散歩の変人
2025-01-17T16:23:07+09:00
sabasaba13
地球を彷徨し、本と音楽の海を漂う
Excite Blog
阪神淡路大震災30年
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2025-01-17T16:23:00+09:00
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sabasaba13
鶏肋
<![CDATA[ 1995年1月17日火曜日の早朝、ニュース映像を見た時の衝撃は鮮烈に覚えています。大きな自然災害を経験したことがない私にとって、日本は災害大国なのだとあらためて思い知るきっかけとなりました。この震災を心に刻もうと、その後、神戸の震災モニュメントや、神戸港震災メモリアルパークや、神戸の慰霊と復興のモニュメントや淡路島の野島断層保存館などを訪れて感想を拙ブログに上梓しました。よろしければご照覧ください。
そして亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、被災地の復興を心より祈念いたします。
さて私たちにできること、すべきことは何か。これほど大きな犠牲と被害があったのは何故か、政治・経済・社会のシステムに瑕疵はなかったのかについてしっかりと調査や分析をすることです。そしてそれを教訓としてシステムを改善して対策をたてること。また被災者や被災地に対する復興の支援等は十全であったのか。以上の諸点を東日本大震災(2011)や熊本地震(2016)や能登半島地震(2024)について検証し、対策や改善にフィードバックしていく。この永遠の繰り返しが、災害大国・日本の宿命だと考えます。
そういう視点で阪神・淡路大震災をふりかえると、政府や自治体の対応や対策はきわめて不十分であると言わざるを得ません。残念なことにこうしたポイントについてきちんと取り上げるメディアはたいへん少ないのですが、『しんぶん赤旗』(25.1.17)が二つの記事でまとめてくれています。ぜひ紹介します。
【きょうの潮流】
宝物と呼んで大切にしていたワープロ、大学の課題で制作したパラパラ絵本…。展示された遺品からは、突然「生」を絶たれた無念の思いが伝わってきます▼神戸大学が催している「震災犠牲者の追憶」。阪神・淡路大震災の被災大学として記憶を継承していく責務があると。訪れた学生は「多くの先輩が亡くなられた。あの後に生まれた自分たちにとって震災の教訓を学べれば」▼大都市圏のライフラインを引き裂き、あまたのくらしを破壊した震災から30年。神戸の街を歩けば直接の傷痕は見えませんが、被災者が思い描いた街づくりとはかけ離れた現状が横たわっています▼火災で甚大な被害を受けた長田区の復興もその一例です。昨年10月末に44棟目のビルが完成し再開発事業は終結。震災からわずか2カ月後に住民の反対を押し切って市が推し進めてきた計画ですが、立ち並ぶ商業ビルは人影もまばら。かつての商店街の活気もありません▼「被災者のため、住民の生活のため、とはいえない事業がこの状況を招いた」。地域の変ぼうを見つめてきた共産党の森本真神戸市議は県や市、そして国の大型開発優先の姿勢を批判します▼防災や社会のあり方に数々の教訓を残した30年前の震災。その後も列島では大きな災害が続きますが、避難所の環境から住まいや生業の再建まで、それは生かされてきたのか―。遺族からは命の重さを忘れないでほしいと改めて。森本さんは政治の役割を。「大事なことは明日への希望がみえるとりくみです」
【主張】 阪神大震災30年 教訓生かさない政治を変える
1995年の阪神・淡路大震災は、住宅の損壊約64万棟、災害関連死を含めた犠牲者6434人という、都市部を襲った未曽有の災害でした。
この30年間、政府は悲痛な教訓を受けとめ生かしてきたのか。政治の最大の課題である、国民の安心と安全に真剣に取り組んできたのか。答えは「ノー」です。
能登半島地震では、避難所の雑魚寝、冷たい食事、断熱性のない仮設住宅など、30年前と同じ劣悪な状況が繰り返されています。
阪神大震災では「創造的復興」の名で、震災後の10年余で、直接被害額10兆円を上回る16兆円超の復興事業費が投入されました。その約6割が高速道路、港湾、海を埋め立てた神戸空港建設、都市再開発などにあてられ、震災前からの開発計画が推し進められました。
一方、生活や生業(なりわい)再建は「自助自立」にされ、住宅などを再建した人も二重ローンに苦しみました。住民が区画整理で追い出され、「陸の孤島」といわれた郊外の仮設住宅や高層の復興公営住宅ではコミュニティーが壊され孤独死や自殺が続きました。商店街にはビルができましたが、住民が戻れず、消費が回復せずにテナントが撤退しています。
住民無視の「創造的復興」は、その後の震災でも被災者を苦しめています。
震災前年、日本共産党神戸市議団は市の消防体制の弱さを指摘していました。当時も経済効率優先で病床削減や自治体リストラが行われていました。いま、それがさらにすすみ、自治体のマンパワー不足が能登の復旧を妨げています。
南海トラフ、首都圏直下型地震の危険性が指摘されるなか、一極集中、超高層ビルの建設ラッシュ、湾岸開発など防災を無視した都市開発がすすんでいます。
なぜ教訓が生かされないか。自公政権にとって「安全保障」とは米国の世界戦略にどう従うかが中心であり、「国土強靱化」は"投資しても安心なインフラ"の海外へのアピールだからです。こうした政治を変えなければなりません。
そのなかで特筆されるのは、阪神大震災被災者の粘り強い運動と世論で被災者生活再建支援法を勝ち取ったことです。当時、政府は「私有財産制の国では個人財産は自己責任」と住宅再建支援を拒みました。
議員立法を求める被災者・市民と力を合わせ、日本共産党の衆参議員らが国会議員有志に働きかけ97年に法案を提出。政府はこれを拒む一方、世論を恐れ98年に支援法を成立させましたが、阪神・淡路には適用されず、わずか百万円の「見舞金」で住宅再建には使えないというものでした。
2000年の鳥取西部地震で住宅再建に3百万円を支給する片山善博知事(当時)の英断も受け、支援法改正の世論と運動が高揚。政府も個人の住宅再建は地域再建という公共性があると認め、07年、住宅本体の建設・改修を支援対象とする現行法が実現しました。
住宅は憲法が掲げる生存権の保障に不可欠です。災害列島・日本。金額を引き上げ真に住宅再建可能な制度にする必要があります。政府が責任を果たしきるよう求める運動を各地で大きなうねりにしましょう。
「スフィア基準」の"ス"の字もない避難所の劣悪さは、能登半島地震に至るまでほとんど変わっていないようです。ようやく石破首相がこの基準に言及するようになり、防災庁設置構想を打ち出していますが予断は許せません。前者については未知数ですし、後者については初期対応の改善だけで生活再建へのサポートがないとの指摘もあります(「新婦人しんぶん」[25.1.18]・岡田知弘氏)。
住民の意向を無視しての再開発の強行は、ナオミ・クライン氏言うところの「ショック・ドクトリン(惨事便乗型資本主義)」そのものです。そう、「ショック・ドクトリン」とは、戦争やクーデター、テロ攻撃、市場の暴落あるいは自然災害といった大惨事に襲われた後、人々がショック状態に陥ったことにつけ込んで、大企業に有利な過激な経済改革を強行する手法のことです。明け透けに言えば、被災者の生活再建よりも金儲けが大事だということですね。
その根幹には、「国益やお金や権力のために住民が犠牲になってもかまわない」という棄民政策があると思います。そして少数与党となった自民党政権がその姿勢を改める気配はありません。よって今後予想される南海トラフ地震でも首都直下型地震でも同じことが繰り返されるでしょう。劣悪な避難所と仮設住宅、被災者を犠牲にしての再開発、生活再建に対する無関心。またにわかに可能性が高まった戦争勃発に際しても、同じような棄民政策がとられることでしょう。
なぜこんなことが続くのか。結局、自然災害や戦争や公害やコロナ禍といった危機的事態をきちんと検証せず、教訓にもせず、それに対する政治家・官僚の責任を多くの方々が見逃してきたからでしょう。
アメリカのジャーナリスト・アンカーマン、エドワード・R・マローに「羊の国家は狼の政府を生む」という言葉がありますが、多くの方々がこれからも羊のように唯々諾々と自民党政権を支持すれば、狼は何度でも牙を剥きます。
みんなで狼になりませんか。
本日の一枚は、神戸東遊園地内にある「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」です。
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歴史否定とヘイトスピーチに抗う練馬の集会 2
http://sabasaba13.exblog.jp/33661618/
2025-01-16T07:30:00+09:00
2025-01-16T07:30:31+09:00
2025-01-16T07:30:31+09:00
sabasaba13
講演会
<![CDATA[ 「歴史否定とヘイトスピーチに抗う練馬の集会」、前半の石田正人氏に続いて、後半は『地震と虐殺 1923-2024』(中央公論新社)の著者である安田浩一氏の講演です。まずレジュメの項立ては下記の通りです。
社会を壊す「歴史否定とヘイトスピーチ」を許さない
はじめに~
・坑口を開けろ!-「長生炭鉱」をめぐる市民団体の闘い
・デマが招いたクルド人ヘイト
1、「地震と虐殺」-なぜ殺したのか。殺されたのか。殺させたのか。
・デマにお墨付きを与える政府
・虐殺を招いたのは「地震の混乱」なのか
・虐殺までの道のり
・震災から101年、「なかったこと」にしたい人々
2、歴史否定のうごき
①柳本飛行場跡地(奈良県天理市)の「消された案内板」
・柳本飛行場とは何だったのか
・案内板はなぜ「消された」のか
・市民による新しい案内板設置
②「安重根記念碑」をめぐる宮城県の対応
・なぜ栗原市の「安重根記念碑」があるのか
・ネトウヨによる攻撃
・撤去された案内板
③右往左往する松代大本営案内板
・最初はガムテープ
・そして-「様々な意見がある」と書き換え」
④「朝鮮人労働者追悼碑」を破壊した群馬県の欺瞞
・「強制連行」を政治的発言だと問題視した県
・裁判所に押しかけるレイシスト集団
・市民による抵抗
⑤沖縄と歴史否定
・32軍地下壕の案内板取り消し
・宮古島慰安婦追悼碑への攻撃
・沖縄の慰安婦
⑥朝鮮人労働者を「いなかった」ことにする佐渡金山
・世界遺産をめぐる地元の動き
・「朝鮮人労働者」の文言がどこにもない!
