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    あしながおじさん (フォア文庫)あしながおじさん (フォア文庫)
    ジーン ウェブスター,長 新太,Jean Webster,谷川 俊太郎

    理論社
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     主人公の女の子はそのうちに、小説家になったり、玉の輿にのったりするのだけれど、そんなことはどうでもよくて、「みなしご」ではなかったけれど、字を覚えるのだって遅かったし、それに一冊を読み切る根気をついぞ身につけなかったおかげで、ずっと本を読まなかったし、読めなかった自分には、これは「遅れてきた読書家」の物語なんだと思えてしまう。

     孤児院出身で、大きくなってからもそこで手伝いなんかしていて、外の世界を知らなかった(それに本なんて読む暇がなかった)女の子は、ひょんなことから、お嬢様な学校へ通うことになるのだけれど、そこで彼女は自分が「あまりになんにも読んでいない」ことに呆然としてしまうのだ(そしてそれは、本を読もうとする誰もの「呆然」ではないか)。
    「マザー・グース」も「デヴィット・コパフィールド」も「アイヴァンホー」も「シンデレラ」も「青ひげ」も「ロビンソン・クルーソー」も「ジェイン・エア」も「不思議の国のアリス」も……。

     利発な彼女のことだから、その「欠落」を取り返すべく、猛然と〈読み〉を開始するのだけれど(そして凡百のお嬢様方をかるく凌駕してしまって、学内誌に「作品」を載せるまでになっちゃうのだけれど)、それよりもなによりも、ドレスに心躍らせるのと同じくらい(いや、それ以上に)胸高鳴らせてページを繰り、スチーブンソンの物語のことを、あるいは「ねえ、ハムレットって読んだことありますか?」と、いちいち書き送る喜び一杯の彼女に心うたれる。このメールマガジンは何しろ「本の雑誌」なのだから、まずは本を読むのが大好きな彼女にご登場願おう。

     「わたしの愛読書ってなんだと思う?つまりたった今の。三日ごとに変わるんですけど」
    (「あしながおじさん」谷川俊太郎 訳)



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    現代倫理学入門 (講談社学術文庫)現代倫理学入門 (講談社学術文庫)
    (1997/02)
    加藤 尚武

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     加藤尚武がいうような、存在論になった倫理学というのはさ、要するに「世の中こうなってるんだから、こう生きろ」ってことでしょ。
     このおっさん、結局功利主義しかないじゃないか自由主義バンザイなんだけど、功利主義(最大多数の最大幸福みたいなやつね)がいかがわしいのは、効用(幸福)が計算できないからじゃなくて、逆にいかようにも計算できるからじゃないか。『経済倫理学』(中公新書)の痴呆経済学者もそうでさ、どんな前提もないと言い張って、理性の法廷より言論の市場原理だとかいってさ、いきなり「計算」はじめる訳だけど、その値札つけがもう思いっきり都合いい。価値の恣意性を「価値中立」にすり替えて、おもいっきり「都合のいい前提」から「都合のいい答え」出してるだけだ。
     世の中の「問題」、これはいつだって誰かの都合によって選定(あるいはねつ造)されたものだけど、その都合にそった「価値判断」を提供するのが、こいつらのいう「倫理学」でさ、そりゃどっかからお金がっぽりもらえるけど、その時の言い草が「計算したら、いろいろ問題はあるけど、とにかくこれが一番ましなんだから(世の中今のところそうなってるんだから)、これがベターなんだ(ベストなんてないんだ)、だから逆らうな」、短くまとめると「世の中こうなってるんだから、こう生きろ」ってなものだもの。こんなの倫理でもなんでもないじゃない。こんなのにはちゃんと、昔から短い名前があってさ、「支配者のイデオロギー」とかいうんだよ(笑)。
     だいたい倫理は、「問題」に対して「答え」を出すようなものじゃないよ(「品行方正」や自己抑制や、理性的=合理的に生きる仕方なんかじゃもちろんない)。「悪口」としてはこれで十分だから、これで止めるけどさ(笑)。
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    http://anond.hatelabo.jp/20080313030006
    読んでいると恥ずかしいゴミ本 (改題前 10代で読んでいないと恥ずかしい必読書)



     「現代思想の遭難者」らしい、典型的な人文系アタマの悪いリストになっているので(そこが「つり」なのか)、ちょっといじってみる。
    こういうリストに束ねられた本を指して「人文書」とか、言うのだろう。

     「人文書」のダメなところは、改訂がないこと。
     時代ごとに流行廃りがあって、差し替えはあっても、蓄積がない、進歩がない。
     だから、情報の量質ともに(さらに読みやすさの点でも)ふつうの教科書に軽く負けてしまう。
     教科書は、読者に受け入れられれば改訂があるし、メジャーな分野なら競争もある。さらには練習問題までついている。
     でも、人は学校も教科書も嫌いだから、人文書を読むんだもんな。動機付けとして「つくる会」みたいだ 。




