カシオトーンで殴りこみ1979 電子楽器産業論

楽器産業構造分析の学位論文なので、シンセの面白話満載というわけではない。
順番を飛ばして、カシオが楽器界のガリバー・ヤマハに挑んだところから。

電子楽器産業論

電子楽器産業論

 

カシオ、楽器産業に参入

1979年12月「カシオ、楽器産業に参入」の記事が主要全国紙経済欄に。その注目理由は、あのカシオがまったく畑違いの世界へという驚きと、「電卓戦争」を戦い抜き、時計業界でも老舗と熾烈な競争をしたカシオがヤマハにどう挑むかという期待にあった。

[「カシオトーン201」プレス資料は]
 業界参入を標榜するだけでなく、「電子楽器」なら楽器産業より、電子産業分野の領域、だからカシオが進出するのは「自然な」こと、それは「社会的責任」である、と大変な鼻息である。(略)
もし、この本文をヤマハの電子楽器開発者やデバイス開発者がみたら怒りがこみあげただろう。なぜならば、それまでの楽器メーカーは電子関係でない、とでもいわんばかりの表現だからである。当時すでにヤマハは、電子技術の象徴たる半導体の設計・生産を自前でやっていたし、電子デジタル技術の「塊」ともいうべきオーディオ機器でも、ハイクラスのブランド・イメージでそれなりの評価を得ていた。しかもこのプレス用資料の論調は、楽器がたんに「音楽を奏でる道具」にすぎないと考えているようにもとれるから、「電子化されたものは電子業界領域」として、音楽文化と電子楽器の関わりあいについてバッサリ切って捨てている。このへんは新規に参入する側と先住側との文化の違いというか、世界の違いというか、企業哲学の大いなる交差であって、これが業界の混乱のもとになっていくことになる。
(略)
この資料には「美しい音色を徹底的に追求」と題する、開発者自身[樫尾四兄弟次男・樫尾俊雄]が記述した「楽音」開発の考え方、着眼点、楽音のメカニズム、他の電子楽器との技術的な差異などが記述された資料が添付されている。(略)
根っからの開発技術者で、それだけに自分の開発したものの意図や考え方を、自分と同レベルで理解をして欲しいという思いが強く、それらの表現を一言一句入念に自分で練りあげている。したがって反復や冗長な表現になりがちではあるが、広報員が書くものより熱意に満ちている。
(略)
 引用すると、「電子楽器が氾濫し、その電子音に耳がなれて行くほど、その似通った人工的な電子音の響きに不満を抱く方も多いはずです。チェンバロの華麗な響きや、バイオリン、フルートの深みのある美しい音色を電子的に表現できないものだろうか。カシオはそんな発想を原点として『楽音とは何か』という哲学から着想し、新しい電子楽器の開発をスタートさせました。
(略)
 音楽はその楽器の存在が「すべての音楽は、その楽器の存在によって生み出される」という発想が開発者たる樫尾俊雄の楽器論、楽器哲学であって、極論すれば、氏は「パイプオルガンがあったからバッハの『トッカータとフーガ』が生まれ、ギターがあったから『古賀メロディー』が……」と考えている。この「こだわり」の部分を第三者に伝えたいという思いが、文章として「これでもか」といわんばかりの執拗さで記述されている。
(略)
 つまり、「それぞれの楽器そのものになり代わって演奏できる」のが今回発表する新製品で、従来のものは、楽器名称をつけた楽音があっても、しょせんオルガン音でしかない、それは「音の独特な味を出す『何か』が欠けていたから」だ、としている。氏は電子オルガンのブリセットされた楽音で、オルガンの奏法で弾かれたものは、それは「電子オルガンの音楽」でしかないと、楽音だけでなく奏法も不可分なものであることを周囲の人間に繰り返し説いている。
(略)
