この胸のときめきを サイモン・ネピア=ベル自伝

「この胸のときめきを」を作詞

[映像制作会社経営にも飽きがきていた65年頃『レディ・ステディ・ゴー』出演者手配をしているヴィッキー・ウィッカムと友達になり音楽業界仕事を薦められる]

 数日後、彼女が電話してきて言った。「チャンスよ。ダスティー・スプリングフィールドが歌詞を欲しがっているわ」

 本当の話、私はそれまで歌詞を書いたことはなかったのだが、かなり簡単なことのように思えた。(略)メロディーはもう決まっているのでそれに合うものでなければならないとのことだった。

(略)

我々は[夕食の]デザートを終えてからヴィッキーのアパートに戻り、傷のある古いアセテート盤から流れてくるイタリア語の唄に耳を傾けた。

 私は言った。「これはイタリアの曲だ。言葉はロマンチックでなきゃならない。"I Love You"で始まるべきだね」

 ヴィッキーはちょっと考えると、「"I Don't Love You"ではどう?」と言ったが、私にはちょっとキツすぎるように思えた。

「いや、それじゃあんまりだ。"You Don't Love Me"じゃどう?」この方が、ドラマチックだしイタリア的だったが、やや非難がましかったので少々和らげた結果、"You Don't Have To Love Me"となった。

 しかしそれではメロディーにぴったりしなかったので二つの言葉を付け加えた。"You Don't Have To Say You Love Me"(「この胸のときめきを」)グレート!これだ。

(略)

私はヴィッキーに言った。「やっぱり作詞家業は嫌だな、夜の予定が混乱するからね」「それならグループのマネージメントをやったら?」

(略)

[ダイアンとニッキーの写真を定形外の大きさに引き伸ばし]

二百枚の封筒を秘書に発送させた。もちろんレコードもいっしょに。翌朝七時、すべてのTV、ラジオ局のプロデューサーたちは郵便配達に叩き起こされるハメとなった。「すみませんね、郵便受けに入らないもんで」(略)

「あのレコード、聴いていただけました?すごいでしょう?いつそちらのショーで流してもらえますか?」

 彼らは躊躇する。「ええと……その……今のところ本当にたくさんレコードがあって……」

 私が口をはさむ。「ちょっと待ってください、あなたは偏見を抱いているんじゃないんですか?(略)彼女が黒人で彼が白人だということが問題なんでしょう?もしあのレコードをかけないというのなら、サンデー・タイムズかオブザーバーに電話してすべてをぶちまけますからね。あなたは汚い人種差別主義者だって」

 これはまったくひどいやり方だったが成功した。(略)七つのTV局のうちの六つの局がOKを出し、ラジオ局は総ナメだった。

 もちろんそのレコードは駄作だったのだが、にもかかわらず二ヵ月後にはダイアンとニッキーは有名になっていた――そしてこの私も。

ヤードバーズ

 ある日ザ・ヤードバーズが電話してきた。「サイモン・ネイピア=ベル?ダイアンとニッキーのすばらしいプロモーションをした人?僕たちのマネージングをやってもらえます?」(略)

 その頃、世界中のグループの中でどこから見ても押しも押されもしないグループが四つあり、ザ・ヤードバーズはそのうちのひとつだった。

(略)

 新しい仕事はえらく簡単なもののように思えた。(略)プロモーターから問い合わせを受ける。エイジェントはそのグループのスケジュールに従ってイエスかノーを出し、次いで料金を提示する。(その頃トップ・グループで一晩五百ポンドだった。)それからロード・マネージャーがいて、グループを会場まで運ぶ輸送機関の手配や彼らの機材がちゃんとセットされ動く状態にあるかどうかを確認する。マネージャーには契約者にサインするほかはほとんどすることがないわけだ。

 私の取り分は二〇パーセントだ。だから、一晩四百ポンドのコンサート契約にサインすると八十ポンド入ってくる計算になる。平均して週六回コンサートがあったから、週給五百ポンド余りになる。(略)

 しかしやがてよくない面も見え始めた。グループの連中がやって来てこう言うのだ――「俺たち家がいるんだ(略)住むところがないんだ。前のマネージャーは一ペンスもくれなかったんだ。で俺たちひとりずつに住むところをあてがってほしいんだ」

 それは要求というよりは嘆願に近かった。

(略)

