ゼレンスキー大統領の2025ミュンヘン安保会議演説

2025年ミュンヘン安全保障会議で、ヴァンス米副大統領の演説の翌日に行われた、ゼレンスキー大統領の演説の全訳。

2025年ミュンヘン安全保障会議 ゼレンスキーウクライナ大統領の演説

Executive Summary

ゼレンスキー大統領は、ロシアの脅威がウクライナだけでなく欧州全体に及ぶ可能性を指摘し、ヨーロッパ独自の軍隊(欧州軍)の創設を提案した。彼は、アメリカの支援を当然としてきたヨーロッパを戒め、トランプ政権以前からアメリカの支援に変化が見られたことを指摘する。そしてアメリカ支援継続のためにも統一ヨーロッパとしての立場強化を訴えた。ヨーロッパ諸国は、独自に迅速な対応を可能にする軍備生産や防衛体制と、安全保障を実現する統一的な外交政策を構築すべきだと述べている。

また、ウクライナを当事者から除外した形での和平交渉には強く反対し、ウクライナの主権と領土保全を尊重したうえでの包括的な平和対話とプーチンへの継続的な圧力を求めた。停戦ライン/安全保障ラインとして従来の国境線を据え、それをNATOまたは類似組織が死守する体制を提案している。

(Note:ChatGPTくんに要約作らせて見たが、まず外部資料を勝手に引っ張ってきてカンニングしようとしやがる。これだけ見てまとめろと言ったが、今一つ要領を得ない。この演説のぶつ切り形式のせいかもしれない。ほぼ全面的に書き直している。あと、最初は2行のまとめ (欧州軍つくれ、プーチンへの圧力継続)だけ。正直、この講演はそれしか言っていないとも言えるんでまちがいじゃないんだが……)

感想

さて、この演説については、ユーロクラットどもが「昨日の民主主義お説教に比べ、これは実にすばらしい」みたいなおべんちゃらを述べていた。が、そんなにすごい演説かなあ。

そしてこれが、トランプ政権のちゃぶ台返しの可能性を受けて出てきたのかははっきりしない。もちろん、自分たちの頭越しにプーチンと密談されたのは不快で、それは明言し、それ以外にトランプの態度への不満もチクチク匂わせている。だがその一方で、このアメリカの態度変化はトランプ以前からのもので、自分も米大統領選以前からこの方向性を提案していた、と述べている。これは本当なのか、それとも「アメリカ依存を続けるつもりが風向き変わったので慌てて対応した」と思わせないための牽制なのか。そして、アメリカの態度変化で仕方なくであるにせよ、それを追い風として自分が昔から思っていたことを述べたにせよ、この方向性は、昨日のヴァンス演説とまったく同じではある。オールヨーロッパとして、もっと存在感出して、自分で自分の防衛に積極的に関われ、という話だ。

正直、この演説を去年やっていれば (そして欧州がそれに応えていれば) 今のアメリカも一目おいたとは思うんだがねー。

その一方で、これまでのヨーロッパの脆さを見ていると、この提案にどこまで現実味があるのか、というのは野次馬的に興味があるところ。これ自体、決めるまでに百年かかりそうだ。マクロンが、パリで緊急首脳会議を招集したのは、この話をたぶんしたいんだろうが、何がまとまるかはお手並み拝見。

ユーロクラットどもは、この提案に魅力を感じるだろうとは思う。基本的には、彼ら(講演中の「ブリュッセル」) の権益拡大を正当化してくれるものだから。そして、ロシアの脅威と、アメリカの圧力の中で、役人たちが自分たちの権益を増やす口実も揃っている。そして、言っていること自体は非常にまっとうだと思うし、何か出てくると (それもすばやく) いいなとは思う。とはいえ、Twitterで揶揄されていたがヨーロッパってのは決意表明とかは好きで、ゴージャスな会場で集まって声明出すのは好きだが、それっきりでやんねーから……

余談

あと、ヴァンスとゼレンスキーの話を見て、結局ロシアというのは、いま武器生産調達力や兵員をガシガシ持ってるのか、もう足りなくてアップアップしているのかが今一つ見えない。開戦当時は、ロシアはボールベアリングも工作機械も調達できなくなり、戦車工場も止まり、軍事パレードに借り物の前世紀の遺物T34しか出せない、若者もいなくて兵も払底、もう時間の問題だぜ、という論調だった。ところが、ヴァンスの話やこれを見ると、なんか武器弾薬は余裕で、人もまだまだ豊富にいるという話になっている。中国やイラン/ベラルーシ/カザフからの迂回輸入で、物流やサプライチェーン方面はもう完全に回復してしまったってこと?ここらへん、どうなっているのかよくわからない。