    プラトン『国家』 →「国家」なんか選ぶのは、プラトンを読んだこともない(が読まなきゃならないとでも誰かに吹き込まれた)輩だろう。退屈。せめて修羅場のある「饗宴」か、ソクラテスの悪意とカルリクレスの腕力とが炸裂する「ゴルギアス」をお勧めする。

    アリストテレス『形而上学』 →単なる講義ノート。しかも出来の悪い。アリストテレス&ヒズ・ブラザーズによる『問題集』に差し替え。

    ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』 →くだらない。削除。

    ヘーゲル『精神現象学』 →「法の哲学」に差し替え

    デカルト『省察』 →必読書150とかの回し者か。「精神指導の規則」に差し替え。

    パスカル『パンセ』 →モンティーニュを読む方が先だ。

    ライプニッツ『単子論』 →せめて「モナドロジー」と呼べ

    カント『純粋理性批判』 →読めもしないくせに「批判」か出すな。「啓蒙について」に差しかえ。

    キルケゴール『不安の概念』 →ボツ。「現代の批判」に差し替え。

    スピノザ『エチカ』 →「神学政治論」に差し替え。

    ルソー『社会契約論』 →「エミール」に差し替えたのちに、クズ籠へ。

    バーク『フランス革命の省察』 →保守反動。読む価値なし。まだしもトクヴィル「旧体制と大革命」。ツヴァイク「ロシェ・フーシェ」でも可能。

    ジェイムズ『宗教経験の諸相』 →「宗教的経験の諸相」。だが読むならデュルケム「宗教生活の原初形態」が先。

    ニーチェ『権力への意志』 →妹によるバッタモンの編集本。捨てろ。『善悪の彼岸』『道徳の系譜』

    フッサール『論理学研究』 →読めるわけがない。「幾何学の起源」(デリダの長い長い序文付き)か「内的時間意識の現象学」へ。

    ハイデガー『存在と時間』 →「ニーチェ」に差し替え

    サルトル『存在と無』 →小説に差し替え。

    ベルグソン『時間と自由』→「物質と記憶」だろうが、ばかやろうが。

    レヴィナス『全体性と無限』 →岩波文庫じゃねえか。「観念に到来する神について」に差し替え

    フロイト『快感原則の彼岸』 →削除。

    ラカン『精神分析の四つの基本概念』 →削除。

    レヴィ=ストロース『悲しき熱帯』 →「野生の思考」の方が恥ずかしいから読め。

    フーコー『言葉と物』 →「監獄の誕生」だろ、ふつう。

    ソシュール『一般言語学講義』 →削除。言語学を勘違いする。フロムキン(教科書)でも読んどけ。

    チョムスキー『文法理論の諸相』 →ジャッケンドフ 『言語の基盤--脳・意味・文法・進化』に差し替え。ピンカーの話は忘れろ。

    ヴェイユ『重力と恩寵』 →削除。

    アーレント『精神の生活』 →「全体主義の起源」に差し替え。

    ブーバー『我と汝・対話』 →削除

    ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』 →こんご100年間封印。かわりに『数学の基礎』(全集第7巻)

    ミンスキー『心の社会』 →実はフロイト好き。

    ライル『心の概念』 → Philosophy of Mind: Contemporary Readings (Routledge Contemporary Readings in Philosophy) に差し替え。

    アドルノ&ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』 →お願いだから許してやれ。

    ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』 →「ミル・プラトー」

    ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 →「宗教・社会論集」

    デュルケム『自殺論』 →抹消

    バタイユ『エロティシズム』 →某文庫では「眼球譚」が「目玉の話」になってました

    モース『社会学と人類学』 →元「贈与論」

    キャンベル『千の顔をもつ英雄』 →いらない。エリアーデは?

    マクルーハン『メディア論』 →子供にはテレビをみせなかった

    ブローデル『地中海』 →やたらと分冊された。 『物質文明・経済・資本主義?15-18世紀』の方が

    ウォーラステイン『近代世界システム』 →ブローデルがあるならいらない

    アダム・スミス『国富論』 (ちょっと休憩します、以下は後で)

    ゾンバルト『恋愛と贅沢と資本主義』 →ウェーバーを読めばゾンバルトがいかにバカかわかる

    ベンタム『道徳と立法の原理序説』→つまらない。えらい人だけど。

    ミル『自由論』 →「自伝」に差し替え

    マルクス『資本論』 →悪口をまなぶためなら

    アルチュセール『資本論を読む』 →「科学者のための哲学講義」に差し替え

    シュンペーター『経済発展の理論』 →「資本主義・社会主義・民主主義」に差し替え

    ケインズ『雇用・利子および貨幣の一般理論』 →無理。ケインズ・サーカスの連中ですら読めなかった。

    ヴェブレン『有閑階級の理論』 →いまさらどうも

    ポランニー『大転換』→実はドラッガーと仲良し

    ボードリャール『消費社会の神話と構造』 カガクシャ ノ タメノ テツガク コウギ

    オルテガ『大衆の反逆』 
               ↓この並び、悪意があるとしか思えない。
    ミルズ『パワーエリート』→「社会学的想像力」に変更

    リースマン『孤独な群衆』  →不要

    イリイチ『シャドウ・ワーク』 →不要

    ベル『資本主義の文化的矛盾』 →不要

    ネグリ『構成的権力』 →不要

    ハバーマス『晩期資本主義における正統化の諸問題』 →かわいそう

    アンダーソン『想像の共同体』 → ホブズボーム「ナショナリズムの歴史と現在」に差し替え

    バレーラ、マトゥラーナ『知恵の樹』→この本はまだましだが 
      ↓この並べ方がバカにされる
    ルーマン『社会システム理論』 →「公式組織の機能とその派生的問題」でも読んでた方がまし

