土星崇拝(Saturn Worship; Cult of Saturn)とは、土星およびそれが神格化または象徴化された存在を崇拝の対象とする行為である。
星辰崇拝(日月などの天体を崇め奉じること)は太古から人類によって広く行われてきた行為で、有史を紐解けば中東・近東を始め中国やインドの古代社会で盛んであった事が忽ち判る。中でも土星は「黒い太陽」と言われ、セム族の主神エルの象徴として長らく崇拝されてきた。その天文学的性質は遅滞者・老人・重鎮といったイメージに結びつき易く、また肉眼で捉えられる太陽系天体の中では最も公転周期の長い天体であったため、至高者、或いは最古・原初といった概念を象徴としても崇められてきている。その影響は現代に於いても猶継続しており、土星外天体が発見され占星術等に用いられる今にあってもそうした属性の帰する存在として位置づけられており、依然としてその重要性を損ねられていない。シンボリズム的利用に至っては、環の発見などにより他の惑星よりも一層その形態的特質際立った事で、今日の方が却って盛んに用いられている程である。
本記事では土星が歴史的にどのように崇拝の対象となってきたかを論じていく。陰謀論などから土星崇拝を論じたものについては悪魔主義の項目参照。
♄⚳
本項では世界各地の古代社会で土星がどのような位置付けにあったのかを記述する。
古代メソポタミア文明ではニヌルタ(Ninurta; エヌルタ、ニニブとも)と呼ばれる神格が崇められており※、その名は「大地の主」を意味していた。ローマのサトゥルヌス同様農業の神であり、同時に戦いを司る神でもあった。ラガシュの都市神ニンギルスと同一視されており、その象徴とされるのが双頭の鷲(ダブル・イーグル)、そして土星である。
ニヌルタは農耕神という性格上暦とも深く関係し、歴史神としての性質も併せ持っていたという。これはギリシャ神話で土星を象徴司る神クロノスΚρόνοςが屡々時を意味するΧρόνοςと解される故時を司る神という性質を持つ事にも通じる。英雄神としては怪鳥アンズーを退治したエピソードで知られる。
ニヌルタは後のアッシリアでも篤く崇拝されており、中アッシリア時代の王トゥクルティ・ニヌルタ1世(「我が信ニヌルタに」の意)がアッシュールから北東約3kmのティグリス上流域に建設した港都カル・トゥクルティ・ニヌルタにも王の名を通しその名を刻んでいる。
時代が下り、アッカド・バビロニアになると土星はゲンナ(Genna; 小さき星の意)と呼ばれるようになる。これは聖書に出て来る地獄の谷ゲエンナ (Γεέννα)に通じる。小さき者とは肉眼で捉えた土星の光が他の惑星のそれに比して幽かである事に由来するものと考えられる。
一般的にはトンデモ説の一つとされるが、ゼカリア・シッチンの説によれば、シュメール人は土星が環を有している事を知っていた他、トランスサタニアンの存在も把握していたなど高度な天文技術を得ていたと言われており、事実であればバビロニアの時代にその技術は受継がれなかった事になる(若しくはシュメール人も土星の絶対的な大きさまでは知り得なかったか)。
※ニヌルタの他にはバビロニアの創造譚エヌマ・エリシュに登場する神アンシャル(Anshar)が土星に関係するという説もあるがこちらは天空を司る存在でありニヌルタとは正反対の性質を持つと言える。なおアンシャルは新アッシリアの時代サルゴン二世により、王国内で熱心な崇拝を受けた都市神アッシュールと習合されている。
ニヌルタの配偶神として知られるのがババ(バウ)で、ギルガメシュは二神の母方の孫に当たる†。ババはアナトリアの地母神クベレ(フリュギアではクババと呼ばれていた)と同一視される事もあり、クベレはギリシャ神話に取り込まれるとクロノスの配偶神レア(土星の衛星の一つにその名が付く)と同一視されることになる。
†ギルガメシュは自らを「3分の2が神で3分の1が人間」と称していたといい、これは母が女神で父バンダが人間だった事に由来するという説があるが、系図ではバンダの父ウトゥもニンガルの血を引くシュメールの太陽神である。
