たくさんの要素を扱ったり、複雑に込み入った推論を進めることもまた、人には負担の大きい作業だが、計算の形に変換することができれば、途中過程を規則的な繰り返し作業に置き換えることができる。たとえば機械に手伝ってもらえる。
今回、紹介するのは、数値化/統計的処理が難しい事象や、質的研究について、計算=演算の力を導入するとどんなことができるかという一例※である。
※ 続くかどうかわからないが Sociology on Pythonシリーズの第一弾でもある。
ブール代数アプローチ(boolean algebra approach)
ブール代数アプローチは、 Ragin(1989)によって、真理表とブール代数に依拠した比較分析の手法として、質的比較分析(Qualitative Comparative Analysis 略称:QCA)という名称で提起されたものである※。
※Ragin, C. C. (1989). The Comparative Method: Moving Beyond Qualitative and Quantitative Strategies. University of California Press.
このアプローチは、Ragin(1989)の副題にあるように、計量的研究と質的研究を相補的に統合することを企図している。
鹿又・野宮・長谷川(2001)によれば、その特徴は※
1.社会現象の多様性と同時に因果関係の複雑性を分析可能であること
2.論理的・体系的な比較ができること
3.分析手続きが客観的であること
4.数多くの事例が処理できること
5.より節約的で冗長ではないモデルを選択できること
※ 鹿又伸夫,野宮大志郎,長谷川計二(2001)『質的比較分析』 ミネルヴァ書房
そのコアは、質的データ→真理表→ブール式→その縮約という一連の定式化/標準化された手続きにある。
定式化/標準化されたアルゴリズムをもちいて論理式を縮約する手法は、たとえば論理回路の簡単化(minimization)等に用いられてきたが、Raginは、この手法を社会現象の生起条件の分析に適用したのである。
すなわち、質的比較分析では、複数の原因条件の組み合わせを比較を通じて体系的に絞り込んでいくために、分析対象の社会現象を生起させる条件をブール式の形で表現し、ブール式の縮約によって簡潔な表現に変換することで、結果現象に対する原因条件の十分性/必要性を検討していく。
ブール代数アプローチはしかし、Raginの企図を越えた可能性を持っている。
というのも、ブール式で表現できるものは、事象の生起条件だけではないからだ。
・統計的処理が難しい質的研究について質的メタ・アナリシスを行う(→後述の、研究例3ーネガティブ・ムードと援助行動ー質的比較分析2001、第8章)。
・社会理論の命題・仮説をブール式で表しブール式を縮約することで、命題・仮説が持っていたインプリケーションを展開したり命題・仮説のブール式を、事象データから得られたブール式と突き合わせる(具体的な演算としては掛け合わせる)ことで、仮説のどの部分が事象データによって支持されるかを明確にできる(→後述の、研究例2ー社会運動の生起条件ー質的比較分析2001、第6章)。
・あるいは、人々が描くイメージ※や、日頃無意識的に用いている(社会的)カテゴリー分類※※を、ブール代数で表現して、その間の関係を演算によって推論することもできる。
※ Misumi, Kazuto(2007). A Formal Theory of Roles, Fukuoka: Hana-Syoin. は、行為者のもつ「役割イメージ」を「役割要素」のブール代数式で表すというアイデアをコアとして、役割の持つさまざまな側面をモデリングしている。
※※ 石田淳. (2007). ブール代数分析による社会的カテゴリーの研究--「日本人」 カテゴリー認識の分析. ソシオロジ, 52(1), 3-19.
つまり、ブール代数アプローチは、複雑な問題を切りさばき取り扱うための、命題計算のブッシュナイフである。
詳細は、後述の研究例を解説する中で触れるとして、ここではいくつかの特徴に触れておこう。
特長 | 向いている研究 |
母集団推計を行わない | 扱うデータ自体が母集団と見なせるもの(事例研究や事例研究のメタ分析に) |
度数の多いものも少ないものも同じ重みで扱う | 少数しか見られないパターンも重要なものとして扱わなければならないもの(歴史事象やクリティカルな事例などを扱う研究) |
交互作用効果それ自体が最初から検討対象 | 条件の組み合わせ自体が研究対象として設定されているもの(複雑な多元因果性や複合因果性が想定される研究) |
ブール代数覚書
表記法や論理式との対応を念のため記しておく。
ブール式 | 論理式 | 自然言語 |
A+B | A ∨ B | AまたはB |
A*B | A ∧ B | AかつB |
a ※ | ¬A | Aでない |
※ ブール代数アプローチでは、¬Aや上にバーをつけるの代わりに、表記の簡略化のため小文字(¬Aならば a )を使う。
ブール式や論理式の適用できる法則を挙げておくと
同一則(冪等則) | A+A=A, A*A=A | A ∧ A = A ∨ A = A |
交換則 | A+B=B+A A*B=B*A | A ∨ B=B ∨ A A ∧ B=B ∧ A |
結合則 | A+(B+C)=(A+B)+C A*(B*C)=(A*B)*C | A ∨ (B ∨ C)=(A ∨ B) ∨ C A ∧ (B ∧ C)=(A ∧ B) ∧ C |
吸収則 | A*B+A=A (A+B)*A=A | (A ∧ B)∨ A =A (A ∨ B)∧ A = A |
分配則 | (A+B)*C=A*C+B*C | (A ∨ B)∧ C = (A ∧ C)∨(B ∧ C) |
恒等則 | A+1=1, A*1=A, A+0=A, A*0=0 | |
補元則 | A+a=1 A*a=0 | A ∨ ¬A = 1, A ∧ ¬ A = 0 |
復元則 | ¬¬A = A | |
ド・モルガンの法則 | ¬(A+B)=¬A*¬B=a*b ¬(A*B)=¬A+¬B=a+b | ¬(A∨B)=¬A∧¬B ¬(A∧B)=¬A∨¬B |
最小化定理 | A*B+A*b=A (A+B)*(A+b)=A | (A∧B)∨(A∧b)=A (A∨B)∧(A∨b)=A |
ブール代数アプローチ on Python
今回は、ブール代数アプローチを用いた研究をただ紹介するのでなく、Python/Jupyter の上で再現(再演?)してみる。
質的比較分析(QCA)の研究では、普通は専用のアプリケーションを用いるのだが※、Pythonとそのライブラリを使うことで、事例データの加工から、真理表の作成、そして最後の縮約までの過程をシームレスに扱うことができる。
※ あるいは統計環境RにはQCA関連の複数のライブラリが存在する。
実は、ブール代数アプローチのコアとなる真理表から縮約された論理式を得るには、Pythonの記号代数ライブラリであるSypmyのSOPform関数を使えば数行のプログラムで実現可能である。
これで得られるのは論理式だが、同値のブール式との相互変換についても、それぞれ数行のプログラムで可能である。
個人的には、このやり方は、ブラックボックスを開き、手作業=自分の手を使って再現(再演)することを残しながら、煩雑な論理式/ブール式の扱いをコンピュータに任せることで、楽をしながら手法を理解するのに役立った。
