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2014.07.12
パラダイムとかクーン『科学革命の構造』を5分間で説明する+オマケ
思うところあって、誰もが知っているような書物を紹介することをはじめます。
読むのがあまり得意でない人にも読んでもらおうと思ったので、なるべく分かりやすく書くことに加えて、簡単なことを最初にひととおり済ませて、難しいことは後でやり直す方法を採用しました。
繰り返しが生じる欠点があるけれど、途中で読むのをやめてしまってもいくらか得るものがあるだろうと思ったのです。
第1回めはトーマス・クーン『科学革命の構造』。
次回は、いつになるか分からないけど、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』をやります。
1 『科学革命の構造』に書いてあること
この本は科学が科学革命をへて発展すると主張しています。
革命だから、それまでの科学は一度壊されて新しく再建されるので、科学の発展は切れ切れに続いてきたもの、ということになります。
言い換えれば、新しく発見・発明された科学知識が積み重なることで科学が発展してきたという、これまでの科学発展の考え方はウソだと言うのです。
この本の著者クーンが考える科学発展のステップを図に書くと以下のようになります。
『科学革命の構造』は全部で13の章でできていますが、序論「第一章 序論・歴史の役割」とまとめ「第十三章 革命を通じての進歩」をのぞくと、科学発展の順番に各章を割り当てて、それぞれを説明しています。これも一緒に図に入れてみました。

(クリックで拡大)
この図にも、これからの説明にも、繰り返し出てくるので、「パラダイム」という言葉を簡単に紹介しておきます。
パラダイムとは、科学者たちが研究をするお手本となるような具体的な業績のことです(「考え方の枠組み」みたいなものだとよく勘違いされますが)。
たとえばニュートンの『プリンキピア』がそうです。
もう少し詳しい説明は、後でもう一度出てきます。
ではクーンが考える科学の発展について、図に沿って説明します。
(1)前パラダイム期から通常科学へ

自然の研究は、パラダイムができることで(より正確に言えば、あるパラダイムを科学者共同体が受け入れることで)自然科学となります。
パラダイムがないと、学術コミュニケーションは論争が中心になります。
こうした場合、学者の仕事は(典型的には)ライバルを名指ししその学説を批判する形で発表されました。
相手を論破するために、相手の説では解けない問題や説明がつかない事例が示され、相手が前提とする土台や、時には学問とは関係ないところまで互いに攻撃することになりました。
このやり方は今までの前提を疑ったり、学問の基礎を掘り下げるには良いのですが、前に進みません。
比喩で言うとこれは、将棋の駒の種類や盤の大きさをあーでもないこーでもないと議論しているようなものです。ゲームのルールがぐらぐらしていては、知見が蓄積されず(違うルールのものでの記録は役に立ちません)、定石だって生まれません。
(2)通常科学

問題が限定されるから、解けたかどうか分かるから、集中できる
パラダイムができると(少なくとも同じパラダイムをシェアする科学者共同体では)研究は論争からパズル解きに変わります。通常科学のはじまりです。
パラダイム(となる具体的な業績)から科学者は、解くべき問題と解き方の指針を引き出すからです。
もはや「そもそも論」や互いの研究の前提を攻撃しあうことで互いに消耗することはありません。
つまり何が解くべき問題か、どうやって解くのがアリか/ナシか、そしてどうなれば解決なのか、基準なり指針ができるので、科学者は安心して研究に打ち込むことができます。
また社会的には重要だがどう取り組んだらいいか分からないような問題に煩わされることもありません(パラダイムには科学者を科学者共同体の外から守る機能もあるのです)。科学者はパラダイムの元で解ける見込みがありそうな問題に集中することができます。
これらのことは研究の効率を高めます。他の知的生産に対して、科学が優位を保ち続けている一因です。
(3)変則事例(アノマリー)

