イ・ビョンスンは「KBSの李明博」なのか
『ハンギョレ21』[2009.06.12第764号]
[表紙物語]
イ社長就任10ヶ月目の韓国放送にどんな変化が…
「上意下達式の官僚文化に“色”と忠誠心による人事で危機を招く」
▣イ・スンヒョク
»盧武鉉前大統領の告別式が開かれた5月29日、ソウル駅前で韓国放送取材チームが市民たちの抗議を受けて撤収している。写真『ハンギョレ21』ユン・ウンシク記者
去年の8月27日午前、ソウル汝矣島にある韓国放送本館前。初出勤に向かうイ・ビョンスン新任社長が乗った車両が入口側に進入するや、現場は修羅場に変わった。イ社長が車両から降りると、彼に抗議する“社員行動”所属の社員たちと、これを妨げようとする安全管理チームの要員、数百人がもみ合いになり、あちこちから叫び声が聞こえ、服が破れ、ボタンが引きちぎられた。しかし混乱は長くは続かなかった。イ社長は要員たちに護衛されながら無事に就任式場に入り、社員たちは手足を押さえつけられたまま外へ連れて行かれた。
間もなく社内放送が流れた。就任の辞を読むイ社長の声だった。「愛するKBSの先輩・後輩・同僚のみなさん!共に働くことになり光栄です。KBS公開採用4期のイ・ビョンスンです。…KBSが公営放送として発足して35年目にして初めて内部出身の社長の時代が…深い感懐と共に、重い責任感を肝に銘じ…」
「初の公開採用出身社長」、感懐を述べたが…
このように熾烈な「肉弾戦」を経てイ・ビョンスン新任韓国放送社長が就任してから、いつの間にか10ヶ月が過ぎた。初めての内部公開採用出身として、「深い感懐と重い責任感」と共に任期を開始した「イ・ビョンスン体制の韓国放送号」に対する総合的な点検や評価ができる時期になったということだ。ところがどういうわけか、この問題への質問よりも答えが先に出てきている。
きっかけは盧武鉉前大統領の逝去だった。逝去のニュースの扱い方をめぐって、韓国放送に対する市民たちの怒りが爆発したのだ。盧前大統領の遺体が安置されていた慶尚南道金海ボンハ村や、市民焼香所が設けられたソウル徳寿宮大漢門前で、韓国放送の取材陣は市民から追い出されたり、さらには韓国放送のロゴを隠して撮影をしなければならなかった。
いったい、なぜこのような状況になったのだろうか?韓国放送内部で起きた批判の水位からして、尋常ではない。
盧前大統領が逝去して2日後の5月25日、韓国放送の労働組合は声明を出し、△前日夜9時のトップニュースで「国民葬挙行へ」を、続いて「大統領初の火葬」「国民葬はどのように行われるか」を扱った一方、「ボンハ村に13万人以上が弔問」は11番目のさわりで放送し、全国民的な「追慕民心」は24番目とと25番目に配置した△24日にプロデューサーたちが『ハッピーサンデー』の代わりに事前に制作しておいた『ドキュメンタリー3日』「大統領の帰郷-ボンハ村72時間」を放送するように求めたが、映画『1番街の奇跡』を放送した事実などを挙げて会社の首脳部を糾弾した。当初の声明の題目は「KBSは本当に政権の犬になろうというのか」。現労組指導部がチョン・ヨンジュ前社長に批判的で、イ・ビョンスン社長体制を受け入れた前の労組の路線を継承したことを勘案すれば、予想以上に異例なトーンだった。
労組は翌日も「無能な経営首脳部は即刻辞任せよ」という題目で声明を出し、△報道本部長が弔問客の政府批判インタビューを削除するように指示した点、△警察の追慕妨害は言及せず、政界の弔問ニュースを2回も放送した点などを挙げて「これこそ哲学と原則のない編成で国民の強い批判を自ら招いた」と指摘した。
内部からの自省の声は、これだけではなかった。5月28日にはラジオPDたちが「KBS売国奴どもに告ぐ」という題目で声明を出し、「逝去に関して、ラジオ制作陣に関連者インタビューは自制し、単純報道を志向しろという指示を出した」「北朝鮮の核実験報道が流れると、待っていたかのようにそれ以降のすべての番組を北朝鮮の核実験でオールイン」したと暴露した。引き続いて29日にはPD協会が「奈落に墜落したKBS、イ・ビョンスンは責任をとれ」という題目で声明を出し、「故人の冥福を祈るべき時間に娯楽番組やコメディ映画が流れ、あきれた縮小報道や、あきれた放送事故が相次いだ」とし、「KBSはあるがままの事実や民心に背を向け、歪曲する政権の放送、官製放送の烙印を押された」と批判した。
