か‐ぞう【加増】
加増
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 19:04 UTC 版)
「関ヶ原の戦いの戦後処理」の記事における「加増」の解説
領地を加増された武将については、その大半が関ヶ原の戦い本戦に従軍した武将で占められている。ただし最も石高を加増されたのは家康の二男で結城氏の家督を継いだ結城秀康であり、上杉景勝の南下を抑制した功によって一挙に石高が670,000石(6倍以上)になっている。また加増率では織田長益(有楽斎)が蒲生頼郷の首級を挙げた功で開戦前に比べ16倍の加増率(32,000石)となった。 また、上杉氏の攻撃を防ぎ切り、関ヶ原本戦後から翌春まで上杉領に侵攻した最上義光も2倍以上の石高(570,000石)となった。豊臣氏恩顧の大名も軒並み大幅に加増され、加増により国主となった武将には前田利長(加賀・越中・能登)、福島正則(安芸・備後)、小早川秀秋(備前・美作)、堀尾忠氏(出雲・隠岐)、加藤清正(肥後)、黒田長政(筑前)、細川忠興(豊前)、浅野幸長(紀伊)、田中吉政(筑後)、山内一豊(土佐)、中村忠一(伯耆)、京極高次(若狭)、京極高知(丹後)がいる。 しかし彼ら豊臣恩顧の武将は加増された代わりに中国地方や九州など西日本の遠隔地へ移封となり、畿内や東海道などの要衝は徳川一門や準一門といえる家康の女婿、および譜代大名でことごとく固められた。先の結城秀康は北陸道を押さえる越前一国、家康四男の松平忠吉は東海道を押さえる尾張一国、家康の次女・督姫を娶った池田輝政は西国と畿内を結ぶ播磨一国、伊達氏・上杉氏の監視目的として家康五男の武田信吉を常陸水戸15万石、家康の三女を娶った蒲生秀行を陸奥会津60万石をそれぞれ与え、国主・準国主として一門や準一門を配置。また井伊直政を近江彦根に封じたのを始め、美濃、信濃、伊勢、三河、遠江、駿河といった東海道・中山道筋や畿内には譜代大名を大幅に増加させて入封させ、江戸の防衛と豊臣氏および西国外様大名の監視を行わせた。こうした家康の政策は豊臣氏対策に大いに効果を上げ、江戸幕府が260年続く基礎となった。 そして徳川家康本人は自らを開戦前の255万石から一挙に400万石へと145万石加増し領地を拡大、主要都市や佐渡金山・石見銀山などを直轄領とすることで豊臣氏を始めとする他の大名と隔絶した地位を占めることにより絶対的な権力を確立。1603年(慶長8年)の征夷大将軍任命への下地を形成し、これらの直轄領は天領として幕府財政の基盤になった。 武将名旧領石高(石)合戦での動向新領石高(石)備考青山忠成 相模・近江国内 7,000 信濃上田城攻撃 上総・下総国内 18,000 徳川譜代 青山成重 下総・香取郡内 3,000 信濃上田城攻撃 上総・下総国内 5,000 徳川譜代 赤井忠家 播磨三木郡内 1,000 本戦 大和十市郡内 2,000 秋元長朝 上野碓氷 4,000 対上杉守備隊 上野総社 10,000 徳川譜代。上杉景勝への降伏要請の使者を務める。 浅野長重 - - 江戸城留守居 下野真岡 20,000 長政三男。 浅野長政 - - 江戸城留守居 常陸真壁郡 50,000 隠居料 浅野幸長 甲斐府中 225,000 本戦 紀伊和歌山 376,000 長政長男。 蘆野政泰 下野芦野 800 対上杉守備隊 (同左) 2,700 那須資晴旧臣、那須七騎 阿部正次 武蔵鳩ヶ谷 5,000 本戦 武蔵・相模国内 10,000 徳川譜代 天野康景 武蔵国内 5,000 江戸城留守居 駿河興国寺 10,000 徳川譜代 有馬豊氏 遠江横須賀 30,000 本戦 丹波福知山 60,000 則頼二男 有馬則頼 播磨三木 10,000 本戦 摂津三田 20,000 井伊直政 上野高崎 120,000 本戦 近江彦根 180,000 徳川譜代 伊王野資信 下野伊王野 740 上杉景勝と交戦 (同左) 2,740 那須資晴旧臣、那須七騎 池田知正 摂津・近江国内 2,700 本戦 (同左) 5,000 池田輝政 三河吉田 150,000 本戦 播磨姫路 520,000 池田長政 三河新城 7,000 本戦 播磨赤穂 22,000 輝政弟。