「従来『夫々の楽器の音色を決定するものは倍音成分の構成、即ち楽音スペクトル音量の時間的変化に基因する』と考えられており、従来の電子オルガンの各種楽音は、その考え方に従って作られていた。しかしながら本物の各種楽器から出る音は、そのように夫々毎の楽音スペクトルと音量の変化だけの単純なものではなく、又は夫々毎の楽音スペクトルによる楽音が初めから出るのではなくて、その楽音スペクトルになるまでの間に、複雅にスペクトルの変化がなされている。例えばギターの弦をはじくと、そのはじくという外圧によって弦自体の自由振動がおこり、この自由振動音がギターの楽音スペクトル音であるが、はたして本当にはじいた瞬間から自由振動が開始されているだろうか。(略)指で引っ張られた点を頂点として弦はその安定状態から大きくゆがんだ歪形状態になっており、弦を放すことによって、瞬間的に弦自体の自由振動状態に入ることは力学的に考えられないことである。弦がゆがんだ歪形から自由振動のための正常な曲線に至るまでの過渡現象があり、その過渡現象の微妙なスペクトルの変化音を人間の耳は正確に聞きとっており、それをギターの魅力的な音として感じているのである。
(略)
 従来の電子楽器はそのような過渡現象音を表現せずにストレートに各楽器のスペクトル音を出している。それ故にきれいな音は出せても各楽器の持つ微妙な持ち味を出すことができず、電子オルガンは電子オルガンでしかなくシンセサイザーはシンセサイザーでしかなかった。
(略)
 これに対し、このカシオトーンは各種夫々の楽器の過渡現象のスペクトルの変化を、デジタル電子回路によって作り出して各種楽器夫々の味わいを表現した、世界で最初の電子楽器である。従ってこの『カシオトーン201』はオルガンの音楽を演奏するのが主目的ではなく、いろいろな楽器が夫々の持ち味を生かして分担している音楽の世界に変幻自在に入り込むことができて、無限に広い音楽の領域に対応できる電子楽器である。」
(略)
 氏は電子楽器開発の途上で、自分の論理を確認するために複数の音楽家と接触したことがあったそうだが、そのひとりが黛敏郎である。音楽について意見を取り交わしているうちに、論議がかみあわなくなって、けんか別れに終わったことがあったという。その論点は、パイプオルガンの演奏について黛が「ひとつのオルガン曲を演奏するのにも、同時にいろんなオルガン音色が必要である」という意見に対し、樫尾俊雄は「ひとつの音色が本物と同じにしっかりしたものであれば単音で充分だ」となってもの別れになったそうである。ハーモニカ以外に楽器と触れあいをもったことのない人が、音楽家黛敏郎を相手に、クラシック音楽の演奏(特にバロック音楽)についての話で自説を曲げようとしないことからも、氏という人物の像はみえる。
 なお、氏の手による「世界初」のスタンダードは多くあり、計算機のテン・キー・ボタン、独特の計算式によるルート計算や、デジタル時計(四桁)の動態表示の方法や、閏年までの表示機能内蔵など、挙げればキリがないほど独創的で世界的なものが多い。
(略)
「今までの、どの電子楽器とも違う」ことを、販売店や一般消費者に認知させるためには、「商品名」のほかに電子楽器のなかで「類」を認知させる固有の名称がどうしても必要であった。
 当時の常識的な名称としては「コンボ・オルガン」「ポータブル・オルガン」「ファミリー・オルガン」などもあったが、開発者の「電子オルガンでもシンセサイザーでもない……」のこだわり具合からすれば、「○○オルガン」では、氏の承認は絶対に得られるはずのないものであった。いろいろ名称を考えるなかで「鍵盤」を素直に英訳すれば「キーボード」になる、といいだして候補にあがった。しかし、当時の常識からすれば「キーボード」はコンピュータ、特に出始めのパソコンの入力キーボードを指しており、これでは一般大衆に「キーボード」では、楽器をイメージできないだろうとボツになりかけた。電子オルガンよりエレクトーンのほうが名のとおりがよい、という例もあるから「電子鍵盤楽器カシオトーン」でいこうと決まりかけたが、どうにも長過ぎる。
 例えば「電卓」の二文字には「計算機」の機能をうかがわせるものはなにひとつ含まれていない。そんな例もあるのだからと苦労のすえ、つけられたのが「電子キーボード」である。頭に「電子」をつけることで、パソコンの入力キーボードと判別できるだろうと考えたからである。