最後に~歴史否定が意味するものは何か
・入管法改悪と朝鮮人差別
・米国マンザナー(カリフォルニア州)で見た「レイシズムの記憶」
以下、私の文責で講演の内容をまとめてみます。
はじめに~ 坑口を開けろ!-「長生炭鉱」をめぐる市民団体の闘い
海から突き出す二本のピーヤ(排気口)が印象的な海底炭鉱の長生(ちょうせい)炭鉱。
【筆者注】「ヒロシマ平和メディアセンター」というサイトにピーヤの写真が掲載されています。
当時の保安法では、安全のために海底から40m以上深いところで石炭を掘らないといけない。しかし長生炭鉱は30m、安全性を無視して安上がりにつくられていた。そして安上がりの労働力である朝鮮人を酷使した。安全性を無視して生産をあげ、コストのために坑夫に死を強いたのである。危険なので炭坑夫は朝鮮人が中心で「朝鮮炭鉱」と呼ばれた。1942年2月3日、天井部分が落盤、浸水。これを「水非常」と言う。183人が犠牲となるが、そのうち朝鮮人・中国人が136人。戦時中、日本のインフラ建設を担わされたのは朝鮮人・中国人であった。戦後、殉難碑がつくられたが、「朝鮮人」「強制連行」の文言はなかった。それでは不十分だと、市民有志が「強制連行」と刻んだ慰霊碑を建立。皆で大喜びし、祝賀会に韓国から遺族を招いた。感謝の言葉を期待していたが、「骨はないのですか」と言われて冷水を浴びたような衝撃を受ける。そして遺骨を回収する決意を固めたのである。採炭は国策事業であり、遺骨の回収は当然国の責務である。しかし国にかけあうが動かない。「骨があるかどうかわからない、見えないものに金は出せない」というのがその理由であった。井上洋子代表は切れ、「自分たちでやる」決意。寄付を募って遺骨回収に取り組むが難行した。重機を使って坑口を探し、なんと昨日(※9月26日)発見できた。骨を見つけて国を動かしたい。
「なぜ30年間も活動を続けてきたのか」と井上氏に問うと、「責任だから。日本社会に生きている者としての責任があるから」という答え。この国や政府にもっとも欠けているのが「責任」。責任をとろうとする市民は、国の誇り。無責任がデマやヘイトスピーチや歴史の否定を生む。
はじめに~ デマが招いたクルド人ヘイト
埼玉県川口市におけるクルド人へのヘイトが激化している。社会の体温とも言うべきSNSには下記のような書き込みがある。
都心から北に遊びに行くときは、かならず刃先ギザギザにしたシークレットナイフ持ち歩いてる。いつでもクルド人や中国人と喧嘩出きるように。
クルド人は殺処分か強制送還にすべき!! 人権などクルド人にあってたまるか
もしよければ20人ぐらいでチーム作ってクルド人をボコしに行きませんか?!手を出さずとも、クルド人が怒り狂うまで煽って撮影を続けたり。生命の保証はできません。根性のあるやつだけ来てください。
クルド人は殺していい法律がほしい
川口自警団公式Xを始動させて頂きます。
芝のヨークマート2階のダイソーではクルド人の子どもが平気で万引きしてるのをよく見かけます。店員に声かけられてもニホンゴワカラナイと言えば済むので今後どんどんエスカレートしていく事でしょう。
万引きの瞬間は顔を映ってしまうので割愛します。
一番最後の事例は、幼い少女を盗撮して万引きをでっち上げた悪質なものである。このSNSは600万回以上閲覧されている。見つけたのはこの少女の中学生の姉。毎日SNSを見て、クルド人へのデマ等をチェックしている。楽しいはずの中学校生活なのに、こうしたところまで追い込むのは許し難い。その後、クルド人へのヘイトデモが、彼女の通う中学校前に押し寄せて彼女の名前を怒号した。絶対に許せない。
なぜ「クルド人排斥」なのか。90年代末からクルド人住民が増加した。現在、日本にいるクルド人は約3000人。そのうち約2000人が関東地方南部で暮らす。難民に対する無理解、差別、偏見がその原因である。しかし、クルド人ヘイトが流布されたのは1年前から。それまでクルド人はまったく関心を持たれなかった。
【筆者注】 2022年に、埼玉県に住むクルド人一家を描いた『マイスモールランド』という映画を観ましたが、激しいヘイトのシーンはありませんでした。
1年前、入管法改悪に対して取材に応じたクルド人が苦難の声をあげた。それをきっかけにクルド人への反発や非難が急増した。もともとは西川口一帯は県内有数の歓楽街、「NH(西川口)流」と呼ばれ数千円で性交が行われていた。市が歓楽街を整理すると中国人が移り住むようになり、中国人ヘイトがはじまった。しかしクルド人ヘイトが始まると中国人ヘイトはなくなった。
おとなしく従順な社会的弱者は許容する。しかし自己や権利を主張する、物を言う社会的弱者はヘイトの対象となる。「マイノリティはマイノリティらしくふるまえ」という差別意識。
1、「地震と虐殺」-なぜ殺したのか。殺されたのか。殺させたのか。
震災直後、政府が自らデマを飛ばしていた。
1923年9月3日、海軍東京無線電信所船橋送信所を通して、内務所(ママ)警保局長(当時の治安トップ)は各地方長官宛に電文を送付。
「鮮人ハ各地ニ放火シ不逞ノ目的ヲ遂行セントス既ニ東京市内ニ於テハ爆弾ヲ所持シ石油ヲ注ギ放火セル者アリ」
「鮮人の行動に対しては厳密なる取り締まりを加えたし」埼玉県内務部による通牒文(1923.9.2)
「不逞鮮人多数が川口方面より本県に入り来るやも知れず、その間、過激思想を有する者らに和し、彼等の目的を達成せんとする趣、聞き及び…町村当局は在郷軍人会、消防手、青年団等と一致協力してその警戒に任じ、一朝有事の場合には速やかに適当の方策を講ずるよう、至急、相当手配相なりき…」
四ツ木橋での虐殺を証言した伴淳三郎。
「阿鼻叫喚の地獄絵図だった」
「朝鮮の人と思われる死体が地面にずらーっと転がっている。その死体の頭へ、コノヤロー、コノヤローと石をぶっつけて、めちゃくちゃにこわしている。生きた朝鮮の人を捕まえると、背中から白刃を切りつける。男はどさりと倒れる。最初、白身のように見えた切り口から、しばらくしてビャーっと血が吹くんだ。俺はそれを目撃して震え上がっちゃった」
「朝鮮の人はたまらず屋根へ逃げのびる。それを下から猟銃で、パパパーンと打ち落とす。その死体めがけて群衆が殺到する。手に手に持った石を、死体めがけて投げつける。死体はたちまちハチの巣のようにメチャメチャになってしまう」
「朝鮮人を殺す」ではなく「朝鮮人を壊す」という表現に注目したい。襲撃に使われた鳶口は、破壊消防のための道具。それを使って朝鮮人を、さらには社会を壊した。今は、言葉とSNSを使って社会を壊している。
「地震の混乱」が虐殺を招いたのか? ちがう。震災の前年の1922年にすでに朝鮮人虐殺事件が起きていた。新潟県中津川の信越電力工事現場で、大倉組(事件当時は日本土木、大成建設の前身)による朝鮮人労働者虐殺が起こされていた。朝鮮人を殺す準備はできていた。
中には、こうした虐殺に対して深甚なる反省をした人物もいた。
東京市社会教育課長 大迫元繁
一、震災に於ける鮮人虐殺事件に直面して、私共は何と云つて鮮人諸君に、御詫び致したらよいかを知らないものです。餘りに惨酷無慈悲、無思慮の致し方で、天人共に長く許し難き罪悪と思ひます。そこで日本人は、根本的に生れ代つて出直さねばなりません。悔ひ改めて全く彼等に対する邪念、邪情を一掃し、謝罪の心持ちを忘れず、彼等の幸福の為凡ゆる方法を講ずる必要がありませう。
しかし日本人は、"根本的に生れ代つて出直"すことができなかった。
いまだに、こうした事実を否定する人たち。
・「虐殺は嘘であります。まったく根拠がない。不逞鮮人が略奪、強姦などをした」
・「(震災直後)コミュニストによる暴動があった。テロもあった。それに対する住民の自警行動があった。虐殺ではない」(鈴木信行葛飾区議)
・「在日朝鮮人との戦いの真っただ中にある。必ず勝利する」(ナオナチ[ママ]活動家の瀬戸弘幸氏)
・「(関東大震災では)朝鮮人の放火などの卑劣な犯罪によって10万人以上の尊い命が奪われた。なのに日本人だけが汚名を着せられた」(慰霊祭実行委員会代表)
朝鮮人に対して害を加える人たち。
ウトロ地区「放火犯」の裁判における証言
・韓国が憎かった
・情報はネットで得た
・韓国による領土侵犯が許せない
・放火は間違いだったが理由は正当
・今後も同じような事件が起こるであろう
【Q&A】
Q.「強制連行」と記された長生炭鉱碑への攻撃はないのか?
A.今のところない。私有地なので非難のしようがない。
Q.「③右往左往する松代大本営案内板」とはどういうことか?
A.当初は「強制的に動員され」という文言だったが、批判を受けて「強制的に」の上に白いガムテープを貼って隠した。それに対して逆批判があったので「必ずしも全てが強制的ではなかったなど、さまざまな見解があります」という曖昧な表現に改変した。
Q.ヘイトスピーチをするのは、どういう人たちか?
A.わからない。老若男女さまざまな人がおり、共通点はない。ただ社会的弱者すべてを差別するようだ。その際に、ものを言うマイノリティ、自己や権利を主張するマイノリティへの攻撃が激しい。逆に、おとなしく従順なマイノリティであれば許容する。「マイノリティなら、マイノリティらしく振る舞え」と強要する。
A.ヘイトスピーチを禁止する法律はないのか?
Q.「ヘイトスピーチ解消法」があるが、理念法なので罰則がなく、効果はほとんどない。川崎市のように、罰則をつけた条例で規制しようとする自治体が増えている。罰則をともなった法律を制定すべきである。なおヘイトスピーチは表現の自由であるとする主張もあるが、そうではない。最も表現の自由を奪われているのは差別されている側なのだということを、忘れてはいけない。
A.カウンターについてどう思うか?
