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いじめや戦争、差別といったものは、なぜ人類の歴史の中でずっと繰り返されてきたのでしょうか?ニュースを見ても、学校や職場の話を聞いても、どこかで必ず存在しているように思えます。 人間の本能や欲望、集団心理などによる「避けられないもの」なのか、それとも教育や社会の仕組みを変えていけば、本当に少しずつでも減らしていけるものなのでしょうか。 未来の世界で「いじめや戦争、差別は過去のものだった」と言える日は来ると思いますか? もし可能だとしたら、どんなことが一番大切だと考えますか?

回答(6件)

戦争がなきゃ戦争の話題で言い争い始めるのが人間で、 平和の為にと言い出しといて考え違うと罵り始めたりもしますから、 もう誰かと争いたくて我慢できないのです。

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いろいろな例があると思いますが、1番よく聞くのは資源が限られているからじゃないかなと思っています。 例えば、日本が第二次世界大戦を起こした理由と言うのは、アメリカが持っているエネルギー資源を日本も自由に使えるようにするためにしたとされています。 他にも今よく聞くのは外国人差別や移民に対してのいじめですが、その背景には賃金の安い外国人が入ってくれば自分達の仕事が奪われる、治安が悪化して犯罪に巻き込まれるなど仕事や場所などに限りがあるから、今その資源を持っている人たちが、それらを奪われないようにするために差別やいじめ、または戦争をするのだと思われます。 だから、もし将来、いじめや戦争などが過去のものだったと感じるようになるためには、安心して一生全人類が暮らせる世の中にならないと難しいと思われます。 だからSFの話ではあるんですが、例えば全人類がデジタル空間の中で暮らせるようになり、仕事をしなくても一生遊んで暮らせるようになったり、また好きな食べ物や恋愛などもコンピューターに指示すれば簡単に手に入る世の中になれば、当然ながら今まで仕事が奪われる、資源がなくなる問題はなくなると思います。 まぁ、もちろん自分の好きなアニメを侮辱されたとか、恋人に手を出されたなどのトラブルは起きると思いますが、それはおそらく個人レベルの話となり、戦争などの社会レベルの歪みや差別などの問題はなくなるのではないかなと思って、全人類が死ぬまで一生楽しんで暮らせるようにならない限り、戦争や差別などはなくならないと思います。

それが人間の本質であり本能だから。 道徳やモラルなんて人間が精神的に生み出した後付けのルールでしかなく、本能に合わないものも多いです。

いろんな考え方があるから(´・ω・`) 人っていろんなことを考えいろんなことを思うわけで、みんなそれぞれそれが正しいと思ってるんですよ(´・ω・`) そして人によって考えた方が柔軟な人と頭の硬い人がいて、他の意見を受け入れられなかったりもする。人によっては話し合うことで受け入れられるようになる人もいるけど、強引に考えた方を通そうとする人もいる。だから戦争やいじめが起きるんです。 社会って物に例えるなら美術館に飾ってあったりする絵画なんですよ。例えば絵を描くとき赤色一色しかなかったら素敵な絵は描けないし、赤と白だけでも絵は描けない。赤に白に黄色にと色んな色が揃って初めて彩豊かな絵になるんです。社会だって同じことでいろんな意見という名の色があってそれが共存しているから彩豊かで素敵な社会になるんです(´・ω・`)

「動物」だからです。 動物のルールは「弱肉強食」ゆえに戦争、犯罪すらルールにはなく、強い方が正義、弱い方が悪…と言うルールのみが存在しているからです。 そういったルールになったのは、「種の保存」が関係しています。 例えばいくら強大な力を持った恐竜でさえ、環境の変化には耐えられなければ絶滅します。 その絶滅した理由はわからずとも(いろんな説がある)環境の変化に弱かったから絶滅した」とは言えます。 その際にも、どういったジャンルか?は限定で来ませんが、その時々の環境変化に強い種が生き残るわけです。(氷河期=寒いことに強い種や、個体) 限定できない=なんだかわからないが「強い方が良い」という遺伝子情報が組み込まれている…と解釈してください。 なので、”とにかく”、腕力、言葉等においても強い個体が生きのこれる…と言うような遺伝子情報が人間の中にもあります。(前提1) 人間のルールは「法の下の平等」であり強いものも弱い者も「国」と言う強者に従うシステムになっています。 その「動物のルール」→「人間のルール」に変わったと思われるのは、紀元前1700年くらいのことだと言われています。(前提2) そこから数千年を経て ①明治初期に「復讐禁止法」が制定されました。 国による仲裁が正式化した… ②昭和の時代では「いじめられたらいじめ返せ」「やり返さないお前が悪い」と言う価値観が一般的でした。 ②平成に変わるころですら「いじめられたらやり返せ」がかなり多く… ③令和の現在でも「いじめられたら復讐するには?」と言う思考をする人間が9割がたを占めます。 これ、「感情的思考」=「動物の思考様式」であり、正当な思考は「いじめられたら法的解決を含む論理的対応」が「人間としての思考」=「論理的思考」と言えます。 いじめの対処法を愚遺体的に言うなら、いじめられたら「法的解決」(解決機関₌他人が解決)→法的に解決するには「証明」が必要→証明するには「証拠」が必要→「証拠取り」に尽力すべし…と言えますが、ほぼそういった「常識」ができていません。常識なのに… これは何の人間間のトラブルでも同じです。 戦争は仲介(解決)組織が存在しない「国vs国」というために、ほかの問題よりもなかなかなくならないと言えます。 つまり、いまだ人類の大半が「感情的的思考=動物の思考」で動いているからですね。 数千年かかってやっと1割くらいじゃないですかね? ちなみに「いじめ、犯罪等は厳罰化したほうが良い」と言うのも感情的思考でしかありません。 デメリットの思慮がすっぽり欠落しています。 10割は程遠い話ではないでしょうか?