『おぼえていないときもある』の余白:浅倉=大谷の不思議と日本SF業界

お年玉企画で、バロウズ『おぼえていないときもある』のファイルを作っていてふと思い出したこと。

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ここに収録されている浅倉久志の名訳「おぼえていないときもある」は、創元推理文庫のジュディス・メリル編『年刊SF傑作選7』に収録されている。でもこの本の訳者は、大谷圭二となっている (同じく5巻も)。もちろんこれは、浅倉久志なのだ。

さて、なぜだろう。

ぼくは意地が悪いので、これは浅倉久志が、東京創元社で翻訳をすることに、何らかの不都合があったからだろう、と思ってしまう。もちろん浅倉久志が気まぐれか、何かの思惑で別の筆名を使った可能性はゼロではないが、「久霧亜子」のようなネタでもなさそうだし、営業的に見ても浅倉久志の名前で出したほうがいいはずだし、わざわざそんなことをする理由はなかなか思いつかない。

そしてその不都合というのは、おそらく早川書房で作家/翻訳者の囲い込みみたいなことをしていて、創元で仕事をするなという、明示的または暗黙の脅しがあったんだろうね。たぶん浅倉久志はかなりのビッグネームだから、「じゃあせめて名前は出さないでくださいよ」くらいの話ですんだんだろう。でももっと下々の訳者たち (そしておそらく作家たち) は、もっと強い圧力を受けたんじゃないかと邪推してしまう。1960-70年代には、たぶん早川と創元でかなり険悪な部分があったんだろう。

そういうのをちゃんと調べている/記録している人はいるのかな。

 

日本のSF業界は、狭くて、それゆえにかなり陰湿なところもあった。だから新規参入には、きわめて意地が悪かった。1979年に徳間が『SFアドベンチャー』を創刊したときにも、いろいろ悪口があった。徳間がSFに出てきたのは、確か平井和正『幻魔大戦』がヒットしてこれは儲かると踏んだからだったはず。『幻魔大戦』はそれこそ、その後『ムー』を真に受けた聖戦士の転生のはしりみたいなブームの火付け役ではあって、その意味でキワモノという見方もできなくはなくて、「正統」SFファンからは「ゲンマー」と言われて見下されていた面はあった。なんで徳間がからんできたんだっけ……と検索したら、そうか、『真幻魔大戦』がSFA連載だったのね。するとSFA創刊が幻魔によるものではないのかな? まあその創刊と幻魔の前後関係はさておき『SFアドベンチャー』は金回りがよく、札びら切って云々といった陰口も当時はしょっちゅうきかれていた。

その片鱗が、以下の『別冊奇想天外 びっくりユーモアSF大全集』にある。

ここに、徳間を揶揄したページがあって「徳間がきたりて笛をふく」といったコピーが並び、徳間がやってきて作家をかっさらう、そして連中は必ず契約書を持ってくるのだ〜とか書いてあった。以下の目次にある「SFアホベンチャー」なる部分だ(これだけでもかなり酷い)

いまにして思えば、契約書あたりまえじゃん、なんだが、当時のSF業界 (おそらく出版業界全般) はそんなの水くさいといってやらなかったんだろうね。だから、徳間の契約書は、つめたい冷徹なビジネスだけでやってる証拠、と思われたんだろう。

 

そしてもちろん、新参者いじめといえばサンリオSF文庫だ。サンリオSF文庫の初期は『SFアドベンチャー』と同時期だが、かなり執拗な攻撃があった。ぼくが当時『NW-SF』に出入りしていて、監修者山野浩一のグチを聞かされていたこともあるんだろう。そしてもちろん、本当にひどい代物があったのも事実 (正直、バロウズ『ノヴァ急報』なんか、一応はその分野ではえらいはずの諏訪優がやって、ホントはひどくないはずだったのが、実はとんでもない代物だった、という……) サンリオSF文庫自体が版権獲得にお金を使ってしまい、本の製作にお金がかけられなかったのもその原因として大きいという話も、以下の「サンリオ出版大全」に出ている。また、あげあしを取られても仕方のないミスも山ほどあった。「川本三郎誤訳」とかね。しかし初期から名作も大量にあった。その川本三郎「誤」訳『万華鏡』は本当によかった*1。さらに『ナボコフの一ダース』とかル=グインとか、大瀧啓裕が本名でやっていたライバーとか (ライバーは最初の『ビッグ・タイム』がねえ……ミソつけちゃったよね)。それなのに、執拗に誤訳誤訳と言いつのられ、さらに当時の『SFマガジン』か『SFアドベンチャー』の新刊SF評では、表紙のデザインがダサい、いつも同じところに同じフォントで題名入れるだけの芸のない代物、あんなのはブックデザインと呼べない、という罵倒まで書かれていた。そんなことないと思うけれどねえ。

小平、井原他『サンリオ出版大全』*2で引用されている『週刊ポスト』記事では、版権料を高騰させた、翻訳家への翻訳料を引き上げたという実務的な恨み辛みも紹介されている。だがそれは基本、既得権益者のひがみでしかない。前出の、徳間への文句と同じですな。要は業界慣行破壊、業界秩序を乱した、というわけ。

それよりサンリオはえらい大御所翻訳家たちが抱え込んでいた優秀な下訳者 (大御所さんは、そういう下訳者/お弟子さんに仕事をさせて、自分は名義貸ししてそれをそのまま流し、上前を全部自分の懐に入れていたのだ) にどんどん声をかけて独立させた。サンリオSF文庫でデビューした友枝康子がその筆頭だ (ディッシュ『歌の翼』再刊以来amazonで検索しても出てこないけれど、どうしてるんだろう)。それでサンリオは、奴隷を奪われた大御所翻訳者たちからは結構恨みをかったという話も山野浩一からきいた。翻訳料なんてのは、それに比べれば些細な話だった可能性も高い。

その山野浩一自体も、自分からけんかを売った面も大きいとはいえ、日本SF業界からかなり冷や飯を喰わされていて、サンリオに対するいじめも、それが貢献した部分も結構あるはず。

 

だから創元と早川の間にも、かつてはかなりの確執があったはずで、大谷圭二はその痕跡であるはず。いまはもう、そんな半世紀以上も前の話なんてみんな笑い話だけれど、でもそういうのがあったというのは、まだ存命中の当事者たちが残っているうちに記録しておいたほうがいいんじゃないかとは思うんだ。

もちろん、すべて山形の邪推であれば失礼。

 

*1:あとサンリオは、予告倒れではあったけれど、従来の翻訳家ではなく小説家に翻訳を頼むことで夢を広げてくれた。川本三郎もそうだけれど、寺山修司訳のピンチョンとか、池沢夏樹訳のキース・ロバーツとか、片岡義男訳のプリーストとか、読んでみたかったよねー。あれはどこまで本当に依頼されてたんだろうか。

*2:この本、まあまあ調べてあるんだが、サンリオの出版ではSF文庫の派生とはいえ、それ以外の文学系の翻訳についてもふれてほしかったなあ、とは思う。ジョン・ファウルズをたくさん出してくれたのはほんとうにありがたかった。まあ、点数も10点に満たないくらいだったのかな? だからマイナーで仕方ない面はあるんだけど。