茶道教室を辞めようか悩んでいます。 茶道を習い始めて1年程になりますが、先生との相性に悩み、お教室を辞めようか悩んでいます。 お稽古は毎週土曜にあり、月謝ではなく都度払いの教室に通っています。 「社会人の方はお仕事や家庭の都合もあり、毎週くるのが難しいだろうから」との理由で都度払い制をとられており、(様々な理由で)お稽古の優先度を上げられないものの、お茶を学びたい生徒にもご理解のある先生なのだと思い、こちらの教室に通うことにいたしました。 ある時、仕事や半年前から予定していた友人との予定が重なり、1回しかお稽古に伺えない月がありました。(友人との予定があった日は土曜ではなく、先生のご都合でお稽古が別の日に振替になった日でした) 1回しかお稽古に伺えないことをお詫びすると、「お稽古の優先順位が低いのね。お仕事なら仕方ないけど、その他の用事なら、私ならどんな予定があってもキャンセルしてお稽古に行くもの」と怒られてしまいました。 これを機に、先生の私に対する態度が厳しくなり(それまでは大変可愛がっていただいていました)、お稽古に伺うのが憂鬱に感じるようになりました。 (どのお教室もそうなのかもしれませんが)準備からお終いまで、先生のお考えを察して動かねばならず、意に沿わない動きをすると金切り声を上げて怒るのが毎週です。 毎週準備の段取りが変わるので、歴の浅い私は全てを察することが難しく、先生にご指示を仰ぐのですが、ある週は「指示通りに動け、言ったこと以外やるな」と言われ、ある週は「察して動け、なんでも指示させるな」と言われ、そういった態度にも疲れてしまった部分もあります。 また、先生の意にそぐわない生徒さんがいらっしゃると、その生徒さんがいないところで、他の生徒さんに愚痴を言う場面もよく見かけ、私自身も愚痴を聞かされることが多々あり、反応に困る場面が多々あります。(お話を伺うと、もちろん生徒さん側にも問題はあるのですが…) 辞めようと思った最大のきっかけは、お茶会を欠席するとお伝えした時の先生のご対応でした。 お茶会の日はお稽古のある土曜とは別の曜日だったので、あらかじめ予定が入らないようにしていたのですが、業務都合にて仕事を優先させねばならなくなってしまったこと、お茶会には友人を招くように言われたのですが、私の趣味に友人を付き合わせるのも申し訳なく(小さな子供のいる友人や、遠方の友人ばかりなため)、招待できる友人がいなかったことなどもあり、きちんと理由をそえてお茶会を欠席する旨を連絡したところ、連絡した後のお稽古で、先生から「そんな長々とした連絡を送ってくるな、要件だけ送ればいい」と怒られてしまい、その日のお稽古では目を合わせていただけませんでした。 お稽古に出ることが大切なのも、お茶会が茶道をやる上で大切なお稽古なのも十分理解はしていますが、お稽古を最優先させることは私にはできません。 茶道自体は好きで続けたいと思っているのですが、どのお教室もこのような感じなのでしょうか。 また、今のお教室を辞めた後、別のお教室に通うことは可能なものなのでしょうか。 ご意見をいただければ幸いです。

補足

教室に通う以上、 ・お茶会への出席は必須なのか ・その場合、必ず友人を招待しないといけないのか ・先生が終始怒る(厳しい態度をとる)のはどこのお教室も同じなのか ・今の教室を辞め、他の教室に移ることは可能か について、ご意見頂戴できれば幸いです。

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ThanksImg質問者からのお礼コメント

ご丁寧な回答をいただき、ありがとうございました。今のお教室は一旦辞め、ほとぼりの冷めた頃にアドバイスいただいたことを踏まえて新たな先生を探したいと思います。 大変参考になるご回答、ありがとうございました。

お礼日時:8/5 20:00

その他の回答(8件)