J.D.ヴァンス米副大統領の2025年パリAIサミット基調講演

題名の通り、AIサミットでの基調講演。

ヴァンス続きで、別にヴァンスのファンというわけじゃないが、AI会議でのアメリカのAI政策の話。

2025年パリAIサミットでのJ.D.ヴァンス米副大統領基調講演

このツイートで好意的に言われていたので、ちょっと見てみてついでに訳した。

正直、このツイートで絶賛されているほどすごいとはおもわなんだ。AIには機会があるぞというのを言って、悲観論だの人類滅亡だのという話に終始しなかったというのが評価点らしいが、うーん。言っていることは、かなりありきたりな気がする。AIをインターネットに変えても、IoTに変えても、竹槍や牛車やExcelに変えても、まったく同じ演説になると思う。しかし、自分の言っていることをそこそこ理解しているらしいのには感心。あと、労働補完であり代替ではない、とかアセモグル読んでるやつがスピーチライターにいるな。

しかし生産性があがるならその産業で必要な人間は減るので、具体的にAIで生産性あがるが失業は起きないってのは、なんかまともな案があるのかね。たぶんないと思う。言ってるだけだな。

実際の講演の様子は次の通り。

youtu.be

ただミュンヘン安保会議とのつながりで言えば、ヨーロッパへのはっきりした苦言は明確。おめーら規制しすぎだよ、GDPRだって面倒なだけでみんな逃げ出しているじゃん!

壇上には、フォン・ライエンもすわってたけど、ときどき映るとあまり嬉しそうな顔はしてないね。しかしこんな政治家集めてAIの話をさせても、何も実りある話にはならなそうだが、いったいどういう主旨の会議なんだろう?

Executive Summary (ChatGPTくん)

  1. AIの推進と規制の抑制

トランプ政権はAIを経済成長、雇用創出、安全保障などに活用し、過剰な規制を防ぐ。

  1. アメリカのAIリーダーシップ維持

AIの最先端技術を国内で開発・生産し、海外と協力しつつアメリカの優位性を確保する。

  1. イデオロギー的中立性の確保

AIの検閲や偏向を排除し、言論の自由を守る。また、敵対的国家のAI悪用を防ぐ。

  1. AIと労働市場

AIは労働者を補助するものであり、雇用を奪うものではない。教育・訓練を通じて労働者の生産性向上を目指す。

  1. 国際協力と規制のバランス

AI技術の発展を妨げない形での国際的な規制を求め、特に欧州に対して規制を促す。GDPRなどハイテク企業への現在の過大な規制にも苦言。

J.D.ヴァンス米副大統領の、ミュンヘン安保会議 (2025/2024)での発言

なんかミュンヘンの安全保障会議で、アメリカ副大統領のJDヴァンスが何やらいったとかで、Twitterで安全保障の専門家なる人々があれこれ論評していた。アメリカのヨーロッパとの決別姿勢があらわになったとか、もうアメリカはヨーロッパを支援しないぞとキレたとか、ロシアとの交渉が勝手に進められそうだとか。あとドイツが怒ったとかなんとか。

特にヨーロッパの報道は、アメリカがヨーロッパを侮辱した、上から目線で説教しやがって生意気だ、アメリカがヨーロッパを下に見てウクライナを見捨てることにしたとかいう話ばかり。

が、相変わらず報道ではその演説や発言の全体像が全然伝わってこず、言葉尻の断片ばかりなので、自分で原文を読んでみた。ついでに、きみたちにも読ませてやろう。ほらこれだ。そんな長くないよ。

2025年2月ミュンヘン安全保障会議J・D・ヴァンス米副大統領の発言

……とお膳立てしてやっても、お前らが読まないのは知ってるよ。Executive Summary作ってやったから、エグゼクティブにはほど遠いお前らにも読ませてやろう。

Executive Summary

ヴァンス米副大統領の、2025年ミュンヘン安全保障会議での演説。ヨーロッパの防衛では欧州自身が主体的な役割を果たすべきだが、それ以上に外部の脅威よりも、民主的価値観の後退というヨーロッパ内部の問題を懸念。そんな状態ではまともな同盟はおぼつかないと指摘。特に、言論の自由の制限や政府の検閲、選挙の無効化などの動きを批判した。欧米が共有する価値観を守るために、自由な言論や異なる意見の尊重が不可欠であり、特に移民問題が大きく、エリートが国民の声を踏みにじるようではダメだと戒めた。

