お土産を買おうと、さきほどの食堂で教えてもらった米菱醤油に寄ったら残念ながらお休み。そして最後にめざすは、重要文化財である太田一高の旧講堂です。塀越しにテニスコートの脇にあることを視認し、いよいよ潜入を開始。痴漢として通報されるのもまずいので、一応己の服装と外観をチェックしました。ポロシャツ、ジーンズ、リュック、野球帽、手にはガイド・マップとデジカメ、顔には貼り付けたような愛想笑い。よし、これだったら古い建築を探索する善良で物好きな一小市民だと言い逃れができると判断、自転車を校内に入れできる限り平然と奥へと向かいました。生徒諸君がテニスをしている脇を、力の限り何食わぬ顔をして通り過ぎ、目的の物件にたどりつきました。うーむ、これは逸品。竣工は1904(明治37)年、日露戦争の年ですね。過不足ないファサードの装飾や、コリント式列柱が支える玄関ポーチ、落ち着いたツートンカラーの塗装など、学校建築として一級品だと思います。間違いなく内部には天皇・皇后の真影を収める奉安庫があるのでしょうが、残念ながら中には入れません。写真を数枚撮り、そそくさと立ち去りましたが、眼福でした。
そして長ーい坂道を快適に走り下り、駅に到着。自転車の返却時間午後四時にかろうじて間に合いました。さっそく案内所の方に、何故日の丸を掲げる家が多いのかと訊ねたところ、「今日は天皇誕生日だからじゃないですか」 わかってま。あらためて、他の街よりも明らかに掲げている家が多いのではと聞きなおすと、「よくわかりません」というお答え。ネーションとは、宗教や共同体にかわって、個々人に不死性・永遠性を与え、その存在に意味を与えるものだとすると、茨城県では何か人々を脅かすような大変な事態が進行しているのかもしれない。わたしたちが感じる寂しさ/辛さ/切なさをナショナルなものに回収されずにするには、どうすればいいのでしょう。人類が直面する大きなアポリアの一つだと思います。
というわけで常陸太田、素敵な味わい深い街でした。駅前の閉店したパチンコ店「光ホール」や、営業しているかどうか不明なレストラン「ニュー東京」まで抱きしめたくなりました。
水郡線で水戸にもどり、駅構内に観光案内所があるのを発見。しかも午後六時まで営業、午後四時くらいで店じまいをするケースが多いのでこれはなかなかの識見ですね。しかも茨城県内各観光地のパンフレットがとりそろえてありました。こうした観光案内所があると、ほんとに助かります。さっそく明日行く予定の笠間と真壁の案内をもらい、夕食を食べながらチェック。真壁に行くには、水戸線岩瀬駅でおりてタクシーで行くしかないことを再確認。そして笠間の次の稲田駅近くに、親鸞が布教の根拠地とした西念寺と、御影石の資料館があることを発見。またイコン画家である山下りんが笠間出身であることも知りました。うしっ、ゆかりの地を訪ねてみましょう。なおイコンとは、キリスト、聖母、聖者たちの像を描いた礼拝用の画像で、特にロシアで発達したものですね。英語ではアイコン、もしかしたらビル・ゲイツはロシア系なのかもしれません。そして観光案内所に貸し電動自転車があることも判明、やはり「すこしのことにも、先達はあらまほしき事なり(徒然草‐五二)」ですね。
本日の一枚です。