経済学者と疫学者の暗闘

こちらで関連ツイートをブクマしたように、疫学者と経済学者のコロナ対策に関する考え方の違いが大きくなっているようである。簡単に言うと、経済学者が政策介入の無い経済活動を重視し、オミクロン株のインフルエンザ並みの軽症化に鑑みてコロナへの特措法の適用廃止を求めているのに対し、疫学者はオミクロン株の重症化率の低さ以外の要因も重視して、政策介入の撤廃に慎重な姿勢を示している*1。
言うなれば、変異株の未知性を警戒する疫学者側が、経済学のいわゆるナイトの不確実性的な要因を考慮して政策手段を採る余地をなるべく残そうとしているのに対し、経済学者側が法学者張りに法律のトリガー条項を厳格に解釈し、ナイトの不確実性的な要因は捨象する姿勢を取っているように見える。やや皮肉な言い方をすれば、経済危機の際にナイトの不確実性的な要因を持ち出して思い切った財政政策手段を採ることを求めた内外の声に抗し、財政規律や経済の自律性を重視して政策介入に否定的な立場を取った日本の主流派経済学者の一貫性の表れ、とも受け取れる。

そうした経済学者たちが執筆した論文が先ほど公開されたが、そこでも著者たちの疫学者の認識に対する違和感がにじみ出ている。例えば結論部の以下の文章である。

他先進国がコロナ禍を過去のものとしていく中でも、感染症専門家からは、「エンデミックになるのはまだまだ遠いというのが、我々ADB でも議論になっていることですけれども、そういう認識を持つべきだ」(押谷仁・東北大学大学院教授、11 月 11 日)、「このままだと今年だけでも 20 万人が死亡して、寿命が2年縮まるというような感染症になっていく予想をどのように受け止めるのか、いま一度考えたほうがよい」(西浦博・京都大学大学院教授、9 月 7 日)という声も聞かれている。

ただ、こちらの朝日新聞のインタビュー記事では、上で言う「他先進国」の代表と思われる米国について、同国のコロナ対策の指揮を執ったファウチ博士は以下のように述べている。

米国などでパンデミック(世界的大流行)が終わったとの見方が広がっていることについて、「全く違う」と語り、ワクチンを追加接種することの大切さを訴えた。
米国では「ウィズコロナ」が定着し、旅行や大人数での会食をする人が増えているが、ファウチ氏は、1日あたり数百人にのぼる米国の死者数は「許容できるレベルではない」と強調し、楽観論を戒めた。

このファウチ氏の発言は、1年前の朝日新聞記事で同氏が語った、22年春までにワクチン接種の進展によってエンデミックに移行する、という楽観論とは明らかにトーンが違ってきており、むしろ上記の押谷氏の認識に近い。少なくともファウチ氏においては、「コロナ禍を過去のものとしていく」という現状認識自体が「過去のもの」となった感がある。すると、上記の引用部では「他先進国」の現状と「感染症専門家」の認識を対比させているが、この場合の「感染症専門家」にはファウチ氏も含まれることになるので、結果として矛盾を孕んだ奇妙な対比の記述になっている。
論文では「コロナ禍が 3 年を迎えた中で、データに基づく議論なしに「空気感」で呼びかけを広く行うことは避けなければならない」と謳っているが、これを見ると、日本の疫学者の議論を否定したいあまり、論文自体が、海外の事情をやや等閑視した「空気感」に基づく少し性急な議論を展開しているように思われる。

他にも結論部の以下の文章でそうした傾向が見られる。

第 8 波では第 7 波で感染拡大しなかった地域で感染拡大が起きているとも指摘されており、波を何らかの対策や自発的な自粛によって一時的に穏やかにしても必ずしも長期的な感染による被害は減らないとも考えられる。

