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日本古代史をめぐる異説がもっとも熱っぽく語られている地方、それは意外と四国かも 知れない。古くは愛媛県宇和島出身の明治の哲学者、木村鷹太郎が「人種学上宇和島の提 供する無類の材料」(『世界的研究に基づける日本太古史・上』、一九一一年、所収)を 現し、その方言、祭祀、民謡、伝説などから「宇和島人はアリアン人たり、ヤペテ人たり 、キンメリ人たり、希臘、ホエニシア、埃及人たり、神話時代の神裔人種たるを証明」し たが、むろん学界の容れるところとはならなかった。 比較的最近には、阿波邪馬台国説が話題となった。それは最初に郷土史家・郡昇の『阿 波高天原考』(自費出版、一九七五年)で示され、古代阿波研究会『邪馬壱国は阿波だっ た-魏志倭人伝と古事記との一致-』(新人物往来社、一九七六年)によって全国に知ら しめられたものである。同書の奥付によると、古代阿波研究会の当時の事務局長は堀川豊 平氏とあり、編集
一九八〇年代後半、日本の読書界で目についた現象としてSF小説と推理小説の変容が あった。この時期、SF界では専門誌の売れ行きがのきなみ低調となり、いくつもの雑誌 が廃刊に追い込まれた。ところが新書や文庫の売れ行きは好調で、かえってそれ以前より もはるかに大衆的定着は進んでいたのである。これはSFの主流がファンを対象としてい かにもSFらしいSFから、文学趣味を伴った作品もしくは新書ノベルズや文庫ジュブナ イルに見られるような気楽な読み物に移ったためである。 また、一九八〇年代前半から見られる現象ではあったが、それまでSFと不倶戴天の関 係にあったファンタジーや純文学とのフュージョンが進み、中間的な作品がよく見掛けら れるようになった。純文学畑の作家がSF的な題材を好んでとりあげるようになったのも 一九八〇年代に入ってからであり、筒井康隆のようにSF畑から純文学の方にとりこまれ る作家まで現
一般に『先代旧事本紀』(略して『旧事紀』ともいう)と呼ばれているのは聖徳太子撰 と伝えられる十巻の史書であり、その存在はすでに平安時代から知られていた。 その成立時期を推定するにあたっては、次のような手掛かりがある。 1,『先代旧事本紀』巻十、国造本紀に、弘仁十四年(八二三)、越前国から加賀国を分け たという記述があり、『先代旧事本紀』全体の成立はそれ以後と思われる(ただし後世の 追記という可能性もある)。 2,『先代旧事本紀』には、忌部広成の『古語拾遺』からの引用とみられる個所があり、し たがってその成立は『古語拾遺』が編纂された大同二年(八〇七)以降であることは間違 いない。 3,承平の日本紀講筵私紀に、藤原春海による『先代旧事本紀』の論が引かれており、そこ から春海による延喜の『日本書紀』講書の際(九〇四~九〇六)には、すでに『先代旧事 本紀』が流布していたことがうかがえる。 4,貞
ウィリアム・シェイクスピアとは何者か? まず、十六世紀末から十七世紀始めにかけ て、この名義で書かれた戯曲がロンドンで好評を博していた。その名は、やがて史上最高 の詩人・劇作家を意味するものとなり、作品は世界のあらゆる言語に訳されて、今も新た な読者を獲得し続けている。 一方、同じ頃にストラトフォード・アポン・エイヴォンという小さな町出身の同姓同名 のならず者がロンドンに出て、演劇界で稼ぎまくり、成功者として故郷に錦を飾ったとい う史実がある。常識的理解としては、この両者は同一人物ということになる。 ところが、シェイクスピアは一片の直筆原稿も書簡も残していない。わずかに残された シェイクスピアの直筆は、契約書や遺言状といった散文的な文書の署名ばかりである。そ もそも彼がまともな教育を受けたかどうかさえわからないのだ。 ストラトフォードに帰ってからのシェイクスピアの事績も、不動産売買や高利貸
『日本書紀』は仁徳天皇六五年、和珥臣の祖・タケフルクマが飛騨国の怪人・宿儺を退治 した話を伝える。 「六十五年、飛騨国に一人有り。宿儺と曰ふ。其れ為人、体を一にして両の面有り。面各 相背けり。頂合ひて項無し。各手足有り。其れ膝有りて膕踵無し。力多にして軽く捷し。 左右に剣を佩きて、四の手に並に弓矢を用ふ。是を以て、皇命に随はず。人民を掠略みて 楽とす。是に、和珥臣の祖難波根子武振熊を遣して誅さしむ」 原文ではわずか八四文字、この話は『日本書紀』にのみあって『古事記』にはない。タ ケフルクマは仲哀記に「難波根子建振熊命」、神功紀に「和珥臣の祖武振熊」とあり、神 功・応神と争う忍熊王を攻めた将軍と伝えられる。タケフルクマの事績として伝えられて いるのは、忍熊王追討と宿儺退治の二つのみである。 ただし、『古事記』では忍熊王を近江で入水に追い込んだのはタケフルクマその人とさ れているが、『日本書紀
平成四年十月二十一日、大分県在住の野村孝彦氏は、写真盗用および論文剽窃の件で、 青森地裁に損害賠償請求の民事訴訟を起こした。被告は『東日流外三郡誌』の偽作者・和 田喜八郎氏ならびに、その著書『知られざる東日流日下王国』(昭和六二年刊)の版元と なった八幡書店(同社は『東日流外三郡誌』のテキストも刊行している)である。 以前から、野村氏は奈良県生駒市や和歌山県新宮市那智勝浦町の「猪垣」といわれる古 い石垣に関心を持ち、それが古代の遺跡である可能性をも考慮して、本格的調査が必要だ と唱えていた。野村氏は自ら山中を探索し、その暫定的報告を昭和五十年五月十四日付の 日本経済新聞に「謎の猪垣熊野に眠る」との見出しで発表している。 昭和五一年頃、市浦村版『東日流外三郡誌』のことを知った野村氏は「所蔵者」たる和 田氏に、所有する文書の中に猪垣関連の記述がないか、書簡と電話で問い合わせた。和田 氏は当初、
先日、久々に鳥取県境港市の「水木しげるロード」を訪ねた。1994年の開設以来増 え続ける妖怪たちはいまや80体、初めて訪れた我が相方は、その予想を超えた規模にす っかり感激していた。 江戸時代以来の妖怪画の伝統を引き継ぎながらも姿なき妖怪たちに形を与え続けた水木 氏の功績は他に類のないものである。 その水木氏の代表作といえば世代を超えて愛され続け、六〇年代版(68年1月~69 年3月)、七〇年代版(71年10月~72年9月)、八〇年代版(85年10月~88 年4月)、そして現在放映中の九〇年代版(96年1月~)と四度にわたってテレビアニ メ化された『ゲゲゲの鬼太郎』だろう。最初のアニメ化から間もなく30年、若い世代は リアルタイムで楽しみ、年配の人は子や孫に教えられて、いまや鬼太郎の名前を聞いたこ ともない日本人などまず考えられない。これほど定着したキャラクターは他にゴジラ、ウ ルトラマン
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