本食を食べた。普通の店だったが、猿之助さんが「サンマの焼いたのを食べたい」と言った。和子さんも、猿之助さんも伊勢の二つ年上だった。現在、この人達はどうしているのだろうか。
~続く~
グランド歌舞伎「市川猿之助一座」は、ニューヨークで話題になった。これには日本の高度成長が大きく関わっていた。
「のぶさん、私、おカネがないのよ」
「あれ?日本国際機構なんとかがカネを出していると聞いたけど?日本財団は?」
「政治宣伝に私を利用するだけなのよ」
「チケットは売れてるの?」
「完売だけど、そんなの焼け石に水なのよ。興行が終わったら私、破産だわ」
「破産?では、どうすればいいと思う?」
「明日、私、ソニーの盛田さんと会うの。一緒に来て」
「広告費を貰う?」
「うん、プログラムやテレビの広告にソニーを載せる」
伊勢青年が初めて盛田昭夫さんに会った。57丁目にあったマンハッタンの高層ビルにソニーはアメリカ本社を置いていた。いくら貰ったのか忘れてしまったけど、和子さんがニコニコしていたから5万ドルぐらいかな?伊勢にはものすごいカネだけど、盛田さんは飛ぶ鳥を落とすほどの名声を得ていた。盛田さんはとても気さくな人で、ジミーカーター夫妻に会うと言うと、「よろしくね」と言った。
ニューヨーク公演は上手く行った。猿之助さん、和子さん、伊勢が来客を迎えた。伊勢は劇場を取り仕切っていたので、黒いTシャツ姿だった。「私は、ジューン・マッカーサーです」と品の良い白髪の白人の女性が伊勢に言った。
「ミセス・マッカーサー?」
「イエス」
猿之助さんがびっくりしていた。和子さんはさすがは良家の娘。「ハウ、ドウ、ユー、ドウ?」と夫人の手を両手で握った。
初日の出し物は、黒塚だった。日本の伝説、安達ケ原の鬼婆を猿之助さんが演じた。伊勢が知り会った作曲家のジョン・ケージに感想を訊いた。日本で知られていないジョン・ケージは、音楽に名を遺す人。彼はストラビンンスキーが絶賛したクラッシックと言うか前衛の作曲家。ピアノのキーをポンと押すだけで、3000人が集まった。ケージがこう言った。三味線は良い楽器ではないと。伊勢も三味線は嫌いなので、理由はどうでもよかった。
市川猿之助一座がバスでワシントンに向かった。伊勢の横に女形で観客をうならせた男が座った。優しい声、しぐさ、全てが男と思わせなかった。松竹の団長の00さんが、「のぶさん、女形は恐いよ。惚れられると殺される」と注意した。伊勢は、ケネデイ・センターの向いにあるホテルの鍵を和子さんからもらっていた。部屋に入ると、誰かがベッドに寝ていたと思われた。和子さんのルームだった。香水の臭いが伊勢を悩ませた。「これ、どういう意味なのか?」
一週間の公演が終わった。その夜、日本大使館で晩餐があった。猿之助さんがやってきて、「のぶさん、キッシンジャーが話したいって言っている。通訳お願します」
特に重要な話はなく、記念写真だけだった。伊勢はこのチャンスをのがさなった。ヘンリー・キッシンジンジャーと話した。
「日本に興味があるのか?」
「日本は不思議な国だ。大きなポテンシャルある」と答えた。
ジミーカーター大統領は人好きのする人だった。権威をひけらかす人ではなかった。「ツアーを楽しんでください」とだけ言った。婦人のロザリンはその辺にいる普通のアメリカ女性だった。
猿之助さん、段四郎さんと日本食を食べた。普通の店だったが、猿之助さんが「サンマの焼いたのを食べたい」と言った。和子さんも、猿之助さんも伊勢の二つ年上だった。現在、この人達はどうしているのだろうか。
~続く~
08/24 | |
清酒ムラモト、、(放浪その31) |
山本先生と北カリホルニアのユカヤに飛んだ。1975年頃だろうか。山や草原を持つ人がキャンプを開いた。キャンプが終わっても伊勢はニューヨークに帰らず、サンフランシスコの北にあるソノマに行った。ソノマに3万坪の土地を持つ人が、土地を管理することを条件に村本先生に山小屋を建てた。村本先生は、玄米食の始祖ジョージ・オーサワ先生の愛弟子だった。タキさん事、兵藤孝さんの車で行った。タキさんは、ニューヨークの玄米食レストランを働き者のヤマさんに任せて、新しいベンチャーに乗り出していた。タキさんは清酒を作っていた村本先生に目を付けた。村本先生は「自分で治せる」と言う本を書いて、それがベストセラーになっていた。村本先生はメキシコのネグロと言う海岸で塩を作っていた。先生にはヒッピーの弟子たちがいた。村本先生が一升瓶を持ってきた。麹の味がする素人酒だった。先生は胡坐をかくと、コルクをポンと抜いた。
「タキさん、これを売らないか?」
「はあ?酒はライセンスが厳しいそうですよ」
「塩はどう?」
「買わせていただきます」
サンフランシスコへ戻った。タキさんは現在、ヒルスボロと言われる高級地となった街に家を買って持っていた。
「ノブさん、こういう話しが来ている。アメリカへきた頃お世話になった一ノ瀬さんが、アメリカ鰻の調査でT漁業から調査費を貰った。ボクに調査に加われと言ってきた。今夜、飯を食う。来る?」
ダウンタウンの日本食屋で会った。目付きの鋭い、体格が日本人離れした人が。「河岡輝」ですと自己紹介した。一ノ瀬さんが豪華な寿司をひと樽頼んだが、酒は飲まなかった。
「タキさん、輝と俺は戦友なんだ。ボクが20歳の頃、九州は、台風で洪水になった。住むところを失った。輝と俺は避難民ということでアメリカに渡った。実際は人買いに買われた。ロスアンゼルスの北の葡萄畑で葡萄を摘むのが仕事だった。ある夜、監督の日本人を殴って、逃げた。輝は陸軍に入った。俺はシカゴへ行った。牛を解体する仕事だったけど、奴隷と言っていい。サンフランシスコに行った。もう40なんだよ。輝は子供がいないが、俺には娘がいる」
「一ノ瀬さん、鰻の話を聞かせてください」
こういう話だった。鰻の幼魚はキューバで大雨が降ると生まれる。ヒラメのような形をしていて、透明で体長5センチ。フロリダの川に着く頃は黒くなって、ミミズぐらいになる。「アンギュラ」と呼んでいる。背骨の節が13個。日本の鰻は9個。よって姿が大きいのだと。
「それをどうするんですか?」
「日本に空輸するんだ。タキさん、ノブさん、加わるか?調査費用、5万ドルを貰った」
フロリダからマサチューセッツのケープコッドまでバンで移動した。北へ行けば行くほど鰻は大きくなる。マサチューセッツは湖沼が多く、川に餌を撒くと水面がウナギの群れが盛り上がった。一ノ瀬さんは包丁が上手く、蒲焼きを焼いた。ロングアイランドでは、夜、懐中電灯を持って、銛で魚を突いた。三月ころから鰻の幼魚を獲った。6月の梅雨の時期に収集は終わった。タキさんと伊勢はニューヨークに戻った。72丁目のビアホールへ行った。外のテーブルにジョッキを置いて飲んだ。女性が立ち止まった。
「あら、のぶさん?ずいぶん日焼けしているわね」
「ああ、和子さん、ビーコンシアターに歌舞伎が来るって聞いたよ」
西陣織の龍村家の末っ子、和子さんは女興行師なのだ。
「そうなのよ、ちょっと、話があるのよ。レンゲに行かない?」
話しはこうだった。市川猿之助一座は、ロンドン、カナダのトロントを回ってニューヨークに来ていると。ところが、カンパニー・マネージャーが神経衰弱になり辞めてしまったのだと。
「のぶさん、私を助けて」
伊勢にニューヨークとワシントンのケネデイ・センターで、カンパニー・マネジャーをやって欲しいと龍村和子さんが言った。
「のぶさんが取り仕切ってくれますよ」とタキさんが応援した。その夜、市川猿之助さん、弟の段四郎さんとメシを食った。お二人とも、品の良い人だった。
~続く~
「タキさん、これを売らないか?」
「はあ?酒はライセンスが厳しいそうですよ」
「塩はどう?」
「買わせていただきます」
サンフランシスコへ戻った。タキさんは現在、ヒルスボロと言われる高級地となった街に家を買って持っていた。
「ノブさん、こういう話しが来ている。アメリカへきた頃お世話になった一ノ瀬さんが、アメリカ鰻の調査でT漁業から調査費を貰った。ボクに調査に加われと言ってきた。今夜、飯を食う。来る?」
ダウンタウンの日本食屋で会った。目付きの鋭い、体格が日本人離れした人が。「河岡輝」ですと自己紹介した。一ノ瀬さんが豪華な寿司をひと樽頼んだが、酒は飲まなかった。
「タキさん、輝と俺は戦友なんだ。ボクが20歳の頃、九州は、台風で洪水になった。住むところを失った。輝と俺は避難民ということでアメリカに渡った。実際は人買いに買われた。ロスアンゼルスの北の葡萄畑で葡萄を摘むのが仕事だった。ある夜、監督の日本人を殴って、逃げた。輝は陸軍に入った。俺はシカゴへ行った。牛を解体する仕事だったけど、奴隷と言っていい。サンフランシスコに行った。もう40なんだよ。輝は子供がいないが、俺には娘がいる」
「一ノ瀬さん、鰻の話を聞かせてください」
こういう話だった。鰻の幼魚はキューバで大雨が降ると生まれる。ヒラメのような形をしていて、透明で体長5センチ。フロリダの川に着く頃は黒くなって、ミミズぐらいになる。「アンギュラ」と呼んでいる。背骨の節が13個。日本の鰻は9個。よって姿が大きいのだと。
「それをどうするんですか?」
「日本に空輸するんだ。タキさん、ノブさん、加わるか?調査費用、5万ドルを貰った」
フロリダからマサチューセッツのケープコッドまでバンで移動した。北へ行けば行くほど鰻は大きくなる。マサチューセッツは湖沼が多く、川に餌を撒くと水面がウナギの群れが盛り上がった。一ノ瀬さんは包丁が上手く、蒲焼きを焼いた。ロングアイランドでは、夜、懐中電灯を持って、銛で魚を突いた。三月ころから鰻の幼魚を獲った。6月の梅雨の時期に収集は終わった。タキさんと伊勢はニューヨークに戻った。72丁目のビアホールへ行った。外のテーブルにジョッキを置いて飲んだ。女性が立ち止まった。
「あら、のぶさん?ずいぶん日焼けしているわね」
「ああ、和子さん、ビーコンシアターに歌舞伎が来るって聞いたよ」
西陣織の龍村家の末っ子、和子さんは女興行師なのだ。
「そうなのよ、ちょっと、話があるのよ。レンゲに行かない?」
話しはこうだった。市川猿之助一座は、ロンドン、カナダのトロントを回ってニューヨークに来ていると。ところが、カンパニー・マネージャーが神経衰弱になり辞めてしまったのだと。
「のぶさん、私を助けて」
伊勢にニューヨークとワシントンのケネデイ・センターで、カンパニー・マネジャーをやって欲しいと龍村和子さんが言った。
「のぶさんが取り仕切ってくれますよ」とタキさんが応援した。その夜、市川猿之助さん、弟の段四郎さんとメシを食った。お二人とも、品の良い人だった。
~続く~
08/22 | |
ミセス・ロビンソン、、(放浪その30) |
