父・岩井文男
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『日本キリスト教歴史大事典』(教文館 1988)に健作自身が「岩井文男」の項の執筆をしている。また「岩井文男と賀川豊彦の農民福音学校」(岩井健作、賀川豊彦学会論叢20号、2012)において賀川豊彦との接点が語られている。 岩井文男(1901年 - 1983年)日本基督教団教師、教育者。群馬県北甘楽郡高瀬村(現、富岡市上高瀬)の農家(養蚕、椎茸生産)に生まれる。日本組合甘楽基督教会にて岡部太郎牧師より1918年に16才で受洗。同志社大学法学部卒業、三井銀行に入行、1年で退社、大学の恩師で法学部教授・中島重に共鳴、日本労働者ミッションに参加、その派遣員として、京都府下草内村で農民運動に従事する。後、賀川豊彦の招き・支援で岐阜県富田村で農民福音学校および伝道活動を行う。1946年に「坂祝教会」開設。蘇原教会牧師と兼務。並行して、同志社大学神学部教授、宗教部長を務める。同志社大学の定年を前に退職し、郷里の新島学園中学・高等学校校長に着任、新島学園女子短期大学 初代学長を歴任。 岩井文男の生涯については『敬虔なるリベラリスト:岩井文男の思想と生涯』(新島学園女子短期大学 新島文化研究所編、新教出版社 1984)が詳しい。
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