またJupyter上でその過程を残すことで、事例データの加工から、真理表の作成、そして最後の縮約までの過程をまるごと公開/シェアできることも利点である。ブール代数アプローチの利点のひとつは、手法の標準化による質的研究に再現性を導入することだから、その線でも役に立つ。
今回はそこまで踏み込めてないが、豊富なライブラリを持つ汎用プログラミング言語であるPythonで実装しているので、さらなる拡張や機能追加はもちろん、他の手法との協同(コラボ)も容易となる。
今回は、事例データから真理表を作成する作業にPandasというライブラリ(データ解析を支援する機能、 特に数表および時系列データを操作するためのデータ構造と演算を提供する)を用いて楽をしている。
今回は手を付けられていないが、他にも数理最適化のライブラリであるPuLPなどを使って、論理変数の選択に組合せ最適化を使うといったことが考えられる。
以下の例では、それぞれにPython/Jupyter の上での実行例をつけているが、共通して利用するサブルーチンをQCA.pyというファイルに集めてある(ここに置いた)。利用したい方は、カレント・ディレクトリにこのファイルを置いて、実行例のようにインポートするといい。
では、これ以降、ブール代数アプローチを用いた研究例を見ていこう。
事象の多元的/複合的な生起条件の探る
研究例1ー民主的選挙の条件ー質的比較分析2001、第2章表2-1の例
説明のために作られた架空のデータであるが、想定としては、いくつかの国で民主的選挙が行われているか否かを調査し、その原因と考えられる3つの条件について調べた結果をまとめたものである。
独立変数と従属変数
3つの条件(とそれらから作った独立変数)と、その結果(従属変数)はそれぞれ
変数L | 長期政権の有無 | 過去20年間に、同じ大統領や首相による10年を越える政権があったか否か |
変数C | クーデターの有無 | 過去20年間に、軍事クーデターが起こったことがあるか否か |
変数G | 経済成長の有無 | 過去20年間に、経済成長率が年率3%を超えた年が5年以上あったか否か |
変数E | 民主的選挙の有無 | 現行政権への政権移行が民主的選挙で行われたか否か |
3つの独立変数はそれぞれ有無に対して1か0の値を取るとすると、3変数で8通りの組み合わせがある。
この8通りの組み合わせそれぞれについて、該当する国の数(総事例数)と、変数Eー民主的選挙が行われた国の数(該当事例数)を含めてまとめたものが、上記の表(真理表)である。
行番号2,3,5,7については、該当する国のすべてで民主的選挙が行われている(総事例数と該当事例数が同じである)ので、これらの行で変数Eー民主的選挙の有無は1の値をとっている。
それ以外の行では、該当事例数は0だから、変数Eも0の値をとっている。
真理表からブール式へ
こうして真理表が完成したら、真理表にまとめた情報をブール式で表現する。
具体的には、変数E(民主的選挙の有無)が1であった行番号2,3,5,7の独立変数の組を拾い出し、独立変数が1の場合は大文字、0の場合は小文字とし、1行ずつを積の形で表現して、それぞれの行から得られた積を最後に足し合わせる。
たとえば行番号2についてL は0、Cは1、Gは0なので、この行はl*C*gという積の式で表すことができる。
こうして行番号2,3,5,7の各行を積で表し、4つの積を足し合わせると、次のブール式が得られる※。
lCg+lCG+LcG+LCG
※ Pythonでの実行例では、この作業をtable2boolという自作の関数に丸投げしている。
これが先ほどの真理表から民主的選挙が行われる(変数で表すと大文字のE)条件をブール式に表したものであるので、
E=lCg+lCG+LcG+LCG
という等式で表現する。
ブール式が意味するもの
このブール式を自然言語に翻訳すると、次のようになる。
民主的選挙が行われる(E)のは、次の4つの場合のいずれか※である。
・長期政権がなく(l)、クーデターが起こり(C)、経済成長がない場合(g)
・長期政権がなく(l)、クーデターが起こり(C)、経済成長がある場合(G)
・長期政権があり(L)、クーデターが起こらず、経済成長がある場合(G)
・長期政権があり(L)、クーデターが起こり(C)、経済成長がある場合(G)
※ ブール式の積(掛け算)が「かつ」を、和(足し算)が「または」を表したことを思い出そう。
ブール式の縮約
ここまでは事例データの表現の仕方を変えたに過ぎない。
ブール代数アプローチの肝は、その縮約にある。
先のブール式は、さらに簡約した式に書き直せる。
E=lC+LG
このブール式が表わすことを自然言語で言い直せば、次のようになる。
民主的選挙が行われるのは、
・長期政権がなくクーデターが起こった場合か
・長期政権があり経済成長がある場合
の、いずれかである
こうして、より節約的で冗長ではない表現を得ることができた。
縮約の方法
縮約の方法は、中学でならう代数式を整理する方法と大差ない。
手作業で行うなら、
E=lCg+lCG+LcG+LCG
↓ 同類項をくくり出して
E=lC(g+G)+LG(c+C)
↓ 補元則からg+G=1、c+C=1だから
E=lC+LG
上記のPythonでの実行例では、この作業をminimize_boolという自作の関数(表からのデータ抽出にPandasを、縮約にSypmyのSOPform関数を利用している)をつかって、真理表からダイレクトに縮約済みのブール式を得ている。
simplify_boolという自作関数で、ブール式を与えて、縮約したブール式を得ることもできる(次の研究例ではこちらを使っている)。
以上で、ブール代数アプローチが何をやっているのか、最小限の情報は提示できたので、次はもう少し複雑な問題を取り扱ってみる。
仮説と事実の「掛け合わせる」ことで突合する
研究例2ー社会運動の生起条件ー質的比較分析2001、第6章
今回は実データを用いた研究例である。
データのソース
政治学で定評あるアグリゲート・データセットであるWorld Handbook of Social and Political Indicatorsは、世界136カ国について政治的抗議活動の発生件数を新聞記事からデータ化している。
この研究は、ここから先進資本主義国16カ国を対象に分析をしたもので、ここでは、そのうち1963〜1967年のデータについての分析を取り上げる。
事例データと変数
今回はお仕着せの真理表ではなく、事例データから真理表を作り上げるところからやってみる。
今回検討する変数は以下のとおりである。
独立変数 | ||
A | ネオ・コーポラティズムか | Nollert(1995)の分類を採用※ |
B | 議会における政党の多様性 | 2人の国会議員をランダムに取り出した際に所属政党が異なる頻度 |
C | 所得の不平等 | 産業間の生産性に基づくジニ係数※※ |
D | 都市化の程度 | 国全体の10万人以上の都市に居住する人口の比率 |
従属変数 | ||
M | 社会運動発生数 | 100万人当たりの穏健的社会運動の発生数 |