映画「卒業生」は1967年に公開された。現代の青年に「古い映画」と言わず、是非見てもらいたい。医学生のダスティン・ホフマンにはキャシーというガールフレンドがいた。ある日、キャシーが母親を紹介した。ダスティンは「ミセス・ロビンソン」と呼んだ。ミセス・ロビンソンは富豪と離婚していてプールのある豪邸に住んでいた。貧乏学生のダスティンは、オープンカー、バーがある寝室に目を奪われた。気が着くと、ダスティンはミセス・ロビンソンの性奴隷になっていた。気が着いたキャシーが電話に出なくなった、、
サイモン・ガーファンケル、、
ポール・サイモンが作詞作曲した「ミセス・ロビンソン」は、たちまち、サイモン・ガーファンケルを世界のトップに押し上げた。アメリカの男女を表現するのに適したソングだと思う。ソングは文章、絵、映像で表せないものを表現できる貴重なメデイアなんです。伊勢は書くことが好きだけど、思考が停止したとき、ミュージック、ソングを聞いて創作力が戻るのを待つ。
山本先生と近所に住む背が低いユダヤ人の青年と伊勢が、「レンゲ」と言う72丁目の居酒屋へ行った。テーブルに着くと、周りのアメリカ人が振り向いた。「?」
「ユー、ノウ、ヒム?」
伊勢が首を振ると、
「彼はポール・サイモンよ」
ポールのサインをもらう人が並んだ。
「どうして、ユ~は有名なの?」
「映画のBGMソングを書いた」
映画「卒業生」を観てびっくりした。
ポールが最近引退講演をしたとユーチューブで知った。写真を見ると、普通のユダヤ人だった。銃撃されて亡くなったジョン・レノンを想い、ヨーコさんはどうしているかなと昔の面影を想い浮かべた。ジョンとヨーコさんは、ダコタに住んでいた。山本さんのブラウン・ストーンと隣接していた。ジョンは息子のショーンが1歳のとき、良く遊びにきた。チキンを一緒にクッキングしたこともある。ジョンはインド料理が大好きだった。ジョンは不思議なことに古着屋が好きだった。貰った古着、マレーシアから送ってきた絵葉書はや山本先生に差し上げた。伊勢はこういうものに無頓着で、市川猿之助さんに貰った署名の入った小ズツミも山本先生に差し上げた。
さて、山本S子先生と伊勢の関係。「あった」とも、「なかった」とも書かないに事にした。セミナーの旅に同行を頼まれた。北カリホルニアへよく行った。レイク・タホ、ユカヤ、サンフランシスコ、、S子先生は伊勢に恋をしていた。だけど、14歳も離れていたから無理だった。振り返ると、伊勢は歳が16も若い女性に好かれた。ゲイル、しゅず、、ローラは10歳若かった。
S子先生は、伊勢を心配していた。ローラ・ブラウンが現れたとき、「ノブさん、あの子は良いわよ」と言った。当時の伊勢は全くのウブで、実際、アメリカン・ウーマンは無理だった。今になって、ローラと結婚したら、別れていたと思う。ローラがボスだった。自我が発達しているアメリカの女性は、「従順に従う」ということがない。ローラの話はまたします。
完全な個人主義のアメリカは、男女関係でも世界を驚かせている。同性結婚がいち早く認められた国である。親でも娘の権利を侵すことがない。全て、「それは彼女のライフ」と。相談されれば真摯に応じる。母娘というようりも親友なのです。ロシアユダヤのカレンの母親は高校の先生だったが、友人として娘に向き合っていた。日本ではこうではない。娘はいつまでも娘である。進化中だとは思う。
~続く~
08/21 | |
1971年、、(放浪その29) |
伊勢はアメリカの戦争映画で、この「パットン」が大好き。パットンを演じたジョージ・C・スコットにブロードウエーの劇場で会った。この演説から得た印象はなかった。非常に優しい人だった。「どうして、選ばれたの?」と訊いた。すると、パットンの写真を取り出した。双子のように似ていた。「冒頭の演説を聞いて、自分もアメリカ人になろう」と思った。そうだ、生きるか死ぬかなんだ。演説の中身はこうだ。
<アメリカ人は殺されるよりも殺す方にむいている。アメリカ人は戦争を横目で見ているバカじゃない。親もはっきり知らないバスタードどもを殺すんだ。お前らもバスタードだからだ。アメリカ人は戦争が大好きなんだ。大砲の音、火薬の臭いが大好きなんだ。ナチスは俺たちの敵だ。遠慮なくやれ、、
スコットは、このスピーチを何度も間違え、監督が代替えを考え始めていたと。意地で覚えたと言った。スコットは、オスカー主演男優賞を得た。ものすごい製作費と日数がかかった。資金がなくなるたびに富豪がカネを出してくれた。この映画後、スコットは舞台俳優になった。違う映画に出てパットンのイメージを壊したくなかったそうです。
劇場に招待してくれたのは、山本S子先生だった。スコットは背骨が悪く、山本先生の指圧を受けていたから。トラックの運転手を辞めたころ、伊勢は映画界に入れないものか妄想を描いていた。山本先生に、キャサリンがインドへ行ったこと、自分はトラックの運転手だったことを伝えると食事に誘ってくれた。パンナムビルに近い吉兆という日本食の高級店だった。山本先生は、江戸時代、四国の銀山を掘り当てた住友財閥の遠縁だった。父母は無くなられていたが、山本家はGM 、フォードなどに自動車のゴム製品を売っていた。アメリカ側の輸入業者のジラードさんは、富豪だった。浮浪者とも知らず、伊勢を可愛がってくれた。今想うと、これが自分の幸運なんだと思う。
何も生産性がない一ヶ月が経った。映画も見飽きた。「自分にはアートは向かない」と思うようになっていた。食えなくなればトラックだが、もとに戻ることを拒絶した。伊勢は32歳になった。32歳で方向が決まらない日本人はいないだろう。何かできることはないか?ソニーが、ニューヨークに米国法人を建てた。ニューヨーク・タイムスに「英語で喧嘩できる人を求む」とあった。面接に行った。不合格!後で理由が判った。自称エリートたちは、タクシーやトラックの運転手を見下げていた。だが、12年後、盛田昭夫さんの通訳に選ばれた。選んだのはJTBとサンフランシスコのソニー支社長だった。個人的にゴルフ大会で知り会っっていた。
「尾崎さん、私は73丁目にブラウン・ストーンを借りているの。ルームがあるの。一緒に住まない?」
「いや、そんな上級社会に住むお金がないんです」
「でも見に来る?」
そのブラウン・ストーンはレンガ造りのことで、ニューヨークの風物詩だった。ベランダからセントラル・パークが見えた。山本先生は、医学生のボブ、日本人女性のN子さん、Y子さんと住んでいた。みんな伊勢よりも、5,6歳若かかった。若さとはエネルギー。伊勢は日本人女性をすっかり忘れていた。きびきびと元気が良かった。みんな玄米食の関係だった。今、想うと、この日本人女性たちは山本先生のブラウン・ストーンを足掛かりにして、アメリカ人の配偶者を探していた。伊勢を見向きもしなかった。それは当たり前だ。伊勢はアメリカ市民じゃないから。みんな、山本先生を「S子先生」と呼んでいた。
「S子先生、ボクは無職なんです」
「じゃあ、わたしのアシスタントになって。仕事はいくらでもあるわよ」
住んでみて判ったことは、S子先生はニューヨークの上流社会の中心人物だということ。ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、ポール・サイモン、西陣織の龍村家の和子ヒリア、キャサリン・ヘップバーン、映画「ジョーズ」のシェリフ、ロイ・シュナイダーなどのグルーになっていた。伊勢には何のことかさっぱり分からなかったが、何か気高いものを感じた。
~続く~
08/20 | |
真夜中のカウボウイ、、(放浪その28) |
ニューヨークの映画館で、この「真夜中のカウボウイ」を観たとき、「自分は真夜中のカウボウイだな」と思った。体を売ったことはないけど、似たような生き様だったと今思う。伊勢は81歳。この寂しさはどこから来るのか?思いに沈んでいると、クリステインが伊勢をじっと見ていることに気が着いた。クリステインは、伊勢が初めて結婚して、現在まで、苦難も幸せも共に生きてきた唯一の妻。彼女は伊勢の孤独癖(ローンナー)を理解している。理由を考えてみると、自分は母親にとって良い息子ではなかったことが心を重くしている。自殺を遂行したタッタ一人の弟をなぜ助けられなかったのか?地球の裏側のアメリカからは、当然、無理だったが現在も、伊勢の胸を締め付けている。
キャサリンが去った後、トラックの運ちゃんをやったが、長く続かなかった。1年だっただろうか?ボストンとニューヨークの往復は荷を降ろしたり、積む時間を入れると、16時間なんです。途中、トラックストップで食べたり、燃料を入れ、仮眠する。5回ほど往復した週末、ニューヨークに泊まった。代わりの運ちゃんがトラックを運転してボストンへ帰って行った。次の日、この映画を観た。映画館を出て、ワシントン・スクエアに行った。ミュージシャンがハーモニカを吹いていた。「真夜中のカウボウイ」のテーマソングだ。ハーモニカを聞いていて想った。繊細過ぎる性格の自分は騒音と振動するトラックの環境には合わない。だけど、持ち金が底を着いていた。一ヶ月経った。2500ドルが貯まった。20000ドル稼いだら辞めよう、、そこから先はどうする、、安ホテルで、横浜の母親にエアレターを書いた。この時代、国際電話は自殺的行為だった。
「自分はニューヨークに帰って来るだろう」と思った。ボストンは学園都市だから、キャリアに関心がない放浪者の伊勢には上品過ぎた。女性も全く違う。ニューヨークの女性たちは闘っていた。高学歴の者と労働者に分かれていた。伊勢は高学歴の女性と合わなかったし、劣等感を抱いていた。でも腕に職を着けないとホームレスになる。自分が解らない為に職業が定まらなかった。14年後、クリステインと結婚して初めてキャリアらしいものに出会った。トヨタが伊勢を雇った。万華鏡のように人生が変わって行った。
***今日も疲労が激しく、アタマもふらふら。ここで切りますね。伊勢
~続く~
08/18 | |
とりあえず、みんな嘘つき、、 |
伊勢は予想屋ではないが、岸田改造内閣は頓挫するよ。日本の報道は自民党が圧勝を続けてきた理由が安倍晋三の謀略とさえも見抜けなかった。伊勢は、まだ安倍晋三を崇拝している人がいることに驚いている。山上氏の安倍銃殺事件の大きさがわからないらしい。自民党はガタガタになっていく。いまだに安倍国葬を諦めない岸田には決断力がない。この人間が有事のの最高司令官なんだ。伊勢は中国が台湾、日本に侵略してくると思わないが、中国は、岸田の性格が弱いとみているから何か仕掛けてくる。
闘病中、、
癌の兆候はゼロ。喉も異常はなし。体全体の皮膚の湿疹と闘っている。内服用のステロイドは劇薬。効果は絶大だけど、何時間も寝てしまう。「1週間で落ち着く」と救急のドクター。リンパ液が流れ出ていた脚、足の皮膚が治ってきた。来週は水泳出来る。食欲はあるけど、糖尿病だからリミットがある。ということで、「幸運な男の放浪人生」は明日から再開しますね。伊勢
08/17 | |
劇薬を服用、、 |
抗ヒスタミン剤、服用ステロイドのために昏睡。眠いだけで食欲旺盛。夜に書き換えますね。伊勢
名無し先生
<それと伊勢さんはなぜ安倍晋三を評価されないのですか?