私はEMIレコードに出向き(略)前金二万五千ポンドでなら、再契約を考えてもよいと言った。(略)当時のイギリスではそれまでにレコード会社がアーティストに払った契約金の最高額であり、そもそもそれまでは前渡金などなかったのだ。しかしどっちみち、ヤードバーズが世界中で売ったレコードの数を考えてみれば、EMIが一年足らずでもとを取るのは明らかだった。(略)

[EMI]には選択の余地がなかった。ヤードバーズは売れてるバンドだったのだ。

(略)

[家を手に入れたメンバーたち]がやって来た。

「シングル盤を作る時期なんだけど、どうしよう?」(略)

 私はロック・ミュージックのことなど何も知らなかったので、彼らの三枚のヒットレコードを買ってきた。(略)新しいレコードはこの三枚に含まれている要素のすべてを少しずつ混ぜ合わせたものがいいだろうという、分別ある結論に達した。彼らもこのアドバイスめかしいものに賛成したので私はスタジオを予約した。

(略)

グループは楽器の用意をし、適当なリズムを創り出そうとしばらくゴタゴタやっていた。(略)

[エンジニアは]時々私にどう思うかと尋ねた。私は彼の御機嫌をとっておきたかったのでかなりいいと答えていたが、彼があまり気をゆるめすぎないように、もうひとつピンとこないという答えも混ぜるようにした。(略)

グループがちょこっと演奏すると、ベースプレイヤーのポール・サミュエル・スミスがすごいバッキング・トラックができたと言った。彼と私は共同プロデューサーだったので、私は彼の意見を信じて次に進むことにした。

 次はヴォーカルだということだったがあいにく誰もどうするか考えていなかった。(略)[ポップスなんて]必死に頭を悩ませるほどのことはない(略)まったく意味のないフレーズを唄ったらどうかと勧めた――上にいって、下にいって、横にいって、後方、前方、四角に丸……てな具合に。そして私は紅茶を飲みにいった。

 戻ってくると彼らは私が言ったようにやり終えていて、とても楽しいものに仕上がっていた。しかし何となく私は自分があまり製作に携わったような気がしなかったので、曲の始めに一、二回"ヘイ"と叫んでみたらおもしろいんじゃないかと提案してみた。私の意見はかなり尊重されていたらしく、彼らはヴォーカル・ブースに入って曲のいたるところで"ヘイ"と叫び、とうとうそのまま録音された。

(略)

[完成した]テープを聴いていると、ヴィッキーが電話してきた。「『この胸のときめきを』がトップ・テンに入ったわ!」そして、私はヤリ手の作詞家でもあるという評判を得た。(略)

ヤードバーズと作ったシングルがチャート入りし、「この胸のときめきを」が第一位になると、あらゆる種類の人々からインタビューの申し込みが殺到した。私はシーンの新しい陰の立役者であり、音楽業界に殴り込んできた男であった。

(略)

初め私は本当のことを話そうとした。(略)

「まさか。そんなはずはない。そんなに謙遜しないでくださいよ。どうやってこのハードな業界でトップに躍り出たのか、本当のところを聞かせてくださいよ」

 彼らがあんまりしつこく聞きたがるので私はでっちあげの話を聞かせてやった――いかにして流行の音楽の傾向を分析し、いかにして適切なアーティストを選択し、いかにしてイメージを作りあげて交渉を成功させるか――これすべて嘘八百。

 彼らは言った。「『この胸のときめきを』ですけど、遠まわしな言い方であなたが言いたかったのは、今日ではロマンスなどというものは古くさいもので、そういった古い見せかけなど抜きでもセックスはOKだということですか?」

 私はそんな風に考えたことはまったくなかったが、なかなかよさそうに思えたので、言った。「まったくその通り!バカげたことはすべて捨てて楽しくやりなさい、ということさ」

 彼らは言った。「オオ!あなたっていう人はまったく、六〇年代を先取りしたような人だ!」

(略)

 私はロック・グループのことも音楽業界のこともほとんど何も知らなかった。私はただラッキーで、おしゃべりがうまかっただけだ。(略)

"口達者のサイモン"は最高に愉快な時を過ごしてたってわけだ。

ザ・スコッチ・オブ・セント・ジェイムズ、映画『欲望』

 "スウィング"のその夏の震源地は、ザ・スコッチ・オブ・セント・ジェイムズという飲んで踊れるディスコで、アドリブにとって代わってナンバー・ワンにのし上がった。第二位のクロムウェリアンよりいくぶんシックな店だった。(略)