※Nollert, M. (1995). Neocorporatism and political protest in the western democracies: a cross-national analysis. The politics of social protest: comparative perspectives on states and social movements, 138-64. リンク
※※産業間の生産性の差は産業間の所得の格差につながると考えている
これらのデータは「社会運動16カ国データ1963-1967.csv」にまとめてある。
Pythonの実行例では、このファイルを読み込み、それぞれの中央値を閾値にして、以下のように二値化している。
case_table = binarize(case_table,
['政党の多様性','所得のジニ係数','都市化の程度','社会運動発生数'],
['0.646500','10.900000','41.000000','10.80000']) #中央値を閾値に
case_table = binarize_rep(case_table,'ネオ・コーポラティズムか',['Yes','No'])
こうして以下のように二値化された変数が得られる。
記号 | 条件 |
A a | コーポラティズムの度合い(A:低い、a:高い) |
B b | 議会における政党の多様性(B:大きい、b:小さい) |
C c | 所得の不平等(C:大きい、c:小さい) |
D d | 都市化の程度の度合い(D:高い、d:低い) |
二値化表から真理表へ
二値化が終われば、ブール式で表しやすいように、各列の見出しを変数名に置き換える。
case_table.columns = list('NABCDM')
事例表(Case Table)を真理表(True Table)に変換するCT2TT関数を使おう。
true_table = CT2TT(case_table, list('ABCD') , 'M', 1)
CT2TT関数は、CT2TT(事例表のデータフレーム, 独立変数のリスト, 従属変数, 従属変数のcutpoint)という引数を取る。
従属変数のcutpointとは、従属変数の値がこの値以上のものを、事態が成立しているものとみなしてカウントするためのものである。今回は従属変数(社会運動の発生)についても既に二値化している(中央値以上の件数があったものを「社会運動の多発あり」として1という値を与えている)ので、1を指定している。
真理表からブール式へ
こうして真理表ができれば、先の例と同様に、真理表からブール式を求めることができる。
table2bool(true_table,list('ABCD'),'M',1)
ACbd+ADbc+Dabc
これは真理表をそのままブール式にしたものであるから、さらに縮約化を施す。
simplify_bool(_)
縮約の結果、得られたのは
b(ACd+Dc)
これを自然言語に翻訳すると、
社会運動が多発するのは、b政党の多様性が小さく、かつ、いずれかの場合である
(1)ACd コーポラティズムの度合いが低く、所得の不平等が大きく、都市化の程度が低い場合
(2)cD 所得の不平等が小さく、都市化の程度が高い場合
社会運動論から得られるブール式
さて、社会運動については、社会運動論の長年の蓄積があり、いくつかの理論がその発生についての仮説を提出している。
社会運動論のうち、最も古い相対的剥奪論では、「社会運動は、人々の現実の充足水準と規範的な欲求水準(期待水準)との比較から生じるところの不満、すなわち相対的剥奪に起因する」と考える。
相対的剥奪には、過去の自己に対して感じる通時的相対的剥奪と、同一時点の他者に対して感じる共時的相対的剥奪があるが、我々が行っている国家間的比較が共時的分析であることから、共時的相対的剥奪について、我々が検討中の変数を用いてモデル化してみると、以下のようなブール式が得られる。
H1 = C
すなわち相対的剥奪論に基づく仮説1(H1)では、「所得の不平等がある場合に、社会運動は多発する」となる。
次に社会運動論のうち資源動員論では、社会運動の発生には、人的ネットワークや時間、資金、専門的能力などの資源(リソース)が重要であると考える。
すなわち資源動員論に基づく仮説2(H2)では、「資源を持つひとが多いほど、社会運動は多発する」となるが、これを我々が検討中の変数で、直接表現することは難しい。
そこでマクロ的な社会条件として、人々のそうした資源の増加をもたらすものの一つとして都市化が考えられる。都市化は、専門化の増加をもたらし、産業化を伴うことで社会運動の参加者である市民の所得水準の向上にも繋がる。
したがって間接的ではあるが、都市化の進んだ社会では、資源を持つ人が多くなり、社会運動が発生しやすいという仮説を立てることができなくない。
これをブール式で表現すると、
H2 = D
最後に1990年代以降、社会運動論の主流となった政治的機会構造論について検討しよう。
政治的機会構造論では、政治機会構造が開放的であると社会運動が発生しやすいと考える。
我々が検討中の変数では、コーポラティズムの有無が制度的機会構造に、議会における政党の多様性が流動的機会構造に関係している。
コーポラティズムとは、ナショナルワイドな労使団体などの巨大利益団体と政府との協調機関が国家政策の決定を行う仕組みを意味するが、これは利益団体が政治へのアクセスを独占していることであり、多くの市民や団体にとっては政治的機会が閉鎖的であることを意味する。
政党の多様性が高いということは、それだけ多数の政党によって議会が構成されていることであり、与党による議会の支配が弱く、政局は不安定になりがちであり、各政党はそれだけ各種団体の要求を受け入れざるを得なくなる。これもまた政党への働きがけを通じて政治への影響力を及ぼす機会が開放的であることを意味する。
これらから、政治的機会構造論に基づく仮説3(H3)をブール式で表現すると、
H3 = A+B
が得られる。すなわち社会運動が多発するのは、コーポラティズムの度合いが低い(A)か政党の多様性が高い(B)のいずれかがある、という主張である。
経験データと仮説の突き合わせ
さて今や、我々の手には、経験データから得られたブール式と、仮説から導かれたブール式がある。
これから、経験データと仮説の突き合わせを行う。
手続きとしては、二つのブール代数を掛け合わせる(乗算する)だけである。
経験データから得られたブール式Rと仮説から導かれたブール式Hの掛け算(乗算)の結果
H*R
は「RかつH」を、つまり「RとHが同時に成り立つ」場合を示している。
これを仮説Hの側から見れば、仮説のどの部分が/どんな限定つきで、成り立つのかが示される。
具体的に我々のブール式を確認していこう。
◯相対的剥奪論
仮説 H1=C → 積 H1*R = ACbd
相対的剥奪論に基づく仮説H1=Cは完全に否定された訳ではないが、留保抜きに正しいとも言えない。
C(所得の不平等の度合いが大きい)だけでは社会運動は多発するとは言えず、Abd(コーポラティズムの度合いが低く、政党の多様性が低く、都市化の度合いが低い)という条件の下でのみ、相対的剥奪論の主張は妥当であることが、経験データとの突き合わせから得られる。
◯資源動員論
仮説 H2=D → 積 H2*R = Dbc
仮説H2=Dは完全に否定された訳ではないが、留保抜きに正しいとも言えない。
