ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

059『郝景芳短篇集』郝景芳/及川茜訳

街が また暮れてく 全ての在り方を受け入れて

一万元の紙幣を目にするのは初めてだった。・・・その紙幣に目をやると、テーブルの上に広げられた五枚の薄い紙が、破れた扇子のようだった。その紙幣が体内にもたらす力が感じられた。薄い青色は、千元札の茶色や、百元札の赤とは異なり、底知れぬはるかな距離を感じさせ、挑発的だった。もうひと目みたら立ち去ろうと何度も考えたが、結局できなかった。(p.33)

郝景芳(ハオ・ジンファン)。ケン・リュウ【過去記事】が彼女に惚れたのも良くわかる。

もちろん、「惚れた」という表現には若干の誇張と妄想とが含まれている。しかし、村上春樹がレイモンド・カーヴァーに惚れたと言ったとき、それは虚偽だろうか?

つまり、村上春樹がカーヴァーを和訳したように、ケン・リュウは郝景芳を英訳したのだ。そして彼女はヒューゴー賞を受賞した。

また、彼と彼のファンには申し訳ないが、私の見解ではカーヴァーが村上春樹を上回っているように、郝景芳はケン・リュウを上回っている。

 

この短篇集は、一般的にはSF作品であると見なされている。そして、確かに彼女の繰り出すSF的な設定は見事である。「北京 折りたたみの都市」に見られるような大仕掛けから、「孤独な病室」に見られるような小ネタまで、その独創性も素晴らしい。

しかし、この作品集の一番の魅力はそこにはない。郝景芳が抜群の腕をみせるのは、心情表現やそれをあらわすワードセンスなど、オーセンティックな文学としての表現力なのである。

以下、各短編について若干の感想を付す。なお、短篇集であると紹介しているが、比較的長めの作品が多く、中篇集といった方が実態に近い。いつもどおり、気に入った作品には+印を、特に素晴らしかったものには★印を付けている。

+北京 折りたたみの都市

時計を見ると、そろそろ出勤の時間だった。(p.54)

ヒューゴー賞を受賞した中篇。

なんといっても、表題にあるとおり、北京が「折りたたまれる」という大仕掛けの着想が素晴らしい。アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を見た人なら想像がしやすいだろう。この折りたたまれるとは、文字通り物理的に都市が動き、折りたたまれるのである。

人口爆発を経た未来の北京。限りある空間的資源を分け合うために、人々は住民とその人々が暮らす空間を三階級に分けた。それぞれの階級が生活する時間も分けた。そして、ある階級の人々が眠る時間には、その場所を文字通り折りたたんで、次の階級の人々が暮らす空間を展開するのである。

階級というからには、無論格差のテーマを含んでいる。また、テクノロジーの発展が労働機会を奪うのではないかという労働論も暗示されている。

その他にも、身分違いの恋あり、タブー破りありと、長編小説が描けるだけのたっぷりのテーマがこれでもかと織り込まれている。

資本主義的社会の行き着いたその先で、下層民である主人公老刀が見出す生きる意味、働く意味は、月並みではあるが胸を打つ。

 

★弦の調べ 繁華を慕って

ブラームスだけが現在の人類にふさわしい。(p.80)

前には人をテロリストと呼んでいたのに、今はアメリカ人の抵抗が鋼鉄人にテロリズムだと呼ばれているんだから。(p.87)

「弦の調べ」と「繁華を慕って」は別々の作品だ。それでもあえて一つの節にまとめているのには意味がある。この二作は、昔の歌謡曲にあったアンサーソングのように、後者が前者への応答のような位置づけになっているのである。

そして、この二作が実に素晴らしい。

設定のベースは、クラークの『幼年期の終わり』以来の伝統である、「地球人よりも圧倒的に高度な文明を持つ異星人がやってきた」というものである。面白いのは、鋼鉄人と呼ばれるその異星人たちが、強く芸術を愛し、芸術家を保護するスタンスをとっているというところだ。

主人公たちは、専門教育を受けた音楽家の夫妻。最初の「弦の調べ」でスポットライトがあたるのは、夫の陳君のほうだ。こちらの短篇には、「北京 折りたたみの都市」同様、様々なテーマが盛り込まれている。鋼鉄人への抵抗と(政治的な)支配-被支配の問題をメインプロットに、音楽家夫妻の冷え切った夫婦関係や、芸術(=職業)への情熱と稼得の手段としての関係性などなど盛りだくさんだ。

しかし、本作で白眉なのはクラシック音楽への深い造詣をもとにした描写である。そして、それを「芸術を愛する異星人」という基本設定と見事に融和させている点だ。

思えば、『幼年期の終わり』でも、人類最後の一人となったジャンが愛したのはやはり音楽であった。

男の人は自分の好きなことの中で生きているけれど、女は他人の目の中に生きているのよ。私は帰れない。(p.129)

続いて、B面となるのが「繁華を慕って」。こちらは陳君の妻である阿玖サイドから語られる物語だ。華々しい抵抗譚であるA面とは対照的に、内省的なトーンで進んでいく。

こちらで描かれるのは、ラットレースに疲れたエリートの生き様である。阿玖は出世を愛し、夫と離れて暮らすことをも厭わずロンドンへと渡り、成功を夢見た。しかし、そこにあったのもまたエリート同士による果てない成功競争である。芸術への純粋さと、世間的な成功(≒権力への迎合)との相克。こと芸術分野に限らず、あらゆる職業世界につきものの、今この社会のリアルである。

知的エリートによる知的エリートのための物語というきらいもあるが、競争を強制される社会に生きるすべての人に通ずる物語だと思う。

 