[すぐ近くに]バッキンガム宮殿があった。ドアをノックすると誰かが覗き穴からチェックする。その人間が数少ない選ばれた者たちのひとりなら、素早く中に入れられてきらびやかな世界のゴシップ欄を飾る一員となるのだ。

 照明は暗く、雰囲気はもっともらしく、音楽はウィルソン・ピケットかオーティス・レディングだった。ミック・ジャガーとキース・リチャードが、似通った細身の金髪女性たちに囲まれていつも隅の方に陣取っていた。至るところに顔を出すジョナサン・キングも常連で、バーのカウンターにもたれて賢い年寄りのフクロウみたいに眼鏡の奥で瞬きしている。(略)彼は恐ろしいほどの禁酒主義だった。そしてたいていエリック・バードンが側にいて、これがまた耐え難いほどのおしゃべりで、酒のグラスを手離したことがなかった。

(略)

いちばん大きなテーブルにはライオネル・バートが、常時少なくとも五人くらいの若い男のコを従えて、まるで皇帝のように坐っていた。(略)

レノンとマッカートニーはクラブに住みついているようだったし、ストーンズのマネージャーのアンドリュー・オールダムも同様だった。そして、トム・ジョーンズ、キンクス、ゲリーとペースメイカーズ、ザ・クーバズ、クリーム、ムーディー・ブルース、ホリーズ、ジョン・ボルドリーと、彼のことをいつも「お母さん」と呼んでいたロッド・スチュアート、ザ・サーチャーズ、スウィンギング・ブルー・ジーンズ、といった英国音楽業界のありとあらゆる有名人たちと、映画界の有名人たちが集まってきていた。

(略)

夜中の十一時から朝の三時までの音楽産業界の溜り場だった。そこではゴシップが産み出され、もっともらしい顔をした客たちの間に危険を含んでばらまかれるのだった。(略)

 毎晩たいてい二時頃には、私は階下のディスコ・フロアーにいた。(略)

たいていはトム・ジョーンズがダンス・フロアーのスターだったが、実物はメディアを通して受ける印象より三インチほど背が低く見えた。彼は風車みたいに腕を振りまわしてその点を補ってはいたが、ほとんどいつも、彼の頭を優しく見おろすくらいの背丈の女のコといっしょだった。

 ある夜、アメリカからもうひとりのダンサーが到着した。"The Eve Of Destruction"の大ヒットを出したばかりのバリー・マクガイアーだった。彼は、太腿まであるブーツをはいて、狂ったナチのようにダンス・フロアーに踊り出た。同じ晩、上の階ではハンブルグからホルスト・シュマルツィーがやって来ており、ドイツ音楽産業界の進出が始まろうとしていた。彼はポリドールの経営を引き継ぐためにロンドンに滞在していたが、ロバート・スティグウッドと同席して、ザ・フーの「マイ・ジェネレイション」をリリースしてリアクションという新しいレーベルを発足する話をしていた。それは共同経営の始まりであったが、のちにドイツ人に音楽業界を牛耳られる結果を生む発端でもあった。

 またある夜、場違いなスーツを着た、灰色っぽい不健康な顔色のむっつりした中年の紳士が、踊り狂う集団をまっすぐに見つめながら何時間もつっ立っていた。(略)

「あれがアントニオーニよ、映画監督のね。彼は"スウィングするロンドン"を映画にするために来ているのよ」

 数日後私はサヴォイ・ホテルで彼に会うハメになり、映画「ブロー・アップ」にヤードバーズが出演することになったのだった。それは初めザ・フーがやるはずで、"スウィングする"状況に対するアントニオーニのニヒリスティックな見方を、楽器をぶっ壊すことで表現しようとしたものだった。

(略)

テーブルの脚の間をもがきながら私の方に這ってくる男がいた。ジョン・レノンだった。(略)

「何をしてるんだ、ジョン?」

 彼は長い間真剣な眼差しで私を見つめていたが、「僕の精神を捜しているんだ」と言うと、くるりと振り返って再び這っていった。

ヤードバーズ、『欲望』きっかけで

 ザ・ヤードバーズはみじめったらしいバカみたいな奴らだった。本当にそうだった。(略)

[家もヒット曲もやったのに]

彼らの不平不満はやまなかった。彼らはツアーもTVの仕事も嫌がった。

 いちばんやっかいだったのはベースのポール・サミュエル=スミスだった。ギグの時はいつでも酔っ払っていて、会場のことや観客やサウンドのことや、グループのメンバーのことまでぶつくさ言った。彼のようなのが平均的なロック・スターなのだと知るようになったのは、もう少しあとのことだったので、その頃はまったくとんでもない代物を抱え込んでしまったと思ったものだ。

