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◯仕掛けのあるバスタブ
少女:わー、ちっちゃいお風呂。禁煙さん、それ何ですか? ドール・ハウスの?
禁煙:ああ、これ。ううん、教材。友達に作ってもらったの。
少女:小さい蛇口もついてるんですね。……教材って何の?
禁煙:小学生に微分方程式を体験してもらう教材なの。
少女:ええっ、微分どころか方程式も習ってないんですよ。
禁煙:むかしシーモア・パパートって人も、数学をさんざん習わないと微分方程式にたどり着けないなんてダメすぎる、小さい子どもこそ味わうべきなんだ、といつも言ってたわ(それでLOGOってコンピュータ言語を作ったのだけど)。
少女:じゃあ、私にも分かりますか?
禁煙:試しに遊んでみる? デジタル表示が三つついているでしょ。
少女:はい。〈入る蛇口〉と〈出る蛇口〉と、あと〈バスタブ〉って書いてあります。
禁煙:〈バスタブ〉の数字は、文字通りバスタブに今入っている水の量を表してるの。〈入る蛇口〉の数字は1秒間にバスタブに水が入ってくる量を表してて、〈出る蛇口〉の方で1秒間にバスタブから水が出ていく量ね。二つの蛇口は、どちらも数値をセットすれば、入ってくる量/出ていく量を決められるの。
少女:わかります。
禁煙:あと毎回写実的(?)に描くと大変だから、簡略化した描き方をするわね。四角の箱が〈バスタブ〉、〈バスタブ〉に入ってくる矢印の真ん中にある小さな三角形の頭を付き合わせたようなのが〈入る蛇口〉を表してると思ってね。〈バスタブ〉から出ていく矢印についてるのが〈出る蛇口〉ね。
少女:説明おしまい?
禁煙:まだ少しあるけれど、あとはキッチンに持っていって実際に動かしながらにしましょうか。
少女:じゃあ〈入る蛇口〉を10にセットします。〈出る蛇口〉はゼロで。このバスタブ、何リットル入るんですか?
禁煙:1リットルで、この表示だと1000で一杯ね。
少女:じゃあ、1000÷10=100だから、水を入れ始めて100秒後にバスタブは一杯になります。
禁煙:じゃあ〈入る蛇口〉を10、〈出る蛇口〉を6にセットしましょう。
少女:入ってくるのが1秒あたり10で、出ていくのが1秒当たり6だから10-6=4で、1秒当たり4だけ増えます。1000÷4=250だから、250秒後にバスタブは一杯になります。……で?
◯指数関数的減少のモデル
禁煙:確かにこれだけだと、あまりにもつまらないわね。
少女:小さい頃に、こういう問題やった気がします。
禁煙:そこで取り出したのが、このコード。蛇口の裏に差し込むところがあるんだけど。
少女:何に使うんですか?
禁煙:〈入る蛇口〉や〈出る蛇口〉の数字は、今は人間がセットしてそのまま変わらなかったけれど、このコードをつなぐと、その数字を刻々とセットしなおしてくれる、というかコントロールしてくれるの。…バスタブは一杯になったかしら。
少女:なりました。
禁煙:〈バスタブ〉から〈出る蛇口〉へコードをつないで、〈バスタブ〉=バスタブの水の量が減るにしたがって〈出る蛇口〉も減らすようにしてみるわ。
少女:こんな感じですか?
禁煙:ええ。……はい、これを使って。
少女:何ですか? タイマー?
禁煙:1秒間隔でピッ、ピッと鳴らすわね。子どもたちには班に分かれてもらって、時間を計る役と、1秒ごとに〈バスタブ〉の表示を読み上げる役と、書き取る役を分担して、どんな風に水が減っていくかグラフを書いてもらうんだけど。
少女:確かに一人でやるのは大変です。……できました、こんな感じですか。
禁煙:うん、なかなか。実は今のが、応用例をいっぱい載せてる本なら、最初の方に出てくる微分方程式を、バスタブで表したものなの。
少女:え、どこが?
禁煙:見かけはずいぶん違っているけどね。今のモデルのポイントは、「水が減っていく速さは、バスタブに残っている水の量に比例する」ってこと。バスタブに入っている水の量をグラフにすると、最初は急な下り坂だけどだんだんなだらかになっていってるよね。
少女:応用例って言ったけど、今のは何かの役に立つんですか?
禁煙:たくさんあるけど、たとえば薬の血中濃度の変化のモデルで服用計画を考えたり、物の冷め方(温度の変化)のモデルで死亡推定時刻を計算したり。薬を服用してすぐで血中濃度が高いほど、その変化(下がり方)は激しいし、熱いモノほど温度は速く下がってしまうの。
少女:だから右下がりのグラフはだんだんゆるやかになるんですね。
禁煙:あとダイエットとかもそうね。同じ努力をしても体重が減るほど、減り方はゆるやかになる(下のグラフの青線)。ヒトは無意識に同じ努力には同じ結果が出るはずだと、グラフで言うと直線で描ける変化をイメージしてしまう(下のグラフの赤線)から、しばらくダイエットを続けていると効果がなくなったと思ってやる気がくじけちゃう。ほんとはちゃんと同じだけ効いてるからこそ、そういう変化になるんだけど。
少女:ええっ、これって学校で教えた方がいいんじゃ。
禁煙:ん?食いついた?
少女:というか、微分方程式というより、それって「残っている量に比例して減っていく」現象のモデルなんじゃ?
禁煙:ええ、そのとおり。だからいろんなところにこの種の現象は見つかるわ、自然にも社会にも。モデルとしてはとてもシンプルだけど、ダイエッターが勘違いするように、ヒトの量の感覚とは異なるものだから、数学の使い甲斐があるところなのだけれど。
◯指数関数的増加のモデル
少女:バスタブで作れるモデルって他にもあるんですか?
禁煙:ええ、もちろん。じゃあ今度は、〈バスタブ〉から〈入る蛇口〉へコードをつないで、バスタブの水の量が多いほど、ますます入ってくる水の量が増えるのを作ってみようか。
少女:これも何かの現象のモデルになるんですか。
禁煙:一番身近なのは複利計算かな。預金とか借金とか。
少女:まだ借金があるほどの甲斐性はないです。複利って何でしたっけ?
禁煙:たとえば一年間で1%の利子で100万円預けるとするわね。1年後には100万円の1%が利子となって加わり、預金残高は100+1=101万円に増える。次の年は、101万円の1%、つまり10,100円が利子にとなって加わり、預金残高は1,010,000+10,100=1,020,100円になる。……以下、繰り返しね。
少女:預金残高×利率=利子だから、預金残高=バスタブの水の量が多いほど、ますます入ってくる水の量が増えるちゃう。
禁煙:同じように1秒ごとに〈バスタブ〉の数字を書き取ってグラフにしてみて。
少女:今度はどんどんと坂がきつくなる上り坂みたいなのになりました。
禁煙:他には、「ネズミ算」って言葉があるけど、親ネズミの数に比例して子ネズミが生まれるとすると、ネズミが増えれば増えるほど、増え方が激しくなる。食料が十分な場合、生物はこんな増加の仕方をするわね。細菌とかホテイアオイとか。
少女:ホテイアオイって水草ですか?
