ウラジーミルの微笑

海外文学・世界文学の感想を長文で書くブログです。池澤夏樹世界文学全集の全巻マラソンもやっています。

006『青い野を歩く』クレア・キーガン/岩本正恵訳

生きてく強さを重ね合わせ

神は、この自然だ。(p.51)

<<感想>>

物語には適齢期があるという話がある。

確かに、ドストエフスキーなら多感な10代に読むのが相応しいだろうし、アンナを「お姉さん」と捉えているようでは、トルストイの理解は叶わないだろう。

私がここまでクレア・キーガンに魅了されたのは、まさにその適齢期に読んだからなのかもしれない。チェーホフやV.ウルフ、K.マンスフィールドの系譜に連なる、実に味わい深く、そして苦み走った傑作群であった。

本書は短篇集である。収録されている短篇はすべてゴリゴリのリアリズム作品だ。ほとんどの作品がアイルランドの田舎を舞台にしていて、豊かな自然描写を伴うのが特徴である。

いずれの作品も、寂莫というのにはやや希望があり、閉塞感というのにはやや安心感のある、どうにも言い表しくにい情動が見事に描かれている。そしてまさしく、そうした情動を表し得る言葉がないからこそこの物語があるのだろう。

以下、各短篇ごとの感想を付す。なお、いつもどおり気に入ったものには+印を、特に良かったものには★印を付けている。

★別れの贈り物

後述の「青い野を歩く」や「森番の娘」ほどではないものの、傑作。

内容面もさることながら、読者に与える情報の統御や、物語自体の緩急の付け方が凄まじく上手い。そうした外形的な完成度だけ問うのであれば、本作が一番かもしれない。

話の筋はシンプル。アイルランドの片田舎に育った娘が、実家の農場を出て、アメリカへと旅立つ。実はその娘は、実父から性的虐待を受けていたというもの。

本作が見事なのは、ともすればセンセーショナルになるテーマをまったくのありふれたこととして描いている点だ。抑圧的な父親、見て見ぬふりをする母親、同情を寄せつつもその土地から離れることのできない兄。100年前にジョイスが描いた"paralysis"【過去記事】そのものの世界がそこには広がっている。

実際にアリス・マンローの一件は大きなニュースになったが、恐らくは世界中の「片田舎」にこうした暮らしは存在しているのだろう。

★青い野を歩く

娘を若い男にやらなければならない男。息子がつまらない女に夢中になるのを目の当たりにする女。親は半信半疑だ。そこには喪失が、感情が、もう戻れないという思いがある。人々の前で誓いの言葉が述べられると、きまって涙が流れる。(p.32)

表題作にして、「森番の娘」と双璧をなす傑作。めっちゃいい。

式を司る神父の視点から見た、ある男女の結婚式。しかし、その目に映る光景はどこか不審で、不穏だ。それもそのはず、この神父は、新婦とかつて関係があったのだ。

キーガンが上手いのは、描写の端々で、この不審さ・不穏さを読者の脳裏に忍び込ませてくる点だ。また、顔なじみの参列者たちのちょっとした描写も見事で、まるでV.ウルフ『灯台へ』【過去記事】に出てくる会食のシーンのようだ。

ひょっとすると、彼ら彼女らは、私と彼女の関係を知っているのかもしれない。生活圏が密着しているがゆえに起こる息苦しさ。タブーを犯すことと、そのことに目をつぶること。横溝正史が描いたような極端な田舎ではない、郊外に普遍的に広がるムラ社会のリアルがここに描かれている。

しかしこの作家が特徴的なのは、そうしたジョイス的麻痺からの恢復もまた同時に描かれている点である。そしてその恢復の過程を彩るのが、土の香りのする豊潤な自然描写である。

本作で描かれているのは、カントリーサイドの暗さだけではない。

+長く苦しい死

彼女は今晩、なにを期待して――あるいは必要として――いたのだろう。今晩、彼女が必要としていたのは、どんな女もときには必要とするもの、すなわちほめ言葉だった。(p.72)

どう考えてもヘヴィな内容を予感させるタイトルを見事に裏切る、比較的前向きなストーリー。ハインリヒ・ベル【過去記事】が過ごした旧家を借りている作家女性を視点に、頑迷で保守的な男性(たち)を描く。

この短篇集には、そこはかとなくチェーホフが匂い立つが、この3つ目の短篇まで読み進めると明示の引用が登場する。そればかりか、物語の進行に沿って、女性主人公がチェーホフの「いいなずけ」を読み進めていくため、同作が精神的な下敷きとなっていると言っても良い。

「いいなずけ」は、ロシアの地方地主の娘が、同じ階級のいいなずけとの結婚を控え、人生に思い悩む物語である。結局、その娘はいいなずけを捨てて、ペテルブルグへと旅立っていく。チェーホフにしては珍しく、明るい予兆が描かれた物語でもある。

どうもキーガンは、この作品を抑圧――慣習や信仰や男性などを振り払う女性の物語と捉えたようだ。

+褐色の馬

小品であるが、この物語に登場する黒ビールのように苦みを感じる佳作。

女、男、女ときて、今度はまた男性視点の短篇。さきほどの「長く苦しい死」が男を捨てた女の物語ならば、今度は女に捨てられた男の物語。

ありがちなフェミニストの小説とは異なり、男性主観もリアルだ。こういうこと、やっちゃいがちなおっさん居るよねー。きっとあなたの周りにも、ひょっとして隣にも。

なお、物語全体がゆるやかな円環構造を描いているのも特徴だ。

★森番の娘

けれども、どこの家庭とも同じように、この家にも月曜が来た。(p.96)