◆古代ペルシアのアケメネス朝およびササン朝で国教となっていたゾロアスター教の一派にズルヴァーン派(Zurvanism)がある。この教派では善悪二神の背後に根源的存在としてズルワーンという時を司る神格を導入しており、教典に由れば土星はこのズルワーンの監督下にある惑星となっている。ズルヴァーン派はアケメネス朝後期にはその教義をほぼ確立し、ササン朝下でも主流派であるマズダ派と並立していた。
古代エジプトで土星は「天空の牡牛ホルス」と呼ばれ、ホルス神の象徴とされていた。木星もまたホルスの象徴だったが、時代が下ると紀元1世紀のエジプトの木星はアモンの象徴とされていたのに対して土星は相変わらずホルスを司る星であった※。
また古代エジプトでは土曜日が週の始めとなる日†であり、これはメソポタミア以来の慣習だったと言われる。ユダヤ人はこの習慣を反転させ土曜日を週の終わり、つまり安息日(Sabbath)とした。
最高神アメンとアテンを巡るエジプト王国内部での権力闘争にも土星が関係していると言われる。二神は共に太陽神とされているが、太陽神としてはラーが古くから存在しており、双方の崇拝者はラーと習合することによって太陽神としての地位を確たるものにしようと図っている(アムン=ラーおよびアテン=ラー)。
アメンととアテンが相反する性質を有していたとすればいずれかが太陽と相反する性質の象徴としての土星を司っていたという可能性がある。或はラー神の側に「古き太陽」としての土星を象徴する性質が備わっていたとも考えられるが、いずれにせよエジプトで主神と崇められたのは太陽を象徴する神であった事に変わりはない。若しくは太陽を信仰するという行為が土星に対する崇拝と表裏の関係にあるという解釈も出来る。
◆ラーとホルスには図像学的な酷似性もあり、ホルスの姿は隼の頭を持つ人の姿で描かれる‡が、ラーもまた隼の頭を持つ人型をしている。違いはラーの頭上には赤い球形のマークが戴かれている所で、更にその球体を取巻くように一匹のコブラがいる。
◆隼、あるいは鷹はアラビアでも部族を象徴する鳥として扱われており、「クライシュの鷹」✢(Hawk of Quraish)と呼ばれる一群の旗章が有名である。これは同地、特にペルシャ湾岸域では伝統的に鷹狩が盛んに行われており、鷹ないし隼が一種のステータスシンボルとして用いられている事とも関係している。
※火星もまたホルスの象徴とされ、「赤のホルス」という異名を持っていた。
†曜日毎に「リジェット」と呼ばれる支配星が決められており、土星は第一日のリジェットだった。
‡隼そのもので表される事もあり、ラーと同様頭上に赤い球体を載せている他、「シェンの環」というシンボルを脚に掴んでいる。
✢鷹と隼はアラビア語で共にصقر[saqr]。
先述の、ギリシャ神話に登場する神クロノスは父ウラノス(Ουρανός)を追放し新たな盟主となるが、やがて自らも息子のゼウスに追放される。こうした三代に亙る権力の移行はそれぞれの象徴する太陽系惑星の土星[♄]→木星[♃]という序列に准えられた。
神々の名が付く前に、惑星はそれぞれの名で呼ばれており、土星は古代ギリシャ語でファイノン(Phaenon; 光る者)と呼ばれていた。
キリスト教化しつつあった古代ギリシア社会において、土星について論じた人物としてまず挙げられるのは6世紀に活躍したネオプラトニスト、キリキアのシンプリキウスSimplicius of Ciliciaである。彼は著書『天体論について』で土星が嘗て「ヘリオスの星」と呼ばれていた事に言及している。この呼び慣わしはカルデアの時代に遡ると言われ、紀元前1世紀の歴史家シケリアのディオドロスDiodorus of Sicilyはカルデア人が土星(クロノス)をヘリオスの名で呼んでいた事を記録している。またカルデアの天文学で土星は「太陽の星」Alap-Shamasと呼ばれていた。