禁煙:ええ。世界十大害草とか世界の外来侵入種ワースト100にも選ばれてて「青い悪魔」なんて呼ぶ人もあるくらい。寒さに弱くて冬はほとんど枯れるけど、ちょっとでも残っていると翌年にはまた大繁殖する。ああ池に少し浮いてるなあと思ってたら、いつの間にか池全面を覆っててびっくりしたりしない? この種の現象も、ヒトの数量の感覚からすると意外に感じるから「ネズミ算」なんて特別な言い回しがあるのね。
◯日常感覚とそれ以上をつなぐ
少女:これも前に禁煙さんが言ってた、日常の感覚を越えたものだから数学が役に立つって場面ですか?
禁煙:ええ。今のところでポイントは、「預金残高が多いほどほど利子も多い」「親が多いほど、生まれる子も多い」ってところは日常の感覚の通りだってこと。
少女:バスタブ・モデルが、日常感覚とそれを越えたものをつないでる?
禁煙:そして微分方程式の役目も、バスタブ・モデルのそれと同じだってこと。なぜ物理法則をはじめとして、科学の基本方程式の多くが微分方程式で書かれているのか、ここに理由があるの。
少女:微分方程式が、日常感覚とそれを越えたものをつないでる? うーん、微分方程式を知らないから、それがどう日常感覚とつながっているのか分からないです。
禁煙:たとえば止まったものに力を加えると動き出すよね。それまで速度ゼロだったのに動くってことは加速したってこと。より強い力だとそれだけ大きく加速するし、より重いものだとそんなに加速しない。
少女:うーん、そこだけ取り出したら、確かに日常の感覚ですけど。
◯空気抵抗のない落下運動
禁煙:たとえば空気抵抗がないところで物を落とすと、重力で引っ張られ続けるから、一定の度合いで速度は増加していく。速度が上がるってことは、1秒当たりに進む距離がどんどん増えていくってこと。さて、これのバスタブ・モデルをつくろうか。
少女:ええっ、見当もつかない。
禁煙:ちなみに速度が一定の割合で増加していくグラフはこんな感じ。
少女:一番最初のバスタブの水の量のグラフみたいですね。
禁煙:ええ。一つ目のバスタブに〈速度〉って名札をつけておくわね。
少女:一定の割合で増加していくから、〈入る蛇口〉は最初に決めた数値に固定ですよね。どうしましょう?
禁煙:物を落とす話をしてたから、重力加速度にちなんで9.8にしときましょうか。
少女:速度がどんな風に増えていくかはバスタブ・モデルで表現できましたけど、この後は?
禁煙:ここにもうひとつバスタブを用意してみたわ。二つ目のバスタブに〈進んだ距離〉って名札をつけておくわね。
少女:あとは、このコードだけど、ふたつバスタブがあるから、コードでつなぐってことは予想がつくんですけど。あと、〈進んだ距離〉バスタブの〈入る蛇口〉ってまだ考えてなかったです。
禁煙:というか、それがほとんど答えね。
少女:そうか。貯まって〈進んだ距離〉になるものって……1秒あたり進む度合いって〈速度〉だもの。
〈進んだ距離〉バスタブの〈入る蛇口〉は速度だ。じゃあ、〈バスタブ〉に〈速度〉って名札をつけた一つ目のバスタブと、二つ目の〈入る蛇口〉をコードでつなぎます。
禁煙:じゃあ、バスタブ・モデルを動かしてみましょうか。二つ目のモデルの〈バスタブ〉の値を1秒ごとに記録してね。
少女:できました。
禁煙:これが世界最初の微分方程式だって人もいるわ。落体の運動を研究している時にガリレオが解いたんだけど。
◯空気抵抗のある落下運動
少女:学校では とかって、ガリレオが解いた結果だけを習いました。
禁煙:数式のかたちで答えが得られると後で応用しやすいからね。でも、やぼったいバスタブ・モデルにもいいことがあるわ(といっても微分方程式なら当然できることだけど)。いまの2個のバスタブで作った落下運動のモデルだけど、コード1本追加すれば、「空気抵抗がある落下運動」のモデルに改造できるの。
少女:どうしたらいいんですか?
禁煙:ヒント。空気抵抗は、小さな物体がゆっくり動くときには、速度に比例すると考えていいの。速度が二倍になれば空気抵抗も二倍ね。
少女:空気抵抗って減速させるんですよね。今は一個目のバスタブに入っている水の量が速度を表してたから、このバスタブから出ていく=速度をおとすって考えればいいのかな?
禁煙:そのとおり。
少女:じゃあ、〈速度〉って名札をつけたから〈出る蛇口1〉へコードをつなぎます。
禁煙:大正解。じゃあ、またグラフを書いてもらえる? 今度は速度がどんなふうに変化するかを知りたいから、〈速度〉って名札をつけた〈スタック〉の数値を1秒ごとに書きとめてね。
少女:こんなグラフになりました。速度の上がり方は最初は急だけど、どんどんなだらかになっていきますね。
禁煙:うん。高い雲から落ちてくる雨粒は、地上につくころはほとんど加速せずに(速度のグラフがずいぶんなだらかになったところね)、大きさによってだいたい同じ速度におちついて落ちてくるわ。直径1ミリメートルでは毎秒約4メートル、5ミリメートルでは毎秒約9メートルぐらいかしら。
少女:雨が突き刺さらなくてよかったです。
◯ダイエットとやる気のモデル
禁煙:せっかくバスタブを2つ使うモデルが出たから、値が増えたり減ったりを繰り返すモデルも作っておこうか。
少女:実はもうちょっと着いていけなくなってるんですけど。
禁煙:普通はバネの話なんかするんだけど、せっかくだしリバウンドのモデルにしようね。
少女:えっ、狙い撃ち?
禁煙:1つめのバスタブに〈超過体重〉という名札をつけましょう。
少女:超過体重って?
禁煙:理想体重よりどれだけ重いかってこと。当然、理想体重より軽くなったら超過体重としてはマイナスにあるわ。
少女:えーと、バスタブだからマイナスの数とか表せないんじゃ?
禁煙:ほんとはね。少しズルをして、バスタブのデジタル表示をいじってちょうど半分水が入ったときに0と表示するようにしておくの。こうすつとー500から+500までの数字が扱えるわ。
少女:もう一つのバスタブは?
禁煙:〈やる気〉という名札をつけておきましょうか。こちらもマイナスの値が扱えるようにしておくの。
少女:ダイエットのやる気ってことですか?
禁煙:やる気が高いときはダイエットに一生懸命取り組むから体重の減り方が大きい、と考えるのはいいかしら?
少女:ええ。
禁煙:ではもうひとつ。現実的にはもっといろいろありそうだけど、ここは単純に、体重が重いほどより強く動機付けられてやる気も高まる、と考えましょうか。逆に体重が軽くなってくるとやる気も減ってく、ってことね。
少女:じゃあ〈やる気〉のバスタブから〈体重減少〉の蛇口へコードをつなぎます。それから〈超過体重〉のバスタブから〈やる気増加〉の蛇口へもコードをつないで、と。これでいいですか。
禁煙:これもグラフを描いてみましょうか。
少女:体重もやる気も上がったり下がったりを繰り返すグラフになりました。体重のアップダウンをやる気のアップダウンが追いかけてるみたい。あ、でも、これ……
禁煙:なあに?