2007年7月の米下院慰安婦決議の前に渡米した安倍晋三を観察していた。安倍は巧みに身代わりする性格だと見抜いた。それ以来、眼を外さなかった。2007年3月頃の隼速報の記事を見てください。伊勢
午前、バイデンはたいへんな法案に署名した、、
日本では報じられていない。1)クリーンエネルギー法、2)製薬会社の独占に規制を掛けて国民の医薬品コストを下げる。3)所得40万ドル以下の家庭に減税。つまり、年収7万ドルの伊勢夫婦は恩恵を受ける。上院共和党は1)に反対票を入れず、棄権したため法案が通過した。
1945年、、
復員してきた兵隊を迎えた3人の歌手アンドリューシスターズが歌った。ヒットナンバー1で、8000万枚のレコードを売った。これが、アメリカ人の世界第二次大戦への気分を表している。全てを明るく受け取っている。現在も変わらないんです。
名無し先生
<それと伊勢さんはなぜ安倍晋三を評価されないのですか?
2007年7月の米下院慰安婦決議の前に渡米した安倍晋三を観察していた。安倍は巧みに身代わりする性格だと見抜いた。それ以来、眼を外さなかった。2007年3月頃の隼速報の記事を見てください。伊勢
午前、バイデンはたいへんな法案に署名した、、
日本では報じられていない。1)クリーンエネルギー法、2)製薬会社の独占に規制を掛けて国民の医薬品コストを下げる。3)所得40万ドル以下の家庭に減税。つまり、年収7万ドルの伊勢夫婦は恩恵を受ける。上院共和党は1)に反対票を入れず、棄権したため法案が通過した。
1945年、、
復員してきた兵隊を迎えた3人の歌手アンドリューシスターズが歌った。ヒットナンバー1で、8000万枚のレコードを売った。これが、アメリカ人の世界第二次大戦への気分を表している。全てを明るく受け取っている。現在も変わらないんです。
08/16 | |
岸田政権は頓死する、、 |
頓死とは急に死ぬこと。巧みに弁解しているが、こいつら体罰を受けるまで反省しないな。それにせよ、悪相な面々だわ。メデイアのみでなく、自民党の中からも追及は続く。見切り発車だが国民の疑問に答えていない。岸田も汚れた政治屋のひとり。潔癖な首相が日本に必要なんだ。
エマニュエル駐日大使はどう見ているのだろうか。アメリカ大使館の中にはCIAが居る。どういう報告をバイデン、ブリンケンにしているのか。ホワイトハウスは自民党の全てを把握している。原則、内政には不干渉でも、アメリカにとって不利益なら圧力が掛かる。伊勢はアメリカに住んでいることを幸運と思う。
今朝、9時に入院して、午後2時に帰宅。皮膚に疾患が起きて、体が火傷を負ったように熱い。内服用のステロイドを一週間飲む。副作用に要注意らしい。伊勢
08/13 | |
グルー (放浪その27) |
「ノブ、私もウッド・ストックに行ったのよ。サッチダナンダがヘリコプターでステージに着陸したの見た?」
「エエ~?誰の事?」
「ヨガのグルーよ。スワミは、スリランカで生まれで、両親は、ヒンズー教徒だったの。ヒンズー教の中から、自分に目覚めること、自分の存在、完全な幸福に至ることの三つの柱を選んだの。スワミはヨガを修行して自分を解放すると教えている」
信徒はサッチダナンダをグルーと呼んでいた。グルーは、教祖のことで、特にインド・ヨガの教祖を差す。スワミ・サッチダナンダがボストンにやって来るとキャシーは興奮していた。伊勢はキャシーがボストンを離れると思った。
キャシーが一週間、スワミのキャンプに行った。ロッドの雁の宿に帰ってきた彼女は、革製のサンダル、コットンの白いサリーを着て、豊かな髪を紫色のフードに包んでいた。伊勢はキャシーの美しさに息を飲んだ。伊勢がほうれん草でマドラスカレーを作った。翌日、キャシーはミチオに会いに行った。別れを告げるためだろう。その夜、キャシーは燃えていた。伊勢を裸にすると、サリーを脱いだ。キャシーが避妊具にクリームを塗って伊勢に渡した。伊勢の頭はどこかへ吹っ飛んでいた。翌朝、キャシーが伊勢を起こした。見ると、普段着を着て、長い黒髪をバンドで止めていた。キャシーが伊勢に紙袋を手渡して、「あとで開けてね」と言った。
「インドへ行くんだね?おカネは持ってるの?」
「ママが旅費をくれたの。キャンプ費を払ったので300ドルしかないけど、大丈夫」
伊勢は乏しいカネを持ってホノルルに着いた日を想い出した。500ドルをキャシーに上げた。そのとき、言いようのない不安が胸に持ち上がった。伊勢はバックパックを手に持ってロッドが運転するダッジの後席に座った。ローガン空港のアラブ首長国航空のカウンターへ行った。ニューデリー行きの出発ゲートまで見送った。出発便のアナウンスがあった。キャシーが伊勢を抱きしめた。「私を待っていてね」と言うと、キャサリン・ボブコースキーはジェットウエイを歩いて行った。伊勢は言葉もなく立ち尽くしていた。
「ロッド、俺ね、仕事が要るんだ。知恵を貸してくれ」
「玄米食のレストランとかあるけど、ノブには合わない。大型トラックの運転出来るか?」
「ライセンスを持っていない」と言うと、ライセンスを取れと言った。「また、運ちゃんか?」と思ったが、給料は高いらしい。大型トラックの教習所は、教習は10日間で、1000ドルを要求した。持ち金は何度数えても、1800ドルだった。再び、綱渡りなのだ。ロッド・ハウスの部屋に戻って、キャシーがくれた紙袋を開けた。浜辺で撮った写真、ミチオ先生のセミナーの写真が入っていた。何か布があった。キャシーのパンティだった。「私を忘れないでね」と書かれたカードがあった。
「お前、運転うまいな。どこで習ったんだ?」
タクシーの運ちゃんだったと言うと、「なるほど」と教官が笑っていた。事故が起きた時どうするとか、トラック運転手の組合に入れとか、給料が良いのは、ボストン、ニューヨーク間で、一往復、200ドルだった。時々、大陸横断があるが、それをボーナスと呼んでいた。だが、大陸横断には、二両連結車の免許が必要だった。急ぐ必要はない。トラックの運転を一生、やる気などない、、
~続~
「エエ~?誰の事?」
「ヨガのグルーよ。スワミは、スリランカで生まれで、両親は、ヒンズー教徒だったの。ヒンズー教の中から、自分に目覚めること、自分の存在、完全な幸福に至ることの三つの柱を選んだの。スワミはヨガを修行して自分を解放すると教えている」
信徒はサッチダナンダをグルーと呼んでいた。グルーは、教祖のことで、特にインド・ヨガの教祖を差す。スワミ・サッチダナンダがボストンにやって来るとキャシーは興奮していた。伊勢はキャシーがボストンを離れると思った。
キャシーが一週間、スワミのキャンプに行った。ロッドの雁の宿に帰ってきた彼女は、革製のサンダル、コットンの白いサリーを着て、豊かな髪を紫色のフードに包んでいた。伊勢はキャシーの美しさに息を飲んだ。伊勢がほうれん草でマドラスカレーを作った。翌日、キャシーはミチオに会いに行った。別れを告げるためだろう。その夜、キャシーは燃えていた。伊勢を裸にすると、サリーを脱いだ。キャシーが避妊具にクリームを塗って伊勢に渡した。伊勢の頭はどこかへ吹っ飛んでいた。翌朝、キャシーが伊勢を起こした。見ると、普段着を着て、長い黒髪をバンドで止めていた。キャシーが伊勢に紙袋を手渡して、「あとで開けてね」と言った。
「インドへ行くんだね?おカネは持ってるの?」
「ママが旅費をくれたの。キャンプ費を払ったので300ドルしかないけど、大丈夫」
伊勢は乏しいカネを持ってホノルルに着いた日を想い出した。500ドルをキャシーに上げた。そのとき、言いようのない不安が胸に持ち上がった。伊勢はバックパックを手に持ってロッドが運転するダッジの後席に座った。ローガン空港のアラブ首長国航空のカウンターへ行った。ニューデリー行きの出発ゲートまで見送った。出発便のアナウンスがあった。キャシーが伊勢を抱きしめた。「私を待っていてね」と言うと、キャサリン・ボブコースキーはジェットウエイを歩いて行った。伊勢は言葉もなく立ち尽くしていた。
「ロッド、俺ね、仕事が要るんだ。知恵を貸してくれ」
「玄米食のレストランとかあるけど、ノブには合わない。大型トラックの運転出来るか?」
「ライセンスを持っていない」と言うと、ライセンスを取れと言った。「また、運ちゃんか?」と思ったが、給料は高いらしい。大型トラックの教習所は、教習は10日間で、1000ドルを要求した。持ち金は何度数えても、1800ドルだった。再び、綱渡りなのだ。ロッド・ハウスの部屋に戻って、キャシーがくれた紙袋を開けた。浜辺で撮った写真、ミチオ先生のセミナーの写真が入っていた。何か布があった。キャシーのパンティだった。「私を忘れないでね」と書かれたカードがあった。
「お前、運転うまいな。どこで習ったんだ?」
タクシーの運ちゃんだったと言うと、「なるほど」と教官が笑っていた。事故が起きた時どうするとか、トラック運転手の組合に入れとか、給料が良いのは、ボストン、ニューヨーク間で、一往復、200ドルだった。時々、大陸横断があるが、それをボーナスと呼んでいた。だが、大陸横断には、二両連結車の免許が必要だった。急ぐ必要はない。トラックの運転を一生、やる気などない、、
~続~
08/12 | |
岸田内閣支持率、、 |
FalconNewsreel
28 minutes ago
わかりやすい世論です。国民が目覚めたと思う。私は在米ですが、6月インフレ9.1%が、7月8.9%。微妙に下げたためにダウが高騰。期待感はイエレンにもあるために、2,3ヶ月でピークアウトするとみる意見が多い。日本は国内経済を引っ張ることが最優先。企業収入が低下したままだから、政府が財布のひもを大きく緩めることを勧めます。たとえ、それが貯金に回ってもです。日本人には、安心立命が重要なんです。伊勢 隼速報
ユーモアに満ちている、、
このブギウギは、終戦の年1945年、兵士の服装、コッペパン帽子のアンドリュウ・シスターズが歌って、踊り、帰還兵を迎えた。レコードが売れた。一千万ドル売った。このBGTはイギリス人の女性たち。リズムを変えている。イギリスは、6歳の小学生にダンスとポップスを教えている珍しい国。アメリカにないです。リズムを幼年時に教えないと一生身に着かない。それで、聴衆が大きな拍手。伊勢爺はイギリスの女性に惹かれている。
08/10 | |
玄米食の宿、、(放浪その26) |
