C62ニセコ号(1994年)part2

C62ニセコ号の1994年は以前紹介しましたが、点数が少なめでしたので再掲写真も含め貼り直します。
 

下り列車の定番撮影ポイント 蘭島~塩谷を行くC62ニセコ号。
 
 
 
 

同ポイントでサブカメラは縦アングルでベルビアで撮影。雰囲気が異なります。
1994-5-2撮影
 
 
 
 

同じく下り列車の定番ポイント「北四線踏切」を行くC62ニセコ号。この年は小樽に宿泊し、朝7時に出発して場所取りをしました。前年よりは良い場所が押さえられたものの、ガスがかかって羊蹄山はうっすらとしか見えない(。・・)
 
 
 

同ポイントでベルビアで撮ったもの。一段と羊蹄山がうすい・・・(。・ω・。) 1994-5-3撮影
 
 
 
 

追っかけで間に合わず適当な線路沿いで撮った下り列車。意外とまとまったアングルで・・・(^^ゞ
1994-5-3撮影
 
 
 
 

最終日は時間の都合で深入り出来ず仁木駅で駅進入撮影(^_^;) 1994-5-4撮影
 
 
 
 

どこで撮ったのか判らない画像・・・???
 
 
何度見てもC62ニセコ号はいいですよねぇ~。何とか再復帰出来ないものか・・・。
 
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コメント

D51146

No title
こんばんは。

小樽の静態保存時には3号機みましたが
動態化の3号機、撮影のチャンスはあったのですが
撮れませんでした(涙)。
羊蹄山バック撮影したかったです!!

やはりHMなしの北海道仕様オリジナルにちかいC623と
旧客は集客の威力はすごいでしょうね。
経済効果はかなりあるでしょうね。
でも、飛行機で飛んで、レンタカ-で撮影では
運用してるJRさんにはあまりメリットが無い・・・・
そこなんですよね。
わかってるんですが、一番の問題ですね。

おざよう

No title
>>D51146さん
ちょうど就職した年に運行開始しましたので、頻繁には行けなかったですが、もし学生時代でしたら何度も渡道していたでしょうね。それくらいC62ニセコは魅力的な被写体でした。
確かに飛行機+レンタカーが撮影のパターンになりますよね~。初年度は飛行機+在来線で鉄しましたが、不合理で・・・。

世の中にはあらゆる「ファン・マニア・おたく」がいますが、AKBおたく・プロレスファンなど通常ファンは主催する会社の収入に直結する「お客さん」ですが、鉄道ファンは必ずしもそうではないのが難しく悲しいところかもしれません。
車鉄しても出来るだけ入場券など鉄道会社の収入に貢献するようにはしていますが・・・。

ひで

No title
おお、すばらしい!やはり限りなくオリジナルに近いと言われただけのことがありますね。しかもこの迫力。やはり一度だけでも行きたかったところですが、当時は非人間的な勤務状態だったのが悔やまれます。

おざよう

No title
>>ひでさん
JR東日本の旧客も自動扉化改造をするなど、結構がんばっているとは思いますが、C62ニセコには沿線条件まで含むと勝てないですよね。
今や特急すら運休しているJR北海道・・・。C62を復活させられる日はくるのでしょうか・・・。

D51338

No title
素晴らしいアングルと煙ですね。
ヘッドマークもなく現役時代の写真と見間違うほどです。ナイス!
95年までC623は走っていたんですね。
行けばよかったと後悔しています。
実は仕事が忙しくて行けなかった?

おざよう

No title
>>D51338さん
結構その時期多忙で行けなかったって人多いです。
私は結婚前でラッキーだったのかな??
鉄文協のこだわりでヘッドマーク禁止になったのですが、それがスポンサーがつかなかった一因になったような気もします・・・。
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プロフィール

おざよう

ものごころついた頃から、今で言う「鉄子」だった母親に洗脳され鉄道三昧。
高校生からは友人の影響で航空自衛隊を中心とした飛行機撮影にも手を出す。

昭和58年~62年春までは愛知大学在学のため豊橋に住んでいました。愛大鉄道研究会に所属していましたが、鉄研とは関係なく全国各地を撮影して回りましたから、国鉄末期のこの頃の在庫は特に多いです。

さすがに結婚して子供が出来ると遠出がなかなか出来なくなり「ネタ」は地元ネタのみになりました。

最近では子供も社会人となり、自由時間が増えてきました。
体力と懐具合と相談のうえ、あちこち出かけています。
この年で岐阜から千歳まで日帰りしたことも・・・(^0^;)

もうすぐ還暦・・・。仕事はハード、そのわりに体力は落ちていきます。
その兼ね合いに悩みながら趣味に生きています(~_~;)

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