(略)

[グループとの契約を]読み返してみた。それは私の弁護士が代行したものだったので私の側に有利なものだろうと思っていた。が、実際はだいぶ違っていて、契約書には、私がグループを所有しているのでもなければ雇っているのでもないことが明確に記されていた。グループが私を任命して、私が彼らのために働いているのであって、彼らが私のために働いているのではないということが強調されていたのだ。

(略)

ヤードバーズの連中を集めて告げた。「キミたちに大儲けさせてやろうじゃないか。ワールド・ツアーに行くんだ」

「でもそれは俺たちがしたいことじゃないよ」と彼らはいっせいに言った。「レコーディングに集中したいんだ。もっと曲を作る時間をとってアーティストとしての充足感を得たいんだ」(略)

 グループには、公演、レコード製作、作詞作曲という三つの主な収入源があった。公演に関しては私次第で金額をつり上げることはできたが、向こう一ヵ月間は彼らが休みに入っているからこの件から金は生まれない。レコードを作ることでレコード会社から支払われるアーティスト印税については(略)EMIから二万五千ポンド引き出しているので少なくともあと一年は問題外だ。で、唯一臨時収入がありそうな(略)作詞作曲印税に目をつけ、音楽出版業界の調査を始めた。

 作曲家は、普通、出版社に印税の五〇パーセントを支払っていることがわかった。これは、一九二〇年か三〇年代頃、まだヒット曲を出すのにかなりの時間と手間のかかった時に決められたものがそのまま続いているだけだった(略)

しかし今日、自分で曲を作るスター相手では、出版社のすることといえばPRS(演奏権協会)にその曲を登録するだけなのだ。(略)作曲家兼歌手にとって自分独自の出版社を作った方がいいのは明らかだった。その運営は、もっと少ないパーセンテージで本物の出版社に任せればいい。それで私はヤードバーズのために出版社を作った。これで少しはホッとできるかと思ったのも束の間、まだやることがあった――アルバムを作る時期だった。

 アルバム作りは苦労ばかりであまり楽しいことではなかった。まず、彼らはスタジオに入るまでに曲を作ってくるということをしない。ただ楽器を持ってやって来て、コードとリズムとリフをいじくりまわすうちに少しずつ曲になってゆくのだった。(略)

[他もそうだと]知らなかった私は、ずいぶん素人っぽくて要領を得ないやり方だと思った。

 それから、ジェフ・ベックと他のメンバーとの間のもめごとがあった。ジェフはグループの中でも際立った才能の持ち主で、本当にいいギタリストだったが、他の連中が彼にその才能を発揮できるだけの自由を与えなかったので、ジェフは始終いら立っていた。後に私は、ロック・ミュージックが持つ炎のような質と攻撃性はグループ内部の緊張関係からくるものであり、それ故に、グループ内部のあつれきを解決しようとすることは必ずしも賢明なことではないということを学んだ。

(略)

 あるブルース・ナンバーでジェフがソロのパートを与えられた。他のメンバーはそのことについて、まるでそれが彼らからの気前のよいプレゼントであり、ジェフにチャンスを与えてやったかのような話し方をしていた。その寛大な処置に対してジェフは、ソロの間中、たったひとつの長い音を出し続けていた。

 メンバーは皆嘲笑った。「ワオ、お前にせっかくソロを弾かしてやったのに台なしにしやがって。ちょっとしたリフもやれないのかよ」

 ジェフは不機嫌にドサッと腰を下ろし、その件はそれで終わった。しかし結局そのいわく言い難い一音のソロはアルバムのハイライトのひとつになってしまった。そして、それはそのもととなった不機嫌な感じなしにはできないことだったのだ。

(略)

[「ブロー・アップ」出演]

 トラブルはそれから起きた。ジェフは楽器を壊すことを非常に楽しんだ揚句にやみつきになってしまい、ギグのたんびに、ギターやアンプをぶち壊し始めたのだ。

 次に、ポール・サミュエル=スミスがやめていった。(略)「もし何かをすることが世界中の何よりも嫌になったら、あんたはどうする?」と彼は言った。

「そうすることをやめるね。何かい?そんな嫌なことがあるのかい?」

「ヤードバーズにいること」

(略)