伊勢は42歳で結婚するまで、人生に全く計画がなかった。計画性らしいものはあったが夢を追っていた。大体、一定の場所で一定の職業に就かなかった。出会う人間によって方向も収入も変わった。日本の日本人には起きないことがアメリカでは起きた。今想うと、玄米食は一時的な雁の宿だった。従って、キャサリンは、玄米食では唯一のガールフレンドだった。どうして別れたのかはっきりしないが、結婚しなかったからだと思う。彼女も結婚したいと言わなかった。ただ、伊勢の面前に日本人の女性が現れ日本語で話していたとき、キャサリンは自分は日本人になれないと悟ったようだ。ところがそのS子さんも、ローラが現れたとき、伊勢との結婚はアメリカでは無理だと日本へ帰って行った。
ロッド・ハウスの雁の宿に、デレックという若者が加わった。デレックはベトナム帰還兵というかサンフランシスコのラリーのように「兵隊に適しない」と判断されて兵役を解除された。デレックは朝早く起きると、ランニングシャツに黒いパンツを履いて、鎖の着いたヌンチャックを手に持って庭に出た。香港映画「エンター・ザ・ドラゴン」見てから、ブルース・リーがデレックの神様だった。一方、ロッドは地下室で筋肉トレーニングをやっていた。髪の毛の長いヒッピーたちがロッドを師匠様と呼んで、筋トレに加わった。デレックの弟子になる者もいた。
玄米食はフランスのパリでも広がっていた。フランス人は柔道、剣道の高段者が多くいる。パリから一行がボストンへやってきた。一週間の合宿だった。朝が明けると、ボイルストンからビーコンの丘へマラソンに出かけた。ミチオ先生のセミナーに出て、ボストンを満喫した。
夕方、フランス人の柔道家3人がエキシビジョンをすると大勢が集まった。デレックが前席に座って見ていた。ひと通り演技が終わると、「どなたか相手になりませんか?」と訊いた。数人が手を挙げた。柔道着に着替えると立ち会ったが相手にならない。デレックが手を挙げた。デレックを知らない者はブルース・リーかと思った。デレックが若い選手と向かい合った。審判が手を挙げた。
「持っている技を全部見せろ!」とデレックが言った。ふたりが襟を取った。ズッド~ン。背負い投げが決まった。デレックが畳の上に伸びていた。
10月に近着いていた。キャサリンが雁の宿のみんなで二日間、海岸へ行くと言った。朝、ガールたちが玄米を炊いて、14人分の梅干しのおにぎりを作った。醤油、砂糖、麦茶、やかん、フライパンを持って行った。海岸近くに魚屋があった。海老、鯛、このあたりの海に多いロック・コッドという鱈を買った。夏の家に着いた。家というよりも英国風の両開きの窓のある館だった。キャサリンがワンピースの水着を着ていた。黒い網で出来ていて、下部だけに布があった。日本人が考えない何かがいい。「ママがイタリアで買ってきたのよ」と言った。早速、海に入った。海の中でレスリングをやった。キャシーは力が強かった。伊勢に抱き着くとクチに舌を入れてきた。唇を放すと、伊勢の目をジーっと見た。
「ワット?」
「ノブは、S子が好きなの?」
「いや、別に」
「離れのメイドルームを取ったの。二人だけで居たいから」
~続く~
ロッド・ハウスの雁の宿に、デレックという若者が加わった。デレックはベトナム帰還兵というかサンフランシスコのラリーのように「兵隊に適しない」と判断されて兵役を解除された。デレックは朝早く起きると、ランニングシャツに黒いパンツを履いて、鎖の着いたヌンチャックを手に持って庭に出た。香港映画「エンター・ザ・ドラゴン」見てから、ブルース・リーがデレックの神様だった。一方、ロッドは地下室で筋肉トレーニングをやっていた。髪の毛の長いヒッピーたちがロッドを師匠様と呼んで、筋トレに加わった。デレックの弟子になる者もいた。
玄米食はフランスのパリでも広がっていた。フランス人は柔道、剣道の高段者が多くいる。パリから一行がボストンへやってきた。一週間の合宿だった。朝が明けると、ボイルストンからビーコンの丘へマラソンに出かけた。ミチオ先生のセミナーに出て、ボストンを満喫した。
夕方、フランス人の柔道家3人がエキシビジョンをすると大勢が集まった。デレックが前席に座って見ていた。ひと通り演技が終わると、「どなたか相手になりませんか?」と訊いた。数人が手を挙げた。柔道着に着替えると立ち会ったが相手にならない。デレックが手を挙げた。デレックを知らない者はブルース・リーかと思った。デレックが若い選手と向かい合った。審判が手を挙げた。
「持っている技を全部見せろ!」とデレックが言った。ふたりが襟を取った。ズッド~ン。背負い投げが決まった。デレックが畳の上に伸びていた。
10月に近着いていた。キャサリンが雁の宿のみんなで二日間、海岸へ行くと言った。朝、ガールたちが玄米を炊いて、14人分の梅干しのおにぎりを作った。醤油、砂糖、麦茶、やかん、フライパンを持って行った。海岸近くに魚屋があった。海老、鯛、このあたりの海に多いロック・コッドという鱈を買った。夏の家に着いた。家というよりも英国風の両開きの窓のある館だった。キャサリンがワンピースの水着を着ていた。黒い網で出来ていて、下部だけに布があった。日本人が考えない何かがいい。「ママがイタリアで買ってきたのよ」と言った。早速、海に入った。海の中でレスリングをやった。キャシーは力が強かった。伊勢に抱き着くとクチに舌を入れてきた。唇を放すと、伊勢の目をジーっと見た。
「ワット?」
「ノブは、S子が好きなの?」
「いや、別に」
「離れのメイドルームを取ったの。二人だけで居たいから」
~続く~
08/09 | |
トランプの私邸にFBIが突入、、 |
日本の報道は幼稚と言うか無能なんだね。アメリカの報道では、月曜日の午後6時、FBIが、フロリダのトランプの豪邸であるマー・ラーゴに押し寄せて、金庫をこじ開け、15個のボックスを押収したと報じている。中身はホワイトハウスから持ち出し禁止の書類で、トランプは米国議会に返すよう一年以上も要求されていた。トランプは、「FBIが前大統領の私邸を襲った。アメリカ史上にない暴挙だ。俺を立候補させない民主党の陰謀だ」とわめいている。この公開禁止文書の中には、トランプがフェイクの選挙人を立てて、自分を大統領選の勝者にする計画が記録になっている。もう一つ、2・6日の議事堂乱入事件のホワイトハウス・スタッフの記録がある。公文書を隠したとなり、連邦法違反で有罪になる可能性が高い。伊勢
08/08 | |
トピックス、、 |
伊勢の回想録はネームを想い出すのがたいへん。女性たちの姓名はくっきり。男友達も大体覚えている。自分のペースで核しかないので、時々、トピックスを載せますね。
防衛省が台湾有事や尖閣紛争のときの趣味レーションを公開。大歓迎です。文民統制は基本であっても、武器を持って、戦闘するのは自衛隊です。アメリカはど素人の防衛長官を選ばない。当たり前だけど、日本はそうではない。一体、何を考えているのか理解し難い。岸田文雄は首相になってから現場の自衛隊を訪問したのか?国防に関心がないように思える。中国人にも戦闘機は操れるが、実際、空中戦をやったことがない。海中の潜水艦の搭乗員は溺死する自分を想っているはず。日本人は兵隊に向いている民族。ひとつに「皇室を守る」という観念がある。これは、「日本を守る」ということでは、日本人は結束しているということです。ま。安倍のような国を売った首相がいたが。
伊勢はアニサキスにこう思う。第一に日本人は古来、魚を食べて生きてきた。今、動画で寄生虫の危険や取り除き方が紹介されているが、それは科学教育だから歓迎する。1)魚を丸ごと買って、刺身で食べないこと。2)知られた寿司青木、次郎寿司などは主人がが責任を持って寄生虫を取り除いている。けど、回転寿司は怪しい。3)冷凍してあるから食べても大丈夫と言われても、寄生虫を口に入れるのは気持ちが悪いから、賛成できない。4)築地の魚の卸屋の大手はアニサキス、ブリ線虫を作業で取り除いて出荷している。刺身用は冊(サク)でしか売らない。5)寿司を出すお店は、印象を恐れないで、表示するべきです。
みかん、富有柿、きゅうり。クチナシが咲き、ジャズミンが垣根を乗っ取り、バラが咲いている。
防衛省が台湾有事や尖閣紛争のときの趣味レーションを公開。大歓迎です。文民統制は基本であっても、武器を持って、戦闘するのは自衛隊です。アメリカはど素人の防衛長官を選ばない。当たり前だけど、日本はそうではない。一体、何を考えているのか理解し難い。岸田文雄は首相になってから現場の自衛隊を訪問したのか?国防に関心がないように思える。中国人にも戦闘機は操れるが、実際、空中戦をやったことがない。海中の潜水艦の搭乗員は溺死する自分を想っているはず。日本人は兵隊に向いている民族。ひとつに「皇室を守る」という観念がある。これは、「日本を守る」ということでは、日本人は結束しているということです。ま。安倍のような国を売った首相がいたが。
伊勢はアニサキスにこう思う。第一に日本人は古来、魚を食べて生きてきた。今、動画で寄生虫の危険や取り除き方が紹介されているが、それは科学教育だから歓迎する。1)魚を丸ごと買って、刺身で食べないこと。2)知られた寿司青木、次郎寿司などは主人がが責任を持って寄生虫を取り除いている。けど、回転寿司は怪しい。3)冷凍してあるから食べても大丈夫と言われても、寄生虫を口に入れるのは気持ちが悪いから、賛成できない。4)築地の魚の卸屋の大手はアニサキス、ブリ線虫を作業で取り除いて出荷している。刺身用は冊(サク)でしか売らない。5)寿司を出すお店は、印象を恐れないで、表示するべきです。
みかん、富有柿、きゅうり。クチナシが咲き、ジャズミンが垣根を乗っ取り、バラが咲いている。
08/07 | |
郭公の巣、、(放浪その25) |
筆者は、アメリカの女性をみなさんに知ってもらおうと頭をひねっている。アメリカを旅行しても、留学しても、関係を持って、別れて、彼女たちに謝りたい伊勢の気持ちはわからない。キャサリン・ボブコースキーはそのひとりである。彼女は、ニューヨーク生まれ。パパはポーランド人で、ママはイタリア系だった。伊勢が料理教室で会った年の春、キャサリンは、有名校クーパーユニオン美大の造形科を出た。だが、教師にも、美術館員にも興味がなかった。多感な性格がべトナム戦争に賛成出来ず、逆にラジカルになった。だが、彼女は、ポーランド人とイタリア系の混血。この両民族は過激な性格じゃない。静かに闘う性格。自由主義者の彼女が、玄米食と座禅に傾いた気持ちがよくわかった。山本先生も、ミチオ先生も自由主義者だった。両先生は、「負けるが勝ち」を決めていた。個人をコントロールする政府、自然を破壊する大企業と闘うために玄米食運動に一生を捧げた。伊勢はこの先生方に反抗した。だが、心の大きい先生たちは怒ることがなかった。