Q.差別を許さず過去の歴史を忘れないということさえ押さえれば、それぞれの仕方で行ういろいろなカウンターがあっていいと思う。
最後に一言。過去の歴史を否定すれば差別と偏見がはびこり、その差別と偏見が殺戮につながる。『地震と虐殺 1923-2024』執筆のための取材をしている間、私はずっと心の中で「殺すな、殺されるな、殺させるな」と唱え続けた。
以上、拙い要約でした。過誤等は全て私の責任です。時間の関係で後半についてのお話を聞けなかったのが残念でしたが、安田氏の思いは十二分に伝わってくるものでした。
一番心に残ったのは、差別の醜悪さです。関東大震災時における虐殺、クルド人に対する言葉の暴力。なぜこうした醜悪な行為を平然と行えるのでしょうか。思うに、当時も今も、生活や将来に対する不安やストレスを解消するためではないでしょうか。朝鮮人と劣った存在として、日本人を優れた存在として位置づけ、根拠のない優越感を得る。そして劣ったと見なした人びとを攻撃し、痛めつけ、最悪のケースでは殺すことによって、不安やストレスを解消する。そう考えました。その不安やストレスは朝鮮人やクルド人のせいではなく、政界・財界がつくったシステムが原因であることに気づかないのですね。
もう一つ考えたのは、日本政府の無責任さです。長生炭鉱内の遺骨収集に消極的で、クルド人へのヘイトスピーチを規制せず、関東大震災時の虐殺にも無関心な日本政府。まるで過ちを繰り返しても仕方がないと開き直っているようです。同時に、差別を黙認する態度にも疑問を持ちます。なぜ包括的な差別禁止法を制定せず、独立した人権救済機関を設立しないのか。推測するに、差別を禁止した結果、私たちが連帯して政府に抗うことを恐れているのだと思います。差別を黙認することによって私たちを分断し、無力で従順な存在として支配する。
これに対して、過ちに対して責任をとろうとする市民たちの動きには感銘を受けました。長生炭鉱内の遺骨収集のために尽力し、寄付を募り、政府を動かそうとする井上洋子代表の言葉が耳朶に残ります。
日本社会に生きている者としての責任があるから。
こうした動きに連なるとともに、過去の過ちに責任を果たす政府を選出するよう努力をしていきたいと思います。
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歴史否定とヘイトスピーチに抗う練馬の集会 1
http://sabasaba13.exblog.jp/33660971/
2025-01-15T07:14:00+09:00
2025-01-15T07:14:48+09:00
2025-01-15T07:14:48+09:00
sabasaba13
講演会
<![CDATA[ 講演会の嬉しいところは、いろいろな講演会のチラシが手に入ることです。『地震と虐殺 1923-2024』(中央公論新社)の著者、安田浩一氏の講演会が開かれることもある講演会でいただいたチラシで知りました。また先日撤去されてしまった、群馬県における強制連行による朝鮮人犠牲者を追悼する碑を守る会の石田正人の報告もあるとのことです。これはぜひお話を伺ってみたい。
というわけで先日、石神井区民交流センターに行き、「歴史否定とヘイトスピーチに抗う練馬の集会」に参加してきました。主催は、「ヘイトスピーチを許さない・練馬/練馬教育問題交流会」、チラシの紹介文を転記します。
いま、加害の歴史を否定する動きが強まっています。各地にある加害の歴史を刻んだ追悼碑や案内文、教科書などがターゲットになっています。群馬県による「群馬の森」朝鮮人追悼碑の撤去、小池東京都知事による関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式に追悼文送付取りやめなどの官製ヘイト、レイシストグループが煽るクルド人などマイノリティへのヘイトなど、官民あげての差別煽動は、100年前の朝鮮人虐殺がたんなる過去の出来事ではないことを示しています。このような状況にどう抗していくのか。安田浩一さんの講演から考えていきます。群馬の森・追悼碑撤去について「守る会」のさんも報告に来てくださいます。ぜひご参加ください。
まず登壇されたのが「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を守る会の石田正人氏で、「群馬の森朝鮮人追悼碑撤去とその後」についての報告です。
拙ブログに以前掲載したのですが、『週刊金曜日』でこの追悼碑の存在を知り、高崎・川越旅行のときに立ち寄ろうとしたのですが、肝心の「群馬の森」に辿り着けずに断念しました。ところが再訪を期してまごまごしている間に、山本一太群馬県知事によって撤去されてしまった次第です。
それでは私の文責でお話をまとめてみます。
2024年1月29日~2月11日、群馬県は群馬の森を閉鎖して、行政代執行により追悼碑を撤去した。本来は「移動」でいいはずなのだが、あえて「破壊」したのである。
そもそも「記憶 反省 そして友好」朝鮮人追悼碑とはどういうものか。それは、戦時中の朝鮮人強制連行・強制労働犠牲者を追悼する碑である。「群馬県立群馬の森」の東の端に位置しており、通行の邪魔になるところではなかった。
ここにはかつて陸軍の岩鼻火薬製造所があった。板橋とならぶ代表的な火薬製造所だった。事故を最小限にするために、小さな工場を分散して配置し、随所に小山を築造した。なお火薬の爆発事故によって日本人労働者も犠牲になったことも忘れてはならない。戦争はかならず犠牲を生む。
1995年、群馬県内で平和運動に携わっていた市民有志らによって「戦後50年を問う群馬の市民行動委員会」が結成された。県内6都市で「侵略戦争写真展」を開催し、以後各地で「平和展」を開催した。
そして群馬県内における朝鮮人強制連行・強制労働の調査に取り組んだのである。委員会として、朝鮮人追悼碑の建立を決意し、2001年6月、群馬県議会に対して「戦時中における労務動員朝鮮人犠牲者の追悼碑建立に関する請願」を提出し、これが全会一致で採択された。そして「記憶 反省 そして友好」朝鮮人追悼碑がつくられ、2004年4月に除幕式が行われた。県知事から「追悼の言葉」が届けられ、沼田市長など自治体代表、南北の民族団体、市民らが参加した。韓国から遺族会も招いた。
碑文は下記の通り。
追悼碑建立にあたって
20世紀の一時期、わが国は朝鮮を植民地として支配した。また、先の大戦のさなか、政府の労務動員計画により、多くの朝鮮人が全国の鉱山や軍需工場などに動員され、この群馬の地においても、事故や過労などで尊い命を失った人も少なくなかった。
21世紀を迎えたいま、私たちは、かつてわが国が朝鮮人に対し、多大の損害と苦痛を与えた歴史の事実を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明する。過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていきたいと考え、ここに労務動員による朝鮮人犠牲者を心から追悼するためにこの碑を建立する。この碑に込められた私たちのおもいを次の世代に引き継ぎ、さらなるアジアの平和と友好の発展を願うものである。
2004年4月24日
「記憶 反省 そして友好」の追悼碑を建てる会
※碑文中の「朝鮮」及び「朝鮮人」という呼称は、動員された当時の呼称をそのまま使用したもので、現在の大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国、及び両国の人達に対する呼称である。
【筆者注】「TOKYO ART BEAT」というサイトに、碑の写真が掲載されています。なお二つの碑にそれぞれスリットがあり、これらを通すと朝鮮半島の方角となるというお話がありました。「犠牲者に故国の方角を教えてあげたかった」ということです。
以後、毎年追悼集会が行われるが、「強制連行」という発言が政治活動にあたるという指摘は、県側からは全く無かった。
しかし2012年以降、「碑文の内容は事実ではなく、碑は撤去すべきだ」と主張するグループが抗議活動を展開。群馬県(山本一太知事)は、追悼式の集会で「強制連行」への言及があったことを県は問題視し、追悼碑の撤去を決定した。撤去の根拠は、「強制連行」という発言が政治活動にあたるという一事のみである。県有地なので政治活動はしないと約束していた。会としては、撤去を食い止めようと様々な運動や裁判闘争を行ったが、守りきれなかった。
群馬県における強制連行と強制労働は歴史の事実である。その証拠は数多く残っている。調査の結果、さまざまな事実が判明した。
月夜野の地下工場は、朝鮮人によって掘られた。
間組による岩本水力発電所の建設における難工事に強制連行された朝鮮人は約1000人、中国人は606人であった。固い岩盤に朝鮮人がつくらされた長さ15kmの水路橋が今も残る。その過酷な労働環境の様子は、社史「間組百年史」にも記録されている。
「…当時食料は非常に粗悪で、カボチャ、トウモロコシ、サツマイモなどが主食であったが、それすら満足に食べられない慢性的な飢餓状態」
「…食事の内容はコウリャンと糠で作った饅頭を一食につき二個支給されただけ」
かつて日本が朝鮮人に対して与えた多大の損害と苦痛を深く記憶にとどめ、心から反省し、二度と過ちを繰り返さない決意を表明すること。そして過去を忘れることなく、未来を見つめ、新しい相互の理解と友好を深めていくこと。そのためにも追悼碑は絶対に必要なものである。
【Q&A】
Q.撤去費用はどうなったのか?
A.はじめは、嫌がらせのためか2000万円を請求された。その後音沙汰はない。
Q.「守る会」はどうなったのか、また今後の活動予定は?
A.追悼碑が撤去されたので「守る会」は解散。しかし寄付を募って同じデザインの追悼碑を再建したい。できるだけ群馬県庁の近くで、さらに碑文には撤去を決めた山本一太群馬県知事の名前を明記したい。
Q.現在、追悼碑のあったところはどうなっているのか?
