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言語学を専攻していると様々な国の書物に接する事が多い。 洋書を初めて買った時に驚いたのは奥付けがないことだった。その代わりに前付けがあって、タイトルページの裏に書いてある。昔は日本と同様に奥付けがあったようだが、ほとんど前に移行している。奥付けのことは英語で“colophon”というがギリシャ語の「終わり」から来ている。本の最初から終わりのことを“from cover to cover”ともいうが、“from title page to colophon”といったこともあった。 しおりの紐というのもあまり洋書で見かけない。日本独特のもののようだが、日本でも紐がつく本は少なくなった。岩波文庫や新書にも70年代初めまで紐がついていた。もちろん、挟む方は“bookmark”といってインターネットで言葉が残っているのが面白い。 外国人はしおりを使う代わりにページの隅を折っておく習慣がある。こ
金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩) 英語教師を撃て! 「大学でスペイン語を教えています」 と彼は言った。 「砂漠に水を撒くような仕事です」 ------村上春樹『1973年のピンボール』 あるアメリカ人が黒猫は不吉だから、もし前の道を横切ったら、その道は通らずに遠くても迂回していくといっていた。そんなアホなと思っていたが、ある日、外国人を見かけて同じような行動をしている自分の姿に気がつき、慄然としたものである。 こんな私に誰がした。 昔、『大橋巨泉のこんなものいらない』という番組があって、その中で一番人気があったのが英語を取り上げたものだったという。日本人の中に英語教育に対する不満が蔓延していた証拠である。オーソン・ウエルズが新聞・雑誌の一面広告に出ている『英語の冒険』(テープを聞いただけで英語が身につく位だったら学校はいらない)を始め、英語教材をめぐる詐欺も相変わ
先日、ある人からの就職依頼メールに「藁にもすがる気持ちで…」と書かれていて、「オレは藁か!」とムッときました。それでも、ちゃんとお世話をしましたが、ことわざというのは難しいものです。「腐っても鯛」といわれると「ワシは腐っているのか!」と開き直りたくなります。日本人に限らず「権威」づけにことわざや格言を使うことがよくありますが、使う時には「石橋を叩いて渡る」必要があります。 さて、今回の言葉は「健全な魂は健全な肉体に宿る」です。英語では“A sound mind in a sound body.”といいます。『広辞苑初版』には<(ローマ時代のことわざから)精神と身体との間には密接な関係があり、身体が強健なら自然に精神も健全である>と説明がなされていました。この言葉を教師から聞いた時に運動オンチだった僕は本当にショックでした。ずっと不健全な精神を持って生きなければならないのか!と胸を痛めたもの
「…お祖父さんはな、ラテン語の絶対奪格が最後まで分からずじまいだった。つまり、頭が悪かったんだな、君のお祖父さんという人は。ところが、君のお父さんは、その壁ぎわの向こうの机にいつも坐っていたんだが…、ま、似たり寄ったりというところだった。しかしだ、わしの考えで、これだけは絶対だと思うんだが、ね…コリー君や…君は…あーム…三人のうちではズバ抜けて頭が悪いよ!」 ゴーッと起こる哄笑。 -----ヒルトン『チップス先生さようなら』 「日本語を勉強して、何が一番難しかった?」とときどき聞かれる。 のみこむのに苦労した日本語は、佃煮にするほどあった。例えば、「以後」と「以降」と「以来」を一体どう使い分けたらよいのか。また、難しい四字熟語を一生懸命覚えても、「適度」に、いや「適当」に、いな「適切」に使えるようになるのに、さらに一進一退、試行錯誤の月日を要した。ただ、「一番難しかった
『人が見たら蛙に化(な)れ』( 朝日新聞社)というのは村田喜代子の骨董を題材にした小説である。自分だけのお宝は、決して他人には知られたくないものだ。そんな人間の占有欲を見事に言い表したタイトルなのである。 元は民話から来ているようだ。二つのタイプがあって、一つは嫁と姑の話で、姑がぼた餅に「嫁が見たら蛙になれ、わしが見たらぼた餅になれ」といって出かける。それを見た嫁がぼた餅を食べ、蛙を入れておき騒動になるという物語で狂言の「附子(ぶす/ぶし)」やひと休とんち話の原形になっている。 もう一つの話では、兄が遊び好きで金を遣い、弟は働き者で金をため、かめの中に入れ「兄が見たら蛙になれ、わしが見たら金になれ」といってためている。それを兄が見つけて金を奪って大騒ぎになる…。 実は村田の小説の前に、この言い回しを知っていた。それは白州正子の『縁あって』(青土社)のエッセイである。 「人
