「お花畑」7 「お花畑」ではすべてが健康的で「キレイキレイ」です。 醜いことがあってはならないのです。 例えば、 我々はみんな人間なので、しゃべれます。 肉体的な問題がないのに、しゃべれない… そんなことはない、いや、あってはならないのです! そして「お花畑」では「あってはならない」ことは「ない」のです(笑) なので、そんなことがありそうな場合、 「彼はしゃべれない」とはならず、なりようがなく、 「彼は英語が苦手だ」となるんです(笑) 「ドイツ語は苦手でね」と言う人は単に「ドイツ語が苦手」であって、 決して「英語が苦手」を隠すためにそう言った訳でない様に、 「英語が苦手」な人は文字通り「英語が苦手」であって、 「日本語が苦手だから英語も苦手」ではないんです! そんな「あってはならない」ことは「ない」のです! お前、何を変なこと言ってるんだ!と言われそうですが(笑) この「変なこと」を言ってるのは私だけではありません。 日本にいる、もしくは、長期滞在したことがある外国人の多くが 似た様なことを言ってるみたいです。 以下、寄せ集めですが、様々な外国人の声: "Deep relationships are hard to come by (in Japan)." 「(日本で)深い関係を築くのは難しい。」 "Most relationships are very surface-level (in Japan)." 「人間関係の多くは非常に表面的。」 "(Japanese) people are so good at putting on an outward face and covering up their true selves." 「人々(日本人)は外向けの顔を取り繕い、本当の姿を隠すのが得意。」 "I try to start a conversation... and it just dies." 「私が会話を始めようとします…すると、消えてしまうんです。」 "I ask questions, and they reply politely... but no follow-up, no questions back." 「私が質問すると、彼ら(日本人)は礼儀正しく答えてくれます… しかし、フォローもなければ、質問に対する質問もないんです。」 "One of my colleagues said that most Japanese people don't have deep conversations and only talk on a surface level." 「私の仲間の1人によると、ほとんどの日本人は深い会話をせず、 表面的にしかしゃべらない。」 "It's hard to find open-minded people for deep conversations, especially in a second language." 「深い会話ができる心開かれた人をみつけるのが難しい。 特に、二番目の言語(外国語)で話す場合。」 質問: 日本人は「英語ができない」から「外国人と会話ができない」のか、 それとも「(日本人どうしでも)会話ができない」から 「外国人と英語で会話できない」のか? どっちなんでしょうか?