よう似たようなお悩み、実のところ私もこれまでに何度か耳にしてきました。 さて、これはあくまで私個人の考えになりますけどもな。 まずは、「あなたが茶道をどのように捉えてはるのか」というところが、やはり一番大事なことかと思います。 茶道というものを、ご自身の心の拠り所として、長く寄り添うように味わいたいと思ってはるのか。 それとも、もっと本格的に、将来的に師匠として後進を導いていくような道を思い描いてはるのか。 もし前者、つまり「わびさび」や季節の移ろい、人と人との間合いや空気、そういうものを静かに楽しむような、心の豊かさを求めてはるのでしたら、正直なところ、何もそこまで悩まれる必要はないのとちゃいますか。 あなたが「ここは自分に合わへんな」「心がすり減るな」と感じてはるなら、その感覚は、ちゃんと大事にしてあげたらよろしいと思います。 そもそも茶道そのものが、「静けさの中に、自分の心と向き合う時間を持つ」ためのものですやろ。せっかくのその時間が、毎週のように重苦しうなってしもてるのであれば、それはもう、本末転倒やないでしょうかな。 世の中、どこにでもいろんな方がいてはりますし、それは茶道の世界でも同じこと。欲やしがらみや、人間模様が入り組んでいることも多いもんです。 そやけど、それに振り回されて、自分が茶道そのものから離れてしまうのは、なんとも惜しい気がいたします。 あなたが「続けたい」という気持ちを持ってはるのであれば、あなたに合った先生を見つけて、無理なく楽しむというのが、ほんまの意味での「お稽古のあり方」ちゃいますやろか。 師匠とのご縁というのは、なかなか簡単には見つからへんもんですけど、それでも「この人となら続けていける」と思えるような方との出会い御縁は、きっとあると思います。 それに、茶道は流派もいくつもありますし、流派が変わったところで、基本の所作や大切な心は、根っこの部分で通じているところが多いです。 今の流派がご自身にとって居心地が悪いと感じはるなら、他の流派で、新たな形で茶の道を楽しんではるのも、立派な選択やと思います。 何よりも、茶道を通じて得られるものは、静かな悦びや、自分だけの時間や、ほんの一瞬の風の音でさえ美しいと感じられるような感性やと思います。 せっかくそういう世界を味わいかけてはるのに、毎週のように先生の顔色を伺って、びくびくして通わなあかんようでは、あなたご自身が可哀想です。 どうか、ご自身の「続けたい」という気持ちを何より大切に。 茶道の本質に向き合えるような、そんな場所と先生との御縁と巡り合っていただけたらと、心から願っております。

お茶のお免状いただくのに面接などありませんから、いろんな先生がいらっしゃいます。 ヒステリックな方も見てきました。お茶で多いのは、自分が習ってきたことが絶対正しいと思っていること、それで言い合いになってるのも見てきました。 勿論、温厚で誠実な方も沢山いらっしゃいます。 土曜日で都度払いとのこと。 最近この形式を取らないとお弟子さんが集まらないからかもしれませんが増えてきましたね。ただ、この形を取ると生徒さんも来れるときだけ来るということで、来てみたら、2人しかいなかったとか、お稽古する先生も大変なのではと思いました。 私は他人に対して、声を荒げたり、喧嘩しないように、相手の言い分、またはどうしてこう言っているのかを相手の立場も考えるようにしてます。 お弟子さんの人数は多いのでしょうか? お茶会は基本、呼ばれる側も知識は必要なので、何も知らない誰でもいいから連れてきてにはならないと思います。私の場合、茶事なら、生徒さんの人数が多いなら亭主側と客側に分かれてしたり、先生の社中でお茶会をする(亭主)なら、先生のお知り合いに正客、その他の客を頼んだりするのですけど、ノルマのように誰でもいいから招待してっていうのはないですよ。 先生はそのヒステリックさでお仲間がいないのでしょうか。 それと、お茶会のあなたの役割はお点前とか、半東とかではないですよね? お点前とかなら、キャンセルされたら先生も困ると思いますので。 読んでる限り、あなただけでなくて、他の方も同じ感じで先生切れてるのかなとも思いました。 先生を変えるのは、個人の先生だと地域的にだめなとこはだめとありましたが、地域的でなく、先生がお年の方なら、昔の考えがまだありますから、だめなのではないでしょうか。若い先生とかだと変わってきているかもしれませんが。 流派の茶会とかで鉢合わせしたりします。 どうしても無理なら、一旦やめて、ほとぼりが冷めたころ他の先生に変えたらどうでしょう。 お茶は是非続けていただきたいです。