少女:今のバスタブ・モデルには、さっき出た〈体重が減るほど減り方がゆるやかになる〉って話が入ってませんよね?
禁煙:じゃあ、さっきみたいに〈超過体重〉のバスタブから〈体重減少〉の蛇口にコードをつなぎましょうか。
少女:うーん、こんなグラフになりました。やっぱり体重のアップダウンをやる気が追いかけてるんですけど、アップダウンは同じ大きさじゃなくて形もなんか違いますね。ちょっと言葉で言い表すのは難しいです。
禁煙:このあたりまで来ると、自然言語でなかなか表現できないから、モデルを使って考える甲斐があるって思わない?
◯バスタブ・モデルの正体
少女:バスタブやコードを増やせば、もっと複雑なモデルも作れますか。
禁煙:ええ。たとえばさっきの、2つのバスタブで速度と位置を表すモデルを組み合わせて、車間距離のシミュレーションとかね。
(クリックで拡大)
(岡野 道治他(1997)『理工系システムのモデリング学習 : STELLAによるシステム思考』牧野書店,星雲社 (発売), p78-79 図4-10,4-12を元にVensim PLE用に改変)
少女:えーと、速度と位置を表すバスタブ2つが1セットで、車1つ分なんですね。
禁煙:ええ。とりあえず3台分で作ってみたけれど、後続車は前の車の車間距離と速度の差を見てアクセルやブレーキを踏む(加速や減速する)けれど、車によって対応の遅れに差がある場合ね。先頭車は時速10キロから徐々に加速して、後続車はぶつからないように(「車の位置」のグラフが交差すると、そこでぶつかることになるんだけど)、速度を合わせていく感じになったわ。
(クリックで拡大)
禁煙:こんな風にどんどん組み合わせればいいって言えばいいんだけど、ただ弱点があってね。
少女:なんですか?
禁煙:マイナスの値が使えないってのはさっきのトリックで何とかなったけど、現実問題として水の量を計っているから精度がよくないの。あとバスタブやコードがたくさんになると扱いが大変だし、場所はとるし、今みたいに水浸しになるし。見た目もやってることもベタだから、その点は分かりやすいのだけど。
少女:やってることはシンプルなんだから、コンピュータの上でできたら、バスタブもコードもいくらでも増やせそうだけど。というか、もうあるんじゃないですか?
禁煙:ええ、実はね。アメリカにMIT(マサチューセッツ工科大学)って学校があるけど、60年以上も昔、電気工学の学生としてやってきたジェイ・ライト・フォレスターって人がいてね。戦争中、兵器に自動調整装置を応用する研究室で働いていて、その絡みで戦後も軍のためにコンピュータ(Whirlwind)を開発したり、半自動な防空システム(SAGE)をつくったりしたんだけど、大きなプロジェクトを経験したせいか、進歩を阻害するのは技術的な問題よりも組織運営の問題の方だって痛感したみたい。電気回路や自動調節装置を扱うやり方で組織のマネジメントをモデル化できないかと考え出したの。
少女:リーダーって大変なんですね。
禁煙:ちょうどある大企業で雇用が短い周期で上下する問題があって、みんなは「これは景気が上下するせいだ、つまり組織の外に原因があるから、一企業には解決不可能だ」って言い張ったんだけど、フォレスターさんはそのアップダウンは組織の内から生まれていることを証明したの。
少女:ダイエットのモデルから、体重とやる気のアップダウンが生まれたみたいに?
禁煙:このときのモデルづくりの方法が、やがて企業だけじゃなくて世界とか都市とかいろんなものに応用されるようになって、その後、システム・ダイナミクスと呼ばれるようになるのだけれど。今じゃアメリカだと高校生やもっと下の学校でもやってるみたい。
少女:フォレスターさんもバスタブを使ったんですか?
禁煙:もう少しだけ抽象化したものだったけどね。今日〈バスタブ〉と呼んでたものを〈レベル変数〉、〈蛇口〉と言ってたものを〈レイト変数〉、と言い換えれば、フォレスターさんたちが使った、システム・ダイナミクスでモデルを記述するストック・フロー・ダイアグラムになるわ。というより話は逆で、ストック・フロー・ダイアグラムの、日常的で身近な〈たとえ〉として使われるのがバスタブ・ダイヤグラムなんだけどね。もともとメタファーに過ぎなかったものを、調子に乗って作ってもらったの。
少女:フローと風呂(バス)をかけてるんですか?
禁煙:それは気付かなかったわ。珍しいね、オチは地口オチ?
少女:二秒で忘れて。……でも、これがなんで微分方程式と関係あるんですか?
禁煙:バスタブというメタファーの利点は、微分と積分を、(単位時間に)〈入ってくる/出て行く水の量〉と〈バスタブに貯まる水の量〉っていう日常的に目にするものに置き換えてくれることね。それぞれストックとフローを表しているから当然といえば当然だけど。
少女:ストックとフローってよく聞くけど、よく分かってない気がします。
禁煙:語れば長いけれど、例を上げておくとこんな感じかしら。
少女:じゃあどれがストックでどれがフローなのかを整理して、その間の関係を矢印で結べば、バスタブ・モデルが作れるってことですか。
禁煙:そう。しかも下の4つの表現(バスタブ、ストック・フロー・ダイアグラム、積分方程式、微分方程式)は、同じ内容を表してるの。
(from Sterman, J. (2000). Business dynamics: Systems thinking and modeling for a complex world. Boston: Irwin/McGraw-Hill. p.194 FIGURE 6-2 Four equivalent representations of stock and flow structure - Each representation contains precisely the same information.)
◯バスタブ・モデルをコンピュータ上で動かす
少女:えーと、つまりバスタブをつかって現象のモデルが作れたら、微分方程式も立てられるってことですか?
禁煙:あと、システム・ダイナミクスのソフトを使えば、手を濡らさずにシミュレーションもできちゃう。ダイアグラムをお絵かきすれば、あとはお任せできるソフトがSTELLA / iThinkとかPowerSimとかいくつかあるけど、今回はネットからダウンロードできて個人用・教育用なら無料で使えるVensim PLE(http://vensim.com/free-download/)というソフトを使ってみたんだけど。
少女:ああ、そういうのがあるから中学・高校でシステム・ダイナミクスできるのかな。実際、何してるんですか?
禁煙:「システム・ダイナミクス」って独立した教科があるんじゃなくて、他の科目の内容に結びついてるみたいね。理科や歴史の授業で、環境問題とか文明のモデルをつくったりはもちろんあるけど、今日みたいに数学の授業に使ったり、英語(日本の国語科みたいなの)では文学作品を読んだり。
少女:いや、文学にシミュレーションもバスタブもいらないでしょ?