50頁ほどもある長めの短篇。表題作と双璧であるが、マイベストはこちら。

理解の無い夫。家事をしない妻。望み通りにいかない子育て。知的障害を持った次男。借金(≒住宅ローン)。土地の管理。日々の労働。世間の目。消えた会話。切り詰めた生活。浮気の疑い。

在りし日はお砂糖やスパイスや子犬のしっぽで出来ていたはずなのに、大人たちの成分表はこんなにも変わってしまった。

結婚生活の絶望をすべて詰め込んだかのような作品だが、だからこそ見出させる何かが描かれている。

特推し。

+波打ち際で

これだけ初期作品なのだろうか?やや毛色が異なり、アメリカを舞台にしている。ただ、作品集全体を貫くテイストや、キーガン節とでも言うべき色調は健在である。

夫は、約束の時間の五分過ぎに、車のドアを勢いよく閉め、キーを回してエンジンをかけた。走りだそうとしたそのとき、祖母は道に飛び降りて、車を止めた。そして車に乗りこみ、彼女を置いて帰ってしまったかもしれない男と、残りの人生を過ごした。(p.142)

―クソな祖父。

「あのクリントンってやつのことを聞いたか?大統領に選出されたら、ホモを軍隊に入れるとさ」(p.144)

―クソな継父。

だがしかし、語り手はそれによって生かされていることを自覚している。何かを抱えて、生きていくこと。このテーマこそ作者の根底にあるのではなかろうか。

降伏

続いては小品。今度の主人公は元軍人、現警察官の男性。部下には厳しい上司でもある。この男もまた、彩りの無い独身生活を過ごしている。

ほんと、結婚もダメ、独身もダメってんじゃどないせーっちゅーねん。この、生きてくって幸福な瞬間ばかりじゃないよねということがあらゆる角度から描かれている。

結末部でタイトル回収がされるため、これ以上の詳論は野暮かもしれない。

クイックン・ツリーの夜

マーガレットは風の日を待って、傘を開き、飛べると信じてボイラー小屋の壁から飛び降りた。そして、車道に落ちて足首を骨折した。大人になってからも、根拠なく信じていたことがじつはまちがいだったと、そんなふうにあっけなくわかればよかったのだが。大人になるとは、なによりもまず、暗闇に置かれるということだった。(p.177)

「森番の娘」に次いで長めの一作。

迷信深い女が、村の神父の遺した住まいに引っ越してくる。この女、今でいう非モテの女である。同じ丘の上に建つ棟続きの家には、やはり非モテの男が独居している。物語はこの二人を軸に進む。

タイトルのクイックン・ツリーとはナナカマドの別名で、古来アイルランドでは生命を与える力があると信じられてきたようだ。このクイックン・ツリーの逸話に代表されるように、本作では至る所にアイルランド土着のアニミズム的な習俗が散りばめられている。

さて、実はこの主人公の女、神父とは従兄弟同士であったものの、かつてその神父の子を宿し、そして幼くして亡くしたことがあったのだ。

他のいくつかの短篇同様、カトリックが強い国の抑圧的な環境、そして(特に妻帯禁止の)タブーがテーマとなっている。

『ジェイン・エア』【過去記事】でもそうだったが、キリスト教信仰にケルティックな精霊信仰的な要素が対置されるのが面白い。

 

お気に入り度:☆☆☆☆(☆5候補)

人に勧める度:☆☆☆(アラフォー以上向け)

 

・比べて読むならこの作品

・同訳者の良短篇集

 

<<背景>>

短篇集としては2007年発表。各短篇には初出が他にありそうだが、情報に乏しく判然としない。ジョイスの『ダブリナーズ』の成立が1905年頃とされているから、たっぷり百年は経っていることになる。

それにしても百年経ったのにもかかわらず、ジョイスが描いた息苦しさが依然として健在なことに驚く。

なお、冒頭に示した作家はそれぞれチェーホフ(1860年生)、マンスフィールド(1888年生)、ウルフ(1882年生)である。そしてウルフはマンスフィールドの、マンスフィールドはチェーホフの影響をそれぞれ認めている。

<<概要>>

全8作品。長短さまざまで、短いものだと15頁ほど、長いものでは50頁を超える作品もある。二人称という変わった形式の作品(「別れの贈り物」)を除けば、ほぼ全て三人称視点の作品だ。

感想でも触れたとおり、女性作家だからといって女性視点の作品ばかりではなく、若者、独身男性、既婚者のいずれを問わず、男性視点の物語も上手い。

「波打ち際で」を除けば、いずれもアイルランドの、それもかなりの田舎と思われる地域が舞台だ。凡そすべて現代であると思われるが、昔ながらの生活が描かれているため、時代性からは遠い。

むしろ、そうした地域を舞台に描かれているからこそ、より人の感情の機微の普遍性が際立っているともいえそうだ。

<<本のつくり>>

当ブログでは以前にヘモン『愛と障害』の訳者として登場済の訳者。研究者ではなく、翻訳家の方である。

以前にも同様の感想を残したが、訳文は平易かつ読みやすい反面、訳者あとがきがいただけない。私は各短篇の初出情報などや、作品の発表歴などが手が固くまとまったものが好みである。