yoshiepen’s journal

さまざまな領野が摩擦しあい、融合し、発展するこの今のこの革命的な波に身を任せ、純な目と心をもって、わくわくしながら毎日を生きていたいと願っています。

『夏祭浪花鑑』竹本義太夫300回忌@国立文楽劇場8月2日

国立劇場のサイトからの公演のチラシは以下。

配役表と解説が以下。


今回のお目当てはもちろん住大夫。去年7月に脳梗塞で倒れ再起が危ぶまれていたのに、みごとに復活。「釣船三婦打ちの段」の切をつとめた。以前に比べれば少し声量が落ちていて、冒頭部はドキドキ、ハラハラしたのだが、それも最初だけ。語りだしてしまえば、完全に住大夫ワールド。付いていた一のお弟子さん(ずっと以前は文字久大夫だったのだが、今回の方の名が判らない)も途中から退座。声量も徐々に大きくなり、語りも安定して、以前のようなどっしりとした力強さが減った分、しみじみとした情味が加わって、「浄瑠璃語りはかくあるべし」という風情だった。あの「だみ声」もトーンが落ちると柔の要素が強くなり、強靭でいながらも柔らかい嫋々とした響きになっていた。こちらの方がこの場面を語るのには相応しかったのかもしれない。例の徳兵衛女房お辰が自分の顔に焼きごてを当てる段である。お辰の気の強さ、もっといえば男気のようなものが前面に展開する場面だが、住大夫の語りはお辰を単に気の強い女としてでなく、主のためならごく自然に自身を犠牲にする女として描くのに成功していた。感動した。

この場面、人間国宝の競演である。蓑助のお辰も住大夫の語りのみごとさに負けていなかった。この人の人形遣いぶり、驚嘆するばかりである。どうやったらあの色気が出せるのか。いつもは比較的若い女性役が多いのだが、今回はちょっと年増の、そしてそれに見合ったしっかり者の、男勝りの女性である。この使い分けの的確さ。

この人たちがいることは、日本の古典芸能のすごさを内外に示すことになる。橋下市長はそこのところをしっかりと認識して欲しい。芸術、とくに古典芸能はヨーロッパではほとんどが政府、自治体の助成金で成り立っている。もともとこういう芸術は「もうかる」(making money)ものではないのだから、庇護のもとにおかなくては維持できない。これが自明である。ヨーロッパのそう豊かではない国でも、伝統芸能は政府の庇護のもとに置かれているし、市民は割安な料金でそれを鑑賞できる環境が整っている。

住大夫、蓑助、そしてそれに連なる大夫、三味線弾きたちの重要な役割、仕事は若い技芸員たちを教育することである。だから彼らの地位を十全に保障するべきだろう。だれが好き好んでこんな「恵まれまい」仕事につきますか。芸術家といっても霞を食べて生きている訳ではないのですから。

この狂言、多くの若手が主要な大夫、三味線弾きとして参加していた。一人一人が驚くほど上手かった。文楽の担い手養成が成果を上げていることの証左だろう。彼らの芸をつないで行くためにも、助成金はカットすべきだはないだろう。大阪市民ももっと声を挙げて欲しい。それだけではなく、大阪発祥のこの人形浄瑠璃を、末永く次につなげていって欲しい。