土星崇拝 単語

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ドセイスウハイ

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土星崇拝(Saturn Worship; Cult of Saturn)とは、土星およびそれが神格化または徴化された存在を崇拝の対とする行為である。

概要

崇拝(日などの体を崇め奉じること)は太古から人類によって広く行われてきた行為で、有史を紐解けば中東・近東を始め中国インド古代社会で盛んであった事がち判る。中でも土星は「黒い太陽」と言われ、セム族のエル徴として長らく崇拝されてきた。その天文学的性質は遅滞者・老人・重鎮といったイメージに結びつき易く、また眼で捉えられる太陽系体の中では最も公転周期の長い体であったため、至高者、いは最古・原初といった概念徴としても崇められてきている。そのは現代にいても猶継続しており、土星外天体が発見され占術等に用いられる今にあってもそうした属性の帰する存在として位置づけられており、依然としてその重要性を損ねられていない。シンリズム的利用に至っては、環の発見などにより他の惑星よりも一層その形態的特質際立った事で、今日の方が却って盛んに用いられている程である。

本記事では土星歴史的にどのように崇拝の対となってきたかを論じていく。陰謀論などから土星崇拝を論じたものについては悪魔主義の項参照。

♄⚳

古代社会における土星崇拝

本項では世界各地の古代社会土星がどのような位置付けにあったのかを記述する。

オリエント

古代メソポタミア文明ではニヌルタ(Ninurta; エヌルタ、ニニブとも)と呼ばれる神格が崇められており、その名は「大地」を意味していた。ローマのサトゥルヌス同様農業の神であり、同時に戦いをる神でもあった。ラガシュの都市神ニンギルスと同一視されており、その徴とされるのが双頭の(ダブルイーグル)、そして土星である。
ニヌルタは農耕神という性格上とも深く関係し、歴史神としての性質も併せ持っていたという。これはギリシャ神話土星る神クロノスΚρόνοςが屡々時を意味するΧρόνοςと解される故時をる神という性質を持つ事にも通じる。英雄神としては怪鳥アンズーを退治したエピソードで知られる。
ニヌルタは後のアッシリアでも篤く崇拝されており、中アッシリア時代の王トゥクルティ・ニヌルタ1世(「が信ニヌルタに」の意)がアッシュールから北東約3kmのティグリス上流域に建設した港都カル・トゥクルティ・ニヌルタにも王の名を通しその名を刻んでいる。

時代が下り、アッカド・バビニアになると土星はゲンナ(Genna; 小さきの意)と呼ばれるようになる。これは聖書に出て来る地獄ゲエンナ (Γεέννα)に通じる。小さき者とは眼で捉えた土星が他の惑星のそれにしてかである事に由来するものと考えられる。

一般的にはトンデモ説の一つとされるが、ゼカリアシッチンの説によれば、シュメール人は土星が環を有している事を知っていた他、トランスサタニアンの存在も把握していたなど高度な文技術を得ていたと言われており、事実であればバビニアの時代にその技術は受継がれなかった事になる(若しくはシュメール人も土星の絶対的な大きさまでは知り得なかったか)。

※ニヌルタの他にはバビニア創造譚エヌマ・エリシュに登場する神アンシャル(Anshar)が土星に関係するという説もあるがこちらは天空る存在でありニヌルタとは正反対の性質を持つと言える。なおアンシャルは新アッシリアの時代サルゴン二世により、王内で熱心な崇拝を受けた都市アッシュールと習合されている。

ニヌルタの配偶神として知られるのがババ(バウ)で、ギルガメシュは二神の方の孫に当たる。ババはアナトリアの地神クベレ(フリュギアではクババと呼ばれていた)と同一視される事もあり、クベレはギリシャ神話に取り込まれるとクロノスの配偶神レア(土星衛星の一つにその名が付く)と同一視されることになる。

ギルガメシュは自らを「3分の2が神で3分の1が人間」と称していたといい、これは女神バンダが人間だった事に由来するという説があるが、系図ではバンダのウトゥもニンガルの血を引くシュメール太陽神である。