また2024年のパネルディスカッションでは以下の点を述べた:

  1. ウクライナ支援の限界 – 資金ではなく兵器生産がボトルネック。西側はロシアほどの武器生産能力がない。

  2. 和平交渉の必要性 – 武器供給が限られている以上、ウクライナ戦争は交渉による解決しかない。

  3. アメリカの外交優先順位 – ロシアは脅威だが、アメリカが重視するのは東アジア。

  4. ヨーロッパの安全保障の自立 – アメリカは東アジアに注力するからヨーロッパは自分で防衛能力を強化せよ。

  5. 脱工業化のリスク – 戦争で重要なのはGDPより工業生産力。ヨーロッパは自国の安全保障強化のためにも工業を維持せよ。

さて、これを見てどう思う? ぼくは非常にもっともなことを言っていると思う。武器弾薬製造能力ないから、ウクライナ支援に限界があるというのは、どこまで本当なのかわからない。そういうところは、それこそミリオタの人や軍事専門家にやってほしい。しかし全体としてそんなに違和感はなかった。これが本当なら、ウクライナを徹底的に応援すべし、というのは、気持はわかるけれど中身のない空論ということになる。これが本当かどうかは是非とも知りたいところ。

演説のほうはヨーロッパのバカチンどもは、自分のお気に召さないからって選挙を勝手に無効にしたり、おえらいエリート様が無知な大衆をフェイクニュースから守るんだと称して検閲を奨励したり、野放図に移民どかどか入れてしかも国内でイスラム移民にばかり配慮して、それが民主主義かよ、そんなことしてるとそもそもこの同盟が何のためかもわからんぞ、と非常に本質的なところをついているし、それはヨーロッパがずっと目を背け続けて、やれ極右だやれポピュリズムだといって逃げてきた話だ。言われてもしかたない。ましてヨーロッパのメディアの反応は、まあここで言われていることが「ああやっぱその通りだねえ」と裏付けるようなものでしかない。

あと戦争は、もうちょっと現実見ようぜ、というのはその通り。もう少しきちんと役割分担しようということで、たぶん日本にもそのうち応分の負担はくるだろうが、正直いってアメリカ信用できないというのであればヨーロッパは (日本も) 自前でがんばる必要はあるわな。

トランプがプーチンの走狗だというのも、一部の人はすぐ言いたがるが必ずしもそうではなさそうだ。プーチンがウクライナ侵略に乗り出したのはバイデンになったから、というのはかなり衆目の一致するところ。トランプはバカすぎて何するかわからん、というマイナスの話であったにしてもね。そして前回のトランプ政権でヨーロッパ (特にメルケルのドイツ) がやったのは、プーチンにすり寄ることだったのも事実。あのとき、このヴァンス的な話をきちんと考えていればねー (最後の、なんでよりによってそのときに脱工業化をするかね、という話も含め)。

ま、これ見て「山形が親トランプになった、ネトウヨめ、反移民のイスラもフォビアめ」とか言い出すやつがいるのはわかっているんだが、そういう愚か者も含め、なるべき自分で読んでくれ。

山形の好きな名言:

でもね、あなたの民主主義が、外国からの数億ドルの広告で破壊されるようなものなら、そもそも大した民主主義じゃなかったのでは?

アメリカの民主主義が、グレタ・トンベリのお説教に十年耐えられたんだから、あなたたちの民主主義だってイーロン・マスクの数ヶ月ほどで死にやしませんって。

特に最初のやつは重要だと思う。フェイクニュースによる民主主義の危機、なんてことをみんな言うけど、本当に問題なのは、フェイクニュースごときで危機にさらされてしまう浅はかな民主主義しか作ってこられなかった社会のほうなのだ。そっちを何とかすべきなのだ。そして、それを口実に選挙を丸ごとキャンセルするなんてことをやること自体が、そういう弱い民主主義をさらに弱体化させてきたのだ。ぼくはそう思うんだがね。