彼は四週間後にやめると通告し、その間ずっとロック・ビジネスを嫌うありとあらゆる理由をしゃべり続けて、他のメンバーを落ち込ませた。そして彼は去り、そこで彼といっしょに憂鬱や怨恨も去ったので、彼はいい奴になった。残りのメンバーは相も変わらず不平不満の虫だった。

(略)

ジミー・ペイジが加わった。彼は動作も話し方も穏やかな人間だったが、グループに加わってからは、ポールがそうであったように緊張と不安に巻き込まれていった。

ロック・グループのイメージ戦略、激怒アンドリュー・オールダム

 今日までに私はロック・グループに関してもう二、三のことを学んだ。一つは、音楽を売るのではなくてイメージを売るのだということ。若者たちは感情移入するための、手っとり早いパッケージングされた生活様式を求めている。それは自分たちの感じ方、生き方を表わしてくれる簡単な象徴であり、すがることのできる何かである――それは手の届くものでなければならない。

(略)

彼ら自身の望みを代行しているイメージを持ったグループを選べばよい。(略)ローリング・ストーンズ→暴力的で退廃的。ザ・フー→反逆的で攻撃的。ヤードバーズ→内攻的で気難しい……。

(略)

ファンをひきつける第一の要素はそのイメージであることをグループは学ぶべきである。しかしたとえそのイメージが暴虐的で尋常ではないものでも、やる音楽は聴きやすく覚えやすい流行のものにしなくてはならない。有名になるためには、時流に合ったスタイルで近づきやすい音楽を作りあげ、そこに普通ではない、という外見上のイメージをほんの少し付け加えるというやり方がベストであるからだ。音楽業界ではあるひとつのグループに目をつけたならまずそのグループのイメージを決定する。セクシーで売ろうと思ったら、寛大なる大衆を憤慨させるくらいセクシーに作りあげるのだ。ズボンにバナナを描いてもいいし、ステージで胸をはだけてみせてもいい。暴力的にしようと思ったら、同様にサッカーの会場で暴力沙汰を起こさせたり街なかで年配のレディを蹴っ飛ばさせたりすればよい。そうするうちに大衆はそういった噂を聞きつけてそのアーティストの最初のレコードを心待ちにするようになるのだ。彼らはそれが危険でスキャンダラスであることを期待し、発売と同時に耳を傾ける。しかしその音楽自体は暴力的であろうがなかろうが、時流に合ったありふれたものでない限りヒットはしないのだ。

 ヤードバーズのよかったところは、そういう聞きやすくて覚えやすい曲をシングル・ヒットさせることの重要性を理解していた上に、ミュージシャンとして優れているという評判を維持したことにある。それは主にジェフ・ベックの優れたギターの才能によるものだったが、今ジミー・ペイジが加わって彼らは二人の優秀なギタリストを得ることになった。その上、ジミーは他のメンバー以上にグループのイメージの重要性を理解していた。

 ヤードバーズはストーンズといっしょにイギリス・ツアーをした。まったくセンセーショナルだった。ジェフ・ベックとジミー・ペイジがステージの両端に陣取って、レコードで有名なジェフのソロ・プレイのすべてをステレオ版で演奏したのだ。

(略)ギグのあと、レポーターがジェフに訊いた。「ストーンズには観客が押し寄せたのに、あなたたちには誰も寄っていかなかったという事実をどう思いますか?」

 ジェフは、多分ジミーがそばにいたからだろうが、いささか尊大で神経過敏になっていたので愚かしくもこう答えた。「押し寄せた?ストーンズのマネージャーが金をやってステージに駆け上がらせたあの三人の女のコたちのことを言ってんの?」

(略)

アンドリュー・オールダムはアタマにきた。(略)「我々はキミたちを名誉毀損で訴えるぞ」

 私は冗談だろうと思ったのでこう言った。「それはいいや、いい宣伝になるよ。さっそく会ってプランを練ろう、費用は半々でどうだい?"ストーンズ、ヤードバーズを告訴"なんてきっとすごい注目を浴びるよ」

 アンドリューは怒って電話を切ってしまった。(略)共通の友人が電話してきて、「アンドリューがキミを痛い目にあわせようと恐いのを送ったらしいぜ」と教えてくれた。(略)

