半分、青い。 (第28回・5/3) 感想
NHK総合・連続テレビ小説『半分、青い。』(公式)
第5週『東京、行きたい!』
『第28回』の感想。
※ 毎日毎日の感想なので、私の気分も山あり谷ありです。ご理解を。
※ また、称賛、絶賛の感想だけをご希望の方は読まない方が良いです。
東京に行って漫画家になると言い張る鈴愛(永野芽郁)と、一歩も譲らない晴(松雪泰子)。しかし晴は、鈴愛の思いの強さを知り、次第に揺れ始める。大学受験を目前に控える律(佐藤健)の母・和子(原田知世)を訪ねた晴は、娘を心配する本音を打ち明ける。そのころ仙吉(中村雅俊)、宇太郎(滝藤賢一)、草太(上村海成)ら楡野家の男たちは、喫茶・ともしびに集結。鈴愛を上京させるべきかどうか、議論を戦わせていた。
---上記のあらすじは[Yahoo!テレビ]より引用---
中学時代の交通事故の詰めの甘さが残念…
本編内で描かれていない鈴愛の中学時代の交通事故を、いきなり持ち出すのもどうかと思うが、晴の台詞をよく台詞を聴くと、とてもおかしなことが分かる。車が鈴愛の左側から来て…と、言っていたが、いくら今と時代が違うとか、田舎と都会で違うとか理由付けしても、日本の交通法規では車は歩行者の右側を走るんじゃないのかなって。
こう書くと「歩行者は右側通行」なんてことを言う輩がいると思う。しかし、この法律はこれはあくまでも「歩道又は歩行者の通行に十分な幅員を有する路側帯 と 車道の区別のない道路 においては、」について適応される道交法だ。だから、ある程度の道幅がある道路には路側帯があるから適応外だし、歩道があればどっち側を歩いても良いことになるのだ。
要は、何が言いたいのかと言うと、劇中で晴は事故現場の事を「そこで」としか表現していない。そこ、そこが脚本の詰めが甘いのだ。やはりここは、きちんと、例えば道幅が狭く路側帯も歩道もない道で、且つ左側を鈴愛が自転車で通れない道での交通事故のシーンを入れるべきだったのだ。
そりゃあ、おかしな運転手がいたとか、これまた例外的な理由付けは出来なくも無いが、「映像で見せる」、これこそがテレビドラマで無いのか?
晴は「左側を歩きなさい」と教育しなかったの?
さて。今回の15分間が、必要だったかどうかは別にして、脚本家も演出家も晴の鈴愛への気持ち、母が娘を心配する気持ちを描いているつもりのはず。それも、私の目には、かなりの心配性で、過保護すぎる位の母性愛に映っている。
だとしたら、晴は鈴愛に幼少期から「道は左側を歩きなさい」「自転車も左側を走りなさい」って指導、教育しなかったのかなぁって思う。いや、そう言うのが晴のキャラじゃないのかな。
従って、永野芽郁さんになる前の子役時代で良いから、事故に遭ったシーンと、晴が鈴愛に「だから、左側を歩きなさいって教えたでしょ!」と言うシーンがあれば、今回の15分間は、また書くが、必要かどうかは別にして、母の娘を思う気持ちを描くエピソードとして普通に見られたと思う。
何をやっても構わないが、詰めの甘さは命取りになる!
伏線をだいぶあとから回収したり、過剰に心理描写をしたり、斬新さを狙うのは勝手だが、こうした詰めの甘さが、結果的に “思い付き” や “箇条書き” に見せてしまう。これが修正されるとだいぶ見易くなるのだが。
あとがき
秋風からのお誘いがあってから、唐突に「片耳失聴」を描くようになりましたが、今さらこんなに描かなくても、晴の心配性や過保護なのは、とっくに伝わっていると思います。それよりも、どうせ送り出すのは決まっているのですから、ぐずぐずと描かずに、明るく送り出す母親の方が、楡野家に似合っていると思います。
最後に。前回の感想に、45回のWeb拍手や数々のコメントを頂き、ありがとうございます。今さらですが。履歴書に「片耳失聴」と書かないのは嘘をついていることになりますか?心配性で過保護な晴が「不利なことを書かなくも良いのでは?」と言っただけのように私は受け取りましたが。それを「嘘」と言うのはちょっと18歳にしては稚拙かなぁなんて思ったり…
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