ラファティ インタビュー集

ラファティ『アーキペラゴ』の翻訳再開したが、その後出たいろんな作品との関係はもとより、その作品自体があまりピンとこない話をした。それで少ししまってあったラファティのブックレットなどをいろいろ見ていたときに出てきた、ラファティのインタビュー集。『アーキペラゴ』に始まる『悪魔は死んだ』3部作についての言及もあるし、それ自体としてもおもしろかったので、読みながら訳し終えてしまった。

『タルサからきた偏屈ジジイ:R.A.ラファティ インタビュー集』

もちろんきみたちは読んではいけません。ついでにその原文も挙げておくが、ぼくの備忘録だからきみたちは読むな。

Cranky Old Man from Tulsa: Interviews with R.A.Lafferty

読めないきみたちにはわからないことだが、これはもともと1990年あたりに、ラファティの本を平とじブックレット形式で出していたUnited Mythologies Press から出ていたもの。ときどき、いろんなラファティの解説でこの一部がつまみ食い的に紹介されていたのを見た記憶があるし、ひょっとしたらすでに邦訳があるかもしれない。が、それを探し出すのも手間だ。

 

インタビューは2編収録されている。やたらに詳しい親戚の来歴とか軍隊時代の話、宗教から創作手法その他いろいろ。ラファティにとって最大の敵が、世俗リベラリズムだというのが非常におもしろいところ。いろんな思想や世界の見方についての話は、本当に本気で言っているのか煙に巻こうとしているのかわからないのはいつものラファティ節。

で、『アーキペラゴ』が兵役時代の各地派兵の思い出も含むものだというのはよくわかるし、そこに描かれたものも少しは見えやすくなる……かな? あとあの唐突に終わるエンディングは、本人的には効果的な技法のつもりなんだなあ。ということでお楽しみあれ……じゃねえや、ゆめゆめ楽しんだりするなよ! 指くわえて見てるだけだぞ!

cruel.hatenablog.com

あと、一つ期待していたのは、ラファティの異様な女嫌いについて何かコメントが得られないかな、ということではあった。なんだっけ、「あそこは楽園だった。だって女が口をきかなかったから」の小説は。あれはまだギャグですむが、この「その曲しか吹けない」とかのむき出しの憎悪はただごとではない。だが、どちらのインタビューにもそれはなくて、まあ仕方ない。

ラファティ、バロウズ、人工知能

一部の人には朗報かもしれず、ほとんどの人にはまったくどうでもいいことだろうが、ちょっとラファティ『アーキペラゴ』翻訳の続きをやってみた。まだ全11章のうちの4章終わっただけ。ついでに、それにまつわる思い出も解説でちょっと書いたよ。

R.A.ラファティ『アーキペラゴ』(4章まで)

このままこの調子で続けるかはわからない。少しはやると思うけれど。実はもう一つ別の仕掛かり品も再開してみた。

cruel.org

どっちも、箱から本が出てきたおかげが大きい。こちらもこのまま進めるかどうかはわからんが、仕掛かりをなるべく片づけようと思ってるので、どっちも多少は進むでしょう。

だがそれより、特にこの『アーキペラゴ』はわけのわからない作品で、解説でも書いてるけど、神話を下敷きにしてるのはわかるがそれがどうした的な話で、いろいろ言いたいことがあるようだが何を言ってるのかわからない。そこで面白半分で、4章冒頭の詩をChatGPTさんに喰わせて見たのよ。

そうすると、まあ別にまともに訳してくれるわけではないのだけれど、単語ごとにいろいろ調べて、類似のことば、考えられる文脈まで、いちいちこと細かに出してくれる。とっても便利。便利な一方で……

この詩はなんであり、そういう含意を持つもので何を主題としており云々かんぬん、というのを全部教えてくれる。神話的な冒険の旅に出ていた人物が、いまやその冒険から脱落して腰を落ち着けねばならない哀しみを描いたもので〜等々。

で、これがラファティ『アーキペラゴ』の一部で、この章はこの詩を書いたやつが結婚する章で〜という背景を教えてやると、何やらしゃあしゃあと、『アーキペラゴ』はかくかくしかじかの作品であり、この詩は自由な身の上から結婚して身を固めて腰を落ち着けるという生のフェーズ転換について自虐的ながらもポジティブに述べたものであり、とすかさず解釈を変えて出す。

この詩を見せてもラファティ『アーキペラゴ』だとわからなかったということは、ChatGPTくんはアーキペラゴの全文に出会ったことはない。でもどっかから聞いた話を切りつないで、それっぽいものをでっち上げてくる。そして、それは決して完全にピントはずれではなく、大学のファンジンにこれが載っていたら、おおすげえ、いい分析、と思っただろう。