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吉野弘「父」 (詩集『消息』) 何故 生まれねばならなかったか。 子供が それを父に問うことをせず ひとり耐えつづけている間 父は きびしく無視されるだろう。 そうして 父は 耐えねばならないだろう。 子供が 彼の生を引受けようと 決意するときも なお 父は やさしく避けられているだろう。 父は そうして やさしさにも耐えねばならないだろう。 ここで「父権復興」を叫ぶ人々は、中空構造の空性を侵して、そこに父性を据えようとするのであり、「復興」を主張する背後には、かつてわが国において存在した父性をそれに用いればよいという認識に立っていると思われる。それは相も変わらず「古きよき時代」を懐かしむ老人の感傷と結びつき、「父よあなたは強かった」という時代の父性を復興しようとする態度につながっていくのである。ここに最初に述べた「徴兵制復活」論が盛んとなる心理的要因がひそんでいると思われる。
「君は何か書く仕事をしているそうだな」と牧村拓【冒険作家】は言った。 「書くというほどのことじゃないですね」と僕は言った。「穴を埋める為の文章を提供しているだけのことです。何でもいいんです。字が書いてあればいいんです。でも誰かが書かなくてはならない。で、僕が書いているんです。雪かきと同じです。文化的雪かき」 「雪かき」と牧村拓は言った。そしてわきに置いたゴルフ・クラブにちらりと目をやった。 「面白い表現だ」 「それはどうも」と僕は言った。 「文章を書くのって好きか?」 「今やってることの関しては、好きとも嫌いともいえないですね。そういうレベルの仕事じゃないから。でも有効な雪かきの方法というのは確かにありますね。コツとか、ノウハウとか、姿勢とか、力のいれ方とか、そういうのは。そういうのを考えるのは嫌いじゃないです」 「明快な答えだな」と彼は感心したように言った。 「レベルが低
家族で『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』を見て帰る車の中で小学校1年生の長女に「あなたは選ばれた人だとか、ライトセーバーのように剣を使うことがテーマになっている宝塚の舞台は何?」というと即座に『エクスカリバー』!と元気な返事が返ってきた。『エクスカリバー 美しき騎士たち』というのはアーサー王伝説に基づく舞台だ。 宝塚ファンでなくとも『スター・ウォーズ』がアーサー王伝説に基づいていることは分かるだろう。長女は既にアミダラ姫は花總まりで、クワイ=ガン・ジンが姿月あさと、ダースモールは和央ようかなどと配役を考え始めている。 モーツァルトの『魔笛』も『スター・ウォーズ』の原作ともいえる。『魔笛』はモーツァルトも入ったとされる秘密結社フリー・メーソンの思想に満ちていて、モーツァルトの宇宙論が反映している。『魔笛』ではザラストロが「老賢者」のヨーダに相当し、夜の女王はダースベーダー
To be, or not to be, that is the question: Whether 'tis nobler in the mind to suffer The slings and arrows of outrageous fortune Or to take arms 'gainst a sea of troubles, And by opposing end them? ----Hamlet, 3.1.58 このままでいいのか、いけないのか、それが問題だ。 どちらがりっぱな生き方か、このまま心のうちに 暴虐な運命の矢弾ををじっと耐えしのぶことか、 それとも寄せくる怒濤の苦難に敢然と立ち向かい、 闘ってそれに終止符をうつことか? 『ハムレット』第3幕第1場【小田島雄志訳】 ミッチー・渡辺美智雄が亡くなった。ユーモアあふれた庶民派といわれたけれど、本当