D(都市化の度合いが高い)だけでは社会運動は多発するとは言えず、bc(政党の多様性が低く、所得の不平等の度合いが低い)という条件の下でのみ、資源動員論の主張は妥当であることが、経験データから得られる。
◯政治的機会構造論
仮説H3=A+B → 積 H3*R = Ab(Cd+Dc)
このまま見ると、仮説のどの部分が生き残り、どの部分が捨て去られたか分かりにくいが
A+B = AB + Ab + aBであることを確認できれば※、仮説のうちAb(コーポラティズムの度合いが低く、政党の多様性が小さい)のみが生き残り、しかしCd+Dc(所得の不平等が大きく都市化の度合いが低いか、所得の不平等が小さく都市化の度合いが高い、のいずれか)という条件の下でのみ、政治的機会構造論の主張は妥当であることが分かる。
※A+BはA∪B(AまたはB)であり、これをベン図で表現すると下記の赤線で囲んだ部分となる。

これは図の通り、Ab(AであってBでない部分:水色)とAB(AでありかつBである部分:緑色)とaB(AではなくBである部分:オレンジ色)を併せたものである。
Pythonの実行例では、以下で確かめられる。
H11 = sympify('A*B+A*b+a*B')
logic2bool(simplify_logic(to_cnf(bool2logic(H11)),form='dnf'))
次は、ブール代数アプローチのメタ分析への適用例をみよう。
質的メタ分析
研究例3ーネガティブ・ムードと援助行動ー質的比較分析2001、第8章
Python / Jupyterでの実行例 QCA-ex-3ネガティブ・ムードと援助構造.ipynb
先行研究についての文献レビューは研究の前提・予備調査として必須のものだが、先行研究自体をデータとして扱い、一定の定型的な方法を利用して結論を導き出す研究法がある。
1976年に心理学者GlassがEducational Research誌でMeta-analysis (メタ・アナリシス)という名称を提唱して以来、統計手法をつかって研究結果を定量的に統合するアプローチは、典型的にはオッズ比(odds ratio, OR)やリスク比(risk ratio, RR)、平均値の差(absolute difference, AD)などの効果量(effect size)を推定する手法として確立されてきた。
その一方、事例研究のような質的研究について、複数の研究を統合する方法は確立されているとは言えない。
質的研究の統合化の目的のひとつは、個々の研究を総合して、既存の経験的研究から、どのような場合に仮説が支持されて、どのような場合に支持されないかを明らかにすることである。このことで仮説や理論の精緻化を進め、一方で未だ検討されていない領域を明確化することができる。
こうした目的には、ブール代数アプローチはいくつかの利点を持っている。
・先行研究自体をデータとして扱うことから、ブール代数アプローチが前提とするデータ=母集団の関係が成り立つ
・反証可能性を重視する立場からは、少数の研究にしか出現しない知見も無視すべきでないが、これも少数しか見られないパターンも重要なものとして扱うブール代数アプローチの特徴が生かせる
・既存研究を構成する条件を独立変数化、特定の結果を従属変数化して、縮約することで、一群の既存研究を要約し、またまだ研究のない条件の組み合わせを明確化して研究の欠落や不備を指摘できる可能性がある
ここで取り上げるのは、自尊心が傷つけられたり罪悪感を感じているといった「ネガティブ・ムード」が、援助行動(ボランティアで救援物資を配る、未知に迷っている人を助ける等といった、行動レベルでの援助の提供)を促進/抑制することについての研究を統合化する試みである。
データ
ネガティブ・ムードと援助行動に関する39の研究から59の実験を抽出して分析した清水(1993)から、ポジティブ・ムードとネガティブ・ムードの両方に有意差が実験を除いたもの。
これは「ネガティブ・ムードと援助構造.csv」にまとめられている。
独立変数と従属変数
独立変数 | |
negative mood生起の原因 | Ab:不快刺激、aB:他者への加害、ab:負の能力評価 |
社会的比較の有無 | C:あり、c:なし |
negative mood事態の他者への影響 | D:あり、d:なし |
援助者と被援助者の関係 | E:あり、e:なし |
従属変数 | |
ネガティブ・ムードによる援助行動の抑制 | Y:あり※ |
ネガティブ・ムードによる援助行動の促進 | Z:あり※※ |
※対照群よりネガティブ群の方が優位に援助率が低い N<C
※※対照群よりネガティブ群の方が優位に援助率が高い N>C
経験データから縮約の結果
ネガティブ・ムードが援助行動を促進した(対照群に比べてネガティブ・ムード下での援助行動が優位の多かった)実験について
de(aBc+abC)
ネガティブ・ムードが援助行動を促進したのは、
negative mood事態の他者への影響なし、援助者と被援助者の関係がないという条件の下で、次の場合のいずれかである
・negative mood生起の原因は他者への加害であり、社会的比較はない場合か、
・negative mood生起の原因は負の能力評価であり、社会的比較ある場合、である
ネガティブ・ムードが援助行動を阻害した(対照群に比べてネガティブ・ムード下での援助行動が優位の少なかった)実験について
Abcde
ネガティブ・ムードが援助行動を阻害したのは、
negative mood生起の原因が不快刺激であり、社会的比較はなく、negative mood事態の他者への影響なし、援助者と被援助者の関係なしという場合である。
思考実験計画法
研究例4ー自己成就予言の再検討ー質的比較分析2001、第9章
ここでは経験データを用いないブール代数アプローチの適用法として、思考実験計画法を紹介する。
実験計画法は、R・A・フィッシャーが1920年代に農学試験から着想して発展させた、効率のよい実験方法を設計(デザイン)し、結果を適切に解析することを目的とする手法である。1950年G・M・コックスとW・G・コクランが標準的教科書を出版し、以後医学、工学、実験心理学や社会調査へ広く応用されてきた。
一方、思考実験とは、極度に単純・理想化された前提により遂行される、頭の中の推論によって行われる〈実験〉である。この歴史は古く、古代ギリシャの「アキレスと亀」からガリレオの「ピサの斜塔から大小二つの金属の玉を落とす」、さらに現代哲学や倫理学でも用いられている。
多くはある状況で理論から導かれるはずの現象を思考のみによって演繹することで、概念的なインプリケーションを得るために行われるものである。
我々がここで見ようと思うのは、(ゆるい意味での)思考実験の実験計画法版、あるいは実験計画法の思考実験バージョンである。
概念的なインプリケーションを得るために、変数の組み合わせを悉皆的に検討するためにブール代数アプローチを用いる。
最終的には、研究者の網羅的思考実験について、研究者の推論群を縮約したものが得られる。
問題意識
予言の自己成就とは「最初の誤った状況の規定が新しい行動を呼び起こし、その行動が当初の誤った考えを真実なものにする」現象をいい、社会学者マートンが指摘、定式化したものであり※、自然現象と異なる社会現象にしか見られないものの典型例として知られるものである。
※Merton, R. K., & 森東吾. (1961). 社会理論と社会構造. みすず書房.