秘書にその"恐いの"が来たらお茶を出して丁重に扱うよう指示した。「"ネイピア=ベルはすぐに戻るはずです"と言ってくれ。(略)」

 私が出たあと、恐いお兄さんたちが予定通り現われた。彼らはお茶を出されて秘書とおしゃべりした。彼女はそいつらのカリフラワーみたいな耳や、つぶれた鼻に気づかないふりをしていた(略)彼らは日当で雇われていたので私が事務所に戻らなくてもあまり気にせず、中止命令が出されるまで十日間も居坐り続けた。まったくおかしなことに、その後アンドリューに会った時彼はとてもにこやかだった。自分のしたことなど、すっかり忘れてしまったらしい。

(略)

[アメリカ・ツアー]

ニューヨークの空港に着いたとたん、ハーマンズ・ハーミッツが専用ジェットで到着するところを目撃。(略)

 さて、我がヤードバーズはどうすると思う?そう、もちろん、「俺たちも」と言い出す。そして、ひとりしかいないステュワーデスをメンバーのひとりが独占したらどうなると思う?……

 というわけで、我がヤードバーズは専用ジェットで移動することになった。ひとりにひとりずつ専用ステュワーデス付きで。

(略)

 次のささいな問題。

「アントニオーニ、あなたに感謝します」……ジェフは完璧にアンプ壊し中毒になっていた。(略)

 一週間経ち、アンプは底をつき、ジェフは「ノー」と言った。従ってグループは四人でやっていくことになり、私はやっとアンプの手配から解放されてカリフォルニアに休息を取りにいった。

(略)

マーク・ボラン

 私は事務所の方にテープを送るように言ったが、彼はちょうど私の家の近くにいるから持って行ってもいいかと尋ねた。十分後にドアのベルが鳴り、首からギターを下げた彼が入ってきた。

「本当のことを言うとテープは持ってないんだ。でも今ここで歌ってみせるよ」

 そういうやり方は私の好みではなかった。(略)

とはいえ私は彼に歌わせるしかなかった。なぜなら彼を一目見た瞬間、私はピンときたのだ。

(略)

 五フィート二インチ、黒髪をもじゃもじゃのカーリー・ヘアにして、ディッケンズ時代のわんぱく小僧といった服装のマーク・ボランは自分が小柄であることをむしろ喜んでいた。(略)自分を小さな妖精のようなロック・スターだと見なしていた。

 自分をいっそう小さく見せようとするかのように、彼はいちばん大きな肘掛け椅子に足を組んで坐った。そしてギターにカポタストをつけながら言った。「ギターはあまりうまくないんだけど、曲はとてもいいよ。きっと気に入ると思う」

(略)

 一曲終える毎に、彼は私に、「どお?」と訊いたが、私は五十分余りも聴き続けてやっと彼にストップを出し、電話を取ってスタジオを予約した。我々はすぐにスタジオに出かけ、また最初から曲をやり始めた。夜の八時だった。

 彼は独特なゆらめくような声を発明しており、それと巧みな言葉遣いが産み出す世界とがいっしょになって、どの曲にも彼の小妖精のようなイメージと完全にマッチした奇妙な雰囲気があった。……彼は本当に、自分のことをよく理解していた。

(略)

 デザートを食べている時、彼が訊いた。「セックスに関しては?あなたはどういうタイプ?」

「私のセックス・ライフは完全に独立したものとして存在しているよ」と私は言い、なぜこんな質問にも怒らずにいるのかと自問した。

(略)

 彼は私に言った。「たいていの人々は肉体的な問題としてセックスを話題にするけれど、僕はセックスとは完全に精神的なものだと思うんだ。例えば僕が誰かにキスする場合、それは肉体的行為ではない。僕はその誰かの精神にひかれているんだ。その誰かの頭の中にあるものを、僕は手に入れようとしているわけだ」

「神よ!彼は獲物の知性を食って生きる小さなバンパイヤだ。だからこんなに頭がいいんだ」と私は胸の中で思った。

 彼は言った。「またやって来て、あなたと一晩過ごしたいと思うんだけど」

 次第に居心地が悪くなってきた。私は言った。「それはあまりいいアイディアじゃないと思うよ。きみは私の脳ミソを盗むかもしれない」

「でも、ひと目見たら必ず返しますよ」

「キミの脳ミソの二〇パーセントを付け加えてね」と私は彼に言った。「マネージャーが欲しいなら必要なものは払わなくては、ネ」

(略)

 彼は主張した。「でも、僕たちはポスターを発表するだけでいいんじゃない。皆、僕の写真を見ればすぐに騒ぎ出すよ。大衆は僕みたいなのを求めているんだ」

(略)

