厳戒態勢が続くエボラ最大の被害国の一つ、アフリカ西部のシエラレオネを現地取材した。エボラ被害はなぜここまで拡大したのか。世界報道写真賞を受賞した写真とともに、5回シリーズで検証する。
■第2回 秘密集団を止められるのは首長だけ
■第3回 「伝統の埋葬」が蔓延を助長した
■第4回 「エボラ孤児」1万人の行方
さびたブリキ屋根の小屋が、遠くに見える海まで延々と続いていく。
ここはアフリカ西部の国シエラレオネ。首都フリータウンのスラム街クルーベイでは、粗末な家々のすき間で、人々は炊事・洗濯をし、用を足し、ラジオやエンジンを修理する。
「Ebola: No Touch Am」(エボラ:触るな)と書かれた白い横断幕が、崩れかけた塀から垂れ下がり、殺人ウイルスが今なおこの国で猛威を振るっている現実を思い出させてくれる。触るなといわれても、1部屋に家族6人が寄り添うように生活し、路地をすれ違えば肩が触れてしまうこの町では無理な話だ。
4カ月で患者数が35倍に
エボラウイルスがシエラレオネを襲ってから7カ月以上が経過した2014年12月、首都フリータウンとその周辺は一大流行の中心地と化していた。
町外れにあるコンクリートの建物の陰で、女性が横になっていた。その日、エボラウイルスの感染が疑われる4人の病人が、家から運び出されたのを見たという。政府職員たちは、完成したばかりの一時隔離センターへ患者たちを搬送し、検査をする。けだるそうに話す女性は、お腹が空いて疲れている、と付け加えた。そのまま私たちは、眼下に広がるスラム街と、サハラ砂漠の砂塵でかすんだ海を見つめていた。
2014年9月初めの時点で、首都のあるシエラレオネ西部で報告されたエボラ患者数は79人だったが、12月末にはその35倍の2766人に膨れ上がっていた。潜在的患者数はもっと多いと見られている。隔離されずに家庭から回収された遺体の3分の1が、ウイルス検査で陽性反応を示していたからだ。この人々が死ぬ前の1週間、発汗、嘔吐、出血を繰り返し、それと一緒に大量のウイルスが体外へ流出、周囲の人間へ感染させた可能性は十分にある。
12月の終わり、フリータウンに建設された新しいエボラ治療センターで、「国境なき医師団」のシエラレオネ代表を務めるティリー・ゴフー氏に会った。疲労の色を見せるゴフー氏は、「流行が始まって半年以上になりますが、フリータウンではエボラがより活発になる可能性がまだあります。尋常ではありません」と語った。
同じころ、シエラレオネは外国政府やNPO(非営利組織)の支援を受けて、対策を強化していた。ここにきてようやくその効果が表れつつあるらしく、感染拡大のペースが落ち着き始めている。しかし、フリータウンがなぜこれほどまで大流行に対して無防備だったのかを詳しく調査し、何かを学び取ることができれば、今後のエボラ対策や別の災禍に備えて役立つこともあるだろう。
過密と貧困の都市フリータウン
フリータウンは、人口94万1000人を抱えるシエラレオネ最大の都市である。他の多くの発展途上国の都市同様、ここも貧困層を支えるインフラが十分に整っていない。そのため、疫病、暴動、自然災害が起こると悲劇的な事態に発展してしまう。すでに人口は過密状態にあるのに、仕事や教育を求め、そして単に電気が通っているというだけで、人々は続々とフリータウンを目指してやってくる。腸チフスやコレラが多発するのも、単なる偶然ではない。シエラレオネ内戦では、血で血を洗う過酷な最終決戦の舞台にもなった。
フリータウンがエボラとの厳しい闘いを強いられている原因が、人口の過密化と貧困にあることは間違いない。対応の遅れと人々の知識不足も事態を悪化させてしまったが、もう一つ、感染拡大を食い止められない要因があった。それは、フリータウンが実に様々な社会的・文化的背景を持つ人々が寄り集まってできた町であることだ。パッチワークのようなその違いをいちいち考慮しながら、人々にエボラ対策を説いて回らなければならないのである。非常に困難な仕事だ。
シエラレオネという名は、ポルトガルの探検家によってつけられた。15世紀、雨の季節にこの地へやってきた探険家は、現在のフリータウンがある場所に立ち、ごつごつとした斜面の上に雷鳴が響き渡る様子を目にして、この土地を「Serra Leoa」(ライオンの山)と呼んだ。
それから2世紀が過ぎ、ヨーロッパ人がやってきて海岸へ船を着け、ここに住む人々を奴隷として連れていった。その後1790年代、船は英国、カナダ、西インド諸島から解放された奴隷たちを、シエラレオネの土手に降ろしていった。自由の身となった人々は新たな住まいを「フリータウン」(自由の町)と呼び、生活を築いた。今日、フリータウンでは様々な民族的・文化的背景を持った人々が入り混じって生活している。その多くは商人や、各地を点々とする季節労働者たちである。
保健状態は世界最悪
シエラレオネは世界で最も貧しい国の一つだ。エボラウイルスが国を襲った2014年5月、医療体制は10年続いた内戦の爪跡から立ち直ろうとしていた矢先だった。