「頭を上げることができず」内部批判殺到
構成員個々人も、会社の掲示板に実名で書き込みをし、首脳部を強く批判した。
「87年6月でも、ここまで恥ずかしくはなかった。社長、副社長、編成本部長、報道本部長、KBS人として代価を払うべきです」(キム○○)
「盧武鉉前大統領の国民葬を近所の家族葬に貶めるKBSの報道を見ながら、KBSの凋落の兆しが濃く、そしてすぐ近くまで来ていることを感じた。この書き込みを読んだ人は、MBCを見るように」(シン○○)
「盧前大統領の逝去をきっかけに、KBSの首脳部はカミングアウトをはっきりとし、もう戻れない川を渡ったようです。恥ずかしくて頭を上げることができません」(イ○○)
盧前大統領の逝去を契機に、様々な批判が出てきたが、その根幹には共通点があった。それはイ・ビョンスン社長に対する根深い不信感だ。
「イ・ビョンスン体制10ヶ月の変化」が、なぜここまで不信感を大きくしたのか?相当数の内部構成員は、偏向人事や官僚的な組織文化、放送哲学の不在などを挙げた。
官僚的な組織文化に関しては、ラジオPDによる5月28日の声明の題目を見てみよう。「(盧前大統領の)葬儀期間に行われた、毎日4時の局長主催の1ラジオPDアイテム会議では、その場で決定できずに副社長までそのまま上げられたが、放送の指針を受けるというので、余計に言葉を失った。もちろん副社長もその場で決定できない部分があったそうだ。そうだとすれば、今後、最終決定は社長がするというのか?」
決定権限が上へのみ集まっており、中間幹部が上の顔色ばかりをうかがっているということだ。イ社長は実際、本部長とチーム長の間に局長の席を新設し、「管理」しやすい組織改編を断行した。問題はこのような傾向がラジオ製作本部や時事番組にのみ適用される話ではないという点にある。
»昨年8月27日、イ・ビョンスン社長(真ん中、眼鏡をかけた人物)は「社員行動」所属の社員と安全管理チームの職員とのもみ合いの中、初出勤をした。写真=ハンギョレ/シン・ソヨン記者
今年、韓国放送の春の番組改正を見守った、ある構成員の言葉だ。「普通、1ヶ月前には改編案が出なければ、番組の準備が難しくなる。ところが今年の春の改編は、半月前にようやく改編案が出された。編成側では、決められたことがないと何も話してくれず、制作側は制作なりにもどかしい思いをしながら待つしかなかった。実は編成側で社長が最終決定を下してくれない状況で、下手に話して、後で変更になれば責任をとらなければならなくなるので、誰もが口を閉ざしていたところ、ようやく最終許可が下りたので話してくれたのだった。以前はそんなことはなかったのに、余りにもでたらめで言葉を失った」
大型企画の挫折も、目につく“変化”の一つだ。これに関しては、『茶馬古道』、『ヌードルロード』に続き、野心的に制作された『仏教企画』が頓挫したことが主に言及される。PD2~3人が1年以上ついて5部作または7部作レベルで企画し、踏査まで終えたのに、今年初頭の撮影直前の段階で制作企画が立ち消えになってしまったのだ。これについては「イ社長がPDたちを嫌っているからだ」「李明博大統領がキリスト教信者だから、仏教企画ははじかれたのだ」などの噂が構成員たちの間で流れたそうだ。あるPDは「最初から線を引いて、やるなと言われていればどうなっていたかわからないが、数ヶ月間うやむやの状態で引きずり、今年に入ってからアイテムが使えなくなったので、担当者たちがみんな虚脱状態になっている」と話した。
露骨な政治プレイをした人物を重用
官僚制が形式ならば、その形式を満たす内容物は人事だ。イ社長の人事政策は、昨年からすでに何度も非難の的になった。天下り社長の就任反対を表明した「社員行動」所属社員の大多数が、要職からはずされたり、一部は左遷された一方、日頃からハンナラ党支持を公言していた人々は要職に就いた。