古代ローマではサトゥルヌス(Saturnus)という土星を象徴する神が崇拝されており、今日に至るまで曜日(Saturday)にその名を刻んでいる。惑星記号♄はこのサトゥルヌスが持っている鎌を象ったもので、これは同神が農耕を司っている事に由来している。サトゥルヌスとローマの関わりはその起源当初に遡り、ユピテルに逐われた彼がラティウムに逃れてくるとそこで土着民によって匿われ厚遇された事に感謝し、未開人であった住民らに文明を授け黄金時代を齎したという伝説が残っている※。
王政ローマ最後の王ルキウス・タルクィニウス・スペルブスによって紀元前497年(または501年)に建立されたと言われるサートゥルヌス神殿Temple of Saturnは今日でもローマ西部にその遺構を見る事が出来る。神殿内には大鎌を持ったサートゥルヌスの木像が祀られており、例年12月17日から23日(25日とも)まで開催されたサトゥルナリア祭のときだけベールが解かれたという(ウェルギリウスなど†)。
サトゥルナリア祭は過激といわれたクベレ祭を幾らか穏和にしたもので、クベレに対する祭祀では去勢した男性司祭達が女装するなどの儀式を行っていたが、サトゥルナリアでは家畜の性器を奉納する事で代わりとした。
クロノスと多くの性質が共通している事から、ローマ社会ではサトゥルヌスとクロノスは同一視されるようになる。
紀元前5世紀にアテネで造られた赤絵式には四頭の馬に牽かれた馬車に乗って天を駆けるヘリオスの姿が描かれているが、デナリウス銀貨にもサトゥルヌスの姿を象ったものが今日に伝わっている。そこで彼はクアドリガに乗った姿で描かれており、"SATVRN"の刻印と共に彫り込まれている。これはギリシャでヘリオスが四頭の馬に牽かれた馬車に乗っている姿と共通であり、両者の同一性を偲ばせる。
サトゥルヌスはミトラ教でも重きを置かれた神格であり、信徒の7位階の内最上位に当たる「パテル」の守護星である土星と共にその象徴とされた。
※英語のSaturnian days="黄金時代"という表現にもその面影を残している。
†ウェルギリウスは『牧歌』第四節で「…新たな世紀の大いなる秩序が生まれる。旧きサトゥルヌスの御代も還る。…」と詠っている。またローマにはサトゥルヌス詩体と呼ばれる古来の詩形が伝わっており、ギリシャ詩学が導入される以前は盛んにこの詩体が用いられていた。リウィウス・アンドロニクスによる『オディシア』(ホメロスの『オデュッセウス』の羅語訳)がこの詩形を用いた作品としては最も有名である他、グナエウス・ナエウィウスによる叙事詩『ポエニ戦役』が断片ながら現存する。
◆ローマ人にはサトゥルヌスに因む姓を持つ者もおり、紀元前2世紀の政治家ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌスLucius Appuleius Saturninusや3世紀の将軍ガイウス・ユリウス・サトゥルニヌスGaius Julius Saturninusが歴史に名を残している。また2−3世期前後にかけて、幾名かのキリスト教関係者が聖サツルヌスSan Saturninoとして記録されている(特にトゥルーズのが有名)他、フランスではSaint-Saturnin、Saint-Serninといったコムーネの名で各地に残っている。またこの姓は後代イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『タイタス・アンドロニカス』にサターナイナス(サトゥルニヌスの英語読み)という登場人物の名として用いられている。
古代中国でも土星※は重要な位置を占めており、鎮星†乃至は填星‡と呼ばれた。鎮星は黄帝の姿を表すとされ天子の星として、天と世界を支配すると考えられていた。
また古くから民間信仰として伝わる九星の内土星が係わるものは三つを占めており(二黒・五黄・八白)、中でも五黄土星はその中央に位置し他の八星を支配する最も強力な星象とされている。
