原爆
2023年08月13日
毎年8月には「戦争」に関する本を1冊紹介していますが…
原爆を「物語」として描いた本は数多くありますが…
これは「物語」ではなく、原爆の多角的な「知識」を伝えるために描かれた、子ども向けの「科学絵本」なのです。
那須さんは広島市の出身で、3歳の時に爆心地から3kmの自宅で被爆していたのです。
「子ども向け」の本だからと言って、侮ってはいけません。
この本では原爆の仕組みや、原爆が落とされることになった経緯、原爆搭載機エノラ・ゲイの当日の飛行記録、放射線が人体に与える影響etc…、専門的な知識を交えながらも子どもにも伝わるよう、詳細な図解とともに描いています。
(今年の映画で話題になった「オッペンハイマー」さんの名も出て来ますし、放射性物質の蓄積しやすい臓器や放射性物質の半減期まで書かれています。)
むしろ「子ども向け」ということで、ほとんどの漢字にルビが振ってありますし、絵本ということで図が多用されていますので、大人にとっても分かりやすいのではないかと思われます。
中には文字が細か過ぎて、全てを読むには辛いページもあるのですが…
(戦後の世界情勢や反核運動の年表は、だいぶ細かく複雑です。つまりはその分「詳細」な資料になっているということなのですが。)
この本は、ただ「知識」に終始しているというわけでもありません。
広島という町がたどってきた戦前・戦中・戦後の歴史も、克明な絵とともに描かれています。
綺麗で住みやすかった町が、だんだんと戦争の色に染まっていき、防火帯を作るために建物が壊され…
「その日」には、閃光を浴び、爆風に吹き飛ばされ、炎に巻かれて地獄と化した…その様子が「空から眺めた風景」のように描かれているのです。
原爆の日の光景は、紛れもなく「地獄絵図」ですが、人間が豆粒大の小ささで描かれているせいか、「ひろしまのピカ」ほどには生々しくありません。
(それでも、トラウマになる方はなるかも知れませんが…。)
個人的に胸に迫ったのは、原爆後の広島を、教え子を探して尋ね回った教師の詠んだ歌です。
死者名簿に教え子の名前を見つけると、もはや哀しみも忘れてほっと息をついてしまう…それほどまでに、そこは過酷な有様だったのだと、想像も及ばないその地獄に、震えが来ます。
この絵本の絵を手がけた西村繁男さんは、広島の出身ではありません。
ですが、広島の原爆に並々ならぬ思いを抱き、広島の町並みを絵で再現するために、1年近く広島に住み、資料や証言者と向き合って作業を行っていたそうです。
なかなか気軽に手に取れるような種類の本ではないかも知れませんが…
「広島の原爆」が「どういうものだったのか」――物語ではなく実態として知りたい方には、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
mtsugomori at 10:42
2022年08月06日
自分がこの本を最初に手に取ったのは、小学1年生の時…
初めて学校の図書室に入った時でした。
この本の内容を知る方は「よりにもよって、これが最初の1冊…」と思うことでしょう。
この絵本、まず表紙からして壮絶です。
保育園まで「ほのぼの」した優しいタッチの絵本しか知らなかった自分にとって、あまりに強烈で、それゆえに、思わず手に取ってしまったのです。
そして、内容がまた壮絶でした。
タイトルからしてお分かりでしょうが…この絵本は、広島の原爆を扱った絵本です。
原爆投下後の広島で起きた悲劇――その地獄絵図が、あまりにも恐ろしく、生々しいタッチで描かれています。
それまで、戦争のことも原爆のことも知らずにいた自分には、あまりにも衝撃的でした。
正直、トラウマになりました。
しかし同時に「この恐ろしい出来事について、もっと知らなければならない」という思いに取り憑かれました。
「この本に描かれたような恐ろしい出来事は、絶対に経験したくない」「戦争には遭いたくない」…それゆえに、戦争についてもっと知らなければならないと思ったのです。