通常科学が進むほど、変則事例は出現する
しかし通常科学は確かに効率がよいのですが、あくまでパラダイムが引いた線路の上を行く営みです。
それまでとは一線を画する画期的といえる業績、古いパラダイムにとって変わる新しいパラダイムはどうやって生まれてくるのでしょうか?
通常科学が進むことによって、逆に通常科学の内では(つまり今のパラダイムの内では)解決できないような変則事例(アノマリー)が生まれてくるのだ、とクーンはいいます。
通常科学が進むと、理論と測定の精度があがります。こんな場合はこうなるはずだ、という予測がより精密にできるようになります。
そして予測が精密になればなるほど、科学者は予測から外れた事象に気づきやすくなるのです。
ゆるゆるの予想しかできなかった頃には「理論どおりじゃないけど、まあこれくらい誤差って事もあるよな」とスルーされていた現象も、予測が精密になれば「こんなはずがない!(今の理論からすればこんなこと起こるはずがない!)」ということになります。
しかし既存の理論で説明つかない変則事例が出てきても、すぐに既存理論が捨てられたり、「よっしゃ新しいパラダイムでいこう!」となるわけではありません。
変則事例が出てきても最初はスルーされます。
現行のパラダイムがいよいよ持たなくなって、盛んに次の手が模索される頃に「そういえば、この説明できない現象って、随分前から言われてはいたんだよな」と思い起こされるくらいです。
このあたりの事情を、クーンは「黒いハートや赤いスペードという変則カードを混ぜたトランプ実験」を例に説明しています。

私たちはハートは赤いもの、スペードは黒いもの、と思い込んでいるので、黒いハートや赤いスペードのカードと出会っても、ほとんど気に留めずスルーします。「今のカードは?」と聞いても「ハートです」と答えるだけで「何色でした?」と尋ねても「赤です(ハートだから当たり前でしょ、へんなこと聞くなあ)」と答えるのです。
混ぜる黒いハートや赤いスペードの数を増やしていくと、そのうち「ん?何か変なカードが混ざってる」と気付く人が出てきます。
一度気付いてしまった人は、さっきまでのようにはスルーできず、いちいち黒いハートや赤いスペードに気づくようになります。
(4)パラダイムの危機

変則事例の出現が科学者に認知されても、そのままパラダイムの危機に直結する訳ではありません。
「理論とあわない現象によって反証されるからこそ科学なんだ(反証されないものは科学じゃない)」とポパーは主張しましたが、クーンは「いや、理論に合わない現象が出てくることなんて日常茶飯事で、それこそ通常科学のうちで解くべき問題として科学者の飯のタネなんだ」と考えました。
たとえばニュートンの『プリンキピア』は、天体や地上の運動を統一的に扱える画期的な仕事でしたが、問題を解決するだけでなく、多くの問題を生みました。つまりニュートンの理論に合わないことがたくさん見つかり、科学者はそれを通常科学の中でパズルとして解く(ニュートン力学のパラダイムの内で解決する)仕事を何世紀も続けることになります。
しかし変則事例が無視できないばかりか、現行のパラダイムでの問題解決ではにっちもさっちもいかなくなるとパラダイムの危機が訪れます。ここでの科学者の対応は3通りあります。
ア.理論にいろいろ追加したりして現行のパラダイム内でなんとか解決する
イ.棚上げして次世代に期待する
ウ.新しいパラダイム候補を探す
危機に至っても、新しい方へ行くよりも、何とか変わらずにいようとする力が強く働きます。
しかしこの変わらずにいようとする志向、言い換えれば「現行のパラダイムの内で解くべき問題はすべて解けるのだ」という確信こそが、わき目も振らず通常科学に科学者を打ち込ませるのです。これこそが通常科学の知的生産の効率性を支え、さらには精緻化・精密化から変則事例を科学者の目に触れやすくし、結局のところ科学革命を準備するのです。
クーンの科学革命論のキモは、科学研究におけるこうした革新的な志向と保守的な志向との本質的緊張が科学を発展させる、と考えるところです。
(5)科学革命

研究のやり方を変えるのは非常にコストがかかることでできれば避けたいのですが、危機が深まるとそうとも言ってられません。
いよいよ現行のパラダイムがやばそうになると、科学者を制限していたパラダイムのたががゆるみます。
これまでのやり方とは外れたアプローチがいろいろ試されます。例えばそれまでまともな科学者なら避けるべきだった哲学的議論なんかも交わされたりもします。
この状態は、パラダイムができる(=あるパラダイムを科学者共同体に受け入れられる)以前の状態、すなわち前パラダイム期に似ています。
目下解けない問題=変則事例のすべてを解くものではないけれど、そのいくつかには解答(つまり部分解)を与えるやり方が提案され始めます。
しかし解けない問題もたくさんあるので、すぐには誰もが採用するという風にはなりません。
しかし目下解けない問題=変則事例の多くを解くやり方が現れ、どうにかして支持を集め、多くの科学者がその元に集まると、これを新しいパラダイム=以降の研究のお手本となる業績として、新しいステージの通常科学がはじまります。
こうした繰り返しを経て、科学は発展していくとクーンは言うのです。
せっかくなので、この繰り返しが分かるようにフロー図でも書いてみました。