A.更地になっている。そこへ行けばバーチャルで追悼碑を見られるアプリを製作中。
最後にどうしても一言つけくわえたい。「朝鮮人労働者がすべて強制連行ではなかった」という見解もあるし、それは事実だ。ただ当時日本は朝鮮を植民地としており、土地調査事業・漁業令・会社法などで朝鮮人の生業を奪っていった。その結果、朝鮮人は日本に行って低賃金で働かざるを得なかった。巨視的に見ると、これは事実上の「強制連行」である。
以上、拙い要約ですが、私なりにまとめました。過誤等がありましたら全て私の責任です。
お話を聞いて、日本が犯した過ちを真摯に反省し、二度と過ちを繰り返すまいと決意し、アジア諸国と相互の友好と理解を深めていこうとする群馬市民の方々に心から敬意を表します。そして過去の過ちをなかったことにしようとする歴史修正主義者の方々、およびそれに同調する地方行政の方々には、もっと深く考えてほしいと思います。過ちを認めて反省しない国が、周囲から信頼を得られるわけがありません。日本の安全保障にとって最も重要なのは、軍事費を激増することでも、アメリカの*を舐めることでもなく、アジア諸国との友好と信頼関係を築くことにあると確認します。負の歴史から目を逸らす自慰史観は、著しく"国益"に反する考えではないでしょうか。
そして目から鱗が落ちてコンタクトレンズをはめたように視界がクリアになったのが、朝鮮人は、日本による植民地化によって日本に行き低賃金で働かざるを得なかったという指摘です。使い捨てのできる低賃金労働力を確保するために、琉球やアイヌなど国内の植民地化、次にアジアの植民地化を推し進めたという言い方もできますね。近代日本の経済発展を支えた最も大きな要素が、この「使い捨てられる安上がりの労働力」だと気づきました。さらに考えると、労働者を犠牲にして経済を発展させるというこの構造は、高度経済成長期には不可視化されていましたが、バブル崩壊後の経済低迷のなかで再び露呈しているのが現在だと考えます。非正規雇用や外国人技能実習生が典型的な例ですね。もちろん、安価な労働力を使い捨てて経済を発展させるという構造は、かつてはある程度世界共通のものだったのでしょうが徐々に改善されつつあると思います。しかしなぜいまだに日本ではあまり変わらないのか、考えて生きましょう。
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言葉の花綵291
http://sabasaba13.exblog.jp/33660336/
2025-01-14T08:02:00+09:00
2025-01-14T08:02:36+09:00
2025-01-14T08:02:36+09:00
sabasaba13
言葉の花綵
<![CDATA[ 何かをなすことによって学ぶ。(ジョン・デューイ)
自分自身のアーティストであれ、そして自分のやっていることに常に自信を持て。(アレサ・フランクリン)
最も重要なのはあなたの心と直感に従う勇気です。心と直感はあなたがほんとうは何になりたいかをなぜか知っているからです。(スティーブ・ジョブズ)
ここに放射性廃棄物を埋める。未来の君たちにこのような負の遺産を残すことを本当に申し訳なく思う。我々の科学技術では放射性廃棄物を無害化することはついにできなかった。以下の期間、慎重に管理し続けることを願う。安全レベルの目安、放射性セシウム三〇年、プルトニウム二万四千年、ウラン235七億三八〇〇万年。(『明日のハナコ』 玉村徹)
演劇は言葉やもがきを使って客につかみかかる身体表現です。(鈴江俊郎)
民衆のスポーツへの熱狂、効率よく働く労働者の身体、船倉でしっかり戦う兵士という3側面で、スポーツは権力に都合が良い。(井谷聡子)
「過つは人間の性」こそ、われわれがもっとも熟知している真理である。(チャールズ・サンダース・パース)
議会政治は総ての場合に「総てか、然らずんば無か」の態度を許さぬ。常に妥協であり、譲歩であり、漸進である。(石橋湛山)
日本の学界には禁欲主義みたいなものがあって、学問とはつらいこととみつけたり、ということでないといけないような空気がありますが、私はいやいややる学問にろくなものなしと考えております。(桑原武夫)
戦争は嫌でございます。散らかりますから。(岡本文弥)
一つ、月謝、自由気ままなるべし。
二つ、ともに師、ともに弟子たるべし。
三つ、出欠各自勝手なるべし。(松下村塾の誓い)
やらかしても怒る人なんていませんよ、みんなやらかすから。(吉田知那美)
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雲仙観光ホテル・軍艦島編(16):雲仙地獄(18.9)
http://sabasaba13.exblog.jp/33659656/
2025-01-13T08:12:00+09:00
2025-01-13T08:12:02+09:00
2025-01-13T08:12:02+09:00
sabasaba13
九州
<![CDATA[ 遊歩道を歩き終え、ホテルや土産屋がある小さな町を散策していると、古い門柱がありました。
その由緒についての解説を転記します。
この古びた門柱は、大正後期に造成された「新湯ガーデン」という外国人避暑客向けの庭園の入口の門柱でした。
何度かの移転を経て、当地に旧雲仙観光協会のインフォメーションセンターが整備された際に、その門柱として移転して来ました。
雲仙温泉街の歴史をひっそりと眺めてきた、旅する門柱です。
元商店だったような家には、写真とともに、下記の悲しい説明文がありました。今はどうなっているのでしょうか。再建ができるよう祈念します。
当店は7月21日未明に雲仙市水道排水管の爆発的な破裂100トンもの水吹き出し泥とともに店に流入しました 復旧予定が未完で胸を痛めている次第です 皆様には大変ご迷惑をおかけ致しますが只今再建に向けて努力しておりますので何卒よろしくお願いします
平成30年8月 店主
以上で散歩は終わり。前述の『ナガサキの郵便配達』(ピーター・タウンゼント SUPER EDITION)に次のような一文がありました。
衝撃的な秘密開示を行い、できれば、自分がその後で花嫁との間に成立させなければならない難しい和解を結ぶために、スミテルが選択できる場所として、これ以上の所はなかった。この小規模な雲仙の観光地は、スコットランドやサセックス、オーストリアやアルプスの湖水地方などのヨーロッパの小さな町に匹敵する場所だった。(※緑屋旅館) (p.209)
過分な称賛にも思えますが、落ち着いた雰囲気の観光地であることには違いありません。近くにあった土産屋で、ナイト・キャップ用の地酒を購入。それにしても風が強い、明日の軍艦島クルーズが欠航になったらどうしよう。
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雲仙観光ホテル・軍艦島編(15):雲仙地獄(18.9)
http://sabasaba13.exblog.jp/33659005/
2025-01-12T08:29:00+09:00
2025-01-12T09:03:09+09:00
2025-01-12T08:29:18+09:00
sabasaba13
九州
<![CDATA[ 雲仙九州ホテルの前にはタゴールの碑がありました。
タゴールの碑
インドの詩聖ラビンドラナート・タゴールは大正13年5月に雲仙に遊び、このホテルに於いて一夜をすごした
昭和36年タゴール生誕百年 長崎タゴール研究会・九州ホテル・一般有志 共同建立
なおタゴールは親日家で、五度にわたって来日しているとのことです。1916(大正5)年の来日の際に、三渓園を訪れたことを現地で知りました。その記事に、『日本の百年5 成金天下』(今井清一 ちくま学芸文庫)の中の一文を引用したのですが、今読み返してもたいへん重要な内容なので再掲します。
タゴールは(※1916年)5月29日に神戸についてから9月2日に日本を去ったが、その大半を横浜の原三渓邸で送り、東京帝大、慶応、早稲田、日本女子大などに講演にもいった。慶応では「日本の精神」と題する講演をおこなったが、それは日本の国家主義が際限なく膨張することにたいする警告であった。
「もとより私は自己防禦のための現代的な武器を取得するのを怠ってよい、ということを意味するつもりはありません。しかしこのことは、日本の自衛本能の必要以上に決して出てはならないものであります。(略) もしこの人びとが力を求めるに急なあまり、自分の魂を犠牲にして武器を増加しようとしたら、危険は、敵の側よりもその人たち自身の側にますます大きくなっていくものであるという事実を、日本は知らねばなりません。」
「日本にとってそれにもまして危険なのは、西洋の外観を模倣することではなく、西洋文明の原動力を日本自身の原動力として容認することであります。(略) 今日西洋文明が流行している国においては、国民のすべてがその少年時代からあらゆる方法によって、憎悪と野望とを養いそだてることを教えこまれているのであります。歴史のなかへ半面の真理と虚偽とをつくりだして、それを人びとに教えこもうとするのです。(略) そうすることによって、国民のあいだに絶えず隣人や他国家にたいする悪意をかもし出そうとしているのであります。これこそまさに人類の泉に毒をなげ入れるものであります。(略) したがってわたくしは、西洋の政治思想の乱暴な圧力が、日本のうえに被いかぶさってくることを恐れているのです」(『タゴール生誕百年祭記念論文集』 1961)
そしてインドに帰ると、彼は『西洋における国家主義』のなかで、もっと端的に論じた。
「わたしは日本において政府の民心整頓と国民の自由の刈り込みに全国民が服従するのをみた。政府が種々の教育機関を通じて国民の思想を調節し、国民の感情をつくりあげ、国民が精神的方面に傾く徴候を示すときには油断なく疑惑の眼を光らせ、政府自身の仕方書にしたがって、ただ一定の形の塊に完全に鎔接するのに好都合なように(真実のためではなく)狭い路を通って導いていくのを見た。国民はこのあまねくいきわたる精神的奴隷制度を快活と誇りをもってうけいれている。それは自分でも『国家』と称する力の機械になって、物欲のために他の機械と覇を競おうとの欲望からである。」(『タゴール生誕百年祭記念論文集』より) (p.482~3)
当該記事にも書いたのですが、子どもたちに、憎悪と野望、そして歴史における半面の虚偽を教え込み、隣人や他国家にたいする悪意を醸し出す。政府が種々の教育機関を通じて国民の思想を調節し、国民の感情を作り上げ、ただ一定の形の塊となるよう導いていく。そして国民は、このあまねくいきわたる精神的奴隷制度を快活と誇りをもって受け入れ、「国家」と称する力の機械になって、物欲のために他の機械と覇を競おうとする。現在の日本はこの情況からどれほど変化したのでしょうか。いまだに、「人類の泉に毒をなげ入れる」行為をしつづけているのではないのでしょうか。タゴールの言に謙虚に耳を傾けるべきだと思います。
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雲仙観光ホテル・軍艦島編(14):雲仙地獄(18.9)