古代ペルシアのアケメネスおよびササン朝教となっていたゾロアスター教の一にズルヴァー(Zurvanism)がある。この教では善悪二神の背後に根的存在としてズルワーンという時をる神格を導入しており、教典に由れば土星はこのズルワーンの監督下にある惑星となっている。ズルヴァーはアケメネス後期にはその教義をほぼ確立し、ササン朝下でもであるマズダと並立していた。

エジプト

古代エジプト土星は「天空ホルス」と呼ばれ、ホルス神の徴とされていた。木星もまたホルス徴だったが、時代が下ると紀元1世紀のエジプト木星アモン徴とされていたのに対して土星は相変わらずホルスであった
また古代エジプトでは土曜日が週の始めとなる日であり、これはメソポタミア以来の慣習だったと言われる。ユダヤ人はこの習慣を反転させ土曜日を週の終わり、つまり安息日(Sabbath)とした。
最高神アメンとアテンを巡るエジプト内部での権力闘争にも土星が関係していると言われる。二神は共に太陽神とされているが、太陽神としてはラーが古くから存在しており、双方の崇拝者はラーと習合することによって太陽神としての地位を確たるものにしようと図っている(アムン=ラーおよびアテン=ラー)。
アメンととアテンが相反する性質を有していたとすればいずれかが太陽と相反する性質の徴としての土星っていたという可性がある。ラー神の側に「古き太陽」としての土星徴する性質が備わっていたとも考えられるが、いずれにせよエジプト神と崇められたのは太陽徴する神であった事に変わりはない。若しくは太陽を信仰するという行為が土星に対する崇拝と表裏の関係にあるという解釈も出来る。

ラーホルスには図像学的な酷似性もあり、ホルスの姿はの頭を持つ人の姿で描かれるが、ラーもまたの頭を持つ人をしている。違いはラーの頭上にはい球形のマークが戴かれている所で、更にその球体を取巻くように一匹のコブラがいる。

、あるいはアラビアでも部族を徴するとして扱われており、「クライシュの(Hawk of Quraish)と呼ばれる一群の旗章が有名である。これは同地、特にペルシャ湾域では伝統的に狩が盛んに行われており、ないしが一種のステータスシンボルとして用いられている事とも関係している。

火星もまたホルス徴とされ、「ホルス」という異名を持っていた。
†曜日毎に「リジェット」と呼ばれる支配が決められており、土星は第一日のリジェットだった。
そのもので表される事もあり、ラーと同様頭上にい球体を載せている他、「シェンの環」というシンボルを脚に掴んでいる。
アラビア語で共にصقر[saqr]。

ギリシア・ローマ

先述の、ギリシャ神話に登場する神クロノスウラノス(Ουρανός)を追放し新たな盟となるが、やがて自らも息子ゼウスに追放される。こうした三代にる権力の移行はそれぞれの徴する太陽系惑星土星[♄]→木星[♃]という序列に准えられた。
神々の名が付く前に、惑星はそれぞれの名で呼ばれており、土星古代ギリシャ語でファイノン(Phaenon; る者)と呼ばれていた。
キリスト教化しつつあった古代ギリシア社会において、土星について論じた人物としてまず挙げられるのは6世紀に活躍したネオプラトニスト、キリキアのシンリキウスSimplicius of Ciliciaである。彼は著書『体論について』で土星て「ヘリオス」と呼ばれていた事に言及している。この呼び慣わしはカルデアの時代に遡ると言われ、紀元前1世紀の歴史シケリアディオドロスDiodorus of Sicilyはカルデア人が土星(クロノス)をヘリオスの名で呼んでいた事を記録している。またカルデアの天文学土星は「太陽Alap-Shamasと呼ばれていた。

