父島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/29 01:29 UTC 版)
概要
硫黄島に次いで、小笠原諸島で2番目に大きな島である。周囲の兄島、弟島などの島とともに父島列島を形成する。一度も大陸と陸続きになったことがない海洋島で、多くの固有種が存在する。島全体が小笠原国立公園に指定されている。集落は島の北西部の大村地区が中心。島の西側に西に開けた二見湾があり、湾の北部に二見港がある。
1920年代から大日本帝国陸軍によって砲台などの軍施設が建設され、太平洋戦争の頃には更に増強が進んで父島要塞となった。飯盛山近くの洲崎地区には大日本帝国海軍の飛行場(洲崎飛行場跡)が建設された[1]。 現在でも夜明山や衝立山などには、日本軍施設・塹壕・砲台の跡、高射砲などの残骸が残っている。また、海上自衛隊の父島基地や宇宙航空研究開発機構 (JAXA) の小笠原追跡基地、国立天文台のVERA観測局などが島内に設置されている。
戦後はアメリカの支配下に置かれ、建設された米海軍の施設には1965年まで核兵器が貯蔵されていたとされる[2]。1968年に日本に返還され、小笠原諸島振興開発特別措置法により10年間で約300億円規模の公共事業などが実施された。復興に当たり水や電気の配給を効率的にするため、一島一集落にまとめるよう住民の移転が行われたが、父島は面積が広く農家が通勤を強いられるようになるため一島二集落として整備が行われた[3]。 ある程度の大きさの旅客機が離着陸できる飛行場の建設は長年の悲願であり、2022年現在、東京都が洲崎地区で建設に向けた調査を行っている[4]。
- ^ a b c d e 石津祐介 (2018年1月17日). “小笠原空港、いよいよ実現か 航空会社はどこで、どんな飛行機が飛ぶのか” 2021年11月7日閲覧。
- ^ “有事の核持ち込み、日米が小笠原返還時に秘密協定”. 日本経済新聞. (18 Feburary 2011) 29 Feburary 2024閲覧。
- ^ 「小笠原を南海の楽園に 観光柱に振興計画」『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月6日朝刊、13版、21面
- ^ “島民悲願の小笠原航空路 道遠く 工法、環境配慮、航空機選定 課題山積”. 産経新聞 (2022年11月25日). 2022年11月25日閲覧。
- ^ a b “支庁の案内 > 管内概要”. 東京都小笠原支庁. 2020年5月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月18日閲覧。
- ^ “沖縄本島地方の気候-沖縄気象台”. www.jma-net.go.jp. 2023年12月12日閲覧。
- ^ “平年値ダウンロード”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
- ^ “観測史上1〜10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2021年6月閲覧。
- ^ “天皇陛下海軍演習御覧の節小笠原及奄美大島へ行幸の件”. アジア歴史資料センター. 2020年8月9日閲覧。
- ^ a b “ブッシュ元アメリカ大統領が来島される”. 小笠原村役場. (2002年7月1日) 2017年5月1日閲覧。
- ^ “首相が硫黄島と父島訪問…遺骨収容加速の考え”. 読売新聞 (読売新聞社). (2013年4月14日). オリジナルの2013年4月17日時点におけるアーカイブ。 2021年11月7日閲覧。
- ^ a b c “小笠原航空路の検討状況について” (pdf). 東京都 (2020年12月22日). 2022年9月18日閲覧。
- ^ “脅威増す外来種(3)小笠原や沖縄の生態系乱す”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2018年6月10日) 2019年4月8日閲覧。
- ^ “脅威増す外来種(4)在来カタツムリ 絶滅の危機”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2018年6月17日) 2019年4月8日閲覧。
- ^ “大神山神社(小笠原・父島)|東京 島めぐり神社めぐり”. tosho.tokyo-jinjacho.or.jp. 2023年11月24日閲覧。
- ^ “小笠原聖ジョージ教会 – 日本聖公会東京教区”. 2023年11月24日閲覧。
- ^ “父島のお寺 行行寺 小笠原諸島 gyogyoji”. gyogyoji. 2023年12月15日閲覧。
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