禁煙:有名なのだと(MIT のオンライン教材集Road Maps: A Guide to Learning System Dynamicsにも採用されてる)、ハムレットが復讐心をこじらせて王さま(クローディアス)を殺すまでのモデルとか。見てのとおり、ストック(私たちがいうところのバスタブ)4つでできてるんだけど。
(クリックで拡大)
(Hopkins, P. L. “Simulating Hamlet in the Classroom”, System Dynamics Review V8 N1, Winter 1992を元にVensim PLE用に改変)
少女:いったい何の意味が?
禁煙:登場人物の感情の高まりを視覚化して時間的変遷を詳細に検討できるとかもあるけれど、一旦モデルを作ってしまえば、モデルやパラメーターを変更して「もし~だったら、どうなったか?」をいくらでも検討できる、というのも大きいわね。
少女:いやシェイクスピアをマルチエンディングにしても……。事業計画とか政策立案の話だったら、確かにそういうのが必要だってわかるんですけど。
禁煙:理解の仕方っていろいろあると思うけど、感情移入して追体験するのもひとつなら、対象にいろいろ働きかけて返ってきた反応を通して知るというのもひとつ。一目見ればわかるシンプルなものならいいけど、相手が複雑なものだと〈やり取り〉を通して分かることも多いって感じかしら。
少女:うーん、いままで文学とか苦手だった子には、ちょっとウケよさそうかな。
禁煙:実験する学問でも、やっている人にとっては、論文に書ける完成品の実験よりも、そこに至るまでのいわば試作品の実験を繰り返してるうちにいろいろ分かってくるものが大事ってところがあるけど。システム・ダイナミクスに限らず、この手のシミュレーションって、社会とか生態系とか実験が難しいもの相手の、実験の代用品ってところがあるの。
少女:あー、でも、なんかの現象からバスタブ・モデルを自分で組み立てられる気がしません。
禁煙:ご希望なら、モデルの作り方は別にやってもいいわね。
(参考文献)
高校の数学の先生が書いた、システム・ダイナミクス・ソフト(この本ではSTELLAを使用)を使った数学の授業の作り方。
Fisher, D. M., & High Performance Systems, Inc. (2001). Lessons in mathematics: A dynamic approach : with applications across the sciences. Lebanon, N.H.: isee Systems.
上の本が入手できなかったので、(だいぶ違うけど)次の本を参考にした。
なお、Diana M.Fisher の別著 Fisher, D., & isee systems (Firm). (2007). Modeling dynamic systems: Lessons for a first course. Lebanon, N.H.: isee systems. については以下の邦訳がある。
この分野の定番教科書。
以下は上の本の翻訳のはずだが、肝心のシミュレーションやモデリングについての記述をごっそり削除している(なんと1000ページを超える原著が500ページ未満の邦訳になるのだから、どれだけのものを省いたか)。
著者スターマンは「システム原型(system archetypes)だ、システム思考だなんて分かった気になってちゃダメ。普通の人は何本もある微分方程式を頭の中だけでは解けないんだから、ちゃんとシミュレーションしなきゃ。」と苦言を呈していたはずだが気のせいだったか。
ダイエット関連では次の文献を参考にした。ウェイト・マネジメントにシステム・ダイナミクスをガチに導入してる。
浅学非才のうえ寡聞にして、システム・ダイナミクスといえば自治体の作りっぱなしモデルとか『成長の限界』のあれとか大雑把なマクロ・モデルに違いないという(1970年代で時間が止まったような)偏見があったので、新鮮だった。
しかし考えてみれば、アウトカムはきっちり数値で出るし、関連する要因は生化学から社会行動まで多分野に渡るし、そのどれにもフィードバックがかかっているしで、システム・ダイナミクスで扱うにはうってつけのテーマである。
ひょっとすると、ちゃんとしたデータが揃いにくい資源・環境系や、実践しようと思えばエラくなるしかない経営系の事例よりも、この身一つあれば(あと体脂肪計付き体重計があれば、血糖値計があれば言うことなし)がんがん測れて実践できる(しかも不断に我が身に返ってくる=否応なくフィードバックしてくる)ウェイト・マネジメントの方が、システム・ダイナミクスの入門には適しているのではないかとさえ思えてきた。
Abdel-Hamid, T. K. (2009). Thinking in circles about obesity: Applying systems thinking to weight management. New York: Springer.
オンラインで読めるものでは
・U.S. Department of Energy's Introduction to System Dynamics
合衆国エネルギー省提供のオンラインブック。システム・ダイナミクスの歴史から基礎から説き語り。コンパクト。
・Road Maps A Guide to Learning System Dynamics
初等・中等教育におけるシステムダイナミックスの活用と学習者中心の学習を奨励・支援するCreative Learning Exchangeのサイトにある教材集。かなりのボリューム。
・System Dynamics Self Study - MIT OpenCourseWare
システム・ダイナミクスの総本山MITスローン経営大学院が提供する自習用オープンコースウェア。
(今回使ったソフトVensim PLEについて)
・個人・教育用なら無料で使える(よく本に付いてくるようなお試し版ではなく、モデルの作成も保存も自由にできる)WINDOWS版とMAC版がここからダウンロードできる。
http://vensim.com/free-download/
・マニュアルの邦訳やモデリング・ガイドなど、参考になる日本語ドキュメント(313頁もある)は日本未来研究センターの次のページからダウンロードできる。
http://www.muratopia.net/sd/documents/Vensim6UsersGuide.pdf
・本家のオンラインヘルプ(英語)はここ
https://www.vensim.com/documentation/index.html
・自分でシステム・ダイナミクスのモデルをつくるときに役立つ、よく使うパターンを集めたのがこれ。
なお、この文献にまとめられた全パターンをモデル・ファイルにしたものがVensim PLEにも付属している(Helpフォルダ>Modelフォルダ>Moleculesフォルダ内)。
Jim Hines(1996->2005), Molecules of Structure Building Blocks for System Dynamics Models.
http://www.systemswiki.org/images/a/a8/Molecule.pdf
・事例集 Tom Fiddaman's System Dynamics Model LibraryにはVensimでつくられた様々なモデル(資源・環境系と経営・経済系のモデルが多い)を集められている。
http://www.metasd.com/models/index.html
少女:わー、ちっちゃいお風呂。禁煙さん、それ何ですか? ドール・ハウスの?
禁煙:ああ、これ。ううん、教材。友達に作ってもらったの。
少女:小さい蛇口もついてるんですね。……教材って何の?
禁煙:小学生に微分方程式を体験してもらう教材なの。
少女:ええっ、微分どころか方程式も習ってないんですよ。
禁煙:むかしシーモア・パパートって人も、数学をさんざん習わないと微分方程式にたどり着けないなんてダメすぎる、小さい子どもこそ味わうべきなんだ、といつも言ってたわ(それでLOGOってコンピュータ言語を作ったのだけど)。
少女:じゃあ、私にも分かりますか?