カン・ドンスン元放送委員会常任委員、ハンナラ党のユ・スンミン議員、シン・ヒョンドク元京仁放送代表などとの宴席を設け、「ハンナラ党が執権すれば、言論をどう掌握するのか」などといった会話のやりとりをしたユン・ミョンシクPDが、編成本部外注制作局長に任命されたのが代表的だ。PD協会正常化推進協議会を構成し、会社側に批判的だったPD協会と対立していたコ・ソンギュンPDはラジオ制作本部長に昇進し、今年1月1日深夜に除夜の鐘の打鐘式の際に「操作放送」論争を起こしたオ・セヨン芸能2チーム長は行事の直前に芸能局長に昇進した。
報道本部の人事はさらに露骨だった。政府に批判的な発言をした弔問客のインタビューを削除するように指示したキム・ジョンユル報道本部長は、任命当事からイ・ドングァン青瓦台スポークスマンと信一高校の同窓生ということを批判された。キム・インギュ前韓国放送取締役を社長に擁立しようとした非公式組織の「水曜会」を主導したコ・デヨン報道総括チーム長は、報道局長の地位を手に入れた。キム・インギュ前取締役は、李明博大統領の大統領選候補特別補佐を務めた
このようなイ社長の組織運営と人事方針は、李明博大統領の国政運営ともかなり類似している。前任者の影を消すために、行き過ぎた「人為的入れ替え」をした後、政治色や忠誠心が検証された人事を要職に就けるスタイルがそうだ。特定の政党に露骨につながった人物に要職をまかせることに対して、非常識だという批判が出てきても、まずは隅に追いやるというスタイルもそっくりだ。
大統領と似ているイ社長の組織運営スタイルは、盧前大統領の逝去報道を契機に危機を迎えたが、どんな結論が出るかは誰も確信できない状況だ。相当数が変化を渇望しているが、一部はそれと反対方向を望んでおり、また内部構成員全般に負け犬根性が染み付いていることも事実だからだ。
もちろん、イ社長に対する評価で留保的な意見を表明してた「中間層」のうち、相当数が変化の兆しを見せている点は、注目に値する。ある構成員は、「イ・ビョンスン社長体制の問題点を指摘する書き込みをすれば、以前は「お前はKBSの社員じゃないのか」といった批判的なコメントが多かったが、盧前大統領の逝去以降は同調するコメントが多くなった」と伝えてきた。
自分を「中間者」だと表現したある構成員は、このように言った。「実際、(イ社長が)入ってくる過程が(警察力を動員するなど)憤慨せざるを得ない状況ではあったが、それでもKBS出身だからと肯定的に見ていた。ところがこの数ヶ月間、社長に関しては「決裁書は終止符一つまで偏執的にチェックしている」「支出を減らすことが至上最大目標なので、お金を使うことに厳格だ」などの話ばかりが聞こえてくる。だが現場に行って制作陣の話を聞いたり、放送に関する所信やビジョンを話したという噂は聞いたことがない。会計専門家として連れてきたわけでもないのに、支出ばかりうるさくて…。一言で言うなら社長としての資質が余りにも欠けているようだ」
構成員個々人の抵抗はまだわずか
このような世論の後ろ盾によって、具体的な動きも相次いでいる。韓国放送PD協会(会長/キム・ドクジェ)は、6月4~5日にチェ・ジョンウル編成本部長、チョ・デヒョンTV制作本部長、コ・ソンギュン・ラジオ制作本部長の信任投票に入った。韓国放送記者協会(会長/ミン・ピルギュ)も紆余曲折の末、6月8~9日にキム・ジョンユル報道本部長とコ・デヨン報道局長の信任投票をすることにした。
結果は容易に壮語することはできない。すでにイ・ビョンスン社長就任後、社内外の批判世論が沸騰したが、韓国放送内部の構成員たちが労組選挙、記者協会長選挙などで「穏健派」もしくは「妥協派」を選択した前例もある。さらに報道本部長と報道局長の信任投票の結果を論議する過程で、ミン・ピルギュ韓国放送記者協会長が辞退の意思を明らかにするなど、すでに内部紛糾の最中だ。
韓国放送のある職員は、次のように話した。「一番大きいのは社長の問題です。でも放送制作に参加する制作者の問題もあります。(上から)強圧的に出るので、内部的反響が弱いことです。少しやってみて「やっぱりやめた」というふうな抵抗をするだけだ。集団的抵抗でやっていくなら、放送制作の現場で自律性が侵害され、不当な待遇を受けている人たちが直ちに個別的に抵抗し、このようなことが各協会や労組を通じて集められなければならない。ところがその部分は不足しているのが事実だ」
