「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回は、昭和人間にとって最大の喜びであり生きがいだった「消費活動」について。
時代の変化をヒシヒシと感じさせられるというか、昭和人間としては目頭を押さえずにはいられないというか、東京・池袋の西武池袋本店の前を通るたびに、とても寂しい気持ちになります。「大改装中」とのことで、2024年夏ごろから表通りのシャッターも地下通路のシャッターも、ほぼ閉まったまま。食品やロフトなど一部の店舗は営業していますが、入り口を探し出して売り場にたどり着くのはけっこう遠い道のりです。
報じられている情報によると、土地と建物をヨドバシホールディングスが取得し、改装後は家電量販店の「ヨドバシカメラ」が出店して、百貨店の売り場は半分程度になるとか。昭和人間は家電量販店も大好きですけど、「西武が家電量販店に買い取られた」というニュースには、ショックを覚えずにいられません。
個人的な思い入れに基づいたローカルな話で恐縮ですが、61歳の昭和人間である私にとって「西武で服を買う」というのは、憧れであり喜びであり大人になった証しでした。西武百貨店の「おいしい生活。」というコピーが話題になっていたのは、私が学生時代の頃です。社会人になったばかりの頃(1986~87年)、西武池袋本店の紳士服売り場で意を決して英国製のブルゾンを買った瞬間の興奮は、今でもはっきり覚えています。
たしか3万円弱でした。当時の月給の2割ぐらいです。とくにオシャレに興味があったわけでもない風呂なしアパート住まいの若者が、なんでそんな身の丈に合わない高い買い物をしたのか……。今考えると、その頃の世の中には「いいもの(≒高いもの)を身に着けることで、人間的に成長できる」という謎の刷り込みがあった気がします。
男女を問わず、百貨店やオシャレなブティックで、店員に勧められるまま「勝負服(肩パット入り)」を上から下までそろえて、4回なり6回の分割払いで買ってしまうケースもよくありました。そして、家に帰って買った服をあらためて見たときに「こんなオシャレ過ぎる服、恥ずかしくて着られない……」と後悔したものです。
若者の皆さんには「いかにもバブルっぽい話」に聞こえるでしょうか。たしかにそうなんですけど、この程度の話は、昭和人間と買い物との深い因縁を示す一端でしかありません。今は大学の理事長をなさっている女性作家の方が言い出したと記憶していますが、昭和人間は「自分へのごほうび」という言葉も大好きでした。その言葉をつぶやきながら、後先考えない高い買い物をしたり食事や娯楽で散財したりしていたものです。何度かやってみた結果、ほとんどの人は単にお金がもったいないだけだと気づくんですけど。
「50~60歳はバブルでいい思いをしている」はぬれぎぬ
高度経済成長期以降、昭和人間はテレビにせよクルマにせよ、常に無理をして高い買い物をし続けてきました。「買いたい!」という欲望を満たすことが生きる目的であり、汗水たらして働く原動力だったと言えるでしょう。
「三種の神器」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。高度経済成長が始まった昭和30年代前半、白黒テレビ・冷蔵庫・洗濯機の3つの家電は、まとめてそう呼ばれていました(最初の頃は白黒テレビではなく掃除機)。戦中戦後の混乱から立ち直った日本にとって、それらの家電製品は豊かさの象徴であり、未来への希望だったと言えるでしょう。
ちなみに「新・三種の神器」という言葉もあります。昭和40年ごろは、カラーテレビ、クーラー、自動車(car)の3つの耐久消費財(3C)が、「新・三種の神器」と呼ばれました。数年後には、電子レンジ(cooker)、別荘(cottage)、セントラルヒーティングが「新3C」としてもてはやされます。こっちはちょっと無理やりな感じですね。
「三種の神器」だった頃の白黒テレビは6万~7万円。当時の公務員の初任給は1万円前後なので、今の感覚だと軽く100万円以上です。背伸びにもほどがあるというか、無茶としか思えない大きな買い物ですが、その頃に若者だったいにしえの昭和人間はこぞって飛びつかずにはいられませんでした。ある種の義務感に駆られていたのかもしれません。その頃は給料が上がり続けていたので、無茶をしても結局は何とかなりました。
戦後の日本経済の変遷と、60~70代の昭和人間の消費活動の変遷は、けっこう重なっています。食べるのが精いっぱいだった時期(終戦直後、学生時代)を経て、それなりに可処分所得が増えて勇んで生活必需品を買いそろえ(高度経済成長、若手社会人)、さらに余裕ができるとブランド品を買って見栄を張ったり、高級レストランや海外旅行といったぜいたくに興味が湧いたりしてきます(バブル期、中堅社会人)。