赤穂の石高は池田本家より分知。 池田長吉 近江国内 30,000 本戦 因幡鳥取 60,000 輝政弟。長束正家を捕縛。 石川康通 上総鳴渡 20,000 尾張清洲城守備 美濃大垣 50,000 徳川譜代 板倉勝重 武蔵新座 1,000 江戸城留守居 三河国内 6,600 徳川譜代 市橋長勝 美濃今尾 10,000 美濃福束城攻撃 (同左) 20,000 稲垣長茂 上野・下野国内 3,000 対上杉守備隊 上野伊勢崎 10,000 徳川譜代 稲葉道通 伊勢岩手 25,000 九鬼嘉隆と交戦 伊勢田丸 45,700 上杉入庵 河内高安郡ほか 1,500 対上杉守備隊 河内高安郡ほか 1,500 西軍・上杉景勝の義弟。1601年、自領とは別に次男の上杉長員に下総国印旛郡ほか1,490石を加増。高家上杉家の成立後、畠山姓に復す。 植村泰忠 上総国内 3,000 信濃上田城攻撃 (同左) 5,000 徳川譜代 宇喜多詮家 - - 本戦 石見津和野 30,000 西軍副将・宇喜多秀家の従兄弟。戦後、坂崎直盛に改名。 打越光隆 出羽打越 1,250 上杉景勝と交戦 常陸新宮 2,000 元由利十二頭 遠藤慶隆 美濃小原 7,500 本戦 美濃郡上八幡 27,000 大久保忠佐 上総茂原 5,000 信濃上田城攻撃 駿河沼津 20,000 徳川譜代 大久保忠常 - - 信濃上田城攻撃 武蔵騎西 20,000 徳川譜代。父・忠隣は秀忠軍。 大島光義 美濃国内 8,000 本戦 美濃関 18,000 大須賀忠政 上総久留里 30,000 本戦 遠江横須賀 60,000 徳川譜代 大関資増 下野黒羽 13,000 対上杉守備隊 (同左) 20,000 那須資晴旧臣、那須七騎 大田原晴清 下野大田原 7,100 対上杉守備隊 (同左) 12,400 那須資晴旧臣、那須七騎 大田原増清 下野森田 - 対上杉守備隊 (同左) 1,500 晴清弟。徳川家旗本。 大野治長 - - 本戦 丹後国内? 15,000 浅野幸長隊に従軍。本戦では福島正則隊に参加。 小笠原秀政 下総古河 30,000 信濃上田城攻撃 信濃飯田 50,000 徳川譜代 岡本義保 下野塩谷 2,570 対上杉守備隊 (同左) 3,870 奥平家昌 - - 信濃上田城攻撃 下野宇都宮 100,000 徳川譜代、信昌嫡男。 奥平貞治 - - 本戦 近江国内 200 本戦で戦死、実母に加増。 奥平信昌 上野小幡 30,000 本戦 美濃加納 100,000 徳川譜代。安国寺恵瓊を捕縛 織田長孝 美濃野村 500 本戦 (同左) 10,000 長益長男。戸田勝成・内記親子の首級を挙げる。 織田長益 摂津国内 2,000 本戦 大和山辺郡 32,000 織田有楽斎のこと。蒲生頼郷の首級を挙げる。 落合重清 - - 本戦 越前国内 5,000 結城秀康に仕官。 小里光明 相模国内 300 美濃岩村城攻撃 美濃小里 3,580 徳川譜代、 加藤清正 肥後熊本 250,000 肥後宇土城攻撃 (同左) 515,000 加藤嘉明 伊予松前 100,000 本戦 伊予松山 200,000 金森長近 飛騨高山 38,000 本戦 美濃上有知 60,700 兼松正吉 尾張丹羽郡内 1,000 本戦 (同左) 2,600 松平忠吉に仕官。 亀井茲矩 因幡鹿野 13,000 本戦 (同左) 38,000 長束正家を捕縛。 蒲生秀行 下野宇都宮 180,000 対上杉守備隊 陸奥会津 600,000 京極高知 信濃飯田 100,000 本戦 丹後宮津 123,000 高次弟。 