肉食の日々
2009年 09月 02日
バナナは真っ黒になるまで放置して,油で炒めて,鰹のたたきと合わせてマリネーにしたり,結構変な使い方を我が家ではします。勿論私の思いつき料理ですが,不思議と客受けはよいようです。というか,なぜかワイフがお気に入りなので,気がつくと腐りかけのバナナはいつも冷蔵庫にあったりします。
かつて哺乳類学が,ほとんど博物学であった頃,組織学未満の形態学的な比較がよく行われました。例えば,相対成長比較で体重の3乗根とか或いは全消化管の長さに対する小腸の長さをプロットして,グループ毎に差を見いだして,植物食に偏っているものは小腸が長くなるなんぞという仕事が結構ありました。一番サンプル数が取れるのは,ネズミだったわけで,草食系のハタネズミを最大比率とするといった博物学的常識みたいな話がありました。で,人間でも同じようなもんだと考えた人たちが居ました。日本人は,米が主食,食べ物における肉食傾向は西洋人より低いので腸が長いとか云う言説が生まれたのはその頃ではないかと思います。似たようなのは,乾燥地帯から湿潤地帯までの生息環境別の腎臓の皮質と髄質の比率なんてのもあります。こちらの方はもう少し根拠として堅いようには思いますが,水分の再回収の能力に寄与すると云うことです。他に樹上性のネズミ類の尻尾が長くなるのは,慣性モーメントを使ってバランスを取るための機能における効果の程は数値化できますが,こういったアロメトリー的な比較の仕事は,当時の博物学的動物学では結構メジャーでした。ことある毎に,なんでもベルグマンの法則を引っ張り出すような状況といえば宜しいでしょうか。
で,草食故,その比率が長いと云われるハタネズミの小腸の内壁がどうなっているかというと,つるんとしていて絨毛がほとんど発達していません。実は,栄養価の低い粗繊維分が大部分の草本を利用するハタネズミの場合,ともかく絶対量を詰め込まないと栄養分の確保が出来ないので,小腸は胃袋の延長としての機能を持たされていて,粗繊維の消化そのものは,共生菌を使って大腸以降で行われ,更にウサギのように糞食をしてもう1回それを口にするわけです。ウサギも盲腸の共生菌を使って粗繊維を分解しますが,その段階では栄養を吸収する余地がないので,もう一回糞を口から入れてやるわけです。つまり,肛門と口とを繋いでやることで,体のつくりを変化させずに腸管を長くしてしかも共生菌利用のエリアの後にもう一回吸収する腸管をそこに進化させたみたいな,離れ業をやったわけです。
「長い小腸で」植物食を処理するというイメージと全然違う使い方をしているわけでして,件の日本人の腸云々は,小腸比のみから,かなり乱暴な連鎖推理した話と私は記憶しているのですが,こうやってみると,コメ食の日本人の小腸がそれに適応して長くなると云う組立自体,最初から明後日の方向を前提としている可能性があるのが分かると思います。
まあ,狩猟採集を抜け出して農耕と牧畜がヒトの食生活を支えるようになった西洋文明を基盤とする個体群と,たかだか弥生時代からコメ食を始めた個体群と小腸の長さが違うと云うこと自体は置いておいておいて,その組織学的な適応を検証せずに腸管を伸ばすと云うところに投資するという発想自体,かつての素朴な博物学の匂いを感じてしまいます。植物食依存の食性を持つ個体の消化において,その程度の投資で消化効率,引いては適応度が上がるかどうか,考えてみるとかなり変です。
ちなみにハタネズミの腸内細菌活性の度合いは,牛や馬などのそれを遙かに凌ぐことが知られています。小さい体なので,そのくらいやらないと追いつかないし,草食への適応というのは簡単じゃないわけです。尤も,粗繊維があるといっても日本人の非肉食は,穀物食であって,草食っていうほどでもないので,食性の違いの定義も曖昧ですね。
取りあえず,我が家は今日も,小腸を短くするらしい食を楽しむことにしましょう。粗繊維食適応で,日本人は肥大化した盲腸内に共生菌が目白押しの上,糞食なんぞをするように適応しなくて良かったと思います。
君たちが1000年間パスタ食わされようが,腸管の長さ,などという荒い部分での変化が生じるとは到底思えないけどね。
子供達には,楽しく肉食するために,負けないぐらい野菜も食べようねと言い聞かせています。要はバランスを学んで欲しいということだと思います。