韓国放送の構成員たちがこれからどのような選択をするのか、国民的関心が再び高まっている。
韓国放送の現職記者が送ってきた「愚痴、泣き言、不満」
墨で書いた嘘が血で書いた事実を隠すことはできないが
少し前、久々にタクシーに乗りました。基本料金が2400ウォンなんですね。「たった100ウォンの違いなのに…」という思いがしました。受信料のことです。毎月の電気料金納付告知書に付いている、2500ウォンの視聴料金のことです。タクシーの基本料金より100ウォン高い、1ヶ月の受信料。それでも視聴者たちはなぜ上げようという気持ちがないのか?この半月の経験で、十分に理解できた。
5月23日、盧武鉉前大統領がこの世を去りました。取材に出た韓国放送の記者たちは、あちこちで叩かれました。取材拒否も数え切れないほどありました。中継車から生放送をしていた女性記者が、本で頭を叩かれたりもしました。ネチズンは韓国放送の頭文字(KBS)を「キム秘書(ビソ)」と皮肉りました。
なぜこのようなことが起きているのか?理由は簡単です。はっきり言って、韓国放送のニュースがニュースらしくないからです。自然に集まってきた追悼の人波を、縮小するのに汲々としていました。追悼の熱気を隠すのに忙殺され、民心の真実性は政治的だという理由で色眼鏡をかけて眺めていました。その代わりに葬儀の手続きのような、政府の方針は何から何まで報道しました。ニュース特報をなくし、記事を縮小し、中継者を動かし、インタビューをはずし…具体的な例が多すぎて、羅列するのも大変なほどです。
でも人々が必ずしも今回の事態だけで韓国放送を白眼視しているのではないようです。去年の夏から秋に、ロウソクを手にした人々は韓国放送本館前に集まり、しきりに「ジモッミ(「守ってあげられなくてごめん」の略語)」と叫んでいたじゃないですか。あの熱い支持と声援のこだまも、今は手厳しい叱咤となって私の胸をえぐります。
あれから1年も経っていませんが、韓国放送は完全に変わりきってしまいました。前の社長の頃の司会者たちは、みんな切られてしまいました。新年の白頭普信閣の打鐘式の時は、耳障りな現場の音声も消されてしまいました。不当な権力に抵抗してきた記者たちは、報復人事と懲戒で追いやられました。政権に批判的な(?)態度をとった『メディアフォーカス』や『時事トゥナイト』は消え去りましたが、李明博大統領のラジオ演説は、きっちりと流れ続けています。「政権の笛吹き」として忠実に服務してきたあの時代に戻るのではないか、という疑念が深まる中で、今回の事態が起きたのです。
6月3日の夜、耐えられなくなった韓国放送の記者たちが集まり、総会を開きました。韓国放送が市民たちから背を向けられる現実を、記者自らはどう思っているのか、そしてどう対応すべきなのかについて、共に話し合う場でした。200人近い記者たちが集まり、20人以上の記者がマイクを手にしました。意見は分かれました。盧前大統領逝去の局面から必死に目をそらし、ちゃんとした準備さえしなかった無能な首脳部に責任を問う声が上がりました。韓国放送の中継者が締め出されたのは決して韓国放送が悪いのではなく、石を投げられるほど偏った放送はしなかったという抗弁もありました。紆余曲折の末、この日に報道本部長と報道局長に対する信任投票を行うかどうかを決定する投票-つまり投票のための投票という初めての事件-を実施し、大多数の参加者の同意を得て、信任投票をすることに決定しました。
総会から出てきた後輩の記者の言葉が、まだ耳に残っています。入社志願書に書いた輝かしい文章の内容を思い出してみろと。初心に帰ってみると、今回の事態の解決方法を見つけることができるかもしれないと。ぼんやりとした記憶をたどり、十数年前に書いた入社志願書をよみがえらせてみました。「墨で書いた嘘が血で書いた真実を隠すことはできない」と書いたのではないか。ところが墨ではなく、マイクだとすれば、余りに多くの嘘を騒ぎ立ててきたのではないかという気がしてきました。
韓国放送の一介の記者
イ・スンヒョク記者
* 関連記事
看板アナウンサーがスト参加
どこまでいく?李明博政権による言論掌握
李明博政権による言論掌握・その後
韓国言論の独立を守れ!