やがて日本経済は停滞期に入り、多くの昭和人間の懐事情もすっかり寂しくなりました。人によって「懐に余裕があった時期」にはズレがあるので、ふたつの時期は重なっているとは限りません。今60歳前後の昭和人間は、バブル期はまだ20代の若者でした。バブルの恩恵を受けた人は、ごく一部です。まして50代にとってバブルはほぼ関係ありません。若者の皆さんは50~60歳ぐらいの昭和人間を見ると、反射的に「バブルでおいしい思いをした人」と見がちですが、多くの場合はぬれぎぬと言っていいでしょう。
ともあれ、日本全体も昭和人間も、一時期は自分なりにぜいたくを経験してみたのはいいけど「なるほど。まあ、もういいかな」という気持ちになっているのではないでしょうか。今はぜいたくしたくてもできないから、「ぜいたくという名のあのぶどうは酸っぱい」と思うことで自分を慰めているのかもしれませんけど。
物心ついた頃から物欲に背中を押されて突き進んできた昭和人間ですが、欲しいものはひと通り手に入れたこともあって、今ではすっかり落ち着きました。一部、スマホの新機種や目新しいガジェット(小型の電子機器)が出るたびに目を輝かせたり、趣味の世界で消費活動に精を出したりしている人はいます。しかし、多くの昭和人間は「今、いちばん欲しいもの」を聞かれても、すぐには思い浮かばないのではないでしょうか。
それでいて「少しぐらい高くても、いいものは結局おトク」「有名ブランドの商品はやっぱり安心」という根深い幻想が抜け切ってはいないのが、けっこうややこしいところ。突発的に高いカバンを買ってみたり、スーパーのPBのビールには食指が動かなかったり、安めの服を買うにしても「ユニクロ」という“ブランド”を選んだりします。
コスパ至上主義に感じるくすぶりの正体
消費活動に対して中途半端な立ち位置にいる昭和人間が、若者に対して気を付けたいのは「若い頃の散財自慢」を口にすること。「給料の半分ぐらいを洋服につぎ込んでいた」という女性の昭和人間は、けっして少なくないはず。卒業旅行や新婚旅行で海外に行っている場合、かかった費用は今の感覚からするとかなり高額です。こちらとしては軽い笑い話のつもりでも、聞いている若者には「どうだ、まいったか。キミたちには真似できないだろ」とマウントを取って悦に入っているように聞こえかねません。
若者と昭和人間で大きなギャップがあるのが、近ごろよく聞く「コスパ(コスト・パフォーマンス)」の捉え方です。若者にとって「コスパがいいこと」は極めて重要だと聞きますが、昭和人間の多くは「コスパよりも大事なことがある」と思わずにはいられません。実際は日々十分にコスパを意識しているんですけど、「コスパはすべてに優先する」「コスパの良さこそが正義」という前提で話されるとイラっとします。
それはきっと、かつてコスパ度外視の買い物なり散財なりしたからこそ味わえた楽しさや、得られた「何か」があると信じているから(その「何か」の正体は不明です)。「コスパ」という言葉に反発を覚えるのは、今はコスパを重視せざるを得ない昭和人間の「せめてもの矜持」であり「最後のプライド」かもしれません。
若者の皆さんは、昭和人間の前で「コスパコスパ」言うと、相手の神経を逆なでしかねないと認識しておいていただけたら幸いです。すべての生物は環境の影響を受けずにはいられないということで、どうかご理解ください。あなたが昭和人間の場合、せっかく覚えたからといって、同年代の前で「コスパ」という言葉をやたらと使うのは危険。いい歳してわかりやすい尺度しか見えていない「残念な人」と思われます。
時代状況が変わったり「次はあれを買いたい!」という情熱が薄れたりしても、買い物が大きな楽しみであることに変わりはありません。あの手この手で、買い物によってもたらされる多種多様な幸せを貪欲に感じてしまいましょう。昭和人間には、そのために必要な引き出しがたくさんあるはずです。
ぜひ積極的に味わいたいのが、無駄遣いの醍醐味。最近はそれこそコスパ重視の買い物をする癖が付いているとしても、たまには懐の許す範囲で、無駄遣いに精を出してみようではありませんか。そうすることで、昭和の頃に感じていたワクワクやドキドキや無限の希望を感じられるはず。若者の皆さんも、よかったらお試しください。
ホントは「懐の許す範囲」を越えたダイナミックな無駄遣いのほうが、そのへんの効果はより高そうです。ただ、家庭内の立場や先々の人生設計など、犠牲にするものがあまりにも大きいかも。大人になるというのは、ちょっと寂しいことでもありますね。
- かつて買い物で味わった高揚感をたまには思い出したい
- 昭和人間は無理のある買い物でパワーをみなぎらせてきた
- 「コスパこそ正義」と言われると昭和人間はイラッとする
文/石原壮一郎 写真/Adobe Stock
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