その一方で、こう、小説を読むときに、なんかその表面的な字面が脳に吸収されて、そこからじわーっと「ああ、ちょっと悲しげだねー、でも多少自虐が入ってて、決して完全ネガティブじゃなくて、そこに婚約者が出てくるとちがう意味を持ってくるよねー」というのが染みだしてくる。そしてそういう印象が読みながら次々に出てくる中で、その脳汁の集まりみたいなものの中から、小説としての重みやテーマがさらに染みだしてくるというプロセスがある。

ぼくの感覚だと、その脳汁抽出は、脳の一段深いところで起きていて、それが脳の表面に染みだしてくるような感じ。

さてChatGPTくんに読ませると、確かになんかそれっぽいものはわかる。たぶん出てきたものは似たようなものなんだけれど、なんかすごい違和感がある。通り一遍に読んで、なんか脳の表面だけでさらっとなぞっている感じ。その浅さは、自分が読んだときの感じとはまったく別物なんだけれど、それをことばで言えといわれたら、似たような表現に落ち着いてしまう。

だから実用的にはTwitterで最近見かけた「アリストテレスをChatGPTに要約させてリーディングの課題すいすいだぜ」みたいなのにみんなが流されるだろうな、というのもわかる一方で、その違和感みたいなのをうまく言えず、そのツイートへの反発で「それでは本質がわからない」とか「真の学びはそれでは得られない」とかいうのがたくさん出てきたんだけれど、だれも「じゃあその本質とか真の学びって何?」という本当に重要な疑問に答えられずにキレるだけ、という不毛な罵倒合戦になっていたのと、何かしら通じるものはあるんだろう。

それはたぶん、タルコフスキー映画とかヴェンダースのさすらいとか『2001年宇宙の旅』を、ビデオで、リモコンを手にして見せつつ、決して早送りボタンを押さないように厳命するようなもので、何も起こらないすごい退屈の果てに得られるある種の啓示みたいなものは確実にあるんだけれど、それを説明するのは困難であり、ほとんどの人は、その啓示があるのをすでに知っている人ですら、早送りボタンを押したくなる誘惑にうちかつのはむずかしいのと似たような話ではある。

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もちろんこんな違和感は一時的なもので、昔の人の「車や新幹線で行くのは真の旅ではない、己の足で歩いてこそ旅の本質が〜」みたいな世迷いごとなのかもしれない。その一方で、その「じゃあその本質とか真の学びって何?」という疑問とか、ぼくの感じた違和感って何なの、というのをきちんと言語化、モデル化できない限り、おそらく人文系の「学問」なるものは滅びて、せいぜいが盆栽の楽しみくらいの趣味に堕するだろうという印象はあるなあ。

そしてそれはたぶん、いまぼくが言った「脳汁」のプロセスが持つ意味合いの話になる。

石川淳はかつて「文学では答が出るだけでは市が栄えない」と述べた。人によってこれは、答を出さなくてよくて、うだうだ周辺をうろつき身辺雑記でお茶を濁していいという免罪符だと捉えてしまっている。最悪な場合には、「市が栄える」というのを己の卑しい懐具合と営業だと思いこみ、これを何か業界の内輪で何も結果出さずに目くばせしあい、利権を造って新規参入を防ぐのが正当化されるかのような解釈をする人もいる。

でも石川淳が「だけ」と言っていることからもわかるように、答は出さなくてはならない。ただ、それだけではダメ。その「だけ」ではない部分を、もっと真剣に考えねばならないのだろうとは思うんだけど。

レナード「法に抗っての進歩:アメリカでの日本アニメ・ファンサブ史」(2004)

もう20年も前に訳した論文だけれど、アメリカにおいて日本アニメが、ファンによる著作権無視のファンサブ活動を通じて広まったことを示す研究論文。ファンサブというのは、ファンがつける字幕のことね。

法に抗っての進歩:アメリカにおける日本アニメの爆発的成長とファン流通、著作権

html版もある。

cruel.org

ポピュラー文化伝搬の歴史から見ても、著作権と文化普及の関係を見る上でも非常に重要なポイント。SSDのファイルを整理しているうちに出てきた。ウェブページは造ったが、当時はTwitterもなく、一部の好事家がリンクしてそれでおしまいになったように記憶しているので、あらためて広めておく。

