んー
論理構成に飛躍があって、注意深く読んでも理解できなかったです。
今回は投資と資産形成について
投資は狂気だ
まず、投資は狂気だという表現に違和感はありません。
投資には不確実性があります。いくら理論的に語っても、突き詰めると「賭け」です。
自分の力量に賭けてもいいですし、資本主義の成長に賭けるのでもいいです。ともかく何かに賭けるわけで、そこにはいくらかの狂気(非合理性)はあるでしょう。
さて、元記事の筆者、森本紀行氏はこう言っています。
資産形成は、家計規律のもとで、長期的で合理的な計画に従ってなされるべきものですが、資産形成を実現する方法である投資は、必ずしも理性的なものではなく、その根底に資本主義の動因である情動を秘めています。
投資は必ずしも理性的でない。情動を秘めている。
この点は同感です。
理解できない部分
論理の飛躍がある部分を引用します。
森本氏は、金融行政の課題として、資産形成の名のもとに、「投資を合理化して賭けとしての性格を払拭する必要がある」と言います。
で、実質的に「賭けを合理化する」方法論として長期分散投資があるとして、こう続けます。
個々の企業が賭けでも、総体としての賭けは賭けではなく、合理的な資本利潤が期待できる、この総体としての賭けに資金を投じる技法が資産形成と呼ばれるものであって、普通のいい方では長期分散投資となるのです。
んー
理解できない。
考え方の整理
「個々の企業が賭けでも、総体としての賭けは賭けではなく、合理的な資本利潤が期待できる」
いや、これって合理的な結論ではなく、森本氏の「意見」ですね。
個々の企業が賭けなら、全体としての賭けも賭けじゃないの?
これは私の「疑問」です。
もっと言うと
個々の企業が狂気を含んだ賭けなら、それをいくら集めても狂気は排除できないでしょ。合理的になるわけがないよね。「一人ひとりは狂人だけど、1000人集めた全体は合理的に振舞う」なんて言い分は信じられない。
これは私の意見です。
思うこと
元記事の内容は、理論的な正解や事実ではなく、筆者の意見です。
これが理論的な帰結や事実なら、認めて受け入れるしかないです。でも意見ですからね。自分の考え方に近いか遠いかで判断すればいいと思います。
ともかく「投資は狂気、資産形成は理性」は森本氏の意見に過ぎないです。
理性だけでは語れない情動を、狂気と称するなら、
私は、「投資は狂気、資産形成も狂気」という意見です。穏やかに表現するなら「投資は情動、資産形成も情動」ですね。
まあ、生きていること自体が狂気で、情動から逃れられないです。
合理性を追求したいという欲求自体が情動だと思いますし。
ブログ村:よろしければ一押しをお願いします。
一点がけハイリスクハイリターン
長期分散ローリスクローリターン
という意味なんじゃないですかね
※4151:dedsさん
なるほど、そうかもしれませんね。