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不登校は甘えなのか?という質問に対して、理由による、という回答に違和感を覚えます。 ここのカテゴリでは、いじめなら不登校でも許されるけどただの怠惰なら甘えだ、というような意見をよく見かけますが、意味が分かりません。 いじめで不登校なら仕方ないけど、他の理由なら不登校になっちゃいけないの?? そもそも1人1人性格も違うし、頑張れることや考え方も違うと思います。 本当は他に色々な事情があるのかもしれません。 みんながみんな一緒ではないのです。 そして、どんな理由で不登校になってもここの人達に迷惑をかけているわけでもないのに、毎回毎回長文でお説教のような回答をしてくる人がいますが、それって自分のやっていることが正義だと勘違いしてただ自分に酔ってるだけですよね。 私が言いたいのは、どんな理由で不登校になってもそれは絶対に甘えではない、ということです。

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回答(8件)

いじめ以外の理由で不登校になっていてこういう場で責められるのが嫌だから自己弁護しているのですか? ハッキリ言いますが、いじめ以外にありがちな友達と気まずくなったからとか学校行こうとすると気分が悪くなるとかそんなものは甘え以外のなにものでもありません。 人は誰しも苦手なモノがあり、例えば何かの授業で発表があってそれが苦手だと言う人はその日は学校に行きたくなくなります。 それでも皆頑張って行ってるわけですし、それが人としての成長に繋がり、成人して社会でやっていけるような人間になるのです。 そういうのから気分が優れないので欠席、挙げ句の果てには不登校。 これを甘えと言わずしてなにを甘えというのですか? まあ甘えた結果だろうと不登校になること自体は個人の自由なので好きにすればいいです。 ただその結果、人として成長できずに将来苦労しても他責しないでください。 大人になってもそんな甘えた理由で働けないとか言って生活保護受けるようなことはやめてくださいね。 そんな甘ったれの為に税金納めているわけではないので。

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考え方は人それぞれなんでしょう?ならば、回答が一緒でないことも当たり前では。あなたの意見は「どんな理由で不登校になってもそれは絶対に甘えではない」だけど、他の人の「甘えだ」という考えも、「理由による」という考えも、人それぞれの意見があって当たり前ということになりませんか。 そもそも「不登校は甘えかどうか?」という疑問自体に意味があるんですかね? 甘えじゃなかったら行かなくていいのか。 甘えだったら行かなきゃいけないのか。 信念を持って学校へ行かない愚か者もいれば、 信念を持って学校へ行かない賢い子もいると思うし、 本当は行きたいけど、精神的に病んでいて行けないという事情がある子もいるでしょう。 でも、これはおかしいと思う。 >私が言いたいのは、どんな理由で不登校になってもそれは絶対に甘えではない、ということです。 いくらなんでも「絶対に」とはならないと思いますよ。 「文字も読めず足し算引き算もわからないけど、勉強なんてしたくない。行くのも面倒だし、親に寄生して一生家で遊んで暮らしたい。だから学校には行かないし勉強も一切やりません。」という子がいたら、それも甘えではないといえるのでしょうか。

>そもそも1人1人性格も違うし、頑張れることや考え方も違うと思います。 本当は他に色々な事情があるのかもしれません。 みんながみんな一緒ではないのです。 それ言い出したらどんな質問も「人それぞれなんで笑」って答えしか正解じゃなくなるじゃん。 甘えなのか?って聞いてきてるからそれに対する回答者の答えを書いてるだけってことでしょ。 >私が言いたいのは、どんな理由で不登校になってもそれは絶対に甘えではない、ということです。 これだってどこにも根拠もなく、ただただ質問者さんのお気持ち表明でしょ。 聞かれてるからみんな自分の考えを書いてんでしょ。 質問者さんがしていることと同じ同じ。

>そもそも1人1人性格も違うし、頑張れることや考え方も違うと思います。 これが答えなのでは? 考え方はそれぞれで、お説教をする人はすごく頑張れる人なんだと思います。 質問をするから回答がつくのは当たり前で、ここでは思っていることを書くことができる場所なのだから仕方がありませんよね。ここの人たちに文句を言われたくないならここに書かないことが一番です。 私も子どもには「いじめじゃない限り行け!」 と言っています。子ども自身毎日「行きたくないと」と2学期になってから毎日言っていて、あまりにも毎日なので「じゃー行かなくてもいいよ。今日休んだら?」といえば、「ここで行かなかったら不登校になりそうで嫌だから行く!」と言って行きます。 私は葛藤をする事はとても大切なことでこの子はとても強い子と思っています。(もちろん、私自身も担任とやり取りし、スクールカウンセラーにも子どもには言わずに通ってどうしてあげるべきか学んでいます) 不登校が自分にとってメリットなのか、デメリットはないのか、不安はないのか、すべきことがないのかそれを考えられているなら意味のある時間なのかもしれません。 でも、「どんな理由で不登校になってもそれは絶対に甘えではない」と「絶対」まで言い切るのは良くない。私自身、中学の時にオール4タイプで5を取ったことがないのですが、そこには甘えがあったと思います。勉強をしたくない気持ちが5になれなかったと。今も毎日走っていますが、今日は仕事で疲れたからと5分短くしたりします。甘えです。 甘えは誰でもあります。大人だってあります。毎日のようにあります。それを認める事も大切なことです。学校に行っていても、授業中寝ていたり、ノートを取らなければ甘え。 その中で今日は少し頑張ってみよう、今日は普通なことを普通に出来たと褒めてあげれたらいいと思います。 この先どうしたいのか、不登校だけど勉強はしようとか、規則正しい生活はしようとか、病院に行くとか自分のために行動する事は大切だとは思います。

そもそも不登校の何が悪いのかが明確ではない曖昧なものなので、この手の議論はあまり意味をなさないです。例えば不登校から、進学して大学に行く人は、果たして甘えなのか?というと、明確にそうとは言えませんよね。一時的に環境が合わない事は、大人達にだってあるわけで、それを甘えという括りだけで定義するのは、あまりにも浅はかな認識としか思えません。 例えば、学校に行かず不登校だった人が必ずしも就職ができず、集団になじめず、100%引きこもりになるのかどうか。これを明確な根拠に基づいて証明できる人はまずいません。あくまで不明確な確率論の中の話にすぎず、この不明確な確率論を正しいと思い込んでいるから、不登校は甘えとか、不登校では生きていけないという愚かな判断になるのです。 あくまで価値観の問題で、要するに「みんなが同じ事への強制」にすぎず、それ自体に無理がありすぎるのです。