夢を追うのは悪いことではないし、早くから就きたい職業のイメージが明快な人は幸せだと思う。でも。夢万能主義は危なっかしい。だって夢に挫折したら、どーするのだ。いつでも路線変更してやらあ、くらいの気持ちじゃないと、すぐにポキッと折れちゃうぞ。……大きな夢より小さな軌道修正。夢なんか持ってる人、現実には少ないわけじゃないですか。(斎藤美奈子『たまには、時事ネタ』中央公論新社) 「働」(く)という字は日本生まれの国字だ。中国にはなかった。金田一春彦が書いているが「人ベンに動く、つまり働く。これが国字の中で最もよく使われる字とは日本人の勤勉さをよく表しているのではないか」という。 1997年に情報工学科の就職担当をしていた。ISO9000じゃなくてUSO800の推薦状を書いたり、就職関係のホームページを作ったりした。 当時の情報工学科は女子がいっぱいいて大変だったが、NHKやNTTなど、どうにか厳
小さい頃、漫画を読んでいて不思議だったのは「あぶら虫」が時々出てきて、みんな怖がっているらしいことだった。 図鑑でアブラ虫というのを調べると蟻と共生している緑色の小さな虫(アリマキ)である。庭の植物を観察して怖いかどうか見たが、どう考えても怖そうには見えなかった。 あぶら虫というのがゴキブリのことだと知ったのはずいぶん後のことである。 嘘だと思うだろうが、百科事典で調べて「御器かぶり」、つまり漆器などもかじってしまうような虫と書いてあって、3種類のイラストも出ていた。 知らなかったのは当然で、「あぶら虫」というのはゴキブリの東京方言だったのである。 今の人は信じないだろうが、本物のゴキブリを僕は東京に行くまで知らなかった。僕の小さい頃はゴキブリは少なくとも北陸にはいなかった。 北海道の人は分かると思うけど、それだけ地球の温暖化が進んでいることになる。 葉山の姉のアパートに泊まるとゴキブリが
自転車を漕ぐといふ歌句を子らわらふ 辞書を示せばこれをしも嗤ふ ------吉野 秀雄『含紅集』 チャンネルを回すという言葉を豚児笑う 『新解』さんを示せばガハハと笑ってしまう ------金川 欣二『冗句集』 赤瀬川原平の『新解さんの謎』(文藝春秋)を寝転がって読んでいたら「読書」の項目が出てきて思わず、姿勢を正してしまった。「読書」は「[研究調査や受験勉強の時などと違って]想(ソウ)を思いきり浮世(フセイ)の外に馳(ハ)せ 精神を未知の世界に遊ばせたり 人生観を確固不動のものたらしめたりするために、時間の束縛を受けること無く 本を読むこと。[寝ころがって漫画本を見たり 電車の中で週刊誌をよんだりすることは、勝義の読書には含まれない]」となっているのだ。 こうなったらもう、お殿さまに出会ったように、「ははーっ」と頭を下げるしかない。 新解さんというのは商船高専のマドンナ・新開先
ダジャレ=『広辞苑』によると、「つまらないしゃれ」とある。ところがその「つまらない」ところに価値があるのだ。その破壊力によって価値の顛倒を引き起こす。とは言うものの、まったく無価値なものがあるのも事実。 ------河合隼雄 ユーモアの分析はカエルの解剖のようなものだ。 興味を持つ人はほとんどいないし、カエルはそのために死ぬ。 ------E・B・ホワイト(米・小説家) 「がいらいごじてん」 まどみちお 『まどみちお全詩集』(1992理論社) ファッション=======はっくしょん ア ラ モード=====あら どうも ミニ スカート=====目に すかっと ぱんたろん========ぱあだろう ネグリジェ========ねぐるしいだろう ダイアモンド======だれのもんだ ペンダント========へんなんだ マニキュア========まぬけや メニュー===
女の何気ないことばにはさまざまな論理が隠されており、油断できない。たとえば女がこういったとしよう。 「また高い本を買ったりして、どういうこと?今月はもう生活費が底をついているのよ。稼ぎが少ないんだからちっとは家計のことを考えたらどうなの」 このありふれた発言を、たんに女が怒っているだけだと考えたら間違いである。この種の発言は厳密な定義に裏打ちされているのだ。たとえば、「高い本」とは「二千円以上の本、または一ページあたり十円を超える本」のことである。「生活費」とは「食費、水道光熱費、および妻の衣料・交際・遊興費」のことである。「稼ぎが少ない」とは。「近所のAさんと比較して少ない」ことである(どうしてザイールの国民平均所得と比較しないのか)。このように厳密に定義したうえで発言していることは、ちょっと(数時間以上)議論してみれば分かる。【…】 このような勝手な定義の上に築かれた信念をくつがえすこ