※「土星」は北斗七星の第一星の名でもあった。五行説の創始者と評される騶衍が五星と五行を結びつけるまでは水金火木土が惑星名には付いていなかったという。
†淮南子卷十九 修務訓「鎮星日月東行」、抱朴子内篇卷八「鎭星独東」、史記天官書:太「 歳在甲寅,鎭星在東壁」など。
‡史記「斗為文太室填星廟天子之星也」、「言五星皆從塡星、其下之國倚重而致天下、以塡主土故也」など。
古代インドで土星はシャニशनि(Shani; Śani) と呼ばれ、バッファロー或いはカラスに騎乗し弓矢を携える全身が黒い肌で覆われた人の姿で描かれている。シヴァなどと同様に多くの異名を持ち、アラ、コナ、クロダなどの名でも知られる。シャニは不吉を齎すものと考えられており、また激し易く彼を動転させた者に対して逆襲を果たすと言われる。数あるシャニの異名の中で際立っているのがラヴィナンダナで、これは「太陽の子」を意味しており、インド神話においても太陽と土星が深く関係付けられている事を現している。
インド占星術(ナヴァグラハ)で土星が象徴するのは「苦悩、貧困、疾病、障害、遅延、制限、寿命、労働、奉仕、犯罪、民主主義、改革、奴隷、神経」といった事柄である。ヴェーダでは土星はシャナイシュチャラと呼ばれ、これはサンスクリット語で「ゆっくり動くもの」を意味する「シャニシュチャラ」から来ている。
インドで土星はマンダमन्द(サンスクリット語で「遅いもの」)という名でも知られる※。これは土星が五惑星の中でもその公転周期の長さから最も遅く運行しているように観測される事に由来する。
※新バビロニアでも土星にマンダの名が与えられていた。マンダはポントス・カスピ海草原に興った部族であるキンメリア人とスキタイ人を指す呼称でもあり、更にユーフラテス以西のセム系部族(マナセ族と推定されている)に対してUmmân-Manda(「マンダの国家」の意)という名称が用いられている。
◆土星を象徴するヤントラ(タントラの行者が瞑想の際に用いる幾何学的図像)の中央には六芒星が描かれている。
ガーナの土着信仰ではアメン(Amen)という神が登場する。これはオキィム(惑星)の一つである土星の名であり、またそれが神格化したもので両性的な属質を備えている。これはアカン人によって受継がれており、また彼らはアボゾム(abosom; 単数形はobosom)という霊神を崇拝しており、土星の化身であるものはアメン(Amen)またはアメン-メン(Amen-Men)と呼ばれている。アメン-メンは万物の創造を司り、また超越者ニャメワァ=ニャメの本体たるアーバゥデーの統御体を支配しているとされる。
ユカテク族の言い伝えで土星は「雌ワニの星」という名称が付いていた。また双子の英雄に伝えを届ける隼(Laughing Falcon)は土星を表していると考えられている。
アラビア語圏で土星はザハル、ツハール、ゾハルなどと呼ぶ。これらの語はアラビア語のズハルzuhal「引返す」から来ているとされ、それ故土星は「引返す者」という名が付いている事になる。
またズハルは土星を人格化した女神の名でも知られ、アマレク族に勝利しメッカを制圧したイエメン出自のジュルフム族Banu Jurhumによって崇拝を受けていた。彼らはアラビア半島のカハタニ部族に属し、失われたアラブ(Lost Arabs)と呼ばれる古いアラブ族の1つである。ジュルフム族はアラビアの言い伝えに拠ると聖書の登場人物ハガルとその子イシュマエルを保護したとされており、またイシュマエルとその父アブラハムによって再建され巡礼の地に指定されたカーバ神殿を中心とした崇拝活動に深く関わっていた。またある伝承ではジュルフム族のカーバ神殿に対する守人としての役務は彼らが南方のクザーア族Banu Khuza'aによって同地を逐われた際に失効したとされている。
ズハルはまたナクルやカイワーンの名で男神として崇められ、後者はカルデア人やヘブライ人の部族によってキーユーンכִּיּוּןとして崇拝を受けていた※。