http://sabasaba13.exblog.jp/33658340/
2025-01-11T09:12:00+09:00
2025-01-11T09:14:00+09:00
2025-01-11T09:12:57+09:00
sabasaba13
九州
<![CDATA[ 遊歩道をしばらく歩くと、十字架とキリシタン殉教碑がありました。
ここで受難した主な殉教者 205福音 (列福1867年7月7日ローマ)
ミカエル中島 修道士 1628年12月25日この地で殉教
バルトロメオ・グチエレス 神父
ビンセンシオ・カルワリオ 神父
フランシスコ・デ・ヘスス 神父
アントニオ石田 神父
ガブリエル・デ・マグダレナ 修道士
五名はここで拷問を受け、その後1632年9月3日長崎で火刑により殉教
キリシタン殉教碑
キリシタンが厳しい弾圧を受けていたころ、幕府は改宗を迫る手段として、温泉の熱湯をかけるというひどい仕打ちを行なっていました。
寛永4年(1627)からの7年間にこの地で殉教していった者は33名といわれています。
この地獄を見下ろす丘の上に立っている十字架は、今なお殉教の信徒をたたえています。
そういえば、噴気口の中にキリシタンを逆さに吊り下げる拷問を描いた銅版画を見たことがあります。
さまざまな地獄を見ながら、斜面にうねるようにつくられた遊歩道を散策。
全部で30ほどの地獄があるそうですが、こんな地獄がありました。
八万地獄
地獄という言葉は、現世に悪いことをすると、死後に苦しみの世界に落ちるという仏教説話に基づくものです。
いつの世も、地獄を恐れる人々の心は変わらず、このような荒涼とした場所に地獄のイメージを重ねてきたのでしょう。
八万地獄というのは、人が持っている八万四千の煩悩によってなされた悪行の果てに落ちる地獄のことだといわれます。清七地獄
豊臣秀吉、徳川家康らの統一権力の時代に、キリスト教を禁じる政策がとられ、キリシタン禁制と呼ばれました。
江戸幕府は、キリストの絵を人々に踏ませる「踏み絵」をさせて信者を見つけ出し、この雲仙で処刑しました。
キリシタンで長崎に住む清七という男が捕えられ、処刑されましたが、そのころにこの地獄が噴出したといわれ、この名がつけられました。]]>
雲仙観光ホテル・軍艦島編(13):雲仙地獄(18.9)
http://sabasaba13.exblog.jp/33657596/
2025-01-10T08:41:00+09:00
2025-01-11T09:13:33+09:00
2025-01-10T08:41:36+09:00
sabasaba13
九州
<![CDATA[ それでは雲仙地獄の観光といきますか。ホテルを出て少し歩くと、そこは一面に白い奇岩と朦々とした噴気が漂う荒涼とした景観。
解説板を転記します。
雲仙地獄は、島原半島中央にそびえる雲仙岳の"呼吸"を観察できる場所です。雲仙岳のマグマだまりは、ここより西にある橘湾の海底の下にあると言われています。雲仙岳の主峰である普賢岳の平成噴火(平成2~7年)の際には、マグマだまりからマグマが上昇して火口から噴出しましたが、普段は火山ガスのみが上昇しており、地下水や雨水と混ざることで温泉となります。小浜温泉・雲仙温泉・島原温泉は、同じマグマだまりに由来していますが、マグマだまりからの距離に応じて火山ガスの成分が変化するため、それぞれ泉質や色に違いがあります。
雲仙地獄は、高温の硫化水素が地表の岩石を溶かして白い泥にし、白い噴気とともに辺り一帯を覆う様子が、まるで生物がいないように見えるところから「地獄」と呼ばれています。しかし、実際には、ツクシテンツキやツツジ類などの硫化水素に比較的強い植物が分布し、独特な生態系を形成しています。
まずは地表からひときわ勢いのよい噴気が噴き出る大叫喚地獄です。その勢いに圧倒されて、思わず動画を撮影してしまいました。
解説板を転記します。
大叫喚という名前は、噴気口から聞こえてくる低音(アー、オー)が地獄からの叫び声や喚き声のように聞こえることに由来しています。この音はガラス瓶に口を当てて吹いた時にでる低音と同じ原理で、噴気口を火山ガスが勢いよく通る際に発生します。
大叫喚地獄は、雲仙地獄に現在30あると言われている地獄の中で、最も活発に噴気を出しています。噴気が活発な区域は長い年月をかけて西から東に移動していると言われており、ここより西にある旧八万地獄(噴気が沈静化)やさらにその西にある原生沼(噴気が止まり植生が回復)と比べるとそのことがよく分かります。
噴気の音頭は、約120℃です。
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言葉の花綵290
http://sabasaba13.exblog.jp/33656931/
2025-01-09T09:24:00+09:00
2025-01-12T15:53:18+09:00
2025-01-09T09:24:04+09:00
sabasaba13
言葉の花綵
<![CDATA[ およそ人間でありながら財であるような人間は、他のものの所有物である。(アリストテレス)
有利な側ではなく、有意義な側に立つ。(チェ・スンボム)
ファシストになるより豚のほうがましさ。(ポルコ・ロッソ 『紅の豚』)
私はいつも若者に話すんです。大切なのは書生的問題意識と、商人的現実感覚だと。(金大中)
AIには倫理がない。だから絶対にAIが人間に教えることはないと信じたい。(マルクス・ガブリエル)
ある一つの職業の偉大さは、もしかすると、まず第一に、それが人と人を親和させる点にあるかもしれない。真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係の贅沢だ。(『人間の土地』 サン=テグジュペリ)
偶然は決して偶然に起こるものではない。準備してこそ偶然は起こるものである。(池明観[チ・ミョンガン])
持っている人は持っているし、持っていない人は持っていない。それ以上のことは、言ってもあまり意味がない。(『日の名残り』 カズオ・イシグロ)
犯罪が犯されたのです。歴史が彼らを裁きます。(サルバドール・アジェンデ)
富なるものは人生の目的-道を開くという人生唯一の目的、ただその目的を達するための手段としてのみ意義あるにすぎない。(河上肇)
恥知らずと泥棒を刑務所へ! (アジェンデを支持したチリの労働者)
記録し、どんな時代だったのか次の世代に伝えたい。二度と過ちを繰り返さないために。(パブロ・サラス)
彼らは"ppm"のようなものだ。社会全体の利益から見れば無に近い。(『MINAMATA』 チッソ社長)
私は失敗する権利は子どもにも大人にも与えられた権利だと思っています。(堀真一郎)
人間の本質は善なのです。(アンネ・フランク)
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『俺たちの箱根駅伝』
http://sabasaba13.exblog.jp/33656240/
2025-01-08T07:35:00+09:00
2025-01-08T07:35:55+09:00
2025-01-08T07:35:55+09:00
sabasaba13
本
<![CDATA[ 箱根駅伝といえば、それを克明に描いた小説『俺たちの箱根駅伝』(池井戸潤 文藝春秋)を昨年読みました。とりたてて熱心な池井戸潤のファンではなく、氏の小説は『下町ロケット』と『空飛ぶタイヤ』しか読んだことがありませんが、その抜群のストーリー・テリングについては高く評価しています。本作もぐいぐいと引き込まれるように読み進み、あっという間に読み終えてしまいました。
文藝春秋のサイトから、あらすじを転記します。
古豪・明誠学院大学陸上競技部。箱根駅伝で連覇したこともある名門の名も、今は昔。本選出場を2年連続で逃したチーム、そして卒業を控えた主将・青葉隼斗にとって、10月の予選会が箱根へのラストチャンスだ。故障を克服し、渾身の走りを見せる隼斗に襲い掛かるのは、「箱根の魔物」…。隼斗は、明誠学院大学は、箱根路を走ることが出来るのか?
一方、「箱根駅伝」中継を担う大日テレビ・スポーツ局。プロデューサーの徳重は、編成局長の黒石から降ってきた難題に頭を抱えていた。「不可能」と言われた箱根中継を成功させた伝説の男から、現代にまで伝わるテレビマンたちの苦悩と奮闘を描く。
ついに迎えた1月2日、箱根駅伝本選。中継を担う大日テレビのスタッフは総勢千人。東京~箱根間217.1kmを伝えるべく奔走する彼らの中枢にあって、プロデューサー・徳重はいままさに、選択を迫られていた―。テレビマンの矜持を、「箱根」中継のスピリットを、徳重は守り切れるのか?
一方、明誠学院大学陸上競技部の青葉隼斗。新監督の甲斐が掲げた「突拍子もない目標」の行方やいかに。そして、煌めくようなスター選手たちを前に、彼らが選んだ戦い方とは。全てを背負い、隼斗は走る。
箱根駅伝というビッグ・イベントを、駅伝チームと報道陣という二つの視点から複合的に描いたところが見事。物語は単調さから救われ、箱根駅伝という"魔物"が立体的に浮かび上がってきます。
結局、明誠学院大学は予選会で敗退し(10位とのタイム差は10秒!)、本選には出場できません。その責任を強く感じる青葉隼斗は、本選に出場できなかった選手から構成される関東学生連合に選抜されます。このチームはオープン参加のため、その順位やタイムは記録に残らず、報道陣からも軽視されます。
そして明誠学院大学の監督・諸矢久繁は、己の指導力の限界と老いを自覚して、監督をその指導力を見込んで卒業生の甲斐真人に譲ります。しかし甲斐は陸上競技から離れて総合商社でサラリーマンをしている男です。監督を引き受けた彼の思いは…
「私は大学を出てからずっとビジネス界で過ごしてきた。そこはまさに生き馬の目を抜く、法律にさえ違反していなければなんでもありの世界だった。理不尽がまかり通り、それまで信じていたものが根底から覆される。何度もそんな経験を繰り返すうち、私はこう思うようになった。この世の中で、本当に信じられるもののために働きたいと」
自分を見つめる選手たちひとりひとりの顔を、甲斐は見ている。
「陸上競技の世界には、嘘がない。タイムの短縮を追究し、ひたすら努力を重ねる情熱、執念、勇気-。ここにこそ疑う余地のない真実があるはずだ」
選手ひとりひとりの視線を受け止め、力強く甲斐は言い放った。「心ない報道やネットでの発言は続くかもしれない。だが、何が本当かは我々だけが知っている。これから我々がすべきことは、自分を信じて、ひたむきに走ることだけだ。その戦いには裏切りはない」 (上p.322)
予選会11位チームの監督が、自動的に関東学生連合の監督となります。そして甲斐監督のもと、急ごしらえの寄せ集め集団が始動します。しかし、選手たちの思いはバラバラです。このチームで経験を積みたい、箱根駅伝の雰囲気を知りたい、あるいは勝ちにいきたい… しかし甲斐は最下位常連の学連チームにとんでもない目標を設定します。本選三位以上を目指す。彼の意図は?