例えば、マートンが上げた例でいえば、銀行の取り付け騒ぎなどがこれにあたる。
アメリカの旧ナショナル銀行は、資産状況は比較的健全であったのに、(その時点では誤った)支払不能の噂が広まったために預金引き出しが殺到し、その結果、噂通りに支払不能となり倒産してしまった。
しかし近年、「誤った状況規定」が自己成就予言をもたらすという考えに疑問が投げかけられている。
先の取り付け騒ぎの例で言えば、銀行の資産状況が健全であったかどうかは事後的に分かることであっても、預金を引き出した人々の行動を左右するものではない。
実際に不健全であっても、同じように行動し、行動の蓄積は同様の結果をもたらしたと思われる。
人々の預金を引き出す行動は、神の如き全知に基づいた強い合理性に基づくものではないとしても、自分の資産を守るために行動するという、それ自体は合理的な行動である。これを弱い合理性と呼ぼう。
主観的かつ近視眼的ではあるが、我々は日々こうした弱い合理性に従い、多くの場合はうまく事を運んでいる。パラドキシカルなのは、状況の規定が間違っていることではなく、弱い合理性に基づく行動が集積した際に意図せざる結果が生じるところにある。予言の自己成就は、こうした行動のうちで、結果的に状況認識の誤りが発見される現象を取り出したものである。
では、そうした行動をもたらすものは何なのだろうか?
銀行の取り付け騒ぎの例では、預金を引き出そうとした行為者たちは、マスメディアが報じる倒産の可能性の記事に触れたり、さらに預金引き出しに訪れた人々の行列を目撃したりしている。
独立変数と従属変数
独立変数 | |
情報源の信頼性 C c | 情報源が信頼できるかどうか |
他者の行動の観察 O o | ー他人の行動が観察できるかどうか |
情報の受容 A a | 情報の内容を信じるかどうか |
弱い合理性 R r | 情報が本当だったら自分は損をすると考えるかどうか |
従属変数 | |
成就行動 F f | 成就行動が生じるかどうか |
データ
今回の場合、データは経験的なものではなく、研究者の思考実験によって生み出されるものである。
ブール代数アプローチは、研究者の悉皆的推論結果を縮約する役割を担っている。
したがって、研究者は、論理変数の組み合わせを悉皆的に検討し、成就行動が生起するかどうかを思考実験して、直接的に真理表を作成する(上記の表の「思考実験の摘要」を見よ)。
真理表から得られた縮約済みブール式
A+R
つまり
成就行動は、情報の受容(情報の内容を信じる)か、弱い合理性(損失の可能性があると考える)か、いずれかさえあれば生じる
というのが、悉皆的思考実験を統合・縮約して得られた結果である。
欠点とその克服
ブール代数アプローチは様々な長所を持っているが、当然ながら少なくない欠点をも持つ。
De Meur et al. (2008) は、質的比較研究(QCA)に対して行われてきた批判を以下のようにまとめている※。
(1) データの 2 値化の問題
(2) 観察されない事例(論理的残余項)を用いること
(3) 事例に対する敏感さ
(4) 分析に用いる原因条件をどのように選択するかという問題
(5) 因果関係のメカニズムがブラック・ボックスに入っていること
(6) 時間的変化を考慮していないこと
※ De Meur, Gisèle, Benoît Rihoux and Sakura Yamasaki, 2008, “Addressing the Critiques of QCA,” in Rihoux and Ragin eds.(2008) Configurational Comparative Methods: Qualitative Comparative Analysis (QCA) and Related Techniques, 147-65.
最後に、このうちのいくつかについてコメントしておこう。
(1)については、ブール代数アプローチの欠点のうち最も目につくものは確かに、それが二値変数を前提にしており、多値変数や連続変量とみなせる社会変数にはそのまま適用することができないことである。
このため、二値化のための「足切り」作業に恣意性が入り込むことが避けられない。
実は、二値から多値へブール代数アプローチを拡張すること自体は、さほど難しくない。
今回の記事でも、研究例3で、3つの値ととる「negative mood生起の原因」についてA,Bと二つの変数を用意することで対処しているが、ダミー変数の利用することで多値化自体は可能である。
しかしこれでも二値化のための「足切り」作業に恣意性が紛れ込むことは避けられない。
もう一つの方法は、Ragin(2000)で端緒が開かれた、質的比較分析の二値論理からファジー論理(集合)への拡張である※。
※ Ragin, C. C. (2000). Fuzzy-set social science. University of Chicago Press.
このファジィセット質的比較分析については、石田 (2009)を手作業でフォローした例を以下に示す※。
※ 石田淳. (2009). ファジィセット質的比較分析の応用可能性. 理論と方法, 24(2), 203-218.
(3)については、観測された事例数の多寡にかかわらず、原因条件の組合せ を論理式の導出に際して同一の重みで評価すること、またその裏返しとして、例えば事例が1つ加わるか減るだけで結果の式が大きく変わることがあることが批判される。この事例に対する〈過敏さ〉は、擬似相関まで拾ってしまうのではないかという懸念を生む。
この欠点は、少数事例からパターンを拾い出すことや、複数の要因が結びついた結合因果の発見など、従来の計量分析では見落としがちな部分を拾い上げる、ブール代数アプローチの利点とトレードオフであると考えられる。つまり、在るものを見落とす「第2種の過誤」の危険に陥るのか、無いものまで拾い上げる「第1種の過誤」の危険を犯すのか、という話である。
歴史事象のように数は少なくとも(たとえ1つしかなくても)その後のクリティカルな影響を与える故に重要視する必要があるものや、社会事象の中でも多寡に関わらす発見や対策が必要となるもの(たとえば差別や剥奪といった事象)が存在する。〈敏感過ぎる〉というブール代数アプローチの「欠点」は、(検証のフェイズよりも)問題発見のフェイスではむしろ〈長所〉となると考えられる※。
※ 石田淳. (2010). テーマ別研究動向 (質的比較分析研究 [QCA]). 社会学評論, 61(1), 90-99.