伊勢は、1976年、オスカー賞をアメリカ映画史上、最も多く受賞して、アメリカ議会がアメリカの映画として33位を決めた「郭公の巣の上で」という映画に目覚めた。今思うと、これが、山本先生、ミチオ先生、キャサリンの闘いだったんだと。「カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest)」は、ケン・キージーが1962年に発表した同名のベストセラー小説。精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みるストーリー。作者はアメリカ政府が使用を許可したLSDを飲んで幻惑の世界を見た。精神病院がベトナム帰還兵の治療に使っていると知って、記事を書いたが効果がない。そこで、ノベルを書いた。はじめ、ヨーロッパで賞賛された。ベストセラーになった。映画も興行成績1億ドルを超えたが作者は映画を観ずにこの世を去った。これが、ディープ・ステート陰謀論なんです。陰謀はあったし、巨大銀行、石油カルテル、防衛産業を見ると、今もあると思うね。ただ、大衆が気が着いているので限界がある。
28歳の伊勢は所持金$4000ドル弱を持って、キャシーと同棲した。キャシーは23歳で薔薇の花が咲いたように美しかった。彼女はそう思っていなかったようだ。それは、奔放なセックスに現れていた。伊勢は、ジョージアに強姦されていたが、キャシーは伊勢を教育した。
セミナーが終わったある日、キャシーが湖へ行って「泳ごう」と言った。
「かたずけしないでいいの?」
「いいのよ、私は家政婦じゃないから」
キャサリンーは真っ裸になっで湖に走って行った。伊勢も全てを脱いだ。湖底に貝がいた。拾ってみた。アサリじゃない。草の上に寝袋を敷いて休んだ。キャサリンの恥部を黒い毛が覆っていた。茶色の大きな眼が伊勢を見ていた。伊勢は周りが見えなくなった。伊勢は種馬のようになって、彼女に馬乗りになった。すると、簡単にひっくり返された。
「キャシー」
「シー、ドント、トーク」
攻撃が終わるとキャシーは上向きになり、伊勢の手を引っ張った。
明治時代、アムハースト・カレッジを卒業した飯島譲は日本へ帰り同志社大学を作った。マサチューセッツのなだらかな丘陵、針葉樹の森は学園に向いていた。WOKという中華料理屋があり、学生の人気を集めていた。マサチューセッツの学園都市に欠けているのは、爆発するような文化の発信地ニューヨークのエネルギーだった。伊勢はアメリカ人ではない、最も重要な英語もまともでない半端な存在。技術もない。カネもない放浪者なのだ。将来が未知の学生が集まるボストンの環境が合っていた。
キャシーは、ミチオ先生の弟子となって、セミナーのスタッフになった。伊勢は、ボストンで仕事を探した。ボストンは富裕な階級と親のカネで大学へ行く学生の街だった。著しい発展を続けるサンフランシスコを想った。そんなときにロッド・ハウスに会った。ロッドはボストン大学で絵を教えていた。娘がいたが離婚していた。玄米食を信じ、侍が好きなので、眉を剃って、墨で眉を描き、髪をチョンマゲにしていた。家を買って、ヒッピーを住まわせていた。正座して行儀の良いキャシーと胡坐をかいた伊勢を見てロッドはニコニコしていた。ミチオ先生のスタッフ、キャシーと日本人のノブは特別だと家賃を半分にした。伊勢は髪を長くすることにした。
~続く~
伊勢は、1976年、オスカー賞をアメリカ映画史上、最も多く受賞して、アメリカ議会がアメリカの映画として33位を決めた「郭公の巣の上で」という映画に目覚めた。今思うと、これが、山本先生、ミチオ先生、キャサリンの闘いだったんだと。「カッコーの巣の上で(One Flew Over the Cuckoo's Nest)」は、ケン・キージーが1962年に発表した同名のベストセラー小説。精神異常を装って刑務所での強制労働を逃れた男が、患者の人間性までを統制しようとする病院から自由を勝ちとろうと試みるストーリー。作者はアメリカ政府が使用を許可したLSDを飲んで幻惑の世界を見た。精神病院がベトナム帰還兵の治療に使っていると知って、記事を書いたが効果がない。そこで、ノベルを書いた。はじめ、ヨーロッパで賞賛された。ベストセラーになった。映画も興行成績1億ドルを超えたが作者は映画を観ずにこの世を去った。これが、ディープ・ステート陰謀論なんです。陰謀はあったし、巨大銀行、石油カルテル、防衛産業を見ると、今もあると思うね。ただ、大衆が気が着いているので限界がある。
28歳の伊勢は所持金$4000ドル弱を持って、キャシーと同棲した。キャシーは23歳で薔薇の花が咲いたように美しかった。彼女はそう思っていなかったようだ。それは、奔放なセックスに現れていた。伊勢は、ジョージアに強姦されていたが、キャシーは伊勢を教育した。
セミナーが終わったある日、キャシーが湖へ行って「泳ごう」と言った。
「かたずけしないでいいの?」
「いいのよ、私は家政婦じゃないから」
キャサリンーは真っ裸になっで湖に走って行った。伊勢も全てを脱いだ。湖底に貝がいた。拾ってみた。アサリじゃない。草の上に寝袋を敷いて休んだ。キャサリンの恥部を黒い毛が覆っていた。茶色の大きな眼が伊勢を見ていた。伊勢は周りが見えなくなった。伊勢は種馬のようになって、彼女に馬乗りになった。すると、簡単にひっくり返された。
「キャシー」
「シー、ドント、トーク」
攻撃が終わるとキャシーは上向きになり、伊勢の手を引っ張った。
明治時代、アムハースト・カレッジを卒業した飯島譲は日本へ帰り同志社大学を作った。マサチューセッツのなだらかな丘陵、針葉樹の森は学園に向いていた。WOKという中華料理屋があり、学生の人気を集めていた。マサチューセッツの学園都市に欠けているのは、爆発するような文化の発信地ニューヨークのエネルギーだった。伊勢はアメリカ人ではない、最も重要な英語もまともでない半端な存在。技術もない。カネもない放浪者なのだ。将来が未知の学生が集まるボストンの環境が合っていた。
キャシーは、ミチオ先生の弟子となって、セミナーのスタッフになった。伊勢は、ボストンで仕事を探した。ボストンは富裕な階級と親のカネで大学へ行く学生の街だった。著しい発展を続けるサンフランシスコを想った。そんなときにロッド・ハウスに会った。ロッドはボストン大学で絵を教えていた。娘がいたが離婚していた。玄米食を信じ、侍が好きなので、眉を剃って、墨で眉を描き、髪をチョンマゲにしていた。家を買って、ヒッピーを住まわせていた。正座して行儀の良いキャシーと胡坐をかいた伊勢を見てロッドはニコニコしていた。ミチオ先生のスタッフ、キャシーと日本人のノブは特別だと家賃を半分にした。伊勢は髪を長くすることにした。
~続く~
08/06 | |
フェミニズムに直撃される、、(放浪その24) |
フェミニズムと言われる女権運動はいつ始まったんだろうか?伊勢がハワイに着いた1967年の女性は一昔前の女性だったと思う。慎みも、はじかみもあった。男が徴兵された時代だったからだと思う。ポルノというワードも、ポルノ映画館もなかった。ポルノ映画館が出始めたのは、べトナム戦争後だった。以前には法律があったのだろうか?ポルノ解禁に「あっと」驚いたわけではなく、自然にそうなっていた。フェミニズムは伊勢が想像していたものではなかった。男女同権などと言うものではなく、アメリカの女性が開き直ったということなのだ。
キャサリンは、和風の割烹着を着て、おなかの下に手を合わせ、丁寧にお辞儀した。ヨーロッパ人だと思った。天衣無縫なジョージアと違う。キャシーは漆黒の髪を坂本龍馬のように束ねていた・インスインスが長く、太く、大きなブラウンの眼で見つめられると、周りの人が見えなくなり、たった二人だけの世界になった。割烹着を着ているので、小柄に見えた。
料理教室はセントラルパークが見える八番街と72丁目の角にある「ダコタ」と呼ばれるビルの一室でやっていた。門衛がいて、驚いたが理由は最上階にジョン・レノンとヨーコ・オノが住んでいたからだ。パチパチパチと握手が沸いた。山本先生が黒板に白墨で書いた「マクロ・バイオティック」という文字で始まった。魚介類は好しとするも肉を禁止していた。ミートと言わず、レッド・ミートと言った。「ジョージ・オオサワ」と山本先生が言った。玄米食運動の創始者だった。肉食をやめて、穀物、そば、野菜のシンプルな食習慣は現代の複雑な環境を生きるのに適していると座禅と一緒に教えた。参加者は豆本を持っていた。玄米教ではないが、その豆本は聖書なのだ。1ページ目に陰陽五行説の図が書いてあった。キャシーが新聞を配った。東西ジャーナルと言う玄米食運動の機関紙で発行人は、ミチオ・クシ。眼鏡をかけた痩せた人で学者風だった。玄米食運動の本部はボストンにあった。
「みなさん、毎年夏に、行うキャンプは、今年はマサチューセッツのアムハーストカレッジのキャンパスで開きます」と山本先生が新聞の広告欄を指さした。宿舎はカレッジの学生寮だった。セミナーは7日間。参加費は$200ドル。
「ノブ、来る?」とキャシーが伊勢の目を覗いた。カネが無いと言うと、キャシーの助手ということで無料になると。すると、キャシーは山本先生の助手で、伊勢はキャシーの助手なのだ。「おおらかだなあ」と感心した。
七月、伊勢はビレッジのアパートを引き上げた。ボストンに住んでみようと思った。この移動が伊勢のライフを形作った。
~続く~
キャサリンは、和風の割烹着を着て、おなかの下に手を合わせ、丁寧にお辞儀した。ヨーロッパ人だと思った。天衣無縫なジョージアと違う。キャシーは漆黒の髪を坂本龍馬のように束ねていた・インスインスが長く、太く、大きなブラウンの眼で見つめられると、周りの人が見えなくなり、たった二人だけの世界になった。割烹着を着ているので、小柄に見えた。