    ロールズ『正義論』 →「 公正としての正義 再説」 ふつう、こっちだろう

    ハイエク『法・立法・自由』 →ハイエクはいつも期待はずれ

    ブルデュー『資本主義のハビトゥス』 →もっとましなの選んでやれ

    オング『声の文化と文字の文化』  →マクルーハンのネタ本

    M・ポランニー『暗黙知の次元』 →「暗黙知」と口にするオヤジにだけはなりたくない

    クーン『科学革命の構造』 
     ↓順番が逆だろ
    ポパー『推測と反駁』 

    サイード『オリエンタリズム』 →「知識人について」

    メルロ=ポンティ『知覚の現象学』 →「見えるものと見えないもの」

    フッサール『論理学研究』 →2度も出しやがって

    ラッセル『西洋哲学史』 →マンガ。哲学史は九鬼周造の講義ノートを読め。

    フロム『自由からの逃走』 →さよなら

    ベイトソン『精神の生態学』 →さようなら

    ベンヤミン『パサージュ論』→和田君、なにかいってやれ

    デリダ『グラマトロジーについて』 →これもかわいそうなセレクション

    リクール『時間と物語』 →まだいたのか?

    ペンフィールド『脳と心の正体』 →こんな人文書でごまかさず、カンデルの教科書(Principles of Neural Science)を読め

    スローターダイク『シニカル理性批判』 →焼却

    フレイザー『金枝篇』 

    シュミット『政治神学』 →「パルチザンについて」

    クラウゼヴィッツ『戦争論』→ リデル・ハート「戦略論:間接的アプローチ」

    ドラッカー『「経済人」の終わり』 →「現代の経営」に差し替え。

    リップマン『世論』 →チャルディーニ「影響力の武器」に差し替え

    マンハイム『イデオロギーとユートピア』 →ラトゥール「科学が作られているとき:人類学的考察」 に差し替え。

    ブルーム『アメリカン・マインドの終焉』 →勝手に終わってろ。ベラー「心の習慣」に差し替え

    ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』 →シュナイダー「臨床精神病理学」にさしかえ

    パノフスキー『イコノロジー研究』 

    クーン『科学革命の構造』 →二度も出し上がって

    ホワイトヘッド『科学と近代世界』 →パス1

    ソンタグ『反解釈』 ←

    ドーキンス 『利己的な遺伝子』 →「ブラインド・ウォッチメイカー」

    ギブソン『生態学的視覚論』 →よめるわけない

    フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』 →焼却。コジェーブに差し替えしたのち焼却。

    ケストラー『機械の中の幽霊』 →焼却

    ラマチャンドラン『脳のなかの幽霊』 →こんな人文書でごまかさず、カンデルの教科書(Principles of Neural Science)を読め

    ホーキング『ホーキング宇宙を語る』 →ホイル「宇宙物理学の最前線」やワインバーグ「宇宙創世はじめの三分間」(名著だが30年前の本だということを忘れずに)、がすんだら初等教科書(バーバラ・ライデン『宇宙論入門』とか)から標準教科書(たとえばDodelsonの”Modern Cosmology”とか)へ。

    イーザー『行為としての読書』 →消去

    イーグルトン『文学とは何か』 →筒井「なんとか教授」

    ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』 →分厚いだけ。「マインズ・アイ」に差し替え。

    ド・マン『ロマン主義のレトリック』 →忘却。しかるのちI・A・リチャーズを想起。

    シオラン『歴史とユートピア』 →もういい

    ブランショ『文学空間』 →もういい

    ガダマー『真理と方法』 →もういい

    ローティ『哲学と自然の鏡』 →パトナムは?デイヴィットソンは?

    セラーズ『経験論と心の哲学』 →よめるわけない

    パーソンズ『社会的行為の構造』 →せめて「行為理論と人間の条件」を読んでやってくれ。で、なんでマートン『 社会理論と社会構造』とか入ってないの?実用書だから(笑)?

    ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』 →おなじネタのくりかえし

    アガンベン『ホモ・サケル』 →こんなのまで入ってる。

    ダマシオ『生存する脳』 →こんな人文書でごまかさず、カンデルの教科書(Principles of Neural Science)を読め

    クワイン『ことばと対象』 →「論理学的観点から」に納められた論文たちが先

    マッキンタイア『美徳なき時代』→撲殺
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