「きれる」------「我慢が限界に達し、理性的な対応ができなくなる」『広辞苑』第5版(98年11月発行) 「真理はフィクションのように構成されている」------スラヴォイ・シジェク 朝 (谷川俊太郎) また朝が来てぼくは生きていた 夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た 柿の木の裸の枝が風にゆれ 首輪のない犬が陽だまりに寝そべっているのを 百年前ぼくはここにいなかった 百年後ぼくはここにいないだろう 当たり前な所のようでいて 地上はきっと思いがけない場所なんだ いつだったか子宮の中で ぼくは小さな小さな卵だった それから小さな小さな魚になって それから小さな小さな鳥になって それからやっとぼくは人間になった 十ヶ月を何千億年もかかって生きて そんなこともぼくら復習しなきゃ 今まで予習ばっかりしすぎたから 今朝一滴の水のすきとおった冷たさが ぼくに人間とは何
石川「監督、中日相手だと楽ですね。みんなアップスイングで簡単にポップフライを打ち上げてくれますから、すいすい完投ができちゃいます」 古田「大きい声では言えないが(こそこそ)、ボールにエビの絵を描いておけば、みんなフライをあげてくれるからな」 石川「県民性というのはおそろしいものですね。そこまで海老フライが好きなんだ。はははは」 古田「まったくだ、はははは」 さすが古田監督、考える野球をやっています…みたいなことになるといいんですけど、なかなか簡単にはいきません。中日ドラゴンズ、強いですね。 村上春樹『うさぎおいしーフランス人』(文藝春秋) 最初に断っておくが、私は富山県民として誇りをもっているし、富山県が大好きで「富山県民の歌」もソラで歌える、ごく一般的な富山県民である。ところが、以前、エッセーの中で蒲鉾文化論を披露したところ、思いのほか反響があり、文化人類学者の友人も論文に引用し
金川 欣二:マックde記号論(言語学のお散歩) 新方言時代〜「小さい“お”」って何? ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲のかくまで苦し -----寺山修司 いまや、標準語は政治を語ることばに堕してしまい、「人生を語る言葉は方言しかなくなってしまった」のである。 -----寺山修司『両手いっぱいの言葉』から 東京へ行って「氷水」を頼んだら、氷の入った水が出た。「かき氷」といわなければならなかった。 大阪へ行った時のことである。電車に乗るとドアに「指つめ注意」と書かれていて怖くなった。これはきっと、指をつめたヤーさんが多くて注意しろ、という意味だと思った。関西はものの言い方が直接的で、動物園でも関東なら「エサを与えないでください」と書いてあるところが、神戸の動物園などは「噛みます」とだけ書いてある。 それからモータープールというのがたくさんあってモーターで水がぐるぐる動いている回流
言語学者の異常な愛情 ---または私は如何にして心配するのをやめて、言語学を愛するようになったか Dr.Strangespeech : or How I Learned to Stop Worrying and Love the Linguistics 「先生、言語学だけはだめです。言語学は災難の源です」 ------E・イヨネスコ『授業』 Y君へ あなたがもうすぐ教養部を終えて、学部では言語学を専攻したいとのご希望をお持ちだと言う話をお父さんからうかがいました。あなたがどんな学問を選ばうと自由だと約束はしていたのだけれど、よりによって言語学とかいう耳新しい奇妙な学問にとりつかれているといって、お父さんは大変困惑なさっています。あれほど立派な人も言語学について世間並にちょっびり誤解なさっていたので、私の知っている範囲のことは説明しておきました。 すると、是非一度あなたと話してみてくれとおっ
高校の英語の授業で、教師からライスのRとLを間違うと外国のレストランでご飯(rice)ではなくで、シラミ(lice)が出されることになるぞ、と威かされたことがある。 そんなことは、どう考えても現実にはありえないことであり、これは英語教師によるデタラメな脅迫だと感じ、それ以来、英語が嫌いになった。できもしないRとLの区別を一生懸命に練習するよりもシラミを出すような外国人の教養を疑った方が早いと思った。 それにしても、西洋人は勘が鈍い。おかげで英語には随分、苦労させられた。今の学生たちと違って大学で初めて外人による英会話の授業を受けたのだが、一週間何をして過ごしたか、英語で答えなければならず、少しだけ話すと、直ぐに英語が続かなくなる。大体、当時は明るい青春なんかなくて話すことなどなかったのだ。それで黙っていると、敵はず−っと話の続きを待っている。「話せないのだ」と分かってくれない。 沈黙の時間
