Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

実存主義者のカフェにて

本を読んでいると、本論と関係ないところに気づいて一人で笑ってしまうことがある。 そういうのって、読んでいるうちに忘れてしまうんだけど、なんかもったいないなあ。 ほんと、どうでもいいことなんだけど。

実存主義者のカフェにて

分厚い本なのでなかなか読み終わりません。 でも面白い。

ハイデガーとサルトルを中心にしながら、他の哲学者たちも絡め、実存主義を紹介する本なんだけど、構成が上手いなあ。 よくある哲学の本だと、哲学者を羅列的に並べ、それぞれの生誕から死までの年表的なエピソードを書いて、それから代表作を精読しながら思想的な解説に入るんだけど、そういうのって飽きるじゃないですか。

この本では第二次大戦の前後に起きる事件を中心に据え、そのときフッサールは何をしていたか、ヤスパースは何を考えていたか、レヴィナスは誰と会っていたか、とそれぞれの人生を深めていく。 そんな紹介の仕方をしています。

そうだよね。 哲学は真空に生えるわけではない。 その当時の情勢において、何か発言せざるを得なくなって、思索を巡らせているのです。 しかも、何か書けばまずナチスに命を狙われる。 そういう限界状況にいる。 読むとドキドキしてきます。

私たちがいま目にする「実存主義」は、たまたま原稿が戦火を逃れただけで、見つかっては焚書にされ、著者も牢獄に拘束され、場合によっては銃殺されて「残らなかった実存主義」も多くあった。 ナチスに追い詰められ自殺した人もいた。

サルトルの『存在と無』の「無」には、ナチス占領下のパリで、昨日まではカフェの隅にいた友人が今日は姿を現さない。 次の日もその次の日もやってこない。 でも誰もそのことについて口にすることができない。 そうした思いが込められています。

根をもつこと

で、そういう本筋とは関係なく、シモーヌ・ヴェイユのエピソードを読んでいて「そっかそっか、彼女の著書に『根をもつこと』があったなあ」と思い、スッと繋がりました。

岸本佐知子の短編エッセイ集。 現実なのか空想なのか、はたまた妄想なのかわからない話がちょくちょく出てきてオチも面白いんですけど、たまに意味不明なのもある。

でもそれってヴェイユへのオマージュだったんだ。 表題がヒントかぁ。 違うかもしれないけど。 『根にもつこと』としてくれたら、もっと早く気づいたのに。

まとめ

スティーブ・ジョブスが晩年黒のタートルネックをトレードマークにしてたけど、戦後フランスでサルトルたちが好んだスタイルを模したものだと気づきました。

この本にはマイルスも出てきて、実存主義と出会ってフランスに渡り『死刑台のエレベーター』に参加したわけか。