一方、ヤマハは、電子楽器部門をあずかる常務の日吉昭夫が昭和50年頃から安い電子楽器を構想し、IC技術の進歩に伴い、昭和53年試作品を作るも

社内では、オモチャではないがあまりにも価格の安い下のクラスの商品であり、ヤマハのブランド・イメージにも傷をつける恐れがあるという意見が強く発売は見送りになった。[が、54年末、カシオが参入発表で事態は急変]

当時のシンセ&コンボオルガンはステージ用でアンプスピーカー接続が前提だったが、カシオトーンはスピーカー内臓、これは「電子楽器の世界」を変える革命で、ファミリー・キーボードというジャンルをつくった。

 おそらくカシオが楽器業界に参入しなければ、フラットなキーボードでスピーカーつきの楽器をどこも出さなかっただろうし、後の世であれだけの市場競合による低価格も現出しなかっただろう。その結果としての器楽の大衆化もなかったであろう。

特異な楽器流通市場、ローランドという「援軍」

楽器の販売店は、電気や文具など他の業種にくらべて極端に数が少ない。(略)ピアノ、電子オルガンなど高額商品が多く、商品回転率が低い楽器店経営は、誰にでも簡単にできる商売ではない(略)需要創造のための音楽教室、エレクトーン教室は必須要件である。しかしこの維持運営にかかる不動産賃借料、教師の確保、教材、発表会などの費用は莫大なもので、それ自身収入源といっても、その繰りまわしは脆弱な資本力では到底まかないきれるものではない。この流通の構造的特性が、ヤマハの流通支配力を時計のセイコーですら顔色なしの状態にしている。ヤマハの威光に逆らってその商品供給を止められたら、その楽器店は営業停止と同じである。ヤマハの公取法違反事件も当然起きるべくして起きている。
(略)
カシオの市場進出をみて、いちはやく追撃したのは、ヤマハではなくローランドだった。(略)カシオ参入から七ヵ月後に「EP−09」(略)外形的には、カシオトーンに似てシンプルな一段鍵盤楽器のスタイルで、やはりスピーカーが内蔵され、価格も十万円切れを意識した価格だった。(略)
 楽器販売店としては、この商品のルックスやスピーカー内蔵、そして価格面から、カシオトーンとほとんど同類のものとして認識した。シンセサイザーなどを通じ業界での実績もすでにあったローランドは、カシオよりはるかに名が通っていて比較的スムーズに市場に陳列されていった。競合先が出現したことは、カシオにとっては脅威ではなく、むしろある意味では「援軍」であった。楽器店の一隅にポツンと置かれた状態では異端視されるが、複数メーカーのブランドで、一見して同類の並列陳列は、電子楽器としての類の成立要件を、商品がはっきり主張することになったからである。
(略)[シンセ中心のローランドが追随してきたことは]その分野にマーケットが存在することを証明している、とカシオの営業部隊は確信した。

ヤマハの締め上げ

あからさまではないものの、ヤマハが特約店でのカシオの取り扱いに難色をかたちで示し始めていた。(略)[楽器業界誌で名前が出たカシオ販売店の中に]ヤマハの著名な特約店の名前があったが、その記事の載った号が発刊されて間もなく、取引きを停止したいという申し入れが、その名前の挙げられた特約店からカシオにあった。その販売店は理由をいっさいいわなかったが、ヤマハとしては傘下の大手特約店でのカシオトーン取り扱いをヤマハ自身が許容しているかのように、全国の特約店に認識されては困るということのようであった。具体的に優遇策の見直しなど「脅し」になるようなことは、ヤマハはその特約店に対していわなかったようであるが、言葉でいわれなくても、その特約店はヤマハがいいたいことは充分わかっていた。
(略)
ヤマハからすれば、当時のカシオの楽器販売手法は、ヤマハがせっかくそれだけの投資と時間[販売の権益とノウハウを提供し、特約店の利益保障と販売義務を促す]をかけて純粋培養した池の鯉(需要)を、横から根こそぎさらっていく泥棒猫にでもみえたのではなかろうか。しかしヤマハは当時カシオよりももっと大きな問題で悩んでいた。それは、ピアノ・ディスカウンターの跳梁である。
(略)
[ヤマハの凋落は電子楽器のせいだけではなく]楽器人口を支える出生率低下と、韓国勢を始めとする低価格ピアノの出現、そしてピアノ・ディスカウンターの存在が大きな潮流で、ヤマハは漠然と将来の不安を感じていたに違いない。
(略)
[格安ヤマハピアノの広告でディスカウントショップを訪れた客に]薦められるのは韓国製・ロシア製や無名輸入品である。(略)このことによってヤマハ特約店のピアノ売上高に直接打撃を受けたことも大きいが、ヤマハの「ピアノ=定価販売」の図式が崩れるほうがヤマハにとってもっとこわい話である。
(略)
[安売り店への商品の流れを厳しくするも効果なく、入手経路を知ろうと、客を装って入手してみればシリアルナンバーが削り取られていた]
ついにはヤマハが「ヤマハピアノは正規の特約店でお求め下さい」、「正規の商品にはこのような場所にこのような製造番号が刻まれています」と意見広告まがいのものまで新聞に出稿するようになった。この「どろ仕合」はずいぶん長期戦になっていたが、そこにカシオの電子楽器発売、ピアノの世帯普及率の頭打ち(略)「90年には十年前の半分に減少」という事態を招いている。(略)
手を焼いたディスカウンターも、その一角が「大型倒産」という結果で幕引きをし、それに連鎖しての中小ピアノメーカーの倒産、廃業という、業界そのもの地盤沈下現象へと進んでいくことになる。

翌80年

イージープレイ機能内蔵「401」発売

リズムマシーンなどまだ珍しい時代であるから、それにワンフィンガー・コードシステム(指一本で和音が出る自動伴奏装置)を鳴らすだけでも、店頭では客が寄ってくる状態だった。(略)
[年末のボーナスシーズン、新聞広告出稿を]取り止めざるを得なくなるほど、カシオ自身が予期しない売れゆきとなり、商品供給が間にあわなくなったためである。購買したのは明らかに電子オルガン需要層であった。今はそうではないが当時の電子オルガンは、音の独立性が弱く、そのため左手マニュアル奏法によってポリフォニックな伴奏音型を用いると、その効果はよくなかった。そのリカバー策としてイージープレイ機能を使った。電子オルガンの初級レベルの教本では、二段ある鍵盤のうち、右手で弾く上鍵盤はメロディー・パートを、左手で弾く下鍵盤は自動伴奏を主な奏法にしていた。(略)その意味では「401」は足鍵盤機能を除けば、電子オルガンそのものであった。

次回につづく。
1982 CASIO CasioTone CT 403