これは・・・。韓国の検察機構を批判したいがために、日本の検察を持ち上げすぎてはいないか?媚日か?と思ってしまいましたが、なかなかおもしろいコラムだったので、つい訳してしまいました。
韓国の検察って、なんでここまで政権に「ベッタリ」なんだろう?と素朴な疑問を持っていましたが、なんだ、検察出身の国会議員、しかも与党にそんなのが多かったからなのね。ああ。なるほど。では、6月15日のハンギョレのコラムです。どうぞ。
日本の検察-韓国の「犬察」/オ・テギュ
「我々は犬だ。噛めと言われれば噛み、噛むなと言われれば噛まない」
金泳三政権時代の1995年11月末、ソウル地検に12・12および5・18特別捜査本部が電撃的に構成された直後、ある検事が自嘲気味に吐き棄てた言葉だ。あれから13年以上の歳月が流れたが、検察はまったく変わっていないようだ。むしろ気質はさらに狂暴になったようだ。主人も、彼らを統制できないという言葉を気楽にするくらいだからだ。さらに「パク・ヨンチャ・ゲート」の捜査結果の発表内容を見ると、厚かましささえ感じる。
盧武鉉前大統領の逝去をきっかけに、検察改革が最大の社会的話題になった。検察は今も捜査の正当性を強弁しているが、国民の大多数はまったく違う考えだ。「権力の手先」である検察が盧武鉉大統領を死に追いやったのだから、この際、検察を一新しなければならないというのが衆論だ。
一方で国民から絶対的に信認されている日本の検察の姿を見ると、なぜ韓国の検察に対する信頼が地に落ちているのかがわかる。日本の検察は、第2次世界大戦の敗北直後、最大の危機に直面した。ダグラス・マッカーサー占領軍司令部は、占領後すぐに軍国主義の尖兵だった警察と検察を無力化する作業を始めたのだ。警察は自治警察と国家地方警察に分割して力を奪いながらも1次捜査権を与えた一方、今の韓国のように極度に肥大化していた検察は、第2次的・補充的捜査機関に転落させた。
しかし日本の検察は、2次捜査権という糸口を利用して「巨悪」を暴き出したことから、このような大胆さが国民から認められ、華麗に復活した。その中心にあるのは、49年5月に発足した東京地検特捜部だ。88年の田中角栄元首相(ロッキード事件)、88年の竹下登首相(リクルート事件)、92年の金丸信自民党副首相(佐川急便事件)など、当代の「威勢を誇る権力」を相手にした東京地検特捜部の抽象のような捜査は、日本の検察を信頼の頂点に引き上げた。
一方、1981年4月に全斗煥軍事政権の「社会浄化運動」の過程で誕生した大検察庁の中央捜査部は、生まれる前から権力の下請機関という限界を抱えるしかなかった。大検中捜部も権力を相手に時折成果を上げることもあったが、それでも政治・標的・請負捜査というレッテルは付いて回った。
日本の検察の模範とすべきもう一つの点は、検察出身者は政界に進出しないという暗黙的な伝統だ。実際、日本の国会議員検索サイト(www.publistella.net)で調べてみると、衆議院480人のうち検察出身者は公明党にただ1人いるだけだ。参議院242人の中でもやはり民主党に1人いるのみ。一方、韓国の場合は、18代国会だけを見ても在職議員296人の中で22人が検察出身だ。政権与党であるハンナラ党に16人も集まっており、残りは民主党4人、無所属2人だ。この中には、大検中捜部や地方検察庁特捜部で政治事件を担当した検事もずらりと並んでいる。
職業選択の自由を否定することはできないが、この程度になれば、「現職検事の相当数が検事という職業を人権の砦や、公益の代弁者と言うよりは、国会議員への中間経路程度に考えているのではないか」という疑いから逃れることは難しいだろう。さらには現職の検察総長が服を脱ぐやいなや、議員バッジをつけるために汝矣島(韓国の国会がある場所)に疾走する場合さえあるのだから、「政治」と「検察」を分離して考えることがおかしいくらいだ。
日本の検察は国民から「本当の野党」という賛辞までされているのに、なぜ韓国の検察は「犬察」「検鳥」と嘲笑されるのか。検察が自ら変わらないのなら、国民が変えるしかない。
オ・テギュ論説委員
『ハンギョレ』2009年06月15日