禁煙:試しに遊んでみる? デジタル表示が三つついているでしょ。
少女:はい。〈入る蛇口〉と〈出る蛇口〉と、あと〈バスタブ〉って書いてあります。
禁煙:〈バスタブ〉の数字は、文字通りバスタブに今入っている水の量を表してるの。〈入る蛇口〉の数字は1秒間にバスタブに水が入ってくる量を表してて、〈出る蛇口〉の方で1秒間にバスタブから水が出ていく量ね。二つの蛇口は、どちらも数値をセットすれば、入ってくる量/出ていく量を決められるの。
少女:わかります。
禁煙:あと毎回写実的(?)に描くと大変だから、簡略化した描き方をするわね。四角の箱が〈バスタブ〉、〈バスタブ〉に入ってくる矢印の真ん中にある小さな三角形の頭を付き合わせたようなのが〈入る蛇口〉を表してると思ってね。〈バスタブ〉から出ていく矢印についてるのが〈出る蛇口〉ね。
少女:説明おしまい?
禁煙:まだ少しあるけれど、あとはキッチンに持っていって実際に動かしながらにしましょうか。
少女:じゃあ〈入る蛇口〉を10にセットします。〈出る蛇口〉はゼロで。このバスタブ、何リットル入るんですか?
禁煙:1リットルで、この表示だと1000で一杯ね。
少女:じゃあ、1000÷10=100だから、水を入れ始めて100秒後にバスタブは一杯になります。
禁煙:じゃあ〈入る蛇口〉を10、〈出る蛇口〉を6にセットしましょう。
少女:入ってくるのが1秒あたり10で、出ていくのが1秒当たり6だから10-6=4で、1秒当たり4だけ増えます。1000÷4=250だから、250秒後にバスタブは一杯になります。……で?
◯指数関数的減少のモデル
禁煙:確かにこれだけだと、あまりにもつまらないわね。
少女:小さい頃に、こういう問題やった気がします。
禁煙:そこで取り出したのが、このコード。蛇口の裏に差し込むところがあるんだけど。
少女:何に使うんですか?
禁煙:〈入る蛇口〉や〈出る蛇口〉の数字は、今は人間がセットしてそのまま変わらなかったけれど、このコードをつなぐと、その数字を刻々とセットしなおしてくれる、というかコントロールしてくれるの。…バスタブは一杯になったかしら。
少女:なりました。
禁煙:〈バスタブ〉から〈出る蛇口〉へコードをつないで、〈バスタブ〉=バスタブの水の量が減るにしたがって〈出る蛇口〉も減らすようにしてみるわ。
少女:こんな感じですか?
禁煙:ええ。……はい、これを使って。
少女:何ですか? タイマー?
禁煙:1秒間隔でピッ、ピッと鳴らすわね。子どもたちには班に分かれてもらって、時間を計る役と、1秒ごとに〈バスタブ〉の表示を読み上げる役と、書き取る役を分担して、どんな風に水が減っていくかグラフを書いてもらうんだけど。
少女:確かに一人でやるのは大変です。……できました、こんな感じですか。
禁煙:うん、なかなか。実は今のが、応用例をいっぱい載せてる本なら、最初の方に出てくる微分方程式を、バスタブで表したものなの。
少女:え、どこが?
禁煙:見かけはずいぶん違っているけどね。今のモデルのポイントは、「水が減っていく速さは、バスタブに残っている水の量に比例する」ってこと。バスタブに入っている水の量をグラフにすると、最初は急な下り坂だけどだんだんなだらかになっていってるよね。
少女:応用例って言ったけど、今のは何かの役に立つんですか?
禁煙:たくさんあるけど、たとえば薬の血中濃度の変化のモデルで服用計画を考えたり、物の冷め方(温度の変化)のモデルで死亡推定時刻を計算したり。薬を服用してすぐで血中濃度が高いほど、その変化(下がり方)は激しいし、熱いモノほど温度は速く下がってしまうの。
少女:だから右下がりのグラフはだんだんゆるやかになるんですね。
禁煙:あとダイエットとかもそうね。同じ努力をしても体重が減るほど、減り方はゆるやかになる(下のグラフの青線)。ヒトは無意識に同じ努力には同じ結果が出るはずだと、グラフで言うと直線で描ける変化をイメージしてしまう(下のグラフの赤線)から、しばらくダイエットを続けていると効果がなくなったと思ってやる気がくじけちゃう。ほんとはちゃんと同じだけ効いてるからこそ、そういう変化になるんだけど。
少女:ええっ、これって学校で教えた方がいいんじゃ。
禁煙:ん?食いついた?
少女:というか、微分方程式というより、それって「残っている量に比例して減っていく」現象のモデルなんじゃ?
禁煙:ええ、そのとおり。だからいろんなところにこの種の現象は見つかるわ、自然にも社会にも。モデルとしてはとてもシンプルだけど、ダイエッターが勘違いするように、ヒトの量の感覚とは異なるものだから、数学の使い甲斐があるところなのだけれど。
◯指数関数的増加のモデル
少女:バスタブで作れるモデルって他にもあるんですか?
禁煙:ええ、もちろん。じゃあ今度は、〈バスタブ〉から〈入る蛇口〉へコードをつないで、バスタブの水の量が多いほど、ますます入ってくる水の量が増えるのを作ってみようか。
少女:これも何かの現象のモデルになるんですか。
禁煙:一番身近なのは複利計算かな。預金とか借金とか。
少女:まだ借金があるほどの甲斐性はないです。複利って何でしたっけ?
禁煙:たとえば一年間で1%の利子で100万円預けるとするわね。1年後には100万円の1%が利子となって加わり、預金残高は100+1=101万円に増える。次の年は、101万円の1%、つまり10,100円が利子にとなって加わり、預金残高は1,010,000+10,100=1,020,100円になる。……以下、繰り返しね。
少女:預金残高×利率=利子だから、預金残高=バスタブの水の量が多いほど、ますます入ってくる水の量が増えるちゃう。
禁煙:同じように1秒ごとに〈バスタブ〉の数字を書き取ってグラフにしてみて。
少女:今度はどんどんと坂がきつくなる上り坂みたいなのになりました。
禁煙:他には、「ネズミ算」って言葉があるけど、親ネズミの数に比例して子ネズミが生まれるとすると、ネズミが増えれば増えるほど、増え方が激しくなる。食料が十分な場合、生物はこんな増加の仕方をするわね。細菌とかホテイアオイとか。
少女:ホテイアオイって水草ですか?
禁煙:ええ。世界十大害草とか世界の外来侵入種ワースト100にも選ばれてて「青い悪魔」なんて呼ぶ人もあるくらい。寒さに弱くて冬はほとんど枯れるけど、ちょっとでも残っていると翌年にはまた大繁殖する。ああ池に少し浮いてるなあと思ってたら、いつの間にか池全面を覆っててびっくりしたりしない? この種の現象も、ヒトの数量の感覚からすると意外に感じるから「ネズミ算」なんて特別な言い回しがあるのね。
◯日常感覚とそれ以上をつなぐ
少女:これも前に禁煙さんが言ってた、日常の感覚を越えたものだから数学が役に立つって場面ですか?
禁煙:ええ。今のところでポイントは、「預金残高が多いほどほど利子も多い」「親が多いほど、生まれる子も多い」ってところは日常の感覚の通りだってこと。
少女:バスタブ・モデルが、日常感覚とそれを越えたものをつないでる?