古代ローマではサトゥルヌス(Saturnus)という土星徴する神が崇拝されており、今日に至るまで曜日(Saturday)にその名を刻んでいる。惑星記号♄はこのサトゥルヌスが持っているったもので、これは同神が農耕をっている事に由来している。サトゥルヌスローマの関わりはその起当初に遡り、ユピテルに逐われた彼がラティウムに逃れてくるとそこで土着民によって匿われ厚遇された事に感謝し、未開人であった住民らに文明を授け黄金時代したという伝説が残っている
王政ローマ最後の王ルキウス・タルクィニウス・スペルブスによって紀元前497年(または501年)に建立されたと言われるサートゥルヌス殿Temple of Saturn今日でもローマ西部にその遺構を見る事が出来る。神殿内には大を持ったサートゥルヌスの木像がられており、例年12月17日から23日(25日とも)まで開催されたサトゥルナリア祭のときだけベールが解かれたという(ウェルギリウスなど)。
トゥルナリア祭は過といわれたクベレ祭を幾らか穏和にしたもので、クベレに対する祭では去勢した男性祭達が女装するなどの儀式を行っていたが、サトゥルナリアでは畜の性器を奉納する事で代わりとした。
クロノスと多くの性質が共通している事から、ローマ社会ではサトゥルヌスクロノス同一視されるようになる。
紀元前5世紀にアテネで造られた絵式には四頭のに牽かれたに乗って駆けるヘリオスの姿が描かれているが、デナリウス銀貨にもサトゥルヌスの姿をったものが今日に伝わっている。そこで彼はクアドリガに乗った姿で描かれており、"SATVRN"の刻印と共に彫り込まれている。これはギリシャヘリオスが四頭のに牽かれたに乗っている姿と共通であり、両者の同一性をばせる。
トゥルヌスミトラ教でも重きを置かれた神格であり、信徒の7位階の内最上位に当たる「パテル」の守護である土星と共にその徴とされた。

英語Saturnian days="黄金時代"という表現にもその面を残している。
†ウェルギリウスは『牧歌』第四節で「…新たな世紀の大いなる秩序が生まれる。旧きサトゥルヌスの御代も還る。…」と詠っている。またローマにはサトゥルヌ詩体と呼ばれる古来詩形が伝わっており、ギリシャ詩学が導入される以前は盛んにこ詩体が用いられていた。リウィウス・アンドロニクスによる『オディシア』(ホメロスの『オデュッセウス』の羅語訳)がこの形を用いた作品としては最も有名である他、グナエウス・ナエウィウスによる叙事『ポエニ戦役』が断片ながら現存する。

ローマ人にはサトゥルヌスに因む姓を持つ者もおり、紀元前2世紀の政治家ルキウス・アップレイウス・サトゥルヌスLucius Appuleius Saturninusや3世紀の将軍ガイウス・ユリウス・サトゥルヌスGaius Julius Saturninusが歴史に名を残している。また2−3世期前後にかけて、幾名かのキリスト教関係者がサツルヌスSan Saturninoとして記録されている(特にトゥルーズのが有名)他、フランスではSaint-Saturnin、Saint-Serninといったコムーネの名で各地に残っている。またこの姓は後代イギリスの劇作家ウィリアム・シェイクスピアの戯曲『タイタス・アンドロニカス』にサターナイナス(サトゥルヌス英語読み)という登場人物の名として用いられている。

古代中国

古代中国でも土星は重要な位置を占めており、鎮至は填と呼ばれた。鎮の姿を表すとされ天子として、世界を支配すると考えられていた。
また古くから民間信仰として伝わる九の内土星が係わるものは三つを占めており(二・五八白)、中でも五土星はその中央に位置し他の八を支配する最も強力なとされている。

※「土星」は北斗七星の第一の名でもあった。五行説の創始者と評される騶が五と五行を結びつけるまでは金火木土が惑星名には付いていなかったという。
南子十九 修務訓「鎮東行」、抱子内篇八「鎭独東」、史記官書:太「 歳在甲,鎭在東」など。
史記「斗為文太室填天子也」、「言五、其下之倚重下、以塡土故也」など。

インド

古代インド土星はシャニशनि(Shani; Śani) と呼ばれ、バッファローいはカラスに騎乗し矢を携える全身がい肌で覆われた人の姿で描かれている。シヴァなどと同様に多くの異名を持ち、アラ、コナクロダなどの名でも知られる。シャニは不吉をすものと考えられており、またし易く彼を動転させた者に対して逆襲を果たすと言われる。数あるシャニの異名の中で際立っているのがラヴィナンダナで、これは「太陽の子」を意味しており、インド神話においても太陽土星が深く関係付けられている事を現している。
インド術(ナヴァグラハ)で土星徴するのは「苦悩、貧困、疾病、障害遅延、制限、寿命、労働、奉仕、犯罪民主主義、改革、奴隷神経」といった事柄である。ヴェーダでは土星シャナイシュチャラと呼ばれ、これはサンスクリット語で「ゆっくり動くもの」を意味する「シャニシチャラ」から来ている。
インド土星マンダमन्द(サンスクリット語で「遅いもの」)という名でも知られる。これは土星が五惑星の中でもその公転周期の長さから最も遅く運行しているように観測される事に由来する。

