人間を幸せにするものは何だろうか。大人の感情のプロセスを研究してきた米カリフォルニア大学アーバイン校の心理学教授スーザン・チャールズ氏は、その問題に何度も立ち返ってきた。ほとんどの感情は社会的な状況の中で経験されるので、「私たちは安全だと感じるときに幸せを感じます。他者との関係に満足しているときに、自分の人生は有意義だと感じるのです」と氏は言う。だから、私たちの生活に小さな波風を立てる日常的なストレスのもとを量的に測れば、他者との関係がもたらす幸せについて考えるヒントになるという。
チャールズ氏は、人々がストレスに対してどのように反応し、対処しているのかを知ろうと、米ウィスコンシン大学マディソン校の「米国中年期研究(MIDUS)」の調査データを分析した。だが、「今日はストレスを経験しましたか?」という連日の電話での質問に、毎日「いいえ」と答える回答者が約10%いた。
氏がデータを調べたMIDUSのサブプロジェクト「日々の経験に関する全国調査(NSDE)」の参加者は、8日連続で、その日にあった出来事について電話でインタビューを受け、生命を脅かすほどではない日常的なストレス要因(友人と口論した、仕事上のトラブルがあったなど)について報告する。
つまり彼らは8日続けて、日常的なストレスを一切経験していなかったのだ。チャールズ氏は当初、この人たちのデータは自分の研究には意味がないと考えていたが、あるときふと、彼らはどういう人たちなのだろうと思ったという。その疑問が、氏が2021年に発表した研究のきっかけになった。(参考記事:「ストレス研究最前線 心身への悪影響を和らげるには」)
ストレスのない生活の恩恵と害
ストレスやストレス要因のない生活というと、さぞかし牧歌的で美しいもののように思うかもしれないが、実はそうでもない。チャールズ氏らが、2021年に学術誌「Emotion」に発表した論文のタイトルを「ストレス要因のない生活がもたらす恩恵と害」としたのには理由がある。
研究の結果、ストレスがないと答えた人は、あると答えた人に比べて幸福度が高く、慢性的な健康問題も少なかった。しかし、注意力や集中力、短期・長期記憶、問題解決力、集中力、好ましくない行動を抑える能力といった認知機能の低下の兆候が明らかになった。
だからといって、すべてのストレス要因が有益なわけではない。米ロチェスター大学のストレス研究者であるジェレミー・ジェイミソン氏によると、研究者がストレスの効用について語るときに考えている「ストレス要因」とは、難しい課題や仕事をこなしたり引き受けたりするなどの日常的なものであり、トラウマになるほどつらいものは含まないという。(参考記事:「もしかして気づかぬうちにストレスが悪循環? 兆候や対処法は」)
ストレスは痛みに似ている。痛みと同様、何をストレスと感じるかには個人差がある。例えば、学芸会に出るという同じストレス要因に対して、スポットライトの下でセリフが出なくなるほどあがってしまう人もいれば、落ち着いて堂々たる演技を見せる人もいる。
ストレスを感じない人は、ある種の問題は回避できるかもしれないが、別の問題に悩まされる可能性がある。痛みと比較して考えてみよう。
痛みを感じない人は、最も不快な感覚の1つを経験せずにすむ反面、けがをしやすい。私たちが高温のストーブに触れてしまったときに、反射的に手を引っ込めてそれ以上の危険を回避できるのは、痛みを感じるおかげだ。一方、痛みを感じない人は、大やけどを負うまで気が付かないかもしれない。