生死のはざま

いわゆる死後の世界を描いた物語。

物語の本筋に行く前にまず特筆すべきなのは、睡眠中に見る夢のように、記憶や理解力が曖昧な主観描写、ふわふわとした浮遊感のある空間描写である。

主人公はその世界で、かつて恋焦がれた女性を見出し、追いかける。他方で、現実世界で「キープ」の扱いだった彼女もまた顔を覗かせる。

次第に生前の世界で自分が何をし、そして何故死んだのかをはっきりと思い出していくのだ。

一部中国の故事などがモチーフになっているが、輪廻を前提とする死生観は、我々日本人にも共感しやすい。

なお、悪い物語ではないが、主人公のクズっぷりと、オチが漫画『ナニワ金融道』に出てくる山川与飼夫*1なところですっかり興醒めしてしまった。

 

★山奥の療養院

ポスドク残酷物語。

主人公の韓知は、学歴競争に勝利し、海外留学を経て博士号を取得し、大学に講師ポストまで取得した男性である。矢継ぎ早に就職→結婚→出産とライフステージを進んでいくが、その段階にきて人生の迷子になってしまうのだ。上がらない給料、泣き止まない乳児、義実家からの住宅購入の圧力、ままならない研究テーマ。とっくにポスドクのライフはゼロである。

義父に詰められた後、韓知はまるで逃げるようにして「風景区」と呼ばれる山林での散策を始める。気持ちのいい散歩道、だんだんと暗くなる風景、見失われる帰り道。「風景区」の歩程と韓知自身の人生行路とが重ね合わされていく。

エリートの競争の行く末を描いた作品では「繁華を慕って」と同様、であるが、こちらの作品の方がテーマ性がド直球にあらわれている。

「感情移入は子どもの読書」という意見も大いにわかるが、「わかりみ」が読書の歓びを支えているのもまた事実であるように思われる。

 

+孤独な病室

SF短篇ってこういうのでいいんだよ。というような、ごく短いがお手本的に見事な作品。

恐らくは現在よりもちょっと未来。屋内の家具や壁面のそこここにディスプレイが設置されている、そんなような世界。病棟勤務の看護婦、斉娜は彼氏と「冷戦状態」にあり、数分置きにSNSをチェックしては、彼氏の動向を監視している。

さて、この世界では未来の病が蔓延し、この病棟には多数の患者たちが収容されている。さて、では彼らが冒された病、そしてチューブから注入されるている何かとは?

作品のテーマはずばりSNS。そして、SNSをがもたらすそとづらと自己認識との分離である。ちょっとしたSF的な設定が作品の持つテーマ性と分かちがたく結びついており、そしてそれが十分に現代社会の批判になっている。

 

+先延ばし症候群

これまでの作品とは打って変わってコメディタッチの戯作的作品。

後記のとおりのスーパーエリートであるところの著者でさえ、問題を「先延ばし」にしたくなる瞬間というのはあるんだな。やらなきゃいけないことがあるときほど、ネットをちょろちょろ見たり、余計なことを考えてみたり、自己嫌悪をしてみたり。

そして最後はいらん妄想が始まって・・・その妄想からのSF風のオチがクスっと笑える佳品である。

 

お気に入り度:☆☆☆☆

人に勧める度:☆☆☆☆

 

・師匠格のケン・リュウはこちら

・「同じ中国」人が描いた短篇集でもここまで違う

 

<<背景>>

作者は1984年生まれ。私とほぼ同い年である。

5歳の頃に天安門事件が起こり、その後多感な10代の時期に爆発的な経済成長を経験したことになる。

彼女は高校3年生で文学新人賞を受賞した後、天体物理学の分野で修士課程へ、その後文転して経済学で博士号を取得するという、ケン・リュウもかくやのスーパーエリートである。

原書となる作品集は2016年発表。このうちの「北京 折りたたみの都市」で、同年ヒューゴー賞(中編小説部門)を受賞している。

<<概要>>

短篇7作。原書では11作品であったようで、4作品が省略されている。

10頁に収まるような掌篇から、50頁超の中篇まで、長さはまちまちだ。舞台はいずれも中国か、その未来世界(や、死後の世界)と思われる。

ほぼすべての作品が三人称視点でかかれており、淡々とした描写の中に、記憶に残るようなパンチラインをねじ込んでくるのが魅力である。

<<本のつくり>>

今回は二点だけ。

まず、あとがきについて。複雑だからと割愛してしまっているが、原書の刊行情報などの記載が欲しかった。また、各短篇の初出情報なども載せて欲しい。

なお、代表作といえる「北京 折りたたみの都市」については、本書に先んじてハヤカワのSFアンソロジー『折りたたみ北京 現代中国SFアンソロジー』に収録されていた。ところがこれ、原語が中国語なのにわざわざ(?)ケン・リュウ訳の英語版から重訳しているという謎なシロモノである。

もう一つは、人名の表記についてだ。本作では、初回のみ、漢字表記の人名にカタカナ転写のルビが振られ、以降は漢字のみ表記という方針で訳出されている。

しかし、正直なところ「ゼントカン」や「キンニッセイ」という音をギリギリ聞いたことがある世代としては、「鄧小平」はティンシャオピンよりトウショウヘイのほうがしっくりくる。確かに、昨今の放送や文学作品では、できるだけ原語の発音を転写して紹介されているということは良く知っている。しかし、そうであるならばいっそカタカナ表記にして欲しいと常々思っている。

それというのも、「韓知」にハンジーとルビが振られたからといって、記憶力のない私はそんなことはすっかり忘れて、ページを繰った頃には既に「韓知」という音のない記号になってしまっているからだ。

*1:郝景芳とナニ金の両方読んでる人がいったいどれだけいるだろう!