禁煙:そして微分方程式の役目も、バスタブ・モデルのそれと同じだってこと。なぜ物理法則をはじめとして、科学の基本方程式の多くが微分方程式で書かれているのか、ここに理由があるの。
少女:微分方程式が、日常感覚とそれを越えたものをつないでる? うーん、微分方程式を知らないから、それがどう日常感覚とつながっているのか分からないです。
禁煙:たとえば止まったものに力を加えると動き出すよね。それまで速度ゼロだったのに動くってことは加速したってこと。より強い力だとそれだけ大きく加速するし、より重いものだとそんなに加速しない。
少女:うーん、そこだけ取り出したら、確かに日常の感覚ですけど。
◯空気抵抗のない落下運動
禁煙:たとえば空気抵抗がないところで物を落とすと、重力で引っ張られ続けるから、一定の度合いで速度は増加していく。速度が上がるってことは、1秒当たりに進む距離がどんどん増えていくってこと。さて、これのバスタブ・モデルをつくろうか。
少女:ええっ、見当もつかない。
禁煙:ちなみに速度が一定の割合で増加していくグラフはこんな感じ。
少女:一番最初のバスタブの水の量のグラフみたいですね。
禁煙:ええ。一つ目のバスタブに〈速度〉って名札をつけておくわね。
少女:一定の割合で増加していくから、〈入る蛇口〉は最初に決めた数値に固定ですよね。どうしましょう?
禁煙:物を落とす話をしてたから、重力加速度にちなんで9.8にしときましょうか。
少女:速度がどんな風に増えていくかはバスタブ・モデルで表現できましたけど、この後は?
禁煙:ここにもうひとつバスタブを用意してみたわ。二つ目のバスタブに〈進んだ距離〉って名札をつけておくわね。
少女:あとは、このコードだけど、ふたつバスタブがあるから、コードでつなぐってことは予想がつくんですけど。あと、〈進んだ距離〉バスタブの〈入る蛇口〉ってまだ考えてなかったです。
禁煙:というか、それがほとんど答えね。
少女:そうか。貯まって〈進んだ距離〉になるものって……1秒あたり進む度合いって〈速度〉だもの。
〈進んだ距離〉バスタブの〈入る蛇口〉は速度だ。じゃあ、〈バスタブ〉に〈速度〉って名札をつけた一つ目のバスタブと、二つ目の〈入る蛇口〉をコードでつなぎます。
禁煙:じゃあ、バスタブ・モデルを動かしてみましょうか。二つ目のモデルの〈バスタブ〉の値を1秒ごとに記録してね。
少女:できました。
禁煙:これが世界最初の微分方程式だって人もいるわ。落体の運動を研究している時にガリレオが解いたんだけど。
◯空気抵抗のある落下運動
少女:学校では とかって、ガリレオが解いた結果だけを習いました。
禁煙:数式のかたちで答えが得られると後で応用しやすいからね。でも、やぼったいバスタブ・モデルにもいいことがあるわ(といっても微分方程式なら当然できることだけど)。いまの2個のバスタブで作った落下運動のモデルだけど、コード1本追加すれば、「空気抵抗がある落下運動」のモデルに改造できるの。
少女:どうしたらいいんですか?
禁煙:ヒント。空気抵抗は、小さな物体がゆっくり動くときには、速度に比例すると考えていいの。速度が二倍になれば空気抵抗も二倍ね。
少女:空気抵抗って減速させるんですよね。今は一個目のバスタブに入っている水の量が速度を表してたから、このバスタブから出ていく=速度をおとすって考えればいいのかな?
禁煙:そのとおり。
少女:じゃあ、〈速度〉って名札をつけたから〈出る蛇口1〉へコードをつなぎます。
禁煙:大正解。じゃあ、またグラフを書いてもらえる? 今度は速度がどんなふうに変化するかを知りたいから、〈速度〉って名札をつけた〈スタック〉の数値を1秒ごとに書きとめてね。
少女:こんなグラフになりました。速度の上がり方は最初は急だけど、どんどんなだらかになっていきますね。
禁煙:うん。高い雲から落ちてくる雨粒は、地上につくころはほとんど加速せずに(速度のグラフがずいぶんなだらかになったところね)、大きさによってだいたい同じ速度におちついて落ちてくるわ。直径1ミリメートルでは毎秒約4メートル、5ミリメートルでは毎秒約9メートルぐらいかしら。
少女:雨が突き刺さらなくてよかったです。
◯ダイエットとやる気のモデル
禁煙:せっかくバスタブを2つ使うモデルが出たから、値が増えたり減ったりを繰り返すモデルも作っておこうか。
少女:実はもうちょっと着いていけなくなってるんですけど。
禁煙:普通はバネの話なんかするんだけど、せっかくだしリバウンドのモデルにしようね。
少女:えっ、狙い撃ち?
禁煙:1つめのバスタブに〈超過体重〉という名札をつけましょう。
少女:超過体重って?
禁煙:理想体重よりどれだけ重いかってこと。当然、理想体重より軽くなったら超過体重としてはマイナスにあるわ。
少女:えーと、バスタブだからマイナスの数とか表せないんじゃ?
禁煙:ほんとはね。少しズルをして、バスタブのデジタル表示をいじってちょうど半分水が入ったときに0と表示するようにしておくの。こうすつとー500から+500までの数字が扱えるわ。
少女:もう一つのバスタブは?
禁煙:〈やる気〉という名札をつけておきましょうか。こちらもマイナスの値が扱えるようにしておくの。
少女:ダイエットのやる気ってことですか?
禁煙:やる気が高いときはダイエットに一生懸命取り組むから体重の減り方が大きい、と考えるのはいいかしら?
少女:ええ。
禁煙:ではもうひとつ。現実的にはもっといろいろありそうだけど、ここは単純に、体重が重いほどより強く動機付けられてやる気も高まる、と考えましょうか。逆に体重が軽くなってくるとやる気も減ってく、ってことね。
少女:じゃあ〈やる気〉のバスタブから〈体重減少〉の蛇口へコードをつなぎます。それから〈超過体重〉のバスタブから〈やる気増加〉の蛇口へもコードをつないで、と。これでいいですか。
禁煙:これもグラフを描いてみましょうか。
少女:体重もやる気も上がったり下がったりを繰り返すグラフになりました。体重のアップダウンをやる気のアップダウンが追いかけてるみたい。あ、でも、これ……
禁煙:なあに?
少女:今のバスタブ・モデルには、さっき出た〈体重が減るほど減り方がゆるやかになる〉って話が入ってませんよね?
禁煙:じゃあ、さっきみたいに〈超過体重〉のバスタブから〈体重減少〉の蛇口にコードをつなぎましょうか。
少女:うーん、こんなグラフになりました。やっぱり体重のアップダウンをやる気が追いかけてるんですけど、アップダウンは同じ大きさじゃなくて形もなんか違いますね。ちょっと言葉で言い表すのは難しいです。
禁煙:このあたりまで来ると、自然言語でなかなか表現できないから、モデルを使って考える甲斐があるって思わない?