※旧約聖書アモス書の一節に「…却って貴方方の王シクテを担い、貴方方が自分で作った貴方方の偶像、星の神キウンを担った」[5:26]とあり、この星の神キウンは土星の神格化であると解されている。また新約聖書使徒言行録に記される牛の偶像として祀られる星神ロンパ(Remphan、Rephan)をこのキウンと同一視する説がある。
古代アルメニアで土星はイェレヴァク(Երևակ; Erevak)と呼ばれていた。この名は先に挙げたギリシャでの土星の古名ファイノン(光る者、明らかな者)と意味の上でも良く一致している。またアルメニアの首都イェレヴァン(Երևան; Erevan)とも音が近い。
北欧やケルト人の拠点だった西欧、ゲルマン人の伝説が数多く残る中欧には古代に土星崇拝が行われていたと見られる事蹟やそれを窺わせる逸話は特に残されていない。北欧神話やケルト神話に登場する神々やその眷属の名は現代天文学では北欧群(Norse Group; 逆行軌道を持つ)やガリア群(Gallic Group; 順行軌道を持つ)と呼ばれる土星の外部衛星集団の各構成天体を名付ける際に用いられている。
古代日本では先ず神道に星辰崇拝を窺わせるような祭祀がなく※、また大和言葉にも惑星という概念やそれを指し示す単語が存在しない。それ故土星の和名と思しき固有名詞を見出す事も出来ていないが、安土星(あづちのほし)†と呼ばれるのが土星の和名では無いかという説がある。また西南戦争の年に大接近した火星を当時の国民は西郷星と呼んでいたが、この時土星がその近くに位置していたことからこちらも桐野星という名が付けられた。土星に対して用いられた和名として確かなものはこの桐野星がある。
※太陽を司る神格としては天照大御神が、月は月詠尊がいるため日月崇拝は古くからあったと思われるがそれ以外の天体に対する崇拝の痕跡がない。
†茨城県水戸市飯富町には安土星(あとぼし)という地名があり、古墳などが残っている。ただし後星(あとぼし)はアルデバランの和名の一つであるためこちらに因んでいる可能性も高い。
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中世の始まりとされる五世紀頃からは各地で様々な哲学思想や神秘主義が勃興し、その多くが政治運動などに関与していく事になるが、本項ではそれらがどのように土星崇拝と関係していたかを論ずる。
イスラム占星術の大家アブー=マーシャル(アリストテレスの「自然学」や「天体論」にあるギリシャ哲学理論を占星術と融合させた最初の人物と言われる)は 土星と深く関係を持つ職業として「宦官、奴隷、一般大衆」を挙げていたという。また8-10世紀に掛けてイラクのバスラを中心に活動した清浄同胞団 (the Brethren of Purity;اخوانالصفا)は天文学や占星術を考究し、その中で土星を第七番目にして最高位に位置する天体と見做していた。これはイスラム化 以前の中東社会からいた星辰崇拝者達が改宗しイスラムコミュニティの中で活躍していく中で、その知識を秘教的に取り入れていく事でイスラム占星術の体系が 完成していった物と考えられる。
ペルシア語で土星はカイヴァーンکیوانと謂い、詩文学などでも最高位を表す言葉として用いられて来た。人名にも屡々現れ、16-17世紀に活動したゾロアスター教の高僧の尊称アザル・カイヴァーンآذر کیوان(「炎の土星」の意)が有名である。
カイヴァーンはペルシアからインドに移住、そこで自らの思想体系を錬磨していく。この思想の背景には15世紀前後からペルシア国内で徐々に沸き立っていた救世主への待望があり、イスラム化したペルシア本来の民族宗教であるゾロアスター教を改革しこれに応えようとする試みであった。
カイヴァーン思想とその政治的運動は彼の死後瓦解に向かうが、その流れを汲む教派は今日に息づいている。
