移民や難民について調べていたところ、興味深いニュースを見つけました。
ハフポストの「難民めぐる落書き、東京入国管理局が写真付きで『止めましょう』とツイート ⇒ 逆に収容者らの人権問題で批判相次ぐ」という記事です。[外部記事]
関連して東京入国管理局のツイッターも見ました。なかなか盛り上がっています。[参照]
今回は、この件について
落書きと人権問題
東京入管のツイッターに寄せられた意見の中には、「落書き」と「入管の業務運営」を結びつけて論じるものがあります。
引用元記事のハフポストもそれを踏まえた記事構成です。ちょっと引用します。
落書き防止を呼びかけることは当然とする意見がある一方、「収容者に対する扱いを人道的なものに改めてください」「あなたたちの人権蹂躙の方がひどい」「所管外の件を扱うのは見苦しい」などの批判的な意見が相次いだ。
とあり、記事の最後はこう締めくくっています。
日本の入管政策をめぐっては、他国と比べて極端に難民認定が少ないことが国内外で批判されてきた。
一方で、不法滞在で入管施設に収容された外国人らが職員から暴行されたり、適切な医療を受けられなかったりしたなどとする訴えも相次ぐなど、社会的な問題となっている。
厳しい難民認定の現状や施設に収容された外国人の人権侵害をめぐって批判を浴びている。
さて、どうでしょう。
問題のありか
移民や難民など、外国人受け入れの問題は議論を呼びますね。そこに人権問題が絡むとイデオロギー対立になりやすいです。
なので今回は移民や難民や人権問題ではなく、別の問題を考えたいと思います。「論点のあり方」についてです。
入管のツイートは「落書きを止めましょう」です。その点は誰が言ってもその通りですね。公共物に落書きするのは良くありません。
一方、入管のツイートに対する批判的な反応は、「入管側に問題がある」に近いニュアンスです。
んー
だからといって、落書き行為は正当化できないですね。
「公共物への落書きがいいか悪いか」と「入管の業務運営が適切かどうか」とは別々に論じるべきものでしょう。
危険な論理
入管の業務運営に問題を感じている人がいるとします。
その人は、落書きは良くないことだけど、それ以上に入管に問題があるのだから落書きを批判するのはおかしい。入管は落書きのメッセージに謙虚に耳を傾けるべきだ、と思うかもしれません。
でもそれってちょっと危険な気がします。
メッセージを伝えるという目的のためには、手段は非合法でも構わないことになります。極論すると、落書きを超えてもっと過激な手段も許容できてしまいます。
思うこと
移民や難民の受け入れは議論が白熱しやすいです。
思想や価値観に関わりますから。
だからこそ、メッセージを伝える手段は社会に受け入れられる方法であるべきですね。
落書きでは伝わらないし、賛同を集めるのも難しいでしょう。
そう思うんです。
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落書きした本人が難癖つけてるのかな?って思って眺めてました(;´∀`)
※4092:塩蔵さん
落書きした人も、入管を批判するために落書きを容認する人も、どちらも似た考えなのかなと思います。