こういう、グレーゾーン (というか厳密にいえば完全アウト) な海賊活動は、やがて正史が出てくると、すぐに押し潰されてなかったことにされて消えてしまい、その海賊活動の恩恵を大いに受けた人ですらすぐに手のひら返しをするから、記録しておくことが重要。いまは当然のように流通しているものも、こういう背景があったことは、Windows MEたんくらい少しは思い出してあげて。

https://cruel.org/books/hy/howtotranslate/windowsme.png

ベスター『ローグとデミ:はちゃメタ♡恋のだましあいっ!』訳了。邦題変えてやったぜ激おこプンプン丸

オッケー、やりかけベスター終わったぜ。

cruel.hatenablog.com

終わったんだが……

ワタクシいま、なんとも言えない喪失感と怒りの混在するワナワナ感にうちふるえておりますわよ、まったくちょっとアルフレッドくん、これ一体何ですのん?

というわけで、中身にあわせて邦題かえました。

アルフレッド・ベスター『ローグとデミ:はちゃメタ♡恋のだましあいっ!』(pdf 1.8MB)

だってホントにそういう話なんですもん。プンプン。訳し終わっての脱力感、ちょっとわかっていただけます? おいベスター、てめえ、これが遺作でいいのかよ! いまからでも生き返って、最後にドーンと力を見せてくれよ(涙)

失望と絶望と恐怖にうちふるえたい人は……あ、でも内部利用のみのファイルだから読んではいけませんよ。なお、読まずにこの邦題が不当だと思ったら、好きに変えてくれていいよ。ワードのファイルが以下にあるから。

https://cruel.org/books/BesterDeceivers/Bester_Deceivers_j.docx

そしてこんな邦題になり山形がワナワナしている理由をてっとり早く知りたい方は、以下の訳者解説お読みアレ。訳す前に知ってたんじゃないの、と言う方、もう読んだのが前世紀で、最後にデミがコンピュータから出てくるところしか覚えてなかったのよねー。でもなんかお蔵入りにした理由を思い出したような気がする。


訳者解説

本書は Alfred Bester, The Deceivers (1981) 全訳である。翻訳には昔持っていたどこかのソフトカバー版と、Kindle版を使っている。邦題は、直訳すると『詐欺師たち』『騙す者たち』となるが、それでは題名としてあまりにすわりが悪いのと、以下で述べる訳者の不満から、勝手に変えた。別に商業出版ってわけじゃありませんから、好きにさせてもらいますね。読み通した方は、ご自分なりの好きなものにしてくださって結構。

アルフレッド・ベスターと言えば、かの名作『虎よ、虎よ!』の作者であり、また晩年にはあの怪作『ゴーレム100』を執筆したことでも知られ、ワイドスクリーン・バロックの筆頭格。次々に放出されるきらめくようなイメージとアイデアの数々、そこに散りばめられた、俗悪さと文学的なイメージの混在、それをつなげる古典的な英雄譚じみた軽薄きわまるストーリー。ベスターのこの作風は生涯変わらず、余人の追随を許すものではない。

ゴーレム 100 (未来の文学)

本書はそのベスターの遺作となる。そこには上にあげた要素がすべてつめこまれている。

そして……本書はとんでもない愚作である。

お話は……ネタバレ注意ではあるが、正直いってそんな、すごい(良い意味で)驚きのネタがあったりはしないので、ネタバレ上等。

ときはすでに人類が宇宙進出を果たしたいつやらの時代。新規に発見された反エントロピー触媒メタのおかげで地球の各種民族は、太陽系各地にドームを作り、いまの民族構成を維持してそれぞれナショナリズム/エスニシティに基づくドームで暮らしている。主人公ローグ・ウィンターは、何やら能力開発実験を受けつつ事故でマオリ族のドームに引き取られ、その王族の養子として育てられたが、すべての隠れたパターンを感知する能力により金も女もウハウハで、お気楽ジャーナリストとして暮らしている。

それが何やらですな、王位継承をめぐる暗殺未遂にあったと思ったら、いきなり何の伏線も前置きもなしに、天王星のチタニアで生まれた、何にでも姿を変えられる異星人デミに惚れられて、その日のうちにくっつき、故郷に帰るとマオリ王位を継承する。ところが戻ってみると、デミが誘拐された模様。実はそこには、メタを独占するジャップとチャンコロどものあいのこであるジンクどもが、そのメタの密売の主力たるマオリ・マフィアを潰そうとする陰謀があったらしい!

