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     身体は、我々が扱ううちで最も精巧で興味深い装置である。

     言葉で記述すれば、膨大な分量になるほど複雑な動作を、ほとんど意識することなく(あるいは、意識しないが故に)優雅にこなすことができる。
     何もトップ・アスリートだけがそうなのではない。
     このことは、我々がもはやほとんど意識することなしにやってのける様々な動作、たとえば歩くことを細かく見ていけば分かる。

     身体がやってのけることは、当人の言葉の表現力をやすやすと超える。
     「やればできる」ことも「言い表すことができる」とは限らないし、たとえ「言葉で説明できる」としても実際に「できる」とは限らない。

     このことは、新しい動作を学ぶときには、しばしば障害となる。

     説明下手なスポーツ指導者は、まだまだ少なくない。
     当人がそれなりの競技者に育ってから(自ら選んで)出会う指導者には選別の圧力が働き、それほど下手な人物は淘汰されるかもしれないが、幼少のときに出会う指導者はそうとは限らない。
     しかもこの段階での出会いが決定的なものになる可能性は大きい。
     従えば従うほどできなくなる間違った指導のせいで、コツさえ飲み込めればできた動作をできないばかりか、「おまえは運動神経が鈍い」と烙印を押されて、生涯を運動嫌いのまま過ごすことも大いにあり得る。

     もちろん動作をきちんと説明できればそれで良い訳ではない。

     指導も研究も熱心なコーチの詳細な指導が逆効果になることは少なくない。
     正しい動作やフォームになるための注意点が数多く与えられても、人の注意という認知資源は有限である。
     たくさんの指導点に意識を払うのに手一杯で、目の前のボールに反応できないといったことはいくらでも起こる。



    tennis-ball.jpg




     何度やっても、どれだけ細かい注意を与えても、あいかわらず数回しかラリーが続かない少女を前に、あるテニスコーチはようやく、自分が指示を与えすぎたこと、彼女の注意はその指示を守るためにいっぱいいっぱいになっていることに気が付いた。
     フォームはまだまだ頼りなげで、ラケットの軌道は波打っている。
     直すべきところはたくさんあるのだが・・・・・・と、テニスコーチは以前読んだある本のことを思い出した。
     考えを追い払うようにぶんぶんとアタマを振ってから、少女を呼んでコーチは言った。
    「すまない。今まで僕が言った注意は全部忘れてくれ。ああ、全部だ。で、これからは、次の2つのことをやってくれればいい」
    「2つ?」
    「そう、2つだけ。
    1.ボールがコートの上を弾んだら『バウンス』と声を出して言う。
    2.ラケットを振ってボールに当たったと思ったら『ヒット』と声を出して言う。
     以上だ」

     コーチが言った二つの言葉は、実は何かをさせるためというよりも、させないためのものである。
     つまりラケットを動かす際にたくさんの守らなければならない指示に注意を消耗させないため、そして「指示を守れない、ボールのあたりどころが変だ、私って駄目な奴!」という自己非難(ゲームに集中し切れない競技者はこれに苛まれていることが少なくない)をさせないため、である。

     人間は考えるな、という指示を守ることが苦手である。
     考えまいということを考えてしまうのだ。
     思考の抑制を指示することは、守れない指示に従わせることだ。
     たとえば「自己非難しちゃ駄目だ」と考えること自体が自己非難となるというループもまた、思考抑制を困難にする回路である。

     『バウンス』『ヒット』と声を出すことが、直接思考を抑制するのでなく、ただ減らしたい思考と両立しにくい動作となっていることに注意されたい。

     加えてこの指示を守るために行わざるを得ない副作用としての行動をさせることも、目的の一部である。
     ボールが地面(コート)に当たった時には『バウンス』、ラケットに当たった『ヒット』と言うためには、ボールがいつ地面やラケットに当たるかを注意して見ていなくてはならない。
     つまり相手からのボールから目を離すことなく、自分のラケットがそのボールを捉えるまでの間、ボールに集中していなくてはならない。

     『バウンス』『ヒット』と声を出せというシンプルな指示は、実は複雑なことを図らずも(つまり注意を余計なことで消費せずに)やらせるようにできているのである。


     理由が理解できれば応用はたやすい。

     たとえばキャッチボールなら、投げてくる相手がボールを放す瞬間と、ボールが自分のグローブにおさまる瞬間とに注意を向ければいい。
     キャッチボール用の日本語バージョンではそっけなく、ボールが離れる瞬間に「イチ」、グローブにおさまる瞬間に「ニイ」というだけである。


     スポーツ以外への応用も可能だろう。
     考案者のティモシー・ガルウェイは、自身は門外漢であるビジネスシーンへの応用を求められ、応じた経験を著作にしている。



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