Sentence structure is innate but whining is acquired. ―Woody Allen, Remembering Needleman, 1976 (文の構造は生得的だが、ぐずり泣きは後天的) 「生成文法に対するお考えを今度ぜひ、エッセイにしてください。金川さんの切れ目のない文体は慣れると癖になります」というリクエストがあったので恐る恐る書いてみる。「お考え」というものはないのだけれど、感想くらいは書けるだろうと思って書いてみた。 最近のチョムスキーの理論はまるで知らないし、僕の知識はかなり古いと思うが、彼が何を考えているのか、紹介してみたい。自慢ではないが、僕の下宿にはチョンスケという猫がいたからチョンスケの専門家なのである。 生成文法は怖い、というイメージがあるが、上のおじさんの顔を見ると怖くないでしょ。 今の学問的発展は少し無理があるよ
… The summer's flower is to the summer sweet, Though to itself it only live and die, But if that flower with base infection meet, The basest weed outbraves his dignity: For sweetest things turn sourest by their deeds; Lilies that fester smell far worse than weeds. Shakespeare Sonnet 94 … 夏の花は、夏に甘い香りをまき散らす 実りなくこっそりと枯れていくのに だけど、ひとたび忌まわしい病にかかると 卑しい野の花よりもみじめな姿をさらす どれほどうつくしくとも行い次第で醜いものになる
Those friends thou hast, and their adoption tried, Grapple them to thy soul with hoops of steel; But do not dull thy palm with entertainment Of each new-hatch'd, unfledged comrade. Hamlet 1.3 語るにたる友と見きわめをつけたら、たとえ 鉄のたがで縛りつけても離すでない。 だが羽根もそろわぬヒヨコのような仲間と だれかれかまわず握手して手の皮を厚くするな。 『ハムレット』第1幕第3場 Business, you know, may bring money but friendship hardly ever does . -----Jane Austen, EMMA (仕事をすればお金が
a drowsy numbness pains My sense------Keats (眠き麻痺が我が感覚を苦しめる) Je ne suis jamais seul avec ma solitude.------George Moustaki (私は孤独と一緒なので、もはや孤独ではない) 僕の好きなタイプの女性は『めぞん一刻』の音無響子さんであることは「カタログの歌」にも書いたとおりである。「管理人さん」は掃除・洗濯・裁縫万能、着物の着付けもテニスもこなすスーパーウーマンである。娘の名前を「響子」にしようと思ったくらいだ。「響子」のはずだった娘は小学校2年生で『めぞん一刻』を全巻読んでしまった。あんな不条理な世界が分かるのかと思うが、親馬鹿だから結構うれしいのである。 しかし、このまま『めぞん一刻』のバーチャルな世界に入っていたら、生涯結婚できなかったところだった。何しろ「僕と結婚し