そこでウィンターは彼女を取り返すべく、ジンクどもの本拠タイタンに乗り込み、その親分たるフー・マンチュー (仮名)と対決。つかまったふりをしつつ、悪者が最後に本拠に意味もなく案内してあらゆる陰謀をペラペラしゃべってくれるというトホホな定石を経て、偶然が百個重ならないと実施不可能な裏の作戦のおかげで逆転して相手を捕まえるが、実はそいつらはデミの身柄を確保していなかった。実は彼女はバイオコンピュータの一部となって、ウィンターの家のマシンにずっと隠れていたのだ! そのパターンを見分けたウィンターがキーボードを叩くと、マシンの中でコードが細胞分裂を起こして、ジャジャーン! デミがスクリーンを破って飛びだして復活し、子どもも生まれました〜! めでたし、めでたし。

 ……なにがめでたしだよ。なんかここまでいい加減な話を読まされると頭に頭痛がしてくる。ラスボス対決のあまりにご都合主義、さらにそのための設定は実はまったく意味がなく、ガールフレンドは実は何の危機にもさらされておらず、最後にあっさり出てきておしまい。じゃあこの物語すべて、何も意味ないだろう! なんなんだよ!

持ち味としては、あの『コンピューター・コネクション』に似ていなくもない。主人公は悠々自適、あるときできた友人を不死人に仕立てようとする事故をきっかけに、新たな身内の騒動に巻き込まれることになる。不死人たちのつくる衒学的なソサエティ、その中での争いと、コンピュータとの新たな共生。無数のアイデアがほとんど行きがけの駄賃のように投げ散らかされる。だが『コンピューター・コネクション』は、多少は人間とコンピュータ知性体との関係をめぐって、少しは考えた形跡があった。一応、話の主要な要素がきちんとからみあい、そこにダジャレもまぜこんでまとまりを見せていた。

ところが本書は、アイデアとすら言えない思いつきがその場限りで投げ出され、それが何にも貢献しない。ずいぶんページを割いて一時的にストーリーの中心となっていた部分すらそうだ。王族の後継者争いの殺し屋対決はどうなった? 何も。本書の狂言まわし役の諜報部員オデッサが、女子大生時代にフー・マンチューの仮の姿だった質屋から教えを受ける章があるが、そのからみもその後、一切意味を持たない。つーか、そのオデッサ・パートリッジもほとんど何の役も果たさず、途中で『クリスマスの12日』の仕掛けで最後に「梨の木のパートリッジ」というダジャレを出すためだけにいるようなもの。ローグが感応しているとされる宇宙意志ことアニマ・ムンディとやらも、結局何も意味をもたない。あれも、これも、何の意味もない。

いやベスターはそういうもんだろ、という異論は認める。もともとベスターは、上述のワイドスクリーン・バロックの旗手で、緻密に構築された話を書く人間ではない。目先のやりすぎなくらいの派手派手さぶりが身上とすら言える。『虎よ、虎よ!』で出てくる、へんな上流階級パーティーのまったく無意味な豪勢ぶりとか。

だけれど、一応そうではない部分もある。メインのストーリーは、雑でいい加減とはいえ、ある種の強さがあった。『虎よ、虎よ!』は、ガリー・フォイルの絶望と怒り、社会的格差に対する不満、そしてそこから最後の人民への信頼に到る軋轢と葛藤に、いかに雑とはいえ読者の共感があった。『破壊された男』は、やはり管理社会とそれに対する反発がベースにあり、それが読者の中二病精神をいやがうえにもそそる。『ゴーレム100』は、スラム化した社会と超ハイソの有閑マダム群、そいつらの生み出すイドの怪物という設定自体が迫力を持っていた。

それがこの作品はなんだい。主人公さん、勝手な能力もらってお金持ちで王族、いいご身分ですねえ。そして女の子は勝手に向こうから告白して股を開く。なろう系のラノベでも、ここまで安易な設定はなかなかないぞ。自分の属するマオリ族がマフィア商売をやっていて、それがジンクどものメタ資源独占と衝突——で、そのメタ商売をめぐる対立はどう解消されるのかというと……解消されないんだよ。フー・マンチュー捕まえたら、そっちの話は全部消え、「協議中です」の一言で片づけられる。別にベスターの小説に社会問題への洞察を求めるつもりはないんだが、話の決着くらいはつけてほしいと思うのは人情ではないの? 表向きだけでも資源配分の新たな方向性くらい、あってもいいんじゃないの?太陽系の命運を左右する資源の支配力を得たら、少しはそういうこと考えないの? ところが何もないんだよなー。主人公は徹頭徹尾、自分のことしか考えない。ガールフレンド回収だけ。それでいいんですか?