※新バビニアでも土星マンダの名が与えられていた。マンダポントス・カスピ海原にった部族であるキンメリア人とスキタイ人をす呼称でもあり、更にユーラテス以西のセム系部族(マナセ族と推定されている)に対してUmmân-Manda(「マンダ国家」の意)という名称が用いられている。

土星徴するヤントラ(タントラの行者が瞑想の際に用いる幾何学的図像)の中央には六芒が描かれている。

アフリカ

ガーナの土着信仰ではアメン(Amen)という神が登場する。これはオキィム(惑星)の一つである土星の名であり、またそれが神格化したもので両性的な属質を備えている。これはアカン人によって受継がれており、また彼らはアボゾム(abosom; 単数形はobosom)という霊神を崇拝しており、土星の化身であるものはアメン(Amen)またはアメン-メン(Amen-Men)と呼ばれている。アメン-メンは万物の創造り、また越者ニャメワァ=ニャメの本体たるアーバゥデーの統御体を支配しているとされる。

中南米

ユカテク族の言い伝えで土星は「雌ワニ」という名称が付いていた。また双子英雄に伝えを届ける(Laughing Falcon)は土星を表していると考えられている。

アラビア

アラビア語圏で土星はザハル、ツハールゾハルなどと呼ぶ。これらの語はアラビア語のズハルzuhal「引返す」から来ているとされ、それ故土星は「引返す者」という名が付いている事になる。
またズハル土星を人格化した女神の名でも知られ、アマレク族に勝利メッカを制圧したイエメン出自のジュルフム族Banu Jurhumによって崇拝を受けていた。彼らはアラビア半島のカハタニ部族に属し、失われたアラブ(Lost Arabs)と呼ばれる古いアラブ族の1つである。ジュルフム族はアラビアの言い伝えに拠ると聖書の登場人物ハガルとその子イシュマエルを保護したとされており、またイシュマエルとそのアブラハムによって再建され巡礼の地に定されたカーバ神殿を中心とした崇拝活動に深く関わっていた。またある伝承ではジュルフム族のカーバ神殿に対する守人としての役務は彼らが南方のクザーア族Banu Khuza'aによって同地を逐われた際に失効したとされている。
ハルはまたナクルやカイワーンの名で男神として崇められ、後者はカルデア人やヘブライ人の部族によってキーユーンכִּיּוּןとして崇拝を受けていた

旧約聖書アモス書の一節に「…却って方方の王シクテを担い、方方が自分で作った方方の偶像、の神キウンを担った」[5:26]とあり、このの神キウンは土星の神格化であると解されている。また新約聖書使徒言行録に記されるの偶像としてられるロンパ(Remphan、Rephan)をこのキウンと同一視する説がある。

その他の地域

古代アルメニア土星はイェレヴァク(Երևակ; Erevak)と呼ばれていた。この名は先に挙げたギリシャでの土星の古名ファイノン(る者、明らかな者)と意味の上でも良く一致している。またアルメニア首都イェレヴァン(Երևան; Erevan)とも音が近い。

北欧ケルト人の拠点だった西欧ゲルマン人の伝説が数多く残る中欧には古代に土星崇拝が行われていたと見られる事やそれをわせる逸話は特に残されていない。北欧神話ケルト神話に登場する神々やその属の名は現代天文学では北欧群(Norse Group; 逆行軌を持つ)やガリア群(Gallic Group; 順行軌を持つ)と呼ばれる土星の外部衛星集団の各構成体を名付ける際に用いられている。

古代日本では先ず神道崇拝をわせるような祭がなく、また大和言葉にも惑星という概念やそれをし示す単語が存在しない。それ故土星の和名と思しき固有名詞を見出す事も出来ていないが、安土星(あづちのほし)と呼ばれるのが土星の和名ではいかという説がある。また西南戦争の年に大接近した火星を当時の民は西郷と呼んでいたが、この時土星がその近くに位置していたことからこちらも桐野という名が付けられた。土星に対して用いられた和名として確かなものはこの桐野がある。