九鬼守隆 志摩鳥羽 50,000 九鬼嘉隆と交戦 (同左) 55,000 父・嘉隆は西軍。 黒田長政 豊前中津 181,000 本戦 筑前名島 523,000 父・如水は九州で西軍と交戦。 桑山元晴 大和御所 10,000 本戦 (同左) 12,000 重晴二男 小出秀家 和泉国内 1,000 本戦 (同左) 2,000 父・秀政、兄・吉政は西軍 小堀正次 大和・和泉国内 5,000 本戦 備中国内 15,000 小堀遠州のこと。 西郷忠員 下総生実 2,000 本戦 (同左) 5,000 徳川譜代 坂井成政 - - 本戦 近江蒲生郡内 500 酒井重忠 武蔵川越 10,000 本戦 上野厩橋 33,000 徳川譜代 酒井忠利 武蔵国内 3,000 信濃上田城攻撃 駿河田中 10,000 徳川譜代 酒井忠世 武蔵国内 5,000 信濃上田城攻撃 上野那波 10,000 徳川譜代 佐久間勝之 近江国内 3,000 本戦 常陸国内 6,000 佐久間安政 近江国内 7,000 本戦 (同左) 15,000 佐々長成 摂津国内 500 本戦 丹波国内 1,000 佐々行政 - - 本戦 (不明) 6,000 里見忠重 - - 対佐竹守備隊 上野板鼻 10,000 義康弟 里見義康 安房館山 91,000 対佐竹守備隊 (同左) 122,000 真田信之 上野沼田 27,000 信濃上田城攻撃 信濃上田 95,000 父・昌幸、弟・信繁(幸村)は西軍。 沢井雄重 - - 本戦 尾張国内 3,000 松平忠吉に仕官。 神保相茂 大和高市郡内 6,000 本戦 (同左) 7,000 菅沼定仍 上野阿保 10,000 駿河府中・興国寺城守備 伊勢長島 20,000 徳川譜代 杉原長氏 - - 本戦 但馬気多郡内 1,000 鈴木重時 大和国内 1,000 本戦 (同左) 2,000 諏訪頼水 上野総社 12,000 信濃上田城攻撃 信濃高島 27,000 徳川譜代 千本資勝 下野大谷津 530 対上杉守備隊 (同左) 880 福原資孝三男 千本義定 下野芳賀郡内 2,070 対上杉守備隊 (同左) 3,370 那須資晴旧臣、那須七騎 高木正次 尾張国内 5,000 信濃上田城攻撃 (同左) 7,000 徳川譜代 武田信吉 下総佐倉 40,000 江戸城留守居 常陸水戸 150,000 家康五男、甲斐武田氏の名跡を継ぐ。 伊達政宗 陸奥岩出山 585,000 上杉景勝と交戦 (同左) 605,000 「百万石の御墨付」は和賀忠親扇動の一件で反故。 田中吉政 三河岡崎 100,000 本戦 筑後柳河 320,000 石田三成を捕縛。家臣の塙安友も参戦。 千村良重 - - 信濃木曾谷平定 美濃久々利 4,400 木曾義利旧臣。 津軽為信 陸奥堀越 45,000 美濃大垣城攻撃 (同左) 47,000 長男・信建は西軍 柘植正俊 - 400 本戦 摂津国内 900 津田秀政 丹波桑田郡内 800 本戦 美濃国内 3,000 津田正盛 - - 本戦 尾張国内 610 松平忠吉に仕官。 土屋忠直 相模国内 3,000 本戦 上総久留里 20,000 徳川譜代 坪内利定 武蔵・上総国内 3,400 本戦 美濃葉栗・各務郡内 6,500 徳川譜代 妻木頼忠 美濃妻木 (不明) 美濃岩村城攻撃 (同左) 7,500 森忠政旧臣 寺沢広高 肥前唐津 83,000 本戦 (同左) 123,000 土井利勝 相模国内 1,000 信濃上田城攻撃 相模国内 1,500 徳川譜代 藤堂高虎 伊予板島 80,000 本戦 伊予今治 200,000 遠山友政 - - 美濃苗木城攻撃 美濃苗木 10,000 徳川譜代 遠山利景 - - 美濃明知城攻撃 美濃明知 6,500 徳川譜代 戸川達安 - - 本戦 備中庭瀬 29,200 宇喜多秀家旧臣。 徳川家康 武蔵江戸 2,560,000 東軍総大将。