料理教室はセントラルパークが見える八番街と72丁目の角にある「ダコタ」と呼ばれるビルの一室でやっていた。門衛がいて、驚いたが理由は最上階にジョン・レノンとヨーコ・オノが住んでいたからだ。パチパチパチと握手が沸いた。山本先生が黒板に白墨で書いた「マクロ・バイオティック」という文字で始まった。魚介類は好しとするも肉を禁止していた。ミートと言わず、レッド・ミートと言った。「ジョージ・オオサワ」と山本先生が言った。玄米食運動の創始者だった。肉食をやめて、穀物、そば、野菜のシンプルな食習慣は現代の複雑な環境を生きるのに適していると座禅と一緒に教えた。参加者は豆本を持っていた。玄米教ではないが、その豆本は聖書なのだ。1ページ目に陰陽五行説の図が書いてあった。キャシーが新聞を配った。東西ジャーナルと言う玄米食運動の機関紙で発行人は、ミチオ・クシ。眼鏡をかけた痩せた人で学者風だった。玄米食運動の本部はボストンにあった。
「みなさん、毎年夏に、行うキャンプは、今年はマサチューセッツのアムハーストカレッジのキャンパスで開きます」と山本先生が新聞の広告欄を指さした。宿舎はカレッジの学生寮だった。セミナーは7日間。参加費は$200ドル。
「ノブ、来る?」とキャシーが伊勢の目を覗いた。カネが無いと言うと、キャシーの助手ということで無料になると。すると、キャシーは山本先生の助手で、伊勢はキャシーの助手なのだ。「おおらかだなあ」と感心した。
七月、伊勢はビレッジのアパートを引き上げた。ボストンに住んでみようと思った。この移動が伊勢のライフを形作った。
~続く~
08/05 | |
ポンジー・スキーム、、(放浪その23) |
セルジオに$5000ドルを渡してから一ヶ月が経った。山谷から電話があった。夜11時に店を閉めるから来いと。女将が天ぷらとビールを持ってきた。山谷が一枚のペーパーをテーブルに乗せた。インボイスという浮彫りのスタンプが押してあった。スペイン語と英語で書かれていた。
「のぶさんの$5000ドルは一ヶ月で$5500ドルになった。利潤10%です。契約は一年だから倍になるよ」
「一年経ったら、元本の$5000ドルと配分を貰えるんですね?」
「そうだよ。俺も10株持っている。心配するな。三か月ごとにバランスシートを発行している。
三か月が経った。山谷の店に電話をすると、「サービスは切られている」とメッセージ。「?」 言って見ると、てんぷら屋の入り口に「閉店」と書かれていた。沼さんの江戸寿司へ行った。「山谷と女房は夜逃げして、オハイオでFBIに逮捕された」と言った。「騙された」と伊勢が気が着いた。じゃあ、セルジオは?伊勢は弁護士が必要になった。破産弁護士と言うのがあることを知った。ジョージアが電話番号をくれた。弁護士に$200ドル払った。数日後、弁護士が、「おざきさん、あんたは、ポンジー・スキームにひっかかったんだ。そんな合弁会社は存在しない。セルジオは出国しただろう。ブラジルへ帰ったに違いない。南米ほどアメリカの法律に効き目がない処はこの地球上にはないんだ」と言った。伊勢は気が遠くなった。金さんに電話した。「うちの社長も騙された」と言った。金さんがなけなしの$500ドルをくれた。金さんに責任があるわけではない。弁護士代金の$200ドルだけを貰うことにした。
持ち金が少なくなっていた。4000ドルは、一年も持たない。仕事に就くしかないと思ったが、28になった伊勢は「うつ病」のお恐ろしさを知らなかった。朝から、ビールを飲み、寝転がっていた。腹が減ると外食した。好きなメジャーリーグの野球も見なくなっていた。百万ドル当たると言うゲームショウを見た。一ヶ月で体が肥満して、コロンブス・スクエアにさえも行かなくなった。全てに興味を失っていた。ついに、ウイスキーを飲むようになった。床屋に行かなかったので、髪も髭も伸びていた。会いに来たジョージアがびっくりした。
「ノブ、人生相談をする日本人の女性に会ったら?」
山本0子先生というマンハッタンで有名になっていた人だった。理由は彼女の患者たち。ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、著名なバイオリニスト、映画俳優、、先客がいた。後日、親友となった兵頭タキさんだった。レスラーのような体格なのに元気がない。ひそひそと話声が聞こえた。タキさんが泣いていた。タキさんは部屋から出てくると会釈して名刺をくれた。レストランのオーナーだった。後日、知ったが、タキさんは、山本先生の勧めで玄米食の第一号となり、成功した。山本先生が有名人を送っていたからだ。
山本先生が伊勢の顔をじっと観察していた。ポンジーにひっかかったことを話した。
「それは、お金にすぎないのよ。また、作ればいい。あなたは健康じゃない。健康でない人は成功しない」
髪を切ったら、クッキング・クラスに来いとパンフレットをくれた。伊勢はクッキングに興味がない。でも行ってみることにした。
~続く~
「のぶさんの$5000ドルは一ヶ月で$5500ドルになった。利潤10%です。契約は一年だから倍になるよ」
「一年経ったら、元本の$5000ドルと配分を貰えるんですね?」
「そうだよ。俺も10株持っている。心配するな。三か月ごとにバランスシートを発行している。
三か月が経った。山谷の店に電話をすると、「サービスは切られている」とメッセージ。「?」 言って見ると、てんぷら屋の入り口に「閉店」と書かれていた。沼さんの江戸寿司へ行った。「山谷と女房は夜逃げして、オハイオでFBIに逮捕された」と言った。「騙された」と伊勢が気が着いた。じゃあ、セルジオは?伊勢は弁護士が必要になった。破産弁護士と言うのがあることを知った。ジョージアが電話番号をくれた。弁護士に$200ドル払った。数日後、弁護士が、「おざきさん、あんたは、ポンジー・スキームにひっかかったんだ。そんな合弁会社は存在しない。セルジオは出国しただろう。ブラジルへ帰ったに違いない。南米ほどアメリカの法律に効き目がない処はこの地球上にはないんだ」と言った。伊勢は気が遠くなった。金さんに電話した。「うちの社長も騙された」と言った。金さんがなけなしの$500ドルをくれた。金さんに責任があるわけではない。弁護士代金の$200ドルだけを貰うことにした。
持ち金が少なくなっていた。4000ドルは、一年も持たない。仕事に就くしかないと思ったが、28になった伊勢は「うつ病」のお恐ろしさを知らなかった。朝から、ビールを飲み、寝転がっていた。腹が減ると外食した。好きなメジャーリーグの野球も見なくなっていた。百万ドル当たると言うゲームショウを見た。一ヶ月で体が肥満して、コロンブス・スクエアにさえも行かなくなった。全てに興味を失っていた。ついに、ウイスキーを飲むようになった。床屋に行かなかったので、髪も髭も伸びていた。会いに来たジョージアがびっくりした。
「ノブ、人生相談をする日本人の女性に会ったら?」
山本0子先生というマンハッタンで有名になっていた人だった。理由は彼女の患者たち。ジョン・レノン、ヨーコ・オノ、著名なバイオリニスト、映画俳優、、先客がいた。後日、親友となった兵頭タキさんだった。レスラーのような体格なのに元気がない。ひそひそと話声が聞こえた。タキさんが泣いていた。タキさんは部屋から出てくると会釈して名刺をくれた。レストランのオーナーだった。後日、知ったが、タキさんは、山本先生の勧めで玄米食の第一号となり、成功した。山本先生が有名人を送っていたからだ。
山本先生が伊勢の顔をじっと観察していた。ポンジーにひっかかったことを話した。
「それは、お金にすぎないのよ。また、作ればいい。あなたは健康じゃない。健康でない人は成功しない」
髪を切ったら、クッキング・クラスに来いとパンフレットをくれた。伊勢はクッキングに興味がない。でも行ってみることにした。
~続く~
08/05 | |
やはり気分が悪くなった、、 |
ネズミ講にはまった話しだけど、気分が悪くなって、一日寝ていた。当時、出会った、熱血漢の兵頭孝(タキさん)は、オレゴンでトラックと正面衝突して即死した。37歳だった。伊勢が結婚した年、通訳をした盛田昭夫さんは、盛田家が没落したことを知らずに亡くなった。ハリウッドで出会った三船敏郎さんは信頼していた三船プロの部下にすごかれていたことも知らなかった。世界史に残る人たちが壊れていった。
伊勢は81歳。壊れてはいない。世界史に残ることもない。わが青い目の妻は幸せなんです。聞くと、「ノブはライフは美しいって言うから」だと。ライフとは人生だけでなく、動植物の生き様は美しいと思っている。伊勢は自然が好きなんだ。現実の世界は修羅または地獄なんだけどね。潜水艦「おやしお」の乗組員だった弟のター坊は、自殺した。59歳だった。
ストリーを続けますね。伊勢
伊勢は81歳。壊れてはいない。世界史に残ることもない。わが青い目の妻は幸せなんです。聞くと、「ノブはライフは美しいって言うから」だと。ライフとは人生だけでなく、動植物の生き様は美しいと思っている。伊勢は自然が好きなんだ。現実の世界は修羅または地獄なんだけどね。潜水艦「おやしお」の乗組員だった弟のター坊は、自殺した。59歳だった。
ストリーを続けますね。伊勢
08/04 | |
南米の海老、、(放浪その22) |
1970年の正月がやってきた。「さあ、どうしようか?」 持ち金を数えた。テルチン・カンパネラで、一年、図面を自転車で届ける仕事をやったにしては、$6000ドルしか稼がなかった。前に持っていた5500ドルと合わせて、$11500ドル。サンフランシスコでやったエアポーターが大きい稼ぎだった。「いざとなれば、それがある」と多寡を括った。この考えが伊勢を大胆にした。ジョージアを誘って、レストラン日本へおせちを食べに行った。電話をしておいたので、金さんが迎えてくれた。
「おざきさん、彼女なの?」と金さんが英語で訊いた。
「イエス」とジョージアが答えた。
「金さん、聞きたいことがあるんです。でも今日は忙しいんでしょ?」
「いや、ボクは手伝いだけで、おせちは準備していたから。一時間待ってくれる?」
レストランは混んでいた。ソニーが宴会用の個室を占領していた。盛田昭夫さんと井深さんを初めて見た。二人とも、レインコートを着ていた。ジョージアがおせちを写真に撮っていた。熱燗のお猪口を取ってジョージアの赤い漆の器に注ぐと、伊勢を待たず、両手で持ってグイッと飲んでしまった。「ジス、イズ、ベリーグッド」と言った。和菓子でお茶を飲んでいると、金さんがやってきた。伊勢が何か商売をやりたいと言うと、、
「エクアドルの海老に投資すると儲かる」と言った。
「エクアドル?」
