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日本海軍の天雷はナセルストールにより性能不足で失敗しましたが、キ83やF7Fは高速度の発揮が出来ました。 これは中島や海軍はナセルストールの理論と対策方法を知らなかったから設計時から問題となるナセル形状を採用してしまったのですか? 三菱は百式司偵などの高速機を開発していたので、ナセルストールの対策ができたのでしょうか?
ミリタリー・42閲覧
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これはやっぱり経験の差なんじゃないかなという個人的な感想ですね。 当時の日本の航空機設計はアメリカなどから入手した理論については結構進んでいる一方で風洞実験設備なんかはすごく遅れているという状況ですよね。 日本最大の航空機メーカーである中島でも実機サイズの風洞設備なんて無くて、東京工場に3メートルくらいの風洞があって模型を使ったり、機体の一部だけを突っ込んで計測してた様な時代です。 確か剣の開発エピソードだったと思いますけど、設計者の青木技師によると模型を作って風洞実験してる時間が無いから実験すっ飛ばしていきなり実機を作ったみたいな話がありました。今までの経験があるからそれで良いんだみたいな事が書かれてましたけど、いや、それでいいのかよと思った記憶があります。 また同じく中島の隼や疾風で有名な小山技師は主翼のねじり下げにはどういう効果があるのかという質問に対してトンチンカンな回答をしたエピソードが残ってますね。 要するに主翼端をねじり下げると翼端失速防止に効果があるという経験則はあるんだけど、具体的には気流がどう流れるから翼端失速が防げているのかをトップクラスの小山技師ですらちゃんと理解している訳ではない。 ナセルストールについてもその発生理論は分かっていても、具体的にどういう機体形状にすると空気がどう流れるのか、ナセルの形状をどう変えると気流がどう変わるのか、そういう実験に基づく蓄積が圧倒的に足りてないのでしょう。 そうすると結局は実機を作った経験の量がかなりストレートに反映するのだろうと考えます。 例えば三菱だって雷電の胴体形状は空力的に明らかに上手くいってませんよね。 理論上はあれで良いはずだったと堀越さん言ってましたけど・・ 三菱でも、銀河の開発の時にナセルとフラップの調整に相当苦労していたはずなので、ナセルストールに対して万全の回答を持っていたわけではなかったのだと思います。それでも最終的には解決してますから理論的に優れていたというよりは経験値の違いで何とかできてしまった。 という感じなんじゃないかなと感じます。
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ナセル・ストールは双発機などで、エンジンナセルの形状が悪いなどの原因で失速を起こす現象です。 キ45は揚力を稼ごうと設計者が意図したのか、プロペラ軸が翼よりも下にあり、結果として翼上面はキ46と比べてツライチに近い。中島飛行機は、機体の小型軽量化を図りファウラー式二重フラップと前縁スラットを導入するなどの工夫を行たものの、フラップとエンジン・ナセルとの相関形態からナセル・ストールが発生し、最大速度が思うように上昇しなかった。エンジンナセル部分については整形改修が行なわれたが大きな改善は見られず、最大速度は597km/hに留まり、上昇力も高度6,000mまで8分かかるなど要求値を下回るものだった。その結果、試作機が6機作られただけで開発は中止された。 三菱のキ46は、高速性を追求したゆえの細身で流線型の本体胴体と、空気力学に基づいた新設計のエンジンカウル(ナセル)を採用している。 やはり双発機の開発については、三菱の方が技術力・経験値共に上だったと推察される。
そうなのでしょうね。 中島は多発機の開発は不得手だったようで、海軍の十三試陸戦(のちの月光)も陸軍の百式重爆呑龍も期待外れの低性能機でした。 ただ、川崎もキ45は当初は失敗作で、設計主任が土井技師に替わり一から作り直してようやくモノになりましたから、ナセル形状問題は相当厄介なのでしょう。
ミリタリー
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