(4) については、現在、一定の指針が出されている。(→ベストプラクティス「2.小規模・中規模データのリサーチデザインにおける条件選択(condition selection)」を参照)。
(6)については、論理積AND の代わりに THEN を導入して、条件生起の時間的順序を組み込んだ Temporal QCA※や、クロスセクショナル時系列データから QCA にかけることのできる形式へのデータ変換をルール化した時系列 QCA(Time Series QCA)※※といった、時系列の変化を組み込んだQCAの試みがある。
※Caren and Panofsky (2005) “TQCA: A Technique for Adding Temporality to Qualitative Comparative Analysis,” Sociological Methods & Research, 34(2): 147-72.
※※Hino (2009)“Time-Series QCA: Studying Temporal Change through Boolean Analysis,” Sociological Theory and Methods, 24(2): 247-65.
QCAの情報源
Introduction to QCA (質的比較分析)
http://park18.wakwak.com/~mdai/qca/
日本語による本格的なQCA (質的比較分析)紹介ページ。
QCAの研究を行うにあたって参照すべきベストプラクティスの翻訳、用語集、主な参考図書の解題、サンプル・データ、ソフトウェアの紹介とマニュアル、リンク集と、非常に充実している。
QCA (質的比較分析)に興味を持たれた方は(今回の記事はとても早足になってしまったので)、このページを足がかりに文献を読んでいくことをお勧めする。
Compasss
http://www.compasss.org
英文によるQCA総合案内サイト。
学会情報やQCAを使った研究一覧、ソフトウェアの最新情報など、豊富な情報を提供している。
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![]() | 社会科学における比較研究―質的分析と計量的分析の統合にむけて チャールズ・C. レイガン,Charles C. Ragin,鹿又 伸夫 ミネルヴァ書房 売り上げランキング : 1175072 Amazonで詳しく見る |
QCAの始まりの書で基本文献。
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QCAの実際のデータへの様々な応用例を盛り込んだ、邦文研究書。今回の記事は、この書に掲載されている研究をPythonでフォローしながら書いたもの。
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上の二つの書は、現在入手が難しくなっているので、日本語で読めるものをもう一冊。
副題の「スモールデータで因果を探る」は、ブール代数アプローチのキャッチフレーズとしてなかなかのもの。
![]() | Configurational Comparative Methods: Qualitative Comparative Analysis (QCA) and Related Techniques: 51 (Applied Social Research Methods) Benoît Rihoux,Charles C. Ragin SAGE Publications, Inc Amazonで詳しく見る |
二値バージョンのQCA(クリスプ集合QCA)、多値バージョンのQCA(mvQCA)、ファジィ集合のQCA(fsQCA)まで扱った、現時点で もっともスタンダードかつ包括的な QCA のテキストブック。
事例の選択をどうすべきか、変数をどのように/いくつくらい選ぶべきか、閾値の設定は何を基準にすればいいか、矛盾する条件が出た場合どのような対処法があるか、などなど研究実践で必要な諸注意を含んでいて実践的。
これの邦訳が出れば、QCAの日本語情報の不足はかなり改善されると思う。
(追記)邦訳出ました!
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最後に統計環境RをつかったQCAのガイドを紹介。
生き物として避けるべきことを示すサインであり、安全への退避行動を起こす役目を果たすものである。
恐怖をもたらす対象を避けようとすることは至極当然の行動だと言える。
たとえば、人間が恐怖状態に陥ると、心拍数や呼吸数の増加し、脚などの筋肉に血液が集中し、回避行動の準備に入る。
しかし、恐怖をもたらすものに、繰り返し触れようとする嗜好が存在する。
恐怖を主題として読者に恐怖感を与えるためにつくられた創作物は数多い。
また遊園地に設置されている遊具(アミューズメント・ライド)の中で、絶叫マシン(スリル・ライド)と呼ばれるジャンルが今も優勢を誇っている。
これらはすべての人に愛好されている訳ではないが、根強い人気を誇っており、中でも愛好者は繰り返しこれら恐怖刺激に触れることを嗜好する。
これら恐怖へのアディクトはどんな風に形成され維持されるのだろうか?
これに答える仮説のひとつが、獲得動機(acquired motive)に関する相反過程説 opponent-process theory※である。
※ Solomon, R. L. & Corbit, J. D (1974)., An Opponent-process Theory of Motivation : Temporal dynamics of affect, Psychological Review, 81.
相反過程説 opponent-process theory
相反過程説によれば、刺激は2つの対立する過程を起こすとされる。
刺激によってすぐに起こる生体の反応をaプロセスと呼ぶ。
これに対して、恒常状態を保とうとする生体においては、aプロセスが生じると、それに対応して反対の方向のプロセスが生じる。これを bプロセスと呼ぶ。
生体が感じるのは、aプロセスとbプロセスの引き算の結果である。
aプロセスの特徴
・刺激によってすぐに生じる。
・強さと継続時間は刺激によって決まる。
・繰り返し経験してもさほど変わらない(が、少しずつ小さくなる)。
bプロセスの特徴
・aプロセスよりも遅れて生じ、刺激が消えaプロセスがなくなった後、遅れて消えていく。
・繰り返し経験するうちに、aプロセスに対する遅れは次第に短くなり、消える速度も緩やかになる。
相反過程説は、刺激がもたらす感情の強さと質の時間的変化を説明する仮説である。
SolomonとCorbit(1974)がまとめた例の一つをアレンジして説明しよう。
1.何気なく歩いていると、好きな人にばったり出会う。
2.言葉を交わしていると喜びの興奮と幸福感が高まっていく
3.それを続けているとやや落ち着いてくる
4.互いに用事があるので別れると、しばらく寂しい気持ちがおそってくる
5.しかし時間とともに、その気持も落ち着いていく。
同じことは不快な刺激についても言える。今井(1988)が挙げる例を見てみよう※。
※ 今田寛(1988)「獲得性動機に関する相反過程理論について 1」『人文論究』38(1),pp.45-62
1.平静な状態から高温のサウナ室に入る
2.しばらくすると熱のために苦痛と不快におそわれる
3.しかし、それをしばらく我慢していると馴れがおこってやや耐えられるようになり、それがしばらく続く
4.次にサウナ室を出ると、ほっとした開放感を伴う快さを経験する
5.しかし時間とともに再び感情はもとの平静なベースラインの状態に戻っていく
