yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

勝部延和師シテの能『隅田川 彩色』@京都観世会館 8月24日

勝部延和師、地謡方に入っておられるのは2回拝見(拝聴)したのだけれど、シテとして演じられるのを見るのは初めて。勁い謡で、しかも聴いている者の心に響く繊細さが滲み出ていた。普通の観世流のものとはちょっと違うような気がした。後で井上裕久師のお父上、井上嘉介師に師事されたとわかり、納得。昨年、京都造形芸大でのセミナーにおいて井上裕久師から井上家の能の風についての解説があった。その折、昔風の謡と現在の観世流の謡との違いを実演してくださった。こんなにも違うのだと、感嘆した記憶が甦って来た。

観世元雅作の『隅田川』、涙なしには見られない。母ものは他にもあるけれど、『隅田川』はなんといっても古典歌を組み込んだ詞章の美しさで、傑出しているように思う。例えば、在原業平の恋人を思う有名な歌、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと」を引き、息子を思うという転回にするところが、見事。観客の心をグイグイ捉えてゆく。

さらに、感情の嵐が押し寄せる以下の場面になる。シテの狂女が渡守に、彼の地で去年亡くなったという子供のことを訊く場面。

シテ「今のお物語はいつの事にて候ぞ。

ワキ「去年三月十五日しかも今日の事にて候.

シテ「父の名字は。

ワキ「吉田の何某。

シテ「児の年は。

ワキ「十二歳。

シテ「その名は。

ワキ「梅若丸。

シテ「さて親とても尋ねず。

ワキ「おう親類とても尋ねぬよ。

シテ「のう親類とても親とても。尋ねぬこそ理なれ。その幼き者こそこの物狂が子にて候え。これは夢かや.あら悲しや。

 

元雅の天才は、この詞章、場面展開だけでも際立っている。 

以下に当日の演者一覧といただいた「演目解説」、そしてチラシの表裏をアップしておく。

『隅田川』

演者

シテ 狂女     勝部延和

シテツレ 梅若丸  吉浪咲紀

ワキ 渡守     福王知登

ワキツレ 旅人   喜多雅人

 

大鼓        谷口正壽

小鼓        曽和鼓堂

笛         左鴻泰弘

 

後見        吉浪壽晃  浦部好弘

 

地謡        寺澤拓海 浦田親良 深野貴彦 吉田篤史

          浦部幸裕 橋本擴三郎 井上裕久 寺澤幸祐

 

演目解説

 都からの旅人が、武蔵国隅田川の渡りに着き、渡し守に舟を乞う。その後から、これも都から我が子の行方を尋ねて下ってきた狂女が着く。狂女の子梅若丸は、人商人 にかどわかされて行方知れずとなり、母は狂気となって跡を追い東国隅田川の畔まで 辿り着いたのであった。狂女は「名にし負はば いざ言問はん都鳥 我が思ふ人はありやなしやと」という伊勢物語の歌をひいて都鳥に我が子の行方を問う。渡し守はこの狂女を舟に乗せ、去年ここであった話を物語る。それは、人買いに連れられてきた 少年が、ここで力尽き亡くなったというものであった。今日はその一周忌に当り、憐れんだ人々が大念仏を催す日であった。なんとこの狂女こそ、その少年の母であっ た。渡し守にとともに亡き子の塚へ行って念仏を唱えると、子の亡霊が影のように現 れ、母と言葉をかわす。しかしそのまぼろしは、夜明けとともに消え失せ、あとには 草の生い茂った塚があるだけであった。
母親が子の行方を尋ねる曲は、現行曲に五曲あり、本曲以外の「百萬」「櫻川」「三井寺」「柏崎」は、いずれも子供と再会しめでたく終るが、本曲は遂に生きてめ ぐり会うことのできない異例の能である。哀傷の中の哀傷といわれ、母の悲しさに満ちた能である。 

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