凄い先生と教場ですね。 私など1時間居たら、体調崩します。 私の師匠は理解ある人で、公民館の茶道教室を、低料金と道具持参で教えておられます。 足の悪い人には、正座椅子や座布団の使用も許可し、出来るだけ楽しく「お茶を点てる」を体験させてくれます。 先生は「利休七則を実践してだけですよ」と笑います。 利休七則は、以下の通りです。 * 茶は服のよきように点(た)て * 意味: 飲む人がおいしいと感じるように、心を込めてお茶を点てなさい。 * 教え: 自分の都合ではなく、相手の好みや状況を考慮したもてなしの心(相手への気配り)を大切にすること。 * 炭は湯の沸くように置き * 意味: お湯がちょうどよい加減で沸くように、炭を丁寧に整えなさい。 * 教え: 準備を怠らず、万全を期すこと。また、その場限りの見せかけではなく、目に見えない部分にこそ真心を込めること(事前の準備と丁寧さ)。 * 花は野にあるように * 意味: 花は技巧を凝らすのではなく、野に咲く花のありのままの美しさを尊重して活けなさい。 * 教え: 自然の美をありのままに活かすこと。また、物事の本質を見抜く目と、過剰な装飾を排したシンプルさ(侘び寂び)を追求すること。 * 夏は涼しく冬暖かに * 意味: 夏には涼しさを、冬には暖かさを感じられるように、季節感を大切にもてなしなさい。 * 教え: 季節の移ろいを敏感に感じ取り、五感を通して客に快適さや季節の趣きを提供すること(季節感と心遣い)。 * 刻限は早めに * 意味: 約束の時間より早めに行動し、心にゆとりを持ちなさい。 * 教え: 常に余裕を持って行動することで、落ち着いた心でおもてなしに臨めるようにすること。また、相手を待たせることのないよう、時間に対する意識を高く持つこと(時間厳守と心の余裕)。 * 降らずとも雨の用意 * 意味: 雨が降っていなくても、雨が降るかもしれないと傘の用意をしておきなさい。 * 教え: 不測の事態に備え、常に先を読んで準備をしておくこと。また、相手が困らないよう、細部にまで気を配ること(先を見通す準備)。 * 相客に心せよ * 意味: 一緒にお茶をいただく他の客にも心を配りなさい。 * 教え: 亭主と客だけでなく、客同士も互いに尊重し合うことが、心地よい空間を創り出す上で重要であること(他者への配慮)。 お茶を通じて学ぶ事が多かったです。 そんな教場など、辞めなさい。 同じ流派なら、教室を替わる事は、支障ないと思います。 見栄で茶道は学べません。 一人で自服するのが、愉しみになる年になりました。 請われれば、粗茶も差し上げます。

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簡単に書かせていただきます。1:お茶会の出席は稽古の内と考えれば参加が望ましい。個人の都合もありますので、強制はできません。 2:友人を誘う。お茶に興味のない方を無理に誘うことは礼儀に反します。 3:作法上厳しい、個人的好き嫌いで厳しく当たる、様々な方(先生)が存在します。 4:教室を変える方は、多く見ています。先生方同士で、懇願された先生は、仁 義を切っています。流派を変えるのも一つです。 先生すべてが人格者でありません。物欲主義者の方も多いです。