『闇に消されてなるものか』

『闇に消されてなるものか』_c0051620_13221576.jpg 「第18回被爆者の声をうけつぐ映画祭2024」のチラシを手に入れたのですが、気になる映画がありました。監督は永田浩三氏、製作は第10回江古田映画祭実行委員会の『闇に消されてなるものか 写真家樋口健二の世界』という映画です。紹介文を転記します。

 樋口健二さんは、日本人として初めて「核のない未来賞」を受けた報道写真家。1977年、原発の炉心部で働くひとびとの撮影に初めて成功しました。人海戦術なしには原発は動かないことを世に知らしめたのです。取材の原点は「四日市」の公害。その後石炭・石油・原子力というエネルギー転換の現場で苦しむ人々を取材しました。写真家を目指すきっかけは、20代半ば。ロバート・キャパとの出会いです。連れ合いの節子さんを協働者と呼び、若い写真家に熱いまなざしを注ぐ樋口さんの日々を紹介します。

 樋口健二… お恥ずかしい話、はじめて聞くお名前でした。しかし紹介文を読むと、四日市や原発など、国家や企業の犠牲にされた人々の写真を撮り続けた報道写真家であることを知りました。これは興味があります、ぜひ観てみたい。会場は東京都練馬区江古田にある武蔵大学なので自転車で行けるし、よろしい、山ノ神を誘って観にいきましょう。
 なお監督の永田浩三氏のプロフィールも紹介します。

 武蔵大学社会学部教授。ジャーナリスト。プロデューサーとして、「クローズアップ現代」「NHKスペシャル」「ETV2001」等を制作。ギャラクシー賞・農業ジャーナリスト賞などを多数受賞。映画『命かじり』『闇に消されてなるものか』『60万回のトライ』のプロデューサー。

 映画は、永田氏とスタッフが、国分寺にある樋口氏のお宅を訪問するところから始まります。そして自ら撮影した写真をかざしながら、これまでの人生や仕事を熱く語る樋口氏を、カメラは記録していきます。並行して、野村瑞枝氏のナレーションによる補足や時代背景などの説明がなされます。
 故郷である長野県富士見町で掃苔をする樋口氏。貧しい農家の出身で、赤痢で母を失い、農地を手放して父と上京。日本鋼管の工員として住み込みで働きますが、隣室の工員が重篤な喘息で夜も眠れません。ある日、真っ黒い痰を吐きこのままでは死んでしまいと退職。そんな時に出会ったのがロバート・キャパとの出会いの写真でした。スペイン内戦やノルマンディー上陸作戦を写したダイナミックな写真、そしてドイツ兵の子を出産して周囲の怒りと憎しみを買い、丸坊主にされて晒し者にされるフランス人女性の写真に衝撃を受けて写真家をめざします。
 そして四日市ぜんそくで自殺に追い込まれた人のことを知り、この公害を撮影のテーマとすることを決意。ある患者の提案で、入院患者の隣のベッドが空きベッドに寝泊まりして撮影をおこなう樋口氏。患者の苦痛と苦悩、そして遺影を持つ家族たち。「ひょっとしたら日本でもっともたくさんの遺影を撮影した人かもしれません」とのナレーションで、樋口氏の立ち位置が伝わってきます。国家や企業に殺された側に立ち、その事実を写真で人びとに伝える。ある時、土地の青年から「おまえらのおかげで、俺らが結婚もできねえんだ。いい迷惑だ、余計なことしないでくれ」と罵倒されますが樋口氏は「被害者が大きな声をださないと、あんた方が勝てるなんてあり得ないんだぞ」と逆に迫ります。被害者の声を社会に届ける、それこそがジャーナリストの責務だということですね。
 そうした中、戦時中に毒ガスを製造していた大久野島の取材に行き、いまでも後遺症に苦しむ労働者たちの存在を知ります。そこで被害者の治療に当たっている医師の行武正刀氏から「樋口さん、この問題をやってくれませんか?」と頼まれます。四日市での撮影が途中であるために逡巡しますが、患者の治療に尽力する行武の依頼は断れずに応諾。二つの撮影を同時にこなしていきます。
 国家や企業の犠牲にされた人々を撮影して世に知らしめることを生涯のテーマとした樋口氏は、次のテーマとして原子力発電所を選びます。自ら炉心に入りそこで働く労働者を世界で初めて撮影することに成功し、その過酷な労働、そして下請け・孫請け・曾孫請け・口入れで集めた労働者に犠牲を強いる「原発の差別構造」を暴きます。また、はじめて原発労働者の被害に対する損害賠償の裁判に起こした岩佐嘉寿幸氏の姿も記録していきます。大阪大学医学部が作成した診断書を証拠として提出したにもかかわらず敗訴。「いつか岩佐さんの仇をとる」と誓う樋口氏に、国家や大企業から理不尽な仕打ちを受けた人々と共に闘い、その姿を写真にして社会に伝えるのだという強い信念を感じます。なお被曝した原発労働者が起こした裁判では、一件の勝訴もないという衝撃の事実も知りました。
 そして1999年、東海村でJOC臨界事故が起こるとすぐに駆けつけて、住民の不安や恐怖、そして被曝した住民の姿を撮影。その際に自らも被曝をして白血球の減少をまねいてしまいます。2011年に東日本大震災と福島第一原発事故が起きると、ドクター・ストップを振り切って現地へ、原発事故の撮影に取り組みます。2001年には「核のない未来賞」を受賞、アイルランド・カーンソー岬で行われた授賞式に長年、彼を支えてきた妻の節子氏と共に出席します。
 しかしその節子氏は重い腎臓病を患ってしまいます。貧しい時も一つのチキン・ラーメンを分け合い、「お金になる仕事に追われては(あなたの)魅力が無くなっちゃう。やりたいことをやっているときがいちばん生き生きとしている。だからやりたいことに専念したらどう?」と励ました節子氏。彼女のことを氏は「協働者」と呼びます。亡くなった際の死に顔を、心をこめて写した写真が深く心に残りました。
 最後に、写真学校の教え子や若い学生に、ジャーナリストの責務について語る樋口氏。その印象的な言葉をぜひ紹介します。

