「のみならんや」は「だけだろうか」です。
反語ですから「だけだろうか。いや、それだけではない。」
という意味が含まれています。
ご質問は、孟子の一部ですが、省略されているところを
文脈から補わないときちんと理解できないと思います。
まず逐語的に訳せば
食の重大な局面と、
礼の軽い局面とを比べるのなら、
どうしてただ食のほうが重いとだけ言えようか。
言えるわけがない。
となります。これに前後の文脈から言葉を補ってみると
(飢え死にするかどうかという)
食の重大な局面と、
(普段の食事作法といった)
礼の軽い局面とを比べるのなら、
(それは当然、その局面同士に限っていえば
食の方が重大だと言えるけれど、それによって、)
どうして
(比較条件を無視して)
ただ食のほうが重いとだけ言えようか。
(もともと比較の仕方が間違っているのだから、
間違った比較によって、いつでも食のほうが重いとだけ)
言えるわけがない。
(正しく比較すれば礼のほうが重いことがわかる。)
最初の任人の質問が食の重大な局面と
礼の軽い局面をわざと比較して、
比較の仕方の間違いを無視して、
食の方が重いんじゃないかと誤認させています。
それを、孟子が、高い山や塔と短い木切れも、
根元をそろえずに先端だけ比べれば
木切れの方が高いとも言えるのと同じだし、
金属の方が羽毛より重いといっても、
小さな金具の方が車一杯の羽毛よりも重いわけはなく、
それと同じで、間違った比較の仕方をしているのだと
指摘しています。
そして、正しい比較の仕方として、
飢え死にしそうなら兄に暴力をふるうという
非礼を働いてでも食べ物を奪うのか。
結婚するためには隣の家の娘を攫ってくるのか。
という質問を設定し、
そのように、きちんと比較すれば、
食や色よりも礼の方が重いということが
はっきりわかるだろう、と言っています。
「なんぞただに食の重きのみやらんや。」のフレーズは、
前後に言及している部分は省略されています。
ですから、前後の文脈を読み取って、
省略されているところを頭の中で補いながら
読む必要があります。
漢文は、わりとこういう反復を避けた省略が多いです。
漢文が苦手な生徒は、こういう、文脈から読み取って
補ってて解釈するのが苦手という場合が多いでしょう。