◯バスタブ・モデルの正体
少女:バスタブやコードを増やせば、もっと複雑なモデルも作れますか。
禁煙:ええ。たとえばさっきの、2つのバスタブで速度と位置を表すモデルを組み合わせて、車間距離のシミュレーションとかね。
(クリックで拡大)
(岡野 道治他(1997)『理工系システムのモデリング学習 : STELLAによるシステム思考』牧野書店,星雲社 (発売), p78-79 図4-10,4-12を元にVensim PLE用に改変)
少女:えーと、速度と位置を表すバスタブ2つが1セットで、車1つ分なんですね。
禁煙:ええ。とりあえず3台分で作ってみたけれど、後続車は前の車の車間距離と速度の差を見てアクセルやブレーキを踏む(加速や減速する)けれど、車によって対応の遅れに差がある場合ね。先頭車は時速10キロから徐々に加速して、後続車はぶつからないように(「車の位置」のグラフが交差すると、そこでぶつかることになるんだけど)、速度を合わせていく感じになったわ。
(クリックで拡大)
禁煙:こんな風にどんどん組み合わせればいいって言えばいいんだけど、ただ弱点があってね。
少女:なんですか?
禁煙:マイナスの値が使えないってのはさっきのトリックで何とかなったけど、現実問題として水の量を計っているから精度がよくないの。あとバスタブやコードがたくさんになると扱いが大変だし、場所はとるし、今みたいに水浸しになるし。見た目もやってることもベタだから、その点は分かりやすいのだけど。
少女:やってることはシンプルなんだから、コンピュータの上でできたら、バスタブもコードもいくらでも増やせそうだけど。というか、もうあるんじゃないですか?
禁煙:ええ、実はね。アメリカにMIT(マサチューセッツ工科大学)って学校があるけど、60年以上も昔、電気工学の学生としてやってきたジェイ・ライト・フォレスターって人がいてね。戦争中、兵器に自動調整装置を応用する研究室で働いていて、その絡みで戦後も軍のためにコンピュータ(Whirlwind)を開発したり、半自動な防空システム(SAGE)をつくったりしたんだけど、大きなプロジェクトを経験したせいか、進歩を阻害するのは技術的な問題よりも組織運営の問題の方だって痛感したみたい。電気回路や自動調節装置を扱うやり方で組織のマネジメントをモデル化できないかと考え出したの。
少女:リーダーって大変なんですね。
禁煙:ちょうどある大企業で雇用が短い周期で上下する問題があって、みんなは「これは景気が上下するせいだ、つまり組織の外に原因があるから、一企業には解決不可能だ」って言い張ったんだけど、フォレスターさんはそのアップダウンは組織の内から生まれていることを証明したの。
少女:ダイエットのモデルから、体重とやる気のアップダウンが生まれたみたいに?
禁煙:このときのモデルづくりの方法が、やがて企業だけじゃなくて世界とか都市とかいろんなものに応用されるようになって、その後、システム・ダイナミクスと呼ばれるようになるのだけれど。今じゃアメリカだと高校生やもっと下の学校でもやってるみたい。
少女:フォレスターさんもバスタブを使ったんですか?
禁煙:もう少しだけ抽象化したものだったけどね。今日〈バスタブ〉と呼んでたものを〈レベル変数〉、〈蛇口〉と言ってたものを〈レイト変数〉、と言い換えれば、フォレスターさんたちが使った、システム・ダイナミクスでモデルを記述するストック・フロー・ダイアグラムになるわ。というより話は逆で、ストック・フロー・ダイアグラムの、日常的で身近な〈たとえ〉として使われるのがバスタブ・ダイヤグラムなんだけどね。もともとメタファーに過ぎなかったものを、調子に乗って作ってもらったの。
少女:フローと風呂(バス)をかけてるんですか?
禁煙:それは気付かなかったわ。珍しいね、オチは地口オチ?
少女:二秒で忘れて。……でも、これがなんで微分方程式と関係あるんですか?
禁煙:バスタブというメタファーの利点は、微分と積分を、(単位時間に)〈入ってくる/出て行く水の量〉と〈バスタブに貯まる水の量〉っていう日常的に目にするものに置き換えてくれることね。それぞれストックとフローを表しているから当然といえば当然だけど。
少女:ストックとフローってよく聞くけど、よく分かってない気がします。
禁煙:語れば長いけれど、例を上げておくとこんな感じかしら。
フロー | →累積(積分)→ | ストック |
一定期間内に流れた量 | ある一時点において貯蔵されている量 | |
時間を計る単位を変更することで値の変わる変数 | 時間を計る単位の変更によって値の変わらない変数 | |
国民所得 | 国富 | |
預金・引き出し | 預金残高 | |
生産・出荷 | 在庫調 | |
雇入れ・解雇 | 従業員数 | |
速度 | 距離 | |
加速度 | 速度 | |
力 | 運動量 | |
電流 | 電気量 | |
熱伝導率 | 熱量 | |
原子核崩壊率 | 原子核数 | |
化学反応速度 | 濃度 | |
データ伝送レート | データ伝送量 |
少女:じゃあどれがストックでどれがフローなのかを整理して、その間の関係を矢印で結べば、バスタブ・モデルが作れるってことですか。
禁煙:そう。しかも下の4つの表現(バスタブ、ストック・フロー・ダイアグラム、積分方程式、微分方程式)は、同じ内容を表してるの。
(from Sterman, J. (2000). Business dynamics: Systems thinking and modeling for a complex world. Boston: Irwin/McGraw-Hill. p.194 FIGURE 6-2 Four equivalent representations of stock and flow structure - Each representation contains precisely the same information.)
◯バスタブ・モデルをコンピュータ上で動かす
少女:えーと、つまりバスタブをつかって現象のモデルが作れたら、微分方程式も立てられるってことですか?
禁煙:あと、システム・ダイナミクスのソフトを使えば、手を濡らさずにシミュレーションもできちゃう。ダイアグラムをお絵かきすれば、あとはお任せできるソフトがSTELLA / iThinkとかPowerSimとかいくつかあるけど、今回はネットからダウンロードできて個人用・教育用なら無料で使えるVensim PLE(http://vensim.com/free-download/)というソフトを使ってみたんだけど。
少女:ああ、そういうのがあるから中学・高校でシステム・ダイナミクスできるのかな。実際、何してるんですか?
禁煙:「システム・ダイナミクス」って独立した教科があるんじゃなくて、他の科目の内容に結びついてるみたいね。理科や歴史の授業で、環境問題とか文明のモデルをつくったりはもちろんあるけど、今日みたいに数学の授業に使ったり、英語(日本の国語科みたいなの)では文学作品を読んだり。
少女:いや、文学にシミュレーションもバスタブもいらないでしょ?
禁煙:有名なのだと(MIT のオンライン教材集Road Maps: A Guide to Learning System Dynamicsにも採用されてる)、ハムレットが復讐心をこじらせて王さま(クローディアス)を殺すまでのモデルとか。見てのとおり、ストック(私たちがいうところのバスタブ)4つでできてるんだけど。
(クリックで拡大)
(Hopkins, P. L. “Simulating Hamlet in the Classroom”, System Dynamics Review V8 N1, Winter 1992を元にVensim PLE用に改変)
少女:いったい何の意味が?