太陽る神格としては天照大御神が、月詠尊がいるため日崇拝は古くからあったと思われるがそれ以外の体に対する崇拝の跡がない。
茨城県水戸市飯富町には安土星(あとぼし)という地名があり、古墳などが残っている。ただし後(あとぼし)はアルデバランの和名の一つであるためこちらに因んでいる可性も高い。

♄⚳

中世における土星崇拝

中世の始まりとされる五世紀頃からは各地で様々な哲学思想や神秘義が勃し、その多くが政治運動などに関与していく事になるが、本項ではそれらがどのように土星崇拝と関係していたかを論ずる。

イスラム神秘主義

イスラム術の大家アブー=マーシャル(アリストテレスの「自然学」や「体論」にあるギリシャ哲学理論を占術と融合させた最初の人物と言われる)は 土星と深く関係を持つ職業として「宦官奴隷、一般大衆」を挙げていたという。また8-10世紀に掛けてイラクバスラを中心に活動した清浄同胞団 (the Brethren of Purity;اخوان‌الصفا)は天文学や星術を考究し、その中で土星を第七目にして最高位に位置す天体と見做していた。これはイスラム化 以前の中東社会からい辰崇拝者達が改宗しイスラムコミュニティの中で活躍していく中で、その知識を秘教的に取り入れていく事でイスラ星術の体系が 完成していった物と考えられる。

カイヴァーン思想

ペルシア語土星カイヴァーンکیوان‎‎と謂い、文学などでも最高位を表す言葉として用いられて来た。人名にも屡々現れ、16-17世紀に活動したゾロアスター教の高僧の尊称アザルカイヴァーンآذر کیوان(「炎の土星」の意)が有名である。

カイヴァーンはペルシアからインドに移住、そこで自らの思想体系を錬磨していく。この思想の背景には15世紀前後からペルシア内で徐々に沸き立っていた救世主への待望があり、イスラム化したペルシア本来の民族宗教であるゾロアスター教を改革しこれに応えようとする試みであった。

カイヴァーン思想とその政治運動は彼の死後瓦解に向かうが、その流れをむ教今日に息づいている。

サバタイ・ツヴィ派運動

ヘブライ語土星はシャベタイשַׁבְּתַאיと謂い、これは17世紀のスファラディ偽メシアが名乗った名シャバタイ=ツェヴィשַׁבְּתַאי צְבִי「シャバタイ(土星)の治権」に有名である。またユダヤ神秘義で土星は第3のセフィラであるビナーבִּינָה(Binah; 理性・悟性)に対応する。この位置に座する天使はヅァフキエルצפקיאל(「エルの智」の意)で、名はイェホヴァ・エロヒムとなっている。クリフォト側でこの数はサタリエルסתריאל(「エルの封隠」)が当て嵌められている。

サバタイ運動導者ツヴィのイスラム改宗で一旦幕を閉じるが、運動の余波はヨーロッパ各地にも波及し、フランクなどの流れを生み出す。しかしこちらも信奉者達のキリスト教への集団改宗という形で終息している。

ルネサンス

15世紀のルネサンス魔術を基礎にしたと言われるグリモワールソロモンの鍵Key of Solomonにはアギエルאגיאלという名の霊体が登場する。アギエル土星の知性をり、また土星の霊体群の宰を務めるザゼル(またはアザゼル)と並び称される。「土星の封呪」The Seal of Saturnはこのザゼルないしアギエルシンボルで、∧と∨を互い違いに組合せた形になっており、ZAZEL AGIELの刻印と共にシンボルとして使われる。

ヨハネの黙示録に登場する七天使(archangels)の補に挙げられるオリフィエルעריפיאל(「エル気」の意)土星徴しており、ルネサンスの神学者にして魔術師アグリッパ・フォン・ネッテスハイムらが製作した『大天使カレンダー』に拠ると紀元前200紀元後150年にかけての350年間がオリフィエルの支配する期間であったという(それに拠ると現在ミカエルの治下にあり、次のオフエルの世は27世紀頃、いは25世紀初頭とされる)。
BC20~AC150年という時期はキリストの誕生と死というキリスト教徒にとって最も重要な出来事をその中間に据えており、キリスト教においても土星が枢要な地位を占めていること窺える。
同じく七天使の一にあるカシエルקפציאלも、土星および第七を支配する存在として描かれている。