ヘブライ語で土星はシャベタイשַׁבְּתַאיと謂い、これは17世紀のスファラディ偽メシアが名乗った名シャバタイ=ツェヴィשַׁבְּתַאי צְבִי「シャバタイ(土星)の治権」に有名である。またユダヤ神秘主義で土星は第3のセフィラであるビナーבִּינָה(Binah; 理性・悟性)に対応する。この位置に座する天使はヅァフキエルצפקיאל(「エルの智」の意)で、名はイェホヴァ・エロヒムとなっている。クリフォト側でこの数はサタリエルסתריאל(「エルの封隠」)が当て嵌められている。
サバタイ派運動は指導者ツヴィのイスラム改宗で一旦幕を閉じるが、運動の余波はヨーロッパ各地にも波及し、フランク派などの流れを生み出す。しかしこちらも信奉者達のキリスト教への集団改宗という形で終息している。
15世紀のルネサンス魔術を基礎にしたと言われるグリモワール《ソロモンの鍵》Key of Solomonにはアギエルאגיאלという名の霊体が登場する。アギエルは土星の知性を司り、また土星の霊体群の主宰を務めるザゼル(またはアザゼル)と並び称される。「土星の封呪」The Seal of Saturnはこのザゼルないしアギエルのシンボルで、∧型と∨型を互い違いに組合せた形になっており、ZAZEL AGIELの刻印と共にシンボルとして使われる。
ヨハネの黙示録に登場する七天使(archangels)の候補に挙げられる※オリフィエルעריפיאל(「エルの雲気」の意)は土星を象徴しており、ルネサンスの神学者にして魔術師アグリッパ・フォン・ネッテスハイムらが製作した『大天使カレンダー』に拠ると紀元前200~紀元後150年にかけての凡そ350年間がオリフィエルの支配する期間であったという(それに拠ると現在はミカエルの治下にあり、次のオフィエルの世は27世紀頃、或いは25世紀初頭とされる)。
BC200~AC150年という時期はキリストの誕生と死というキリスト教徒にとって最も重要な出来事をその中間に据えており、キリスト教においても土星が枢要な地位を占めていることが窺える。
同じく七天使の一角にあるカシエルקפציאלも、土星および第七天を支配する存在として描かれている。
※オリフィエルを最初に七天使に席したのは大聖the Greatと呼ばれたローマ教皇グレゴリウス一世(在位590 - 604年)とされる。
錬金術に於いて黒き太陽(sol niger)は土星の象徴とされ、その工程の中の「黒」(ニグレド)に相当するとされた。また鉛は土星に喩えられており、saturnism「鉛中毒」という用法はここに由来している。黄道十二宮との対応では磨羯宮Capricornの支配星Domicileiに土星が充てられている。
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近代以降に結成された土星崇拝と深い関わりを持つ組織としては1926年に結成※された魔術結社の土星同胞団(Fraternitas Saturni)がある。土星同胞団は魔術師アレイスター・クロウリーの流れを汲む一派で、現在も活動を継続している。
文学作品では、フランスのフランスの象徴主義詩人ポール・ヴェルレーヌが1867年に『土星の詩』(サテュルニアン詩集Poèmes saturniens)と題した処女詩集を出版している。
土星に因むシンボル・像も企業・団体によって数多く使用されてきており、アカデミー賞などと同様秀逸であるとの評価を得た映画・TVドラマなどで公開されたSF・ファンタジー・ホラー作品が受けるものとしてサターン賞(Saturn Award)と名付けられた賞が1972年から開始されている。本賞の受賞者に贈られるトロフィーは土星をモチーフとした形になっている。
現代において土星はその象徴する性質から連想されるものは基本的にはどれも重く、陰鬱としている。占星術に於いても屡々凶星という扱いが為されているように、それは困難や苦難を与える「試練の星」として知られる。
一方古代社会ではサトゥルヌスの様に黄金時代を齎す存在として崇められたり、肉眼で観測できる惑星の中では最も等級が低いにも拘らずその輝きが太陽に喩えられるなど並々ならぬ存在感を纏っている。しかしこうした黄金時代を齎すその輝きに軈て翳りが見え始め、終には後世の手によって(かつて自らがした如く)放逐されるという結末を迎える。