また書きぶりについても、華やかさはまったくない。それこそ『虎よ、虎よ!』がブレイクを持ち出したように、文学的に華やかな表現や言及はベスターの身上の一つであり、ディレーニを始めインテリがベスターを誉める理由にもなっていた。それは本書でも、決して不在ではないんだが……だれも気がつかないというか気にもしないだろうけれど、文学的な仕掛けとしてウィリアム・S・バロウズの影響は明らかだ。だがバロウズのいいところではなく、悪いところばかりを持ってきている。デミがめぐる夜の町での、へんなおかまショーまがいの裁判や殺し合い、ウィンターがやけ酒をあおる中で出てくる下品な酒場とドリンクの数々、ジンクの (人種ステレオタイプてんこ盛りの) ドームで展開される首つりゲームにお下劣な群集……そんなところをバロウズからもってきてどうする! かつてベスターはインタビューでバロウズについて「こんな霊感に満ちた文章が、と思ったらすぐにこんなゴミクズがなぜ? あの子の編集者は何をしてたんだい」という感想を述べていたそうだが、まさか彼が霊感に満ちたと思っている部分が、ぼくにとってのゴミクズの部分だったとは、まったくの予想外ではあった。

なぜこんなものが出たのか、ベスターも出版社もこれをボツにしなかったのか、というのは謎ではある。欧米では、晩年の諸作については罵倒が多く、本書については『ゴーレム100』がペーパーバックになるのにあわせて、話題作りのプロモ用に出しただけろう、という邪推が述べられていたが、結構そんなところなのかもしれない。またベスターは、本書が出てしばらくしてから妻を失い、その後自分もかなり体調を崩し、特に目をやられてあまり執筆できない状態だったようで、これが最後になるという予感もあったのかもしれない。

そしていつかこの邦訳が商業的に出版される可能性は……ほぼないだろう。小説としてのできの悪さに加えて、特に第10章で展開される、ジャップとチンク (どっちもいまは発禁ものの差別用語)の合体したジンクたちを筆頭に、あまりに人種ステレオタイプに満ち満ちた、どこかで聞きかじってきた誤解だらけの野蛮な風習の羅列は、人種ネタの悪口が好きなぼくですらちょっと唖然としてしまう。これが許されたのはペリーの時代まででしょー。ベスターは長いこと、パルプ小説のテレビ版脚本などをやっていたけれど、その感覚がほぼそのまま。いまはよほど他の部分での価値がない限り、どこも出す気にはならないでしょ。

あ、でもね、バイオコンピュータのアイデアとか、バイオコンピュータの暗黙のネットワークとその上のSNSみたいなコンピュータ同士のゴシップ網とか、最後のコンピュータから彼女が飛びだしてくるところとか、ラノベ風のサイバーパンク先取りみたいで、ベスターの先駆性が遺憾なく発揮……されてねえよ! ある意味で、『コンピューター・コネクション』に登場した、人間とつながるコンピュータのイメージをさらに先に進めたと言えなくもないけど、言ってどうする。

ちなみにその『コンピューター・コネクション』の訳者あとがきを見ると、野口幸夫はどうも本書の翻訳に取りかかっていたらしい。本書そのものにとどまらず、そこに出てくるダジャレにまでいくつか触れたりしているからだ。確か本書もサンリオSF文庫の近刊予告に出ていたように思う。それが出なかったのは、よかったのか悪かったのか。だが、それを残念と思い、本書がまだ見ぬ傑作ではと夢見ていたベスターファンのあなた (ぼくもそうだった)、夢を壊すのは気が進まないながら、彼の遺作はこういう小説だったのです。Now you know. 知らぬが仏ということばの意味を、みなさんも是非噛みしめていただきたい。

なお、第10章のへんな中国語もどきの漢字復元は、高口康太氏、乙井研二氏およびChatGPTさんにお世話になった。なんせ1980年代初頭なんで、表記もピンインではなくウェード式、しかも元の中国語がかなり怪しい状態。みなさんのご協力なくしては、それっぽく直すのは不可能だった。ありがとうございます!!

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2025年1月12日

山形浩生 [email protected]