yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『男の花道(おとこのはなみち)』五月花形歌舞伎@明治座5月18日昼の部

もとは映画。昭和16年(1941)に小國英雄脚本、マキノ雅弘監督、長谷川一夫主演で映画化された。それをもとにした芝居が、昭和37年(1962)に大阪新歌舞伎座に乗った。このときも主役の加賀谷歌右衛門は長谷川一夫。土生玄碩を演じたのは二世市川猿之助(初代猿翁)だったという。澤瀉屋にとっては由縁のある演目だったことになる。

現猿之助も亀治郎時代の平成22年(2010)5月に、名古屋御園座ですでに舞台に乗せている。このときの玄碩役は猿之助の父、段四郎だった。私は残念ながら観ていないけど。2010年にも脚本を担当した石川耕士が、前の脚本を補綴、新たに序幕部分を書き加えたという。

玄碩は今回は中車。田辺嘉右衛門は前回と同じく愛之助。加賀谷東蔵も亀鶴のまま。山田春庵も以前と同じく男女蔵。替わった役は、按摩杢の市が中村寿治郎(初代)から広太郎に、加賀谷歌助が薪車から壱太郎に、松屋忠兵衛が中村鴈童から寿猿になっている。田辺の妻富枝も(上村)吉弥から門之助に、妹の雪乃も澤村宗之助から笑也に替わっている。

以下に「歌舞伎美人」から「配役」と「みどころ」を転載させて頂いた。

<配役>
加賀屋歌右衛門  市川 猿之助
土生玄碩     市川 中車
田辺嘉右衛門   片岡 愛之助
山田春庵     市川 男女蔵
加賀屋歌助    中村 壱太郎
山崎順之助    市川 猿弥
按摩杢の市    市川 弘太郎
松屋忠兵衛    市川 寿猿
富枝妹雪乃    市川 笑也
加賀屋歌五郎   中村 亀鶴
加賀屋東蔵    坂東 竹三郎
田辺妻富枝    市川 門之助
万八の女将お時  片岡 秀太郎


<みどころ>
 文化5年の春、大阪道頓堀の中の芝居では、女方の加賀谷歌右衛門の芝居が大当たり。歌右衛門を見ようと見物人たちで賑わうところ、小屋の中からから土生玄碩が追い出される。シーボルトからオランダ医学を学んだ玄碩は、歌右衛門の芝居を見て、彼の眼の悪さを指摘したので、贔屓客と争いとなり、追い出されたのだった。
 その1カ月後、東海道金谷宿にある旅籠松屋では、江戸へ下る歌右衛門一座が宿泊している。実は、歌右衛門の眼の患いは本当で、彼は命を絶とうとまで思い詰めていた。それを救ったのは、同宿していた玄碩。眼科医の玄碩は命を懸けて手術を行い、歌右衛門の眼病は完治した。歌右衛門は謝礼を出すが、玄碩は受け取らず、二人は江戸で大成することを誓うと、刎頸の交わりだと言って別れるのだった。
 4年後、江戸中村座では、歌右衛門の舞台が大評判。他方、玄碩も実直な眼科医として大成していた。あるとき、広島浅野家の侍田辺嘉右衛門から言いがかりをつけられた玄碩は、窮地に陥り、歌右衛門へすぐに来てほしいと手紙を出す。しかし、歌右衛門は『櫓のお七』の舞台中。手紙を受け取った歌右衛門は…。
 この作品は、昭和16(1941)年公開の長谷川一夫主演映画(小國秀雄脚本、マキノ雅弘監督)で大ヒットとなり、その後、舞台化されました。歌右衛門と玄碩の交流を中心に、前半では歌右衛門を失明の危機から救う玄碩の姿、後半では玄碩の危急を知り、“男の約束”を守る歌右衛門の姿がみどころです。劇中劇の『櫓のお七』など、随所に見せ場を工夫しながら、二人のかけがえのない友情を描いた心温まる作品です。