快/不快のどちらの場合も、グラフにするとこんな感じとなる。

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出典:今井(1988)、図1
刺激は横軸の網目で表した時間だけ続くとする。
刺激がはじまると、快刺激なら快感情が、不快刺激なら不快感情が、一次的感情として急速に高まり、刺激が続くと順応が生じて安定水準のレベルまで下がって落ち着く。
刺激がなくなると、一次的感情とは反対の後反応が生じて、快感情から不快感情へ(あるいは、不快感情から快感情へ)と反応は振れ、これもしばらくすると収まる、というように時間的に変化していく。
SolomonとCorbitは、こうした時間的変化を〈感情の動的変化の標準パターン〉(Standard Pattern Affective Dynamics)と呼び、やや複雑にみえるこうした時間的変化を説明する内部プロセスとして、先述の時間差のあるaプロセスとbプロセス、そしてその間の引き算を想定した。

刺激が繰り返される場合
相反過程説のキモは、こうした快/不快をもたらす刺激を、反復経験した場合の予測と説明にある。
刺激に即座に反応するaプロセスは刺激を繰り返しても変わらないかやや小さくなるだけだが、bプロセスは刺激を繰り返すと、より立ち上がりが速くなり、しかも長引くようになっていく(下グラフの中段)。
するとaプロセスとbプロセスの引き算で生まれる〈感情の動的変化の標準パターン〉は、下のグラフの上段のように変化する。

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出典:今井(1988)、図5
快刺激の場合
つまり、快をもたらす刺激の場合は、繰り返すことで快レベルは下がり、その反対に振れる後反応による不快レベルは増し、しかも長引くようになる。
恋する者の例に戻れば、繰り返すうちに、会うことの喜びは減り、離れていることによる悲しみは深く長く続くことになる。
この例は、たとえばアルコールやタバコのような嗜好品を摂取する経験に、そして薬物をはじめとする様々な依存症の問題に応用できる(むしろこれらの例の方が分かりやすい)。
たとえば喫煙が習慣化すると、一服の煙草が与える快感は最初の頃よりも減少し、以前と同じ効果を得ようとすれば、より強い/より多くの煙草が必要になる。
さらに吸い終わった後の煙草への渇望感はより強く、またより長く続くようになる。そうして不快な渇望感から逃れるために次の一服が必要となり、これらのメカニズムがチェーン・スモーキングを(他の薬物なら薬物依存を)引き起こすことになる※。
※ 相反過程説は、薬物耐性(tolerance)や薬物依存(dependence)、嗜好(addiction)について一定の説明を与えるが、相反過程説だけでは説明できない部分も少なくない。例えば、相反過程説に依拠すれば、刺激の繰り返しすなわち薬物の反復使用だけで薬物耐性ができることになるが、実際の耐性の形成は状況依存的であり、他の諸条件が関与している。

出典:Koob GF (2013) Addiction is a reward deficit and stress surfeit disorder. Front. Psychiatry 4:72., FIGURE 3
http://dx.doi.org/10.3389/fpsyt.2013.00072
不快刺激の場合
不快をもたらす刺激の場合も同様に、繰り返すことで不快レベルは下がり、その反対に振れる後反応による快レベルは増し、しかも長引く。
サウナの例に戻れば、暑さによる不快感は小さくなり、サウナから出ることの快感は大きくなり、より持続することとなる。
そしてこの例は、我々の探求テーマだった〈恐怖の嗜好〉について応用できる。
Epstein(1967)は、落下傘兵(parachutist)の落下経験(回数)と感情の関係を調べ、初落下時の恐怖は経験を積むにつれて薄れ、代わって多幸感(euphoria)を感じるようになること、そしてこの多幸感が落下傘兵を続ける強い動機になっていることを報告している※。
※ Epstein S. (1967) Toward a unified theory of anxiety. In: Maher BA (ed) Progress in experimental personality. Research, vol 4. Academic Press, New York, pp 2–90.
我々がバンジージャンプやスカイダイビングを楽しめるようになるのは、恐怖刺激に対する反動(bプロセス)がもたらす多幸感(euphoria)が反復によって強くなっていくからだが、同じことが、たとえば人を傷つけることに関しても生じ得る。
初期の研究者が考えていたのと異なり、相手を殺して失敗してしまうのは経験の浅い拷問人ではなく、むしろベテランの拷問人の方がである。拷問人の中には、拷問を繰り返し行うことによって苦痛が減り、反動(bプロセス)がもたらす多幸感(euphoria)を求める者がいるのである※。怖い話になってしまった。
※ Baumeister, R. F. (2012). Human evil: The myth of pure evil and the true causes of violence.
in Mikulincer, Mario (Ed); Shaver, Phillip R. (Ed), The social psychology of morality: Exploring the causes of good and evil. Herzliya series on personality and social psychology., (pp. 367-380).
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会計とは何か?なぜ必要か?
・会計とは、財産の状態を出入り(フロー)と残額(ストック)の面で管理することです。
これをやらないと、儲かっているのか損をしているのかさえ分かりません。
商品が売れた代金も、どこからか借りてきた借金も、出所が違うだけで、手に乗れば同じ100万円です。
同じお金なので、どちらの場合も、給料の支払いや仕入れをするのに使うことができます。
しかし、この後に起きることは、やらなくてはならないことは、お金の出所によってまったく違います。
借金には利子がつくし期限までに返さなくてはなりません。
商品の売上金の場合はそういうことはありません。
だから今どれだけお金があるかを知るだけでなく、その出所がどこなのかも把握しておく必要があります。
倉庫会計ー財産管理のはじまり
会計の歴史でいうと、倉庫に入っている財産について、その一つ一つを書き出した財産目録をつくるのが最初でした。
これを倉庫会計といいます※。
※現存する最古の倉庫会計の物的証拠は、紀元前650年ごろに活躍した「エジプト国庫記録官・王室記録長官・納税記録官・国立穀物倉庫総裁兼エジプト陸軍将官」のハップ・メンの石棺(Sarcophagus of Hapmen)で、大英博物館にあります。

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Sarcophagus of Hapmen
Found in Cairo, Egypt
26th Dynasty or later, 600-300 BC
財産目録は、倉庫の中の財産の現状の〈写し〉です。
いちいち倉庫を引っくり返さなくても、財産目録を見るだけで、財産の状態が分かって便利です。
倉庫に入っている財産のひとつひとつと、財産目録の各項目は一対一に対応しています。
おかげで倉庫の中を探し回らなくても、今何がどれだけあるか財産目録を見るだけで知ることができるのです。