 ジャーナリズムは、ただひたすら事実報告するだけで、本質は見えてきませんから疑ってかかるように。ジャーナリストにとって一番重要なことは、ジャーナリストの前に人間でなければいけないということ。差別は絶対にしてはならない。むしろ差別される側に自分を置いてみないと、真実は見えてきません。

 国家や大企業と闘う、理不尽さを問うこと、表現の自由とはそういうことだと思う。背中を向けたらおじゃんなんだよね。動物と同じ。人間も。小さいけど集団でうわぁーとライオンに向かっていったら、ライオンが逃げてった映像があったよね。動物見て下さい、野生動物。背中を見せない。毅然としている。堂々と真実を追究していったら、自分を信じるしか無いじゃないですか。誰が何と言おうと。そういう意気をもっていれば、正しいジャーナリストになれるね。

 うーん、以前に聞いた小倉寛太郎氏の言葉と共振します。

 アフリカのサバンナにはバッファローとヌーという動物がいる。バッファローは、ライオンに襲われると必ず群れで立ち向かう。数頭でライオンに体当たりをし、数頭が傷ついた仲間の傷をなめる。一方、ヌーはチーターに襲われると、バラバラに逃げまどう。チーターの弱点は足なので、数頭のヌーで立ち向かえば被害は減らせるはずなのに、それをしない。そして、仲間の一頭がチーターに食いちぎられているその前で、「ああ今日は俺の番じゃなくてよかった」とばかりに平然と草をムシャムシャ食べている。言い古されたことだが、団結しかない。労働者はバッファローになるしかない。そして個人個人が自分の弱さを克服しようと努力すること。

 勇気づけられる、力をもらえる素晴らしい映画でした。労働者に犠牲を強いる国家と大企業。それに対して声をあげ、毅然とし、連帯して立ち向かうことの重要性を痛感しました。なかなか観る機会はない映画かと思いますが、もし上映されたらぜひ観ていただきたい逞しい映画です。
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 映画の終了後、永田浩三氏のトークがありました。樋口健二は現在85歳。ほんとうはこの場に来てくださるはずだったのですが、直前に動脈瘤が破裂して現在入院中とのことです。ご回復を心からお祈りいたします。
 そしてこの映画をつくるきっかについて。韓国の安世鴻氏が従軍慰安婦の写真展をニコン・ギャラリーで開催しようとした際に、在特会からの電話やネットによる攻撃でニコンの腰が砕けて中止にしてしまいました。東京地裁の裁定で開かれることになりましたが、会話の禁止や金属探知機の設置など異様な雰囲気だったそうです。これではあまりに酷いと、永田氏らが中心となって武蔵大学の前にあるギャラリー「古藤(ふるとう)」で写真展を開催しました。(知らなかった! 観たかった!) その時に来店して、安世鴻氏を激励したのが樋口健二氏だったそうです。永田氏らはこれをきっかけに、ぜひ樋口氏を取り上げたドキュメンタリー映画をつくろうと決意したそうです。"徳は孤ならず 必ず鄰り有り"ですね。そして“闘うギャラリー”をこれからも応援します。

 なお女優の斉藤とも子氏も来場されており、最後に簡単なスピーチをしてくれました。

by sabasaba13 | 2024-12-24 08:04 | 映画 | Comments(0)
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