「南米の国で海老が豊富に獲れる。今、アメリカは海老フィーバーよ。ニューヨークの和食レストランは、日エ合弁会社を作って、宝の山を当てたって言ってる。うちも入っている。紹介するけど?」
「金さんも投資してるの?」
「いや、ヒトクチ、$5000ドルなんで、子供が生まれたから出来ないんです。天ぷら屋で当てている山谷さんを紹介するよ。電話入れとくから聞いてみなさい」
山谷に会った。ヤクザっぽいなと思った。伊勢の母の兄、鉄之助の叔父ちゃんはヤクザのファイナンサ―だったので、小学校時代、鉄のおじちゃんの神戸の家で見た山口組三代目、田岡一雄を想い出した。山谷は話しが上手かった。
「海老は儲かるよ」と、和服を着て薬指に大きなダイアの指輪をした女将が言った。山谷の連れ添いだった。天ぷら屋は繁盛していた。27歳の伊勢には届かないクラス。「やはり、カネが無いと男じゃない」と思った。山谷が証文を持ってきた。伊勢は決心した。
「尾崎さん、明日、エクアドル側のサージオを紹介するから、$5000ドル現金で持ってこれる?話は早い方がいい」
テンポがちょっと早いなと思った。だが、男が決めたんだ、、「はい、持って来ます」と言った。迷いはなかった。
セルジオは、パナマが似合うハンサムな男だった。高級な背広に白い蝶ネクタイ。英語が上手なので、訊くと、フロリダのマイアミで育ったと言った。生まれはブラジルのリオデジャネイロでポルトガル人なんだと。$5000ドルを渡した。証文にサインをし合った。伊勢は後年、これが偽の証文だと知る。契約書は法律事務所の契約弁護士が立ち会い、文言を確かめ、公証人のスタンプが必要で一週間は掛かるもんなんです。「青い人間」とはどうしようもないものです。
~続く~
「おざきさん、彼女なの?」と金さんが英語で訊いた。
「イエス」とジョージアが答えた。
「金さん、聞きたいことがあるんです。でも今日は忙しいんでしょ?」
「いや、ボクは手伝いだけで、おせちは準備していたから。一時間待ってくれる?」
レストランは混んでいた。ソニーが宴会用の個室を占領していた。盛田昭夫さんと井深さんを初めて見た。二人とも、レインコートを着ていた。ジョージアがおせちを写真に撮っていた。熱燗のお猪口を取ってジョージアの赤い漆の器に注ぐと、伊勢を待たず、両手で持ってグイッと飲んでしまった。「ジス、イズ、ベリーグッド」と言った。和菓子でお茶を飲んでいると、金さんがやってきた。伊勢が何か商売をやりたいと言うと、、
「エクアドルの海老に投資すると儲かる」と言った。
「エクアドル?」
「南米の国で海老が豊富に獲れる。今、アメリカは海老フィーバーよ。ニューヨークの和食レストランは、日エ合弁会社を作って、宝の山を当てたって言ってる。うちも入っている。紹介するけど?」
「金さんも投資してるの?」
「いや、ヒトクチ、$5000ドルなんで、子供が生まれたから出来ないんです。天ぷら屋で当てている山谷さんを紹介するよ。電話入れとくから聞いてみなさい」
山谷に会った。ヤクザっぽいなと思った。伊勢の母の兄、鉄之助の叔父ちゃんはヤクザのファイナンサ―だったので、小学校時代、鉄のおじちゃんの神戸の家で見た山口組三代目、田岡一雄を想い出した。山谷は話しが上手かった。
「海老は儲かるよ」と、和服を着て薬指に大きなダイアの指輪をした女将が言った。山谷の連れ添いだった。天ぷら屋は繁盛していた。27歳の伊勢には届かないクラス。「やはり、カネが無いと男じゃない」と思った。山谷が証文を持ってきた。伊勢は決心した。
「尾崎さん、明日、エクアドル側のサージオを紹介するから、$5000ドル現金で持ってこれる?話は早い方がいい」
テンポがちょっと早いなと思った。だが、男が決めたんだ、、「はい、持って来ます」と言った。迷いはなかった。
セルジオは、パナマが似合うハンサムな男だった。高級な背広に白い蝶ネクタイ。英語が上手なので、訊くと、フロリダのマイアミで育ったと言った。生まれはブラジルのリオデジャネイロでポルトガル人なんだと。$5000ドルを渡した。証文にサインをし合った。伊勢は後年、これが偽の証文だと知る。契約書は法律事務所の契約弁護士が立ち会い、文言を確かめ、公証人のスタンプが必要で一週間は掛かるもんなんです。「青い人間」とはどうしようもないものです。
~続く~
08/03 | |
アメリカ女性、、(放浪その21) |
伊勢はままごとのようなセックスはやったが、日本女性と交わったのは、32歳ぐらいのときだった。この放浪記を読んで、「あら、私が最初だったのね」と当時24歳だったY子さんは思うだろう。ぎこちなく、強引に押し入り、Y子さんがしかめ面をしたのを覚えている。それほど奥手なのだ。彼女は娘二人の母となり、現在73歳。2022年の正月、サンデイエゴの次女に娘が出来たと言ってきた。伊勢坊は姉や妹と一緒にふろに入った。女性器をまじかで見た。それが女性にあまり関心がない原因だと思う。というわけで、幼女を強姦したり、殺人にまで及ぶ男を理解できない。
ジョージアは、オハイオの芸大を出てテレビ広告のマス画のスペシャリストだった。マンハッタン、ウエストサイドの高級アパートを所有していた。彼女が書斎に案内した。マスの中に人物を描くスピードが速かった。ジョージアはすっぽんぽんになると、べッドの上に大の字になって、長い脚を大きく開いた。彼女の体格に伊勢は怯んだ。胸は男のように平たく、顔かたち、眼、唇はセクシーとは言えない。女らしいのは、ちじれた長い髪とくびれた腰。一見、赤いパンティーを履いているのかと思うほど、恥毛は茂っていた。
「カモン、ノブ」と伊勢の腕を引っ張った。伊勢のクチ、耳に舌を入れた。ペニスを掴むとバギナに押し当てた。簡単に入った。男になった瞬間である。何回したか忘れたが、清掃車の音が聞こえた。夜が明けつつあった。
「妊娠させたら、アイ・キル・ユー」と言った。どうも本気のようだ。「セックスは良いが、妊娠はごめんだ」と言った。これが誤解を招いた。後年、ローラ、カレン、キャロル、エイミーは妊娠したかったと言った。そのとき、そう言わなかったので、みんな妊娠したくないんだと勝手に思い込んでいた。
「アメリカ市民になりたいの?アイ・マリー・ユー」とジョージアが言った。ジョージア25歳。伊勢は29歳だった。ジョージアの母親はギリシア人で、父親はドイツ系だと分かった。アングロサクソンの青い大きな眼と丹精な顔立ちではなかったが、だけど、彼女はドイツ人の強さを持っていたと、今、思う。オハイオ州のコロンブスの実家へ連れて行って、ママに合わせた。ペアレンツは牧場を持っていて、ジョージアは乗馬が上手だった。つまり、彼女は野生なのだ。伊勢は洗練された都会の女性に惹かれていた。ジョージアはそれを感じ取っていた。
「どうして、ウッドストックへ行ったの?」
「プロジューサーが、Y&Rの顧客だから。私がステージ、あの巨大なスピーカーをデザインしたのよ」
アーチストのジョージアと自転車配達人の伊勢はクラスが違った。だが、これも自分勝手な思い込みだったのだ。アメリカの女性たちは身分やカネに憧れないのだ。ケミカルが合うことが重要で、あとは、二人で造ると決めている。家庭を作ることが最も重要なのだ。時代は代わっても、ここだけは変わらない。
ジョージアと5か月ほど付き合った。「一緒に住まない?」と言ったが、このままでは彼女のペットになってしまう。黙っていたので、それが返事となった。伊勢は、クラスの差に劣等感を覚えた。年収の多い仕事はないものか?結局、ドクターとか、パイロットとか、プロでなければ高給は取れないものだと悟った。すると、レストランなどの個人経営か、パートナーで、ビジネスをするしかない。これが人生初めての転落となった。
~続く~
ジョージアは、オハイオの芸大を出てテレビ広告のマス画のスペシャリストだった。マンハッタン、ウエストサイドの高級アパートを所有していた。彼女が書斎に案内した。マスの中に人物を描くスピードが速かった。ジョージアはすっぽんぽんになると、べッドの上に大の字になって、長い脚を大きく開いた。彼女の体格に伊勢は怯んだ。胸は男のように平たく、顔かたち、眼、唇はセクシーとは言えない。女らしいのは、ちじれた長い髪とくびれた腰。一見、赤いパンティーを履いているのかと思うほど、恥毛は茂っていた。
「カモン、ノブ」と伊勢の腕を引っ張った。伊勢のクチ、耳に舌を入れた。ペニスを掴むとバギナに押し当てた。簡単に入った。男になった瞬間である。何回したか忘れたが、清掃車の音が聞こえた。夜が明けつつあった。
「妊娠させたら、アイ・キル・ユー」と言った。どうも本気のようだ。「セックスは良いが、妊娠はごめんだ」と言った。これが誤解を招いた。後年、ローラ、カレン、キャロル、エイミーは妊娠したかったと言った。そのとき、そう言わなかったので、みんな妊娠したくないんだと勝手に思い込んでいた。
「アメリカ市民になりたいの?アイ・マリー・ユー」とジョージアが言った。ジョージア25歳。伊勢は29歳だった。ジョージアの母親はギリシア人で、父親はドイツ系だと分かった。アングロサクソンの青い大きな眼と丹精な顔立ちではなかったが、だけど、彼女はドイツ人の強さを持っていたと、今、思う。オハイオ州のコロンブスの実家へ連れて行って、ママに合わせた。ペアレンツは牧場を持っていて、ジョージアは乗馬が上手だった。つまり、彼女は野生なのだ。伊勢は洗練された都会の女性に惹かれていた。ジョージアはそれを感じ取っていた。
「どうして、ウッドストックへ行ったの?」
「プロジューサーが、Y&Rの顧客だから。私がステージ、あの巨大なスピーカーをデザインしたのよ」
アーチストのジョージアと自転車配達人の伊勢はクラスが違った。だが、これも自分勝手な思い込みだったのだ。アメリカの女性たちは身分やカネに憧れないのだ。ケミカルが合うことが重要で、あとは、二人で造ると決めている。家庭を作ることが最も重要なのだ。時代は代わっても、ここだけは変わらない。
ジョージアと5か月ほど付き合った。「一緒に住まない?」と言ったが、このままでは彼女のペットになってしまう。黙っていたので、それが返事となった。伊勢は、クラスの差に劣等感を覚えた。年収の多い仕事はないものか?結局、ドクターとか、パイロットとか、プロでなければ高給は取れないものだと悟った。すると、レストランなどの個人経営か、パートナーで、ビジネスをするしかない。これが人生初めての転落となった。
~続く~
08/02 | |
放浪記を続けるべきか? |
自分が書いていることが伝わるだろうか?