「知っての通り、学生連合チームはオープン参加の扱いで記録に残らない。仮に我々が優勝したところで、それは幻に終わる。いま三位以上といったが、正確には三位になっても"三位相当"としか表現されない。だが、それでもあえて、私がこの目標を掲げる理由は、ふたつある」
甲斐は続けた。「ひとつは、本気で戦わないレースからは何も得られないということだ。雰囲気だけ味わいたいのなら、沿道で旗でも振ってた方がいい。逆に本気で戦った者にとって、本選が与えてくれる恩恵は計り知れない。持ち帰ってチームに伝えたい雰囲気や情報に止まらず、きっと君たちの今後の人生に役立つ、明確な何かを残してくれるはずだ。本気の挑戦にこそ、神が宿る」 (略)
「そしてもうひとつの理由はもっと明快だ。学生連合チームを率いるにあたり、ここにいる選手全員の記録を調べてみた。この十六人のうち、十人は過去に一万メートルで28分台を出している。あとの六人もそれに肉薄している。今回、ここに集った十六人は、いわば箱根駅伝の神様の配剤だと私は思う。偶然とはいえ、こんなにタレントの揃った学生連合はいままでになかった。奇跡の十六人といっていいだろう。君たちの力を合わせれば、本選でシード校と互角かそれ以上に戦える。決して夢物語じゃない。目標を達成できるかどうかは、事前の準備と戦略、そしてメンタル次第だ」 (略)
「ここのところ学生連合チームは最下位争いの常連だ。どうせ今年もダメだろうと、日本中の箱根駅伝ファンがそう思ってる。その予想通りの結果を受け入れるのか。負け犬になるのか-。冗談じゃない。我々は違うということを世の中に見せてやろうじゃないか。見返してやるんだ。どうだ、みんな。一緒に挑戦してみないか」 (上p.151~3)
この気持ちがバラバラな寄せ集め集団が、甲斐監督のもと、どうやって一つにまとまり、本選三位以上という目標に向かって切磋琢磨していくのか。ここがこの小説の読みどころのひとつです。
そしていよいよレース本番です。多くの観衆が沿道で見守るなか、すさまじいプレッシャーに直面し、普段の走りができない学生連合の選手たち。しかし、日々の練習や競技の内容、戦況、気温、天候、結果、チームメイトと交わした会話の内容などを実に詳細に記録して、選手ひとりひとりの能力や性格、考え方にいついて深く掘り下げていた甲斐は、運営管理車から的確な声掛けをしてランナーたちを立ち直らせていきます。このあたりも読みどころのひとつ、長文ですがぜひ引用します。
高梨との距離はわずか三メートルだが、浩太にはそれが途轍もなく遠い距離に感じられた。
この差は埋められない。
所詮、俺はこいつに勝つことは無理なんだ。勝てるわけがない。
劣等感で一杯になった浩太の胸で絶望が膨らみ始めた。浩太の感情は行き場を失い、彷徨い、ついに八方塞がりになろうとしている。そのとき-。
「浩太。-浩太」
ふいに誰かが呼びかける声がして、浩太は思考の渦から現実に引き戻された。甲斐だ。
「空を見てみろ」
その甲斐の声がいった。運営管理車からマイク越しに語りかけてくる声だ。
思いがけないひと言に、浩太は、前を走るコバルトブルーのユニフォームに固着したようになっていた視線を上げ、遠く前方に向けてみる。
いままで雲に分厚く覆われていた空に出来た裂け目から、神々しいほどの太陽光線が地上へ降り注いでいた。天空から光の粒子が零れ落ちてきて、透明な器の中ではじけているかのようだ。それが輝ける天然のオベリスクのようにして、そこにある。自分を誘うかのように。
それを目にしたとたん、浩太ははっと我に返った。
波が押し寄せてくるように、沿道の歓声が戻ってきた。
「四年間、お前はやれることはすべてやってきた。精一杯努力してきたんだ」
甲斐が語りかけてくる。「お前がやるべきことは、自分に誇りを持って走る、ただそれだけだ。お前にはお前の走りがあるはずだ。ひとりのランナーとして、誇りを取り戻せ。いまがそのときだぞ」
腕を振り、一歩一歩地面を蹴りながら、浩太は甲斐の言葉に耳を傾けている。
「浩太。いままでお前が背負ってきたものは全部ここに置いていけ。肩の力を抜いて、気楽にいこうじゃないか。リセットして、あの光に向かって走れ。さあ、気持ちよく走るぞ。これからだ」
なぜだろう、涙がこみ上げてきた。
走りながら顔を上げ、浩太はその空を見つめる。暗い雲が割れた隙間に覗く空の、群青にも近い青さが目に鮮やかだ。きっと、この青さの向こうに未来と呼べるものがあるのではないか。そんな気がした。自分が進むべき未来が。
唇を噛み、コース前方に視線を戻す。
腕が振れてきた。
脚が前に伸びはじめる。
地面を蹴る、軽快な音が心地よく耳に届いた。それまでの重苦しい感覚は魔法のように消え、しなやかさが体に宿る。きっと、あの空がくれたんだ-そう浩太は思った。(下p.244~6)
「空を見てみろ、か」
先ほど、中継車のマイクが拾った甲斐の言葉を、諸矢はつぶやいた。そして-。
もし俺なら、大舞台の雰囲気に飲まれた松木にどう声を掛けただろうと、考えてみる。
技術的なアドバイスか。それとも人目を憚らぬ叱責か。
いずれにせよ、「空を見てみろ」、などという声掛けはしなかったはずだ。
だが甲斐は、松木の内面を見抜いていた。
松木が何を思い、どう走っていたのか。それを理解していたからこそ、第三者からすれば意表を衝くひと言で、いまにも倒れていきそうだった松木のメンタルを立て直せたのだろう。それはおそらく、甲斐にしかできないファインプレーだ。実際、その後の松木の走りは瞠目すべきもので、見ている諸矢の方が励まされたくらいだ。(下p.258~9)
読みどころはまだあります。それは箱根駅伝を生中継するスタッフたちの動きです。事前の綿密な取材、固定カメラのベストな位置での設置、カメラの切り替え、そしてCMを挿入するタイミング。何気なく放送を見ているだけではなかなか気づかない活動を興味深く知ることができました。
そして強豪チームに目を向け、毎年下位に低迷する学生連合チームには一顧だにしないスタッフ。しかし学生連合チームはそうした先入観や軽侮に挑み覆し、どんどん順位をあげていきます。
-学生連合チームの目標は三位以上だそうです。
その報告とともに小馬鹿にした笑いを浮かべた安原がいま、バイクに乗って青葉と併走している。
あのとき、中継スタッフの誰ひとりとして学生連合チームの挑戦を、まともに取り合わなかった。一顧だにせず、失笑とともに片付けたのだ。それだけではない。多くのマスコミは東西大の平川監督の論説を取り上げ、関東学生連合というチームの存在に勝手な疑問符を付け、ろくな取材もせず甲斐批判の尻馬に乗った。
四面楚歌の中で、予選会で敗退した十六人の若武者たちは結束し、自らの信じるたった一本のロードに希望を託したのだ。
青葉の走りは、この本選に出られなかったランナーたちの矜持そのものだ。
これは敗者たちによる、途方もない挑戦だ。
しかもその挑戦はまだ終わっていない。(下p.272)
学連チームの瞠目すべき走りに、彼らへの取材を怠っていたスタッフたちは慌てふためきます。しかし視聴者に伝えるべき情報はありません。このピンチを救ったのがベテラン・アナウンサーの辛島文三でした。
「関東学生連合のアンカー、明誠学院大学の青葉隼斗が素晴らしい走りです」
辛島の実況が始まった。(略)
「大学卒業後、青葉は地元羽生市に戻り、武州正藍染の会社に入ります。同じ藍染職人だった祖父、繁さんは老後の資金を削ってまで青葉を大学に出してくれました。"今度はぼくが祖父に恩返しをする番です"、そう青葉はいいます。"伝統ある武州正藍染を未来に継承するため、祖父から受け継いだ大切なタスキを、今度はぼくが次の世代へと運びたいんです"、と。さあ、鶴見中継所から十八キロ、御成門を過ぎました。青葉隼斗、ちょっと苦しくなってきたか。少し体が揺らいでいます。フィニッシュまで残り五キロ。青葉、渾身のラストラン。歴史に残らない歴史が生まれようとしています」
じっと聞き入っていた北村が立ち上がり、拍手し始めた。
-さすが、辛島さんだ。
気難しくて使いにくい上に、北村との確執まである。そんな辛島を起用することには、正直、抵抗もあった。だが、辛島で良かった-徳重もまた拍手を送りながら、いま心からそう思わないではいられない。若手アナウンサーたちがなぜ皆、辛島を待ち望んでいたのか。その意味が、痛いほどわかる。
辛島はおそらく、学生連合チームに対する取材の薄さに気づいたに違いない。だから、自ら足を運び、ひとりひとり丁寧に取材を重ねたのだろう。ベテランアナ独特の嗅覚-そんな言葉で片付けるのは簡単かもしれないが、その本質は徹底したプロ意識だ。その周到な準備が、番組を救ったのだ。
「箱根駅伝」で、学生連合チームについてこれほど切り込んだのは、初めてのことだろうが、それだけの価値はある。そう徳重は確信した。
彼らが手にする勲章はないかも知れない。だがひたすら無欲だからこそ、ひときわ眩しく光り輝く戦いがある。その奮闘を全国の人たちに放送できることが、徳重には何より誇らしかった。(下p.308~10)
選手に対するリスペクトを常に抱き、彼らの思いを言葉にして視聴者に伝えんとする辛島アナ。素敵なバイ・プレーヤーでした。
さて、関東学生連合チームは、三位以上という目標を達成できたのか。それとも… もちろん結果は書きません。ただ、箱根駅伝を見る目がより深くなり、そして何より残りページが少なくなっていくのが残念な、たいへん面白い小説でした。お薦めです。
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2025 箱根駅伝
http://sabasaba13.exblog.jp/33655588/
2025-01-07T07:37:00+09:00
2025-01-07T07:37:02+09:00
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sabasaba13
鶏肋
<![CDATA[ 例年、年末年始は、山ノ神とともに箱根大平台にある小さな別宅に長逗留して湯治を楽しみます。本を読んで、テレビやDVDの映画を見て、酒を飲んで、サイレント・チェロを弾いて昼寝をして、温泉に入る(以下繰り返し)という安楽で怠惰な小原庄助さん的暮らしに浸るわけですが、中でも楽しみなのが、すぐ近くの国道1号線を走る箱根駅伝の応援です。ランニングをするわけでもなく、陸上競技に興味があるわけでもないのですが、若人たちが、仲間のために箱根の山を必死で無心に駆け上り駆け下る姿は、言いようもなく逞しく美しく、見ているだけで胸が熱くなります。もちろん今年も見にいってきました。
1月2日(木)、トップの選手が函嶺洞門近くを駆け抜けたあたりでおもむろに腰を上げてコートを着て丸喜屋さんのあたりまで出かけましたが、沿道は観衆で埋まり良いポジションはとれませんでした。ほぼ快晴、温暖で無風という絶好の条件のもとでしばし待っていると、やがて選手たちが次々と駆け抜けてゆきました。この急峻な坂をよくぞあのスピードで走れるものです。ランナーたちの熱き闘いを楽しませてもらいました。
1月3日(金)、復路六区の山下りです。午前8時に芦ノ湖からレースは始まります。昨日のことに懲りて、トップの選手が芦ノ湯を通過したころに出かけました。幸い、箱根登山鉄道の大平台駅近くで良い場所につくことができました。急カーブのところなので長い間ランナーを見ることができるし、カーブ・ミラーで選手の接近を知ることもできるし、すぐ近くで大平台の子どもたちが血沸き肉躍るような太鼓を叩いて応援する姿に接することもできます。無風ですが曇天、かなり寒かったのですが、選手にとっては良い条件なのかもしれません。やがて選手たちがものすごい速さで駆け抜けてゆきました。仲間たちの思いを背負い、タスキとともにそれを次の選手につなごうと疾駆する姿に見惚れました。