以来、小学生の時の自分の読書テーマは「戦争児童文学」になりました。
学校の図書室、地元の図書館にある戦争関連の児童書は、ほぼ全て読み尽くしました。
そしてそのことが、自分の人生観に大きな影響を及ぼしました。
特に、命というものに対する考えは、同世代の児童とは全く違っていたのではないかと思います。
「命は儚く、いつ理不尽に奪われてしまうか分からない」――それが、自分の生命観の根底に、常にありました。
自分の命を自分で諦めてしまわない――「自死という選択肢を、小3か小4の時点で完全に放棄した」のも、その人生観・生命観が影響していたからなのではないかと思います(他にも様々な要因はある気がしますが)。
<関連記事(別ブログ):自死という選択肢を、初めから無くしておく。>
世の中には「戦争」という、とてつもなく恐ろしく、悲惨なことが存在している…
その事実は、人生の中で、何度も自分を助けてくれました。
辛いことがいろいろあっても「戦争よりはマシだ」と思えたからです。
今の世の中、子どもの精神に配慮して「悲劇的な結末を改変する」絵本も多いと聞きます。
けれど「恐ろしい内容の方が心に残る」「その後の人生に影響する」というのは、少なくとも自分の場合は「事実」です。
世の中の悲劇・悲惨・残酷さから完全に遠ざけられた子どもが「どう育つ」のかは、きっと、その子が大人になってみないと分からないでしょう。
せめて、子どもが自ら「世界の残酷さを、ちゃんと知っておきたい」と思った時、それをちゃんと学べる環境は整えておいて欲しいと思います。
ちなみに、幼少期に戦争児童文学を読み漁った自分が、戦争文学について思っていることが1つあります。
それは「戦争の悲惨さ、残酷さばかりを伝えるのでなく、その戦争を『回避する術』も教えてもらいたい」ということです。
それはまだ解明されていない「人類の課題」でもあるので、なかなか難しいのは分かるのですが…
「戦争は恐い」「戦争は人を不幸にする」ということだけを知っていても、「実際に戦争が起こりかねない時代に、何をどうしたら良いのか」全く見えませんので…。
mtsugomori at 14:15
2021年08月08日
この本のことは、新聞広告で初めて存在を知った時から、気になっていました。
タイトルから、広島の原爆に遭遇してしまった家族に関する本だということは分かっていましたが…
その表紙に写っているのは、原爆の悲劇とはあまりにもそぐわない、明るい少女の笑顔と、彼女の背負う猫の写真。
そこに「消えたかぞく」というタイトルが、あまりに不穏で…気にならずにはいられませんでした。
そうして実際、手に取り…その内容に、打ちのめされるような思いがしました。
この本の前半を彩っているのは、ごく平凡な家族の思い出です。
「お父さん」の撮った家族やペットの「人生の一場面」が、「家族アルバム」そのままに載せられています。
昔の時代らしく古めかしくはあるものの、そこには戦争の暗い影は、一見すると、全くと言って良いほど見えません。
猫や犬をかわいがったり、花の咲く場所へピクニックに行ったり、海水浴に出かけたり…
家族の毎日を、ひとつひとつ、ごくささやかな瞬間まで、大切に記録してきたことが窺えます。
そこにあったのは、戦争の悲惨さとは真逆の「ほのぼの」「ほっこり」した日常でした。
しかし、この家族はタイトル通り、一人残らず「消えて」しまったのです。
「その日」を境に淡々と綴られる、家族それぞれのたどった「その後」は、前半の平穏な毎日からは、とても信じられない「地獄」です。
その「地獄」が、挿絵では語られず、ただ文字でのみ綴られているのも、笑顔の写真の「落差」と相まって戦慄させられます。
戦争を描いた本と言うと、空襲や原爆投下後の町の様子など、悲惨なものが多いのですが…
そういった「悲惨」なものだと、戦争を知らない自分たちのような世代には、かえって「現実味」を感じられず、どこか「他人事の悲劇」のように感じてしまっていたのではないか、と、この本を読んで痛感させられました。