 私は彼に、まず一般的なやり方に従わなくてはならないということを説明した――最初にシングルを作って、そしてヒットを出す。

 最後には彼も承知して、シングル用の曲をひとつ選ぶことになった。それが「ヒッピー・ガンボ」で、ナルシシズムあふれる自己承認の歌だ。

――男に会った。いい奴だった。その名をパラダイスといった。その時は気づかなかった、彼の顔と精神は僕のそれだったとは(略)

ヒッピー・ガンボ、彼は最悪。焚き木にしてしまえ。

(略)

 次の仕事は、彼にその曲にはアコースティック・ギターの他に何らかの楽器が必要だということを納得させることだった。(略)彼のギターのフレーズに合ったスタッカート・コードをストリングスで控えめに入れる。ベースもドラムもなし。

 いったんそのアイディアがマークの気持をとらえると、それは彼独自のものとなった。

「本当にいいものになるよ。このストリングス・パートは木々を意味しているんだ。そして僕はその森の中で迷い子になった子供みたいなものだ。人々にはそう聞こえるよ。彼らはこんな美しいレコードを作ってあげたことで僕に感謝するだろうな」

(略)

 我々はシンプルなストリングスが欲しいと言ったのに、アレンジャーはまったく耳を貸さず(略)"メシア"とベートーベンの"第九"が混ざったようなヤツを披露した

(略)

[レコード会社全部を回ったが低評価]

「なあ、キミはアーティストだ。(略)

レコード会社の連中はごく普通の一般的な道理に添った人間だ。(略)

彼らがキミの芸術性やビジョンに興味があるかないかなどと考えてもしょうがない。彼らはそのプラスチック盤を売るための売りやすい音楽が欲しいのさ。そしてキミは彼らにそれを与えようとはしていないというわけだ」

 マークはすっかりしゅんとしてしまった。彼は、世界中で愛されるという確信があったのだ。私が話しているうちに、彼の顔は蒼白になり身体が震え出した。(略)

「OK、どうしたらいい?彼らが望むことは何でもするよ、あなたが言うことは何でもその通りにする」

(略)

「バカなこと言うなよ。あいつらは腐った奴らなんだ。自分のしていることを信じろよ。あいつらの言うことになど耳を貸すな」

「違う、僕たちはあの人たちの言う通りにやらなきゃならないんだ。あなたにも芸術うんぬんですべてをぶち壊してほしくない。僕はスターになりたいんだ!」

 唇を固く結んだマークは恐ろしいほど真剣で、"スター"という言葉を言う時には握りこぶしでテーブルを叩いた。それから彼はトイレに駆け込んだ。吐いているのがわかった。

 彼は二十分ほどもトイレにいた。戻ってきた(略)

 彼は言った。「あなたが正しいよ。僕は何も変えないよ。奴らはただの無知なアホウどもだ」

(略)

マークは、ジェイムズ・ディーンのイメージとその死後に育った伝説をこよなく愛していたので、私はジョンズ・チルドレンに入ることを説得するのにそれを使おうと思った。私は言った。「グループに加わると、スターダムへの道がひらけるんだよ。ジェイムズ・ディーンのようになってポルシェを手に入れたかったら、早いとこ金持ちにならなきゃならないだろう」

「違う、違う」とマークは言った。「ポルシェは僕には向いてないよ、僕は小柄だからミニがぴったりだと思ってるんだ。僕が自動車事故で死ぬのならミニに限るね。そんな気がするんだ。そしたらすごいだろうなあ」と彼は言ったのだ。

キット・ランバート

ザ・フーはコンスタントにヒットを出すようになっていたが、キットは金が入ってもすぐに、途方もないプロモーションを思いついてそれに使ってしまうので、相変わらずいつも破産寸前だった。

 ある朝、キットがレコード・プレイヤーを抱えて出かけようとしているところにぶつかったことがある。初め彼はプレイヤーを修理に出しに行くのだと言っていたが、すぐに質に入れにいくところだと認めた。グループに一週間分の金を払うために。そうしないと、彼が"グループの代表者"と呼んでいるベーシスト、ジョン・エントウィッスルの母親のコワい訪問を受けるハメになるのだった。

(略)

 キットの父親はコンスタント・ランバートという作曲家だった。彼はアルコールのとりすぎから、四十三歳でその輝かしい経歴半ばにしてこの世を去ったが、キットはこのことを、一種華々しい死去と受け取っており、自分自身の人生にも似たような出来事を起こして、人々にインパクトを与えたいという野心を抱いていた。単に成功するだけではつまらない、と彼は言っていた――成功したいのは、破滅させるための実体が欲しいからであり、とてつもない不幸を創造することが最終的な勝利だ、と。