(クリックで拡大)
読むのがあまり得意でない人にも読んでもらおうと思ったので、なるべく分かりやすく書くことに加えて、簡単なことを最初にひととおり済ませて、難しいことは後でやり直す方法を採用しました。
繰り返しが生じる欠点があるけれど、途中で読むのをやめてしまってもいくらか得るものがあるだろうと思ったのです。
第1回めはトーマス・クーン『科学革命の構造』。
次回は、いつになるか分からないけど、ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』をやります。
1 『科学革命の構造』に書いてあること
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革命だから、それまでの科学は一度壊されて新しく再建されるので、科学の発展は切れ切れに続いてきたもの、ということになります。
言い換えれば、新しく発見・発明された科学知識が積み重なることで科学が発展してきたという、これまでの科学発展の考え方はウソだと言うのです。

『科学革命の構造』は全部で13の章でできていますが、序論「第一章 序論・歴史の役割」とまとめ「第十三章 革命を通じての進歩」をのぞくと、科学発展の順番に各章を割り当てて、それぞれを説明しています。これも一緒に図に入れてみました。

(クリックで拡大)
この図にも、これからの説明にも、繰り返し出てくるので、「パラダイム」という言葉を簡単に紹介しておきます。

たとえばニュートンの『プリンキピア』がそうです。
もう少し詳しい説明は、後でもう一度出てきます。
ではクーンが考える科学の発展について、図に沿って説明します。
(1)前パラダイム期から通常科学へ

自然の研究は、パラダイムができることで(より正確に言えば、あるパラダイムを科学者共同体が受け入れることで)自然科学となります。
パラダイムがないと、学術コミュニケーションは論争が中心になります。
こうした場合、学者の仕事は(典型的には)ライバルを名指ししその学説を批判する形で発表されました。
相手を論破するために、相手の説では解けない問題や説明がつかない事例が示され、相手が前提とする土台や、時には学問とは関係ないところまで互いに攻撃することになりました。
このやり方は今までの前提を疑ったり、学問の基礎を掘り下げるには良いのですが、前に進みません。
比喩で言うとこれは、将棋の駒の種類や盤の大きさをあーでもないこーでもないと議論しているようなものです。ゲームのルールがぐらぐらしていては、知見が蓄積されず(違うルールのものでの記録は役に立ちません)、定石だって生まれません。
(2)通常科学

問題が限定されるから、解けたかどうか分かるから、集中できる
パラダイムができると(少なくとも同じパラダイムをシェアする科学者共同体では)研究は論争からパズル解きに変わります。通常科学のはじまりです。
パラダイム(となる具体的な業績)から科学者は、解くべき問題と解き方の指針を引き出すからです。
もはや「そもそも論」や互いの研究の前提を攻撃しあうことで互いに消耗することはありません。
つまり何が解くべき問題か、どうやって解くのがアリか/ナシか、そしてどうなれば解決なのか、基準なり指針ができるので、科学者は安心して研究に打ち込むことができます。
また社会的には重要だがどう取り組んだらいいか分からないような問題に煩わされることもありません(パラダイムには科学者を科学者共同体の外から守る機能もあるのです)。科学者はパラダイムの元で解ける見込みがありそうな問題に集中することができます。
これらのことは研究の効率を高めます。他の知的生産に対して、科学が優位を保ち続けている一因です。
(3)変則事例(アノマリー)

通常科学が進むほど、変則事例は出現する
しかし通常科学は確かに効率がよいのですが、あくまでパラダイムが引いた線路の上を行く営みです。
それまでとは一線を画する画期的といえる業績、古いパラダイムにとって変わる新しいパラダイムはどうやって生まれてくるのでしょうか?
通常科学が進むことによって、逆に通常科学の内では(つまり今のパラダイムの内では)解決できないような変則事例(アノマリー)が生まれてくるのだ、とクーンはいいます。
通常科学が進むと、理論と測定の精度があがります。こんな場合はこうなるはずだ、という予測がより精密にできるようになります。
そして予測が精密になればなるほど、科学者は予測から外れた事象に気づきやすくなるのです。
ゆるゆるの予想しかできなかった頃には「理論どおりじゃないけど、まあこれくらい誤差って事もあるよな」とスルーされていた現象も、予測が精密になれば「こんなはずがない!(今の理論からすればこんなこと起こるはずがない!)」ということになります。
しかし既存の理論で説明つかない変則事例が出てきても、すぐに既存理論が捨てられたり、「よっしゃ新しいパラダイムでいこう!」となるわけではありません。
変則事例が出てきても最初はスルーされます。
現行のパラダイムがいよいよ持たなくなって、盛んに次の手が模索される頃に「そういえば、この説明できない現象って、随分前から言われてはいたんだよな」と思い起こされるくらいです。
このあたりの事情を、クーンは「黒いハートや赤いスペードという変則カードを混ぜたトランプ実験」を例に説明しています。


