「『前にも言ったよね』はよく子どもに言う言葉。これをまず見直したい」。こんな感想が寄せられているのが、書籍『「何回説明しても伝わらない」はなぜ起こるのか?』(日経BP)です。本書の背景にあるのは「人は、聞き逃し、都合よく解釈し、誤解し、忘れるもの」という考えであり、これは認知科学における「常識」だと今井むつみさんは指摘します。この常識を知らないばかりに、多くのトラブルや悩みが起こっているというのです。本パートでは、同書から抜粋して、子育てや教育の現場で起こりがちな「伝わらない」の本質的な原因に迫ります。1回目は、「伝わる」とはどういうことか。
日常にあふれる「伝わらない」シチュエーション
私は普段、子どもを対象にした研究をしているため、「言ってもわからない」という現場をよく目の当たりにします。
例えば小学校での授業。先生は一生懸命準備し、わかりやすく教えようとしています。しかしどうやら、理解できている子どもはクラスの半数ほど。残りの子どもは、先生の話をただ聞いているだけで、本当の意味で理解しているとはいえないのが実情です。
「こんなにわかりやすく説明をしているのに、どうして子どもはわからないの?」
そんなふうに、先生方は悩んでいます。
子どもだけではありません。
ある日、あなたは上司に「報告」したとします。特にトラブルが起こったわけでも、急ぎのことがあるわけでもなく、日常業務の報告です。自分自身では過不足なく正確に説明をしたつもり、というシチュエーションを想像してください。
後日、たまたま上司が、あなたの報告について、別の人に話している場面に遭遇しました。すると、あなたの「報告」とはニュアンスが変わってしまっているとします。偶発的に起こったことが、誰かの過失のような扱いになっている、というような具合です。見かねてもう一度報告し直そうとしたけれども、
「その話は前に聞いたから、もういいよ」
と言われてしまいました。
こうした「何だかうまく伝わっていない感じ」はときに、単なる世間話のはずが、
「◯◯さんが悪口を言っていた」
「◯◯さんは不満そうだった」
のような聞き手の印象が加わったりして、人間関係のトラブルへと発展したりもします。
もっと典型的なのは、家族間の会話です。
「この日までに◯◯を用意しておいてって言ったじゃん!」
と言い張る子ども。
「そんな話は聞いてない! なんで言わないの!」
と慌てて準備する親。子どもが言い忘れているだけ、ということももちろんあると思いますが、一方で、本当に言っていたのに、親に伝わっていなかった、ということもあり得ます。
「伝わらない」のは誰のせいなのか
このような場面では、いったい誰が悪いのでしょうか? 伝わるように言わなかった人が悪いのでしょうか? しっかりと説明したのならば、相手は当然、「正しく理解すべき」なのでしょうか?
もしかすると、AさんがBさんに何かを伝えるときに、Aさんが思い描いていることがそのまま正しくBさんに共有できることのほうが、実は例外的なのかもしれません。
なぜなら、私たち人間は、相手の話した内容をそのまま脳にインプットするわけではないからです。
理解したように見える人でも、独自の解釈をしている可能性や、誤解している可能性、曲解している可能性もあります。無意識に「そんな説明は聞きたくない」と拒否していることもあれば、意識的に聞かないようにしたり、聞いてもまったく理解できなかったり、「面倒だからスルーする」という態度に出たりすることもあるでしょう。
本当は理解できていないのに、理解できたつもりになっていることもあるかもしれません。聞いたはずのことをすぐに忘れてしまうことだってあり得ます。
「了解した」という思い込みがもたらす悲劇
2024年1月2日に羽田空港で起きた大きな事故は、皆さん記憶に新しいことでしょう。着陸した日本航空516便と、離陸を待つ海上保安庁の航空機JA722A(以下、海保機)が衝突し、炎上。海保機に乗っていた5名の命が失われる事態となりました。
この事故の直前、管制塔と海保機では、以下のようなコミュニケーションがなされていたという録音が残っています(実際に行われたやりとりは英語)。
海保機「タワー(=管制塔) JA722A C誘導路上です」
管制官「JA722A 東京タワー(=管制塔) こんばんは ナンバーワン C5上の滑走路停止位置まで地上走行してください」
海保機「滑走路停止位置C5に向かいます ナンバーワン ありがとう」
このやりとりを見れば、確かに両者は互いに「了解」しています。しかし実際には、管制官は「停止位置まで」と指示していたところを、海保機は停止位置を越えて滑走路に進入。その背景にあったのは「ナンバーワン」という言葉を解釈するときに生じた誤解ではないかと言われていますが、これは言語の本質的特徴を如実に示しています。
言語は意図のすべてをそのまま表現できるわけではない、つねに受け取り手によって解釈され、解釈されて初めて意味あることとして伝わるのです。言葉を発した人が込めた思いと、相手の解釈が大きく異なってしまうこともあるのです。
しかも厄介なことに、思いと解釈が一致しているかどうかは、話し手にも聞き手にもわかりません。
「言ったのに」とイライラしがちな人が見落としていること
このように、人は単純に「言われたらわかる」わけではないのです。実はこれこそが、コミュニケーションが苦手だと思っている多くの人が見落としている「前提」です。コミュニケーションや人付き合いは、この前提を無視しては成り立ちません。
・言葉を尽くして説明しても、相手に100%理解されるわけではない。
・同じものを見たり聞いたりしても、誰もが同じような理解をするわけではない。
・「言われた」ということと「理解した・わかった」というのは根本的に別物で、「言われたけど理解できない」ことも往々にして起こり得る。
こうした前提を忘れてしまうと、コミュニケーションでイライラしたり、伝わらないことが原因でミスやトラブルが増えたり、自信がなくなってしまったりしてしまいます。
逆に言えば、こうした前提に気づくことで、私たちがコミュニケーションで抱えやすい問題を、対症療法的ではなく根本から改善していくことができるのではないかと考えています。あなた自身も相手の話を聞いたときに、「ああ、わかった、わかった」「それはこういうことね」と思っているとしたら、その危険性にも気がつくようになるはずです。
今井むつみ著/日経BP/1870円(税込み)