本戦 日本各地 4,000,000 1603年征夷大将軍に任命。 徳川秀忠 - - 信濃上田城攻撃 - - 家康嗣子、東軍中山道隊総大将。 徳永寿昌 美濃高松 30,000 美濃駒野城攻撃 美濃高須 50,000 戸田一西 武蔵鯨井 5,000 信濃上田城攻撃 近江大津 30,000 徳川譜代 戸田尊次 伊豆下田 5,000 本戦 三河田原 10,000 徳川譜代 富田信高 伊勢安濃津 50,000 伊勢安濃津城守備 (同左) 70,000 1605年に伊予宇和島120,000石に加増転封。 鳥居忠政 下総矢作 40,000 江戸城留守居 陸奥磐城平 100,000 徳川譜代、山城伏見城の戦いで戦死した鳥居元忠の二男 鳥居成次 - - 本戦 甲斐谷村 18,000 徳川譜代。鳥居元忠三男。 内藤清成 相模国内 5,000 信濃上田城攻撃 常陸・上総・下総国内 21,000 徳川譜代 内藤信成 伊豆韮山 10,000 駿河興国寺・沼津城守備 駿河府中 40,000 徳川譜代 内藤政長 上総佐貫 10,000 信濃上田城攻撃 (同左) 30,000 徳川譜代、父・家長は山城伏見城の戦いで戦死。 中川忠勝 - - 本戦 美濃国内 3,000 中村忠一 駿河府中 145,000 本戦 伯耆米子 175,000 父・一氏は本戦直前に死去。 中村元勝 尾張国内 2,000 本戦 (同左) 3,000 松平忠吉に仕官。 那須資晴 下野那須 5,000 対上杉守備隊 (同左) 6,000 那須七騎筆頭 那須資景 下野那須 5,000 対上杉守備隊 (同左) 8,080 資晴長男 成田泰親 下野烏山 20,000 対上杉守備隊 (同左) 37,000 成瀬正成 下総栗原 4,000 本戦 甲斐国内 20,000 徳川譜代 仁賀保挙誠 出羽仁賀保 3,700 上杉景勝と交戦 常陸武田 5,000 元由利十二頭 西尾光教 美濃曽根 20,000 本戦 美濃揖斐 30,000 西尾吉次 武蔵国内 5,000 本戦 美濃国内 12,000 丹羽氏次 尾張国内 5,000 本戦 三河伊保荘 10,000 根津信政 上野豊岡 5,000 本戦 (同左) 10,000 能勢頼次 - - 本戦 摂津能勢郡内 3,000 花房正成 - - 本戦 備中猿掛 5,000 宇喜多秀家旧臣 花房職之 - - 本戦 備中高松 8,000 宇喜多秀家旧臣 馬場昌次 - - 信濃木曾谷平定 美濃釜戸 1,600 木曾義利旧臣。 土方雄氏 - - 丹羽長重と交戦 伊勢菰野 12,000 雄久長男 土方雄久 - - 丹羽長重と交戦 加賀野々市 10,000 一柳直盛 尾張黒田 35,000 本戦 伊勢神戸 50,000 平岩親吉 上野厩橋 33,000 信濃上田城攻撃 甲斐府中 63,000 徳川譜代 平野長重 摂津国内 200 本戦 丹波桑田郡内 500 福島正則 尾張清洲 200,000 本戦 安芸広島 498,300 備後も領有。 福島正頼 伊勢長島 10,000 伊勢桑名城攻撃 大和松山 30,000 正則弟。 福原資保 下野福原 2,600 対上杉守備隊 (同左) 4,500 那須資晴旧臣、那須七騎。 藤田信吉 - - 上杉景勝の謀反を通報 下野西方 10,000 上杉氏旧臣。 古田重勝 伊勢松坂 35,000 伊勢安濃津城救援 (同左) 55,000 古田重然 美濃国内 3,000 本戦 (同左) 10,000 古田織部 船越景直 摂津・河内国内 4,600 本戦 大和宇智郡内 6,100 別所孫次郎 - - 本戦 大和国内 2,500 兄・吉治は西軍。 保科正光 下総多古 10,000 遠江浜松城守備 信濃高遠 25,000 徳川譜代 細川忠興 丹後宮津 180,000 本戦 豊前小倉 399,000 父・幽斎は丹後田辺城守備。 