オリフィエルを最初に七天使に席したのは大聖the Greatと呼ばれたローマ教皇グレゴリウス一世(在位590 - 604年)とされる。

錬金術

錬金術いて太陽(sol niger)は土星徴とされ、その工程の中の「」(ニグレド)に相当するとされた。また土星に喩えられており、saturnism「」という用法はここに由来している。二宮との対応では磨羯宮Capricornの支配Domicilei土星が充てられている。


♄⚳

近代以降における土星崇拝

近代以降に結成された土星崇拝と深い関わりを持つ組織としては1926年に結成された魔術結社の土星同胞団Fraternitas Saturni)がある。土星同胞団魔術師アレイスター・クロウリーの流れをむ一で、現在も活動を継続している。

公式には1928年ベルリンで創設された。

文学作品では、フランスフランス詩人ポールヴェルレーヌが1867年に『土星』(サテュルニア集Poèmes saturniens)と題した処女集を出版している。

土星に因むシンボル・像も企業・団体によって数多く使用されてきており、アカデミー賞などと同様秀逸であるとの評価を得た映画TVドラマなどで開されたSFファンタジーホラー作品が受けるものとしてサターン賞(Saturn Award)と名付けられた賞が1972年から開始されている。本賞の受賞者に贈られるトロフィー土星モチーフとした形になっている。

土星崇拝に見られる共通性

現代において土星はその徴する性質から連想されるものは基本的にはどれも重く、陰としている。占術にいても屡々という扱いが為されているように、それは困難や苦難を与える「試練の」として知られる。

一方古代社会ではサトゥルヌスの様に黄金時代す存在として崇められたり、眼で観測できる惑星の中では最も等級が低いにも拘らずそのきが太陽に喩えられるなど並々ならぬ存在感っている。しかしこうした黄金時代すそのきにて翳りが見え始め、終には後世の手によって(かつて自らがした如く)放逐されるという結末を迎える。
そして在りし日の姿を懐かしむ人々によってその再来を待ち望まれるという様式が確立されており、中世いて土星の名を掲げ改革、世直しをスローガンとして民衆の前に馳せ参じた救世者を称する者達もまた困難に直面し挫折、運動や思想も本人の死を以って歴史の表舞台からは姿を消している。

歴史的な大事件や重要人物は全て、うならば二度繰り返される」とヘーゲルは言い、マルクスはそこに「一度は悲劇だが、二度茶番劇」だと付け加えた。これは正しく気鋭の改革僧侶ザルカイヴァーンとそれに遅れる事一世紀にして現れた偽メシアサバタイ・ツヴィの二人をして言っているのだとすれば、マルクス歴史に対する洞察眼は同じユダヤ人に対しても遺憾なく発揮されていたと言って差支えない。

土星崇拝と太陽の関係

土星太陽を関連付ける記述もまた各地に伝わる伝承から読み取れるが、太陽土星のどちらがより古いものとして位置づけるかはそれぞれ異なっている。土星の姿形は環を有している事で、恒星である太陽とは明らかに異なるものだが、太陽とそれを取り巻く諸惑星、およびアステロイドベルトは見方によっては環に相当するものであるとも言える。

シンリズムや数秘術の上では土星太陽は異なる系統が当てられている。太陽と関連付けられる数字は8,16といったもので、一方土星は6や9,12といった数字徴されているなど、両者の間には明らかな差がある。太陽を表すシンボルは☼、☉、太陽十字(○の中に+を入れたマーク)といった物であるのに対して、土星は♄や〇とそれを取り巻く環(やや傾いた度で付けられる)で描かれる。

ユダヤ教と土星崇拝の関係性

ユダヤ教は、他の宗教較してもそれに劣らず、寧ろ特に強い結び付きを土星に対して有しており、研究者によってそれが明らかにされてきている。
古くはジョルダーノ・ブルーノがここに注しており、近年の研究によってもその点が重要な箇所として挙げられている。また土星ユダヤ人ユダヤ教についての論文や著作等もこれまでに発表されている。

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