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米Google社がスキャンした書籍のうち約500万冊をもとに、5000億語からなるデータベースが構築されていて、1500年代からの今までの出版された書籍に出現する語句について、その使用頻度の推移をグラフにできる
Google Ngram Viewerというものがある。
今回はこれに最有名どころの哲学者の名前を入力してみた。
つまりその時代時代の書籍に、その哲学者の名前がどれだけ出てくるか、その頻度を比較するわけである。
最初は1800年以降にしていたが、それだとヒュームのせっかくの健闘が見えないので1700年以降の表示にした。
英語書籍における哲学者の出現頻度推移
見ての通り18世紀後半からのヒュームの頑張りには注目すべきだが、1880年頃を境にカントにその座を譲っている。ヘーゲルが意外と伸びずだらしがない。
そして、とにもかくにも、すべての期間を通じてプラトンの圧勝である。
実は20世紀の人気者ジグムント・フロイトとカール・マルクスを投下しても、1960年代前半を過ぎないとプラトンの勝ちは揺らがないのである。
プラトン、フロイト、マルクスの英語書籍における出現頻度推移
ところでGoogle Ngram Viewerには言語の指定ができる。
デフォルトで作ったグラフは英語の書籍を対象とした出現頻度によるものだった。
万全を期するためには、他の言語においても結果を検証して置かなくてはならないだろう。
というわけでフランス語の書籍についてのグラフが下に。
フランス語書籍における哲学者の出現頻度推移
様相は一変した。
プラトンは座標軸に貼りつくように這いつくばり、その頭上ではデカルトとカントの抜きつ抜かれつの死闘が繰り広げられる。
そしてスパイ*1兼哲学者アレクサンドル・コジェーヴの健闘のせいだろうか(パリ高等研究院でコジェーヴが行ったヘーゲル『精神現象学』の講義は1933年から1939年まで)、1940年以降、フランス語においてヘーゲルの出現頻度が急激な高まりを見せ、デカルト、カント、ヘーゲルの三つ巴が展開される様になる。
*1 Auffret D. Alexandre Kojève: du trompe-l’oeil au vertige. Le Monde, 24 septembre 1999.
(※後記:もとい、フランス語ではプラトンはちゃんとPlatonと綴るべきだった。プラトンとデカルトとカントの三つ巴にヘーゲルが乱入する構図になる)。
ここまで来ればドイツ語についても確かめてみないわけにはいかない。グラフは以下。
ドイツ語書籍における哲学者の出現頻度推移
プラトンは粘り強く動いているが、カントの覇権に挑むヘーゲルという構図が浮かび上がる。
1781年の『純粋理性批判』の登場、加えてラインホルトの『哲学についての書簡』(1786~87)を通じてのカント思想の広がりに伴って、ドイツ語書籍におけるカントの出現頻度は急速に高まっていく。
ヘーゲルがベルリン大学に着任したのが1818年。グラフでは1820年を過ぎて急激に彼の出現頻度は高まり、1831年の死を経て、1840年をピークに1848年ドイツ三月革命でヘーゲル左派が消滅した際の落ち込みからいくらか持ち直しつつも、確実にその頻度は低下していく。20世紀初頭から第一次世界大戦までに「ヘーゲル復興」を掲げて登場した「新ヘーゲル派」はわずかな持ち直しをもたらしたが、ファシズムの成立に際して分解する。
カントとヘーゲルがドイツ語文献の中で覇を競うのは1940年以降となる。
Google Ngram Viewerというものがある。
今回はこれに最有名どころの哲学者の名前を入力してみた。
つまりその時代時代の書籍に、その哲学者の名前がどれだけ出てくるか、その頻度を比較するわけである。
最初は1800年以降にしていたが、それだとヒュームのせっかくの健闘が見えないので1700年以降の表示にした。
英語書籍における哲学者の出現頻度推移
見ての通り18世紀後半からのヒュームの頑張りには注目すべきだが、1880年頃を境にカントにその座を譲っている。ヘーゲルが意外と伸びずだらしがない。
そして、とにもかくにも、すべての期間を通じてプラトンの圧勝である。
実は20世紀の人気者ジグムント・フロイトとカール・マルクスを投下しても、1960年代前半を過ぎないとプラトンの勝ちは揺らがないのである。
プラトン、フロイト、マルクスの英語書籍における出現頻度推移
ところでGoogle Ngram Viewerには言語の指定ができる。
デフォルトで作ったグラフは英語の書籍を対象とした出現頻度によるものだった。
万全を期するためには、他の言語においても結果を検証して置かなくてはならないだろう。
というわけでフランス語の書籍についてのグラフが下に。
フランス語書籍における哲学者の出現頻度推移
様相は一変した。
プラトンは座標軸に貼りつくように這いつくばり、その頭上ではデカルトとカントの抜きつ抜かれつの死闘が繰り広げられる。
そしてスパイ*1兼哲学者アレクサンドル・コジェーヴの健闘のせいだろうか(パリ高等研究院でコジェーヴが行ったヘーゲル『精神現象学』の講義は1933年から1939年まで)、1940年以降、フランス語においてヘーゲルの出現頻度が急激な高まりを見せ、デカルト、カント、ヘーゲルの三つ巴が展開される様になる。
*1 Auffret D. Alexandre Kojève: du trompe-l’oeil au vertige. Le Monde, 24 septembre 1999.
(※後記:もとい、フランス語ではプラトンはちゃんとPlatonと綴るべきだった。プラトンとデカルトとカントの三つ巴にヘーゲルが乱入する構図になる)。
ここまで来ればドイツ語についても確かめてみないわけにはいかない。グラフは以下。
ドイツ語書籍における哲学者の出現頻度推移
プラトンは粘り強く動いているが、カントの覇権に挑むヘーゲルという構図が浮かび上がる。
1781年の『純粋理性批判』の登場、加えてラインホルトの『哲学についての書簡』(1786~87)を通じてのカント思想の広がりに伴って、ドイツ語書籍におけるカントの出現頻度は急速に高まっていく。
ヘーゲルがベルリン大学に着任したのが1818年。グラフでは1820年を過ぎて急激に彼の出現頻度は高まり、1831年の死を経て、1840年をピークに1848年ドイツ三月革命でヘーゲル左派が消滅した際の落ち込みからいくらか持ち直しつつも、確実にその頻度は低下していく。20世紀初頭から第一次世界大戦までに「ヘーゲル復興」を掲げて登場した「新ヘーゲル派」はわずかな持ち直しをもたらしたが、ファシズムの成立に際して分解する。
カントとヘーゲルがドイツ語文献の中で覇を競うのは1940年以降となる。
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