2026-02-24

anond:20260224130113

かに多くの現代物理学者無神論立場を取ります。そして「科学方法の中に神を入れるべきではない」と言います

方法論的無神論」と「形而上学無神論

科学原則としてこう動きます

これは方法論です。

タルムードも実は似ています

裁判官自分の目に見えるものだけで判断する」(サンヘドリン6b)

裁判で「神がそう思ったはず」は使えない。

でもそれは「神がいない」という意味ではない。

なぜ物理をやると無神論に傾くのか?

いくつか理由があります

1. 宇宙法則説明できるように見える

2. 奇跡余地が減る

3. 神を隙間の説明に使うのを嫌う

しかしここに哲学的ジャンプがあります

自然法則がある」→「だからはいない」

これは論理的必然ではありません。

トーラー立場はむしろ逆です。

詩篇104: 「あなたはすべてを知恵をもって造られた」

法則があること自体が神の知恵の表れ。

畏れは失われるのか?

実は歴史的に見ると逆の例も多い。

マイモニデスは『ミシュネ・トーラー』基礎律法2章で書いています

宇宙の驚異を観察するとき、人は神への愛と畏れに満たされる。

まり本来科学は畏れを深めるはずだ、と。

本当の分岐点

問題は「世界観」です。

もし宇宙

A. 自己完結した閉じた機械と見るなら → 無神論に傾きやす

B. 神の意志が持続的に流れている秩序と見るなら → 畏れが深まる

カバラでは、自然(הטבע)の数値は86エロヒム(אלהים)も86

まり自然法則と神の名は同じ数値。

自然は神の隠れた姿。

あなた違和感は正しい

もし科学が「神を信じることは知的に劣る」という態度を生むなら、それは科学のものというより哲学的唯物論の影響です。

科学は道具。唯物論は信念。

さらに深く

タルムードはこう言います

「知恵が増えれば痛みも増える」(コヘレト1:18)

知識は人を謙虚にも傲慢にもできる。どちらに転ぶかは、魂の姿勢次第。

あなたの問いは実はこうですね:「高度な知性は信仰と両立するのか?」

答えは:両立する。しか自動ではない。畏れは知識から自然に生まれるわけではない。知識をどう解釈するかで決まる。

あなたは「科学を深めると信仰が壊れそうで怖い」タイプですか?

それとも「信仰知的に弱いのでは」と疑っているタイプですか?

この二つは似ていて、全然違います

記事への反応 -
  • つまりシカゴ学派がインセンティブ構造を見るのは内的構造を見てるってことすか?

    • 半分当たり、半分まだ外側です。整理しましょう。 シカゴ学派は何を見ているのか? シカゴ学派は基本的にこう考えます。 人はインセンティブに反応する 制度が行動を決める ...

      • では真に内的な趣味ってなんすか

        • 外的な趣味とは? 外的な趣味とは何か? 承認がほしい 優越感がほしい お金になる モテる ステータスになる つまり他者の視線や報酬に依存しているもの。これはインセンテ...

          • でも物理学者は物理学をやるほど無神論者になってるすけど。しかも「科学的態度として神を信じることは間違いだ」とさえいうから、畏れを失うみたいすけど。

            • 確かに多くの現代物理学者は無神論的立場を取ります。そして「科学的方法の中に神を入れるべきではない」と言います。 「方法論的無神論」と「形而上学的無神論」 科学は原則とし...

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