財産と財産目録の各項目の一対一対応を維持することが倉庫会計のキモです。
そのために、
新しい財産が増えれば、倉庫に財産が増えて、財産目録にも新しい財産を記入します。
財産を手放したときは、倉庫から財産が減って、財産目録の方も、その財産がなくなったことを記録します(抹消線を引いたりして)。
このやり方はたくさんの物品を管理するのに、今も現役で使われています。
図書館の蔵書目録はそのひとつです。
またお小遣い帳や現金出納帳なども、財産と目録の一対一対応を維持するという倉庫会計の考え方で運用されています。
借方貸方会計ー価値計算のはじまり
再び会計の歴史に戻ると、13~4世紀のイタリアで新しいタイプの会計が生まれました。
この頃のイタリア商人は地中海貿易で活躍していました。
海を船で荷物を運ぶ仕事は、当時はとても危険なものでした。
難破などの海難事故で、財産も生命も失う確率がかなり高かったのです。
しかし危険を冒してもやろうと思うくらい、とても儲かる仕事でもありました。
この頃の地中海貿易には、2つのタイプの商人が登場します。
船に乗って実際に海に出る貿易商人と、イタリア本土にいて彼らに資金を提供する大商人です。
大商人は豊富な資金力をつかって、自分の命はかけることなく、地中海貿易から利益を得ることができます。
貿易商人は仕入の資金を持っていなくても、大商人が資金を出してくれるので、大儲けできるかもしれない地中海貿易に挑戦することができます。
つまり資金を実際に運用する者(貿易商人)と、資金を調達してくる者(大商人)が分離したのですが、これを背景に生まれたのが、現在の複式帳簿のルーツである借方貸方会計でした。
〈借方〉とは、資金を実際に運用する貿易商人の方の記録にあたります。
〈貸方)とは、資金を調達してくる大商人の方の記録にあたります。
さっきの地中海貿易でいえば、ストーリーはこうなります。

(1)大商人が資金を調達してくる。これは自己資金だったり借金だったりします。これは大商人の方=〈貸方)に記録されます。
(2)大商人が資金を提供し、買い付けた貿易品が、貿易商人が乗る船に乗せられて航海へ出発。・・・どんな品が船に乗っているかは貿易商人の方=〈借方〉の記録となります。
(3)貿易先で商品を売ってお金を得る。別の貿易品を買うこともあるでしょう。どれだけの金+商品がが船に乗っているかはやはり貿易商人の方=〈借方〉の記録です。
(4)無事に航海が終わり船が無事に帰ってきました。1回の航海が終わったので清算します。
売り買いの結果、船に載っているお金+商品の財産としての価値が、最初に提供された資金より大きければ儲けが出たことになります。
必要経費や報酬を差し引いた儲けが、大商人に渡ります。つまり差額が利益として大商人の方=〈貸方)に記録されます。
これが複式簿記のルーツであり、商業簿記の、そしてこれ以降の会計の、基礎になりました。
財産管理と価値計算ー2つの会計の底にあるもの
倉庫会計と借方貸方会計の、最大の違いは何でしょうか?
それは、倉庫会計が個々の財産を個別に管理するものであるのに対し、借方貸方会計は全体的な財産を(言い換えれば《資本》を)把握しようとするところです。
倉庫会計では、倉庫に何がどれだけ入っているか、個々の財産を正確に記録し把握することに関心があります。
倉庫にしまい込まれたそれぞれの財産は(誰かが盗んだりしないかぎり)そのまま変わらないことが前提です。
借方貸方会計では、帳簿に記載されたお金や商品が売り買いによって種類と量を変えることを前提に、そうして種類と量を変えながらも、全体の価値が増えたのか減ったのかを知ることに関心があります。
これが、倉庫会計に由来する単式帳簿が財産中心・物量計算主義と言われるのに対して、借方貸方会計に由来する複式簿記が資本中心・価値計算主義だと言われる背景です。
1494年『スムマ』(正式なタイトルは "Summa de Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proportionalita" 算術、幾何、比および比例に関する全集)という数学書を著し、その第1章で公刊書としては初めて〈ベネチア方式〉つまり複式簿記の仕組みを説明したルカ・パチョーリは、この書の中でcavedaleという言葉を使いました。この中世イタリア語の単語がヨーロッパ諸語に伝わりcapital(フランス語、英語),Kapital(ドイツ語)の「資本」につながっていきます。

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Summa de arithmetica, geometria, proportioni et proportionalita
Lucas Pacioli
Venice: Paganino de Paganini, 1523
Book (first ed 1494), 31 x 22
全体として儲かっているのか損しているのかを知るには、価値計算のための複式簿記が不可欠です。
しかし、個々の財産が現在どういう状態にあるかという財産管理もまた大切です。現金(出納帳)や備品(台帳)など、財産の種類に応じた倉庫会計の末裔もまた、生き残ることになります。
今でも、会計には、大きく分けて2つの役割があります。
一つは、主として組織の内で、組織の状態を財産面から捉えて、組織運営のための「目」の役割を担うことです。倉庫会計以来、会計が担ってきた財産管理の役割です。管理会計と言われるのがこちらの側面です。
もう一つは、組織の外に対して、組織の状態を価値の面から要約して伝える、情報提供としての「口」の役割を担うことです。借方貸方会計以来の、出資者へ向けた価値計算会計です。
これは、商法や証券取引法でルールづけられた情報提供としての会計であり、そこでは貸借対照表と損益計算書などの財務諸表が主役をつとめ、個別の財産を管理するための財産目録や会計帳簿はその向こうに隠されます。
商業会計と工業会計ー経済発展に伴う価値計算の進化
リスキーな東方貿易に端を発する、価値計算のための複式簿記は、その後、どのように発展していったのでしょうか。
まず航海以外の商業にも、この新しい会計方式は浸透していきます。
商業とは、ざっくり言えば、お金で商品を買い、そのあと商品を売ってお金を得ることです。この売り買いの差額が利益の元になります。
借方貸方会計を生んだ貿易では1回の航海ごとに清算していましたが(というより船が無事に帰ってくるまで清算できなかったのですが)、陸の上に店を構える普通の商店だと日々いろんな商品を売ったり買ったりしています。「一回の航海」のような区切りがありません。
しかし区切りをつけて清算してみないと、最初にいいましたが儲かっているのか損をしているのかも分からないのです。
そこで人工的に一定の期間(たとえば1年)を定めて、切れ目をつくってやらなければならなくなりました。会計年度の登場です。
時代が進んで、工業の時代になると、さらに新しい会計が必要になってきました。
工場の設備は、設置するのに大きな費用がかかりますが、一旦設置すればしばらくの間動き続けます。しかも設備によって、その寿命もバラバラです。
1会計年度で何もかも清算という訳にはいかず、複数年度にまたいで、設備に使った資金は製品を作り続けていくなかで少しずつ回収していくのだ、と考えた方がよいことになります。
つまり費用は一度にどかんと大きく、売上はちびちび小さいがずっと続くことになります。
儲かっているのかどうか知るために、工場設置にかかった一時的かつ大きな費用と、長期的かつ小さな売上を、うまく結び付けてやる必要があります。
ここに費用を製品1個当たりに割りあてる原価計算が生まれ、また設備の価値が減っていく部分を生産物やサービスの価値のなかから生産費の一部として回収するという減価償却という考えが必要になりました。