通過後、家に戻ってテレビ観戦。青山学院大学の総合優勝でレースは終わりましたが、結果についてはあまりこだわりません。さまざまな思いを込めて学生たちが駅伝に集中でき、それをわれわれ観衆が楽しめるという平和な社会に生きていることを喜びましょう。そして暮らしを楽しむ余裕などない困窮した人びと、戦火に怯える人びと、難民としてテントに暮らす人びと、自然災害や環境危機に追いつめられる人々が、日本にも世界にも数多いるということを決して忘れないようにしましょう。パレスチナを代表する詩人マフムード・ダルウィーシュ(2008年死去)の「他者のことを考えて」という作品の一部です。
朝食を作るとき、他者のことを考えて(鳩の糧を忘れないで)。戦争をするとき、他者のことを考えて(平和を求める人々を忘れないで)。水道料金を払うとき、他者のことを考えて(暗雲を飲んで生きる人々がいる)。家に、あなたの家に帰るとき、他者のことを考えて(テントの民を忘れないで)。]]>
コルセット
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2025-01-06T07:25:00+09:00
2025-01-06T07:25:54+09:00
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sabasaba13
演劇
<![CDATA[ 先日、山ノ神とともに、練馬文化センター小ホールで「劇団朋友」の『コルセット』を観劇してきました。太田善也作、黒岩亮演出。チラシに記載されていたあらすじを転記します。
社交的で行動力のある芳美。大人しく芸術肌の久莉子。二人で立ち上げた、下着メーカー『ワルキューレ』。二人は最高のパートナーだった。しかし、久莉子の突然の妊娠、退社を機に別々を歩む。
そして月日は流れ、『ワルキューレ』創立30周年記念パーティー。社長として仕事一筋で生きてきた独身の芳美と、家庭に入り妻として母として生きてきた久莉子は、久々の再会を懐かしむ。…はずが、二人の会話はすれ違い、久莉子の家族、芳美の会社を巻き込んだ騒動へと発展してゆく…
『あの時ああしていれば、今頃はどうなっていただろう…?』
若くもなく、かといって年寄りでもない。そんな、50代を迎えた女性二人の物語。
物語は、芳美(今本洋子)と久莉子(水野千夏)の再会と気持ちのすれ違いが軸となります。結婚をせずに仕事一筋に打ち込んできた社長・芳美、しかし将来への不安に苛まれてこれまでの人生に疑問を持っています。一方久莉子は主婦として、夫・娘の信恵(鈴木千晶)と共に幸せな家庭を築いていますが、ときどきやりがいのない暮らしに虚しさを覚えています。かつて親友だったこの二人が、再会をきっかけに相手の生活を羨望し、それを認めたくないために攻撃的となり大喧嘩を始めてしまいます。
そんな芳美に思いを寄せるのが部下の阿部健太(野田裕)、しかし20歳以上年下の彼との恋愛に躊躇し、彼女は別れ話を切り出します。
一方、久莉子の娘・信恵は『ワルキューレ』に勤めており、新製品のデザインという大役を芳美から命じられます。しかし一生懸命に努力するのですが、なかなか上手くゆきません。父の勤める会社の御曹司・石清水正彦(上松コナン)との結婚も決まっていたのですが、「男は仕事、女は家庭」という信念をもつ石清水に苛立ちを覚えた信恵は、とうとう婚約を破棄してしまいます。そうした彼女をあたたかくサポートするのが、施設の修繕を担当する用務の村田国夫(石川惠彩)。
更年期、仕事、家庭、恋愛といったさまざまな要素がからんで、物語が展開していきますが、テンポのよい会話、絶妙な「間」と「緩急」、笑いとユーモアによってどんどん物語に引き込まれます。中でも、芳美と久莉子が大喧嘩をする場面での、機関銃のような言葉のぶつけ合いには息を呑みました。自らの不安や苛立ちを否定するために互いを責め立てる二人を、今本洋子と水野千夏の両氏が見事に演じていました。ブラービ!
また堅物だけれども誠実で真面目な石清水正彦をユーモラスに演じた上松コナン氏にも拍手をおくりましょう。
そしてクライマックスです。社長の芳美によって新製品のデザインに何度も駄目をだされた信恵はとうとう心が折れてしまいます。しかし芳美は「強くなれ、弱い者は淘汰される」と信恵を厳しく叱咤。立ち直れない信恵。その時、その場に居合わせた村田は…
はい、後は観てからのお楽しみです。意表をつくような展開と心あたたまる大団円だったとだけは保証します。
ほんとうにほんとうに面白い芝居でした。いろいろな葛藤や挫折や不安や苛立ちを抱えながら、日々懸命に生きる人びとを描いた群像劇として出色のものです。タイトルの『コルセット』はそうした問題や悩みからのブレイクスルーを暗示しているのですね。己を見栄えよく補正するためのコルセットなど脱いでしまえ、ありのままの自分でいいんだ。
もし観る機会がありましたらぜひご覧ください。かなりお薦めです。
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『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』
http://sabasaba13.exblog.jp/33654148/
2025-01-05T07:57:00+09:00
2025-01-05T07:57:54+09:00
2025-01-05T07:57:54+09:00
sabasaba13
映画
<![CDATA[ マイケル・ムーア監督の映画が大好きです。これまでも『ボウリング・フォー・コロンバイン』、『華氏119』、『キャピタリズム ~マネーは踊る~』、『シッコ』などを観ましたが、権力に対する歯に衣着せぬ舌鋒鋭い批判と、辛辣なユーモアには脱帽です。実はここだけの話、妙心寺退蔵院でご本人とお会いしたこともあります。
しかし『マイケル・ムーアの世界侵略のススメ』(2015)はどうわけか観ていません。彼の最高傑作との評判も聞くし、観てみたいものだと常々思っていました。そうか、DVDを販売しているかもしれない。インターネットで調べてみると…ありました。すぐに購入し、先日山ノ神といっしょに拝見しました。DVDジャケットの紹介文を転記します。
世界の様々な仕組みや考え方を知ることで、本当の幸せとは何かを考えさせてくれる、ムーア史上もっとも心暖まる、感動ドキュメンタリー!
これまでの侵略戦争の結果、全く良くならない国・アメリカ合衆国。米国防総省の幹部らは悩んだ挙句、ある人物に相談する。それは、政府の天敵である映画監督のマイケル・ムーアであった。幹部らの切実な話を聞き、ムーアは国防総省に代わって自らが"侵略者"となり、世界各国へ出撃することを提案。ムーアに課されたミッションは、世界各国の様々な『幸せ』を根こそぎ略奪し、アメリカへ持ち帰ることであった-。
ムーアは航空母艦(!)に乗り込み、最初の侵略国イタリアに到着します。イタリアでは8週間の有給休暇と長い産前産後休業とともに、家に帰ってゆっくり家族と食事を楽しむランチタイムを盗みます。そしてラルディーニ社やドゥカティ社の基本的ポリシー、「会社の利益と職員の福利厚生は両立する」も略奪します。
気になって調べてみると、アメリカは、法定有給休暇日と有給公休日(祝日)を合わせた有給休暇日数は年間10日と、197カ国・地域中2番目の少なさでした。(2022年)
フランスでは、小学校の給食が、シェフがテーブルまで運んでくるコース料理でした。それと、高校で使われている性教育の教科書「楽しいセックス」も盗みました。
ムーアが、アメリカの給食の写真を子どもたちに見せると、みんな「不味そう」顔をしかめます。またテキサス州やユタ州では性教育をせず高校生に「禁欲」を求めますが、その結果はフランスの何倍も高い10代の妊娠率と性感染症の罹患率です。
フィンランドでは文部大臣を直撃し生徒の学力が世界一になった秘密を盗みます。それは「宿題の廃止」、「少ない授業時間」、「選択式ではなくすべて記述式のテスト」そして「全国統一テストの廃止」でした。私立学校はほぼなく、どのような家庭の子どもも原則として自宅に近い公立校に通います。
アメリカの教育はで、「落ちこぼれゼロ法」が有名です。『社会の真実の見つけかた』(堤未果 岩波ジュニア新書)から引用します。
…2002年の春にブッシュ大統領(署名)で成立した教育改正法「落ちこぼれゼロ法」…
アメリカの子どもたちの学力改善を旗印に作られた法案は、以下のような内容になっている。
*2005年までに、すべての州は3年生から8年生までの生徒に毎年国語と算数の「一斉学力テスト」を受けさせなければならない。
*2014年までにすべての州が、州内の児童の学力を国が定めた水準まで引き上げること。(略)
*学力テストの点数に応じて国からの予算に格差をつける。(略)
*この競争の結果は全て学校と教師の責任とする。ノルマが達成できなかった学校には、成績の悪い生徒の転校、教員の再研修、減給または解雇などの罰を与える。3年連続でその適切な向上を示せなければ、連邦政府からの補助金で生徒を強制的に他の学校に移す。
*4年連続でノルマ達成ができなければ国からの予算は全額カット。学校を廃校にするか、民営化(チャータースクールに)する。(p.67~8)
次の国はスロバキア、ではなくスロベニア。(ムーアはわざと言い間違えます) この国では大学の授業料が無料で学生に「借金」を背負わせません。政府は授業料の有料化を試みていますが、学生たちは一致団結して抵抗します。
アメリカではどうか。同じく『社会の真実の見つけかた』(堤未果 岩波ジュニア新書)から引用します。
アメリカでは大学費用は親が出すのではなく、子どもが自分で学費ローンを借りて卒業後に働きながら返すやり方が一般的だ。
「小さな政府」政策の流れで政府が教育予算を減らし、大学の学費は値上がりを続けている。予算カットで返済不要の奨学金は縮小され、政府が利子を保証する金融機関の学資ローンが主流を占めるようになると、学生たちの負担はますます大きくなった。
これらのローン貸し出し機関は急速に民営化が進み、利子も州によっては非常に高くなる。(略) 学資ローンは、4年制なら平均約3万ドル、修士では12万ドル、医学部なら15万ドルを超える借金となって、卒業と同時に若者の肩にのしかかる。
失業率が上昇する中、卒業してまともな職に就けるチャンスは年々下がるのに、学資ローンは延滞が利かず、返済が滞ればあっという間に借金と化してしまう。そうやっているうちに借金総額が雪だるま式に膨れ上がるしくみだ。
だが借金づけになった学生に、逃げ道はない。家を手放せば借金が消える住宅ローンと違い、学資ローンには消費者保護法がきかないからだ。(p.46~7)
アメリカでは、学資ローンを利用する学生の割合は公立で60%以上、非営利大学で70%以上、そして私立大学では96%にのぼる。返済能力が低い学生ほど高金利が設定され、2008年度の金利は最高18%に達している。(p.117)