(略)

[ザ・フーの楽器破壊を批評家は]アナーキーだとか暴力を煽動しているとか見なしたが、本当はそういうものではなかった。彼らの攻撃は外部に向かったものではなかった。彼らの壊した機材は彼ら自身の延長であり、象徴的な自殺行為だったのだ――楽器を破壊することによって、自分たちと聴衆とのコミュニケイションの手段を破壊するわけだ。事実それは、キット・ランバートの父親の酔いつぶれた自己破壊のさまをグラマラスにステージ化したものだ。

 それでもまだキットは満足せず、その父親の自己破壊行為を、自分自身にも適用した。ただし酒ではなく、ドラッグを使って。

 彼は一日を晴れやかにするためにコカインをたっぷりひと息吸い込んで目覚める。そしてタクシーの中でブランデーを四分の一壜ほどあけて、朝十一時にオフィスに到着し(略)ジョイントに火をつける。次に、引き出しからピルの入った皿を二つ取り出し(略)それぞれの皿には、気分をハイにさせるのとダウンにさせるのが入っている。

(略)

 彼の秘書がブザーを鳴らす。「デレク・ジェイムズがドイツからかけてきています」

 キットはパニックに襲われる。「大変だ(略)今はとても彼とは話せそうもない、ハイになりすぎてる」

 彼は鎮静剤(ダウン)の方のピルをひとつかみ取り、ブランデーで飲み下して言う。「ちょっと待ってもらってくれ。(略)」

そして数分後には、ボンヤリと静かになっている。(略)

[OKを出すと]秘書が言う。「キット、ごめんなさい、彼、待っててくれなかったの。切ってしまったわ。でも今また別の電話が入ったの。ボビー・スタインよ。(略)」

(略)

「ボビー・スタインを相手にするにはハイな時じゃないとダメなんだ。かけ直してもらってくれ」(略)

皿からアンフェタミンをつかみ取って無理矢理喉に押し込む。(略)

 再び秘書の声が言う。「ごめんなさい、キット、彼、今すぐにあなたと話さなきゃならないと言うのよ」(略)

あと一分待ってもらうよう頼み、乱暴に机の引き出しを開けてコカインを取り出すと、残っている分を全部やってしまう。(略)

 用意ができると、ボビー・スタインの電話を受ける。すると再びデレク・ジェイムズがかけ直してきて、また鎮静剤を飲み下すハメになる、というわけだ……

(略)

私の車の助手席に沈み込んだキットは、もう限界だと言い始めた――金は出ていくばかりで満足に入ってこない、支払わねばならない給料と買わねばならない楽器。ザ・フーの連中には彼の経済的問題などわかろうはずもなかったし、銀行も同じだった。彼はみじめだった。(略)

 彼がハンカチを取り出すと、紙切れが私の足もとに落ちた。拾いあげてみると、オーストラリア・ドルで七千ドルの小切手だった。(略)

「アー!何てことだ!去年のオーストラリア・ツアー以来ずっとそこに入ってたんだ。もうずいぶん長いことこの服を着てなかった!」

 彼はくすくす笑い始めた。(略)

「すごいや、まったくすごい。こいつは祝杯ものだ。行こうぜ、クレイジー・エレファントに連れていくよ」

 だが私は彼といっしょにいて疲れ果ててしまって、もうたくさんだった。

 彼は私がその誘いを断ったので傷ついた。「じゃ、いいや。オレひとりで行くよ。でも、少し金を貸してくれないか?今夜はこのチェックを現金にできないだろ?」

(略)

私は彼に三十ポンドやって家に帰り、彼は車を降りてタクシーを拾った。

 一時間後、私は玄関のベルで起こされた。キットだった。夜中の一時半だ。

 彼の顔は蒼白で、うっすらと汗をかき、震えていた。

(略)

「オレは宗教的な体験をした。(略)

魔法の顔だ。(略)若さと美と知性がひとつになった(略)

生まれて初めてオレは完璧な人間を見たんだ。天使だ。(略)」

[キットとクラブに戻ったがそんな美少年はどこにも見つからない]

だしぬけに言った。「でも彼らはみんなとってもかわいいじゃないか。どれがそうだったのかはとても決められないよ」そして彼の喉の奥のどこからか、例のレーシング・カーの笑いがこみあげてきた。(略)

次回に続く。

 

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