この本の「前半」には、まるで悲惨さがありません。
ありふれた家族の日常に、自分の人生を重ねて共感できる方も多いのではないかと思います。
だからこそ、後半の「悲劇」が身に迫って感じられるのです。
特別でも何でもない、最初から悲劇だったわけでも何でもない、ごくありふれた平凡な毎日。
それがある日、突然「地獄」に変わる…それが、過去に実際に起きた「事実」なのだと、残酷なまでに突きつけられる一冊です。
mtsugomori at 11:40
2017年08月13日
今回ご紹介するのはこちらの本です。
小学生向けの児童文学として出版された本で、映画化もされています。
広島の原爆を扱った“物語”なのですが、一番の特徴は、原爆を扱った作品でありながら、原爆投下後の悲惨な状況はほとんど描かれていないため、そういった描写が苦手な方でも読める、ということです。
(そういう意味では、昨年からロングランを続けている映画「この世界の片隅に(※)」(およびその原作)と共通する部分があるかも知れません。)
ただ、恐いです。
背筋をゾクゾクさせるようなホラー的、あるいはサスペンス的な“恐さ”があります。
挿絵もまた、物語が内包する“恐さ”をさらに煽り立てるような独特な雰囲気を持った絵で、小学生当時の自分は「恐い、恐い」と肝だめし的緊張感を味わいながらも、ページをめくる手を止められなかったのをよく覚えています。
物語は原爆から十数年経った夏の広島を、主人公である少年とその妹(そしてその母)が親戚の家を訪ねて行くところから始まります。
夏休み、見知らぬ土地を“探検”する少年が様々な発見と出逢いを通し、その土地で過去に起きた悲劇を知っていく、という物語なのです。
夏休み、親戚の家、見知らぬ土地の冒険というシチュエーションが、小学生だった自分にとってかなり“身近”で親近感があり、さらに、夏特有のじっとりした暑さや空気感が非常に克明に描かれているものですから、まるで「主人公=自分」のような感覚で物語の中に没入していけたのを覚えています。
そして、少年が知る“悲劇”の描き方も、陰惨だったり残酷というのとは違い、ただひたすらに「切ない」のです。
それは「戦争」という想像だに及ばない大きな悲劇と言うよりも、もっと身近な、抗い難い運命に翻弄される人生の悲哀に似ていて、それゆえにリアリティーをもって胸に迫ってくるのです。
この物語は、ある登場人物の運命が、その後どうなるか分からない、という所で終わります。
読み終わった後、何とも言えない切なさとモヤモヤが残ります。
でも、だからこそこの物語は未だに自分の心に残り続けているのだと思います。
自分は小学一年生の時「ひろしまのピカ(※2)」を読んで衝撃を受けて以来、小学生の頃の読書テーマを「戦争児童文学」として、様々な本を読み漁ってきましたが、その中でどれか一冊を選べ、と言われたらこの本を選びます。
戦争を扱っていない他の物語をひっくるめても「夏(夏休み)に読む一冊」と言われれば、この本を選びます。
それほどに印象深く「心に刺さる」一冊なのです。
(単行本の他、青い鳥文庫版もあります。)
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※「この世界の片隅に」は、こうの史代さん作のマンガおよび、そのマンガを原作として作られた映画です。
昭和19年に広島・呉に嫁ぎ、大切なものを失いながらも前を向いて生きていく一人の女性の物語です。
(※2)「ひろしまのピカ」は原爆投下直後の広島の様子を描いた丸木俊さん作の絵本です。(単行本の他、青い鳥文庫版もあります。)
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※「この世界の片隅に」は、こうの史代さん作のマンガおよび、そのマンガを原作として作られた映画です。
昭和19年に広島・呉に嫁ぎ、大切なものを失いながらも前を向いて生きていく一人の女性の物語です。
mtsugomori at 15:07