堀田一継 河内・伊勢国内 5,000 本戦 伊勢・河内・近江国内 8,880 本田一継とも 堀尾忠氏 遠江浜松 120,000 本戦 出雲松江 240,000 父・吉晴は加賀井重望に負傷。隠岐も領有。 堀利重 - - 信濃上田城攻撃 (不明) 8,000 堀秀政の弟。兄多賀秀種は西軍。 本多忠朝 - - 本戦 上総大多喜 50,000 徳川譜代、忠勝二男。 本多成重 下総井野 3,000 本戦 (同左) 5,000 徳川譜代 本多康重 上野白井 20,000 信濃上田城攻撃 三河岡崎 50,000 徳川譜代 本多康俊 下総小笹 5,000 本戦 三河西尾 20,000 徳川譜代 前田利長 加賀金沢 835,000 丹羽長重と交戦 (同左) 1,192,700 越中・能登も領有。 前田正勝 - - 江戸城留守居 丹波国内 1,000 玄以二男。弟・茂勝は西軍。 松倉重政 大和五条 8,000 本戦 (同左) 10,000 松平家清 武蔵八幡山 10,000 尾張清洲城守備 三河吉田 30,000 徳川譜代 松平家乗 上野那波 10,000 三河吉田城守備 美濃岩村 20,000 徳川譜代 松平一生 上野国内 5,500 下野板橋 10,000 徳川譜代、父・近正は山城伏見城の戦いで戦死。 松平定勝 下総小南 3,000 遠江掛川城守備 遠江掛川 30,000 徳川譜代 松平忠明 上野長根 7,000 本戦 三河作手 17,000 徳川譜代 松平忠吉 武蔵忍 100,000 本戦 尾張清洲 520,000 家康四男。 松平忠頼 武蔵松山 10,000 三河岡崎城守備 遠江浜松 50,000 徳川譜代 松平信一 下総布川 5,000 対佐竹守備隊 常陸土浦 35,000 徳川譜代 松平康重 武蔵騎西 20,000 遠江掛川城守備 常陸笠間 30,000 徳川譜代 松平康長 武蔵東方 10,000 美濃大垣城攻撃 上野白井 20,000 徳川譜代 水野忠清 - - 本戦 上野小幡 10,000 徳川譜代、加賀井重望により刺殺された水野忠重三男。 水野忠胤 - - 本戦 三河水野 10,000 徳川譜代、加賀井重望により刺殺された水野忠重二男。 水野分長 - - 本戦 尾張緒川 9,800 徳川譜代 三宅康貞 武蔵瓶尻 5,000 遠江横須賀城守備 三河挙母 10,000 徳川譜代 三好為三 - 600 本戦 河内国内 2,020 最上義光 出羽山形 240,000 上杉景勝と交戦 (同左) 570,000 翌春までに上杉領出羽庄内を攻略。二男最上家親は秀忠と上田攻めに参戦。 森可澄 - - 本戦 大和国内 1,000 可政二男 森可政 丹波国内? 1,860 本戦 摂津・丹波国内 2,360 徳川家旗本 柳生宗矩 - - 本戦 大和柳生 2,000 父・宗厳は大和で諜報活動。 安井秀勝 - - 本戦 尾張国内 400 松平忠吉に仕官。 矢島吉十郎 - - 本戦 尾張国内 547 松平忠吉に仕官。 山岡景友 - - 伊勢桑名城攻撃 近江国内 9,000 山口重政 上総国内 5,000 信濃上田城攻撃 常陸牛久 15,000 徳川譜代 山名豊国 - - 本戦 但馬村岡 6,700 山内一豊 遠江掛川 68,000 本戦 土佐浦戸 222,000 山村良勝 - - 信濃木曾谷平定 美濃国内 5,700 徳川譜代、木曾義利旧臣。 結城秀康 下総結城 101,000 対上杉守備隊 越前北ノ庄 670,000 家康二男。対上杉守備隊総大将。 由良国繁 下総国内 5,400 (同左) 7,000 徳川譜代 六郷政乗 出羽仙北 5,000 小野寺義道と交戦 常陸府中 10,000 分部光嘉 伊勢上野 10,000 伊勢安濃津城救援 (同左) 15,000 渡辺守綱 武蔵松山 3,000 本戦 (同左) 4,000 徳川譜代
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