放浪記を続けるべきか迷っている。三人の先生が応援してくれているけど、他にコメントがない。想い出しながら書いているけど、不確かな記憶もある。渡米して最初の10年間は筆舌に尽くせない苦闘だったんです。人間が未完成な上に言葉も、文化も、価値観も、人種も違うアメリカ。伊勢青年は生活に追われるだけで、アメリカを捕捉出来なかった。自分で思うように解釈していた。今、振り返ると、大きな勘違いをしていた。特に女性観では。「アメリカ人はみんなフェアで、モラルが高い」などとんでもないことなんです。人種偏見に関しては、強烈な偏見に会ったことがない。自分の方が偏見があったと思う。偏見と言うか先入観です。未熟な人間は「世界はこうだ」と自分勝手に決めていることが判ったんです。その偏見、先入観は、50歳ころに治っていた。伊勢は相手が反対意見を述べるとき、忍耐強く聞くことが大事だと自覚するに至った。
日本人はアメリカを誤解している、、
アメリカがテーマの記事にも誤解というか偏見があるんです。コメントはもっと酷い。これは大きな問題なんです。アメリカ人が日本を理解する必要はないけど、日本人はアメリカが解らないと致命傷を負う。自衛隊の前陸将、前海将とかにも、誤解、偏見、先入観がある。自分は頭がいいと思っている。原因はアメリカの土を踏み、アメリカ人と競争をしたことがないから。伊勢の中学時代の同級生で外務省の役人だったT君は、一生涯治らない偏見を持っていた。アメリカ人と論争する英語力がない。ブリンケン国務長官クラスとは世間話しすらも出来ない。彼が、外務省の教育で、アメリカの大学に1年いたとき、「アメリカはイラクに侵攻するべきではない」と教授に言ったんだそうです。教授は「アメリカの政治は資格がある人だけが問うことが出来る。君には資格がない」とバッサリ。彼は怒っていたけど、アメリカでアメリカ批判ねえ?(笑い)。
放浪記を続けるべきか迷っている。三人の先生が応援してくれているけど、他にコメントがない。想い出しながら書いているけど、不確かな記憶もある。渡米して最初の10年間は筆舌に尽くせない苦闘だったんです。人間が未完成な上に言葉も、文化も、価値観も、人種も違うアメリカ。伊勢青年は生活に追われるだけで、アメリカを捕捉出来なかった。自分で思うように解釈していた。今、振り返ると、大きな勘違いをしていた。特に女性観では。「アメリカ人はみんなフェアで、モラルが高い」などとんでもないことなんです。人種偏見に関しては、強烈な偏見に会ったことがない。自分の方が偏見があったと思う。偏見と言うか先入観です。未熟な人間は「世界はこうだ」と自分勝手に決めていることが判ったんです。その偏見、先入観は、50歳ころに治っていた。伊勢は相手が反対意見を述べるとき、忍耐強く聞くことが大事だと自覚するに至った。
日本人はアメリカを誤解している、、
アメリカがテーマの記事にも誤解というか偏見があるんです。コメントはもっと酷い。これは大きな問題なんです。アメリカ人が日本を理解する必要はないけど、日本人はアメリカが解らないと致命傷を負う。自衛隊の前陸将、前海将とかにも、誤解、偏見、先入観がある。自分は頭がいいと思っている。原因はアメリカの土を踏み、アメリカ人と競争をしたことがないから。伊勢の中学時代の同級生で外務省の役人だったT君は、一生涯治らない偏見を持っていた。アメリカ人と論争する英語力がない。ブリンケン国務長官クラスとは世間話しすらも出来ない。彼が、外務省の教育で、アメリカの大学に1年いたとき、「アメリカはイラクに侵攻するべきではない」と教授に言ったんだそうです。教授は「アメリカの政治は資格がある人だけが問うことが出来る。君には資格がない」とバッサリ。彼は怒っていたけど、アメリカでアメリカ批判ねえ?(笑い)。
08/01 | |
安倍晋三は黒幕だが、ウヤムヤになるのか? |
銀輪
4 hours ago
凄まじい問題なのに、有耶無耶にされそうな気配。
日本終了のお知らせ
日本終了のお知らせ
1 hour ago
どう有耶無耶にするか見ものだな
FalconNewsreel
FalconNewsreel
58 minutes ago
@日本終了のお知らせ アメリカ住まいですが、公衆というのは意見がない群衆なんです。アメリカの若者は政治に関心も知識もない。すると、メデイアの言うことに従う。大手のメデイア次第でうやむやにするかどうかが決まる。でもね、襲撃が起きるでしょう。これは、政治家もメデイアも恐いはずです。
伊勢の感想
TBS、日テレが自民党議員の統一教会との癒着を追求している。これだけ電波に乗ると、二社だけでも強い影響を与える。大衆は当てにはならないが、怒れる人が許さない。日本人は戦うのか?安倍晋三銃撃事件の闇の深さを自覚すれば、戦うしかないはず。81歳の伊勢は見ているだけです。
08/01 | |
ニューヨークに戻ったが、、(放浪その20) |
コネチカット州のニューポートは軍港じゃなかった。空母や潜水艦の造船所なのだ。金網の外から造船所を見た。ドライドックのひとつに黒い大きな潜水艦が見えた。完成していないことが判った。胴体の真ん中がなかった。原子力潜水艦だなと直感した。この潜水艦は旧式のノーチラスに似た葉巻型だが巨艦なのだ。弟のター坊が乗っていた「おやしお」は、涙型と言うヒラメのような形でジーゼル機関だった。原子力潜水艦は8本の海中から発射できる核弾頭ミサイルを搭載している。
ニューポートから電関に乗った。3時間30分で、ニューヨーク、34丁目のペンシルバニア駅に着いた。ペン・ステーションからビレジのアパートまで、自転車で30分だった。部屋に入ると、マリワナを一本取り出して、マッチで火をつけた。一息吸ってやめた。疲れがどっと出ていた。手紙が来ていたが後にした。
夜の9時頃、目が覚めた。シャワーを浴びて、着替えた。江戸寿司へ歩いて行った。知り合いになっていた沼さんが、「いらっしゃい。のぶさん、日焼けしてますね」と言った。沼さんは、相撲取りになれる体格だった。
「握りましょうか?」
22貫も食べた。かつ丼を頼んだ。沼さんがびっくりした顔になった。自転車でウッドストック、ロードアイランドへ行ったと話すと、「いい生き様だなあ」と言った。
アパート帰って、封筒を開けた。写真が一枚入っていた。素っ裸の金髪ガールの写真だった。名刺が入っていた。差出人が「ジョージア」とだけ判った。どの娘だろう?
次の日、出勤した。日焼けして、体格が倍になった伊勢をブライアンが見ていた。ムーチョと設計主任のカンパネラがクチ喧嘩していた。電気設計士ロバートが手招くので行くと、図面を筒に入れていた。
「ロバート、なぜ、カンパネラはムーチョを首にしないの?」
「いやいや、ムーチョは有名な水彩画家なんだよ。彼が描いた絵を見て客は納得するんだ」
「ピッツァ・ハットの絵を見たけど、見事だなあと思ってた」
「あれは、カンパネラの設計だった。でもね、ムーチョの絵が契約を取ったんだ。ノブ、今週末、俺の家へ来ないか?」
ロバートのワイフはイタリアンだった。豪華なイタリアンを作った。プリモ、セコンドとクラシックなイタリアン。食後のエスプレッソとテイラミスは忘れられない。
「ノブ、テンチン・カンパネラの配達係りはダメだぞ。使用人は使い捨てなんだ。特にニューヨークはね。腕に職を着けろ」
年末まで6か月。年末に辞職すると言うと、ロバートが大きく、頷いた。翌日、カンパネラに言うと、「サンキュウ、ノブ」と言った。次はどうするか?今まで体を使うことしかやってない、、来年は28になる。そろそろガールフレンドを見つけないと、、ちょっと自信がない、、
その日、図面を持って配達に出た。届け先は、Y&R 六番街アメリカス。広告業のストリート。日本の博報堂もその一つだった。Y&Rは、摩天楼の一つを持つ巨大な広告会社で、テレビの広告を独占していた。受付へ行くと案内された。チリジリの金髪を腰のあたりまで下げた大柄の女性が立ち上がった。
「あら?ユー、ノブ」と女性が言った。伊勢がきょとんとしていると、、
「アイ・アム・ジョージア。リメンバー・ミー?」
ウッドストックで一緒に写真を撮ったガールの1人だった。
「コールミー」と図面を受け取ると言った。彼女は自宅の電話番号をくれた。それをムーチョに言うと、「ノブ、がんばれ!」と、ウインクした。図面に向かっていたブライアンが何事かと目を上げた。
~続く~
ニューポートから電関に乗った。3時間30分で、ニューヨーク、34丁目のペンシルバニア駅に着いた。ペン・ステーションからビレジのアパートまで、自転車で30分だった。部屋に入ると、マリワナを一本取り出して、マッチで火をつけた。一息吸ってやめた。疲れがどっと出ていた。手紙が来ていたが後にした。
夜の9時頃、目が覚めた。シャワーを浴びて、着替えた。江戸寿司へ歩いて行った。知り合いになっていた沼さんが、「いらっしゃい。のぶさん、日焼けしてますね」と言った。沼さんは、相撲取りになれる体格だった。
「握りましょうか?」
22貫も食べた。かつ丼を頼んだ。沼さんがびっくりした顔になった。自転車でウッドストック、ロードアイランドへ行ったと話すと、「いい生き様だなあ」と言った。
アパート帰って、封筒を開けた。写真が一枚入っていた。素っ裸の金髪ガールの写真だった。名刺が入っていた。差出人が「ジョージア」とだけ判った。どの娘だろう?
次の日、出勤した。日焼けして、体格が倍になった伊勢をブライアンが見ていた。ムーチョと設計主任のカンパネラがクチ喧嘩していた。電気設計士ロバートが手招くので行くと、図面を筒に入れていた。
「ロバート、なぜ、カンパネラはムーチョを首にしないの?」
「いやいや、ムーチョは有名な水彩画家なんだよ。彼が描いた絵を見て客は納得するんだ」
「ピッツァ・ハットの絵を見たけど、見事だなあと思ってた」
「あれは、カンパネラの設計だった。でもね、ムーチョの絵が契約を取ったんだ。ノブ、今週末、俺の家へ来ないか?」
ロバートのワイフはイタリアンだった。豪華なイタリアンを作った。プリモ、セコンドとクラシックなイタリアン。食後のエスプレッソとテイラミスは忘れられない。
「ノブ、テンチン・カンパネラの配達係りはダメだぞ。使用人は使い捨てなんだ。特にニューヨークはね。腕に職を着けろ」
年末まで6か月。年末に辞職すると言うと、ロバートが大きく、頷いた。翌日、カンパネラに言うと、「サンキュウ、ノブ」と言った。次はどうするか?今まで体を使うことしかやってない、、来年は28になる。そろそろガールフレンドを見つけないと、、ちょっと自信がない、、
その日、図面を持って配達に出た。届け先は、Y&R 六番街アメリカス。広告業のストリート。日本の博報堂もその一つだった。Y&Rは、摩天楼の一つを持つ巨大な広告会社で、テレビの広告を独占していた。受付へ行くと案内された。チリジリの金髪を腰のあたりまで下げた大柄の女性が立ち上がった。
「あら?ユー、ノブ」と女性が言った。伊勢がきょとんとしていると、、
「アイ・アム・ジョージア。リメンバー・ミー?」
ウッドストックで一緒に写真を撮ったガールの1人だった。
「コールミー」と図面を受け取ると言った。彼女は自宅の電話番号をくれた。それをムーチョに言うと、「ノブ、がんばれ!」と、ウインクした。図面に向かっていたブライアンが何事かと目を上げた。
~続く~