禁煙:登場人物の感情の高まりを視覚化して時間的変遷を詳細に検討できるとかもあるけれど、一旦モデルを作ってしまえば、モデルやパラメーターを変更して「もし~だったら、どうなったか?」をいくらでも検討できる、というのも大きいわね。
少女:いやシェイクスピアをマルチエンディングにしても……。事業計画とか政策立案の話だったら、確かにそういうのが必要だってわかるんですけど。
禁煙:理解の仕方っていろいろあると思うけど、感情移入して追体験するのもひとつなら、対象にいろいろ働きかけて返ってきた反応を通して知るというのもひとつ。一目見ればわかるシンプルなものならいいけど、相手が複雑なものだと〈やり取り〉を通して分かることも多いって感じかしら。
少女:うーん、いままで文学とか苦手だった子には、ちょっとウケよさそうかな。
禁煙:実験する学問でも、やっている人にとっては、論文に書ける完成品の実験よりも、そこに至るまでのいわば試作品の実験を繰り返してるうちにいろいろ分かってくるものが大事ってところがあるけど。システム・ダイナミクスに限らず、この手のシミュレーションって、社会とか生態系とか実験が難しいもの相手の、実験の代用品ってところがあるの。
少女:あー、でも、なんかの現象からバスタブ・モデルを自分で組み立てられる気がしません。
禁煙:ご希望なら、モデルの作り方は別にやってもいいわね。
(参考文献)
高校の数学の先生が書いた、システム・ダイナミクス・ソフト(この本ではSTELLAを使用)を使った数学の授業の作り方。
Fisher, D. M., & High Performance Systems, Inc. (2001). Lessons in mathematics: A dynamic approach : with applications across the sciences. Lebanon, N.H.: isee Systems.
Lessons in mathematics: A dynamic approach Diana M.Fisher High Performance Systems 発売元サイトで詳しく見る |
上の本が入手できなかったので、(だいぶ違うけど)次の本を参考にした。
理工系システムのモデリング学習―STELLAによるシステム思考 岡野 道治,福永 吉徳,福田 敦,吉江 修 牧野書店 売り上げランキング : 955866 Amazonで詳しく見る |
なお、Diana M.Fisher の別著 Fisher, D., & isee systems (Firm). (2007). Modeling dynamic systems: Lessons for a first course. Lebanon, N.H.: isee systems. については以下の邦訳がある。
システムダイナミックスモデリング入門―教師用ガイド Diana M.Fisher,豊沢 聡 カットシステム 売り上げランキング : 297160 Amazonで詳しく見る |
この分野の定番教科書。
Business Dynamics: Systems Thinking and Modeling for a Complex World [With CDROM] John D. Sterman McGraw-Hill Europe 売り上げランキング : 57882 Amazonで詳しく見る |
以下は上の本の翻訳のはずだが、肝心のシミュレーションやモデリングについての記述をごっそり削除している(なんと1000ページを超える原著が500ページ未満の邦訳になるのだから、どれだけのものを省いたか)。
著者スターマンは「システム原型(system archetypes)だ、システム思考だなんて分かった気になってちゃダメ。普通の人は何本もある微分方程式を頭の中だけでは解けないんだから、ちゃんとシミュレーションしなきゃ。」と苦言を呈していたはずだが気のせいだったか。
システム思考―複雑な問題の解決技法 (BEST SOLUTION) ジョン・D・スターマン,小田 理一郎,枝廣 淳子 東洋経済新報社 売り上げランキング : 75133 Amazonで詳しく見る |
ダイエット関連では次の文献を参考にした。ウェイト・マネジメントにシステム・ダイナミクスをガチに導入してる。
浅学非才のうえ寡聞にして、システム・ダイナミクスといえば自治体の作りっぱなしモデルとか『成長の限界』のあれとか大雑把なマクロ・モデルに違いないという(1970年代で時間が止まったような)偏見があったので、新鮮だった。
しかし考えてみれば、アウトカムはきっちり数値で出るし、関連する要因は生化学から社会行動まで多分野に渡るし、そのどれにもフィードバックがかかっているしで、システム・ダイナミクスで扱うにはうってつけのテーマである。
ひょっとすると、ちゃんとしたデータが揃いにくい資源・環境系や、実践しようと思えばエラくなるしかない経営系の事例よりも、この身一つあれば(あと体脂肪計付き体重計があれば、血糖値計があれば言うことなし)がんがん測れて実践できる(しかも不断に我が身に返ってくる=否応なくフィードバックしてくる)ウェイト・マネジメントの方が、システム・ダイナミクスの入門には適しているのではないかとさえ思えてきた。
Abdel-Hamid, T. K. (2009). Thinking in circles about obesity: Applying systems thinking to weight management. New York: Springer.
Thinking in Circles About Obesity: Applying Systems Thinking to Weight Management Tarek K. A. Hamid Copernicus Amazonで詳しく見る |
Thinking in Circles About Obesity: Applying Systems Thinking to Weight Management Tarek K. A. Hamid Copernicus 売り上げランキング : 539386 Amazonで詳しく見る |
オンラインで読めるものでは
・U.S. Department of Energy's Introduction to System Dynamics
合衆国エネルギー省提供のオンラインブック。システム・ダイナミクスの歴史から基礎から説き語り。コンパクト。
・Road Maps A Guide to Learning System Dynamics
初等・中等教育におけるシステムダイナミックスの活用と学習者中心の学習を奨励・支援するCreative Learning Exchangeのサイトにある教材集。かなりのボリューム。
・System Dynamics Self Study - MIT OpenCourseWare
システム・ダイナミクスの総本山MITスローン経営大学院が提供する自習用オープンコースウェア。
(今回使ったソフトVensim PLEについて)
・個人・教育用なら無料で使える(よく本に付いてくるようなお試し版ではなく、モデルの作成も保存も自由にできる)WINDOWS版とMAC版がここからダウンロードできる。
http://vensim.com/free-download/
・マニュアルの邦訳やモデリング・ガイドなど、参考になる日本語ドキュメント(313頁もある)は日本未来研究センターの次のページからダウンロードできる。
http://www.muratopia.net/sd/documents/Vensim6UsersGuide.pdf
・本家のオンラインヘルプ(英語)はここ
https://www.vensim.com/documentation/index.html
・自分でシステム・ダイナミクスのモデルをつくるときに役立つ、よく使うパターンを集めたのがこれ。
なお、この文献にまとめられた全パターンをモデル・ファイルにしたものがVensim PLEにも付属している(Helpフォルダ>Modelフォルダ>Moleculesフォルダ内)。
Jim Hines(1996->2005), Molecules of Structure Building Blocks for System Dynamics Models.
http://www.systemswiki.org/images/a/a8/Molecule.pdf
・事例集 Tom Fiddaman's System Dynamics Model LibraryにはVensimでつくられた様々なモデル(資源・環境系と経営・経済系のモデルが多い)を集められている。
http://www.metasd.com/models/index.html
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