2024年に新書大賞を受賞した『言語の本質』(中公新書)をはじめ、『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)、『学力喪失』(岩波新書)など続々と話題作を発表し続けている今井むつみさん。鋭い分析と考察、そしてその背後にある人間、とりわけ子どもたちの学びへの強い視線に、心引かれている人も多いのではないでしょうか。このパートでは、認知科学の中でも今井さんが重視している「学び」、そして「熟達」について理解を深めるための本を取り上げます。2回目は、『超一流になるのは才能か努力か?』『ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由』です。
認知科学研究の根幹となった米国での出会い
私は米国の大学院に通ったのですが、認知心理学の概論の授業で、熟達者が一般人とどう違うのかというトピックの回があり、その際に、熟達研究の第一人者で著名な心理学者であるアンダース・エリクソン先生の研究が取り上げられていました。確かその講義は、「熟達者がどんなにすごい人なのか」ということを、「記憶」や「知覚」「判断力」などの文脈でダイジェスト的に紹介するものだったと思います。
そこで強く影響を受け、以来、繰り返し開いている本が、『
超一流になるのは才能か努力か?
』(アンダース・エリクソンとロバート・プールとの共著、土方奈美訳、文藝春秋)です。
この本には、アスリート、芸術家、音楽家、教師、医師などを対象に行った熟達研究が書かれています。例えば医師は、患者から症状を聞きデータを見て、だいたいの「アタリ」をつけるわけですよね。それで必要な検査をして、診断に至ります。
この一連の流れが、同じ資格を持っている医師同士でも、腕のいい人と悪い人で雲泥の差がある。医師が診断の際に使う知識を、メンタル・リプレゼンテーション(mental representation)といっています。日本語でいえば「表象」です。この、長年かけて培ってきた「身体化された生きた知識」や「直観」は、どのように習得されるのか。
これを研究されてきたのがエリクソン先生であり、その膨大な研究内容を前提知識がなくても分かるように紹介しているのがこの本なのです。
私は基本的には、どんな分野でも直観が極めて重要だと思っています。『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)でも書きましたが、優れたパフォーマンスを生み出すのは、優れた直観なんですよね。
この直観の生み出し方と、身体化された知識の追求について書かれたエリクソン先生の本は、私のバイブル的存在です。
「世界でいちばん忘れっぽい人間」が記憶力チャンピオンになれたわけ
今回ご紹介するもう1冊の本も、エリクソン先生に関連しているものです。
エリクソン先生は、熟達者が持つ驚異的な能力は、「訓練から生まれる」と主張されています。それは「記憶力」に関しても同じです。一般的に記憶力の良しあしは生まれつきのものだと思われがちですが、エリクソン先生は理論と実践に基づいて、その通説を否定しています。
訓練によって、人の記憶力を伸ばすことができると示した一つの実践例が、ジョシュア・フォアの『
ごく平凡な記憶力の私が1年で全米記憶力チャンピオンになれた理由
』(梶浦真美訳、エクスナレッジ)に示されています。
この本は、「世界でいちばん忘れっぽい人間」を自認していたジャーナリストの著者が、「全米記憶力選手権」を見学したことをきっかけに、競技に挑戦。全米チャンピオンになるまでをつづったノンフィクションです。
フォアはチャンピオンを目指すにあたり、まずエリクソン先生に話を聞きにいったといいます。そして記憶に関する多くの学術論文を読んで、1年間、集中的に訓練し、見事チャンピオンに。
スリリングで読み物としてひき込まれますが、それだけでなく、認知科学の重要な知見が随所に盛り込まれています。エリクソン先生が主張してきたように、超一流の熟達者になるために必要なのは、「生まれつきの才能ではなく、工夫を凝らし集中した訓練である」ことを、著者が身をもって証明してくれているのです。
買い物リストをメモせずに忘れない方法
記憶法の例としてフォアが紹介しているのが、「記憶の宮殿」です。この方法では、人が持っている空間記憶の能力を利用して、脈絡のない情報を暗記していきます。
やり方は簡単で、頭の中に、自宅などのよく知った場所を思い描き、そこに覚えなければならない情報を置いておきます。例えば、
・バナナ
・ネギ
・鶏肉
・牛乳
・ティッシュペーパー
という買い物リストの情報を覚えたいなら、このリストにあるものを「頭の中に思い描いた家」の中に置いていきます。
「玄関を開けたらバナナが落ちていて、その皮で滑ってリビングに転がり込むと、ネギを背負った鶏と目が合った。鶏はキッチンに飛んで、カウンターにあった牛乳をこぼしたので、ティッシュで拭かなければならなくなった」のように、あとで思い出せるようにストーリーをつくりながら記憶していくのですね。
スーパーに着いたら、このイメージを脳内で再生すれば、思い出せるという形です。
なぜこうした方法が有効かというと、それには記憶の仕組みが関係しています。
私たちの頭の中には、実際に「覚えている」と自覚できるものよりも、膨大な情報が記憶されています。例えば、普段は体験したこと自体忘れているような出来事を、会話の途中で急に思い出すという経験のある人は多いでしょう。その会話が呼び水のような役割を果たして、記憶されていた出来事が思い起こされた形です。
記憶力がいいといわれる人は、記憶の容量が大きいというよりも、頭の中に入った情報を呼び出すことにたけているのです。
「記憶の宮殿」はまさに、呼び出し可能な形で情報を頭に入れる方法といえます。記憶力選手権の競技者たちは、いかに記憶を「呼び出せる形で」頭に入れるかに工夫を凝らしているのです。
「記憶」の2つの種類
さて、競技者は、ランダムな数字の並びや架空の年表、見知らぬ女性の顔写真と名前など、さまざまなことを覚えることができます。
しかし、こうした情報は、覚えてもその後、利用することはありません。むしろ、前の競技で覚えたことをずっと保持していると次の試合に支障をきたすため、忘れてしまったほうがいい、ということになります。
ですから、このような記憶術を駆使する競技者が膨大な知識を持っているかといえば、そうではない。この競技のトレーニングを続ければ、ある情報からどのようにビジュアルイメージをつくるか、どのように思い起こしたらいいのか、ストーリーをどうつくるかなど、記憶するための技を身につけることはできます。しかし、それ以上でもそれ以下でもありません。
その技を磨くことで記憶の達人にはなれるかもしれませんが、それだけで冒頭で紹介した優秀な医師が持つような「生きた知識」を身につけられるわけでもないですし、彼らに代表される「その道の達人」や「熟達者」になることもないでしょう。
熟達者や達人が持つ「生きた知識」としての記憶と、フォアが実践し身につけた競技のための記憶力とは、実は別物といってもいいほど、性質も役割も異なるものなのです。
(取材・文/黒坂真由子 写真/稲垣純也)
今井むつみ著/日経BP/1870円(税込み)