ここで言う「波を穏やかにする」一つの目的は、当初から指摘されている通り、有効なワクチンや治療薬の開発を待つことにあり、実際に優れたワクチンの開発で、波を抑制したことにより救われた命があったと考えられる。例えばここで紹介した研究では、米国ではワクチンの成功によって60万人の人命が救われたと推計しており、発生1年の間に「カーブをフラット化」=「波を何らかの対策や自発的な自粛によって一時的に穏やかにして」いれば、さらに数十万の生命が救われていたはず、とも推計している。上記論文が言うように、今後「長期的な感染による被害は減らない」と考えるためには、そうした見解が間違っている、もしくは、今後はこれ以上のワクチンと治療薬の技術的進歩は見込めない、のいずれかを前提にしなくてはならないと思われるが、そうした前提を置いている根拠はこの論文では明記されていない。

なお、同論文のそもそもの主旨は、人々の外出行動の違いによる感染率の違いを推計することにある。そこでは外食の影響が小さいことを示そうとしているが、その結論付けにもやはり議論が性急な点があるように思われる。以下は結論部の文章。

「週 1〜2 回」の感染リスクは「月 1 回未満」と差がなく、どちらも「0 回」の人と比較した場合には、第 7波の時期の 2 ヵ月間での感染リスクを 2~3%ポイント程度上昇させるに過ぎなかった。
また、「飲み会」に全く行かない人においてもこの調査における感染率は 6~7%であり、そうしたリスク行動を取らないとみなされる人の感染リスクもこの時期には高かった。飲食店のテイクアウトなど特別なリスクをとっていないと思われる行動でも「0 回」と比べると 1~2%ポイント程度のリスク上昇はみられ、普通の外出であっても一定の感染リスクがあることが確認された点も本研究の重要な発見である。最後に、旅行や外出については、統計的に有意な感染拡大効果はこの研究では観察されなかった。

これについて小生が感じた疑問点は以下の通り。

  • 6~7%の感染率がいわばバックグラウンドノイズのような扱いになっており、週1~2回の飲み会による感染率の2~3%ポイント程度上昇という影響を相対的に小さく見せる役割を果たす格好になっているが、単にノイズとして片付けるには大きすぎるのではないか。この研究では、仕事でどの程度外出したか、について触れていないが、当然ながら在宅勤務を続けている人と出社が多い人では感染率には差があると考えられ、6~7%というのはその平均的な数字と考えられる。最近減少傾向にあると言われる在宅勤務をもう一度普及させれば、その数字はかなり低下するとも考えられる。その場合、外食等で感染率が1ポイント高まることの限界不効用は大きくなる。
  • また、テイクアウトを利用する人は在宅勤務よりも出社している人が多いと想定するならば、 「1~2%ポイント程度のリスク上昇」は出社に伴うリスクを反映している可能性がある。
  • 「統計的に有意な感染拡大効果はこの研究では観察されなかった」ということは、いみじくも旅行や外出よりも外食や飲み会の方が感染拡大効果が高いことがこの研究では示されたことになるのではないか。本文で触れているように他の研究では旅行の感染拡大効果を示しているものもあるので、それと考え合わせると、著者たちの意図とは裏腹に、外食や飲み会の方が旅行より一層危険、という警鐘を発した結果にも見える。


もちろん、モデルの頑健性や制度運用の在り方など、経済学者が指摘する疫学者側の問題点には当を得たものもあるだろう。その一方で、経済学者側が求める政策介入の撤廃を正当化するためには、さらなる丁寧な実証分析の積み重ねのほか、上記で触れた限界不効用を定式化するモデルも必要になろう。即ち、感染率1%ポイント上昇することによる個人と社会の不効用と、外食で個人の満足度が高まり経済が活性化することによる個人と社会の効用を比較衡量する効用関数である。疫学者の問題点を指摘するのも有意義な活動だとは思うが、そうした比較分析ができる効用関数の定式化こそ経済学者に求められるもの、という気もする。

*1:こうした立場の違いは、ある意味、両者の専門の違いから当然生じるだろうと予期されるものであるが、そのほか、疫学者が一貫して使うモデルの有効性への疑念や、特措法の法律の文言を疫学者が軽視しているのではないかという疑念が経済学者側に生じ、経済学者の疫学者への不信感が高まっているようである。