ドイツでは、労働者や労働組合の力が強く、企業の経営にも参画してその権利や福祉を守ろうとします。またホロコーストを深く反省して、二度と繰り返さぬよう努力をしています。かつてナチス党大会が開かれたニュルンベルクでは、かつてそこに住んでいたユダヤ人家族の名を記したプレートが路上に設置されていたり、「ユダヤ人立ち入り禁止」といった往時の差別的警告を今でも掲示していたりと、絶対に忘れないという強い意思を示します。
それに対してアメリカは、先住民を虐殺し、黒人奴隷を虐待した歴史への反省があまりありません。黒人奴隷に関する博物館ができたのは2015年だそうです。
ポルトガルではドラッグは違法ではないため、過去15年間、ドラッグ使用による逮捕者はゼロ。
アメリカではドラッグは違法。ただし、映画では白人よりも黒人の方が重罪となると説明していましたが本当でしょうか。だとしたら明白な人種差別です。しかも公民権運動が盛んな頃だったので、その対策として黒人をより多く収監するであったとも。さらに囚人たちを安価な労働力として利用し、名だたるメーカーがブランド品を作らせるという目的もあったと説明されていました。こうなると、人間の尊厳よりも経済的な利益を優先した、非道な措置ですね。
ノルウェーの刑務所は、リゾート地の別荘のような解放型のもの。部屋の鍵は自身が持ち、外出も自由です。殺人犯が料理の腕をふるうキッチンにはナイフがたくさんありますが、看守は銃も警棒も持っていません。死刑はなく、もっとも重い罰は懲役21年。それでも殺人事件の発生率は世界一低いそうです。
一方のアメリカ、警官や看守が容疑者や囚人に暴力をふるい虐待する場面の実写映像が、これでもかと紹介されます。
北アフリカのチュニジアでは2011年のジャスミン革命で独裁者を追い出し、民主的な政権が誕生しました。しかしこの政権は女性の権利を排除したため女性たちは立ち上がり、男女が平等となるように憲法を変えさせ、政権を交代させました。今や、人工妊娠中絶の費用まで国が負担しています。
アメリカでは、中絶の可否をめぐって激しい議論がありますね。大統領選の争点にもなっているようです。
最後に訪れたのは、1975年、90%の女性が仕事を放棄しストライキを行った国、アイスランド。1980年には世界ではじめて女性大統領が誕生しました。2008年の世界金融危機では3大銀行が破綻し、唯一黒字だったのは女性が経営する銀行でした。破綻した銀行は救済されず70人以上の銀行家が起訴され、有罪となりました。
その世界金融危機のきっかけとなったリーマン・ショックはアメリカで起こりました。しかし、処罰された銀行家はひとりもいません。
最後に訪れたのはベルリンです。一緒にベルリンの壁を壊した人物と再会し、思い出を語り合います。冷戦中は永遠だと思われていた壁を、みんなで力を合わせ、ハンマーとノミで壊すことができた…
以上、たいへん心に残る映画でした。やはり自分たちの社会はベストだという独善に陥ったら事態は何も変わらないのですね。謙虚な気持ちで他国や他者と向き合い、そこから学び、みんなで力を合わせて様々な問題を解決していき、みんなが幸せに生きられる世の中に変えていく。できないことはない、そう、ベルリンの壁も壊せたのだから。
そしてムーア監督は、人々を不幸にしているアメリカの"壁"に目を向けるよう促していきます。経済的な利益の偏重、競争と自己責任の強制、若者や教育(つまり未来)の軽視、不十分な労働者の立場や権利、男女不平等や死刑制度など人権の軽視。他国から学ぶことによってアメリカ人を不幸にしている"壁"を可視化し、みんなで力を合わせて壊していこうと力強く呼びかけます。ハンマーとノミとやる気と連帯があれば"壁"を壊して、みんなが幸せになれる社会をつくれるんだというメッセージを受け取りました。力をもらえる、そして心暖まる素敵な映画でした。お薦めです。
なおこれは他人事ではありません。日本でもアメリカ化が進み、私たちを不幸にする"壁"が厳として存在します。たとえば… 再び『社会の真実の見つけかた』(堤未果 岩波ジュニア新書)から引用します。
そして日本はアメリカに負けず教育予算を下げている。2009年に発表された教育予算のGDP(国内総生産)比はOECD(経済協力開発機構)加盟国中最下位だ。国が予算を下げれば学費は上がり、その分家計への負担は増えてゆく。
今では大学生の三人に一人が、学資ローンを貸し出す日本学生支援機構(JASSO)から借金をして大学に通っている。毎月、上限の5万1000円まで借りて、四年間で約244万円、これに3%の利子がつく。学資ローン制度が機能する最大の条件である安定雇用が崩れて就職先がないため、借金を背負って卒業した学生たちは悲鳴を上げている。
ある就職アドバイザーは、ここ10年ほどで大卒者の借金に関する相談が急激に増えたと言う。
「借金して大学を出て、就職の内定がもらえず、留年するかフリーターになるか。私が相談を受けている事例の大半が一人で1000万円の借金をしています。この時代に狂気の沙汰でしょう? もちろん借入名義人は親御さん。親御さんが返済したら老後資金が吹っ飛びます。本人がやっと就職しても、初任給20万円、手取りで17万円。10年返済で毎月10万6000円。15年でも7万9000円。とても無理ですよ。
政府はこうした現状をまったく無視して、アメリカのように奨学金の学資ローン化を進めているんです」 (p.115~7)
さあ、みんなでハンマーとノミを手にして、力を合わせて人間を不幸にするこの"壁"を壊していきませんか。やればできます。
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雲仙観光ホテル・軍艦島編(12):雲仙観光ホテル(18.9)
http://sabasaba13.exblog.jp/33653703/
2025-01-04T16:13:00+09:00
2025-01-05T15:15:44+09:00
2025-01-04T16:13:16+09:00
sabasaba13
九州
<![CDATA[ ♪つんつくつくつくつん つんつくつくつくつ ひゃらー♪
迎春
ふつつかで粗忽なブログですが、今年もよろしくお願いします。
ホテルの外観は、石と木を使った山小屋風の洒落たものです。玄関は石積みの重厚なものですが、これは雲仙の溶岩石ですね。
フロントでチェックインをすると、特典としてウィリアム・モリスのブック・カバーとクラシックホテルの切手をくれました。ウェルカム・ドリンクもあるので、食後にカクテルでもいただきましょう。
そしてわれらが泊まる317号室へと案内されました。なおエレベーターはありません。ぜひハンディキャップをもつ方のために設置を検討してほしいものです。部屋に入って真っ先に壁面を確認しましたが、おお、お目当てのモリスがデザインした壁紙でした。嬉しいなあ。窓からは山の斜面しか見えず眺めはよくありませんが、広々とした部屋、洒落た壁紙、寝心地のよい大きなベッドには満足。心地良いホテル・ライフを満喫できそうです。いつものように山ノ神はいの一番に浴室に入り、アメニティ・グッズを確認。高級そうな石鹸やシャンプーやリンスのボトルが所狭しと並んでいました。舌なめずりをしてニタリと笑った山ノ神、さては根こそぎ… (後日談、翌日出発直前にトイレにはいったら全て消えていました)
それではそれではホテル内を探検しましょう。ロビー、ダイニング、バー、図書室、撞球室、映写室、階段、いずれも太い木材を基調とした重厚で落ち着いた雰囲気。
ロビー
ダイニングバー図書室撞球室映写室階段
手斧(ちょうな)仕上げの柱は野趣にあふれています。
洒落た意匠の品の良い家具は、神戸家具だそうです。
調度品も照明もステンドグラスも、雰囲気にあったシックで粋なものでした。素晴らしい、一週間ほど滞在してここでのホテル・ライフを楽しんでみたいなあ。一泊ウン万円だから、ウン十万円かかるか、ちょっと無理かな。
嬉しいことに喫煙室があったのでさっそく一服、なんとゆったりとした革張りのソファがありました。これまでのところ、私が経験したなかで最も豪華な喫煙室でした。ちなみに二番目は川越「いちのや」の喫煙室です。
なお「博愛 橋本先生 孫文」という書があったのでその由緒をフロントで訊ねると、創業者へ贈ったもので孫文がこのホテルを訪れたことはないとのことです。
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雲仙観光ホテル・軍艦島編(11):雲仙(18.9)
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2024-12-28T07:07:00+09:00
2024-12-28T07:07:12+09:00
2024-12-28T07:07:12+09:00
sabasaba13
九州
<![CDATA[ それでは雲仙に向かいましょう。島原駅に戻って自転車を返却し、雲仙行きのバスに乗り込みました。左手に海と天草、右手に山なみが見える風景を楽しんでいると、50分ほどで雲仙に着きました。
そして雲仙観光ホテルへ、並木道の向こうに三角屋根の正面部分が見えました。はやる気持ちをおさえながら歩を進めると、並木が終わり、ホテルの全貌が姿を現わしました。気分を高揚させる上手いアプローチですね。(※最初の一枚は翌日の朝に撮った写真です)
まずは雲仙観光ホテルの公式サイトからホテルの歴史について引用しましょう。
日本初の国立公園に指定された雲仙は、古くから外国人避暑地として親しまれて参りました。
昭和7年、外国人観光客誘致を目的に、国策として外国人向けのホテルが日本各地に建設されることになりました。良質な温泉に恵まれ、豊かな自然に恵まれたこの地にも洋風建築のホテルが建てられることになり、雲仙観光ホテルは開業いたしました。
昭和10年10月10日午前10時に、ハーフティンバーのスイスシャレー様式を取り入れた象徴的な建築は、 竹中工務店の設計・施工第一号ホテルで、その完成に全力を注いだ彼らの熱き思いと高い理想は、現在もなお当ホテルの滞在スタイルの中に現れています。(設計者:早良俊夫氏)
設立当時、雲仙はもとより長崎県内にもこの様な豪華絢爛かつ近代設備が整った建物はありませんでした。この地を訪れたハンガリー文化使節団メゼイ博士は、「雲仙の自然は素晴らしい。南欧チロルの山の美にリビアの海の美を加えたようなものだ。崇高な世界美というものは、東洋的美と西洋的美が一体となったものだと思うが、雲仙でこれを発見することができた。東洋的であり、西洋的であり、しかもなんら不自然さがない」と、称賛されたと記されています。
客船をイメージした館内には、客室61室、メインダイニング、バー、売店、図書館、理容室、会議室、ビリヤード場、硫黄泉浴室男女1室が完備されており、現在も館内には当時の面影がそこはかとなく息づいております。
昭和21年、駐留米軍に接収され「休暇ホテル」として利用されていましたが、昭和25年の接収解除後に営業再開。同年、国際観光整備法に基づき政府登録ホテルに登録されました(第ホ29号)。昭和54年、「建てられた時代を象徴する総合芸術であると共に歴史を伝えるモニュメントである」と、日本建築学会により近代日本の名建築に選ばれました。平成15年1月31日、「貴重な国民的財産である」とされ、国(文化庁)の登録有形文化財に登録されました(登録有形文化財 第42-0019号)。また平成19年、長崎県「まちづくり景観資産」に登録、経済産業省「近代化産業遺産」に認定されました。]]>
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