私たちはハートは赤いもの、スペードは黒いもの、と思い込んでいるので、黒いハートや赤いスペードのカードと出会っても、ほとんど気に留めずスルーします。「今のカードは?」と聞いても「ハートです」と答えるだけで「何色でした?」と尋ねても「赤です(ハートだから当たり前でしょ、へんなこと聞くなあ)」と答えるのです。
混ぜる黒いハートや赤いスペードの数を増やしていくと、そのうち「ん?何か変なカードが混ざってる」と気付く人が出てきます。
一度気付いてしまった人は、さっきまでのようにはスルーできず、いちいち黒いハートや赤いスペードに気づくようになります。
(4)パラダイムの危機

変則事例の出現が科学者に認知されても、そのままパラダイムの危機に直結する訳ではありません。
「理論とあわない現象によって反証されるからこそ科学なんだ(反証されないものは科学じゃない)」とポパーは主張しましたが、クーンは「いや、理論に合わない現象が出てくることなんて日常茶飯事で、それこそ通常科学のうちで解くべき問題として科学者の飯のタネなんだ」と考えました。
たとえばニュートンの『プリンキピア』は、天体や地上の運動を統一的に扱える画期的な仕事でしたが、問題を解決するだけでなく、多くの問題を生みました。つまりニュートンの理論に合わないことがたくさん見つかり、科学者はそれを通常科学の中でパズルとして解く(ニュートン力学のパラダイムの内で解決する)仕事を何世紀も続けることになります。
しかし変則事例が無視できないばかりか、現行のパラダイムでの問題解決ではにっちもさっちもいかなくなるとパラダイムの危機が訪れます。ここでの科学者の対応は3通りあります。
ア.理論にいろいろ追加したりして現行のパラダイム内でなんとか解決する
イ.棚上げして次世代に期待する
ウ.新しいパラダイム候補を探す
危機に至っても、新しい方へ行くよりも、何とか変わらずにいようとする力が強く働きます。
しかしこの変わらずにいようとする志向、言い換えれば「現行のパラダイムの内で解くべき問題はすべて解けるのだ」という確信こそが、わき目も振らず通常科学に科学者を打ち込ませるのです。これこそが通常科学の知的生産の効率性を支え、さらには精緻化・精密化から変則事例を科学者の目に触れやすくし、結局のところ科学革命を準備するのです。
クーンの科学革命論のキモは、科学研究におけるこうした革新的な志向と保守的な志向との本質的緊張が科学を発展させる、と考えるところです。
(5)科学革命

研究のやり方を変えるのは非常にコストがかかることでできれば避けたいのですが、危機が深まるとそうとも言ってられません。
いよいよ現行のパラダイムがやばそうになると、科学者を制限していたパラダイムのたががゆるみます。
これまでのやり方とは外れたアプローチがいろいろ試されます。例えばそれまでまともな科学者なら避けるべきだった哲学的議論なんかも交わされたりもします。
この状態は、パラダイムができる(=あるパラダイムを科学者共同体に受け入れられる)以前の状態、すなわち前パラダイム期に似ています。
目下解けない問題=変則事例のすべてを解くものではないけれど、そのいくつかには解答(つまり部分解)を与えるやり方が提案され始めます。
しかし解けない問題もたくさんあるので、すぐには誰もが採用するという風にはなりません。
しかし目下解けない問題=変則事例の多くを解くやり方が現れ、どうにかして支持を集め、多くの科学者がその元に集まると、これを新しいパラダイム=以降の研究のお手本となる業績として、新しいステージの通常科学がはじまります。
こうした繰り返しを経て、科学は発展していくとクーンは言うのです。


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