葬儀屋さんがあらゆる葬式のうちでもっとも最高なのは食葬ですと言った。 父はやせていたからスープにするしかないと思った。 谷川俊太郎「父の死」(『世間知ラズ』思潮社) 1988年の4月23日に僕はある市の市民学習センターの映画講座で『ゆきゆきて、神軍』を上映しようと思っていた。 この前の年、渋谷のユーロスペースで『ゆきゆきて、神軍』を観た。天皇制批判の奥崎の行動をドキュメンタリーにしたものだが、なかなか見ごたえがあった。それに富山ではどこも上映していなかった。それで、その年の第1回にこれを取り上げたのだ。 ところが、所長から内容をチェックしたけれどやっぱり不適当ということになり、取りやめてくれ、ということになった。迷惑をかけてはいけないので、あっさり取り下げた。ところが、予定の原稿が紛れて一部マスコミにまで流れていたのだ。 僕の知っている原稿では既に「フェーム」になっていて安心していたの
HAMLET Not a whit, we defy augury: there's a special providence in the fall of a sparrow. If it be now, 'tis not to come; if it be not to come, it will be now; if it be not now, yet it will come: the readiness is all: since no man has aught of what he leaves, what is't to leave betimes? The Tragedy of Hamlet, Prince of Denmark Act 5, Scene 2 その必要はない。 前兆などいちいち気にしていてもはじまらぬ。 雀一羽落ちるのも神の摂理。 来るべ
考えるとは、物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わることだ。物を外から知るのではなく、物を身に感じて生きる、そういう経験をいう。じっさい、宣長は、そういう意味合いで、ひと筋に考えた。彼がいわゆる「世の物しり」をしきりに嫌いだと言っているのも、彼の学問の建前からすると、物しりは、まるで考えるということをしていないということになるからだろう。この点では、徂徠も同様であったと見てよい。 -----小林秀雄『考えるヒント』 英国の物とチェコの物では、同じ意味を持つ語で示されていようとも、いつもそれが同じものを示しているとは限らないことは、これまでに述べてきた通りである。しかし英語を学ぶものは、このことによく注意しなければならない。そこでこの章では、英国の現実がチェコあるいはスロバキアの現実といろいろな面で異なっていることについて述べてみよう。次にちょっとした例をあげる。 'A cup
「正しい日本語」と銘打った本や番組が溢れている。あなたの日本語は間違っている、と脅迫されて、不安感に駆られる人も多いだろう。 こんな状況を笑い飛ばすのが本書だ。七回転べば起きるのも七回なのに「七転び八起き」だし、トウモロコシはトウもモロコシも両方「唐」のことだ。言葉はそもそも理不尽なモノで、そこに「規範」や「正しさ」を求めても意味がない。それよりは、味わい深い「おいしい日本語」を目指そう、というのが趣向だ。 驚くべきは著者の膨大な知識と絶妙のウィット。現代思想から落語、翻訳、ダジャレまで、様々な用例が笑いを誘い、私たちを「正しい日本語」の呪縛から解放してくれる。言葉との付き合い方が変わる一冊だ。 (300字紹介文) 「正しさ」というのを言語学では問いません。「レット・イット・ビー」、つまり「あるがままに」言語を調べるのが言語学です。ですから、今流行っているクイズ番組のように、「正解」を
ネットを始めると最初に興味をもつことの一つがフェイスマーク(フェースマーク、顔文字、顔マーク)である。 コンピュサーブなどで : ) とか : D などのような記号を最初見かけて何が何だか分からなかった。分からないと首を傾げたとたんに、分かった。横になっていたのだった。 : - ( とか : - P なども見るようになった。UNIX系の場合は : - ) と鼻筋の通った形だった。 アメリカでは1980年代初めに、ペンシルバニア州カーネギーメロン大学(Carnegie Mellon University)の電子掲示板でScott Fahlmanなる人物が最初であるという。以下が投稿のオリジナルのバックアップである(これによれば、1982年9月19日ということになる)。 19-Sep-82 11:44 Scott E Fahlman :-) From: Scott E Fa
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