そして在りし日の姿を懐かしむ人々によってその再来を待ち望まれるという様式が確立されており、中世に於いて土星の名を掲げ改革、世直しをスローガンとして民衆の前に馳せ参じた救世者を称する者達もまた困難に直面し挫折、運動や思想も本人の死を以って歴史の表舞台からは姿を消している。
「歴史的な大事件や重要人物は全て、云うならば二度繰り返される」とヘーゲルは言い、マルクスはそこに「一度目は悲劇だが、二度目は茶番劇」だと付け加えた。これは正しく気鋭の改革派僧侶アザル・カイヴァーンとそれに遅れる事一世紀にして現れた偽メシア、サバタイ・ツヴィの二人を指して言っているのだとすれば、マルクスの歴史に対する洞察眼は同じユダヤ人に対しても遺憾なく発揮されていたと言って差支えない。
土星と太陽を関連付ける記述もまた各地に伝わる伝承から読み取れるが、太陽と土星のどちらがより古いものとして位置づけるかはそれぞれ異なっている。土星の姿形は環を有している事で、恒星である太陽とは明らかに異なるものだが、太陽とそれを取り巻く諸惑星、およびアステロイドベルトは見方によっては環に相当するものであるとも言える。
シンボリズムや数秘術の上では土星と太陽は異なる系統が当てられている。太陽と関連付けられる数字は8,16といったもので、一方土星は6や9,12といった数字で象徴されているなど、両者の間には明らかな差がある。太陽を表すシンボルは☼、☉、太陽十字(○の中に+を入れたマーク)といった物であるのに対して、土星は♄や〇とそれを取り巻く環(やや傾いた角度で付けられる)で描かれる。
ユダヤ教は、他の宗教と比較してもそれに劣らず、寧ろ特に強い結び付きを土星に対して有しており、研究者によってそれが明らかにされてきている。
古くはジョルダーノ・ブルーノがここに注目しており、近年の研究家によってもその点が重要な箇所として挙げられている。また土星とユダヤ人・ユダヤ教についての論文や著作等もこれまでに発表されている。
掲示板
15 ななしのよっしん
2019/09/09(月) 08:58:12 ID: dwxDUmmJMY
いや太陽崇拝とかが世界中で見られるのを比較研究してまとめるとかはあるから、
それになぞらえて土星も同じようにしても問題はないよ
内容の吟味は必要だろうけど。
ヨーロッパの天王星のことは指摘済みだけど、中東の話も怪しげかな?
ゼカリア・シッチンの話らしきものが混ざってる気がする
16 ななしのよっしん
2020/05/26(火) 14:23:09 ID: UnTbA9Feu6
『史記』の「書」とかの本は天体に関する情報がいっぱい載ってるだけで別に土星は重要視されてないよ
『国語』にも天体についての記述はあるけれど、土星については特に重要視されてないし、そもそも古代中国は祭祀の中に天体に向けてのそれがあるにはあるけれど、全然重要視されてない
よっぽど鬼神についての祭祀の方が重要
この記事の記述は実際に読んだことがない人が都合の良い情報を拾い集めてるだけだろうね
17 ななしのよっしん
2023/11/07(火) 06:59:58 ID: 7+qZsJ1my6
古いギリシャ語では土星はファイノン(光るもの)か…
火星や水星も別の呼び方があったんだろうな
「光るもの」といえばグノーシス主義では光と時間が重視されるけど、その源流は土星崇拝(ファイノンとクロノスへの信仰)だったりして。
もっとも、多くのグノーシス系宗教では惑星=邪神であり、惑星としてのファイノン/クロノスは崇拝されていないんだけどね。
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最終更新:2025/01/11(土) 09:00
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