看護師の数は人口1万人あたり2人、米国の50分の1の割合である。世界銀行や世界保健機関(WHO)が160カ国を対象に行っているあらゆる保健統計を見ても、シエラレオネのランクは常に最下位あるいはその近くをさまよっている。出産時に母親が死亡する確率も世界最高、そして5人に1人の子どもが5歳になる前に命を落としている。隣国リベリアとギニアも、保健状態はかなり悪いが、シエラレオネほどではない。
エボラ出血熱はシエラレオネの東部で発生して西へと拡大、フリータウンで爆発的な流行に至った。都市部は対策不十分で、疫病を迎え撃つすべを持たなかった。病人は、ベッドや医療スタッフの不足で治療を断られ、救急車の数もまるで追いつかず、救援を待つ間に多くの人が命を落とした。
フリータウンで医療活動を行っていたNGO(非政府組織)は、次々に国外へと避難した。WHOが8月に「国際的に懸念される公衆衛生の緊急事態」を宣言してからも、外国からの人材や寄付は、最前線の現場までわずかしか届けられていない。昨年12月初めに私がシエラレオネに到着した時、まだ病院には看護師、医療用品、ベッドが不足している状態だった。そうこうしている間にも、死者の数だけは増え続けていた。
問題の核心
12月半ばに、国立エボラ対策センター(NERC)の危機管理室を指揮するO・B・シセイ氏に会って話を聞いた。センターでは、国中から集まってくるエボラ関連の情報を分析したり、得られたデータを基にエボラ対策を練ったりといった活動を行っている。
シセイ氏は、息をつく間もなく危機管理室のプロセスを説明し、あとは昼食を取りながら話そうと提案してきた。11月にこの任務に就いて以来、食事を取るのも忘れ、睡眠時間もほとんど確保できていないという。元々は個人の顧客に対して、ソマリアの海賊や誘拐のリスク分析を行う仕事をしていたが、国連から今の仕事を打診されたとき、二つ返事で引き受けた。シエラレオネは愛する祖国であり、弱点も分かっている。
「問題の核心はエボラではなく、体制の機能不全だと思います」と、シセイ氏は語った。
当局の体制は今ようやく強化され、機能しようとしているかに見える。フリータウンとその周辺地域では、感染の疑いのある患者を一時収容する施設の数が2倍の20カ所に増え、ベッドの数も2倍近くに増加した。新たに、数十台の救急車も用意された。現場で状況を監視する調査員も、救急車が電話要請から数時間以内に到着していると証言した。これらの体制が整いつつある今、患者はウイルスを拡散する前に病院に隔離され、理論的には間もなく事態は終息に向かうだろうと思われる。
信頼を失った当局
しかし、シセイ氏はまだ最後のパズルピースがはめ込まれていないことが不満そうだ。最後のピースとは、人々の病気に対する姿勢である。発熱しているのに救急車を呼ばず診療所へ運ばれなければ、流行を食い止めるのは難しい。「これまで緊急番号の117番へ電話をしても3~4日放置されるような状態が続いたので、国民は当局への信頼をすっかり失っているのです」。助けを待っている間なすすべもなく、愛する家族の最期を看取るしかなかった。そんな経験をした後では、誰がまた電話しようという気になるのか。彼らも、元々は当局を信用していたのだ。
10月に行われたアンケート調査では、フリータウンとその周辺に暮らす住民の10%以上が、今後も埋葬前の死者の体に触れ、清めることを続けると答えた。国内の別の場所では、同じ回答は5%以下にとどまっている。また、フリータウン住民の22.5%が、宗教的治療師がエボラを完治させることができると信じていた。他の地域で同じように答えたのは、約10%である。
シセイ氏は国立エボラ対策センターの任務に就いて以来、なぜフリータウンを含む西部にエボラ患者が集中しているのか。西部の人口は、国内全体の3分の1を占めているに過ぎないが、エボラ発症数の半分以上がここで報告されている。はっきり言ってしまえば、都市生活者は頑固なのだとシセイ氏は言う。その背景には、この町が織りなすある特徴が関係している。
「他の地域はほとんどが単一民族の社会ですが、西部では様々な土地からやってきた人々がごちゃ混ぜになって暮らしています。それが、人々の考え方へ大きな影響を与えています」
シセイ氏の出身地であるシエラレオネ東部のケネマ地区では、生涯同じ一握りの指導者がいて、人々の尊敬を受けている。そこでは、「誰もが指導者の言うことに従いますが、ここ西部ではそのようなつながりがありません」
フリータウンの問題を解く糸口を探しに、私はケネマを訪れることにした。
つづく
■第2回はこちら「エボラ特集2:秘密集団を止められるのは首長だけ」
■第3回はこちら「『伝統の埋葬』が蔓延を助長した」
■第4回はこちら「『エボラ孤児』1万人の行方」
この取材は、国際非営利報道組織「Pulitzer Center on Crisis Reporting」の支援により実現した。