同じく「歌舞伎美人」からの舞台稽古情報が以下。

「明治座 五月花形歌舞伎」舞台稽古を公開
芝居の中に引き込まれる『男の花道』
 客留の大入りとなった大坂、中の芝居の芝居前は、人気役者、三代目歌右衛門の噂でもちきりです。そこへ、芝居小屋から引きずり出されてきたのが土生玄碩(中車)、芝居客の浮かれ振りとは正反対に、冷静な口調で歌右衛門は眼が悪いと指摘します。当の歌右衛門(猿之助)が登場するのは次の「金谷宿」の場。匂い立つような湯上り姿で現れます。
 按摩の話や、富士山の景色を引き合いに出したりしながら、物語は徐々に役者として眼が見えなくなることがどれだけ辛いことなのか、歌右衛門の絶望へと収束していきます。いよいよ追い詰められた歌右衛門の前に現れるのが玄碩。歌右衛門の絶望が深いほどに、玄碩の存在感が増し、手術成功の喜びが大きくなります。そして、日本一の富士の山を臨みながら、ともに日本一の医者に、役者になるまでは逢わないことを誓います。4年後、二人は約束の言葉どおり、日本一となって再会を果たすのですが、その出会いは…。
 歌右衛門が盲目になったときのためにと『袖萩祭文』註1の三味線と唄を聴かせたり、劇中劇で『櫓のお七』の人形振りを見せたり、座敷で『老松』を舞ったりと、お楽しみが随所に盛り込まれている『男の花道』。劇場中を巻き込んでのクライマックスはもちろん、客席で見ているつもりが、いつの間にか芝居の中にすっかり取り込まれてしまう一本です。

浄瑠璃「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」の三段目切(きり)の通称。雪中、娘お君に手を引かれて、父母の住む門口にたどり着いた盲人の袖萩が、祭文にことよせて切々と思いを述べる。

註1 浄瑠璃「奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)」の三段目切(きり)の通称。雪中、娘お君に手を引かれて、父母の住む門口にたどり着いた盲人の袖萩が、祭文にことよせて切々と思いを述べる。

この「舞台稽古」についた解説、非常に役立つ。描写力がすばらしい。金谷宿での歌右衛門を「匂いたつような湯上がり姿」なんていう描写力。

また、歌右衛門がこの宿で三味線で弾いてみせる「袖萩祭文」なんての、みごとではありませんか。私は曲はチンプンカンプンだったのだけど、歌右衛門は盲人になった自分と袖萩とを重ね合わせ、悲嘆にくれていたんですね。こういう背景が分かると、俄然芝居が面白くなる。

それともちろん劇中劇の手法もおもしろい。私は『男の花道』を1994年大阪中座で三代目鴈治郎(現坂田藤十郎)主演で観ている。その折に最も感銘を受けたのが、この劇中劇とそれに続く場面だった。もう焼失してしまったけれど、道頓堀の中座は歌舞伎芝居の小屋としては理想的なサイズだった。今の松竹座より、一回り小さかったので、客席と舞台の距離が近かった。そこで鴈治郎ならぬ歌右衛門が客に向かって、芝居を途中で抜けることへの許しを乞う場面に鳥肌が立つくらい感動した。それまで西洋演劇しか知らなかったのが、頭をガツンとやられた。日本の古典演劇の奥の深さだけでなく、そのラジカルさに打たれた。圧倒された。そして鴈治郎ファンになった。その繋がり、延長で結局はアメリカの大学院に留学、三島由紀夫の歌舞伎で博士論文を書くことになった。私にとっては忘れられない芝居でもある。

この鴈治郎版と猿之助のものはかなり印象が違っている。猿之助のはもっとモダンでオシャレな感じ。鴈治郎と猿之助では、人物造型をする際の解釈が違っているからだろう。現代の観客の嗜好に沿うように演出すれば、当然20年前のものとは異なった舞台になる。それはそれで面白い。それと、二人のキャラの違いもあるかもしれない。鴈治郎はもっと上方っぽい演じ方をしていた。どういったらいいのか、感情を重めに台詞の言い回し、所作に籠める。それに対して猿之助はもっとさらっとした感じ。こちらの方が今の私にもしっくりとくる。

こんな「歌右衛門はん」なら、さしもの煩い江戸歌舞伎の面々もきっと舌を巻かざるを得なかったんでは。そう思わせた。